車はショッピングモールに差し掛かった。
日中でもたくさんの人が行きかう場所。
人間を隠すなら人間の中へ、だ。
67.灯台の伝説
クリスくん家のドライバーさんは、ショッピングモール内の駐車場に車を入れた。
「降りてください」
「は、はい」
促されて私と先生は車を降りる。
ドライバーさんは運転席に乗ったまま。
「車は目撃されてる恐れがあります。ここからは別の手段で逃亡したほうがいいでしょう。社長から指示を受けています。まずは、ブティックジェスに」
「え、ジェスに?」
「行けばわかるとのことです。私は報告に戻ります」
「わかりました。どうもありがとう」
「ご健闘をお祈りします」
同じ黒服でも大違い。
ドライバーさんは親指をぐっと立てて、カッコよく微笑んで車を発進させた。
残される私と先生。
「さ、さん。急ごう」
「はい!」
先生は私の手を取って、ショッピングモール内へと移動を開始した。
日曜日なだけあってモール内は大変な賑わい。
制服姿の私とよそ行きスーツの先生は、ちょっと浮いてるかもしれない。
「なんだかまわりはいつもどおりなのに、変なカンジですね」
「そうだね」
急ぎ足でジェスに向かう。
すれ違う人たちには身に迫る脅威なんてないんだろう。
そうだよね、なんたってここは日本だもん。
私だって、外国人のエージェントに追いかけられるなんて、映画にでも出ない限りありえないと思ってたし。
「先生、あそこです」
ジェスの店舗に飛び込む。
わ、さすがは花椿グループ直営ブランド。
他のお店よりも人の入りがすごい。
「さて、ここでどうすればいいんでしょう?」
「来ればわかるって言ってましたけど……」
「あら」
ジェスの入り口できょろきょろ。
すると、お店の人に声をかけられた。
「エリカさん」
「え?」
化粧もしてない私のことを『エリカ』と呼ぶ人といえば。
声のしたほうを振り返ると、そこにはElicaブランドのブラウスを畳みながら微笑んでる美人。
「おねえさん!」
「久しぶりね。話は聞いてるわ。さぁこちらへ来てください」
ジェスの店員で、花椿先生の広報も担当してるおねえさん。
Elicaの契約更新以来の再会だ。
私はきょとんとしてる先生の手を引いて、おねえさんに誘われるままジェスの奥のスタッフルームへとついていく。
そして最奥の扉を開けた、そこには。
「あ〜ら、いらっしゃいエリカ。なんだか楽しそうなことしてるんですって?」
「無事でよかった、くん、若王子くん」
「は、花椿先生! それに、一鶴さん!!」
ちょっと広めの在庫保管スペース。きらびやかなジェスやElicaの衣服に包まれたそのフロアには。
いつものナイスボディスーツに身を包んだ花椿先生と、イギリス式スリーピースに身を包んだ一鶴さんがいた。
「天之橋さん……はば学の卒業式は?」
「終わってから急いで駆けつけたんだよ。若王子くんの元にエージェントが来たと聞いてね」
一鶴さんは先生の腕を掴んで、肩をぱしぱしと叩いた。
「是非とも力になりたくてね。君が自分以外を大切に思えるようになったことは非常に喜ばしい」
「……ありがとうございます」
「うむ。しかもそれがくんだったとは。確かにくんは素晴らしい女性だ。学問優秀で容姿端麗、才色兼備とはまさにくんのためにあるような言葉だね」
「ああああの一鶴さん、お世辞はその辺で……」
「お世辞なものか。くん、若王子くんをよろしく頼む」
私はがっしりと一鶴さんに手を掴まれた。
なんだか一鶴さんって、先生のお父さんみたい。
……年齢はむしろ近いんだろうけど。
「ちょっと一鶴、その辺にしてチョーダイ。エリカと貴文ちゃんをそろそろ変身させなくちゃならないんだから」
「た!? たかふみちゃん!?」
くねくねとやってきた花椿先生の言葉に目が点。
た……たかふみ……ちゃん、ですか。
そういえば前に花椿先生、氷室先生のことも零一ちゃんなんて言ってたっけ。
あ、先生も唖然としてる。
「敵の目をくらますには、単純だけど変装するのが一番いいのよ! さ、エリカはあの子に着替えさせてもらいなさい。貴文ちゃんはこっち!!」
「は、はぁ」
「相変わらず煮え切らないコね。返事はしっかり!」
「はいっ!!」
「ま、いーでしょ。じゃあエリカは任せたわよ。アデュっ!」
どんっと花椿先生に背中を押されてよろけておねえさんの元へ。
おねえさんはやれやれと言った表情で私の手を取って。
「さぁエリカさん。こちらへどうぞ」
「は、はい」
フロアの隅の、試着室へ。
おねえさんは私を試着室の中に立たせて、近くのラックから手早く2,3着のハンガーを取った。
「まずはこれに着替えてください。その後に少しお化粧しましょうね」
そう言っておねえさんは試着室のカーテンを閉める。
手渡された服は、チャコールブラウンのツイードのハーフパンツに、白のニットアンサンブル。全部Elicaの服だ。
これなら走れるし大暴れも出来る。
よし、着替えなきゃ。
手早く着替えてカーテンを開ける。
「うん、さすがエリカ。Elicaの服がよく似合ってますよ」
「あ、ありがとうございます」
「さ、髪を結いなおしてお化粧しちゃいましょうか」
おねえさんは私に椅子を勧めて、私も言われるまま座って。
大きな化粧箱とブラシを取り出し、おねえさんマジック。
私はひっつめ髪を下ろされて、くるくると手早く髪を巻いてトップに纏め上げられる。
薄くファンデーションを塗って、シャドウで陰影をつけて印象を変えて、ピンクベージュのグロスを塗られて。
「はい、逃亡者エリカの出来上がり」
「おねえさん、逃亡者って……。でもありがとうございます!」
「エリカさんのイケメン先生も、着替え終わったみたいですよ」
おねえさんは私の肩を両手で押して、さっきの場所へ。
そこには。
「や、さん。とても可愛いです」
「うむ、やはりくんはエレガントな女性だ。とてもよく似合っているよ」
私を見て満足そうに微笑む先生と一鶴さんだけど。
せ、せ、せ、せんせぇっ!!
