……北海道に帰りたい。
はばたき市にきて、私が初めてそう思ったのは夏休みが始まった初日。
朝目覚めた瞬間30度越えって、ありえないから!!
小話1.勤労学生、買出しに行く。
「はぁ……はぁ……」
私は真夏の殺人光線ならぬ真昼の日光を真正面に浴びながら、自転車で坂道をのぼっていた。
前のかごには特売のボックスティッシュ。後ろの荷台には10キロ1980円のタイ米2つ。
夏の短期バイトも増やした私の、数少ない夏休みの1日。
私は遠くはばたき学園近くまで、特売品のこれらを買出しにきていた。
うら若き乙女が。
恋と青春の夏になにやってるのかと。
昨日真咲先輩につっこまれたときには本気で殺意が沸いたなぁ…。
なんて思いをペダルにたくし、私は坂道をのぼりきった。
「ふぅ、ようやくのぼりきった!」
ここからの道はしばらく平坦で、その後は下りが続く。
一度自転車を止めて一息ついた私は、帰路を急ごうと再びペダルをぐっと踏み出した。
その時だった。
いつもと違う、ペダルのてごたえ。
バランスを崩し、私はそのまま自転車ごと横転してしまった。
がしゃん!!
「きゃぁっ! ……いったぁぁ!」
寸でで自転車から離れた私は、下敷きになることは免れたものの腕と足をすりむいてしまった。
っちゃぁ…ドジったなぁ…。
横倒しになった自転車はチェーンが外れてしまっている。
フリーマーケットで買った中古2000円のチャリには、この坂道はオーバーワークだったかな…。
でもこのままじゃ帰れない。
ボックスティッシュはまだしも、お米20キロをかついで帰るなんて絶対無理!
どうしよう……
「……大丈夫ですか?」
立ち上がることもせずに途方にくれてた私。
すると、通りがかりの子が声をかけてくれた。
顔を上げるとはば学の制服を着た、かっこいい……男の子。
「あ、うん」
「なんだ、おばさんかと思ったら」
親切にどうも、と続けようとした私の言葉を遮って、その男の子は言った。
…お・ば・さ・ん!?
「ちょっと……」
「あ、ごめん。荷物に生活臭がただよってたから、つい。悪気はなかったんだ」
「…………」
反論できないのがめちゃめちゃクヤシイ。
「自転車のチェーンが外れたのか。自分で直せる?」
「ううん」
「そっか」
かっこいいけど印象サイアクな男の子とすっかり話す気も失せてしまったから、私は顔を見ずに短く返事をした。
ところが、その男の子は自転車の前にしゃがみこみ、チェーンにさわりながら「うーん」と唸って、
「僕も直し方知らないんだけど、はば学まで行ったら直せる人がいるかもしれないから、そこまで行ってみない?」
「はば学?」
男の子は愛想良く微笑んで私を見た。
賢そうな瞳に赤みがかった髪。はば学だってきっともう夏休みに入ってるはずなのに制服を着てるってことは、これから部活なのかな?
ともあれ、私のこの男の子の印象はこの一瞬で180度変わった。
単純で結構。はば学生最高!
「前かごのボックスティッシュだけ持って。自転車は僕が押していくよ」
「え、いいよ、そんなの。重たいのに」
「重たいならなおさらだろう? 意地はってないでまかせろよ」
「うう……ありがとう。じゃあ、君の荷物も私が持つよ」
「君、か」
男の子のかばんを受け取って、私はかごからボックスティッシュを取った。
彼は自転車を起こして私を見る。
「僕は赤城一雪」
「あ、私は。はね学の1年なんだ」
「君もはね学なんだね」
「え、君『も』?」
ゆっくりと自転車を押し始めて、彼、赤城くんはくすくすと笑いながら言った。
「5月くらいだったかな。前にもはね学の女の子を人助けしたことがあるんだけど」
「へぇ。赤城くんって親切なんだね」
「それがさ。偶然一緒に雨宿りすることになって、雨がなかなかやみそうになかったから、僕がその子の分も傘を買ってくるよって言ったんだけど」
見ず知らずの子に。
うわー、赤城くんって本当に優しい人なんだな……。
「君と違ってその子がすごい意地っ張りで。両方濡れる必要ないからいいって言ってるのに自分も行くって言い張って」
「うん」
「結局ふたりで駅まで走ったんだけど、今度はそこで最後の傘の譲り合いになってさ」
「あはは、そうなんだ」
「その傘もそうこうしてるうちに他のお客が買ってって。なんだかおかしくて、二人して笑っちゃったよ」
「ふぅん……」
ゆっくり自転車を押しながら話す赤城くんは、とっても楽しそうで。
「それで? その子に一目惚れしちゃったんだ?」
「なっ、何言ってんだよ!? 別に、そういうオチじゃ……!」
まっすぐ前を向いて話していた赤城くんが、こっちを勢いよく振り向いて慌てて否定する。
そこまで品行方正な優等生だった赤城くんのその様子があまりにおかしくて、悪いと思いながらも私は声をあげて笑ってしまった。
すると、赤城くんは顔を赤くしたまましかめっ面で。
「前言撤回。君もいい性格してるよ。はね学の女の子って、みんなそうなのか?」
「それは余計な一言だよ赤城くん」
嫌味を言われてもおかしさのほうが勝って、私はまだ笑っていた。
そんな私に「ちぇ」と小さく呟いて、赤城くんは黙って自転車を押し続けてくれた。
それからしばらくもしないうちに、はば学についた。
赤城くんが事務所の人を呼んでくれて、私の自転車を見てもらったんだけど。
どうやらチェーンの老朽化がひどく、倒れたときに部品がひとつふたつ外れてしまったみたいで、ここでは修理不能だと言われた。
力になれなくてごめんと謝ってきた赤城くんに、私は慌ててここまで自転車運んでくれただけでも感謝だよ、と言った。
……のですが。
なぜ私は今、はば学の先生の車に乗っているのでしょう???
