最後のバレンタインデーがやってきた。
 今日ばかりは学校はいつもの賑わいを取り戻す。
 3年生だって、ほとんどが登校していた。


 65.St.


 2月の頭に、先生はクラスメイト全員に瑛の一足早い卒業を告げた。
 その話は一気に全校中に伝わって、しばらく瑛のファンクラブの子たちは涙に暮れていた。

 あのあと、もう一度瑛と連絡を取ろうと思ってなんどか電話してみたりメールを送ってみたりしたんだけど。
 電話はいつも話中か電源が切られてて、メールも一度も返ってこなかった。
 あれだけひどいことを言ってしまったんだもん。
 瑛、怒ってるのかな。

 あかりは随分と落ち込んでしまって、学校に来た時は無理に明るく振舞ってるものの口数が少なく、はるひやハリーを始め、みんなが心配してた。

 はぁ。
 私、何の力にもなれてないよ。

「アカン。ため息つくと幸せが逃げるで?」

 はるひに突っ込まれた。
 前の前には受験組をのぞくいつものメンバー。

 今年のバレンタインは土曜日。
 放課後、私とはるひがよびかけて、藤堂さんと志波くんとハリーの5人で屋上チョコ試食会。

 私とはるひが作ったチョコと、藤堂さんと志波くんとハリーが貰ったチョコを広げて、にわか品評会。
 ……私とはるひのチョコはともかく、女の子が心を込めて渡したチョコをこんなふうに食べちゃっていいのかなぁとも思ったんだけど……。

「お前、どーせ佐伯のこと考えてんだろ。そんなことより、黒服のほうがよっぽどヤベェんじゃねーの?」
「う、うん。そうだよね」

 板チョコを加えて、パキンと折りながらハリーが言った。

 じ、実は。

 黒服の対処に困った私。
 以前志波くんが先生と黒服が接触してる現場に居合わせたことがあるって聞いたことがあったから、駄目もとで相談を持ちかけてみたんだよね。
 先生の過去を教えることになるから散々迷ったんだけど、どうしてもいい案が浮かばなかったから……。

 で。

 話を聞いた志波くん。
 なんといきなりいつものメンバーを呼び出して、ぶっちゃけてしまったのだ!

「志波くん!?」
「本当は氷上と小野田の力も借りたかったけど、受験組に余計な負担はかけられないからな」
「だだだ、だけどっ!」
「相手はプロだろ。最善の策を出すには、人数がいる」

 ごもっともなんですが……。

 ううう、先生怒るかなぁ、みんなにこんなこと相談してるなんて知ったら……。

「にしても若ちゃんなー。ホンマに天才やったなんて、信じられんわ」
「だよなー。人違いじゃねーのって、今でも言いてぇよ」
「で? 、アンタはその後黒服に何もされてないのかい」
「うん……2月に入ってから1回だけ会った。その時も先生を説得しろって言われただけなんだけど」
「気味が悪いな」

 うーんと全員で唸ってしまう。

 あの黒服。実力行使をしてくる気配は全然ないんだけど、何を考えてるんだろう。

「多分、卒業式を前後してなにかしでかしてくるはずだ。全員、先生の動きと周りの動きに注意しろ」
「「アイサー、志波隊長っ!!」」
「は、はるひ……ハリー……」
「いいじゃないか。アンタも深刻にならないで済むだろ?」

 いきなりどこぞの秘密戦隊司令部のようなノリになった3人に呆れてると、藤堂さんまでもが苦笑しながらも私の肩を叩いた。

 そっか……みんな、私の心の負担を軽くしようとわざと軽いノリでやってくれてるんだ。
 私たちは子供だから、どんなに知恵を出し合ったって百戦錬磨のエージェントにかなうわけ無い。
 ……この場合は大人も子供も関係ないか。

 だけど。

「若ちゃんにはこのはね学で、まだまだシュールかましてもらわんとな!」
「若王子みたいな物分りのいい先公がいなくなったら、はば学みたいになっちまうもんな! オレ様後輩思い!」
「先生には感謝しきれない恩がある……。先生のボディガードは、オレに任せろ」
「まぁ、アタシも若王子にはいろいろと世話ンなったからね。卒業前に借りはきっちり返しておくさ」
「みんな、ありがとう! 私も黒服の威圧になんか負けないから!」

 そう言って、みんなで拳をぶつけあう。

 若王子クラスは、この団結力がウリなのだ!

