8月入って最初の日曜日。
今日は若王子先生の課外授業の日だ。
4.第1回課外授業:海
「あ、ちゃんみーっけ♪ 今日はめっちゃ可愛いやーん」
「あ、クリスくんみーっけ♪ クリスくんは今日もキマってるね!」
集合場所の駅前広場で、私は関西弁のイギリス人・クリスくんに声をかけられた。
クリスくんとは初めて会ったときから波長があうというか。とにかく馬があうというかで、いっつもこんなテンションの高い会話で盛り上がってる。
「いつもはぎゅって髪ひっつめてまとめてるやん。今日は巻き毛がくるくる〜ってなってて可愛いなぁ」
「だってほら、髪ばさばさしてるとノート取る時邪魔でしょ?」
「今日は課外授業やからおろして来てるんやな? う〜ん、学校でもそのほうが可愛いのに〜」
クリスくんがそうやって子犬のように話しかけてくるほうがよっぽど可愛いってば。
そうこうしているうちに、ようやく若王子先生がやってきた。
「や、みなさん早いですね」
「若ちゃんセンセ、遅刻やで〜?」
「やや、それはすみませんでした」
走ってやってきた先生は何度か深呼吸をして点呼を取った。
今日集まったのは8人。夏休み中にしては優秀なほうじゃない?
おとつい先生から直接電話が来たときはバイトがあるから断ろうとしたんだけど、大きなため息をついてこれで3人に振られました〜なんて言われたものだから、無理に出てきたけど。
「それではみなさん、今日はこれから海に行きます。水着は持ってきていませんね?」
「若ちゃんセンセ、しつも〜ん」
「はい、ウェザーフィールド君。なんでしょう?」
「なんで海行くのに水着持ってきたらあかんかったの?」
そーだそーだ、と他の生徒からも声があがる。主に、男子。
「それはですね」
先生は眉をへの字にして答えた。
「実を言うと、先生、泳げないんです。みなさんが海でおぼれても、助けに行けないからです」
「え〜、若サマ泳げないのぉ〜?」
「あの、あんまり先生をいじめないでください……」
あ、先生いじけた。
まわりは笑い声がはじける。
「先生、私も質問です」
「はいはいっ、さん。なんでしょう?」
仕方なく救いの手を入れてあげようと私が手を上げると、先生はくいつくように返事をした。
私は隣のクリスくんを指す。
「なんで別クラスのクリスくんが来てるんですか?」
「え〜、ちゃん僕がいると嫌なん?」
「そうじゃないけど。これ、1−Bの課外授業でしょ?」
「おもしろそうやから僕も連れてって〜って若ちゃんセンセに頼みこんだんよ」
「はい、先生、向学心のある生徒はいつでも受け入れちゃいます」
「もともとはセンセに電話で誘われたんやけど」
「あ、ウェザーフィールド君。ばらしちゃだめです」
「先生……」
海水浴場からほんの少し離れた、人の少ない砂浜に私たちはやってきていた。
クリスくんは「もうちょっとあっちで水着の女の子みたい〜」なんて最後までがんばってたけど。
「さ、みなさん。青春爆発です」
「……は?」
にこにこしながら言った先生の言葉に、クリスくんを除く全員が目を点にした。
「みなさんの熱い魂の叫びを、海に向かってぶつけようぜー?」
「お、おー……」
とまどいながらガッツポーズで答えるクラスメートたち。
先生。どの辺が授業なのかをまず説明してください……。
でもそこはまがりなりにも若王子クラス。
クリスくんが「水着のお姉ちゃんがみたいー!!」と叫んだのに爆笑したのがきっかけで、みんなも好き好きに叫び始めた。
曰く、「海のバカヤロー!」だの、「がんばるぞー!」だの。
ひとりそのテンションについていけずにいた私に、つつつと先生が近寄ってきた。
「さん。まだ叫んでいませんね?」
「はぁ……」
「だめです。先生のクラスは一致団結です」
「一致団結してたら、もう少し人数集まってると思います、先生」
「あ、ひどい。さん、意地悪ですね」
思わず本音を言ってしまったら、また先生は拗ねてしまった。
もう、なんなんだろうこの先生。
あまりの情けない表情に、私は噴出してしまった。
「わかりました、先生。私のとっておきを叫びます」
「やや、さんのとっておきですか?」
「そうです」
くるりと私は海の方に向き直り、一度大きく深呼吸してから、大きく息を吸った。
「時給上げろぉぉぉぉぉぉ!!!」
いや、自分でもこんな大声が出たのかというくらいの大声が出た。
そして山もないのになぜか聞こえるエコー。
「……さん」
「はい」
「切実ですね?」
「とっても切実です」
「ちゃん、ええ声だすなぁ〜」
私と先生。
2人はお互いを見ず、海を見つめたまま心を通い合わせていた…かな?