スーツを脱いだ先生は、白タートルのモヘアニットに、シルバーの金具で前を留める形の黒のPコートを羽織って、ユーズド感たっぷりの穴あきジーンズを穿いて。
ついでに黒のセルフレームメガネなんてかけちゃって。
いつもと違ってワイルディ…………
てゆーか、かっこよすぎ!!!
「先生も似合ってますか?」
「か、かっこいいです……」
「さん、もう一声」
「惚れ直しました……」
「うん、ありがとう」
先生はにこにこと微笑んで私の髪を撫でようと手を伸ばして、
「やや、残念。その髪型じゃ、先生、髪を撫でられないです」
「はぁ……。花椿先生、このメンズ服、どうしたんですか?」
「今度Elicaの対のブランドとしてメンズブランドを立ち上げる計画があってね。それの試作品よ。貴文ちゃんってば、グーよ、グー!」
花椿先生は満足そう。このままだと、先生を強引にモデルに勧誘しちゃいそうだ。
「ところで君たち、この後はどうするのかね?」
「それなんですけど、どうしましょうか、先生」
「うん、どうしようか」
逃げることは簡単だ。
だけど、黒服を説得して納得してもらわなきゃ永遠に逃げ回ることになる。
うーん、と沈んだ空気でみんなが腕を組んでしまったとき。
私の携帯が鳴った。かばんは学校に置いてきてしまったけど、携帯は制服のポケットに入れておいたんだよね。
誰からだろ。
パチンと携帯を開けてみれば。
『葉月珪』
「え!? ……もしもしっ!?」
私は慌てて携帯に出た。
『もしもし。……オレ。か?』
「はい! 葉月さん、お久しぶりです。どうしたんですか?」
『話聞いた』
…………は?
「は、話って、一体誰から……」
『晴美。晴美は藤井から。藤井は有沢から。有沢はバイト先の人から。バイト先の人は、はね学生から聞いたって』
志波くんだ。
こ、こんな連絡網が出来てたとは……。
『』
「は、はい?」
『オレ、今仕事でショッピングモールのアトリウムに来てる。奴ら、来てるぞ』
「え!?」
『……今二人2階に上っていった。オレが見る限り、アトリウムには3人。モール内に、まだたくさんいると思う』
「そんな……」
もう居場所をかぎつけて来たんだ。
あっちは百戦錬磨のエージェントだもん。当然かもしれないけど。
ど、どうしよう!?
『、落ち着け。オレ、考えがあるから』
「葉月さんに?」
『ああ。奴らにバレないように、アトリウムのステージまで来れるか』
私は先生を振り返った。
先生は、小首を傾げて私の会話を聞いていたようだけど。
「先生、黒服がもうここに来てるって。でも、私の知り合いが、考えがあるからアトリウムまでがんばって来いって」
「もう来たのか。わかりました。他に作戦も思いつかないし、アトリウムに行こう」
「はい! もしもし、葉月さん。私たち、これからそちらに向かいます!」
『わかった。オレ、待ってるから』
通話を切って、みんなを振り返る。
「花椿先生、一鶴さん、おねえさん、ありがとうございました! 私たち、行きます」
「がんばってね、エリカさん」
「いいイメージモデル、アイツラに取られるんじゃないわよ、エリカ!!」
「若王子くん、これは逃走資金に使いたまえ。武運を祈る」
「すいません、天之橋さん。……行こう、さん!」
「はい!」
並んで私たちを見送ってくれる3人に手を振って、私たちはジェスを出た。
ショッピングモール3階のジェスから1階中央までのアトリウムステージまでは結構な距離がある。
階段、エスカレーター、エレベーター。手段はいろいろあるけど、どうしたらいいだろう?
「エレベーターで一気に1階まで降りたほうがステージに一番近いところに出られますけど」
「うん、そうしよう。エスカレーターで追いかけっこしたら、他のお客さんに迷惑だ」
先生は私の肩をぐいっと抱き寄せて、モール内を歩き出す。
「……先生? あの、近すぎませんか?」
「らぶらぶカップルしてたほうが、カモフラージュになります」
「楽しんでるでしょう、先生……」
「や、ばればれでしたか」
もう、自分の人生がかかってるって、わかってるのかな、ホント。
エレベーターホールにたどりつく。私たちのほかにエレベーターを待ってる人は5,6人。
早く来て、早く早く!
私の祈りが通じたのか、エレベーターはすぐにやってきて、中からぞろぞろとお客さんが出てくる。
と、その中に混じって黒服が2人!
どきんと心臓が跳ね上がったけど、平静をなんとか装う。先生もらぶらぶバカップル演技を崩さずに、私の腰に手をまわしたまま黒服には視線もくれない。
黒服たちはきょろきょろと辺りを見回しながら降りていった。
そして私たちはエレベーターに乗り込んだ。
ほ、なんとかスルーできた……花椿マジック、ありがとう!!
お客さんが全員エレベーターに乗り込んだ。
その時、黒服の一人がエレベーターを振り返る。
すると先生、開いてる片手を持ち上げて、べーっと舌を出して黒服に手を振った。
「っ、ドクター!?」
「はい、時間切れです」
気づいた黒服が慌ててエレベーターに乗り込もうとするものの、無情にもドアは目の前で閉められた。
肩を震わせて笑いを堪えてる先生に、私はチョップ一発。
「なんでわざわざこっちからアピールするんですか! もう、バレちゃいましたよ、今ので!」
「ごめん、なんかおかしくて」
「……緊張感のないっ……」
ゲームかなんかと勘違いしてるんじゃないでしょうね、先生。
エレベーターはそのまま2階を通り過ぎて1階へ。
ドア付近に乗っていた私と先生は、素早くエレベーターを降りて、アトリウムステージを振り向いた。
ステージ前の座席にはものすごい数の女の子。
えーと……葉月珪出演、ミニファッションショー?
「行こう、さん」
「あ、はい」
私と先生は走ってステージへ。
が!
「いたぞ!」
黒服に見つかった!
後と左手方向から3人の黒服が走ってくる。
先生は私の手を掴んで、全力で走り出した。
「!」
ステージ裏の天幕の中から、葉月さんが叫んだ。
白い衣装に身を包んだ葉月さんに、その隣には不安そうにこっちを見つめてる小波さん。
「観客中央通路をつっきって、西側出口に出ろ!」
「あとは私たちに任せて!」
「葉月さん、小波さん、ありがとうございます!!」
言われるがまま、私と先生針路変更。観客席の前列と後列を区切ってる中央通路を駆け抜けて、西側出口方向へ。
すると、私たちが客席をつっきたのを見計らったかのように、葉月さんがステージに登場した。
「きゃあ、珪よ!」
「葉月ーっ!!」
途端に黄色い声援がアトリウムを埋め尽くす。
そうこうしているうちに、黒服たちも観客席を抜けようと中央通路へ。
ところが!
