翌日のゲレンデはちらちらと雪が舞い降りてはいるものの、上々の雪質。
ちょっと先生の口真似しちゃおう。
は北海道出身だから、スキーだけはうまいんです。
62.雪
「たーだーいー……まっ!」
華麗なターンで滑り降りてきて、はるひと小野田ちゃんと先生の目の前で急旋回。
大量の雪を巻き上げて、あわれ3人は即席雪だるま。
「こらーっ、ーっ!!」
「あはは、ごめんごめん」
「ったくぅ。アンタがこんなにスキーがうまいとは思わんかったわ。志波や竜子姉より早く降りてくるなんて」
「さすが北海道出身なだけありますね。でも、降りてくるたんびに雪かけないでください!」
頭から雪まみれの小野田ちゃんが手早く雪をほろう中、若王子先生だけが満面の笑顔でばふばふと拍手してくれた。
「確か北海道の小中学校は、冬の体育の授業にスキーが必修で組み込まれてるんですよね?」
「そうです。私の実家からゲレンデまでも車で30分の距離だったから、スキーだけは得意なんです!」
「さんがこんなにスキーが上手だったのなら、さっさと誘えばよかった。てっきり、先生主催のスキー講習に来るものだと」
やや、帽子に雪が積もってます、と。
先生は私のニット帽の雪を払いながら。
「午後は一緒に滑りましょうね?」
「……スキー初心者向けの講習会はどうするんですか?」
「午前中で強制終了しました」
「教師の務めくらいきちんと果たしてくださいよ……」
口でお小言いいつつも、でもちょっと嬉しい。
よーっし、午後はゴンドラで頂上からすべるぞっ。
「あかんわ〜、ラブラブシュプールでゲレンデにハートマーク刻まんといてなー?」
「ううううるさいなぁ、もう。それよりハリーはどうしたの?」
「年末ライブに向けて風邪引きたないって、ロッジで氷上となんか一緒におるわ」
「め、めずらしい組み合わせだね……話噛み合うのかなぁ」
勉強の話なんかするわけないだろうし、かといって氷上くんがハリーの好きな音楽の話についていけそうもないし……。
そうこうしているうちに、志波くんと藤堂さんが降りてきた。
第2リフトのところから競争してきたんだよね。
この二人に勝てたのは、正直気持ちいいなぁ!
「お帰り藤堂さん、志波くん!」
「ああ。やるじゃないか。まさかアンタに負けるとは思ってなかったよ」
「へへ、ありがとう!」
「全員集まってるのか?」
「んーと……そうみたい。クリスくんと密さんは別行動だもんね?」
志波くんと藤堂さんがスキーを外して肩にかつぐ。
はるひと小野田ちゃんは先生と一緒に初心者講習受けてた組だから、すでにスキーはロッジ近くにさしてあるみたい。
私も急いでスキーを外した。
「全員揃ったところで、お昼ご飯と行こか!」
「うん!」
私たちは、ロッジ近くの食堂へと移動することにした。
「スキー場で食べるものと言えばラーメンかカレーって相場が決まってるんです」
「やや、そうなんですか? じゃあ先生もそれにならいます」
「なんでラーメンかカレーって決まっとんの?」
「どっちも北海道の名物だからだろ」
「じゃあ両方」
「志波くん、お腹壊さないでくださいね?」
などと賑やかにセルフカウンターから各々好きなメニューを受け取ると、ハリーと氷上くんのいる食堂窓際の長テーブルへ。
ちなみにハリーは目玉焼きのせハンバーグ、氷上くんは温かい山菜そばを既に食べ始めていた。
「あかん。アンタら相場外れや」
「あ? なんのことだ?」
きょとんとするハリーに、ねー、と顔を見合わせて私とはるひが笑う。
ハリーと氷上くんが対面に座ってて、ハリーの隣からはるひ、私、先生。
そして氷上くんの隣に小野田ちゃんが座って、藤堂さん、志波くんの順。
「いっただっきまーす!」
ウェアのファスナーを少し下ろして、私はチーズオムカレーにぱくついた。
うん、おいしい!
