ちゃん、今日の晩御飯は僕が作ります。ホワイトデー特別料理でお出迎えです!」
「いいんですか? 期待しちゃいますよ?」
「はいはい。大いに期待しちゃってください」


 〜アスフォデリン〜


 3月14日の朝。
 妙ににこにこして気合の入った先生にそう言われた。

 ふふふ、先生の料理を食べるの久しぶり!
 きっとまたカレーなんだろうけど、先生のカレーはおいしいから大好き。
 私はその日一日をわくわくしながら過ごした。

 ……でも。
 今日は私と先生の結婚記念日でもあるから。
 先生ばかりにお料理お願いしとくのも悪いし。
 なにより先生、今日は学校でお返しくばり忙しいだろうしね。
 ……昨日遅くまで頭脳アメ作ってたみたいだし……あれ、あんな材料で作ってたんだ……。

 というわけで、私は学校帰りに商店街にふらりと立ち寄った。

「こんにちはー!」
「あらさん、ひさしぶりね」
「はい、有沢さんもお元気そうで! 真咲先輩は今日はシフトに入ってないんですか?」

 私が立ち寄ったのはかつてのバイト先、花屋アンネリー。
 出迎えてくれたのは有沢さんだ。あいかわらずの知的美人。

「真咲くんなら注文品を奥で仕上げてるわよ? 行ってあげたら?」
「え、でも私もう関係者でもないのに」
「いいわよ、さんなら。ほらほら」

 有沢さんに背中を押されて、奥に入っていく。

 そこには、色とりどりのガーベラのアレンジメントにリボンをかけている真咲先輩。

「真咲先輩っ」
「ん? おーっか! 久しぶりだな!」

 そっと声をかければ、真咲先輩は満面の笑顔で迎えてくれた。
 ふふ、真咲先輩に会うのもひさしぶりだ。

「ちょっと待ってろよ? もうすぐラッピングも終わるから」
「ありがとうございます!」
「はぁ〜、も人妻だもんなぁ。これもって若王子とらぶらぶってかぁ?」
「そ、その言い方ちょっとひっかかるんですけど……」

 赤面しながら答えると、真咲先輩は愉快そうに笑ってリボンの端を切った。

「よしっ。……でもこんなでかいの持って帰れないだろ。オレもうすぐシフト上がりだから、家まで宅配してやるよ」
「いいんですか? わぁ、ありがとうございます!」
「ん、相変わらずは礼儀正しいな。二重マル!」

 わしゃわしゃと真咲先輩に頭を撫でてもらうのも久しぶり。へへ。

 真咲先輩に作ってもらったのは卓上花として飾ろうと思ったカラフルな春色のガーベラアレンジ。
 お祝いだもんね。少しくらい華やかにしなきゃ。

 私は真咲先輩の片付けが終わるまで店内を見て歩いた。
 久しぶりに来たアンネリーは春の花に満ち溢れてて、そこにいるだけで気分が弾んでくるよう。
 懐かしいなぁ。新たにやってくるお客さんにいらっしゃいませ! って言っちゃいそう。

「んじゃ有沢、お先なー」
「有沢さん、また今度来ますね!」
「ええ。いつでも歓迎するわよ、さん」

 奥から出てきた店長にも挨拶して、真咲先輩の車の後部座席にアレンジメントを積んで。
 私は何度か乗ったことのある助手席に乗りこんで、シートベルトを締めた。

「それにしても早いなー。が店やめて1年たつんだもんな。学校はどうだ? 専門学校は実習ばっかで忙しいだろ」
「毎日課題課題で大変ですよー。私の場合、授業中に連れ出されることもしばしば……じゃなくて、邪魔されることもあって」
「ふーん? なんかよくわかんねーけど、やっぱ大変なんだな。……っと。あれ、の新居ってそういやどこだ?」
「あ! そっか、真咲先輩、前の家しか知らないんでしたっけ。えっと次の角右折してください」
「よっし、ナビ頼んだぞ。……でもまぁの場合、大変なのは学校よりも若王子だろ」

 真っ直ぐ前を見て運転しながらも、真咲先輩はにやりと笑って。
 うう、もしかしてからかわれてる?

