いよいよ最後の文化祭当日を迎えた。
 悔いの無いように、目一杯楽しむんだ!


 56.3年目:文化祭学園演劇


 体育館のステージプログラム午前の部のトリは、羽ヶ崎学園名物『学園演劇』。
 なんといっても、今年の主役は瑛がやるっていうんだから体育館は朝から女子の場所取り合戦。
 見かねた生徒会と教頭先生が急遽整理券を発行して(即席で作っちゃう手際のよさがスゴイ……)、他のプログラムに迷惑がかからないように四苦八苦してた。

 ちなみに、学園演劇実行委員に参加してる生徒には一人3枚の整理券が配布されたみたい。
 私と一緒に文化祭喫茶展示食い倒れツアーに参加してた志波くんとクリスくんに、さっきあかりが整理券をくれたんだ。

「指定席になってるんだよ。女子の間では、売買もされてるみたい」
「ほんとに!? さすが瑛……」

 手渡された整理券には通し番号が入ってて、それが直接座席番号にもなってるみたい。
 ちなみに私の番号は2。志波くんとクリスくんがそれに続いて3番と4番だ。

「1番は?」
「実行委員顧問特権です、って」
「先生が取ったんだ……」

 あ、志波くんが噴出した。

「ありがと、あかり。特等席でちゃんと見るからね」
「うん、がんばるね!」

 ぐっとこぶしを作って気合を入れるあかり。
 でも、すぐにその表情が曇っていく。

「あれれ、どないしたんあかりちゃん? ヒロインがそんな顔しとったらあかんよ?」
「うん……そうだね、クリスくん」
「何か心配事でもあるのか」
「……瑛のこと?」
「そう。瑛くんのことなんだけど」

 はぁ、と。あかりは小さくため息をついた。
 志波くんが近くの椅子をあかりに勧める。
 ちょこんと腰かけて、あかりはもう一度ため息。

「瑛くん、最近ずっと具合悪そうなんだけどね。聞いてもなんでもないって言うし、無理に休ませようとしたら逆に意固地になっちゃって。昨日はマスターが気を利かせてくれて珊瑚礁を早く閉めてくれたんだけど」
「うん。今日の瑛、朝から顔色悪かったよね」
「最近はぼーっとしてることも多いし。でも私が心配すると怒るんだよね、瑛くん……」
「「「(あー、なんかわかるわかる……)」」」

 私と志波くんとクリスくん。三者三様に頷いたけど、きっと考えてることは同じ。

 いくらあかりや私たちが瑛にとって仮面をかぶらなくていい相手だとはいっても、それでも瑛は完璧であろうとしてるもんね。
 それに、瑛にとって、あかりは一番かっこつけたい相手でもあるんだから。

「あかりちゃん、今日の出番が終わったら瑛クンも休めるようになるやろ? どうにもならない今の心配して可愛い顔曇らすより、終わったあとに優しくしてあげればええやん」
「そうだよ、あかり。瑛の心配ばっかりして、台詞トチらないでよ?」
「……だな」
「もう! 心配してくれてるの、クリスくんだけなんだから! ちゃんも志波くんも、意地悪っ」

 ぷーっとふくれっつらして、上目遣いで睨みつけてくるあかり。
 こんなときでもデイジー節は健在だ。

「あかり、そろそろ行かないとマズイんじゃない?」
「あ、ほんとだ。それじゃあね、ちゃん、クリスくん、志波くん。私、がんばるからね!」
「ステージまん前で応援しとるからな〜?」
「ああ。ガンバレ」

 それじゃあねっ、と元気よく立ち上がってあかりが2年生の喫茶店を出て行く。

 あかりが出て行ったあと、私たちは注文しそこねていたケーキを追加注文した。
 そもそも、あかりが来るまではこの3人で喫茶店の梯子をしていたんだよね。
 誘ってくれたのは志波くんだ。

「天地と西本から『文化祭スイーツ目玉マップ』っての貰ったんだが……行くか?」
「行く!」

 美術部の展示休憩中のクリスくんと偶然廊下で出会っておしゃべりしてたところを、志波くんが声をかけてくれて。
 私とクリスくんは両手を上げて返事した。

 ちなみに今は3軒目。

「来た来たっ、2−Cのイチゴショート! ショッピングモールの新店から仕入れてきたんだって?」
「はい! うちのクラスの子がねばりにねばって、卸してもらったんです」