「若王子先生、ロッジから拝見していました。女子生徒たちにスキー講習するのは大変だったでしょう」
「や、見られちゃってましたか。スキーは初めての生徒が結構多くて。先生、疲労困憊です」
「なんだよ午前中だけでかぁ? ったく、若王子もジジイだなー」
「ひ、ひどいです針谷くん。先生、一生懸命だったのに」
「はいはい、先生泣かないでくださいねー。ほら、福神漬けあげますから」
「クッ……お前、先生を幼稚園児扱いだな」
志波くんがそういうと、みんなが一斉に笑った。
あーあ、あかりと瑛がいたらもっとよかったのに。
今頃ふたり、何してるかな。
瑛はきっと朝からクリスマスケーキ作りに追われて、ホールはあかりが2人分がんばってるとか。そんな感じ?
でもきっと、忙しくても二人にとっては幸せなクリスマスだよね。
「で、お前ら午後はどうすんだ?」
「アタシとチョビは、若ちゃんの講習午後ナシ言うからロッジに戻るかもう少し滑るか、まだ検討中や。志波やんたちは?」
「まだ滑り足りない」
「アタシもだね。午後もフリーで滑るつもりだよ」
「若王子先生はどうされるんですか?」
「先生はさんと頂上決戦です」
「け、決戦なんですか??」
「そうですか……。お時間があれば少し化学で質問したいことがあったのですが」
「あ、でしたら私が氷上くんのお手伝いをします!」
などなど。
どうやら午後はカップル同士で過ごすことになりそう。
私たちは昨日のパーティのことや、午前中の先生のスキー講習のこと、ハリーと氷上くんの午前中の会合内容などを楽しく話しながら、食事を続けた。
そして、午後。
天候は少し悪化しつつある。降雪量が多くなって、風も少しでてきていた。
「ゴンドラは1回しか乗れないかもしれませんね」
「これ以上風が出るとリフトも止まるかもしれません。早いうちに、頂上決戦といきましょう」
「いくら先生がスキー上手って言っても、本場育ちの私に勝とうなんて無理ですよ!」
「あ、カチン。無理かどうか、先生が証明してみせます。さぁ、ゴンドラに乗ろう!」
食堂でみんなと別れて、志波くんと藤堂さんは第一リフトの方へ。私と先生は頂上直通ゴンドラへ。
平日だし天気も悪いし、ということでゴンドラ乗り場はとっても閑散としてて。
「乗りますか?」
「あ、はい」
「このあと天候不順が予想されてますから、お客さんでゴンドラストップになると思います。森林コースはもう閉鎖されてますから、リフトにそって、出きるだけ早めに降りてきてくださいね。このあとは第一リフトのみの営業になりますので」
「わかりました」
係員の人にそう説明されてから、私と先生は高速ゴンドラに乗り込んだ。
動き出した直後から、風にあおられてぐらぐらと揺れるゴンドラ。
先生は私の肩をしっかりと抱いて、外の様子をじっと見てた。
「これは本当に吹雪になりそうです。先生も、さんみたいな毛糸の帽子持ってくればよかったかな」
「毛糸の帽子は冬山必需品ですよ? イヤーマフじゃ、スキー場じゃ意味ないですもん」
「その通り。先生、さんにあらかじめ教わっておくべきでした」
「えっへん。冬のことならなんでも聞いちゃってください」
「あ、先生のモノマネですね?」
「ふふ、その通りでーす」
