志波くんは約束を守ってくれた。
 はね学野球部、決勝戦進出!!


 52.夏の終わり


 夕飯を食べているときに、あかりから連絡網が回ってきた。
 学校でバスをチャーターしてくれたらしくて、応援希望者は日帰りで甲子園に行けるんだって!
 勿論私は即参加の返答。

 明日は志波くんからもらったボトル缶にスポーツドリンク詰めて持っていこう。
 それから、お守り代わりにあのリストバンドも着けて行こう。

 などと、ばたばたと明日の準備をしていたら携帯が鳴った。

 『志波勝己』

 私はコール3回目の途中で慌てて携帯を開いた。

『もしもs』
「もしもし、志波くんっ!? おめでとう! はばたき駅のオーロラビジョンで見てたよ準決勝!! 逆転タイムリーのスリーベース、すごかったじゃない! 明日甲子園行くからね、スタンドでみんなと一緒に応援するから!」
『…………』
「あれ? 志波くん?」
『……あ、あぁ。サンキュ』
「あ、ご、ごめん。私、ちょっと今日の試合に感動しちゃって」
『いや、いい。……今大丈夫か?』
「うん、ご飯も食べ終わったし。志波くんは? 今日はもう自由時間?」
『ああ』

 携帯から聞こえてくる志波くんの声は、連戦の疲れも感じさせない穏やかな口調。
 今どこからかけて来てるのかな。

 と思ったら。

『志波センパーイ、カノジョに電話ですかぁー?』
『なっ……お前ら、さっさと寝ろ!』
『まだ9時前っすよー!』

 ふふふ。宿舎からだ。
 なんかこんな風に後輩にからかわれてる志波くんて、意外かも。

 最初に会った頃って、なんだか人を寄せ付けない雰囲気でぴりぴりしてたのに。
 野球部に入ってからは、いつも表情が生き生きしてた。
 青春してるんだなぁ、志波くん。

『悪ィ……』
「ううん、いいよ。志波くん、後輩にモテモテだね?」
『……それは褒め言葉か?』
「うん。大絶賛」
『男にモテて嬉しい男は稀だと思うぞ』
「あはは、そっか」

 あ、通話口の向こうからため息の音。

「それで志波くん、どうしたの?」
『ああ……』
「ん?」

 志波くんが口を濁して押し黙る。

 どうしたんだろう。
 決勝戦を前に、緊張してるのかな。

 ……多分そうなんだろう。
 なんと言っても高校野球の頂点を極める甲子園の決勝戦だもん。
 特にはね学は、初出場初優勝の期待を背負ってるんだし。

 よし。
 ここは友達として気持ちを軽くしてあげなくては!

「志波く」


 ありゃ、かぶっちゃった。

『……なんだ?』
「ううん、志波くんからどうぞ」
『そうか』

 そう言ったきり、また志波くんは黙る。
 しばらく黙って言葉を待ってたら、志波くん独特の喉を鳴らしたような笑い声が聞こえてきた。

、サンキュ。落ち着いた』
「ええ? 私なにもしてないよ、っていうか、これから志波くんの気持ちほぐしてあげようと思ってたのに」
『いや、いい。もう十分だ』
「そ、そう?」
『ああ。……
「なに?」

 ふーっと長く息を吐いてから、志波くんが言った。

『明日、見ててくれ。無様な試合は絶対しない』
「うん。私も精一杯応援するね」
『ああ。それから……』
「なに?」
『……いや。じゃあ、明日』
「うん? 明日ね。がんばれ、かっちゃん!」
『クッ……ああ、わかった』

 よし、最後に志波くんを和ませるのに成功したぞっ。
 ぐっと片手でガッツポーズをして、私は携帯を切った。

 願わくば、明日は全力のガッツポーズが出来ますように!


