「花火まで時間あるし、集合時間決めて縁日自由行動にしねぇ?」
「そうだね。打ち上げの時間5分前にまたここに集合しようか」


 50.3年目:花火大会後編


 ハリーの提案に一番最初に動いたのは、意外にも氷上くんだった。

「射的の景品にフェレットのマフラーがあるな……」
「わぁ、可愛いです!」
「……よし、小野田くん行ってみよう! 僕は射的には自信があるんだ。日頃生徒会での礼も兼ねて、あれをプレゼントしよう」
「えっ!? そ、そんな、いいですよ!」
「いいから。ほら、行こう!」

 そう言って、氷上くんが小野田ちゃんの手を取って人ごみに消えていく。

 うわぁ、氷上くんやるじゃない!

「や、やるじゃねーか氷上のヤツ……」
「ええなぁ、氷上くん。ほんなら僕も〜。密ちゃん、たこ焼き食べよ、たこ焼き〜♪」

 ハリーが感心している横で、クリスくんもいつもの調子で密さんと一緒にたこ焼き屋台へと去っていく。
 残ったみんなは顔を見合わせて、それからそれぞれ散開していった。
 瑛はあかりを連れてりんご飴の屋台へ。ハリーとはるひはお好み焼きチェックと称して連れ立っていった。

 先生はどうするのかな……と思って見上げて見ると。
 そこには頬を紅潮させて、目をきらっきらに輝かせて縁日の方を見つめている、大きなコドモ。

「せん……貴、さん。行きたいところがあるんですか?」
「はい! さん、……じゃなかったちゃん。先生、じゃなくて、僕はヨーヨー釣りしたいです!」

 待ってましたと言わんばかりに振り向く先生。
 うわー……完全に今日の先生はコドモバージョンだ。

「あ、あと金魚すくいもやりたいです! 魚を獲るのは得意です!」
「そうなんですか。私も、金魚すくいは得意でしたよ」
「りんご飴とわたあめも食べたいです! えっと、それから」
「ちょ、先生、全部回る時間はないですよ?」
「……貴さん、です」

 あ、一瞬で拗ねちゃった。
 ごめんなさい、貴、さん。って謝ると、機嫌はすぐに戻ったけど。

「先生」
「やや、志波くんも、ブ、ブーです。先生はやめてください」

 少し離れたところでこっちを見てた志波くん。

 わ、先生と並ぶと白と黒のコントラスト。ほんと、対照的なふたり。

「スンマセン。食い物ならオレ、買っときます。と、縁日まわってきてください」
「え」

 志波くんの提案に、目を丸くする先生。
 そりゃそうだ。これじゃ立場が逆だよ。

「……志波くんは、さんとまわらないんですか?」
「食い物以外の縁日に興味ないんで」

 小さく微笑む志波くん。
 ちらりと私を見下ろして、ぽふ、と一回私の頭に手を置く。

「楽しんでこい」
「う、うん」

 ……もしかして、志波くんにもバレてるのかなぁ……。
 私の、先生への気持ち。
 志波くんて、カンが鋭いもんね。
 あ、そういえばクリスマスにあかりが暴露してたんだっけ。うわぁぁ。

「ありがと、志波くん……」
「気にするな」

 独特の、口の端だけあげる志波くんの笑顔。
 そのまま踵を返して、腕組みしながらこちらを見てた藤堂さんの方へ歩いてく。

「アンタがそんな馬鹿野郎だとは思わなかったよ」
「……その馬鹿野郎に付き合うお前も、物好きだな」

 藤堂さんは志波くんに一瞥くれて、大きくため息をつく。
 逆に、志波くんは呆れたような視線を藤堂さんに向けた。

 あの二人、背が高くてカッコよくて、並んで立ってたらモデル系カップルに見える。
 ……私と先生の釣り合わなさから比べると、まさに雲泥の差。
 はぁぁ。

「……行こうか、さん」
「あ、ハイっ」

 先生に背中をぽんと叩かれて、私は先生と並んで歩き出す。

「どこから行きますか?」
「うん……」

 見上げると、なんだか先生は浮かない様子。

「どうしたんですか、先生」
「うん……。や、さん、また先生って言った」
「それを言うなら、貴、さんだって、さっきから私のこといつもどおり呼んでるじゃないですか」
「やや、そうでしたか?」
「そうですよ」