他のお客さんがいないものだから、ぴったりくっついて他愛も無い会話で盛り上がる。
そうこうしているうちに頂上にたどりついた。
係員の人が誘導してくれて、私たちは降り口から滑り降りる。
と……。
「うわ……」
「やー……これは、勝負どころじゃないですね」
吹雪が始まっていた。
横殴りの風に、大粒の雪の結晶がうずまいてて、立ち止まると途端に体中に雪が積もる。
視界が全く無い、ってわけじゃないから滑るのには問題ないんだけど、勝負なんて言って遊ぶにはちょっと危険が伴いそうだ。
「お客さん、滑降されますか? それとも、僕たちのモービルで一緒に下山しますか?」
ゴンドラを止めた係員の一人が私と先生に駆け寄ってきた。
きっと、このままふもとのロッジに一時下山するんだろう。
係員の人たちだって、このままゴンドラ操作をしてたら雪で帰り道遮断されちゃうもんね。
「さん、どうします?」
「このくらいなら降りれますよ。せっかくだから、滑って戻りましょう」
「そうですね。……僕たちはこのまま滑降してロッジに戻ります」
「わかりました。ご存知とは思いますけど、滑ったあとのない新雪の場所はできるだけ避けて降りてきてくださいね!」
そう言って、係員の人は走って仲間の元へ行き、モービルにまたがって先に斜面を下りていった。
ゲレンデ中央はみんなが滑るところ。
でもその両脇は、シーズン頭から積もった雪が踏み固められることもなくふわりと積もっている。
そういうとこにおもしろがって行く人、結構多いんだけど、あれって結構危険なんだよね。
スキー板が雪の下にもぐって、足をとられて転倒して怪我しやすいんだ。
「じゃあさん、行こうか?」
「はい! とりあえず、第2リフトのところで一度合流しましょう!」
「うん。じゃあ、先生が後からついていくから、さんお先にどうぞ」
「わかりました!」
私はゴーグルをおろして、斜面を見下ろした。
上級者コースの急斜面。吹雪は刻一刻とひどくなってきてるし、気をつけて降りなきゃ。
私は手袋のバンドも締めなおして、ストックをついて力強く斜面を滑り始めた。
できるだけ斜面の中央を、ターンを大きめにして滑る。
って、わわわっ! 急に冷えてきたもんだから、斜面にアイスバーンがたくさん出来てるよ!
雪でよく見えないし、これは本当に慎重にいかないと足をとられちゃうな。
そういえば先生、ゴーグルもしてなかったけど大丈夫かな……。
やがて第2リフトが見えてきた。
赤い支柱。山の中腹部の第2リフト降り場の手前で私は止まる。
向きを変えて今滑ってきたゲレンデを見上げて。
「っ……」
思わず息を飲んだ。
確実にさっきより風が強まってる。
そのせいで、山頂どころか3本先のゴンドラの支柱すら見えなくなってるんだもん。
雪の中目立つはずの、緑の支柱が!
そして、先生の姿も見えない。
「先生っ、先生! どこですか!」
先生のウェアは白いから、保護色になって余計見えづらいんだ。
私は先生と叫びながら、必死に目を凝らして先生を探した。
「先生っ!」
私は雪よけのために入っていたリフト乗り場の階段下から、ゲレンデのほうへとスキーをすべらせる。
そのときだった!
「さん!?」
「あ、せんっ……!?」
しまっ……!!
ドンッ!!
