10月下旬。学校が俄かに賑やかになる時季。
 いよいよ、3年目の文化祭が始まる。


 54.3年目:文化祭準備


「決まったぞ」

 氷上くんが教室に入ってくるなり、3−Bの全員が注目する。

 10月最終土曜日、放課後。
 今日は、文化祭学園演劇の演目『人魚姫』の配役が決定する日だった。

 氷上くんは教壇に登ってこほんと一度咳払い。

「主役二人が決まった。残りの役は立候補制となった」

 今年の学園演劇の主役、つまり人魚姫と王子役は全校投票で決めることになったんだよね。
 選ばれた人は出演辞退は許されないという……ある意味恐怖の投票でもある。

 事前のはるひ&ハリー予想では、王子役には瑛や若王子先生や藤堂さんが最有力候補って言ってたっけ。
 対して人魚姫にはあかり、密さん、それから……私。
 藤堂さんが王子になるんだったら、人魚姫役やってもいい……!!

 などと思いながらやってきた、配役投票日。
 生徒会執行部で開票作業が終了して、今、各クラスに速報がいってるはずだ。

 3−Bは会長のクラス、ということで氷上くんから直接報告。
 結果が気になる生徒は居残って、いまかいまかと待ち望んでいた瞬間だ。

「まずは人魚姫! 喜びたまえ、我がクラスの誉れだ! 海野あかりくん!」
「「えっ」」

 あかりと、ついでに瑛の声が重なる。

 おおー、という歓声と共にクラス中から温かい拍手が起こる。
 弾かれたように立ち上がったあかりの顔が見る間に赤くなっていった。

「ええんちゃう? あかりが人魚姫!」
「そ、そんなぁ、私、演劇なんて小学校の学芸会以来だよ!?」
「あら、そんなのあかりさんの魅力で演技力をカバーしちゃえばいいのよ」

 はるひと密さんにからかわれて、あかりはますます赤くなっていく。
 逆に、隣の席の瑛はどんどん眉間の皺が深くなっていた。

 これは王子役によってはまた爆弾爆発するかも……。

 が。

「続いて王子役! なんと王子役も我が3−Bから選ばれた! 佐伯くん! 君だ!」
「……は?」

 瑛の眉間の皺が、一瞬で無くなった。
 ぽかんとして、慌てて立ち上がる。

「だ、駄目だ! オレ、じゃなくて、僕は放課後は……!」
「今さら何を言うんだい、佐伯くん? 学園演劇全校投票で指名された生徒に、拒否権はない!」
「横暴だ!」
「民主主義とはそういうものだ」
「くっ……」

 氷上くんの方が一枚上手。
 でも、瑛には珊瑚礁の手伝いがあるんだもんね。

「諸君、我が3−Bの誉れ高き二人に今一度拍手を!」

 ぱちぱちぱち……

 戸惑うあかりと不機嫌絶頂の瑛を、クラス中の温かい拍手が包んだ。

 うーん、ふたりとも珊瑚礁のバイト、どうするのかな……。


「そうですか、佐伯くんと海野さんで人魚姫を」
「はい。でも二人とも同じバイト先でしょう? 瑛があのあともう一度生徒会に掛け合ってくるって、すごい剣幕で出て行きましたよ」

 あのあと私は当番の化学準備室の片付けへ。
 先生が結果発表のあとでもいいって言ってくれたから、ちょっとお言葉に甘えちゃったんだ。

 私は化学室の清掃を終えて、先生に誘われるまま化学準備室でビーカーコーヒーをごちそうになってた。

さんはなにか役を貰ったんですか?」
「いいえ? 今回は主役二人だけが投票で決めることになってましたから。それに、文科系部活所属者や手伝いの人は免除なんですよ? 先生、知らなかったんですか?」
「や、そういえば教頭先生がそんなことを言ってた気もします」
「せんせぇ……」

 ジトっとした視線を向ければ、珍しく事務処理なんてしてた先生が手を止めていたずらっぽく微笑んだ。

「じゃあ、さんは今年も手芸部のモデルですね」
「夏合宿から参加してましたしね! すっごく楽しみです! 今年はウェディングですから!」
「純白の花嫁ですか……」

 先生はペンを持ったまま机に両肘を突いて、組んだ手にあごを乗せる。

「確か日本には、結婚前にウェディングドレスを着ると婚期が遅くなる、っていう迷信がありましたね」
「う、や、やなコト言わないでくださいよ、先生……」
「やや、すいません。でも大丈夫、君は外見も内面もとても美しいから。心配する必要なんてない」