 運んできた子は嬉しそうに笑って教えてくれた。

「ここは天地のクラスだからな」
「天地くん偉い! こんなイチゴたくさんでスポンジふかふかのケーキ、卸値で食べられるなんて〜!」
ちゃん、めっちゃええ笑顔やんな?」

 そりゃあもう。
 去年と違って無理なバイトはしなくていいといっても、そうそう嗜好品が食べられるようなゆとりある生活でもないんだもん。
 私はぱくりと一口。

 あああああま〜い! 幸せ〜……。

「クッ……お前、顔ゆるみすぎ」
「だっておいしいんだもん!」
「だったら、これも食うか?」

 そう言って、志波くんは自分のケーキを指した。
 志波くんが食べてるのは紫いものモンブラン。確かにそれもおいしそう……。

「い、いいよそんな。志波くんだって甘いもの好きじゃない」
「女の子が甘いモン食べて、ふにゃら〜幸せ〜♪ ってなってる顔の方が志波クン好きやもんな?」
「ああ。だな」
「し、志波くん、否定しないんだ……」

 うう、なんか志波くん、夏以降すっかりオトナな雰囲気になっちゃったよね。
 高校生ドラフトもけって、一流体育大学の推薦も貰って順風満帆。

 それに。

 最近、休日の朝の森林公園。
 藤堂さんが時々一緒にいるんだよね。
 私だってそこまで鈍くない。
 まだ付き合ってるわけじゃなさそうだけど、なんとなくいい雰囲気なのはわかる。

 くうう、余裕ぶっちゃってっ!

「やっぱり一口もらう! えいっ」
「好きなだけ食え」
ちゃん、僕のガトーショコラも食べてえーよ?」

 私たち3人は、そんなこんなで和気藹々とケーキを食し。
 学園演劇を見に体育館へと移動した。


 アンデルセンの人魚姫。
 とても美しくて、悲しい物語。

 観客席は満員御礼で、立ち見客も出てた。
 最初こそ、瑛が登場するたびに歓声を上げてた女子も、役者たちの迫真の演技に引き込まれて今では息を飲んで劇の進行を見守っている。

 ちなみに、あかりの人魚の衣装は生徒会と職員会議が大きく譲歩して、チューブトップを許可してた。
 でも、セクシーというよりはキュートな感じ。
 髪にフェイクのパールを散らして薄くお化粧したあかりは、本物の人魚みたいだった。

 ステージの上では王子の結婚祝賀パーティ中。
 王子に扮した瑛が、悲しみを胸に押し込めてけなげに王子を祝福する人魚姫、あかりとダンスを踊っていた。

「ああ、私はなんと幸せなのだろう。あの嵐の日に助けてくれた姫と、こうして結婚できるとは。君も、私の結婚を祝福してくれるだろう?」

 瑛の言葉に、あかりが笑顔を浮かべて頷く。
 あかりは心の底から人魚姫になっているみたい。笑顔は確かに浮かべてるのに、目がとても悲しそうにゆれている。

「……っ」

 瑛の顔が、一瞬ゆがんだ。

「どうしたんだろう……瑛、台詞忘れたのかな」

 なかなか次の台詞が出てこない。
 ハラハラしながら見つめていると、瑛は笑顔を貼り付けて台詞を続けた。

「そうか、ありがとう。こんなに幸せなことはない……」

 ほ。どうにか舞踏会シーンはつながった。
 やっぱり、体調が悪いのかな。ステージの上でライトを浴びてるのに、顔色の悪さがよくわかるもん。

 舞台暗転。
 この隙に、私は隣の若王子先生にこそっと聞いた。

「先生、始まる前に瑛の様子見てきてるんですよね? どんな様子でした?」
「ちょっと顔色がすぐれないようでした。今日この舞台だけだから、ってカラ元気は見せてましたけど」
「そうですか……大丈夫かなぁ」
「大丈夫。佐伯くんは意思の強い子だから。……ちょっと、強すぎるところもあるけど」

