はね学最後のクリスマスを迎える。
 なんと3年目の今年は、雪山のロッジで行うみたいで。
 で、翌日はそのままスキーを楽しむんだって。
 雪、か。3年振りだな。


 61.ホワイトクリスマス


 今日の装いは、Elicaブランドの新作ドレス。
 ……今年もまた、花椿先生にエリカとしてモデルの専属契約を(半ば強引に)更新されて、この冬のイメージドレスってことで渡されたのが、これ。
 真っ白なベルベットで作られた、マーメイドラインの大人っぽいドレス。
 胸元やウエストのあたりにラインストーンとフェザーで装飾がされていて、背中はばっくりと開いている。

 さすがにこれを見た先生はしかめっつらして、パーティ当日、私の家に迎えに来たかと思えばラビットファーのストールをプレゼントしてくれた。

「い、いいんですか? こんな高いものいただいて」
「いいんです。貰ってくれなきゃ、先生、さんを連れていきません」

 なんて。
 淡いピンクに染められたファーストールを肩にかけてコートを着て、私と先生はパーティ会場のはばたき山へと向かうことにした。


 はばたき山に向かうバスが停まるバス停は、綺麗に着飾ったはね学生であふれていた。

「あ、若サマだ。若サマもバスで行くの?」
「先生、今年もフロックコート着てきた? 先生のフロックコート姿ってマジヤバイよね」

 あらら、若王子先生は早速女子生徒に連れ去られちゃった。
 先生は困った様子もなくちらりとこちらを見たけど、私はひょいっと肩をすくめてみせた。
 仕方ない、先生はみんなの先生だもん。
 それに今日と明日のクリスマス宿泊が終われば冬休み。
 ……冬休み中は、先生を独り占めできるもん。

 だから、今はがまんがまん。

ちゃん」
「あかり! ……あれ、瑛と一緒じゃないの?」
「うん……」

 先生と離れてしまった私に声をかけてくれたのは、淡いマリンカラーのドレスをコートの裾から覗かせているあかり。
 あかりは私の問いかけに曖昧に微笑んで答える。
 どうしたんだろう?

 バスが来て、私とあかりはぎゅうぎゅうのバスに乗り込んだ。
 うわぁ、この状態で30分かぁ……。

「で、瑛はどうしたの?」

 再びあかりに問うと、あかりは視線を落としてしまった。

「来れないって。クリスマスの一番稼ぎ時に、珊瑚礁2日も空けられないからって」
「あ、そっか……。残念だね」
「うん。学校でメモ貰って、私そのまま珊瑚礁に行って、私もパーティ行かないで手伝うよって言ったんだけどね。瑛くんもマスターもいいからって……」
「オレの分も楽しんで来い、なんて言われた?」
「言われちゃった。瑛くんがいなきゃ、楽しさだって半分……」

 ……おや?

「あ、あの、最後のパーティなのに、3年目の特別なのにねっ!?」
「あかりっ、そこで誤魔化さない!」

 急に赤くなって言い繕おうとするあかりに、私もつられて赤くなりながらもその言葉を遮った。

「あかり……瑛のこと、好き?」
「…………」

 あかり、耳まで真っ赤になってうつむいて。
 それでもしっかりと、コクンと頷いた!

 おとーさーん!!
 どうしてそんなにアナタって人はタイミングが悪いんですかー!!
 今日ここに珊瑚礁放ってでも来ていれば、確実に進展があったでしょうに……!

 でも、そっかぁ……ようやくあかりも自覚してくれたんだ。
 よかったよかった。
 これで少しは、いろいろと追い詰められてる瑛も気持ちが軽くなるよね?
 ここはひとつ、さっさと告白タイムをお膳立てしてあげるべき!?

