夏休み最終週。私は自宅で通帳と長いことにらめっこしていた。


 小話5.勤労学生、ずんだらべっちゃら


 瑛を始めとするみんなの協力で、夏休み中に溜まった資金は14万ちょっと。
 あと、6万。
 いざとなれば、食費を極限まで切り詰めればなんとかならないわけでもない金額。

 私はう〜んと唸っていた。

 食費を減らして、学年末のようなことになったらシャレにならないし、かといって、この後の臨時バイトの予定はない。
 こうなったら、小波さんあたりに頼んでモデルの仕事でも入れてしまおうか。
 うわ、教頭先生の怒髪天な様子が目に浮かぶ。

「う〜ん……悩んでても仕方ない。夕飯の買出しに行かなきゃ」

 部屋着から真っ白いキャミソールワンピースに着替えて髪を梳かす。
 めんどくさいから、おろしたまま出よう。

 私は商店街に行くことにした。



 はずなのですが……



 商店街に向かういつもの通り道。
 なんか妙な視線を感じる。
 そう思った瞬間。

「ふぅ〜ん、まぁまぁね」

 妙に鼻にかかった、男の人の声。
 声のしたほうを振り返ると、…………

 な、なんなんだろ、アレ。
 体にぴったりフィットしたボディスーツなのかウェアなのか、とにかくサイケデリックな配色の服をきた、痩躯のあご割れ男。
 くねくねと体を動かして、こっちをじーっと見てる。

 でも、なんか、見覚えある、ような。

「流行の服でも色でもアクセでもないけど、自分に似合う服は心得てるようね。グーよ、グー!」
「は、はぁ?」
「アナタ、ちょっとこっちいらっしゃい!」
「へ??」

 ぐいっと腕を掴まれる。
 な、なんなの!?

「ちょ、なんなんですか!」

 慌てて腕を振り払う私。
 すると、その人は見る間に目が釣りあがっていって。

「何、じゃないわよ! 早くいらっしゃい! この花椿吾郎の才能に協力できるってんだから!」
「は、花椿吾郎……先生!?」

 そうだ!
 どこかで見たことあると思ったら、はばたきネットに時々特集組まれてる、世界的ファッションデザイナーの花椿吾郎先生!

「わかったらさっさと来る!」
「は、はいっ!」

 と。
 なんだかその勢いに飲まれてしまった私は、言われたとおりに先生について。

 連れて来られたところは、ショッピングモールに程近い事務所だった。

 ところせましとハンガーラックに衣服が並んでかけられていて、作業台には反物や裁ちっぱなしの生地が置いてある。
 ミシンに人台に大きなアイロン。
 もしかしたら、花椿先生のアトリエ???

「そこ、かけてちょうだい」
「は、はい」

 椅子を勧められて腰かける。
 花椿先生は、ラックから何着か服を取り出しながら切り出した。

「今度ジェスに新しいブランドを卸すことになったんだけど、いまいちインスピレーションが沸かないのよ」
「はぁ」
「テーマはセクシーなエレガンテ!」

 それはまた。
 なんとも非常に難しいテーマです。

「だからこれはもうモデルに直接服を着せてイメージ固めなきゃ! って思ったわけよ。そ・れ・で、前に目をかけてた小悪魔ちゃんに声をかけたんだけど、あの子すっかりイメージ変わっちゃってて! もう珪ちゃんてばずんだらべっちゃらよっ!!」
「はぁ……」

 話の後半の意味はわからなかったけど、まぁ、なんとなく趣旨が見えてきた。

「そのモデルの代理が私、ですか?」
「そうよ。察しがいいじゃない。そのピュアピュアな服もいいけど、アナタにはセクシーエレガンテがきっと似合うはず!」
「はぁ、せくしぃ……」
「はぁ、じゃないわよ。さっさとこれに着替えてちょうだい!!」
「は、はいっ!」

 なんかもう断れる雰囲気じゃない。
 ま、いっか。まだバイトまで時間あるし……。

 私は部屋の隅に設置してある試着台の中に入り、渡された服に着替え始めた。

 うわ、これこんなに背中開いてるよ。エレガントよりもセクシー度のほうが強いカンジ。
 あ、でもスカートはすごく上品だな。シフォンとサテンの切り替えが絶妙。
 この透け感がセクシーだけど。

