志波くんと早朝お花見をした日はバイトもなく。
 私はのんびりと一日を過ごし、夕方頃から早めの夕飯の支度をはじめた。


 42.2年目の3月31日:夜


 今日のメニューは山菜炊き込みご飯と豚汁。
 山菜はまだ時季じゃないから水煮のパックものだけど。

 お米をといで下味つけた山菜と一緒に炊飯ジャーにイン。スイッチポン。

 さて次は豚汁の用意だ。
 私は、買い物袋の中からごぼうを取り出して。


 ピンポーン


 インターホンが鳴った。

「はーい?」
『突撃家庭訪問です』
「先生??」

 通話口から聞こえてきたのは、まぎれもなく若王子先生の声。
 ど、どうしたんだろう。

さん、誕生日おめでとう』
「あ。わざわざお祝い言いにきてくださったんですか?」
『ブーポンです』
「ブーポン、ですか?」
『うん。開けてくれますか?』
「先生、暗証番号知ってるじゃないですか……」

 先生は私を送って何度もこのマンションに来てるんだもん。
 私の横で、暗証番号を押してるのを何度も見てるはず。

 言いながらも私はロックを解除した。

 しばらくして。

「こんばんは、さん」
「こんばんは、先生。部活帰りですか?」
「はい」

 やってきた先生は、例の白ジャージ姿。
 手には小さな紙袋。

「お祝いも言いに来たんですけど、プレゼントも持ってきました」
「わぁ! なんですか? 開けてもいいですか?」
「はい、どうぞ」

 手渡された紙袋から出てきたのは、見たことがあるスパイスケース。

「あ、ガラムマサラですね!」
「はい。若王子スペシャルバージョン2です。今日はこれを使って晩御飯でも食べてください、と言おうと思ったんですけど……」

 先生はくんくんと鼻をひくつかせる。

「やや、もう準備中ですね?」
「はい、今日はバイトもなかったのでのんびり支度を始めてました」
「そうですか……」
「あ、あの、今日は無理ですけど、ちゃんと使わせてもらいますよ? 去年貰ったのも使い切っちゃったところですし」

 しょぼーんとしてしまった先生に、慌ててフォローを入れてみる。

 と。

 ぐきゅるるるるぅ〜……

 先生のお腹の虫が盛大に鳴いた。

「……」
「……」
「お腹、すいてるんですね?」
「はい、先生、もうぺっこぺこです」

 今日は陸上部の部長にしごかれましたと、とほほな表情を浮かべる先生。
 普通先生はしごく側のはずでは。などと思いながら。

 私は、ちょっとだけ、勇気を出してみた。

「よかったら、ご飯食べていきますか?」
「や、いいんですか? とってもありがたいです」

 どきどきしながら、がんばって言ったのに、拍子抜けするほどあっさりと。
 先生はにっこり笑って、私が勧める前に家に上がりこんできた。

「真咲先輩呼んだほうがいいのかなぁ……」
さん、なにか言いましたか?」
「いえ何も」

 さっさと丸テーブルの前に座り込んでる先生を見ながら、私は玄関のドアを閉めた。


 
「おいひいれす」
「先生、口の中は」
「ごくん。カラにしてから、でしたね」
「先生わざとやってるでしょう!」
「や、ばれちゃいましたか」

 テーブルの前でにこにこしながら待ってた先生と、台所で手際よくさかさか料理を仕上げていった私。
 途中、陸上部でのことや春休み中の学校のことなどを先生にお話してもらいながら、約40分。

 炊き上がったごはんをよそって、1汁1飯の質素な晩御飯が始まった。

「でも、本当においしいです。さんは料理の天才ですね」
「毎日作っていれば誰だってこのくらいの腕になりますよ? 先生は料理しないんですか?」
「先生の得意料理は、ツナかけご飯です」
「……せんせぇ……早く結婚したほうがいいんじゃないですか……」

 そういえば、いつも定食屋でご飯食べてるって言ってたっけ。
 黒服の外国人に連れ去られる前に、栄養失調で救急車に連れ去られそうな気がします、先生。

「結婚、ですか」

 きょとんとしてお箸を置く先生。

「じゃあ、さん。先生と結婚してください」
「ぶっ!?」

 ふいた。
 豚汁すすってるときに。
 お、お椀が口元にあるときでよかったっ……!