「うふふふふ」
「な、なによぉ、ちゃん。ちゃんこそ、今夜は先生と約束してるんでしょ?」
「は? や、約束って!?」
「今日は泊りがけのクリスマスパーティだよ? 夜中に抜け出して……とか、約束してないの?」
「はぁ!?」

 ぎゅう詰めのバスの中、大きな声を出してしまい、一斉にまわりの目が私に注がれた。
 うあ、は、恥ずかしいっ……

「な、なんでもないです、ごめんなさい……」
「ご、ごめんね、ちゃん」

 二人で小さくなって、小声でおしゃべり再開。

「そんなことできるわけないじゃない! まがりなりにも、先生なんだよ?」
「でも、若王子先生なら誘いに乗ってくれる気がするんだけど」
「……確かにそうだけど……」

 先生と、クリスマスイブの夜に、かぁ……。
 雪がしんしんと降る冬の夜って、空気がぴりっと澄んでて気持ちいいんだよね。
 そんな中先生と散歩なんてできたら、確かにちょっと素敵だな……。

「うふふふふ」

 はっ。
 思いにふけってたら、あかりにほくそ笑まれてしまったっ。

「そうなるといいね?」
「うう……うん」

 立場逆転。
 今度は私が耳まで赤くなって、コクリと小さく頷いた。



 はばたき山スキー場に隣接したロッジを貸し切ってのクリスマスパーティ。
 私とあかりは割り当てられた宿泊部屋に荷物を置いて、早速パーティ会場へ!

 ……と、思ったんだけど。

「うわぁ……あかり、大人っぽーい」
「え、そ、そうかな?」
「うんうん! 3年前とは大違い!」

 部屋でコートを脱いだ、あかりのドレス姿に思わず見惚れてしまった。

 今日はゆるく髪をアップにしてて、開いた首元には銀のチョーカーが輝いている。
 3年間で、子供っぽさが抜けて、大人の女性に一歩踏み出した感じ。

 ……少しは瑛も貢献してるのかな?

「綺麗なチョーカーだね! 瑛からの贈り物?」
「なっ、なんでわかるの!?」

 あ、そうだったんだ。
 カマかけただけだったんだけどな〜……ふふふ。

 にやりと笑う私に、あかりは頬を染めていつものデイジー上目遣い。

「そういうちゃんだって、今日のドレスはいつものピュアピュアな感じじゃなくて、エレガントじゃない。先生の好みに合わせたの?」
「ち、違うよ、これはその、モデルの仕事で貰って……」
「それにそのネックレス、すごく素敵だね。キラキラしてて、シャンデリアみたい」
「うん……」

 私は胸元を飾ってるスワロフスキーのネックレスに指を通して大事に大事に持ち上げた。

 だってこれは、先生がくれた大切なネックレスだもん。
 天使の守護がついてる、特別なもの。

「……若王子先生からの贈り物?」
「うん」
「…………」

 はにかみながら返事すると、あかりのほうがもっと赤くなってしまった。

 と、そこへ。

「あかりと、早いやん! メリクリっ!」
さんも海野さんも、とても綺麗ですね! 今日は相部屋よろしくお願いします!」
「なんだい、アンタたち家から着てきたのかい。気が早いねぇ」
「竜子ったら。今日はクリスマスイブなんだから、目一杯おしゃれしなきゃね? だって、女の子ですもの」

 はるひと小野田ちゃん、藤堂さん、密さん。
 3−Bの仲良し女の子がそろってやってきた。
 3年目の、最初で最後の宿泊クリスマスパーティの部屋割りがこのメンバーなんて、ラッキーだよね。

「にしても……アンタ、ほんまに綺麗になってもうたなぁ」

 荷物を降ろしコートをかけて、はるひは私を上から下まで何度も見つめて、ため息と共に言った。

「もう女子高生のきゃぴきゃぴさが見あたらへん。さすが、年上オトコと恋愛しとる子はちゃうな!」
「はるひっ! もう、そんなことないよ!」
「あらぁ、そんなことあるわよ、さん」

 くすくすと笑いながら、やんわりと口を挟んだのは密さん。
 密さんは淡い淡い桜色のツーピースドレスを着て、チャームポイントのストレートヘアはそのままに、綺麗に着飾ってた。
 やっぱり密さんの美しさには敵わないよね。ああ、うっとり。