 試合開始1時間前。スタンドはもう満員御礼だ。
 私たちは学校が用意してくれたメガホンをガンガン叩き鳴らしながら、テンションを上げていった。

「本当に甲子園なんだね。なんか私、もう涙出そう」
「ダメだよあかり〜。来れなかった瑛の分も応援するんでしょ? 泣くのは勝ってからだよ!」
「せや! ほら、応援部と一緒に応援練習するで? 志波所属の野球部応援やから、天地も気合入っとるし、竜子姉も特別参加や!」

 はるひが指すスタンド最前列では、灼熱の太陽の下、詰襟の学ランをぴっちり着込んだ応援部の天地くんが声を張り上げていた。
 吹奏楽部の水島さんも、野球部と一緒に初日から甲子園入りしてる。コンバットマーチ、大会前に緊急練習したって言ってたな。
 珊瑚礁の手伝いで来れなかった瑛も、今日だけはお店でラジオ中継流すって言ってたし。
 ハリーは若王子先生と共に、すでにリミットブレイク状態。
 隣の氷上くんも巻き込んで、大声を張り上げてる。
 ちなみに小野田ちゃんは巻き込まれた氷上くんの代わりに、生徒会代表として先生たちと応援部の間を行ったりきたり。
 クリスくんは美術部お手製の横断幕を張るのに、一生懸命だ。

 ……若王子先生、教員席にいなくていいのかな。

「あ、どうしよう。試合始まる前にだいぶ飲んじゃった」
「暑いからなー、甲子園。今ならまだ売店行けるんちゃう?」
「そうだね。ちょっと買ってくる!」

 家で凍らせて持って来たスポーツドリンク。もう半分以上無くなってる。
 私は今のうちに補給しておこうと、売店へ向かった。



「うわぁ、急がなきゃ!」

 思いのほか売店は込んでて、なんとかミネラルウォーターを買うことが出来たけど、だいぶ時間を食ってしまった。
 私は小走りで観覧席最寄の階段に走る。

 ……と。

「あれ?」
「あっれー、? あ、そっか! アンタはね学生だもんね!」
「藤井さん! それに、姫条さんに……小波さんと、は、……づきさんまで」

 駆け上がった階段を、後ろ向きに2段下がる。
 階段下のせまいスペースに、なんとはば学OB生が揃ってた。
 いけないいけない。葉月さんがばれたら大騒ぎになっちゃう。

「うわぁ、偶然ですね! あ、もしかして応援に来てくれたんですか!?」
「あったりまえやん! 同じはばたき市の代表やで? はね学現役生の負けへんように、バリバリ応援するからな!」
「葉月さんも、お仕事の合間に、忙しいのに……」
「たまたまこっちでの仕事片付いて、タイミング合ったから。俺、ちゃんと応援する」
「ありがとうございます! 小波さんも、お久しぶりです!」
「久しぶりね、さん。私たちはバックネット裏から応援してるから。優勝できるといいわね?」
「はい!」

 嬉しいなぁ……。
 別の学校のOBが、こんな風に駆けつけてくれるなんて。
 初出場初優勝をかけて、はばたき市全体が盛り上がってる証拠だよね!

、時間大丈夫?」
「あ、いけない! 急がなきゃ。それじゃあみなさん、応援よろしくお願いします!」
「おうっ! ニィやんに任せとけっ!」

 切れ長の瞳をきつねのように細めて笑って、姫条さんが親指を突き出した。
 それにならって、小波さんと藤井さんもぐっと腕を前に突き出す。
 チューリップハットをかぶった葉月さんは、ワンテンポ遅れて腕を上げた。

 私も満面の笑顔で、拳を突き上げて返した。


 観覧席に戻ると、ちょうどはね学野球部がグラウンドでの軽いアップを終わらせて、応援席に向かって整列してるところだった。
 ぎりぎりセーフ!
 私はメガホンを手に取って立ち上がる。

「遠くはばたき市から応援に駆けつけてくださって、ありがとうございます! 精一杯戦い抜きますので、応援よろしくお願いします!」

 去年、練習試合の最中に頭を怪我した彼は、今年の野球部主将。
 キャプテンの挨拶と共に、全野球部員がキャップを取って、深々と礼をした。

「がんばれよー!!」
「期待してるぞー!!」

「おーい志波やーん! ここから応援しとるからなー!」
「志波くん、がんばってね!」
「がんばれ、かっちゃーん!!」

 はるひとあかりと私で、一際大声で志波くんに声をかけると、気づいてくれた。
 私はリストバンドをはめた腕を振り回す。
 志波くん、力強く右腕を突き上げてくれた。

「いよいよやな!」
「うん、いよいよだね!」

 審判団が入場して、互いのチームがホームベースをはさんで整列する。
 会場のボルテージは最高潮!