見えなかった。
先生は、すぐそこまで降りてきてたんだ。
でも、うかつに私が飛び出したせいで、先生は急にとまることもできずに私と正面衝突。
衝撃で息もつけない。
体の痛みに耐えながら目を開けると、先生が私の上にうつぶせになって倒れていた。
「っ、先生! 大丈夫ですか!?」
「……うーん……」
上体を起こして、先生の肩を揺さぶる。
先生は額に手をあてて、2,3度軽く頭を振った。
「いたた……すいません、さん。大丈夫ですか……?」
「こっちこそごめんなさい! 私、先生の姿見つけられなくて、心配で飛び出しちゃって……!」
「うん……ごめん、心配させて」
体を起こした先生はぎゅっと私を抱きしめて。
ところがその体が、ぴくっと小さく反応した。
「せんせぇ……?」
「さん、怪我は?」
「私は大丈夫です。先生はどうですか? ……あ、あんなところにまでスキー板が飛んじゃって」
私は立ち上がって自分のスキー板を外し、リフト手前まですっ飛んでいた先生のスキー板を拾い上げた。
しかし。
振り向いた先で、先生はスキー靴の上から右足首のあたりを押さえていた。
まさか。
「せん……怪我したんですか!?」
「うん、どうやら捻ったかくじいたかしたみたいだ。痛い……っていうより、熱いかな」
リフト脇のゲレンデにスキーを刺して、私は先生に駆け寄った。
先生は私に心配かけまいと、いつもの笑顔を見せてくれるけど。
「さん、肩を貸してくれる?」
「はい!」
私は先生の右脇に体を入れて、先生の背中と肩を支えるようにして立ち上がる。
先生は左足に力を入れて立ち上がるものの、右足をついた途端、苦しそうに顔を歪めた。
「痛みますか!?」
「や、大丈夫。でも……滑って降りるのは無理かな」
「そんな……」
「ああ、そんな顔しないで。とりあえず、あのリフトの操作盤の個室をお借りしましょう」
「そ、そうですね」
今は無人のリフト操作室。
とりあえず、今は風と雪をしのげる場所に先生を連れていかなきゃ。
私は先生の体を支えたまま、一歩一歩ゆっくりと操作盤の個室へと近づいていった。
個室といったって、暖房器具完備の部屋というわけじゃない。
アクリル壁で外界と隔離しただけのせまいスペース。
現に、先生と私が入っただけで、もうぎゅうぎゅうだ。
私は1脚だけあった椅子を先生に提供して、ゴーグルをはずした。
「や、風と雪がなくなっただけでなんだか暖かくなった気がします」
「そうですね……」
私はわざと明るく振舞ってるだろう先生の言葉にも上の空。
操作盤を見回して、ロッジや管理室と連絡とれそうなものを探した。
でもでもでも!
「故障してるんならシーズン前に修理しといてよ!」
管理室に直通してるであろう受話器には『故障中』の紙がはられていて、無線機と思われるものも、この雪で電波状況が悪いのか先生がいじくってみてもガーガーという無機質な音しか発しなかった。
「やや、八方塞ですか」
「はい……」
私はがっくりとうなだれて、地べたに座り込んだ。
「さん、直座りしたら体が冷えてしまいますよ」
「わ、私のせいです、ごめんなさい、先生っ」
じわりと涙がこみ上げてきた。
「私が滑って降りようなんて言わないで、モービルに乗せてもらってれば」
「さん、これは事故です。君のせいじゃない」
「わ、私がうかつに飛び出したりしなかったら、先生、怪我しないですんだのにっ」
「ああ、泣かないで。こんなところで泣いたら、涙が凍って冷たい思いをしますよ? ほら、立ってください」
「はい……」
私はこぼれそうになった涙をてぶくろをしたまま拭って、先生に言われるがまま、のろのろと立ち上がった。
先生は足が痛いだろうに、私に気を遣ってずっと笑顔を浮かべてる。
その笑顔がいたたまれないのに。
「さん、こっちにおいで」
先生は私の右手を掴んでぐっと引き寄せた。
そのまま私の腰に手を回して、自分の膝の上に座らされてしまう。
「せ、せんせっ、足怪我してるのに!」
「先生の膝は健康そのものです。問題ないです」
屁理屈を言いながら、先生は私を優しく抱きしめてくれた。