「この間も若王子のヤツ、が店やめてからぱったりこなくなったなー、と思ってたらふらっとやって来て。なんつったかな、アス……アスなんとかって花はあるかって」
「先生がアンネリーに?」
「知らなかったか? そんでよ、うちでは取り扱いございませーんって言ったら若王子のヤツ、あの無害な笑顔で、だったら取り寄せお願いします、だってよ。これがどっこ探してもなかなか見つからなくてなー。帰ったらオレが文句言ってたって伝えとけ!」
「す、すいません……先生ってば真咲先輩にすぐ頼るんだから……」
「おいおいっ」

 赤信号で止まって、真咲先輩は逆さ三角になった目を私に向ける。

「そこは『うちの人がご迷惑かけてます』っていうとこじゃねーの? 奥さ〜ん」
「真咲先輩っ! もうっ、次の角左ですっ!」
「ははっ、了解了解っ」

 もう、真咲先輩ってば人が悪いっ!
 真っ赤になって憤慨しても、けたけたと笑い飛ばすだけだし。
 先生も帰ったらお説教なんだから!


 そんなこんなでアンネリーから車で10分足らず。
 私と先生の住まうマンション前に到着だ。

「真咲先輩、ありがとうございました! よかったら先生のカレー食べていきませんか?」
「ホワイトデーにん家でカレーか。はは、懐かしいなー。でもやめとくわ。さすがに今日お邪魔したら若王子に末代まで祟られそうだしな」
「否定できなくてスイマセン……」
「いーっていーって。旦那と仲良くな? 若奥さんっ」
「もうっ。でも本当にありがとうございました、真咲先輩! またアンネリーに遊びにいきますね!」
「おう、いつでも来い。ならいつでも大歓迎だから。じゃあなっ」

 アレンジメントを両手で抱えて、笑顔で去っていった真咲先輩の車が角に消えるまで見送って。

 さて、先生も待たせてるだろうし家に入ろうかな。

 くるりとマンション入り口を振り向いて。

ちゃん」
「わ! び、びっくりした! せんせ、いつからいたんですか?」
「たった今です」

 振り返った目の前に、いつも私がつけてるさくら色のエプロンつけた先生がおたま片手に立ってるんだもん。
 びっくりした!
 ……っていうか……ちょっと可愛いかも、先生。

 先生はいつもののんきな笑顔を浮かべて、首を小さく傾げながら私を見下ろして。

「誰に送ってもらってきたの?」

 あ。
 目が笑ってない。

「真咲先輩ですよ? ほら、このアレンジメント持って帰るの大変だろうって、送ってくれたんです」
「真咲くん。真咲くんですか。なるほど」

 うんうん、と何度か頷いて。
 でも真咲先輩に対しては先生も警戒心が薄いみたい。
 ようやく心の底からの笑顔を見せて、私が持ってるガーベラのアレンジメントをひょいっと持ち上げてくれた。

 ……先生のこの嫉妬深さ、ほんとどうにかならないかな……。愛されてる喜びよりも他人に被害が及ぶ心配のほうが強いのってどうなんだろう……。

ちゃん?」
「あ、なんでもないです。綺麗でしょう、先生っ」
「はい、とっても綺麗です。もしかして結婚記念日のお祝いかな」
「ホワイトデーじゃなくてちゃんと覚えててくれたんですか?」
「もちろんです。僕が君との幸せを手に入れた日を忘れるわけがない」

 えっへん、と調子よく胸をそらせる先生。
 でもすぐにおたまをふりかざして。

ちゃんが帰ってくるのを待ってました。今日は佐伯くんに新しく教えてもらった佐伯式おいしいカレーバージョン2若王子スペシャルです! 職員会議も部活もサボって急いで作……ってないです。ちゃんと仕事してきました、ええ本当です」
「せんせぇ……」

 私がジトーっと見上げれば、先生はくるりと方向転換。
 すたこらとマンションの中に入っていく。

「先生っ! お仕事サボりはブ、ブーですっ! 教頭先生にいますぐ電話してくださいっ!」

 もうっ。今日はごはんの前にお説教だっ!