 はね学の後攻。主将がエースピッチャーだ。

 大きく振りかぶって、渾身のストレート!

「ストライーク!!」

 オオオオオオ!!

 試合開始のサイレンは、観客席から響く地響きのような歓声に掻き消された。

 がんばれ、志波くん。


 試合は大接戦の投手戦になった。
 こちらの主将はするどいストレートと、キレのあるシュートを武器に、相手打線を沈黙させている。
 対する相手チームは打たせてアウトをとるタイプの投手。さすがに甲子園決勝、どちらもなかなか点が取れない。

 試合が動いたのは終盤にかかってからだった。

 7回の表、炎天下の甲子園で一人で投げ続けてたうちの主将。
 疲労が見えてきたな、と思ったら、甘く入ったストレートをバックスタンドに運ばれてしまったんだ!

「ああーっ!!」

 はね学サイドの応援席から悲鳴に近いため息が漏れる。
 肩で息をするマウンドの主将。そのまわりを、大歓声に包まれながら一周する相手チームの4番。

『ついに先制点が入りました! 先制は関東代表の倉泥臼高校!! はね学エース、ついにつかまりましたっ』

「何言うとんねん! まだ1点やないの!!」

 氷上くんから奪い取った携帯ラジオに向かって、はるひが檄を飛ばす。

「これからやで! 天地っ、気合入れたらんかいっ!!」
「押忍っ!!」
「そうだよ、まだまだこれから! 1点なんて、志波くんがすぐ取り戻してくれるよ!」

 意気消沈してしまいそうなはね学生たちを、私たちで盛り上げる。
 そうだ、これくらいで気落ちしててどうするっ!
 戦ってるのは、志波くんたち野球部なんだから。

 天地くんたち応援部の応援や、私たち3年生を中心とした激で、はね学応援席は元気を取り戻す。
 まぁそのせいではないだろうけど、その回は失点を1で抑えきった。

「次、応援は3番で行きます! ヨロシクお願いします!」

 天地くんの合図で、はね学応援席のみんなは一斉にメガホンを鳴らし始める。
 吹奏楽部の金管中心のコンバットマーチが高らかに響き、応援部の力強い応援が始まった。
 藤堂さんも、最前列中央で声を張り上げている。

「気張ってけェ、志波ァ!!」
「カッセ! カッセ! はーねー学! かっとばせェー、志ィー波ァ!!」

 みんな一丸となって応援していた。
 私も、リストバンドをはめた腕を握り締めながら、声を枯らして叫んだ。


 でも、結局はね学は点をあげられないまま、9回の裏を迎えていた。
 点差は1−0のまま。
 でも、打順は1番からの上位打線からだ!

『さぁ、はね学最後の攻撃。まずは同点なるか。4番の志波までまわればチャンスは大きいが、どうか!?』

「がんばれ野球部ー! 最後まで諦めんなぁー!!」

 ハリーってば、来週ライブやるって言ってたのに、声がガラガラ。叫びすぎて、枯れちゃったんだ。

 応援席はみんなが神妙な顔をして応援を続けていた。
 ハリーや若王子先生のように最後まで希望を捨てずに声を張り上げている人。
 あかりのようにぎゅっと目を閉じて、腕を組んで祈ってる人。
 はるひのように、固唾を呑んで見守ってる人。

 私はもうボコボコになってしまったメガホンを座席に叩きつけながら、一生懸命声を出していた。

『ピッチャー振りかぶって……投げたっ、ストレート、打ったぁー! しかし、打ち上げてしまったぁー! ライトがバックして……とった、まずは1アウトォ!』

 ウオオオオオ!!

 先頭バッターがライトフライに討ち取られて、はね学サイドからため息がもれる中、相手チームの応援席からは大歓声が起こる。

 お願い、志波くんまでまわしてっ……。
 きっと、きっと志波くんなら打破してくれるはず!