頭を自分の肩にコトンと乗せて、私の帽子についた雪をほろったあと手袋を脱ぎ、涙のあとを指でそっと拭ってくれた。
「先生……ごめんなさい」
「君のせいじゃない。だから、謝るのはもうナシです」
「……はい」
「しばらくここで避難してよう。遭難したわけじゃないんだから、心配することない」
私はおとなしく頷いた。
そうだ、天候さえ回復すれば、係員の人が戻ってくる。
そのとき、先生をモービルに乗せてもらえばいいんだから。
私は先生にぎゅっとつかまりながら、天気の回復を祈った。
ところが。
それから十数分。待てど暮らせど天候回復の兆しはない。
吹雪がひどくなることもなかったけど、あいかわらず空は暗いし風も雪も吹き付けてる。
それに所詮はプレハブ小屋よりも脆弱な操作室。
気温がどんどん下がって来てた。
我慢してたのに、ついつい小さく身震いしてしまって、それをめざとく先生に見つかってしまった。
「寒い?」
「いえっ! 平気です!」
「我慢しなくていい。先生も少し寒いと思ってたところだから」
「ほんとに大丈夫です! ほら、カイロもありますし」
といってポケットから取り出したカイロは、既に熱をほとんど失って固まり始めてた。
ううう。
そんな私を見下ろしてた先生。
いきなりぽんっと手を打ったと思えば。
「君を巻き添えにする必要はないんだった」
「……はい?」
「ごめん、さん。つい君と二人でいるのが嬉しくて拘束してしまったけど。さんなら、この程度の吹雪なら下まで降りられますよね?」
「え!? ま、待ってください、一人で降りろって言うんですか!? 先生を置いて、そんなことできません!」
「でもこのままじゃどんどん寒くなってきて耐えられなくなります。さん、下まで言って係員の人を呼んできてくれませんか?」
「あ」
先生に言われて、私も初めて気づいた。
そ、そうだ。
なにもここで『遭難ごっこ』してなくても、私が人を呼んでくればいいだけの話じゃない。
冬山登山中にビバークしてるわけじゃないんだから!
ああ、私の馬鹿馬鹿! なんで気づかなかったんだろう!
「先生、今気づきました」
「私も、今気づきました……」
お互い顔を見合わせて、ぷっと吹き出してしまう。
なんか、急に楽観的になってきちゃった。
「先生、それじゃ私下まで降りて人を呼んできます。待っててくださいね?」
「はい。でも気をつけて。ゲレンデにも雪が積もってきてるはずですから」
「慎重に行きます。……あ、そうだ」
先生の膝から降りた私は、かぶっていた毛糸の帽子を脱いで、先生の頭にぎゅぎゅっとかぶせた。
「頭を覆ってると暖かいですよ? それかぶって、待っててください」
「や、でもさんが」
「私はこれから体を動かすから大丈夫です。先生、待っててくださいね?」
「……はい。待ってます」
私はゴーグルのバンドを頭にかけて、手袋をはめ直す。
「さん」
「はい?」
「行って来ますのちゅーください」
「…………」
私は無言で先生の横っつらに猫パンチ一発。
「拒否されました……」
「もう! おとなしく待っててくださいっ!」
「はい。気をつけて」
先生は笑顔で見送ってくれて。
私は頬を染めつつも、操作室から出た。
一歩外に出ると、よりいっそう気温の低下を肌で感じた。
なんだか懐かしい感じのする、ぴりっとする寒さ。
私は気を引き締めて、半分雪をかぶったスキー板をゲレンデから引き抜き、装着した。
もう一度操作室を振り返ると、雪の貼りついたアクリルの隙間から、先生がこっちを見てるのが見えた。
私がストックを振って合図すると、先生も手を振ってくれた……ように見えた。
よし、行くぞっ。
私は気合を入れて斜面を滑降し始めた。
帽子がないから頭と耳がじんじんとかじかむ。
それでも注意深く斜面を見ながら、第1リフトへ向けて順調に滑っていく私。
そしてふもとに到着したのは、第2リフト降り場から出発すること、わずか10分たらず!
人もまばらなゲレンデを横切って、私はスキーをロッジにたてかけて、まずは教頭先生のもとへ走りこんだ!