「私たち、15歳ではね学に入学して、今はもう18歳でしょう? その年齢だけを考えると、18歳って大人だと思わない?」
「……そうですね。18歳って未成年ではありますけど、いろいろと自分の責任が始まる時期でもありますし」
「逆に15歳って、今振り返ると子供真っ只中! って感じだよね」
「そうそう。そう考えると、高校生活3年間ってあっという間だったけど、確実に私たち、成長してるのよね」

 はね学生活3年間に思いを馳せて。
 まだ日も暮れてないというのに、なんだかしんみりしちゃった。

 そんな雰囲気を手をぱんぱんと叩いて打破してくれたのは藤堂さん。

「アンタたち、まだ終わってもいない高校生活にしんみりしててどうするんだい。そんなことより、今日を楽しむほうが先決だろ?」
「せや、竜子姉の言うとおり! 修学旅行以来のお泊りやもん、楽しまんと!」

 はるひもすっくと立ち上がり、両手を握り締めて気合を入れる。

 そうだよね。
 今日は3年間でも1日しかない特別な日だもん。いっぱいいっぱい楽しまなきゃ!

「そろそろ人も集まってるんちゃう? 会場行こか!」
「あ、まって、西本さん。せっかくですもの、みんなでもっとおしゃれしていかない?」
「「「「「は?」」」」」

 密さんの言葉に、腰をあげかけた全員の動きが止まる。

 うふふ、といつものように優雅に微笑みながら密さんが鞄から取り出したのは、ちょっと大きめのポーチ。
 その中身は、色とりどりの化粧道具だ。

「みんな、綺麗になった自分をお披露目したい人がいるんでしょう?」

 あらら。
 はるひも小野田ちゃんも、藤堂さんまで赤くなっちゃって。
 密さんは「はいはい座って座って。ネイルは竜子に任せたわよ?」なんて言ってかちゃかちゃと楽しそうにパフやブラシを取り出し始めた。

 でもあかりは、少し寂しそうにしてた。

「瑛も来てくれればよかったのにね」
「うん……」

 目を白黒させてる小野田ちゃんに化粧を施してる密さんを見ながら、あかりは小さく頷いて。

「いいんだ。ここで綺麗になる方法密さんに教わって、クリスマス明けに瑛くんをあっと驚かせてやるんだから!」
「うん、その意気! 瑛をめろめろにしちゃえ!」
「えへへ。でも今日は、ちゃんが先生をめろめろにしちゃってね?」
「そ、それは無理かも……。今日は先生、女子のガードが固いと思うし……」
さん、そんなことじゃ駄目よ?」

 あかりとつつきあうように会話していたら、小野田ちゃんにピンクのグロスをひきながら密さんに軽く睨まれた。

「若王子先生のほうから寄ってくるくらいにならなきゃ。パーティの主役は、いつだって女の子よ?」
「は、はぁい……」

 先生のほうから寄ってくる、ねぇ?

 私は部屋の隅にかけられている姿見を覗き込んだ。
 3年前に比べれば、そりゃ少しは見た目の子供っぽさは抜けたかもしれないけど……。
 オトナの先生に釣り合うには、まだまだ時間がかかりそう。

 気合みなぎる密さんを尻目に、私は小さくため息をついた。


 などと思っていた私の考えは甘かった。
 密さんの腕前は、私の想像を絶する域に達していたのである!!


 私もあかりも、みんなみんな密さんに薄くお化粧してもらって、髪型も少しアレンジしてもらって。
 6人揃ってパーティ会場へ。

「遅かったじゃねーか! 待ちくたび」

 ハリーと志波くんとクリスくんと氷上くん。
 それから若王子先生。
 5人は楽しそうに会話しながら既に料理をパクついてた。

 ハリーが一番に私たちに気づいて手を振って、そのままの状態で、かっちんこ。
 そのハリーの様子にこちらを次々に振り向いた志波くんたちも、かっちんこ。
 若王子先生だけが、これはこれはと、ぱちぱち拍手を送ってくれた。

 すごいんだ、密さん!!
 私もあかりも、バスに乗ってたときとはまるで別人だもん! 手芸部のメイク担当よりもすごい!