『はね学2番は、今日2塁打を打ってる2年生です。ピッチャー4球目、投げた! ……ああっ、ボール球に手を出してしまった! ストライク! はね学早くも2アウト! 万事休す! 初出場初優勝の夢は、潰えてしまうのかっ』

「だぁぁ! ビビってんじゃねーよ! ボールよく見ろ!」
「ああっ、あと一人です……!」

 怒声を張り上げるハリーに、弱弱しい悲鳴をあげる小野田ちゃん。

「がんばれーっ! がんばれはね学ーっ!」
「最後まで諦めないで! がんばってくださいっ!」

 氷上くんと若王子先生も、必死に叫ぶ。

『はね学、ラストバッターとなるのか! それとも4番、志波まで回せるか! ピッチャー第1球、投げた! ボールです、さすが3年生、よく見てます』

 バッターボックスで、相手投手を睨みつけるようにしてバットを構える3番打者。
 次に控える志波くんはゆっくりとした動きで、バットを支えにして屈伸したり、スイングしたり。

 つなげてほしい。がんばって、3番!

『第2球はファール、第3球もファール。さぁ、早くも後がなくなったはね学! 最後の1球となるか、ピッチャー振りかぶった、投げた! 打ったぁぁ! しかし、サード目の前だっ……』

「あああああーっ!!」

 はね学応援席の全員が、思わず腰を浮かせた。
 サードが構える目の前に球が飛んでいく。

 これまでかっ……

 誰もが、そう思ったはず。
 私も、思わず顔を覆ってしまった。

 のだけど。

『ああっ!? イレギュラーボール! 球に回転がかかってたか!? 3塁ベース前でボールが右に跳ねた! サード取れない! ヒット、ヒットです!』

「えっ……!?」

 顔を上げてみてみれば。

 サードのミットに納まる軌道を描いていたボールが、右方向、2塁側に弾んでいた。
 慌てて追いかけてボールを取るサード。
 でも、その間に3番の選手が1塁を駆け抜けた!

「……やっ」

「やぁったぁぁぁ!!!!」

 ワァァァァ!!

 はね学応援席は総立ちの大歓声!
 私もあかりやはるひと手を取り合って、思わずぴょんぴょん飛び跳ねてしまった!

『サヨナラのランナーが出ました、羽ヶ崎学園! 初出場初優勝の夢が繋がった! しかし、なんというラッキーボールでしょう!』

「アホかいっ、運も実力のうちや!」
「そのとーりっ!!」

『さぁ、はね学の期待を背負って、4番志波! バッターボックスに入ります!!』

「志波ーっ! がんばれーっ!」
「志波センパーイ! 打ってくださーい!!」

 志波くんがゆっくりとした足取りでバッターボックスに立つ。
 バットを軽くまわして、構える。

 志波くん、がんばれ。
 こんな陳腐な応援しか出来ないけど、がんばって。
 約束守ってくれてありがとう。甲子園連れてきてくれてありがとう。

 あとは、自分の夢に向かってバットを振るだけだよ!

「がんばれ、志波くーん!!」

 私は声の限りに叫んだ。
 応援部も流れ落ちる汗をものともせず、最後の死力をつくして腕を振る。
 吹奏楽部も最大音量でコンバットマーチを鳴らす。

『志波、構える。ピッチャー第1球、投げた! ストライーク! 第1球は見逃し! おっと、147キロが出てます!』

「いいぞ、志波。慎重に行けよ……」

 ハリーが拳を掴んで試合を見守る。

『ピッチャー第2球、投げた、打った、ファール! 3塁アルプスに飛び込みます』

「当たれ」
「こらハリー。人の不幸を祈るなっ」

 3塁アルプスは、相手チームの応援席だ。

『第3球、ファール! 志波、粘ります! 2ストライク、ノーボール。羽ヶ崎学園4番、志波勝己、なんと2年生からの入部です。はね学が誇るエーススラッガー、勝利を引き寄せることが出来るか!?』

「当然です! 志波くんは、先生が認めたライバルですから!」
「……なんの?」

 はるひの突っ込みをものともせず、先生は真剣な視線を志波くんに注ぐ。

『第4球、第5球はボール! 第6球……これもボール! さぁ、これはピッチャーもしんどくなってきた!』

 志波くんはボールに集中して、よく見てる。
 あと1球だ。
 あと1球で、高校野球の頂点が決まる。

 がんばれ志波くん。

『第7球、ピッチャー振りかぶって、投げたっ』

「志波くんっ!!」

 私は立ち上がって志波くんの名前を叫んだ。

 志波くんはぐっとバットを握り締めて、目を大きく見開いて、力強くフルスイング!!