「……予定、変更。オレ、今から握手会やる」
ステージ上の葉月さんがマイクを手にそんなことを言ったものだから。
アトリウムは絶叫の渦。
「うわ!?」
中央通路も係員の制止もなんのその。
観客席だけじゃなく、ショッピングモール中から女の子が一斉にステージに詰め寄ったものだから、大パニック!
あわれ黒服は、憧れを追っかける女子という、世界最強の人類に揉みくちゃにされて、人の波に埋もれてしまった。
足を止めて振りかえった私も先生も唖然。
「す、すごい。さすが葉月さん」
「うん。助かりました。彼の好意を無にしないためにも、急ごう」
「はい!」
再び走り出す私たち。
西口出入口を飛び出した先は幹線道路。
どうしよう、タクシーを拾って遠くに逃げようか。でも、天之橋さんからもらった逃走資金以外、私も先生も持ち物は全部学校に置いてきてしまったから、あまり使うわけにはいかないし。
と思ってたら、プ、プーとクラクションを鳴らされた。
「乗りなさい!」
右手のへこんだ駐車スペースに止まっているのは、イタリアの名車、マセラティ。
……ってことは!
「早く乗りなさい!」
「氷室先生!」
左ハンドルの運転席の窓を全開にして叫んでいるのは、はば学の数学教師、氷室先生だ!
私と先生は急いで氷室先生のもとへ駆け寄った。
「お久しぶりです、氷室先生!」
「うむ、くん、卒業おめでとう。若王子先生もおひさしぶりです。さぁ、積もる話はあとだ。乗りたまえ!」
「はい、お邪魔しますっ」
後部座席に転がり込むように乗りこんで。
氷室先生はマセラティを発進させた。
「氷室先生、すいません。ご迷惑をおかけしてしまって」
「気にすることはない。藤井や小波から話は聞いた。以前私は、君たちの味方だと言ったはずだが?」
「そうでした。でも、ありがとうございます!」
「うむ、相変わらず礼儀正しくて大変結構。この後はどうするのか決めてあるのかね」
「いえ、まだ……」
私と先生は顔を見合わせた。対策を考えようとしてたところを黒服に見つかったから、まだ何も考えてない。
車は一路商店街方面へ。
「先生……この後、どうしましょうか」
「うん。家はもう張られているだろうから、どこか時間がとれそうな場所に身を隠して対策を練りたいところだけど」
「とりあえず、まずは腹ごしらえをしたらどうだ。卒業式のあと、何も食べていないのだろう?」
氷室先生に言われて気づいた。
時刻はもう2時近い。そういえば、お昼まだ食べてないんだった。
ぐきゅるぅ
……今のは、先生のお腹の虫。
「や、そういえば先生、今日は朝ご飯も抜きで」
「どーして先生、いっつも朝ご飯食べてこないんですか!! 朝食は一日のエネルギーの源だって、あれっだけ教えてあげたのに!」
「だってさんが作ってくれた切干大根の煮物も筑前煮もチャーハンも、全部食べちゃって」
「少しは自分で食事をしようっていう意欲を持ってくださいよ! ネコ缶食べたりしてないでしょうね!」
「えーと」
「……手遅れでしたか……」
研究所を出てから今まで、よく栄養失調にならなかったものだと思うんですよ、先生……。
そんな私たちの漫才にもにたやり取りを聞いていた氷室先生。コホンと咳払いをして。
「栄養偏り気味の若王子先生には申し訳ないが、ゆっくりと腰を据えて食事するのは無理だろう。すまないが、ここで物資を補給する」
ぐるんとハンドルを切って曲がったところはウイニングバーガーのドライブスルー。
『いらっしゃいませ。ご注文承ります』
「すまない、藤井という店員がいたら出してくれ。氷室だと言えば解る」
『? はい、かしこまりました……』
私もしたことがあるドライブスルーのアナウンス。この声は最近入ったばかりのはね学生アルバイトだな。
しばし待たされて、ドライブスルーカウンターの窓が勢いよく開けられる。
「おいーッス!! っ、アンタ無事!?」
いつもの藤井さんの元気スマイル。つられて笑っちゃう。
逆に氷室先生は苦々しい顔をして。
「藤井。いつまでたっても礼儀も知らないのか。少しはくんを見習いたまえ」
「もーヒムロッチってば、そんなこと気にしてる場合じゃないでしょー? っ! アンタやっぱりあのイケメン教師とラブラブだったんじゃないの、このこのぉ!」
「藤井……」
「もう、わかったってば。はいこれ、頼まれてたお昼ご飯セット。しっかり食べて逃げ切るんだよ、」
「は、はい。藤井さん、ありがとうございます!」
そうか、藤井さん、話を聞いて補給物資を準備してくれてたんだ。
助手席の椅子を倒して、先生が藤井さんからおいしそうな匂いが立ち上る紙袋を受け取る。
「若ちゃんって呼ばれてるんでしょ? をよろしくね!」
「はいはいっ、任せちゃってください」
「……あ、忘れるところだった。、これもね」
藤井さんは先生に、新発売のホットいちごパイを二つ手渡す。
「例のはば学イケメン学生から」
「赤城くんから?」
ウイニングバーガーのバイト中に何度か会ってた赤城くん。そういえば赤城くんは、進路どうしたのかな。
「アンタが2月一杯でウイニングバーガーのバイト辞めちゃったでしょ? あのコ知らなかったんだね。アンタが来たら、今までお疲れ様って、それ渡してくれって」
「そうだったんですか……」
「ちょっと! こーんなイケメン教師カレシにしてるんだから、二股なんて許さないからね!」
「そ、そんなのしてませんよっ!!」
にしし、とイイ笑顔で笑う藤井さん。
あーもう。ゴシップ好きなんだから……。
でも。赤城くん、ありがとう。おいしくいただきます!