 なんて四苦八苦着替えていたら。

「なんだね花椿。急に呼び出して」
「遅かったじゃない一鶴。エレガンテがテーマだから、呼んであげたのよ」

 渋い男の人の声。
 口調は穏やかで温厚そうなカンジ。声のイメージだけなら、紳士的な人を想像できる。

「先生、着替え終わりました」
「じゃあ出てらっしゃい!」

 シャッ
 試着台のカーテンをあけて、私は用意されたミュールで外に出る。

 そこにいたのは、難しい顔をして腕組をしている花椿先生と、もう一人。
 さっきの声の人。口ひげを生やした、想像通り紳士なオジサマ。

 って、アレ?

「おや、君はアンネリーの」
「あっ」

 見覚えがあった。
 月末になると必ずアンネリーにバラのアレンジメントを注文する人。
 その注文品にちなんで、私と真咲先輩の間で言われているのが。

「紅のバラの人!」
「ははは、素敵なあだ名をありがとう」

 その人はさもおかしそうに笑った。

「あ、す、すいません。失礼な呼び方をして」
「いや、構わないよ。むしろミステリアスな呼び名で心地いい」

 ぺこんと頭を下げて謝ると、紅のバラの人は優しく許してくれた。
 うわぁ、この人本物の紳士だ。

「ちょっと一鶴、この子と知り合い?」
「ああ、バラの注文をしている花屋の店員だ。偶然だね」
「はい。くれな、じゃなくて、一鶴さんが花椿先生とお知り合いだったとは知りませんでした」
「ま、つもる話は後にしてちょうだい。さ、こっち向いて!」

 ぐいっと肩をつかまれて、私は花椿先生に向き直る。

「歩いて!」
「は、はいっ」
「とまって!」
「はいっ」
「一回転!」
「はいっ」
「お辞儀して!」
「はいっ」
「花椿……女性はもっと丁寧に扱わないか」
「一鶴は黙っててちょうだい! はい、次はコレに着替えて!」

 びしばしと指示を出す花椿先生に、呆れたように声をかける一鶴さん。
 でも、クリエイターモードに入った花椿先生は聞く耳もたず、って様子。
 私もいわれるがまま着替えて、動いて、また着替えて、を繰り返した。

 その合間合間に花椿先生が一鶴さんに感想を求める。
 一鶴さんは、淑女というのは、から始まってもう少しスリットは浅いほうが、とか、胸元が開きすぎでは、とか。
 いろいろ意見を言うんだけど、花椿先生は難しい顔をして唸るばかり。

 一通りファッションショーが終わって、私が自分の私服に着替えていた時。

「あーもう! ずんだらべっちゃらよっ!」

 カーテン越しに、花椿先生の悲鳴が聞こえた。

「沸いてこないのよっ! インスピレーションがないのよっ!」
「落ち着かないか花椿。ファッションクリエイティブのことは私にはわからないが、そういう時もあるだろう」

 うわああ、私、何の役にも立たなかったみたい。
 申し訳なさでいっぱいになりながら、私は試着台から出た。

「ほう」

 すると。
 白いワンピースに着替えた私をみて、一鶴さんが声を上げた。

「それは君の自前の服?」
「はい、そうですけど?」
「うむ、花椿がいろいろ着せた服よりも、そのワンピースが一番君に似合っているようだ。ピュアなイメージが強いが、君自身にエレガントな雰囲気を纏わせている」
「え、あ、ありがとうございます」

 い、一鶴さんに褒められちゃった。
 恥ずかしいけど、ちょっと嬉しい。

 と。

「それよ!」
「「は?」」

 急に花椿先生が立ち上がって、ずかずかとこっちにやってきた。
 怖い怖い怖い!