 バットは、快音を鳴らした!!

『打ったぁぁ! 打ちました、大きい! センター、走ります!』

「やったぁぁ! 入れーっ!」
「入れーっ! 入ってーっ!!」

 はね学応援席は、再び総立ち。
 まるでスローモーションのように、弧を描くボールを目で追った。

 でも、私は。
 バッターボックスの志波くんをずっと見てた。

 志波くんは、大きく振り切った腕をゆっくりと、ゆっくりと下ろし。
 なにかを吹っ切ったような。
 なにかを洗い流したかのような。

 清清しい笑顔を浮かべていた。



『センター……とった! 取りましたっ! はね学逆転ならず! 初出場初優勝の夢は潰えました! しかし素晴らしい戦いでした! 高校野球球史に残る戦いだったと言えるでしょう! 優勝は、倉泥臼高校です!』



 はね学大応援団は、その日のうちにとんぼ返りしなくてはならなかった。
 試合終了後、フェンス越しに挨拶に来た野球部員は、悔し泣きしてる人、涙を堪えてる人、さわやかな笑顔を浮かべてる人、いろいろだった。
 それは応援席も一緒。
 はるひとあかりは号泣し、ハリーはクリスくんと一緒に目を赤くして口を噛み締め、氷上くんと小野田ちゃんは毅然として野球部に拍手を贈っていた。
 野球部と一緒に甲子園を戦ってきた天地くんと密さんと藤堂さんは、戦い抜いた人だけが感じられる喜びを感じてたと思う。

 私は先生と一緒に、手が腫れ上がるんじゃないかってくらい、拍手を贈り続けた。

 志波くんはベンチに戻る前、こっちを見上げてくれた。
 私がリストバンドをはめた腕を、拳を作って突き上げると、志波くんも満面の笑顔で拳を返してくれた。

 帰りのバスの中はとっても静かだった。
 応援疲れで寝てる人や窓の外を見つめて物思いにふける人。

 みんななんとなく感じてたんだろう。

 夏の、終わりを。


 翌日。私はウイニングバーガーのバイトを元気にこなして、薄暗い夜道を早足で帰宅していた。
 昨日の応援疲れを癒す暇なんて、勤労学生にはないのだ。トホホ。
 藤井さんは、しっかりお休み貰ってたけどね!

「さぁ、早くごはん作ろう……」

 マンションが見えてきて、私の足も自然と速まる。

 と。
 家の前に誰かがいる。
 マンションの外壁にもたれかかって、誰かを待ってる……のかな?

 あれ。

「……志波、くん?」
「こんな時間までバイトか?」

 腕を組んで、マンションの外壁によりかかってたのは志波くんだった。
 唇の端を上げて微笑んで、体を起こす。

「どうしたの? 今日は学校に凱旋報告して、忙しかったんじゃない?」
「ああ。でも、今日のは全部終わった」
「昨日の今日で疲れてるんじゃない? ……あ、上がってってよ」
「いや、ここでいい」

 志波くんは私の目の前まで歩いてきて、私を見下ろした。

「今、いいか?」
「うん、大丈夫だけど……?」

 なんかこれ、甲子園の前のやりとりに似てるなぁ。
 私と志波くんは、マンション斜め向かいの小さな公園に行って、ベンチに並んで腰掛けた。

「志波くん、遅れたけど準優勝おめでとう。それから、約束も守ってくれて、ありがとう! いい夏の思い出が出来たよ」
「ああ……礼を言うのはこっちの方だけどな」
「なんで? 準優勝を掴んだのは志波くんの努力だし、野球部全員の団結の結果だよ!」
「……そうだな。でも」