「後もつかえている。そろそろ出発するがいいかね?」
「あ、はい! すいません、氷室先生」
「うむ。では失礼する」
「ありがとうございましたー!!」
営業スマイル全開で藤井さんは見送ってくれた。
窓を閉めて、助手席を戻して。
車内はポテトとハンバーガーのいい匂いにつつまれた。
「あーいい匂い……。急に食欲をそそられちゃいますね……」
「うん。ところでさん」
「はい?」
紙袋の中身に思いをめぐらせていた私。先生に呼ばれて顔を上げると。
そこには笑顔を張り付かせているものの、目が全く笑ってない先生の顔。
「赤城くんって、誰?」
「は」
あの、もしかして。
先生。
完全ヤキモチモードにスイッチ入ってます……?
ミラー越しに氷室先生と視線があう。
でも氷室先生、助け舟を出してくれるどころか知らぬ存ぜぬを決め込むつもりなのか、ふいっと視線を逸らしてしまった!!
「あ、あのですね? 赤城くんっていうのははば学の同学年の男の子で」
「へぇ、初めて聞きました。てっきり、さんは僕に交友関係を全て教えてくれてるものだと思ったけど」
「べべべ別に他意はありませんっ! 前にちょっと親切にしてもらったことがあって、それからちょっと親しくなったってだけで」
「ふーん。親しく」
「言葉尻を捕らえないでくださいっ! ウイニングバーガーでバイト中に、何度か会ったってだけでっ」
「バイト中。なるほど、僕がわからないわけだ」
「か、隠れてたわけじゃありません!」
「今どもった」
「どもってません!」
あれ。
この展開って、どこかで見たような。
「反省の色がない」
先生の目が妖しく光る。
……って、今回ばかりは完全な言いがかりだーっ!! 反省することなんか、何もないもんっ!!
「そういう子には……」
「せ、せんせぇ、今、車の中、氷室先生の、車の中っ……」
紙袋を脇に置いて、じりっとにじりよってくる先生。
まずいっ! 非常にまずいっ!
こ、こうなったらっ。
困ったときの、デイジー頼み!
「おしおき」
「先生、ごめんなさいっ!」
先生の言葉を遮って、私はがばっと先生に抱きついた。
虚をつかれた先生は「わわっ」と呻きながら、なんとか私を抱きとめてくれる。
「や、あの、さん?」
「私が先生に寂しい思いをさせてるから、先生、そんな風に考えちゃうんですよね? 私だって、出来ることなら先生といつも一緒にいたかったです。でも、私は生徒で、先生は教師で、一緒にいたら逆にみんなに怪しまれちゃうから」
「さん……」
「友達がたくさんいても、やっぱり先生が一番です。だから、卒業を迎えて本当に嬉しい。だって、これからはずっとずっと一緒にいたって誰からも文句言われなくなるんだもん」
さりげなく話題をすり替えて、そしてとどめはデイジー目線!
潤んだ瞳で先生を上目遣いに見上げて。
現在花椿マジック作動中の格好が、さらに相乗効果をあげる。
「先生、大好き」
「……うん」
先生は頬を染めて、とろけそうな表情を浮かべて私をぎゅっと抱きしめた。
よしっ、作戦成功っ!!
先生にばれないように小さくガッツポーズすると、氷室先生がコホンとわざとらしく咳払いした。
「取り込み中のところ悪いが、そろそろ目的地だ」
「や、すいません氷室先生」
「目的地って……どこですか?」
体を起こして窓の外を見てみれば、そこはアンネリーの前。
「あ、真咲先輩、有沢さん!」
アンネリー前ではマセラティを見つけた二人が、こっちにむかって手を振っていた。
「あの二人にも話は行ってるはずだ。とりあえず匿ってもらって腹ごしらえするといい」
「はい! 氷室先生、本当にありがとうございました!」
私と先生はマセラティを降りて、もう一度氷室先生に頭を下げる。
「氷室先生、ありがとうございます。お世話になりました」
「いえ。私はあなたがたの味方ですから。では、失礼」
商店街の雰囲気にはそぐわないイタリア車は、颯爽と去っていく。
「、若王子! おいおい、大丈夫かお前ら」
「真咲先輩、志波くんから話聞いてるんですか?」
「おう。勝己があんな切羽詰った声出すなんてよほどのことだと思ったぞ。ま、とにかくこっちこい。飯まだだろ?」
真咲先輩がやってきた。いつものパーカーに、緑のエプロン。
腰に手を当てて私と先生を交互に見て、くいっと奥を指差した。
そこには。
「……配達用トラック?」
「おう。その荷台で飯食ってろ。ちょーっと花の残り香が強いけど、絶対見つからないぞ」
「はぁ」
「さん、急いで。黒い服来た外国人なら、さっき見たわ。見つかる前に、早く!」
「あ、はいっ!」
有沢さんにもせかされて、私と先生はトラックの荷台へ。
電気をつけて荷台の扉を閉めて。
うわぁ……ものすごいランの香り。荷台の奥には、まだランの鉢植えやカーネーションのアレンジメントがいくつか積んである。
「直に座ると汚れるからな。これでも引いとけ」
「ありがとう、真咲くん。恩に着ます」
「いーっていーって。恩師と可愛い後輩の恋を応援するのもおもしろいしな」
運転席に通じる小窓から、真咲先輩はレジャーシートを渡してくれた。
そしてそのままトラックにエンジンをかける。
って。
「真咲先輩、これからどこか行くんですか?」
「ああ。悪ぃけど、まだ配達があるんだよ。揺れっけど、まぁ気にしないで飯食ってくれ」
「気にしないでって……」
花の香りに小刻みな振動。
こんな中で食べたら、酔っちゃいそう。
でも腹が減っては戦は出来ぬだ。食べよう!