「教頭先生!」
「やぁ、くんか。スキーは楽しんでいるかね? あと1時間もすれば集合時間だが」
「大変なんです! 若王子先生が足を怪我して、今第2リフト降り場のところで動けなくなってて!」
「……なんだって?」
息咳き込んで駆け込んだ私の言葉に、ロッジの男性教員用の部屋でくつろいでた教頭先生ほか、古文の先生やほかの先生もぎょっとして私を見た。
「上の方、吹雪がひどくてリフトもゴンドラも止まってるんです! 係員の人も下山したあとで、私、人を呼びに来たんです!」
「待て待て越後屋。それならここじゃなくて管理棟に行かなきゃだめだ。先生も一緒に行ってやるから、ついてこい」
「はいっ!」
教頭先生よりも素早く動いてくれたのが古文の先生だった。遅ればせながら教頭先生もジャケットを羽織ってやってくる。
よかった、これでもう大丈夫。
私は胸を撫で下ろして先生たちのあとをついて行った。
ところが。
管理棟の係員から、予想外の答えが返ってきた。
「申し訳ありませんが、今救助を出すわけにはいかないんです」
「どうしてですか!?」
全く予想してなかった言葉に一瞬言葉を失いかけたけど、私は係員の人にくってかかった。
教頭先生も古文の先生もそうだ。
でも、対応してくれてる係員の人は本当に申し訳なさそうに額の汗をぬぐいながら。
「実は、さきほど気象庁からの通達で、はばたき山地区全域に暴風雪警報と雪崩警報が出まして。ふもとはただの吹雪ですが、第2リフト付近となると……」
「そんな! 私、今そこから降りてきました! 問題なかったですよ!?」
「山の天気は変わりやすいんですよ。第2リフトの降り場は風が強く吹き込んで雪だまりもできやすいし。せめて、雪か風のどちらかがやまないとモービルは出せないんです。申し訳ないっ」
「じゃあ先生はどうなるんですか!」
「、落ち着け。じゃあ、その降り場と連絡は取れないんですか?」
「電波状況が悪くて無線の調子が悪いんです……。いえ、今でも調整はし続けていますが」
そんな。
たった10分の距離なのに。
あんな寒いところで、先生、たった一人なんて。
「あのー……」
係員の人が申し訳なさそうに上目遣いに問いかけてくる。
「救助を待ってるその方、携帯電話はお持ちじゃないんでしょうか?」
「あ」
古文の先生と教頭先生の目が私に向く。
だ、だめだめだ、私。
気が動転して、そんなことにも気がまわらなくなってたなんて!
「あの辺なら、携帯の電波が届くはずなんですが……」
「ちょ、待ってくださいっ!」
ポケットから携帯を取り出し、着歴をリダイヤル。
コール3回。
『若王子です』
「先生っ!? よかった、携帯持ってってたんですね!?」
『はい。そういえば、携帯という手段がありましたね。先生、すっかり忘れてました』
よかった、とりあえずは元気そうな声。
「……なんでくんが若王子くんの携帯番号を知っているのかね」
「まぁまぁ教頭先生。野暮なことはこの際ナシですよ。おう越後屋、ちょっと代わってくれ」
いろいろと先生に聞きたいことがあったけど、古文の先生にひょいっと携帯を取り上げられてしまった。
「若王子先生、坪内です。怪我されたそうですが大丈夫ですか? ……ええ、は無事に下山して来ました。私たちに知らせて、今はゲレンデの管理棟です。……はい。……はい」
携帯をつまむように持って、古文の先生が若王子先生と応答する。
ああもう、早く代わってよぉぉ。
「救助ですが、しばらく出れないそうなんですよ。ええ、警報が出てしまって。なんとか降りてこれませんかね、第2リフトの乗り場くらいまで。第一リフトは動いてますから、そこまでなら迎えに行けるんですが」
「む、無理ですよ! スキーをはめることだって、できるかどうか!」
いきなり無茶を言い出した古文の先生に、私は思わず抗議した。
古文の先生は目線だけ私に向けるものの、特にそれ以上の反応はせずにそのまま会話を続ける。
でも、確かに先生を助けるにはそれしか方法がないかも……。
あのままじゃ気温がますます下がって、先生の体温を奪ってしまう。
こんな小さな山だって、凍死するのなんか簡単だ。
先生が……凍死?