 私は口元をおさえながら、手探りで箱ティッシュをたぐりよせる。

 そんな私の反応を全く意に介さず。先生はいつもの調子だ。

さんのおいしいご飯、先生、毎日食べたいです」
「ざ、在学中に教え子に手を出した淫行教師の名前で、新聞一面載りたいんですか、せんせぇ……」
「や、それは困ります。うーん、でもさんのご飯は食べたい」

 先生は腕組みをして。
 ……なんか真剣に考え込んでるんですけど。
 誰か、この天然教師をどうにかしてください。
 心臓いくつあっても足りませんっ!!

「やや、先生、いいこと思いつきました!」
「はぁ」

 私は残りの豚汁をさっさと飲み干して。先生に気の抜けた返事をした。
 先生は、ぽんと手を叩いて満面の笑顔。

「来月から先生、さんに給食費を払います」
「……は?」
「だからさん、先生にお弁当作ってください」
「え!?」

 思わず私はお箸をポロリ。

 何をいきなり言い出すんですか、先生っ。

「お昼にさんのおいしいお弁当。先生、午後の授業もやる気バッチリになります」
「な、な、そんなの、ファンの子に怒られちゃいますよ!?」
「うーん……確かに。先生も、さんのファンに怒られちゃいますね」

 先生はまた腕組みをして……と思ったら。
 私の右腕に視線を集中させた。

「それは?」
「え? ああ、これですか?」

 右腕を持ち上げて、リストバンドを見せる。

「可愛いでしょう?」
「はい、とても」
「今日志波くんに貰ったんです。誕生日プレゼントだって」

「へぇ」

 先生はにこにこしながら手を伸ばした。

「見せてもらえますか?」
「どうぞ?」

 私は右腕からリストバンドを外して、先生に手渡した。
 先生はそれを受け取って、しばしじーっと見つめて。

 どうしたんだろう。先生、動かなくなっちゃった。

「せん」
さん」

 先生はにこにこ微笑みながら、リストバンドを横にぽんと置いて。

 あ、あれ?

「明日、先生お弁当箱買って来ます」
「へ? あの、でも」
「楽しみにしてますから、お弁当」
「は、はぁ」

 なんか。ものすごくいい笑顔なのに、ものすごく威圧的。
 まるで脅迫されてるような。

 うあ。先生、目が笑ってないですよ……?

「あ、の、そうだ、お茶、お茶いれますね!」

 動物的直感というか。
 なにか危険を察して。
 私は立ち上がって、お茶を入れようと。

 でも。

 先生は素早く私の腕を掴んだ。

 い、今。確実に私の心臓、1メートルは跳ねた。

「お茶はいらないです」
「そ、そうですか? でも」
「いらない」
「は、はぁ」
さん、座ってください」

 あいかわらず邪気のない笑顔を浮かべている先生。
 なのに、その背後からにじみ出る黒いオーラというか威圧感はなんなんでしょう。

 私は先生の目の前に座らされた。
 先生は私の目をじっと見つめてくる。

「……きれいな瞳」
「っ」
「とてもキラキラして見える」
「〜〜っ!」

 な な な。

 いきなりの展開に、私の頭がついていかない。
 でも。
 先生から視線をずらせない。

 先生の目も。
 きらきらしてて、とても綺麗だったから。

 手が、触れる。
 私の左手に、先生の右手が重ねられて、それで。


 ピンポーン


「うわぁっ!?」
「やや」

 突然鳴ったインターホンに私は文字通り飛び上がり、先生はそんな私に驚いて手を引っ込めた。

「は、はいっ!」

 慌てて立ち上がり、インターホンの通話ボタンを押す。
 と。

『ハッピーバースデイ、ちゃん!』
『よう、
「あ、あかり、に、瑛!?」
『……どうしたの?』
「え、な、なんでも」
『プレゼント持ってきたんだ。開けてくれる?』
「う、うん。……グッジョブ!!」
『は??』

 なんていいタイミング!