私は先生がひろげてくれたレジャーシートに座って、紙袋からハンバーガーを取り出した。
「あ、これ復刻版照り焼きうどんバーガーだ! これってあんまりおいしくないのに、なんかクセになって食べちゃうって子が多かったんですよね」
「やや、パンの間にうどんが入ってる。炭水化物たっぷりで、エネルギー補給には最適です」
「くそ、なんかうまそうな匂いしてきたな……」
「なんかたくさん入ってるから真咲先輩にもひとつあげますよ! テリウバーガーとテリラバーガーとテリソバーガー、どれがいいですか?」
「……どれもビミョーだな……」
などなど。
私たち3人は和気藹々と食事を楽しんだ。
ところがしばらくして。
「なぁ若王子。アンタを追ってる奴らって、どんな車に乗ってんだ?」
ちょっとした渋滞にはまって、のろのろと動くトラックの中で、真咲先輩がそんなことを聞いてきた。
「典型的な黒塗りの外車です。ゴツイカンジの」
「で、それに乗ってるのは黒いサングラスかけた黒服軍団なんだよな?」
「はい」
ふー、と大きく鼻から息を吐いて、真咲先輩はハンドルにもたれ掛かる。
そしてバックミラー越しに私たちを見て。
「つけられてるぞ」
「え!?」
「のことも調べてたんだろーなぁ。つーことは、バイト先も張られてたってわけだ。ま、そりゃそうだわな……」
「そ、そんなっ。どの辺にいるんですか?」
「3台後に1台。つかず離れずくっついて来てる。やべぇなこれ」
真咲先輩はがしがしと頭を掻いた。
私は先生を見上げる。
先生は、難しい顔をして考え込んでいた。
けど、私の視線に気づいてすぐに笑顔を浮かべた。
「さん、そんな顔しないで。まだ捕まったわけじゃないんだから」
「っ、はい、でも」
「大丈夫」
私の肩を抱き寄せて、先生は額にキスを落としてくれる。
そうだ。まだ、あきらめちゃだめだ。
「……ん?」
突然、真咲先輩が窓の外を見て小さく呟いた。
ウイーンと、窓を開ける音。
「誰だお前。なんか用か」
真咲先輩、威嚇するような声。
同時に聞こえてきたのは、バイクのエンジン音。
「花屋アンネリー。これやな。このトラック、ちゃんとはね学のセンセ乗っとるやろ?」
「誰だって聞いてんだ」
響いてきたのは、軽い口調の関西弁。
「姫条さんっ!?」
私は小窓から身を乗り出して、窓の外を覗いた。
そこには!
「おーちゃん! 久しぶりやな! 愛の逃避行中やて?」
キツネのような目を細めて、ニカッと笑う姫条さん!
赤いバイクにまたがって、トラックとゆっくり並走してる。
「な、なんだ、お前の知り合いか?」
「このにーさん、オレんこと信用してくれへんのや。あ、志穂ちゃんの名前出せばよかったんか」
「真咲先輩、この人は有沢さんの同期の、はば学のOBなんです」
「なんだ有沢のダチか! 最初っからそう言えよ!」
あービビッた、と真咲先輩は運転席に体を沈める。
すると先生も小窓から身を乗り出してきた。
「やや、新たな助っ人ですか」
「アンタがはね学の先生なん? ヒムロッチと違って、優しそうな人やん。志穂ちゃんとなつみから連絡もろて、バイクで迎えに来たったで!」
「え?」
「渋滞を逆手にとったる。車の身動きとれんうちに、バイクで逃げるんや!」
なるほどー!
私と先生はぽんっと手を打った。
あ、でも。
「3人乗りは道路交通法違反なんじゃ」
「そんな固いこと言うてる時間ないがな! はよせぇ!」
「うん。さん、行こう!」
「えええ!?」
そんな、教師が率先して違反していいんですかっ!?
なんて言ってる場合じゃないのは知ってるけど、でもでもでもっ!
などと私が躊躇している間に、先生はトラックの荷台を開け放った。
いきなり荷台から人が降りてきたことに、後続車のドライバーはぎょっとしてる。
そして、黒服たちも、きっと。
「さぁさん」
先に降りて、先生は私に手を貸してくれる。
飛び降りて荷台をしっかりと閉めて、私と先生は姫条さんのバイクへ駆け寄った。
1個しかない予備メットは私に渡されて、姫条さんの後ろに先生、そして最後尾に私。
「なんや、オレの後センセかいな……」
「さんが抱きつくのは僕だけでいいんです」
「教師のくせにエエ性格しとるな、アンタ。じゃ、行くで!」
「はいっ! 真咲先輩っ、ありがとうございました!」
「おうっ! 、がんばれよ! 若王子っ、ちゃんとを守れよ!」
「「はいっ!!」」
「お、同時にいい返事、二重マル! なんかあったらすぐに知らせろよー!」
ここまで運んでくれた真咲先輩にお礼を言って、完全重量オーバーのバイクは車の間を縫ってわき道へ。
後から黒服の「Shit!!」って声が聞こえてきたけど、もう遅いもんね。
私と先生を乗せたバイクは住宅街を通って一路浜の方へ。
「おまわりに見つかったら一巻の終わりやからな。海岸沿いに行くで」
「はいはい。で、この後はどこへ行くんでしょう?」
「は? アンタら無目的に逃げ回っとるんか!?」
「やーすいません。実は、その通りなんです」
「あ、あんなぁ……」
呆れた声を出す姫条さん。
と、私の携帯が再び鳴った。
「あ、あかりからです。もしもしっ?」
『ちゃん! まだ無事?』
「うん、先生も一緒。海岸道路をバイクで逃げてるところ」
携帯から聞こえてくるあかりの声。その後からはなんだか賑やかな様子が聞こえてくる。
『瑛くん、今海岸道路をバイクで走ってるって』
なるほど。
みんなが集まって連絡取り合ってくれてるんだね。
ありがとう、みんな!
『……もしもし、ちゃん?』
「うん」
『そこから珊瑚礁って近い?』
「あ、うん! 近くはないけど、このまま真っ直ぐ行けば珊瑚礁だよ!」
『じゃあ珊瑚礁に来て! みんなで今対策を考えてるの。みんなで考えれば、きっといい案が見つかるよ!』
「わかった。じゃあ珊瑚礁に向かうね」
『うん。ちゃん、がんばってね!?』
声援を貰って、私は携帯を切る。
「姫条さん、この道をまっすぐ行ったところにある古い灯台に向かってください!」
「お、知っとるで。あの雰囲気ある灯台やろ? ……って言いたいとこなんやけどな?」
先生の背後から大声を出して姫条さんに行き先を伝えると、しかししかし姫条さんは困ったような声を出した。
「アカン。いきなり呼び出されたもんやから、ガス欠が近いねん」
「えええええ!?」
「こっから灯台までは持たへんなぁ……。手前の遊泳場がぎりぎりかもしれへん」
「そこまで送ってもらえば大丈夫。そこからは走ります。ね、さん」
「はい! 走るのだけは得意ですから!」
「なんや、案外ガテン系かい。ほんならっ、目的地も決まったことやし、少し飛ばすでぇ!」
姫条さんがアクセルを全開にする。
私は先生の背中にしっかりとしがみついた。
やがて見えてくる、灯台と珊瑚礁。
「や、やった……何とか遊泳場の端まで来れたわ!」
ガソリンメーターとにらめっこを続けてた姫条さんが、ほっと息をつく。
「ありがとうございます、姫条さん! あとは走ります!」
「とりあえずバイクが止まるまでは乗っとったらええ。も少しいけるはずや」
「はい!」
若干スピードが落ちてきてはいるものの、走るよりはまだまだ早い速度で走っているバイク。
が。
「ドクター!」
「!!」
背後から聞こえてきた、聞きたくない声!