さん」
「あ、先生」
「どうしたんですか。ここに到着する前と違うね? 髪型も……唇も。お化粧したんですか?」

 今だ石状態から回復しない男子をよそに、先生がやってきて私のダウンスタイルの髪に指をからめた。
 家を出る時はサイドの髪をゆるくまとめた髪型にしてたんだけど、さっき密さんがアイロンでくるくると巻いてくれて。
 今はゆるくひとつにまとめた髪を、左サイドに流してる。

「密さんがやってくれたんです。似合いますか?」
「とてもよく似合ってる。真っ白なドレスに真っ白な肌。今日の君は雪の女王様みたいだ」
「フロックコートを着た先生と白いドレスを着たちゃんが並んでると、結婚式みたいですよ?」

 うっとりと頬を染めて私の瞳に魅入る先生に、お邪魔してごめんなさいとあかりが声をかけた。

「やや、海野さんもすっかり綺麗になっちゃいましたね? 先生、今夜は男子をおとなしくさせるので寝不足になりそうです」
「えへへ、ありがとうございます」
「もう少しこのままさんと海野さんの二人とおしゃべりしていたいけど、先生裏方の仕事を任されちゃったんです。そろそろ行ってきます」
「はい。じゃあ先生、またあとでお話しましょうね!」

 ぺこりとおじぎして、あかりははるひたちのもとへ。
 私も先生の邪魔をしちゃいけないからみんなのところへ行こう。おなかも空いてきたし。

 くるりと方向転換。
 すると先生はぽんと私の右肩に手を置いて。

「知らない人についていっちゃ、駄目ですよ?」

 念を置くように、耳元で囁かれた。
 私は先生の顔を振り向かずに、顔を赤くしてこくこくと何度も頷いたのでした。


「あっ、ちゃん、あかりちゃーん! ふたりとも、今日はめっちゃ可愛ええやーん♪」

 私とあかりがみんなの輪のもとへ行くと、密さんの手を握ってにっこにこの笑顔を浮かべてたクリスくんがこっちを見て両手を広げてお出迎えしてくれた。
 案の定、そのまま私とあかりを抱きしめて、ぎゅー。

「二人も密ちゃんにお化粧してもらったん? いつも可愛いねんけど、今日はめっちゃ綺麗や」
「ありがとクリスくん。相変わらずお上手だね?」
「あれ、ちゃん、お世辞とちゃうで? ボクもうドキドキして心臓破裂しそうやもん。確かめてみる?」
「え、遠慮しときマス」
「ええの? ……ところであかりちゃん、瑛クンは来てへんの?」

 きゅうと私たちを抱きしめたまま、クリスくんは辺りをきょろきょろ。
 そしてあかりに視線を落とした。

「瑛クンは来れないんだって」
「そうなん? せっかくのクリスマスやのにね」
「うん」
「あ。あかりちゃん、気落ちせんといてな? 瑛クンの分も、ボクが盛り上げたるからな♪」
「うんっ、ありがとうクリスくん!」

 あかりがにこっと微笑んで、クリスくんもにっこり微笑んで、そのまま再びぎゅーっと。
 ……する前に、クリスくんの首根っこを志波くんが引っ張った。

「お前、くっつきすぎ。二人の迷惑考えろ」
「ええ〜、迷惑だったん?」
「あはは、そんなことないよ?」

 何かこのパターンも毎度のことになっちゃったね。
 クリスくんの行為は、本当に全っ然迷惑じゃないけど、志波くんはほんとにみんなのことよく見てるっていうか。

「今日は藤堂さんだけを見てていいんだよ?」
「……」

 む、と目を据わらせて、ちょっとだけ顔を赤くした志波くん。

 ぽすん。

「…………」

 私は目を丸くして志波くんを見上げた。
 いま、志波くんに、志波くんにチョップされた!

「お、おい……悪ィ、痛かったか?」
「う、ううん、そうじゃなくて! なんかちょっと、感動しちゃった!」

 私の反応に慌てる志波くん。
 でも私は逆に頬を紅潮させて志波くんを見上げた。

 ぽすん、だって。
 志波くんの、てかげんチョップ!
 うわあ、なんかわからないけどこの感動はなんだろう!

