考えてみれば、私がしたことは停学くらったって文句が言えない所業だ。
 先生を殴るなんて。


 39.2年目:学年末テスト


 バレンタインデーに学校から救急車で病院に搬送された私は、精神状態が落ち着かずにそのまま即入院。
 そして、さすがに救急車で担ぎこまれるなんて事態を引き起こしてしまったから連絡が行ったんだろう。
 北海道から、叔母さんが飛んできた。

 その日は治療を受けながら病院に一泊。

 でも、別にどこが悪いってわけでもないから、翌日には退院した。
 大事を取って、というか叔母さんに頼みこまれて学校は休んだんだけどね。

 叔母さんは私のPTSDをほんとにほんとに心配してたらしくて、ここぞとばかりに自分たちのもとにくるように私を説得にかかった。

 さ、さすがに、ね。

「先生に恋して嫌われて逆ギレして、ついでにPTSDまで起こしちゃいました、てへっ」

 などとは言えるはずもなく。

「父さんとの約束はどうしても果たしたいの。叔母さんと叔父さんの気持ちは嬉しいけど、あと1年だから」

 と説得して。
 その日の夕方には追い出し……じゃなくて、帰宅してもらった。


 土日もほとんど寝て過ごした。
 あかりや瑛から何度かメールを貰ったけど、返信する気力もなく無視してた。
 若王子先生からの着信も何度かあったけど、それも全部無視した。


 翌週からはいつもどおり登校した。
 そうそう。朝走るのはやめた。

 突然走るのをやめてしまった私に、志波くんが尋ねてきたけど。

「もうやめたの。特に、理由はないよ」
「……そうか」

 志波くんは何も聞かずにいてくれた。

 ごめんね。
 先生には嫌われてしまったけど、もっともっと嫌われるんじゃないかって、怖いんだ。

 だから、瑛のことも前の呼び方に戻した。

「おい、いきなりどうした、……」
「別に。名前で呼び合う仲でもなかったでしょ、佐伯くん」

 瑛は学校ではいい子の仮面を脱げないのを知ってるから。
 私は貼り付けたような笑顔で、言った。

 ごめんね。
 先生には誤解されてしまったけど、せめてその誤解だけは解きたいんだ。

 だから、私、瑛と志波くんとの友情、放棄するよ。

 自分を守るためだけに、人を傷つけるよ。
 ああでも。
 こんなことする子なんて、余計に先生に嫌われるね。

 先生のファンの子が言ってたことも、あながち間違いじゃない。
 みんなの優しさに甘えきってたから、バチがあたったんだ。


 私は男の子とほとんどしゃべらなくなった。
 ハリーやクリスくんや氷上くんもそう。
 男の子だけじゃない。お昼休み、屋上でみんなとご飯を食べるのもやめた。

 みんなは仲良くうまくやってるんだ。
 あかりがいれば瑛が話しかけてくることもあるし、はるひがいればハリーもやってくる。

 私のわがままで、そんな楽しい時間をめちゃくちゃにしたくなかったし。

 だから、あかりやはるひや、他の女の子とも話す機会が減った。
 当然ふたりは心配して、わざわざ後半クラスまで来て。

 でも私は。

「なんでもないよ? 一人でご飯食べたい気分になっただけ」
「そんなわけあるかいっ。なぁ、。何があったん!? アンタ、救急搬送された日からおかしいで!?」
「心配してくれるんだ」
「あったり前やん!」
「だったら、もうほっといて」

 ひどい言葉だ。

 それでも何日かはめげずにお昼のお誘いに来てくれたけど。
 2月も終わる頃には、それも来なくなった。



 ひとつ駄目になると、あとはなにもかもどんどん駄目になるね。



 学年末テストが来た。
 今年は体調を崩すこともなく、絶好調。

 翌週張り出された順位表には、定位置の1位のところに名前があった。
 満点教科は4つ。氷上くんに負けた教科はゼロ。
 完璧の出来だ。
 これで3年目の奨学金は第一種に戻せるだろう。

 でも、なにも、うれしくない。

「海野さん」
「若王子先生!」

 あ。

 先生が、来てる。

 前みたいに、優しい笑顔でみんなを褒めてる。

「ついに10番台に載りましたね?」
「はい! がんばりました!」
「うん、先生も嬉しい。海野さんなら、きっともっと上を狙えます」
「はいっ」

「西本さんは、えーと、前回よりはいいですね?」
「もう若ちゃん、別に無理して褒めんでもええよ……」
「やや、ばれちゃいましたか」
「そこは白状するとこちゃうやろ!」