やっとの思いで振り向いてみれば、黒塗り外車が3台、連なって追ってきた!
「やっば……ガソリン無くなってからくるか!?」
姫条さんがスピードを上げようとしても、ガス欠の上重量オーバーのバイクはむしろ減速一方。
そして、並ばれてしまった。
「ドクター! おとなしくしてください! 我々の話を!」
「本当にしつこいね! そんなにしつこいと、かえって嫌われるものだよ!」
窓を開けて叫んでくる黒服に、先生は憎憎しげな表情で怒鳴り返した。
「ドクター!」
黒服が手を伸ばしてくる。
それを姫条さんがかろうじて避けてくれたけど、こんな並走状態じゃ、もう捕まるのも時間の問題だ!
「先生っ……!」
私はどうしようも出来なくて、先生にぎゅっとしがみついた。
いやだ! 先生と離れたくない!
と。
「ちゃん、センセ、しっかり捕まって、歯ァくいしばっとけ」
姫条さんの神妙な声が聞こえた。
サイドミラー越しに見る姫条さんの顔は、なにかを決意したかのような毅然とした表情。
「ちょぉ怖い思いするかもしれへんけど、ニィやんを信じてくれな?」
「姫条さん……は、はいっ!」
「ええ返事や! ニィやんのバイクテクニック、魅せつけたる!!」
そう言って、姫条さんはハンドルを切った。
ガードレール向こうの、浜に向かって!
「Unbelievable!!」
黒服たちの悲鳴にも似た叫びが背中から聞こえる。
姫条さんのバイクはガードレールを越え、急勾配の舗装されたコンクリの斜面をすべり、歩行者用道路へ。
そしてそのまま、浜まで滑り落ちる!!
「〜〜っ!!」
言われたとおり先生にしっかりしがみついて歯をくいしばってた私。
バイクは浜にタイヤから無事に着地するものの、ザザッとすべって横倒しになった。
「きゃあ!」
「うわっ!」
バイクから放り出される私たち。
先生は素早く立ち上がって、私を立たせてくれた。
「さん、怪我は!?」
「だ、大丈夫です。でも、姫条さんは!?」
振り返った先には、すりむいたのか右腕をイテテとさすってる姫条さん。
「姫条さんっ!」
「何しとんねん! 逃げるんや!」
「っ、でもっ!」
「何のためにこんな無茶した思うてんねん! センセ、ちゃん連れて逃げるんや!」
駆け寄ろうとした私を、大声で制する姫条さん。
姫条さんは砂にまみれた顔で、ニカッと笑顔を見せてくれた。
「オレなら問題あらへん! 行け!」
「行こう、さん。彼の好意を無駄にしちゃいけない」
「は、はいっ! 姫条さん、ありがとうございましたっ!!」
「エエ返事や! がんばれちゃん!!」
先生は私の手を引いて走り出した。
砂で足がとられないように、波打ち際の比較的しっかりとしたところを選んで走る。
珊瑚礁まではあと少し!
黒服たちもきっと今車を走らせて先回りしようとしてるんだろう。
どちらが早いかっ……!
珊瑚礁下の長階段まで辿り着いた。
ここを駆け上れば珊瑚礁だ!
息も絶え絶え、必死で駆け上がる。
「ドクター!」
黒服たちも追ってきた!
先生は私の手をさらに強く掴み、力強く階段を上っていく。
そしてついた。珊瑚礁だ!
「ちゃん!」
「若王子先生っ!!」
入り口の前には、あかりやはるひや志波くんや、みんなみんな!
私と先生はほっと安堵の息をついて、珊瑚礁へ。
が。
「ーっ!!」
瑛だ。
2階の窓から身を乗り出して、何かを放り投げた。
なんとかそれをキャッチする私。
……鍵?
見上げると、瑛は灯台を指差していた。
「灯台に立てこもれ! 珊瑚礁は駄目だ!」
そっか。
珊瑚礁じゃ黒服たちが押し寄せたらすぐに突破されちゃう。
私は急いで灯台に駆け寄って、ドアに鍵を差し込んだ。
「か、堅くてまわらないっ……」
「さん、貸して!」
先生とバトンタッチ。
数瞬の格闘後、カチャリと音がして灯台のドアが開いた!
急いで鍵を引き抜いて、中に飛び込んで鍵を閉める。
ま、間に合った!!
私と先生は、ドアにもたれかかって、ずるずると座り込んでしまった。
し、心臓が破裂しそう……。
浜辺を全力疾走って、野球部じゃあるまいし!
『ドクター! 出てきてください!』
ダンダンダン!!
もたれてたドアが激しく叩かれる。
でも息が上がってる私たちは、反応することができない。
私は呼吸を整えようと深呼吸を繰り返しながら、灯台の中を見回した。
雑然とした室内。浮き玉や網など、昔使われていたと思われる漁具の類もある。
そして、壁にかけられた一枚の絵。
岩の上に、お互いを見詰め合ってる一組の男女の絵。
「綺麗……」
立ち上がって絵の元に歩み寄る。一体誰が書いた絵なんだろう?