「志波くん、もう1回!」
「はぁ?」
「なんか今のよかった! ねぇ、もう1回やって!」
「……変なヤツだな」

 クッと喉の奥を鳴らして笑う志波くん。
 そしてもう1回チョップしてくれた。

 ずべしっ!

「アイタっ!!」

 に、2度目はかなり力を込められた……。
 恨めしそうに頭をさすりながら志波くんを見上げてみれば、志波くんは唇の端を上げながらもしょうがないな、という顔で。

「お前……先生が見てたらこの程度じゃ済まされないぞ」
「う、そ、そうかも」

 きょろきょろまわりを見たところ、先生の姿はなし。……ほ。
 下手に男子とじゃれあってるところを目撃されて、このあいだのような『おしおき』を食らうなんてコトは避けたいところ……。
 オトナのくせに、あれでいて嫉妬心が結構強いんだよね、先生って。
 ……でもちょっと、優越感もあったりして。えへ。

「そういう格好してる割に、お前って全然色気出てこねぇよなぁ……」

 志波くんに惚気た笑顔を向けてたら、ハリーの暴言が飛び込んできた。

「なんだとー? ……って、あれ、はるひは?」

 振り向いた先にいたのはスーツに身を包んだハリーだけ。
 さっきまで隣にいたはずのはるひの姿がなくなってる。

「さっきケーキ運ばれて来たの見て、取りに行っちまったぞ」
「ああっ、ずるいはるひ! 抜け駆けだー!」
「結局お前も食い気かよ! ったく、若王子も何やってんだか」
「せ、先生は関係ないもん」

 このままここにいたら何言われるかわからない。
 まだ氷上くんとは挨拶交わしてないけど、小野田ちゃんと仲睦まじく談笑してるのを邪魔するのも悪いし。
 私はあかりを連れて、はるひを追いかけてスイーツの旅に出ることにした。



 全員が集まった頃に教頭先生の挨拶があって、それからパーティは正式に始まった。
 といっても、場所がいつもの場所から移っただけで、流れは例年どおりの式次第。
 私ははるひとスイーツ講評をしたり、密さんやクリスくんと服のことを話しあったり、ハリーと一緒に志波くんと藤堂さんの行く末を予想してみたり。
 途中、氷上くんと小野田ちゃんの3人でセンター試験対策問題について討論し始めたときは、まわりの受験組から一斉突っ込みが入ったけど。

「「「今日ぐらい勉強のこと忘れさせろ!!!」」」
「ご、ゴメンナサイ……」

 でも、ふと気づいて回りを見回すと、あかりの姿が見えなくなってた。
 どこ行っちゃったんだろ。

「どうした越後屋。一人できょろきょろしてるとキャッチにつかまるぞ」
「あ、先生」

 会場入り口付近まで戻ってあたりをぐるっと見回してたら、真っ白いスーツに胸元をはだけた黒いストライプシャツを纏った古文の先生に声をかけられた。

「……その格好、教頭先生から指導入りませんでした?」
「いんや。教頭先生にもちょい悪談義したら、お咎めナシだ」
「国語の先生だけあって、口がうまいですよねー……」
「いやいや、そんなことはないぞ? 先生は若王子先生みたいに若い娘を口説く文句は知らんからなあ」
「せ、セクハラですよっ」
「はっはっは」

 教頭先生まで丸め込んじゃうこのちょい悪親父に口で勝とうなんて、やっぱり無理かぁ。
 軽く笑い飛ばされちゃって、なんだか怒ってるのも馬鹿らしくて。つられて笑ってしまう。

「そういえば先生、あかり……海野さん見ませんでしたか?」
「ん? 海野ならさっき宿泊ロッジのほうに戻ってくのを見たけどな。その後は見てないな」
「宿泊ロッジに?」

