ちゃん、明後日の日曜日、まだバイト予定入ってへんやろ? 僕の仕事、手伝うてくれへん?』


 24.夏休みバイト:クリス編


 珊瑚礁バイトが明けて翌週日曜日。
 今日はクリスくんと約束した、バイトの日だ。

ちゃんに、一日秘書して欲しいねん』
「秘書? 秘書って、社長次のスケジュールは、とかっていうアレ?」
『あったりー♪ 話早くて助かるわー。オッケイしてくれるん?』
「私に出来るかな? 大丈夫そうなら引き受けたいんだけど」
ちゃんなら大丈夫やて! ほんなら、明後日お迎え行くから、待っててやー♪』

 という電話を貰ったんだけど。
 電話を切ってから気がついた。

 クリスくんの仕事って、一体何?


 ピンポーン

 9時ちょうどにインターホンが鳴る。
 玄関先に出てみたら。

「おっはよーちゃん。いい天気やんなー」
「く、クリスくん、どうしたの、そのカッコ」

 三つ編みやカラーリボンで飾ったブロンドの長髪を後ろでポニーテールにまとめて。
 制服のブレザーとは違う、サラリーマン風のスーツを着て。
 手には書類の入ったクリアケース。

「何て、お仕事スタイルやん。ちゃんも、これから僕と似たようなカッコしてもらうんやで?」
「へ?」
「はい、このスーツに着替えてな」

 といって渡されたスーツケース。
 ちらりと見えるのは、ベージュのテーラージャケット。

「あの」
「サイズなら心配あらへん。ばっちりぴったんこサイズや」

 そこをつっこむべきか否か。

 受け取ったまま思案している私を置いて「ほな10分後なー」と言って、クリスくんは出て行った。


 そのスーツは胸周りがちょっときつめだったけど、それ以外はクリスくんが言うとおりぴったりサイズだった。
 こんなスーツ着せられて、クリスくんもあんな格好で、手にした書類の束に、秘書。

 もしかしたら、学生バイト的なお仕事じゃなくて本格的なビジネスなのかも。
 それなら、少しはオトナっぽく見えたほうがいいかもしれない。

 私はいつものひっつめ髪をゆるくダウンスタイルにまとめ直した。
 それから、ホワイトデーにクリスくんから貰ったグロスパレットの中で、一番赤みの強いのを選んで唇に乗せた。

 よし、エセOLの出来上がり!

 ピンポーン

 時間ぴったり。
 私は玄関に向かった。


 で、絶句。
 家の前には、すっごく大きな外車。
 クリスくんは外人さんだから、自家用車が外車だって不思議はないけど、でもこの車はすっごく高そう。

「クリスくんって、もしかして、すっごいお金持ち?」
「そうなんかなー? ようわからへん。さ、乗って乗って」

 勧められて乗り込んだ車内は総革張り。うはぁ。

「前にあかりちゃんにもお願いしたことあるお仕事なんやけどな。その服、あかりちゃんサイズやねん」
「あ、どうりで」

 胸がきついと。

ちゃんにもよう似合とるで♪」
「あ、ありがと。それで、私は今日何をすればいいの?」
「これ」

 クリスくんは私に手帳と、書類ケースを手渡した。
 書類ケースの中は、付箋がはりつけられた書類がぎっちりつまっている。

「その手帳に書いてあるスケジュールを、定期的に僕と運ちゃんに教えてほしいねん」
「はい」
「次はどこに何時、あと何分ですってカンジで。で、そっちの書類は番号ふっとるから、僕が言った番号の書類を取り出して渡して欲しいねん」
「はい」
「……ちゃん、ほんまに秘書ってカンジやなぁ」

 手帳の中身をぱらぱら見ながら返事していたら、クリスくんがずいっと顔を近づけてきた。

「わ、びっくりした」
「唇赤くてつやつややんな?」
「あ、コレ? ホワイトデーにクリスくんがくれたの使ってみたんだよ。似合う?」
「ほんま? めっちゃ似合っとるで! 嬉しいな〜、ちゃんと使うてくれて」