その絵に見惚れていると、後から先生に抱きしめられた。
「素敵な絵です」
「はい」
「さん、大丈夫?」
「はい、もう息も整いました」
「うん。さて、どうしようか」
先生は近くのテーブルに腰を降ろして、私の両手を掴んだ。
灯台の中は静かだけど、扉一枚隔てたところには黒服たちがいる。
『アンタらもう諦めや! 若ちゃんが自分の意思でここにおる言うとんのを、なんでアンタらに踏みにじられなあかんの!?』
『そうだぜ! つーか、若王子はもう日本で平和ボケしちまって使いもんにならねーよ! さっさと帰れ帰れ!』
「あ、針谷くん、ひどいです」
口でそういいつつも、先生は笑顔だ。
『協力する気のないヤツ連れてっても、しょうがないと思うけどねぇ』
『先生の才能はオレたちがよく知ってる。お前たちにはふさわしくない!』
志波くん、相変わらず先生を尊敬してるんだな。
『あなたたちも懲りないのね。私たちを子供だと思って、甘く考えているのかしら?』
『せやせや! 鼻の穴から指突っ込んで、奥歯ガタガタ言わせたるぞぉ!』
「……今の言い回しって、アメリカ人わかりますかね」
「まぁ、挑発してるってことはわかるんじゃないでしょうか」
『君たちがしていることは、明らかに脅迫行為だ! 今すぐにやめたまえ!』
『そうです! いざとなったら、警察を呼びますよ!』
「やや、警察沙汰は先生も困ります……」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう、先生!」
『お願い、若王子先生を連れていかないで。これ以上、ちゃんを悲しませないで!』
あかり。
『オレたちはにたくさん支えてもらったけど、結局そのを支えてたのは若王子先生なんだよな。先生はオレたちがを支えてたなんて言ったけど。せっかく掴んだ手をほどくことは間違いなんだ。だから、絶対にお前たちに若王子先生は連れていかせない!』
瑛。
先生は私とつないだ手に力を込めた。
手元に視線を落としてるけど、その口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。
「先生」
「うん」
「私だけじゃないです。先生のこと、大好きなのは」
「うん」
先生は私の手を持ち上げて、口付けた。
そして、いとおしそうに額を擦り付ける。
でも。
先生を、先生の才能を取り巻いてる貪欲な亡者たちは、許してくれなかった。
『ドクター!!』
アイツだ。
黒服のアイツが、声高に叫んだ。
『Come out!!』
出て来い
『Otherwise......』
さもないと……
『I shoot them!!』
彼らを、撃つ!?
「なっ!?」
私も先生も、驚いて灯台のドアを振り向いた。
今、確かに、撃つ、って。
まさか、嘘でしょう!?
私も先生も絶句してしまい、固まってしまった。
ダァン!!
「っ!!」
銃声と共に、はるひたちの悲鳴。
先生は扉に駆け寄り、鍵を開けてドアを開け放った。
そこには。
女の子をかばうように、瑛や志波くんや、男の子たちが前に出て。
数人の黒服たちが珊瑚礁を取り囲むように立っていて。
私にも接触してきた、あの黒服が。
銃口を珊瑚礁前のみんなに向けていて。
その銃口からは。
……万国旗?
「……」
「……」
「ドクター、話を聞いてください。我々は、もうあなたを仲間に引き入れようと考えているわけではないのです」
シリアスな場面にそぐわない、おもちゃの銃からひよひよとそよいでいる万国旗。
私も先生も、目の前のコミカルな光景に反応できず、ただ扉を勢い良く開けた状態でかたまってしまった。
ば、万国旗って。
「な、なんなん? 一体……」
はるひたちも唖然だ。
「話を聞いてください。我々は、あなたの協力が必要なのです。その後、日本に戻りたければ戻るといい」
「どういうことだ……?」
「我々は犯罪組織ではない、ということです」
あいかわらず無表情なまま、スーツの内側に銃をしまう黒服。
「時間がないのです。再三我々が研究所に戻るよう要請しても、あなたは聞き入れなかった。そんな腑抜けたあなたを研究員として招いても仕方ない。だから研究所は、あなたの才能を放棄しました」
「そりゃ……ありがたいね」
ようやく調子を取り戻し始めた先生が、私を後に匿いながらも黒服と対峙する。
みんなも、灯台のまわりにやってきた。
「ちゃん、大丈夫?」
「う、うん。平気……」
私のまわりに集まった仲間たち。
黒服は私たちをぐるりと見回して。
あ、ため息ついた。
「ドクターが残していった研究資料を、研究員の方たちが紐解いて言ったのですが。ドクター、あなた時限式のパスワードを仕掛けたでしょう」
「ああ、そういえば昔おもしろくてそんなものを作ったね」
「パスワード入力を間違えた瞬間、デリートシステムが時限式で発動するシステムを」
「うん」
また妙なシステムを……。先生、昔からそんなだったんですか……。
「あの資料は消去することは許されないデータばかりです。時限式パスワードを間違えて入力してしまったので、あと2週間ほどですべてのデータが消去されてしまう。ですからドクター、我々と共に来てください」
「……」
「デリートシステムのパスワードを解除していただくだけでいいのです」
「騙されんな若王子! んなこと言って、解放されねぇに決まってるぜ!」
ハリーが大声で叫んだ。
そうだそうだと、はるひと密さんも同意する。
「もし、僕が嫌だと言ったら?」
「その時は問答無用で連行します。あなたを傷つけても、あなたの大切な人たちを傷つけてでも」
睨みあう先生と黒服。
黒服が強制連行するっていうのも、誰かを傷つけてでもっていうのも、きっと事実だ。
先生はふっと短く息を吐いた。
「さん」
「えっ、な、なんですか?」
いきなり話しかけられたからキョドってしまう。
先生は背中に隠していた私を振り向いて、両肩に手を置いた。
「僕を信じられる?」
「え……も、勿論です!」
何を今さら。
私は両手を握り締めて、先生を見上げて力強く言い切った。
先生は嬉しそうに微笑んで、私を腕の中に引き寄せる。
「出発は?」
「同行いただけるのなら、明日の昼にでも、すぐ」
「……わかった。一緒に行こう」
「若王子先生!?」
動揺するみんな。
私も想像していたとはいえ、心臓がどきんと弾んだ。
「……では明日、成田空港第1ターミナルに午後1時。お待ちしております」
黒服たちは、それ以上先生を問い詰めることもなく、さっさと引き返していった。
あんなカーチェイスをしていたなんて、嘘みたいにあっさりと。
去っていく黒塗りの車を見送って。