 すいません、と笑う先生。

 元の先生だ。
 年末の頃のような、バレンタインの頃のような素っ気無い先生じゃない。
 優しくて、生徒が大好きな、人気者の若王子先生。

 よかった。

 ほっとして、私は久しぶりに口元がほころぶのを感じた。

「あ」

 先生と、目が合った。
 すぐに、あかりとはるひも私に気づく。

 私は踵を返して、足早に教室に戻った。
 私には、もう優しい言葉をかけてもらえないのを知ってるから。
 いまさら思い知らされたくない。


 教室に向かう途中、志波くんとすれ違った。
 志波くんとは、もう何日も話してない。
 私に気づいて、志波くんは眉をあげた。

「オイ」
「なに?」

 声を聞くのも久しぶり。

「どうした?」
「どうした……って、何が?」

 何か、ヘン?
 私は自分を見下ろした。
 どこもヘンなトコないと、思うんだけど。

「泣きそうな目ェしてる」
「え」
「……行けばわかるか」

 志波くんはじろっと私を一瞥して、順位表が張り出されてる方に歩いてってしまった。

 私、そんな目してたのかな。
 トイレに入って鏡で確かめたけど、赤いわけでも涙を溜めてるわけでもなかった。

 志波くんって、時々突拍子もないこと言うからなぁ……。


 私は教室に戻って次の授業の準備を始めた。
 ところが、急に廊下のほうが騒がしくなる。

 なんだろ?
 と思ってたら、クラスの男子が一人、大興奮の面持ちで駆け込んできた。

「ヤベェ! おい、野球部マネージャー!」
「ど、どうしたの?」
「マジヤバイって! 志波が、若ちゃんに掴みかかって、喧嘩してるんだって!」

「「「「マジで!!??」」」」

 クラス全員が立ち上がった。
 その脇を、私は全速で走りぬけた!


 さっきまでちらほらしかいなかった順位表の前は、黒山のひとだかり。
 その奥からは、教頭先生の声がする。

「やめんか、志波! お前、何をしてるかわかってるのか!? 手を離しなさい!」
「志波くんやめて! どうしたの!?」
「志波、ヤメロって!!」

 あかりと、ハリーの声も。

 みんなの間を割って入ると、そこには。

 若王子先生の胸倉を掴みあげて、怒りの表情を見せてる志波くん。
 先生は苦しそうに志波くんの手を掴んでるけど、抵抗する素振りはない。

 教頭先生はなんとか志波くんの手を離そうとしてるけど、びくともしない。
 ハリーも後ろから引き離そうとしてるけど、これも同じ。

「はるひっ」
!」
「どうしたの!? なんで志波くんが、先生を」
「アタシかてわからん!」

 少し離れて様子を見ているはるひに声をかけた。
 でもはるひも不安そうな顔をして首を振る。

「志波がやってきて、若ちゃんが声をかけて。普通に話しとると思ったら、急に志波が怒りだして、若ちゃんに掴みかかったんや」
「なんで……!?」

 志波くんは、黙って先生を睨みつけたまま。
 でも、どうして。
 どうして先生は抵抗しないの?

「志波くん、やめてよ! どうして!? あんなに先生のこと尊敬してたじゃない!」

 あかりの涙ながらの説得にも、志波くんは耳を貸さない。

「!」

 先生の顔が歪んだ。志波くんが、手に力を入れたせいだ。

「先生っ!」

 知らず私は走り出していた。
 人垣を掻き分けて、私は志波くんの左腕に掴みかかった。

「先生を放して! 志波くん、お願いだからっ!」
っ……」

 自分がどんな顔してるのかわからない。
 でも無我夢中で志波くんの腕をほどこうと力を込めた。

 そんな私を見下ろす志波くんは。
 先生よりも、ずっと辛そうな、悲しそうな顔。

 どうして。

「くっ」

 志波くんは、乱暴に先生を解放した。
 突き飛ばすように先生を離して、そのままハリーに腕を掴まれる。

 先生は。

「先生っ!」
「若サマぁ!」

 ごほごほ咳き込んでる先生に、2−Bの生徒やファンの子が駆け寄って手を差し伸べている。

「や、大丈夫……ごほっ、大丈夫です。みなさん、教室にもどってください。もうチャイムは鳴ってますよ」

 あかりや他の女子に支えられながらも、先生はみんなに笑顔を見せた。

「全員教室に戻りなさい! 早く!」

 教頭先生も怒鳴る。
 みんなは渋々、そしてひそひそと話し合いながら教室に戻っていく。

 私、は。

「志波っ、お前はこっちだ! 来なさい! 若王子先生も」

 口を真一文字に結んで先生を睨みつけていた志波くん。
 ハリーの手を振り払い、教頭先生の方へのろのろと歩いていく。
 若王子先生も襟元を直しながら、歩いていった。

「志波くん」

 私が声をかけると、志波くんはとたんに泣きそうな、苦しそうな顔をして。

「悪ィ。余計なことした」
「え?」

 それだけ言って、教頭先生のあとをついていく。

 志波くん、余計なことって、何?
 今の行動って、私が関係してるの?