 どうしたんだろう、あかり。
 具合悪くなっちゃったのかな。

「情報ありがとうございます、先生。私もちょっとそっち行ってきます!」
「おう。雪降ってきたみたいだから、あんまり薄着でうろつくんじゃないぞー?」
「はーい」

 元気よく返事して、私はファーストールをぎゅっと肩に巻きつけて会場を出た。


 古文の先生の言うとおり。
 すっかり日が落ちて宵闇につつまれた冬の空からは、大きな雪の結晶がゆらゆらと舞い落ちて来ていた。

 雪を見るのは3年ぶり。
 私は立ち止まって空を見上げた。
 北海道の雪と違って、湿り気を帯びた重い雪。
 それでも懐かしい、この景色。

 むき出しの腕や足を容赦なく冷やしていく冷気の中、私は少しぼんやりしてしまった。
 と、その視界の隅に見覚えある2人組。

 あかりと、若王子先生だ。

「あかり!」
「あっ、ちゃん……」

 声をかけて、ヒールが雪に沈む中よたよたと駆け寄ると、あかりと先生はこっちを振り向いた。
 先生はパーティ会場で見たまんまの格好だけど、あかりはきっちりコートを着こんで、さっき持ってきた荷物もかついでる。

「ごめんね、いきなりいなくなって」
「ううん……。あかり、帰るの?」
「うん」

 あかりは私に向き直って小さく微笑んだ。

「どうしても瑛くんが……珊瑚礁が気になっちゃって。今、若王子先生に早退のお願いしてたところ」
「そっか」

 私もにこっと微笑んだ。

 そのほうがいい、って私も思う。
 最近の瑛、いつもぴりぴりしてて追い詰められたみたいだったもんね。
 瑛の気持ちを慰めてあげられるのは、あかりだけだと思う。

「おとうさんをよろしくね、あかり! まだバスあるの?」
「うん! バスは最終便がまだ出てないから大丈夫だよ」
「乗り遅れたら真咲先輩にお願いしてあげるからね」
「ふふ、ありがとちゃん。それじゃあ若王子先生、わがまま言ってすいませんが、失礼しますっ」
「いえいえ。海野さん、気をつけて。よいクリスマスを」
「はい! 若王子先生も、ちゃんも、メリークリスマス!」

 あかりは満面の笑顔でそう言って、早足で去っていった。
 ロッジの角を曲がるまで、その後姿を見送って。

さん、そんな格好じゃ冷えてしまうよ」

 ぱさりと、肩にコートがかけられた。
 先生の上着だ。見上げれば、優しい瞳が見下ろしてる。

「先生が風邪引いちゃいますよ! すぐ戻るから大丈夫です」
「そう?」

 私は手を伸ばして先生の頭に積もった雪をほろった。
 体温で溶けてしまった雪は、先生の前髪から滴り落ちる。

「あかりを送りに来た……わけじゃないですね? 先生、長い間外にいたでしょう」
「やや、ばれてしまいましたか。ちょっとお散歩してました」
「こっちは気温が高いから、傘を差さないと濡れちゃいますよ」
「もう濡れちゃったからいいです」
「もう……」

 私のお小言も右から左。
 先生はにこっと微笑んで、私の背中に手を回した。

さん、少しお散歩しませんか?」
「いいですけど……。あ、私コートとってきます!」
「僕の上着じゃ寒い?」
「私じゃなくて、先生が風邪引きます。明日のスキー、すべれなくなっちゃいますよ?」

 私はフロックコートを先生に返して、急いで宿泊ロッジに戻った。
 カーディガンを羽織ってコートを着て、マフラーも1本手に持って。

 駆け足で戻った私は、雪の振る中黙って待っていた先生の首に素早くマフラーを巻く。

「や、これはあったかいです」
「今だけだから、これで我慢してください」

 白いマフラーの端には、イチゴのあみぐるみがちょこんとついてるんだ。
 あはは、先生可愛い。

「みんなパーティ楽しんでるのに。どうしたんですか? 一人で外をお散歩なんて」
「ちょっと今日という現実が信じきれなくて、少し頭を冷やしてたんです」
「どういうことですか?」