 本当に。瑛は自分の弱みを見せるのをすごく嫌がるから。

 ステージ上は場面が変わって、あかりが人魚の姉たちから短剣を受け取ったところだった。
 舞台は暗いまま、あかりにピンスポットがあたってもう一度舞台転換。
 その間は、人魚姫の心の中の独白シーンだ。

「王子さまと一緒にいられるのも今夜限り。
 王子さまのために家族も捨て、声も失ったというのに。
 愛する王子さまは、嵐の日に助けたのは本当は私だということをご存知ない。
 嵐の日に助けてくれた人を愛してるとおっしゃって、別のお姫さまを愛してしまった。
 明日の朝日を浴びれば、私は海の泡となって消えてしまう。
 再び人魚として命を得るには、このナイフで愛する王子さまを殺さなくてはならない……」

 あかりの独白。
 淡々とした演技だけど、言葉に力がある。
 人魚姫の切ない心情が、ひしひしと伝わってきた。

 王子さまと一緒にいられるのも、今夜限り……か。

 先生もそうなんだよね。
 先生と一緒にいられるのも、あと少しだけ。

 少しだけ切なくなって、私は制服の胸元をきゅっと握り締めた。

 舞台では、王子である瑛の寝室に人魚姫がこっそり忍んできたところだった。
 短剣を握り締めて、王子の寝顔を見つめる人魚姫。

「王子さまを殺せば、私は家族のもとでまた元通り暮らせる……人魚に戻れる……」

 人魚姫が短剣を振りかざす。
 一瞬の逡巡。
 そして、人魚姫は短剣を手から取り落とした。

「そんなこと、できるはずがありません。さようなら、王子さま。私は海のあわとなってしまいますが、あなたの幸せを祈っております……」

 そして人魚姫は、王子に最後のキスをする。
 ……ふりをする。
 人魚姫は体を翻し、そのままステージ端の海のセットへと身を、


「行くな!!」


 ……投げなかった。
 あかりが驚いて振り返る。
 観客も驚いて王子を見る。

 そう。
 今、人魚姫を止めたのは、王子である瑛だった。

「あ、あれ? ここって王子の目が覚めるシーンじゃないですよね?」
「王子は眠ったままで、翌朝部屋の中に落ちてる短剣に気づく、というシナリオのはずです」

 学園演劇顧問の若王子先生も知らないってことは、新手の演出というわけでもなさそうだ。

 ざわつく観客をよそに、ベッドから立ち上がった瑛は、一歩一歩、身投げし損ねたあかりに近づいていった。

「お前が消えるくらいなら、オレが消える! 誤解するな、いい加減気づけよ! オレが好きなのは、お前だっ!」

 ざわっ

 観客席が大きくどよめいた。

 あれ、演技だよね?
 すっごい迫真の演技だね。
 佐伯くん、スゴイ……
 でも人魚姫ってこんな話だったっけ?

 そこかしこから、ヒソヒソと話し声が聞こえてくる。


 て、て、瑛……。
 演劇と現実が、ごっちゃになってるー!?


「瑛くん……!?」

 あかりが驚いて瑛の名を呼ぶと、虚ろだった瑛の瞳に光が戻った。
 ああ、やっぱり我を失ってたんだ。
 ぴきんと硬直する瑛。

 どーすんの、どーすんのよ瑛ー!?

 しかししかし、さすが瑛! 機転が利く!
 瑛はがしっとあかりの肩を掴んで、言い切った。

「……共に、いこう」

 真摯な瞳で。力強く。

「はい」

 あかりも、頷いた。

 そして二人は抱き合ったまま、海のセットの中へと飛び込んだ!!
 少し遅れて水しぶきの効果音。
 そしてさらに遅れてエンディング曲がしっとりと流れ出した。

 観客席は最初唖然とした空気に包まれていたけど、やがてぱちぱちと拍手が鳴り出した。
 最後には割れんばかりの大喝采。
 な、なんとか学園演劇、成功だ!