 私はロックを解除して、通話を切った。
 はああ、助かった……。

「海野さんと、佐伯くんですか?」
「は、はい。先生と一緒で、誕生日プレゼント持ってきてくらたみたいで」
「や、さすがは人気者のさん」

 微笑む先生は、いつもの先生。

 さっきの、あれ。なんだったんだろう……。

 やがて玄関のチャイムが鳴る。
 私は玄関を開けた。

「こんばんは、ちゃん。誕生日おめでとう!」
「ありがと、あかり。わざわざ届けにきてくれて」
「瑛くんと出かけた帰りだから、通り道だったの。ハイこれ! 瑛くんと一緒に選んだんだよ!」
「へぇ〜、瑛と一緒に、おでかけだったの」

 あかりから紙袋を受け取って、にやりと瑛を見上げれば。

「……なんだよ」

 視線に気づいた瑛は、ちょっとだけ赤くなって喧嘩腰。
 ふふ、がんばってるじゃないの、おとうさん。

「あれ、ちゃん、お客さん来てるの?」

 あかりが足元の靴に気づいた。
 あきらかにメンズサイズのスニーカー。
 さすがにこれは誤魔化しようがない。

「あー、うん。ちょっと」
「そ、そうなんだ……」

 言って、あかりはちらりと瑛を見上げる。

 あれ。
 ちょっと待って、あかり。
 もしかして、まだ瑛が私のこと好きなんじゃないかとか、勘違いしてるの?

「誰だ?」
「え?」
「誰が来てるんだ、って聞いてるんだ。嫁入り前の娘の家に上がりこむ男を、おとうさん、見逃すわけにはいかないなぁ」

 今度は瑛がにやりと笑う。
 あれ?

「そ、そうだよ、瑛くんにちゃんと会わせなきゃ!」

 そしてあかりもそれに乗る。

 あ、頭抱えたいよ、私……。

 恐らく瑛は。
 あかりとデートしてきたことを私に知られてからかわれるより先に、私のことをからかってやろうと思ってそんなこと言ったんだろうけど。
 多分あかりはっ。
 瑛が私の訪問客に嫉妬してそんなこと言い出したんだと思って、瑛に味方しようとしてるんだ。

 ああもう、この勘違い夫婦っ!

 と。
 私の背後に再びの威圧感。

 玄関と部屋を仕切ってるカーテンをめくり、私の背中にぴったりくっついて。
 若王子先生が、やってきた。

「こんばんは、佐伯くん、海野さん」
「……若王子、先生?」

 ぽかんと口を開けるあかりと瑛。

「な、なんでここに」
「先生? さんのおいしい手料理食べてました」

 ぽん、と。
 先生は私の肩に手を置いた。

 ひ え え え

 あかりと瑛は唖然として私と先生を見つめて。
 そしてお互い顔を見合わせて、こくんと頷きあった。

「じゃ、じゃあな、オレたち、これで」
「せ、先生、私たち、なにも口外しませんからっ」
「はい、さようなら」
「待ってーっ! 帰らないでーっ! おとうさーん、おかあさーんっっ!!!」

 そそくさと帰ろうとする瑛とあかりを、先生はにこやかに見送って、私は必死で呼び止めて。

 でも、あかりと瑛はそのまま逃げるように帰ってしまった。


「うっうっ、真咲先輩、バイト上がったらすぐ来てくださいよぅ」
『おいおいっ、どうした、!?』
「なにもないんですけど、すぐに来てくださいよぅ……」
さぁん、おかわり貰ってもいいですかー?」
『…………』
「真咲先輩ぃぃ」
『わ、わかった。とりあえず、入り口付近を若王子に取られないように死守しとけ』
「は、はい……」

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