3年目。はね学生活における最後の花火大会。
 私がはばたき駅に到着したときには、もうみんな集まってた。


 49.3年目:花火大会前編


「みんな早ーい! もしかして、私が最後?」
「ううん、若王子先生がまだだよ。ちゃん、可愛い浴衣だね!」

 改札脇に集合してるみんなのもとに、鳴れない下駄でからころと駆け寄る。
 出迎えてくれたあかりは、淡い水色の浴衣を着ていた。

「そういうあかりこそ。今日は髪を結い上げちゃって、お姉さんじゃないのっ」
「えへへ。実は、髪は瑛くんに手伝ってもらったんだ。器用なんだよ〜、瑛くんて」
「へぇ〜……」

 にや〜っと、自分でも意地が悪いと思う笑顔を浮かべて私は瑛を見た。
 その瞬間、団扇でチョップされる。

「アイタっ」
「浴衣着てめかしこんで来てるのに、そういう顔するか? お前」
「だってさぁ。浴衣の女の子の髪を結い上げるってことは〜」
「な、なんだよ」
「……あかりの、うなじ」
「っ!!!」

 ずべしっ!!

「ったぁい!」
「うるさい! あっちいけ!」

 うう……久しぶりの本気チョップだった……。
 そのまま瑛は輪の端に移動。でも、耳まで赤くなってるところを見ると、図星だったんだろうなぁ。
 カワイイ、おとうさん。ふふふ。

ちゃん、大丈夫? 瑛クン、照れ隠しやんな?」
「あ、平気平気。髪、乱れてない?」
「ぜーんぜん! ばっちり、可愛いまんまやで♪ ちゃん、浴衣似合っとるで?」
「ありがとう。クリスくんも、ばっちりだよ、浴衣姿!」

 私の顔を覗き込んで頭を撫で撫でしてくれるクリスくんは、緑色の浴衣姿。
 隣の密さんは、それよりも少し濃い色の深緑だ。

「やっぱり密さんの浴衣姿、素敵だよね。そのオトナっぽい魅力、少し分けてよ〜」
「うふふ、ありがとう、さん。でも、私はさんの可愛らしさを分けてほしいのよ?」

 扇子で口元を覆いながら優雅に微笑む密さん。
 その立ち居振る舞いが、もう完璧な和服美人。
 ほら、道行く人もこっち振り返ってるもんね。

さんはピンクが好きなんですか?」
「え? そうかな……私、そんなにピンクの服着てる?」
「確かクリスマスのときもピンクのドレスでした。でも、とてもさんに似合う色だと思います」
「ありがとう小野田ちゃん。小野田ちゃんは今日は白い浴衣だね。その柄、猫だよね?」
「はい! うさぎと迷ったんですけど、猫にしたんです」

 動物好きな小野田ちゃんらしい迷いかただ。
 隣の氷上くんは、濃紺の浴衣を着てて、ちょうどいいコントラスト。

「さすがに人が多いな……。花火会場の整理はきちんとしているんだろうか」
「ちょ、ちょっと氷上くん。こんなときにまで生徒会気質出さなくていいよ。今日は楽しむ日なんだから」
「そ、そうだった。公私のけじめはきちんとつけないといけないな」
「だから……」

 肩肘張らなくていいのに。
 でも氷上くんっぽいかも。

「オッス、! 浴衣似合ってんじゃん」
「オッス、ハリー! ハリーも似合ってるよ。なんか意外」
「意外ってなんだよ。オレ様はなんでも似合うんだっつーの!」

 胸をそらして、よく見ろ! と言わんばかりのハリーだけど、本当に意外だった。
 ハリーってロックなイメージが強いから、浴衣ってどうなんだろうと思ってたけど、全然違和感ない。
 頭はいつものつんつんヘアなのにね。

「はるひはハリーと一緒に浴衣見に行ったの?」
「それがおこづかい間に合わんくて、昔買ったヤツやねん。今年は赤は流行りの色ちゃうのに〜」
「でもはるひに合ってるよ? ……それにハリーって赤好きじゃなかった?」
「へへ、それは内緒や」

 はるひと顔を見合わせて、小さく笑う。
 なんだかんだって、はるひは好きな人の好みに合わせたりして。恋する乙女なんだから。

「若王子はまだ来ないのかい……」
「藤堂さん。でも、まだ時間の5分前だよ」
「教師なんだから、5分前行動くらいしろっていうんだよ」
「まぁまぁ……」

 人ごみが増してきて、あたりの空気も蒸し暑くなってきてる。
 黒地に流水柄の大人っぽい浴衣を粋に着こなしてる藤堂さんは、相変わらずカッコいい。
 そして色っぽい……ううう、うらやましいぃ……。

「暑ィ……」
「あ、志波くん!」

 黒い浴衣姿で暑さにうだってる志波くん。壁にもたれかかって、手で扇いでる。

「志波くん、甲子園出場おめでとう!! 遂にやったね!」
「ああ、サンキュ。……約束したからな、連れてくって」
「うん!」

 そう。
 志波くん率いる我がはね学野球部は、つい先日地区大会で勝利をつかんだんだ!
 来週からは、悲願の甲子園!