 志波くんは言葉を切って、前を見た。

 昨日の試合の後と同じ表情。
 迷いのない、清清しい瞳。

「志波くん、変わったね……。あ、いい意味でね? なんか雰囲気が優しくなったっていうか、あいや、前が悪かったってわけじゃなくて」
「いい。悪かったのは自覚してる」
「あうう、ごめん……ほんとそんなつもりじゃなくてぇぇ」

 うあ、志波くん笑い出しちゃったよ……。
 志波くんて、みかけによらず笑い上戸なんだよなぁ。

「クク……悪ィ。お前といると、なにも気構えなくていいな」
「それは褒め言葉?」
「大絶賛、だ」
「……やられた」

 私もつられて笑い出す。
 志波くんはそんな私を優しい眼差しで見下ろして、また前を向いた。


「なに?」
「感謝してる。オレを野球に戻してくれたことも」
「やだなぁ、あれは私のお陰じゃなくてマネージャーと藤堂さんのお陰だってば」
「オレを赦してくれたことも」
「え、ゆるす?」

 志波くんの言葉に私はきょとん。
 許すって、私、なんか志波くんに怒ったりしたっけ?

 私が思案していると、志波くんは、今度はこちらに向き直った。
 優しい目をしてるけど、とても真剣な表情で。

「ゆるすって……」
「中学の時に事件を起こして野球をやめて、笑うことなんて二度と赦されないと思ってた。……でもお前は」

 一度、深呼吸。

「お前は……森林公園で初めて会ったときから、笑顔でオレに話しかけてきた」
「ああ。だって、マラソンコースですれ違う人には挨拶、って。ここのマナーなんでしょ?」
「仏頂面のオレに声をかけたのは、お前が初めてだった」
「え、そうなの!?」
「フツーはそうだろ……」

 お前、警戒心なさすぎ、と真顔で説教される。
 あ、あれ?

「オレがはね学生だとわかったら、学校でも話しかけてくるようになったな」
「うん……そりゃ、せっかく友達になれたんだし」
「はね学でも話しかけてくるヤツは滅多にいなかった」
「う」
「……癒された」

 ふっと相好を崩す志波くん。
 うわぁ……その笑顔は反則では……。
 か、カッコいいよ、眩しいよ、甲子園ヒーロー!

「お前の家庭事情を聞いて、それでも真っ直ぐ前を向いてるお前を見て、自分は何やってるんだと、自答するようになった……そんなときに、野球部のあの練習試合だ」
「う、うん」
「オレは野球に戻れた。部活の連中も、いいヤツらばかりだった。全部がうまく回り始めて……念願の甲子園にもたどり着けた」

 そうだね、と私は相槌を打ちながら。
 今日の志波くんは随分と饒舌だ。
 甲子園の余韻を引きずってるのかな。

「3年生はもう引退だね」
「いや、準優勝だから国体に出れる。それが最後の試合だ」
「あ、そうなんだ! じゃあ、まだもう少し今のメンバーで野球できるんだね!」

 ぽんと手を合わせて私が言うと、志波くんは神妙な顔をして私を見た。

「なんでお前が喜ぶ?」
「え? だって、志波くんは嬉しくないの? まだ高校野球できるんだよ?」
「オレが喜ぶのは当事者だからだ。なんで、部外者のお前が喜べるんだ」
「えっと……友達の喜びだから……とか?」

 そんなこと言われても。考えたこと無かったよ。
 きょとんとしてる私に、志波くんはやれやれとでも言いたそうにため息をついた。


「ん?」
「お前が好きだ」


「え?」


 一瞬、本当に、志波くんが何て言ったのかわからなかった。
 困ったような笑顔を浮かべて、優しい眼差しで私を見つめている志波くん。
 私が志波くんの言葉を理解する前に、志波くんは言葉をつむぐ。

「真っ直ぐに生きてるお前が好きだ。お前は、存在そのものでオレを赦してくれた。オレを、光の中にまた呼び戻してくれたのはお前なんだ」
「…………」

 ぱくぱくと、間抜けな顔して口を動かす私。
 だって、志波くんが。こんな近くにいた、志波くんが。

 私のことが、好き?