 ぽかんとして志波くんの後姿を見送っていたら、ハリーにぽんと肩を叩かれた。

「よ、ひさしぶり」
「ハリー……」
「お前、月曜はバイトないんだったよな?」
「え? う、うん」
「今日学校終わったら、お前ん家行くわ」

「は?」

 唐突な訪問宣告。
 なんで、ハリーが?

「はるひも連れてく。うまい茶用意してないと、クビだかんな!」
「え、ちょ、ちょっと!」

 ぐっとコブシを突き出して、一方的に宣言して。
 ハリーはじゃあな! と自分の教室へと戻ってしまった。

 な、なんなんだろう?


 放課後、私が帰宅して1時間後。
 宣言どおり、ハリーははるひを連れて我が家にやってきた。
 二人とも学校から直行したのか、制服のままだった。

「オッス、。うまい茶用意しといたか?」
「そんな暇あったと思う?」
「ねぇな」

 だったら聞くなっ。

「なんや、久しぶりやな。こうしてとまともに向かい合ってしゃべんの」
「そうだね」

 私はふたりになけなしのカモミールティを出して、対面に座った。

 なんか、面接会場みたい。へんな雰囲気。
 ま、こんな硬い雰囲気を作り出してるそもそもの原因は、私なんだろうけど。

 ハリーとはるひはお互い顔を見合わせて、うんと頷いた。

「まずはご報告申し上げます」
「……はい?」

 ハリーの口から聞きなれない丁寧語を聞いて、私は一瞬構えを解いてしまう。
 しかししかししかし!
 次の瞬間。

「っえええええ!? ちょ、ま、もう1回! もう1回言って!!」

「だからぁ、アタシら、付き合うことになってん!!」

 突然の、ハリーとはるひの交際宣言!
 私は口と目をまん丸に開いて、唖然。
 でも。

「ほんとに!? ほんとなの!?」
「嘘言ってどうすんだよ。マジだマジ」
「はるひっ……うわぁ、おめでとう!!」

 久しぶりに、テンション上がった。
 私ははるひの手を取って、ぶんぶんと上下に振った。

「よかったね、ほんっとによかったね、はるひ! おめでとう!」
のお陰や。去年のバレンタインにに後押ししてもろたお陰で、アタシ、勇気持ててん。修学旅行中に、アタシから告白してん!」
「ほんとに!? やだな、文化祭準備の時、な〜んか仲いいな、とは思ってたよっ! あっ、じゃあ修学旅行カップルの7組のうちのひとつだ!」
「うん」
「もーはるひー! あの時しれっとしてたくせに、こっそりうまくいってたなんて、報告遅いぞっ!」

 嬉しくて嬉しくて。
 自分のことのように嬉しくて。
 私ははしゃぎまくった。
 だって、本当に嬉しかったんだもん!

、お前ってほんとイイヤツだよな……」

 半ば私のテンションに押されながらも、ハリーが言った。

「え? だって友達の恋が成就したんだよ? 嬉しくないわけないじゃん! ハリー、はるひを泣かすようなことがあったら、私が」
「待て待てっ。今日はその話で盛り上がるために来たんじゃねーっての」

 私の顔面に手のひらを押し付けるようにして、話を遮るハリー。
 見れば、はるひも笑顔を浮かべているものの、目は真剣だ。

「あんな、。もう、アンタに何があったか、なんて聞かん。友達でも言いたくないことあるやろうし」
「あ……」
「アタシらの付き合いをこんなに喜んでくれて、アンタがアタシらに愛想つかしたわけやないってことが判っただけでもよかったわ」

 うん。

 そうだね、はるひ。
 無理してみんなを避けてたけど、嫌いになったわけじゃない。

「みんな、のこと心配してんやで?」
「うん。……ごめんね、みんなを傷つけるような態度とって。でも、私」
「なんか理由あんだろ? 言いたくないなら言わなくていーって言ったじゃん」