「でも私、今年は手芸部の合宿について行かなくちゃならなくて。ほら、3年目ってウェディングだから夏休みから用意するんだって」
「いい。決勝戦はどっちにしろ合宿明けの日曜だ。必ずそこまで勝ち抜いて見せる。決勝……見に来てくれるか」
「絶っっっ対行く! がんばってね、志波くん!!」
「ああ」

 私が勢い込んで言うと、志波くんは笑顔を返してくれた。
 今年の夏は、きっと熱いぞっ!

「時間だ。若王子のヤツ、教師のくせに遅刻かよ!」
「ハリークン、そんなことないで? ほら、あの走って来てるん、若チャンセンセやない?」
「……はぁ、はぁ、みなさん、すいません。出掛けに猫が……」

 時間ジャスト。
 例の白い浴衣を着てきた先生が、息も絶え絶えにやってきた。
 みんなのところにやってくるなり、膝に手をついて、肩で息をつく。

「だ、大丈夫ですか……?」
「や、海野さん、扇いでくれてありがとう。もう大丈夫です」

 体を起こして、先生は照れくさそうに笑った。

 先生の浴衣姿。
 購入する時に軽く羽織った姿しか見てなかったから、ちゃんと着てるのを見るのは初めて。
 ……やっぱり、かっこいいんだ、これが。

「それでは先生も来たことだし、会場に移動しよう」
「やや、氷上くん、ブ、ブーです」
「はい?」

 クラス委員の氷上くんが、今日も私たちのリーダーシップをとってくれる。
 ところが先生が口をとがらして、その氷上くんに待ったをかけた。

「なんでしょう、先生」
「ですからブ、ブーです。今日の僕は、みんなの先生として来たわけじゃありません。みんなの友達の、若王子貴文です」
「「「はぁ?」」」

 呆れたような声を返したのは瑛と藤堂さんとハリー。
 ほかのみんなは、一様に唖然、だ。

 そんなみんなの様子に、先生は少し拗ねたように。

「今日は学生生活の思い出作りでしょう? だったら、先生もみんなの輪に入れてくれてもいいじゃないですか……」
「あ、あんな若ちゃん。教師のままでも思い出作りには参加出来るやろ?」
「いやです」
「ガキかいっ」

 はるひの言葉につーんと顔をそむける先生。
 すると、密さんがくすくすと笑い出した。

「いいじゃない。ね? 今日は若王子先生じゃなくて、……そうね。貴文さん?」
「「「たっ!?」」」

 今度の仰天ハモリは、はるひとあかりと、私。

「ややっ、水島さん、ナイスです! 今日はみんな、先生のことはそう呼んでください」
「あー……つか、オレはいつもどおり若王子、でいいよな?」
「ほんなら僕もいつもどおりに若チャンセン……若チャンやんな」
「……若王子、さん、で」

 ハリーとクリスくん、瑛が妥協案を提案。
 先生はにこにこしながら頷く。

 た、た、たか……ふみ、さん、て。
 私も、そう呼ぶの?
 はるひはいっつも若ちゃん、って呼んでるからいいとして。
 藤堂さんも若王子、って呼び捨てにしてて。
 密さんは、全然抵抗ないみたい。さ、さすが。

 あかりは……。

「じゃ、じゃあ私も! 貴文さん、って呼びます!!」
「はい。ありがとう海野さん」

 う、わ、あ、あかりまで覚悟を決めちゃった……。

 ひええ、先生、期待の眼差しでこっち見てるよ。
 どうしよう!!!

「つか若王子。友達扱いしろってんなら、その教師口調やめろよ。ですますとか」
「やや、確かにそうです。うん、針谷くんの言うとおり」
「もうひとつ! 今日はオレのことハリーって呼べ!」
「わかりました。ハリーくん、ですね?」

 にっこり微笑みながら大きく頷いた先生。

 すると、先生は教師の顔を脱ぎ捨てて、穏やかな表情をしてみんなを見回した。


「じゃあ今から僕は、みんなの友達の若王子貴文だ。教師でも生徒でもない……。花火大会、楽しみだね?」


 ズキューン!!!!