 先生はゆっくりと歩き出す。
 パーティ会場入り口から、他のペンションやロッジが立ち並ぶとおりの方へ。

さん、まだまだパーティは始まったばかりだけど、楽しんでますか?」
「とっても楽しんでますよ! ケーキはおいしいし、友達と一緒だし。私、まともにクリスマスパーティに出るの今年が初めて、って言っていいくらいですから」
「……そういえばそうでした。去年は僕が怒らせてしまったんだっけ」
「そうですよっ」
「面目ないです」

 口で謝ってても、その顔は笑顔。
 私も小さく噴出した。

「反省してないでしょう、先生」
「やや、そんなことないです。たくさんたくさん反省しました」
「……はい。私も、たくさん反省しました」
「うん」

 パーティ会場からすっかり離れた頃、先生が手を握ってくれた。
 そのまま私たちは並んで歩く。

 そしてたどり着いた場所はペンション郡の中央にある広場。
 中央には大きなもみの木があって、クリスマスデコレーションがこれでもかと飾り付けられている。
 電飾はゴールドの光。今は青い光が流行りみたいだけど、真冬の寒さ厳しい土地で育った私は、寒々しい青い光よりも、暖かな金色の光の方が好きだな。

 そして周りには、わたしたちのようにゆったりとした時間を過ごしてる……カップルが数組。
 それを見た私はちょっとどきんとしてしまったんだけど。
 先生は気にする風でもなく、私の手を引いて近くのベンチの雪を払って腰かけた。

 私もその隣に腰掛けようとして、先生がそれを遮る。

「君はこっち」
「は」

 先生がにこにこしながら、自分の膝をぽんぽんと叩いてるんですが。

 あの、そこに座れと?

「ベンチに座ったら濡れちゃいますよ?」
「いいいいいいいです、気にしませんっ!」

 私は断固として拒否して、先生の隣に腰掛けた。
 残念です、と言いながらも、先生の笑顔は変わらない。

「こんなに寒いのに、こんなに温かい。今日は不思議な日です」
「そうですね」
「クリスマスは冷たい日だと思ってたのに。ここに来てから、初めて温かい日なんだって気づきました」

 先生が眩しそうにツリーを見上げて呟いた。

 ここに来てからってことは、その前は……

「研究所、ですか?」
「うん」

 ぎゅ、と。
 私の手を握る力を強める先生。

「クリスマスって、冷たいターキーとツリーがあるだけの日だと思ってました。だけど違った。違うことを教えてくれたのは、君たちです」

 先生はクリスマスツリーを見上げたまま、目を閉じた。
 まるで、今、幸せをその全身で噛み締めてるよう。

「はばたき市に来て、教師になって。クリスマスという日が温かくて幸せな日だって教えてくれたのは、学生のみんなです。毎年毎年、今日という日はみんなで大騒ぎをして、幸せを噛み締めてる」
「はい」
「僕は化学の教師で、高校化学を君たちに教えてるけど、日々人間の温かさを教えてくれる君たち学生は、僕にとって先生でもあるんです」
「はい」
「こんなに幸せで贅沢なことを知っていいんだろうか、って思ってました。これ以上贅沢を覚えたら後が大変だって」

 先生は言葉を切って、肩を震わせて笑い出した。
 突然どうしたんだろうと思ったら。

「大変だって思ってたのに。僕はこの世で一番の贅沢者になっちゃいました」

 くるっと私を振り向いて、優しい瞳で微笑みかけてくれる先生。

「君に出会えてよかった。こんなに幸せを覚えてもはばたき市に馴染めなかった僕を、人の中につなぎ止めてくれた優しい人」
「せ、せんせぇ……」
「僕みたいないじけた怪獣を優しく見守ってくれるだけじゃなく、愛してくれた。……この幸せが、現実が信じられなくて、頭を冷やしに散歩に出たんです」
「先生……夢じゃないですよ? この幸せも、全部全部現実です」

 私はかじかんだ手で先生の手をつつみこんだ。
 先生の手のほうがよっぽど温かかったけど、私はその手をお祈りするように胸元まで持ち上げて。

「私の方こそ信じられないくらいです。家族をすべて失った私に、先生が私の家族になってくれたなんて。父さんが聞いたら怒るかもしれないけど、私、先生がいればもう寂しくないから」
「やや、さん。それって、プロポーズですか?」
「……は?」

 気恥ずかしい言葉を一生懸命話したら、先生はきょとんとした表情を向けた。
 私は今言った言葉を脳裏で反芻して。

 ぼふんっ!