 にっこり笑顔でそんなこと言われても。
 耳まで赤くなりそうになるのをごまかすために、私はコーヒーを一気に飲んだ。

「……私の出番はオオトリなんです。コンビを組んでるのが手芸部部長だから。最後はセレモニー形式を取るんですよ。体育館の入り口から壇上までをバージンロードに見立てて」
「へぇ。神父さんもいるんですか?」
「はい! 花嫁のお父さん役は教頭先生にやってもらおうか、って案もあるんですよ」
「やや、それは怖いお父さんです。新郎は一苦労ですね」
「ふふふ、実際にお父さんだったらそうでしょうね。でも、今回の新郎なら大丈夫ですよ」

「えっ」

 突然。
 先生が目を見開いて頬杖をついてた腕を崩した。
 笑顔も消えて、表情がこわばってる。

「新郎……新郎役がいるんですか?」
「はい。セレモニー形式って、言ったじゃないですか」
「君が、花嫁で」
「はい。そうですけど?」

 がたんと、先生が席を立った。
 机の角に足をぶつけながら、がたがとやってきて、がしっと私の肩を掴む。

「せ、せんせぇ?」
「誰ですかっ、君の、新郎役をやろうと言うのはっ!」

「藤堂さんですけど」

 私は驚きのあまり目をぱちぱちと瞬かせながら答えた。

 すると先生も、ぽかんと口を開けて目をぱちぱち。

「……藤堂さん?」
「はい。新郎役、誰に頼もうか、って手芸部の部長と相談したときに、二人とも一番に浮かんだのが藤堂さんだったんです。カッコいいと思いませんか? 藤堂さんのモーニング姿!」
「……カッコいいと思います」

 ほ、と息をついて、先生は近くの椅子を引き寄せて座る。

「どうしたんですか? そんなに慌てて……」
「ちょっと、嫉妬しました」
「え?」
「や、学園アイドルのさんの新郎役なんて、男子生徒がやったら、他の生徒が嫉妬に狂うんじゃないかと」
「またぁ。大げさですよ先生」

 あははと笑うと、先生はそうかな、と首を傾げながらも微笑んだ。

「あの、先生、お仕事終わったんですか?」
「あとちょっとで終わります。化学の小テスト、さんは満点でした」
「お勉強に手は抜きません!」
「うん、偉い偉い」

 なんだ、事務処理してると思ったけど採点してたんだ。

 ……あと、ちょっと、か。

「先生……待ってていいですか?」
「ん?」
「その、今日このあと用事がないなら、一緒に帰りませんか? 駅まででも……」

 ちょっと恥ずかしくて、手元のビーカーに視線を落としながら先生を誘う。
 今までも、何度か学校から一緒に帰ったことはあるけど、いつも玄関や校門で偶然会ったときだけだ。
 こんな風に学校内で約束をとりつけるなんてのは初めて。

 もじもじと手を動かしながら先生の返事を待ってると、小さなため息が聞こえた。
 あ……困ってる?

「ご、ごめんなさい! 今のナシです、私、帰ります!」
「やや、待ってくださいさん」

 ビーカーを机に置いて、私は鞄を手にとって慌てて立ち上がった。

 ところが、先生は私の右腕を掴んで引き止める。
 振り向いた先には、優しい笑顔。

「先生、ちゃっちゃっと終わらせますから。待っててもらえますか?」
「で、でも、迷惑なんじゃ」
「そんなことないです」

 先生は私の両肩を押さえて座らせた。
 そしてそのまま額をつき合わせて、

「さっきのは感嘆のため息です。だから、おとなしく待っててください」
「……ハイ」
「よくできました」

 先生はにこっと邪気のない笑みを浮かべてから離れ、割り当てられたデスクに戻って採点を再開した。

 ……なんだか。
 最近、先生のオトナの魅力にいいように丸め込まれてる気がする……。

 釈然としないものを感じながらも、私は言われたとおり待つことにした。

 手持ち無沙汰だったのでフラスコサイフォンとビーカーを洗浄して、それが終わった頃には先生のお仕事も終わって。
 私たちは暮れの早まった秋空の下、肩を並べて帰った。

 電車の中、他の生徒がいないことを確認して、手をつないだ。

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