 瞬間。
 全員の体に稲妻が通りぬけたかのような衝撃が走った。

 せ、せんせぇ、その顔でその浴衣姿で、その微笑み。
 反則です。
 レッドカードです!!
 ……ほら、あかりとはるひが茹だってる!!

「ス、スゲェ……これが大人の魅力ってヤツかっ……」
「ま、負けたっ……お、おい、あかりっ! ポーっとすんなよっ!」
「あかん〜、ボク、イケナイ道に走りそうになってもーた……」
「くっ……さすがだ、先生っ……」
「…………(絶句)」

 あ、あれ、男性陣も違う方向にやられちゃってるよ。
 みんな尊敬と悔しさの入り混じった眼差しで先生を見てる。

 一人余裕なのが密さん。一人あきれ果ててるのが藤堂さん。

「うふふ……それじゃあ、そろそろ行きましょうか? 貴文さん」
「はいはいっ。さんも、一緒に行こう」
「はぁ……」
「ほら、アンタたちもぐずぐずしてないでついてきな」
「ふぁい……」

 最後の気の抜けた返事ははるひか、はたまたあかりか。

 先生は私と密さんに挟まれながら、上機嫌で先頭を歩き出す。

さん、花火、楽しみですね?」
「はい。……あ、話し方戻ってますよ?」
「やや、本当だ。クセってなかなか抜けないです。でも、それを言うならさんだって、まだ僕のことを呼んでくれてない」
「ああああの〜、それは〜……」

 じーっと視線で訴えてくる先生。
 私はあたふたとうろたえて、反対の密さんに助けを求めた。
 だけど。

「あら。……うふふ、私、お邪魔かしら」
「えっ、ち、ちが」
「ふふふ、さんったら、今日は女の子ね? 私も、クリスくんのところに行ってくるわね」
「あああっ、密さ〜ん!」

 場の空気を読んで、機転を利かせるのも才女の証。
 でも、今はいいんだってば密さん!
 置いていかないでぇぇ〜……。

 でも、私の必死のまなざしも、密さんには微笑ましく映ったみたい。
 優雅に微笑んで、後ろのゆでだこ部隊に合流しに行ってしまった。

さん」
「あうあうあう……」

 密さんがいなくなって、先生はタガが外れた……とまで言うのは失礼かもしれないけど。
 より私に密着するように寄ってきて、笑顔で威圧してきた。

さん、僕の名前を呼ぶの、初めてじゃないでしょう?」
「いやあの、あの時はだって、歌の流れで」

 先生の誕生日にみんなで歌ったお祝いの歌。
 確かにあの時先生の名前で歌った。けど。
 歌だもん。
 素で、先生を、名前呼び、なんて。

「ふむ」

 赤くなって弱りきってしまった私を見下ろしてた先生だけど。

「じゃあ僕も今日はさんを名前で呼ぼう。それならいい?」
「え!?」

 先生の言葉に、弾かれたように顔を上げれば。
 そこにはオトナのキラースマイル。


「!!!」
「……さん?」

 わざとらしく、名前のあとを区切って呼んで。
 硬直した私を、いたずらっぽい笑顔を浮かべたまま見つめる先生。

 ……もう、洗脳されちゃいそうだ。

「……た」
「ん?」
「か……さん」
「やや、貴さん、ですか」

 目をぱちくりとさせる先生。
 こ、これが最大譲歩です。

「貴、さん、です。先生、今日は遊び人っぽいから! 流しの貴さん!! これで決まり!」
「や、まるで江戸の町人みたいだ。今日は浴衣を着てるから? ピンポンですか?」
「ぴ、ピンポンです!」
「うん。……じゃあ僕も、ちゃんって呼ぼうかな」

 ぎゃふんっ!

「うん、決まり。ちゃん?」
「な……なんですか、貴さん……」

 先生はお気に入りのおもちゃを見つけた子供のように、しばらく『ちゃん』と連呼した。

 誰か。
 誰か早く合流してよぉぉぉ!!


「……オイ、早く誰か行けって」
「そういうお前が行けばいいだろ……」
「ばっ、入れるわけねーだろ! あの雰囲気にっ!」
「だったら言うなっ!」
「……志波やん、行く勇気あるん?」
「今日はもういい……」

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