「ちが、ち、違いますっ!!」
「そんな力いっぱい否定しなくても……」

 私は先生の手を払って慌てて立ち上がり、先生は先生で残念そうに口をとがらした。

 あ、あぶなー!!
 これって、クリスマスマジック!? あやうく変なこと口走るとこだったかも……!

「……あ。さんっ」

 ぱちぱちと頬を叩いて、寒さのせいか先生のせいか赤くなってしまったのをごまかすようにわたわたしてた私。
 その私を見てた先生が、何か気づいたように立ち上がった。

「少しの間だけ、コートを脱いでくれませんか?」
「え、コートですか?」

 そのくらいなら構わないけど。
 私は言われるがままコートを脱いだ。
 わ、だいぶ冷えてきてる。

「えーと、カーディガンとストールも」
「…………」
「あの、別に変なこと考えてるわけじゃないですよ?」

 私の視線に、珍しく慌てたように答える先生。

「わかってますってば。ちょっとからかっただけです。……これでいいですか?」
「…………」

 カーディガンとストールも先生に手渡して、私はドレスとネックレスのみのいでたちでツリーの下に立った。

 ところが先生は、頬を紅潮させたままぽかんと私を見たまま動かない。

 あのー……。

「せ、せんせぇ?」
さん……」
「え?」
「……本当に、天使だったんだ」

 は?

 先生の言葉の意味がわからずにきょとんとしてると。

 強く、抱きしめられた。
 雪に濡れたフロックコートが冷たかったけど、それ以上に先生が温かい。

 ……じゃなくて!

「せん」
「本当に天使に見えました、さん。純白のドレスがツリーの光にきらきらと映えて」
「あの、そういうドレスですから」
「ほら、羽もついてる」
「だから、そういうドレスなんですっ」
「……僕の天使さま」

 うわわわわ、恥ずかしい……!
 せ、先生ってときどきこういう台詞、恥ずかしげもなく言っちゃうんだから!

さん」
「は、はい!?」

 両手で頬を包まれて、先生を見上げる。
 挙動不審な私に対して、先生は瞳をきらきらに輝かせて、本当に幸せそうに微笑んで。

「……メリークリスマス。来年も、君に幸多い年でありますように」
「先生……」
「来年も……僕の天使が幸せでありますように」
「来年も、先生が新しい幸せと贅沢を覚えられますようにっ」

 私も負けじと、笑顔で先生の幸せを祈った。

 たくさんたくさん、人間に絶望するくらいに暗闇をさまよってた先生。
 どうか、この先は光溢れる幸せに満ちてますように。

 お互いの幸せをツリーの前で祈って、私たちはもう一度肩を寄せて抱き合った。



 その後、こそこそとパーティ会場に戻った私と先生。
 ちょうどプレゼント交換の時間に間に合って、そ知らぬ振りしてみんなの輪に戻って。

 私にまわってきたのは氷上くんが出したシルクスクリーン。とっても素敵。
 ちなみに私が出したElicaブランドのノベルティミニハンカチは、元野球部マネージャーにあたったみたい。

 今年は先生のプレゼントに当たらなかったけど、全然気にならなかった。

 お互いの幸せを祈れたことが、何よりのプレゼントだったから。


 パーティがお開きになって宿泊ロッジに戻ったあと、はるひたちにあかりのことを教えた。
 そんなわけだから、その後は消灯時間が過ぎてもベッドの中で交わされた話題は、もっぱらあかりと瑛のこと。
 ふふふ、この場に当事者がいないからって、みんな好き勝手言っちゃって。

 長い時間女の子同士で語り合って、結局眠りについたのは夜中をだいぶまわったころだと思う。
 明日は、みんな寝不足スキーだな。

 私はベッドの柱にガラスの天使のネックレスをかけて、眠りについた。


 こんな感じで、最後のクリスマスイブの夜は過ぎていった……。

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