ぶるっ。
私は全身を震わせた。
息が、うまく吸えなくなる。
「はい、……はい。わかりました、第2リフト乗り場まで迎えに行きます。がんばって降りてきてください。無理せず、ゆっくりと。……はい、すぐに出ます。……はい?」
自分の体を抱いて、一生懸命息を吸おうとしていると、目の前に携帯を突き出された。
「若王子先生、代わってくれって」
「は……もしもしっ、せんせっ……」
震える手で携帯を受け取って、声をしぼりだした。
『さん、先生、これからがんばって降りてみます』
「せんせ……」
『大丈夫。滑降が無理なら板に座ってそり滑りの要領で降りますから。待っててくださいね?」
「せんっ……は、ぅっ……せ……」
『さん……? あ』
通話口の向こうで、息を飲む音が聞こえた。
「せん」
『僕は大丈夫。もう、君を一人にしたりしない。君を置いて、どこにも行かないよ。だから、落ち着いて。ゆっくり、深呼吸してごらん?』
「は……ぁ、ふ……」
『そう。もう一度。……落ち着いた?』
「はい……」
『うん。すぐに駆けつけるから。待ってて』
そう言って、ぷつりと携帯が切られた。
私も震える指先で通話を切って、ポケットに携帯をしまう。
「よし、じゃあ教頭先生、私が若王子先生を迎えに行ってきます」
「うむ、お任せしますよ、坪内先生」
「せんっ……せんせ、私っ、もっ」
「、お前はだめだ。少し過呼吸症状が出てるな? ロッジで休んでろ」
「でもっ」
ぽす
いてもたってもいられない。
私は無理やりでも着いていくつもりだったけど、古文の先生に頭を軽く手のひらで叩かれてしまった。
「安心しろ。その歳で未亡人にゃさせないから」
「……は」
「うぉっほん!!」
ちょい悪親父独特の、いつもの軽口。
私は流すことも反応することも出来ず、教頭先生は不謹慎だとばかりに大きく咳払いした。
でも。おかげで少し落ち着いたかも。
私はもう一度深呼吸をして、古文の先生を見上げた。
「先生、若王子先生を、助けてください」
「任せておけ。先生はこう見えても学年主任だからな」
ぐっと親指をたてて、ニヒルなちょい悪スマイルを浮かべて、古文の先生は係員の人を数名引き連れて管理棟を出て行く。
「さ、くんはロッジの部屋で休んでなさい」
「はい」
そして私は教頭先生に促されるままロッジに戻り、同室のはるひや小野田ちゃんに心配されながらも横になって若王子先生の到着を待つことにした。
でも。
集合時間になっても、まだ先生は下山してこなかった。
あれから、1時間近くたつのに。
下山中になにかあったのかな。
利き足が怪我してるんだもん、もしかしてうまくバランスとれなくて、変なトコに滑り落ちたんじゃ。
いやな想像ばかりが頭をめぐる。
「、今解散になったわ。現地解散やて」
集合場所に行っていたはるひが戻ってきた。
はるひだけじゃない。小野田ちゃんたち仲良し女子チームと、志波くんたち男の子も。
「若王子のヤツ、おっせーな……」
「吹雪も、全然止まないわね……」
ハリーがベッドに乱暴に腰掛ける。
密さんは窓の外を眺めながらぽつりとつぶやいた。
全校生徒に先生のことを伝えたら大騒ぎになってしまうから、事情は伏せてあるみたい。
ただ、ここのみんなにははるひや小野田ちゃんから伝わっているようだ。
私はみんなの言葉を横になったまま聞いていた。
先生。
先生、早く戻ってきて。
と。
コンコンと、扉がノックされた。
「はい?」
小野田ちゃんが返事する。
「越後屋ー、旦那連れてきたぞー」
聞こえてきたのは。
私はがばっと飛び起きて、ドアを開けた。
そこには。
「や……さん。遅くなりました」
疲労感漂う笑顔だけど、若王子先生。
私が貸したピンクの毛糸の帽子にたくさん雪を積もらせて、古文の先生に肩を借りて右足を軽く持ち上げた状態で、立っていた。