「どういうことだよ、若王子! を置いてくのか!?」
ハリーが口火を切った。
振り向けば、全員が先生のことを非難がましい視線で見てた。
「針谷くん」
「あいつらが約束守るって保障がどこにあるんだよ!? お前がアメリカ行ってる間、がどんな思いで待ってなきゃなんねーのか、考えなかったのか!?」
「は、ハリー、私なら大丈夫だよ」
「大丈夫なわけないやろ! アンタ、アタシらの中で一番寂しがりで泣き虫やん!」
そ、そうかなぁ……。私、そんなに人前で泣いてるかなぁ。
「でも、ここで行くって言わなきゃ、先生一生あの黒服に追い回されちゃうんだよ? この先のことを考えたら、今行くっていうしかなかったと思う」
「そりゃそうだけどよ!」
「針谷、もういいだろ。これはオレたちの問題じゃなくて、先生との問題だ」
志波くんがハリーの肩を掴んだ。
ハリーはまだ何か言いたそうだったけど、志波くんの手を振り払ってそっぽを向いてしまった。
「ハリー、ありがとう」
お礼を言ってもむすっとしたまんま。
夕陽のせいか、それとも照れてるのか、ハリーの顔は赤い。
「みなさん」
先生は私の肩を抱き寄せたままみんなを見た。
「今日は本当にありがとう。先生のために、いろいろと力を貸してくれて。本当に嬉しかった」
「当たり前です。若王子先生は、私たちにとっても、大事な人なんですから!」
「うん。ありがとう海野さん。一時的に住む場所だと思ってたけど、この3年間でこの場所は、僕にとってかけがえのない場所になったんだ」
だから、と先生は続ける。
「過去と決別してくる。僕の未来を守るために、アメリカに行ってきます。先生が留守の間、さんのこと、よろしくお願いします」
「ちゃんのことは心配せんでもええよ! ボクたちが、ちゃーんとちゃんを守っとるから、若ちゃんセンセもしっかりな?」
「ありがとう。先生、ささっと仕事片付けて戻ってきます!」
えっへんと胸をそらす先生。
何をえばっとんの、とはるひに突っ込まれて、やや、と頭を掻けばみんなが笑う。
これで、先生もようやく過去の呪縛から解き放たれるんだ。
みんな、明日は見送りに行くから勝手に行くな! って言い放って帰っていった。
私と先生はあかりと瑛からかばんやらなにやら、学校に置いていった荷物を受け取って。
あかりと瑛も二人仲良く帰っていった。
そっか。瑛はもう、珊瑚礁に住んでるんじゃないもんね。
夕陽に照らされた灯台の元に残ったのは、私と先生の二人だけ。
「先生」
私は先生のコートの袖をひっぱった。
なに? と優しい笑顔で私を見下ろす先生。
私は、泣きそうになってる顔を見せたくなくて、先生の腕にしがみついて顔をうずめた。
「さん」
「私、待ってますからね、絶対絶対、戻ってきてくださいね」
「もちろん。閉じ込められたって、必ずこじ開けて出てきます」
「…………」
私はぎゅっと先生の腕を掴む手に力を込めた。
先生、痛いかもしれない。
でも先生は、もう片方の手で私の髪を撫でた。
「さん。本当の気持ちを言ってごらん」
っ。
先生。本当に、私のことならなんでもお見通しなんだ。
「わ、私っ……」
「うん」
「行かないでくださいっ……!」
本音がこぼれでる。
「嫌です! 置いていかないで! ハリーが言うとおりですっ、帰してもらえる保障なんてないのに!」
「うん」
「先生と離れるなんて、やだぁぁ」
私は、大声を出して泣いてしまった。
まるで小さな子供みたい。先生にしがみついて、ただひたすら「嫌だ、嫌だ」と繰り返して泣きじゃくった。
先生はその間もずっと私の髪を撫でてくれた。
「さん」
「っく……」
「寂しい思いをさせてごめん。僕の過去が、今の君を苦しめてる」
「そ、んなこと、ない、です」
「でも、どうか今回だけは許してほしい。これが終われば、僕はこの先一生、君の側にい続けることができるんだ」
「……は、い」
「あ、そうだ。佐伯くんに灯台の鍵を返してないね? どうせなら、灯台の上で」
「え……?」
涙に濡れた顔を上げる。
先生は困ったように微笑んで、ごしごしと私の涙を拭ってくれた。
それから私の手をとって、灯台の中へ。
手狭だけど上に上がる階段がある。
先生は私をエスコートするように、一歩一歩ゆっくりと階段を上っていった。
扉を開けたそこには、今まさに太陽が沈み行く大海原を望む、大パノラマ。
「わぁ」
私は悲しい気持ちも吹き飛んで、その光景に見惚れてしまった。
「綺麗だね」
「はい……」
「ところでさんは灯台の伝説を知ってる?」
「灯台の伝説……? いえ、知らないです。灯台って、この灯台ですか?」
「やや、知らないんですか? あんなに有名だったのに」
先生はきょとんとして私を見下ろした。
灯台の伝説って、なんだろう?
そういえば、なんかそんなのがはね学に伝わってるって聞いたことあるけど。
はるひからも聞いたことないな。
「どんな伝説なんですか?」
「うん……これからの、僕たちみたいな伝説かな」
「え?」
先生を見上げる。
先生の顔は夕陽に照らされて赤い。
「……さん、卒業式のあと、話があるって言ったよね」
「はい」
「あいつらがこなければあの場で伝えていたんだけど、災い転じて福と成すって、こういうとき使えるかな」
「?」
先生は私に向き直る。
私と先生は20センチ以上身長差があるから、近くで向かい合うと結構見上げる形になる。
先生は、照れ臭そうな、困ったような、はにかんだ笑顔で。
「お願いがあるんだ。君に」
「はい。なんですか?」
「うん。さん……いや、さん」
え。
いま、先生、私の名前。
「」
先生はとても幸せそうな笑顔を見せてくれた。
「どうか、僕と」
「…………!!」
翌日。
みんなが駆けつけた成田空港から、先生はアメリカへと向かった。
迎えに来た黒服と相変わらず険悪な雰囲気だったけど、喧嘩しないでちゃんとやれるかな。
……なんてこと呟いたら、瑛に呆れられてしまった。
「お前な、子供じゃないんだから」
いやいやいや。
先生の子供っぷりはあなどれないんだよ、おとうさん。
みんなは私を気遣ってくれた。
毎日日替わりで遊びに誘ってくれたり電話をくれたり。
私もみんなの前では笑顔を絶やさなかった。先生の話題になったら、憎まれ口だって叩いた。
でも部屋に戻ってひとりになったときは。
先生に貰ったネックレスを身につけて、気を紛らわした。
大丈夫。先生は必ず帰ってくる。
先生の最後の言葉を信じて、私は待ってます。
待ってますから。先生。
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