「じゃあそろそろみんな呼ぼうか?」
「せやな。氷上とクリスにもチョコやらんとあかんし」

 土曜日の午前中で授業は終了してるものの、今は受験生向けに先生方が放課後講習会を開いてるんだよね。
 男の子にはハリーが、女の子にははるひが。
 そしてあかりと先生には私がメールを打って、屋上に集まってもらうことにした。



 茜色から濃藍へのグラデーション。

 帰り際通りかかったアンネリーで、真咲先輩と有沢さんに捕まって。

「いーいとこに来たっ! っ!! ちょっと手伝ってけ! 先輩の頼みは聞いとくもんだぞ、なぁ!?」
さん、お願い! ちょっとでいいから手伝ってくれない!?」

 卒業シーズン真っ盛りのアンネリーは受注に対して発送が追いついてないらしく、まさに戦場状態。
 とくに予定もなかった私は安易に「いいですよー」と制服姿のままお手伝いに入ったんだけど。

 あ、甘かった。

 ちょっとの手伝いのはずがまるまる4時間。
 伝票を書いて、お花をラッピングして、コンテナ作って入荷した花を開梱して運送屋さんに引継ぎして一般客をさばいてetc!!!
 ようやくひと段落ついた頃には、もう黄昏時。

「助かったぞ、! 今月のバイト代に上乗せするように、ちゃんと店長に言っておくからな!」
「ありがとう、さん。ごめんなさいね、無茶言って」
「あ、いいんですいいんです。特に用事もなかったし。……そうだコレ、あとで食べてください。バレンタインチョコです」
「おっ、いい心がけだ、二重マル!」
「真咲くんたら、さんは手伝ってくれたのよ?」

 疲れたけど、久しぶりに真咲先輩のお得意フレーズも聞けたし、ま、いっか。

 私はエプロンを外して二人にぺこっと頭を下げて。
 アンネリーを出てから、携帯を取り出した。

 今日はバレンタインだから、先生と約束してるんだもんね。
 着歴を調べたら、ほんの数分前に着信があった。
 すぐにリダイヤル。

 コール1回で、通話になる。

『ピンポンです。お花に包まれた妖精さん?』
「……は?」

 いつもと違う電話の出方に、思わず足が止まる。
 それに声が近い。

「先生、もしかしてアンネリーの近くにいます?」
『はい。というか、さんのすぐ近くにいます』
「どこです」

 か。

 振り向いたら、目の前に先生の緑のセーターが視界いっぱいに広がった。

「わ、びっくりした!」
「先生は尾行も得意なんです。びっくりした?」
「もう!」

 真後ろにぴったりついてたなんて。
 私は携帯をしまって、先生の肩を軽く叩いた。

「いつからいたんですか?」
さんが真咲くんにチョコを渡した時からです」
「なんだ。声をかけてくれればよかったのに」
「お邪魔しちゃ悪いと思って」
「……拗ねてるんですか、もしかして……」
「拗ねてません。先生まだチョコ貰ってないからって、そんなことしません」
「…………」

 この人はほんとにまったく。
 自分の身に危機が迫ってるっていう自覚があるんだかないんだか……。

「ちゃんと用意してますよ? 先生には特別なのを。出来たてプレゼントしますから」
「やや、それはありがたいです」
「その前に晩御飯ですね。今日は寒いから、ポトフにしましょうか!」

 私は手袋を脱いで、先生の左手を握った。
 寒空にさらされていたはずなのに、先生の手はいつだって温かい。
 もう片方の手には、女子生徒たちからの贈り物がつまった紙袋。
 やっぱりモテるんだなぁ、先生……。
 同学年の子は「先生にチョコあげてもいい?」なんてからかいまじりに聞いてきた子もいるけど。
 下級生には、今日ばかりはすごい敵意を向けられることもあった。

 先生。
 黒服に連れて行かれるのもいやだけど、はね学に残って若くて可愛い女子生徒のアタックを受け続けるのも……ヤダ。
 私だってヤキモチ焼くもん。
 ふんだ。黒服の件がなんとかなったら、今度は私が拗ねてやるんだからっ。