「若王子先生! ご無事だったのですね!」
「もー、遅いわ若ちゃん! がどんだけ心配しとったと思っとんの!?」
「やや、すいません。先生、これでも全速力で降りてきたんですけど」
みなまで言うより早く。
私は若王子先生に飛びついた。
わわっ、と言いながら、先生は私を受け止めきれずに後に倒れて派手にしりもちをつく。
「い、痛いです、さ」
抗議なんか聞いてあげない。
私はそのまま、先生の首にぎゅっと抱きついた。
「……さん」
先生はふうと息を吐いて、私の頭をぽんぽんと撫でてくれた。
「……あー。そ、そろそろ定期バスの時間じゃねぇ?」
「せ、せやな! これ逃すとまた30分待たなあかんしな!」
「で、では行きましょうか、みなさん!」
「ええなぁ、若ちゃんセンセ……」
「クリス、こういうときは流しておけっ!」
みんなの困惑した声と慌しい足音が耳元を駆け抜ける。
「若王子先生、ロッジの借用時間は3時までですから。それまでには嫁の機嫌直して引き上げてくださいよ?」
「や、わかりました。いろいろと、お世話になりまして」
「ああそれと、足の手当ても早めにしてください。ここの電話で管理棟の人を呼べますから」
古文の先生も、それだけ行って気配が遠のいていく。
廊下には、私と若王子先生の二人しかいなくなったみたいだ。
「さん」
「……っく……」
「怖い思いをさせてごめん。でもほら。僕はちゃんと戻ってきたよ」
「は、い……」
先生は私の背中に腕をまわして、ぎゅっと抱きしめてくれた。
温かい。
先生が、ちゃんとここにいる。
「PTSDの症状は大丈夫?」
「大丈夫、です」
「よかった。ちょっと心配してました」
私は先生の肩にうずめていた顔を横に向かせて、先生の肩に頭をのせた。
優しく私を見下ろしてる先生の瞳が見える。
「あの操作室でひとりで待ってて、少し怖くなりました」
「……?」
「気温はどんどん下がって、体温を奪われていって。このまま二度と君に会えないんじゃないかとふと思ったとき、とても怖くなったんです」
「先生……」
「いままで、孤独に恐怖なんて感じたことなかったのに」
先生は私の頬にそっと手をあてて、私の目を正面から覗き込んだ。
「どうやら僕は、もう君なしでは生きていけないみたいだ」
「わ、私、だって……」
「うん。だから、さん」
それ以上は言わず。
先生は、そっと、唇を重ねてきた。
私も、目を閉じて。おとなしく受け入れる。
ただ触れるだけの、優しいキス。
「本当は、卒業まで待つつもりだったんだけど。孤独に負けちゃいました」
「もう寂しくないですか?」
「うん、もう大丈夫」
角度を変えて、もう一度。
先生は、私を強く抱きしめた。
幸い、先生の足の怪我は軽い捻挫だった。
出きるだけ歩かないようにして安静にしていれば、すぐ治るって。
病院には後日改めて行くように、手当てしてくれた係員の人から言われてた。
私はスキー場から先生の自宅まで、先生の松葉杖代わりになって一緒に帰宅した。
先生の家は姫子先輩が「ボロアパート」と酷評していたけれど、築年数は相当ありそうだけど風情ある木造昭和建築のアパートだった。
とりあえず動けない先生のために、一度も使われたことがなさそうな台所で簡単な料理を作ってあげた。
そして、翌日には一緒に病院に行く約束をとりつけて。
別れ際、もう一度、先生とキスした。
そんなこんなで。
3年目のクリスマスは、なんとも波乱満載の1日だった。
浮かれていたつもりはないけど、先生との関係の前進でぽーっとしていた私。
息を飲むような衝撃のメールが届いていたことに気づくのは、その翌日になってからだった。
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