 家の中に入れば、ぷーんと漂ってくるスパイシーなカレーの匂い。
 クロとシロとミケもしっぽをふりながら匂いの元を探してリビングをうろついてる。

 私は鞄を部屋に置いて、着替えもせずにリビングに舞い戻る。

「先生っ、ご飯の前にお説教します! ここ座ってくださいっ!」
「やや、ちゃんちょっと待って。僕からも伝えたいことがあるんです」

 ソファに腰かけて腕組みして先生を呼ぶ。
 今日という今日は、きっちり叱らなきゃ!

 ところが先生は、奥の部屋から後ろ手に何かを隠しながらやってきた。
 いつも私が説教しようとするときは、心底しょんぼりした顔して私の同情を誘おうとするのに。
 なんだかさっきにも増してにこにこ笑顔。
 な、なんだろう。作戦転換?

「ご、ごまかそうとしたってダメですよっ」
「そんなことしません。でもの話の前に、僕からのプレゼントを受け取ってください」
「プレゼント?」

 私にぴったりくっついてソファに腰掛けて、先生は嬉しそうに私の顔を覗き込む。


「は、はい」
「……こんな僕を選んでくれてありがとう。いつもがんばる君へ、僕の本心をプレゼントします」

 優しい笑顔でそう言って、きゅうっと抱きしめてくれる先生。
 抱きしめながら、私の手に渡されるものは。

 淡いブルーの不織布にラッピングされた一輪の花。

「これ……?」

 鈴なりに白い小さな花をつけた切花。
 ヒヤシンスやサルビアにも似てるけど違うもの。初めてみる、かも。

「アスフォデリンという花です」
「アスフォデリン? じゃあこれ、先生が真咲先輩に頼んで取り寄せたっていう花ですか?」
「やや、聞いちゃいましたか」

 ぱちぱちと目を瞬かせる先生。

「じゃあ意味も聞いちゃいました?」
「意味?」
「花言葉です。……その様子じゃ聞いてないね。ピンポンですか?」
「ピンポンです。この花の花言葉ってなんなんですか?」

 見上げれば、先生はいたずらっ子の笑顔を浮かべて、ぱちんと片目をつぶる。

「ブ、ブー。内緒です。さ、僕はカレーの仕上げをしないと」
「あっ、ずるいですっ」

 ぱっと立ち上がって台所に行ってしまう先生。

 いいもん、今はインターネットっていう便利ツールがあるんだから。
 私は愛用のノートパソコンの前に座り、そっとアスフォデリンを脇においてパソコンを立ち上げる。

 ええっと検索サイト……明日ふぉで林……じゃなくてアスフォデリン……と。

 カチカチとマウスを動かして。

「あった、花言葉。えーっとアス……アス……あ」

 私が花言葉紹介サイトで、アスフォデリンの花言葉を見つけたのと。

 先生が私を後ろからぎゅっと抱きしめてくれたのは、ほぼ同時。

「先生」
「うん」
「私も、ガーベラじゃなくてアスフォデリンを用意すればよかった」
「うん。その気持ちだけで十分です」

 あまりに嬉しくて、泣きたくなっちゃう。

 私はくるっと振り向いて、優しく見つめてくれてる先生に、ちゅっ、て。
 かすめるように、キスをした。

 不意打ちをくらった先生はきょとんとして。

「……やや。今日はホワイトデーなのに、ちゃんからプレゼント貰っちゃいました」
「今のは結婚記念日の贈り物ですっ」
「うん。そうだね」

 先生にしがみつくように抱きついて。
 ぽふぽふと髪を撫でてくれる先生の手が気持ちよかった。

「さぁ、兎にも角にもまずは晩御飯を食べちゃおう。腕を振るったカレーが冷めちゃいます」
「はい! 朝から楽しみにしてましたよ!」
「えっへん。期待に答えちゃいますよ?」

 シロとクロとミケにも、今日はいつもよりも高価なネコ缶をあけちゃったりして。

 私と先生の結婚記念日兼ホワイトデーは、本当に幸せな気持ちでいっぱいで。

 私たち、結婚2年目に突入しました!



「まぁそれはともかく、食事のあとは説教ですからね、先生」
「やや、誤魔化されてくれませんでしたか……ちゃん最近怖いです……」
「誰のせいだと思ってるんですかっ」



 アスフォデリンの花言葉……私は君のもの

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