 先生は首を傾げて私を見下ろした。
 困ったように微笑んで、私の右手をとる。

「塩を送られてしまいました」
「は、塩?」
ちゃん」

 ぎゅ、とつないでいる手に力を込めて。
 表情から憂いを消して、にっこりと微笑んだ顔はいつもの笑顔。

「縁日、楽しもう。まずはヨーヨー釣りです。君の分も釣り上げて、プレゼントします」
「ほんとですか? 期待しちゃいますよ?」
「大いに期待しちゃってください」

 えっへんと胸をそらす先生。
 さっきの浮かない様子が少し気にかかるけど、もういつもの先生だ。
 気にしなくて、いいのかな?

 などと考えている間に、先生はつないだ手を嬉しそうにぶんぶん振って、私を引っ張って行く。
 ……気にしなくて、いいか。



 先生は宣言どおり私のぶんのヨーヨーも含む3個のヨーヨーを釣り上げて(1個は隣で釣れなかったちっちゃい子にあげてた)。
 その後の金魚すくいでは、ボウル一杯に金魚をすくい上げて屋台のおじさんに泣きつかれたりして(2匹だけ貰って結局あとは全部返した)。

「た、貴さん……どこで身につけたんですか、その金魚すくい技……」
「必要に迫られて、です」
「金魚がそんなに必要になる状況って……」
「この金魚も、ちゃんにプレゼントします」
「え!? で、でもうちに金魚鉢ありませんよ??」
「それもあとでプレゼントします。……僕の家で飼うと、学校に行ってる間に猫に食べられてしまいそうなので」
「だったら最初から金魚すくいしないでくださいよ……」
「だって、やりたかったんです」
「だってじゃないですっ」
「や、ちゃん厳しいです……」
「貴さんがいい年してコドモなんですっ」

 くすくす。
 先生と言い合ってたら、チョコバナナの屋台に並んでる人に笑われた。

 こほんっ。

「あ。せん、じゃない、貴さん。そろそろ集合時間じゃないですか?」
「やや、本当だ。少し金魚すくいに夢中になりすぎました」

 先生が私の右手をとって、人波をぬって歩き出す。
 でも打ち上げ時間間近の縁日は異様な混みよう。
 すぐに私たちは渋滞に巻き込まれて動けなくなってしまった。

「やー……これは動きそうもないですね」
「そんなに混んでるんですか?」
「打ち上げ会場どころか、駅のほうまで人でびっちりです」
「ほんとですか!? はるひに一応連絡とってみますね」

 日本人女子平均身長そこそこの私じゃ遠くまでは見えない。
 その点、ひょこんと背の高い先生は背伸びをしてらくらくと奥を眺めてる。

 携帯を取り出して通話ボタンを押して……。

 あ、駄目だ。規制が入ってる。
 じゃあとりあえずメールを。

「連絡とれました?」
「……はい、メールは送れました!」
「よかった。みんなは花火を見れるといいけど」
「そうですね……わっ」

 1歩1歩、牛歩のように進む渋滞の中。
 私は後から押されてバランスを崩してよろける。
 素早く先生が支えてくれて、将棋倒しのきっかけにならずに済んだけど、これはちょっと……女の子に優しくない渋滞だ。

「大丈夫?」
「あ、大丈夫ですよ! ありがとうございます」
「うん。ちゃん、どうせもう待ち合わせには間に合わないから、人の少ない方に移動しよう」
「そうですね」

 私の手をとって、人のベクトルに逆らって先生が歩く。

 でもやっぱり渋滞に逆らって歩くのは至難の業。
 何度か、先生と手が離れそうになった。
 その度に先生は慌てて立ち止まって、人ごみの中から私を救出してくれる。

「私も藤堂さんくらい強かったらなぁ」
「それはカッコいいね。でも、君はそのままでいいです」

 にこっと笑って。
 先生はぐいっと私の肩を抱き寄せる。
 そしてそのまま背中を押して、屋台の裏手に私を押しやった。

「はぁ、ようやく抜けられた。大丈夫? ……やや、浴衣が乱れてる」
「ええっ!?」

 言われて自分を見下ろすと。
 ……ああ、びっくりした。裾の合わせが少し乱れてるだけだ。

 ぱぱっと手早く直して、えへへと先生を見上げると。

 パァァァッ

 先生の肩越しに、大きな花火が瞬いた。
 始まったんだ。

「始まっちゃいましたね」
「はい」

 先生も夜空を見上げる。

 遅れて響く重低音。
 そして再び夜空に咲く花。

 ……あれ?