「服を着ることで、服自体が持つイメージとは違う雰囲気を醸し出す、トータルコーディネート! これよ! きたわ、きたわーっ!」
「へ、あ、花椿先生?」
「『ピュアでセクシーなのにエレガンテ』。これよっ!」

 言うなりデスクに向かってデザイン画を描き始める先生。
 こうなるとだめだ、というふうに一鶴さんは肩をすくめた。

「第2の天然小悪魔ちゃん! アンタの名前をブランド名にするから、名前教えてちょうだい!」
「えええ!? そんな、いいですよ、恐れ多い」
「私がそうするって言ってるんだから、早く教えなさい!」
「はいっ! えと、せ……」

 素直に教えようとして、ふと言葉を切る。
 これは、アッチの名前のほうが適切かも。

「エリカ、です」
「Elicaね!? 今年のモードも貰ったわよ!」

 そして花椿先生は、猛烈な勢いでデザイン画を仕上げていく。

 ぽかんと残された私と一鶴さん。
 ふと壁の時計に目をやると。

「わぁあ!? いけない、バイト遅刻しちゃう!」

 時計の針は3時35分。
 今からダッシュしても、アンネリーにはぎりぎりか、もしくは遅刻だ。

「せ、先生、私、これで失礼しますね!」
「いいわよ! アデュっ!」

 こっちを見ないで返答する先生。
 私は一鶴さんを振り向いて、こちらにも急いで挨拶をする。

「私、急いでるので失礼しますね」
「これからアンネリーかね?」
「はい、もう遅刻の時間ですけど」
「では送って行こう。車で来ているから、おいでエリカくん」
「え、いいんですか?」

 渡りに船、ってこういうとき使うのかな。

 私は一鶴さんについて行き、事務所裏の駐車場に入った。

 そこにあったのは、レトロで大きなイギリス車。

「わぁ……」
「さ、お嬢さん。助手席へどうぞ」

 助手席へ、ということで左のドアを開けようとしたら、そこは運転席。
 あ、外車だもんね。助手席は右だ。

 乗り込んでシートベルトをしめて、一鶴さんがエンジンをかける。

「ちょっと! 待ちなさい!」

 花椿先生がすごい形相でやってきた。

「ななな、なんでしょう?」
「バイト料忘れてどうすんのよ。ハイ」

 そう言って、分厚い茶封筒を私に手渡す花椿先生。

 って、これ、金額多すぎませんか?

「こ、こんなにいただけません」
「どうしてよ?」
「だ、だって。前にはばチャのモデルバイトした時だってこんなには」
「ちょっと! アンタ、私のブランドをあの程度の雑誌モデルと同じにしないでよね!」
「ひゃっ! す、すいません!」
「花椿、女性をそう威嚇するな。彼女は急いでいるんだ。悪いがもう行くぞ」

 いまだぎゃんぎゃん騒いでいる花椿先生を置いて、一鶴さんは強引に車を出した。

 た、助かった。


 3時55分。ぎりぎりセーフでアンネリー前!

「一鶴さん、ありがとうございました! おかげで、バイトに間に合いそうです」
「それはよかった。お得意先の麗しい店員が、花椿のせいで叱られるなんて場面は見たくなかったのでね」
「ふふふ、お上手ですね。それじゃ、また月末のご注文お待ちしてますね」
「うむ。エリカくん、がんばりたまえ」

 あ。

「一鶴さん、私、って言います。エリカ、っていうのはその……知り合いにつけられたあだ名で」
「そうだったのか。ふむ……?」

 何かひっかかるところがあったのか、ふと考え込む一鶴さん。
 どうしたんだろうと思っても、私にはもう時間がない。

「じゃあ私行きますね、ありがとうございました!」
「あっ、くん……」

 急いで店内に入って、エプロンをつける。
 タイムカードを押して……ぎりっぎりの59分!

「よー、がぎりぎりなんてめずらしいな」
「あ、真咲先輩」

 先に来てバラの剪定をしていた真咲先輩に声をかけられる。

「そうだ先輩、紅のバラの人の名前、わかりましたよ。一鶴さん、っていうそうです」
「へぇ、ついに解ったのか! ふ〜ん、一鶴ねぇ。で、フルネームは?」
「え? ……あ、そういえばフルネームは知らないです」

 そういえば、一鶴が苗字なのか名前なのかも知らないや。

 でも、これからは紅のバラの人、じゃなくて一鶴さん。
 こんど会えた時はちゃんとお礼しなきゃな。


 ちなみに
 花椿先生が渡してくれたバイト代は10万円。

 目標、達成、出来ちゃった……


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