 暗くなり始めた街を、ふたりで一緒に並んで歩く。
 私の歩幅に合わせて、先生はいつもゆっくり歩いてくれる。

 こんな何気ないけれど幸せなこと。
 出来なくなるのはいやだ。

「どうしたの?」
「え? なにがですか?」
「今日はずいぶんと甘えん坊さんです」

 先生が小首を傾げて私を見下ろしてくる。

 そこで初めて気づいた。

 私、先生にぴったりくっついて歩いてた。
 腕も肩も先生にぴったんこ。
 まるで寄り添うみたいにして。

「す、すいませんっ!」

 私は手はつないだまま、慌てて先生から離れた。
 うわ、恥ずかしい!!
 不安がそのまま態度に出ちゃってたんだ……あああ。

「あれ、別に離れることないですよ? 暖かくて気持ちよかったです」
「そ、そうですね。私も、ちょっと寒いなーって、あはは」

 不安を悟られないように、私も顔を赤くしながらカラ笑い。

 すると先生、ぱっと手を離して。

「どうぞ、マドモアゼル?」
「は」

 左腕をくの字に曲げて、いたずらっぽく微笑んだ。

 ま、マドモアゼルって。

「あの、もしかして」
「家までエスコートします。どうぞ?」
「ああああの、でもでもでもっ!!」
「この方が暖かいです」

 私が躊躇してたら、先生は問答無用、私の右手を取って自分の左腕にかけてしまった。

 わ、あ、あ、あ!

さん、ぎゅーってした方が暖かいですよ?」
「ひ、人前ですっ!」
「うーん……じゃあ海岸のほうを歩いて帰ろう」

 ひええええっ!


 で。
 私と先生はほとんど日が暮れてしまった海岸道路をゆっくりとした足取りで歩いていた。

 腕は組んだまま。

 ……ぴったりくっついたまま。

 あ、でも。
 こんならぶらぶバカップルなとこを黒服が見たら、呆れて諦めてくれるかも?

 ……なわけないか……。
 はぁ。

「元気ないね」
「そんなことないです」

 先生には結局ばれちゃってるし。
 だめだなぁ、私。

「先生」
「なんですか?」
「どうしたら研究所の人は諦めてくれるでしょうね」
「うん……どうしたらいいかな。まぁどちらにしろ、僕は一度アイツらと対峙するつもりだけど」
「え?」

 見上げてみると、先生は真っ直ぐ前を見つめたまま座った目をしてた。

「あの……先生?」
さんを侮辱した罪を償わせます」
「せ、せんせぇ、私気にしてませんから、そんなこと」
「合法的に存在を抹消する方法なんて、僕にかかればいくらでも」
「バイオレンスは駄目ですっ!! 教職についてる人が冗談でも口にしないでくださいっ!!」

 わ、私がどうこうしなくても、この様子じゃ先生、一人で黒服の一人や二人、この世から抹殺できるんじゃ。
 ということは、私がすることは黒服が先生を連れて行こうとするのを阻止することじゃなくて、先生が犯罪に手を染めることを阻止すること?

 な、なんか不安の方向性が変化してきたような気がするんですけど、先生っ!!

「やや、あれは」

 そんな私の心など知る由もなく。
 先生は額に手を当てて、遠くを見るようにぴょんと背伸びした。

「海野さんです」
「え、あかり?」

 言われて私もそちらを見る。

 海岸道路の下。
 海岸沿いの浜辺。
 力なくとぼとぼと歩いてるのは、先生が言うとおりあかりだった。
 俯き加減で、両手で紙袋を抱きしめてる。

 あ。

 あかりが歩いてきたほうには、珊瑚礁がある……

「あかりっ!!」

 私はつい叫んでしまった。
 先生の腕を離して、ガードレールをまたいで、浜辺に飛び降りる。

 私の声に気づいたあかりがきょろきょろと辺りを見回して、ようやく私を見つけたかと思えば目と口を大きく見開いた。

ちゃん、どうしたの?」
「あかり、瑛に会えたの?」

 私の質問に、あかりはきょとんとして。
 でもすぐに寂しそうに微笑んだ。

「珊瑚礁に行って来たんでしょ? 瑛、帰ってきてた?」
「ううん。いなかった」

 小さく頭を振るあかり。

ちゃんは、若王子先生とデート?」
「そういうんじゃないけど……」

 私のあとを走って追いかけてきた先生。
 あかりは先生の方を見て、ぺこっと頭を下げた。

「いいな、ちゃんは。卒業まで若王子先生と好きなだけ一緒にいられて」
「……あかり」
「卒業までじゃないね。卒業しても、ずっとずっと一緒だよね」

 あかりは少し怒ったような表情で、私と先生を睨みつけている。
 口を真一文字に結んで、両手で持った紙袋をくしゃっと握りつぶして。

 私と先生は黙ってそんなあかりを見ていたけど。

 やがてあかりは、右腕でごしっと目元を拭った。

「ごめんね……。私、ちゃんと若王子先生に八つ当たりしてる」
「ううん。あかり、瑛にチョコを渡しに行ったんでしょ?」
「うん。……だって、もしも戻ってきてたら、瑛くん、チョコないと拗ねちゃうと思って」
「先生と一緒だよ、それ」
「やや、引き合いに出されてしまいました」