やがて日が暮れ始めた頃、先生が授業の終了を告げた。
「みなさん、寄り道せずにまっすぐ帰宅…」
「あ、浴衣のお姉ちゃんや〜♪」
先生の言葉を遮って、クリスくんが堤防のほうを見て嬉しそうに言った。
みんながそっちを一斉に見る。
堤防は浴衣姿のカップルや家族連れが行き交っていた。
そういえば、今日は花火大会があるんだっけ。
「なぁなぁ、これからみんなで花火見にいかへん?」
「わぁいいね! 行こうよ!」
「ほな決まりやね! ちゃんも行くやろ?」
先生の注意を無視して、みんなすっかり花火大会に夢中みたい。
クリスくんの笑顔を見ていると、おもわず私も「行く!」と言いたくなったけど。
「私、これからバイトなんだ」
「えぇ〜、休めへんの?」
「うん、休むわけには行かないんだ。ごめんね?」
「残念や〜。あ、若ちゃんセンセは行けるやろ?」
クリスくんが先生に尋ねると、女子生徒の何人かも「若サマ行こうよ!」と誘ってきた。
それなのに先生ってば。
「ごめんなさい。先生も行けません」
「えぇ〜若ちゃんセンセも?」
クリスくんと女子生徒はものすっごく残念そうに食い下がったけど、結局先生は断って。
私と先生は花火大会に向かうみんなを砂浜で見送った。
いいなぁ……。
「さん、うらやましがってる。ピンポンですね?」
無邪気に青春を謳歌しに行く同級生たちの背中をいつまでも見つめていたら、先生にそんなことを言われた。
私は先生を振り返って、素直に頷いた。
「ピンポンです。でも、仕方ないです」
担任である若王子先生は、私の家庭事情を知っている。だから、嘘を言っても仕方ない。
「あーあ、私も行きたかったなぁ。来年は行けるように、バイトがんばらなきゃ」
「さん、これからすぐにバイトに行くんですか?」
「え? いえ、今からだとちょっと早いです。でも、帰る時間はないので、どこかで時間つぶします」
「だったら、先生と二人で花火大会、しない?」
は? と思って先生を見たら。
いつのまにやら先生に握られてる、線香花火の束。
「どうしたんですか、それ……」
「や、さっきみなさんにジュースおごらされたでしょう? 先生、痛い出費でした」
あぁ、叫んだあとにみんなが喉かわいたーって先生に詰め寄ったっけ(私も恩恵にあやかったけど)。
「そのとき、ジュース3本につき1回の福引が出来たんです。それで先生、花火を引き当てました」
「そうだったんですか」
「うん。だからさん。あっちの大きな花火には負けるけど。二人で花火大会をしよう」
先生に優しく微笑まれて、私はしばしぽかんとしてしまった。
もしかして。
「先生……私と花火大会するために、みんなと一緒に行かなかったんですか?」
「はい。いつも一生懸命がんばって、学年1位も獲ってくれたさんにご褒美です」
「あ、ありがとうございます!」
嬉しい。
なにが嬉しいって、先生の心遣いが。
みんなと同じ『夏休みに花火を見に行く青春』を経験できるようにっていう気持ちが。
「先生は最高の先生です! 私、鼻高々です!」
「や、そこまで言われると照れますねぇ」
もう嬉しくて嬉しくて、私は先生を褒め連ねた。
……それなのに!!
「先生、早くやりましょう。火を出してください」
「はいはい、火、……火? ややっ!!」
花火を受け取って、わくわくしながら催促すると、先生は急に慌てたように自分の服をぱたぱたと叩き始めた。
……せ・ん・せ・え?
「火……持ってないんですね?」
「あの、その、先生、タバコ吸わないから、ライターとかマッチは持ち歩いてなくて」
「……」
「さん、持ってませんか?」
「持ってるわけないでしょう!」
ですよねぇ…はぁ。
と、先生はがっくりと肩を落とした。
前言撤回。
先生はつめが甘すぎます。私、かなり呆れてます。
……でも、とっても大好きです、先生。
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