「せんせ……貴さん」
ちゃんも気づきましたか?」
「はい! ここって、穴場ですね!?」

 そう。
 ここ、縁日の端のたこ焼き屋台の裏。

 縁日の屋台がつらなる道の両脇にはぽつぽつと広葉樹が植えられてて、そのせいで縁日からは花火が見えない……はずなんだけど。
 ここだけ、空を遮る枝葉が伸びてないんだ。
 真っ直ぐ、打ち上げ会場まで見える。

「ここでいいですね?」
「ここでいいですね!」

 私と先生は顔を見合わせて笑った。
 先生は、自分の腰ほどの高さに詰まれたビールケースに私を座らせてくれた。
 ひょい、だって。
 こんな細い体のどこにそんな力あるんだろ。男の人って不思議。

「たーまやー! ですね」
「今日は確か鍵屋宗家の打ち上げですよ?」
「やや、かーぎやー、でしたか」

 夜空に瞬く色とりどりの花火。
 最初こそはしゃいでいた先生と私だけど、その後は無言で花火を見続けた。

 そういえば。

 1年目は、線香花火だったな。
 課外授業のあとに、花火大会に出かけたみんなを見送ってた私に気を遣って、浜辺でふたりで線香花火大会しようって言ってくれたんだ。
 結局、肝心な火がなくてできなかったんだよね。

 2年目は、海の上で二人で花火大会を遠くに見たんだっけ。
 奨学金が足りなくて、必死に夏のバイトをしてた私の息抜きに、って。この時も気を遣ってくれたんだ。
 そういえば……あの時。クルーザーで、ローズとジャックやったんだっけ……。
 あの瞬間だ。先生のこと、好きなんだって気づいたの。

 3年目の今日は、やっと花火大会に来れた。
 3年目の今日も、先生と一緒にいられた。

 先生。

 私は先生を見た。
 ビールケースに座ってる私は、今は先生と目線がほぼ同じ。

 陸上部顧問なのにちっとも日焼けしてない肌。
 猫大好きで猫ッ毛な髪。
 花火の光が反射してる瞳。優しかったり、怖かったり、冷たかったり、温かかったり、いろいろな目を見てきた。

 先生。

 花火を穏やかな笑顔で見つめてる先生。
 
 なんで先生なんだろう。
 私はなんで生徒なんだろう。
 たったそれだけで、瑛みたいにひたすら思い続けることも、はるひのように勇気を出して告白することも、許されないんだ。