「そろそろ君が言った住所だが。どこで曲がればいいんだね?」
「はいっ、あ、も、もうちょっと真っ直ぐです!」
メタルフレームの眼鏡をかけた知的なルックスに、真夏なのにスーツをきっちり着込んで車を運転しているのは、はば学の数学教師の氷室先生…らしい。
若王子先生とのあまりのギャップに私はなかなかついていけず、後部座席からずいぶんと変な声を出してしまった。
私が赤城くんと一緒に途方にくれていたところに、校舎から出てきたのがこの氷室先生だった。
部外者の私が学校敷地内にいることを最初咎められたんだけど、赤城くんが丁寧にわけを説明してくれて。
すると氷室先生、自分は車で来ているから送っていこう、ついてきなさい、って。
ちなみに自転車は積むことができなかったので、事務所の人に宅配手続きをお願いした。
「あ、次を右です。……ここです! 氷室先生、ありがとうございました」
無事自宅マンションまでたどりついた私。
緊張で終始無言だったこともあって、私は荷物をかかえて早々に車を出ようとした。
でもさすがに……。
「待ちなさい。ひとりでその荷物は運べないだろう」
「あ、大丈夫です。2回にわけて運びますから」
氷室先生は車のエンジンを切って、運転席から出てきた。
米袋2つとボックスティッシュを抱えたまま後部座席から動けないでいる私を、呆れたように見下ろしている。…その冷たい視線が痛いです、先生。
「貸しなさい。ひとつ持とう」
「そんな、送っていただいた上に荷物まで持たせるわけには」
「礼儀正しくて大変結構。しかし、遠慮しなくてもいい」
そう言って氷室先生は米袋をふたつ、ひょいっと持ち上げてしまった。
「す、すいません。ありがとうございます」
「うむ。何階だね?」
「最上階です。あ、エレベーターはこちらです」
というわけで。
氷室先生には素敵な左ハンドルで送っていただいた上に荷物運びまでしていただきまして。
自宅に無事荷物を運び入れられた私は、恐縮しまくって頭を下げた。
「お忙しいところ、本当にありがとうございました! あの、赤城くんと事務所の方にもよろしくお伝えください!」
「うむ、今度から出かける前には自転車のメンテナンスを忘れないように」
「はい!」
「結構。…しかしくん、評判通りの生徒だな」
「……はい?」
氷室先生の言葉に、私は頭を上げた。
無表情だった顔に小さく笑顔を浮かべて、氷室先生は言った。
「くん。先月の全国模試で7位だったな」
「は、はい」
「君のような優秀な生徒がはばたき学園の生徒でないのが残念だ。…いや、羽ヶ崎学園には従兄弟が通っていて、君の話を聞いたことがある」
従兄弟。
私の脳裏に、めちゃめちゃキャラかぶってるなーと思い続けていた生徒会の彼の顔が思い浮かぶ。
間違いない。ぜーったい、間違いない。
「これからも勉学にはげむように」
「はい、がんばります」
「いい返事だ。では失礼する」
そう言って颯爽と去っていった氷室先生。
私はしばらくその後姿を見送ったあと、一気に緊張がとけてその場に座り込んでしまった。
その日の夕方、ウイニングバーガーに出勤した時、はば学OGの先輩にそのことを話したら。
「ヒムロッチに会ったの? 機械音してた?」
だって。藤井さんはにやにやしながら自分が学生時代の氷室先生のことを教えてくれた。
あの藤井さん。
学生時代噂になってた女子生徒とはその後どうなったんですかなんて。
どうがんばっても聞けませんからね?
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