 私と先生がおどけると、あかりも涙に濡れた顔で笑ってくれた。

「マスターと、いろいろ話をしてきたの。珊瑚礁を閉めた本当の理由や、瑛くんの小さい頃の話とか」
「そうなんだ」
「昔も今も、瑛くん変わらない……。意地っ張りで見栄っ張りで、人に弱みを見せないで、一人で傷ついてるの」
「うん」

 あかりは瑛のことを話す時は、いつもはにかんだような笑顔を浮かべるね。
 この二人には、どうしても幸せになってほしい。
 私、何かできないかな。

「ねぇ、ちゃん」
「え、う、うん。なに?」
「私ね、瑛くんと別れてから、自分のことを考えてみたの」
「自分のこと?」

 瑛のことじゃなくて?

「うん。私、ずっと瑛くんに頼ってばかりで、進路のことも結局ぼんやりとしか見えてなかったんだけど。こんなことになる前に、結論出せればよかったんだけど」
「あかり……?」
「私、決めたの」

 あかりは紙袋をぎゅっと握り締めたまま、先生を見た。

「先生、私、一流大学の受験、やめます!」
「「ええ!?」」

 私と先生の声がハモった。

 え、え、大学受験を、やめる!?

「私、一流大学じゃなくて専門学校に、製菓の専門学校に行きます!」
「や、あの、海野さん。今からじゃ専門学校の受験は」
「2次募集がかかってるところがあるんです。まだ、願書提出間に合います! 先生、成績証明書と卒業見込み証明書を作ってください!」

 腰から90度体を折って、先生に頭を下げるあかり。

 先生と私は顔を見合わせた。

「海野さん、どうして今頃進路変更を?」
「瑛くんが、いつでも珊瑚礁に戻ってこれるように、私が珊瑚礁を継ぐんです!」
「「えええ!?」」

 再びハモる声。

 あかりは決意に燃えた瞳で私と先生を見ていた。

「専門学校で製菓の勉強して、マスターについてバリスタの勉強して、それで私が瑛くんを迎えに行くんです! 今の時代、女の子が白馬の王子様だって、アリですよね!?」
「ええっと……どうでしょう?」
「アリに決まってるよ!!」

 戸惑う先生を押しのけて、私はあかりの意見を肯定した。

「瑛が一歩踏み出せないなら、あかりが背中を押してあげればいいんだよ! それでいいんだよ! だって、あかりと瑛は、一緒じゃなきゃ変だもん!」
ちゃん」
「そうじゃなきゃだめだよっ。浪人して大学行く瑛よりも先に一人前になって、ぐうの音出ないくらいにしてやればいいんだよっ!」
「うんっ……うんっ!!」
「私だって一生懸命勉強して、先生養えるくらいになってやるんだからっ!」
「やや、先生お婿さんですか」
「……はっ。そ、そういう意味じゃなくてですねっ!」

 くすくす。
 あかりが笑い出した。

 あかりがとっても楽しそうに笑うから。
 私も、先生も。
 つられて笑ってしまった。

 そうだ。
 誰かをどうしようなんて、できることじゃない。

 自分に出来ることは、自分を変えることだけ。

「よしっ! あかり、今日はうちでご飯食べてって! 先生と私とあかりの3人で、晩御飯のあとにチョコレートフォンデュ祭りしよう!」
「やや、それはとてもおいしそうで楽しそうです!」
「いいの? ……若王子先生と一緒の時間にお邪魔しても」
「いいのっ! ね、先生?」
「もちろんです。海野さん、一緒に晩餐しようぜ?」
「……はいっ!」

 久しぶりに見たあかりの心の底からの笑顔。

 ああ、瑛もきっと、この笑顔に救われてたんだろうな。
 私だって、黒服のこともなにもかも、今だけ忘れて心晴れやかだもん。

 あかり、がんばろうね。

 女の子は、したたかなのだ!

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