 待ってるのは別れだけ。
 ……そうだ。ローズとジャックも、最後は悲恋だったっけ。

 大きな一尺玉が上がったあと、夜空に静けさが戻る。

「……や、終わってしまいました。綺麗でしたね、ちゃ」

 先生が軽く興奮した面持ちで私を振り返って、言葉を切る。

 私がずっと、花火も見ずに先生を見つめていたからだろう。
 自分がどんな顔してるのか、よくわからない。
 ただ、驚いたように私を見てる先生をひたすら見つめていた。

さん……?」

 先生は、今日は、先生じゃないって言ったんだ。
 それに、思い出作りの日、って言ってた。

 だったら、今日だけ許して欲しい。


「貴文さん」

「……っ」


 先生の目が大きく見開いた。
 何か言おうとして口を軽く開くけど、何も言わずにこくんと喉を鳴らす。

 のろのろと、緩慢な動きで、先生の右手が私の左頬に添えられた。
 そのまま、ゆっくりと先生が近づいてくる。

 吐息がかかるくらいの、距離まで。


 パァァァッ


 背後で花火が瞬いた。
 弾かれたように先生が離れて、空を見上げる。

「連弾ですね……。せんせ、じゃない、貴さん。これで今年の花火大会も終了ですね」
「あ……うん」

 気の抜けたような返事を返す先生。
 私はぴょんっとビールケースから飛び降りた。
 そして、私から先生の手を握る。

さん……」
「行きましょう! みんなのところに戻らなきゃ」
「うん」

 私は先生の手を引いて、屋台の裏手を歩き出した。
 先生は私に連れられるがまま、のたのたとついてくる。


「……あっ、来た来た! っ、若ちゃん、こっち!」

 先生の手を引きながらはばたき駅近くまでやってくると、はるひがぶんぶん手を振ってるのが見えた。
 それに気づいて、先生が手を離そうとする。

 でも。
 いつもなら私から手を離すんだけど。

 ぎゅ。

「っ」

 離れようとした先生の手を、私が強く握って逃がさなかったから、先生が驚いて私を見た。

「……えへへ、冗談ですよ」

 笑って手を離して、私ははるひの元へ駆け出した。

「ごめんね! みんな花火見れた?」
「それがな、結局みんな集まれんかってん。そやからみんな別々の場所で見て、今集合や」
「そうだったんだ」
「ねぇねぇ! それよりもちゃん、若王子先生と二人っきりだったんでしょ??」

 目をきらきらさせてあかりが話に加わってくる。
 私は。
 いつも先生がしているように、腰に手を当てて胸をそらせた。

「えっへん。今日は先生に勝ちました!」
「「……は?」」

 はるひとあかりが、何のことやらと声をハモらせる。
 先生を見ると、のろのろと歩いてきてやっと男子の輪に合流したところだった。

「若ちゃん、ちゃんとちゃんのナイトしとったん?」
「……はぁ」
「……? 先生これ、わたあめとりんご飴すけど」
「……はぁ」
「なんだよ若王子、間抜けなツラが余計間抜けに見えんぞ?」
「……はぁ」

……アンタ、若ちゃんに何したん?」
「えへへ〜、内緒♪」

 まさか先生も、自分の教え子からあんなアプローチされるとは思わなかっただろう。
 
 先生が先生じゃないって宣言した、今日だけ。
 私の気持ちを少しだけ。
 少しだけ、伝えた、つもり。

 ……その後の、先生の行動には少し、ドキドキしたけど。
 あれ、何するつもりだったんだろう。
 まさか、き、キスするつもりだった、わけじゃないだろうけど。

 ふふ、でも今日は私の勝ち。
 いつも先生に翻弄されてる分を、対等であることを許された今日だけ、仕返ししてやったんだもんね!

 みんなは魂抜けた先生と、にこにこ笑顔の私を見比べて不思議そうな顔してた。


 そんな感じで。
 3年目、3度目の正直で訪れた花火大会は幕を閉じた。

 あんな状態でも、ちゃんと家まで送り届けてくれた先生。
 まぁ、家につく頃にはいつもの調子を取り戻してたんだけどね。

さん、今日は楽しかった。先生を誘ってくれてありがとう」
「はい、私も楽しかったです! ヨーヨーと金魚、ありがとうございました」
「うん」

 エレベーターがやってくる。
 私はエレベーターに乗り込んで、最上階のボタンを押してから先生を振り返る。

「送ってくださってありがとうございました。先生、おやすみなさい。陸上部の合宿、がんばってくださいね」
「うん……」

 あいまいに微笑んで、私を見る先生。

 扉が閉まる。
 でも閉まりきる前に、先生が素早く片足を差し込んだ。

「先生?」
さん、来年も」
「はい?」

 先生は一度息をついて、にこっと笑った。

「来年も一緒に花火を見に行こう。今日は、本当に楽しかった。だから」
「はい、いいですよ? また来年、浴衣着て行きましょうね!」
「……うん。じゃあ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい!」

 扉が閉まって、動き出すまでのほんの短い時間、先生は手を振ってくれていた。


 私は玄関を開けて施錠して。
 浴衣を脱ごうと帯をほど……こうとして。

 ばたんと、たたんだ布団に頭から倒れこんだ。

 また、来年、一緒に。
 その意味を、今になって理解したからだった……。

 結局最後は、いつものように先生に負けてしまった。あう。

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