「と、友達として……」
「違う。同じだ。……お前が、先生を好きだっていうのと」
「!!」

 息が止まるかと思った。
 そうだ、志波くんは知ってるんだ。
 私の気持ち。若王子先生への気持ちを。

 それなのに。

 硬直してしまった私を見て、志波くんは一度息を吐いて、立ち上がった。

「これっぽっちも気づいてなかったか? 少しは攻めたつもりだったけど」
「ぜ、ぜんぜん……」

 気づかなかった、そう言おうとして。

 言葉が続かなかった。


 違う。
 知ってた。

 修学旅行のとき。
 文化祭のとき。
 バレンタインのとき。
 ……学年末テストのとき。

「き、気づかないふり、してた」

 震える声で私は言った。

 だって。

「先生に、嫌われたく、なかったからっ……」

 誤解されたくなかった。
 先生のこと好きだって自覚してからは、私の世界は全部先生中心で回ってた。
 なんとなく、だけど。気づいてた。
 志波くんの気持ち。

 でも、私は。自分自身のためだけに、気づかないふりをしてたんだ。

 そして、気づかないふりをしてたことさえ、気づかないふりをしてたんだ。

「お、おい。お前を責めてるわけじゃない」

 私の様子に慌てた志波くんが私の前にしゃがみこむ。
 そして私の顔を覗き込んでぎょっとした。

 私が、大粒の涙をこぼしてたから。

「ご、ごめん、志波くん。私、最低だ。こんなに、志波くんに、ひどいことして」
「……お前が、オレに?」
「だって」
「お前はオレに、喜びしか与えてない」

 ぶっきらぼうに言い放って、志波くんは。
 私を強く抱きしめた。

「泣くな。……泣かせるつもりじゃなかった。そうじゃない。お前に感謝してるんだ」
「し、ば、くん」
「気持ちに区切りが欲しかっただけだ……。泣き止んでくれ。どうしたらいいか、わからない」
「うん……」

 志波くんは、こんな時だって優しいんだ。
 いつだって、優しかった。
 志波くんは、私にいろんなものを与えてくれたって言うけど。

 貰ってたのは、きっと私のほうが多い。
 元気をくれた。
 勇気をくれた。
 甘えも許してくれたし、いつだって味方でいてくれたんだ。

 志波くんは私の肩を掴んで私を離し、じっと瞳を覗き込んできた。

、お前が好きだ。……好きだった」
「うん……ありがとう、志波くん。私も、志波くんが好きだよ」
「……お前……こんな時まで、いつもどおりだな」

 志波くんが、まいったと言って噴出した。
 ほら、怒らないんだ、志波くん。

 これからも、志波くんと友達でいたい。
 でも、こう思うのは身勝手で残酷だろうか。
 いままで散々、志波くんを振り回してきたのに、いままで散々、私を守ってきてくれた人に対して。

 でも。やっぱり志波くんは優しいから。
 こんな私のわがままも、許してくれるんだ。

……勝手な願いだと思うけど、これからも、今まで通りに接してくれるか?」
「うん。私からお願いしようと思ってた」
「そうか」
「うん」

 私は涙を拭いて、笑顔を見せた。
 志波くんも笑ってくれて、大きな手で私の頭をぽんぽんと撫でてくれた。

「……目の前だから、送らなくていいな?」
「うん、大丈夫。志波くんも、ゆっくり休んでね」
「オレはこれから、森林公園」
「これから!? うわぁ……がんばるね、志波くん」

 私は立ち上がり、二人並んで公園の入り口へ。

、じゃあ。また明日」
「うん、明日、森林公園でね」

 私が手を振ると、志波くんは小さく微笑んで走っていった。


 志波くん、ありがとう。
 こんなにたくさんの気持ちを貰って、結局振ってしまうことしか出来なかったけど。
 こんな私を、好きになってくれてありがとう。

 志波くんの小さくなってく後姿を見送りながら、私はずっと感謝の言葉を心で言い続けた。

 今年の夏の終わりは、とても熱くて、とても切なくて、とても、優しかった。

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