「先生、私、舞台袖に様子見に行ってもいいですか!?」
「はいはいっ。先生も一緒に行きましょう」

 最前列に座ってた私と先生、それから志波くんとクリスくんはそそくさと移動して舞台袖の体育準備室へ。
 学園演劇の控え室としても使われてる場所だ。
 私たちが入ってドアを閉めたのと、あかりが悲鳴を上げたのはほぼ同時だった。

「瑛くん、しっかりして!」
「あかり!? どうしたの!?」

 海のセットのすぐ横にある舞台袖の一角で、学園演劇の委員が集まってた。
 演出を担当してたはるひやハリーの姿もある。
 その人たちをかきわけて輪の中心に入ると、瑛がぐったりした様子であかりに抱えられていた。

ちゃん、若王子先生っ! 瑛くん、すごい熱があるの!」
「ほんとに!? もう瑛! 無理しすぎだよ!」
「すぐに保健室に運びましょう。志波くん、手伝ってください」

 先生がてきぱき指示を出して道を開けさせて、志波くんがあかりの反対側から瑛の体を支える。

 ところが瑛は、その志波くんの手を振り払った。

「瑛くん、志波くんだよ。保健室に行こう?」
「……嫌だからな、オレ……」
「瑛クン、わがまま言うたらあかんて」

「絶対、嫌だからな、あかり」

 瑛はあかりの肩をしっかりと掴んで、熱にうかされた瞳で見つめた。

「一緒に死ぬなんて、駄目だ。一緒に、生きるんだからな、あかり……」
「……瑛くん」
「共に、生こう」

 ……瑛。
 今も舞台と現実が交錯してる。

 実行委員のみんなはみんな回れ右をして、聞かぬ振り。
 志波くんとクリスくんは顔を赤くして、どうしていいやら困り果ててる様子。

 そんな中、オトナの若王子先生は「おやおや」と微笑んで。

「海野さん、君も一緒に保健室に行こう。佐伯くんの容態が落ち着くまで、側にいてあげてください」
「は、はい!」
「うん。じゃあ志波くん、手伝ってください。体育館の中を通ったら大騒ぎになっちゃうから、このまま外に出て化学準備室を経由して行きましょう」

 目を閉じてしまった瑛は、今度こそ先生と志波くんに担がれる。

ちゃん、ファッションショーまでまだ2時間あるよね? 瑛くんは無理かもしれないけど、私はちゃんと見に行くから!」
「無理しないでいいよ、あかり。おとうさんについててあげて」
「うん……」

 あかりははにかんだ。
 瑛も無理したかいがあったかも。少しはあかりの心にも響くものがあったみたい。

さん」

 グラウンド側に出る直前、先生に声をかけられる。

「はいっ」
「ファッションショー、がんばってくださいね?」
「あ、はい……」

 にこっと笑って、先生は志波くんと一緒に瑛を抱えて出て行く。

 あかりと瑛は一応大団円だけど、私はどうやら最後の文化祭、不完全燃焼で終わっちゃうかも。
 はぁ。

 とため息ついてたら、後ろからはるひにチョップされた。

「何ため息ついとんねん。これから花嫁さんになる乙女が、暗い顔しとったらあかんて」
「そ、そうだけどさぁ」
「竜子姉から話は聞いとる。アタシが絶対若ちゃんをファッションショー会場に連れてくから、安心せぇ!」
「ほんとに? 期待しちゃうよ?」
「はるひサマに任せなさい」

 どんと胸を叩くはるひ。
 でも、確かに。はるひがやると言ったことは、ほぼ100%その通りになるんだよね、なぜか。

 私はちょっとだけ気持ちを取り直し、よしっと気合を入れた。

 最後なんだ。
 私だけの舞台じゃないんだから、しっかりしなきゃ。
 本調子じゃない瑛があれだけがんばったんだから、私も気合いれてがんばるぞっ。

 最後のファッションショーのオオトリ。
 本日最後の体育館プログラムまで、あと2時間!
 まずは、腹ごしらえだ!

「クリスくん、密さんと合流して、ごはん食べに行こう!」
「せやな! 行こ行こ〜♪」

 私はクリスくんの背中を押して、舞台袖を出た。

Back