 お茶を飲んで、ハリーが言う。

「オレたちにも大体の想像はついてっし」
「え」
「噂だろ。お前、佐伯と志波のふたりを天秤にかけてるってヤツ」

 うあ。
 ハリーとはるひも知ってるんだ。
 情報通のふたりだから……ってわけでもないんだろうな。
 きっと本当に『みんな』がしてる噂なんだろう。

 先生が信じちゃうのも、仕方なかったんだ。

「アタシら、のこと知っとるみんなで噂否定しまくっとるからな! 竜子姉やあかりや、野球部一同も!」
「うん……ありがとう、はるひ、ハリー」
「アタシらとお昼一緒にとらなくなったんも、佐伯の呼び方戻したんも、噂のせいやろ? そんなん気にせんで、いつもどおり振舞えばええねん!」
「けどな」

 ハリーは手のひらでカラのカップを弄びながら。

「お前、若王子となんかあったんだろ」
「っ」
「志波って、オッソロシイほど野生のカンが働くヤツだかんなー。オレ、今日の志波と若王子の喧嘩が始まる前から近くにいたんだけどよ」
「う、うん」
「アイツから笑顔を奪ったの、アンタだろって」

 志波くん。
 なんで、わかっちゃうの?
 化学準備室で起こったこと、誰も知らないはずなのに。

「そんで若王子の胸倉掴みあげて、あの騒ぎ」
「まぁ、アタシらもなんとなくそうなんだろなーとは思っとってん。バレンタインを境に若ちゃん、元通りの天然ボケボケ教師に戻ったし」

 あの日から。先生が元に戻った?
 きっかけがあったとすれば、私だろう、多分。

 い、いやだ。私が傷ついた姿を見てせーせーしたからもういいや、なんてことだったら。
 いやすぎるぅぅぅ……

「氷上から聞いたんやけど」

 頭を抱える私の肩を叩いて、はるひが言った。

「あの日救急車が学校来るまで、若ちゃん、を抱き上げたままずっと、ゴメンって言い続けてたらしいで?」
「え?」
「生徒会で居残りしてたら救急車が来て、驚いて玄関行ったらテンパッた若ちゃんがアンタ抱えて右往左往しとったって」
「オレも聞いた。病院までついてこうとして、の担任ともめてたらしーじゃん」

 知らな、かった。
 私、てっきり。

、噂の件はアタシらがもみ消すから、もっかい若ちゃんと話してみたらどうなん? 今日順位表の前で目ぇあった時、アンタあからさまに若ちゃん避けたやろ? あの後の若ちゃんの顔、見せたかったわ」
「それから、変にオレらを避けるのもやめろ! お前、明日からはフツーにしろよ。じゃないと本当にクビだかんな!」
「う、うん、わかった」

 はるひとハリーに『絶対だぞ!』と念を押されて。


 二人が仲良く帰っていったあと。
 私は携帯を取った。

 休んでいた土日に、先生から着信が何回かあった。
 全部無視してたけど、1回だけ、留守電が入ってた。
 今まで聞いてなかったのは、嫌われたのに教師としてだけの言葉なんて聴きたくないと思ってたからだった。

 でも。
 はるひとハリーが言ってたことが本当なら。

 私は音声メモを再生した。


『若王子です。
 ……さん、あの、…………
 …………元気ですk』

 ピーッ  このメッセージをもう一度再生するには……


「せ……せんっせぇ……」

 一気に、力抜けた。

 『か』を言い切る前に時間切れですかっ!!



 なんかいろいろいろいろ突っ込みたい先生の留守電を聞いた翌日。
 私は久しぶりに、早朝の森林公園に走りに行った。

 志波くんに、会いに。



 いつもの時間に、いつもの場所で。
 志波くんは噴水に腰掛けて、汗を拭いていた。
 私を見つけると、志波くんは立ち上がった。

「おはよう、志波くん。……ここで会うの、ひさしぶりだね」
「だな」
「……昨日、大丈夫だった?」
「お前は気にするな」

 気にするってば。

「あのね、私ちゃんと先生と話すことにしたから」
「ああ」
「心配かけて、ごめんね?」
「別に」
「心配してくれて、ありがとう」
「……

 志波くんが私を呼んだ。肩にタオルをかけ直して、志波くん独特の、口の端だけ上げる笑顔。

「うまくいくといいな」
「うん」

 志波くんは、私がどんな仕打ちをしたって、変わらずに優しい。
 でも、ちょっと聞いてみたかった。

「ねぇ、なんで昨日あんなことしたの?」
「お前が……」

 いいかけて、やめて。
 志波くんはにやりと笑った。

「南の取り合い」
「……は?」
「かっちゃんとたっちゃんの、勝負」
「へ?」
「じゃあ、学校で」

 それだけ言って、志波くんは走って行ってしまった。

 志波くんって、時々謎かけみたいなことを言うけど、今日のは格別。

 一体、どういう意味なんだろう?

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