 スーツを着てお仕事モードでも、クリスくんはクリスくん。
 いつもの無邪気な笑顔でにこーっと微笑んで。

「ちゅーしてええ?」
「だだだだめっ!!」

 ……どんな時でも、クリスくんはクリスくん。


 お父さんの会社のお手伝い(らしい)ということで、何件かの取引先をまわった私たち。
 クリスくんが取引先に行ってる間、そもそもは部外者の私は車で待機。
 話は1時間以上かかることもあって、手帳を読み込んでも過ぎる時間はごくわずか。

 ついつい私はうとうと………

ちゃん」
「はにゃ?」

 揺り起こされて、間抜けな声を出す私。
 目の前には、ちょっと疲れた様子の青い瞳。

「わぁっ! ご、ごめん、私」
「あ、ええねん、ええねん。ちゃんバイト疲れやんな?」
「ううん、ほんとにごめん。時給から引いといて?」

 手を合わせて平謝りすると、クリスくんは今までみせたことのない、少なくとも私がみたことがない悲しそうな笑顔を浮かべた。

「ど、どうしたのクリスくん。仕事、うまくいかなかった?」
「あ、ちゃうねん、今日の仕事はめっちゃうまくいった。そうやなくてな……」

 んー、と困ったように首を傾げて。
 
 すると、今度はぽんと手を叩いて。

ちゃん、まだ時間あるん?」
「うん、今日は夕方バイトも入ってないから大丈夫だよ」
「せやったら、これからデートしよ!」
「は、い?」

 言うなりクリスくんは車に乗り込んで。

「ほなしゅっぱーつ♪」

 もういつものクリスくんだ。
 なんだったんだろ、さっきの表情。


 たどりついたのは、学校近くの小さな公園。
 夕陽がもうほとんど沈んでいて、空は茜色から藍色へのグラデーションが綺麗に広がっている時間。

ちゃんはブランコに座ってな?」
「え、うん」

 言われるままにブランコに腰かける。
 クリスくんは、私が乗ったブランコの前に立って鎖を握り締めた。
 まるで覆いかぶさるように。

 って、近い近い。

「えーと」
「う、うん」
「……えーと」

 にこにこしながら私を見下ろしてたクリスくんだけど。
 やがて困ったように眉をぎゅっと寄せて。

「あかん。何言おうとしたんか、忘れてもた」
「へ?」
「前にな」

 クリスくんは鎖から手を離し、隣のブランコに座った。
 足を地面につけたまま、ぎいぎいと揺らす。

「仕事で大失敗したことあんねん。そんで、この公園で一人反省会しとったら、あかりちゃんに会うたねん」
「あかりに」
「うん。そんで、話聞いてもらって、励ましてもろたんや。そん時のこと話そ思たんやけど……」
「だけど?」
「なんや、ちゃんの顔見とったら言いたいことまとまらんくなってしもた」

 照れ笑いを浮かべるクリスくん。

「言いたいんはな? ちゃん、よくがんばってますーちゅうことやねん」
「うん……」
「根本の原因は違うとるけど、僕とちゃんって境遇が似とるねん、多分」
「そうなの?」
「うん……多分」

 クリスくんは首を傾げて、自分で言っておきながら疑問符つき、といった表情だ。

 でも、そうかもしれない。

 お父さんの仕事を自分の意思で手伝ってるクリスくん。
 お父さんの遺志を自分の意思で果たそうとしている私。

 ふたりとも、誰にも追い詰められてないのに自分で自分を追い詰めて、焦りだけ感じてるところとか。

 多分、クリスくんもそういうことを言いたいのかな。

「クリスくん、ありがとう。疲れ吹き飛んだよ」
「え、ほんま? 僕、なんもしてへんで?」
「ううん、一生懸命言ってくれたこと、なんか響いたよ」
「ほんま?? うわぁ、めっちゃ嬉しい!」

 ぱあぁ、と蘇るエンジェルスマイル。

 あ、これが一番癒される。

「商売やっとる人間がイッチバン嬉しいんは、やっぱお客サンからの反応やん。僕の言葉でちゃんが喜んでくれるんは、めっちゃめっっちゃ嬉しいわ〜♪」
「私はクリスくんが笑顔でいることが一番嬉しいよ」
「ほんま〜? ちゃん、僕を喜ばすのうまいなぁ」

 そこでクリスくんはじーっと私を見て。

「ちゅーしてええ?」
「だだだだめっ!!」

 それが一番僕を喜ばすのに〜なんていつものクリス節。

 ゆ、油断も隙もない。

ちゃん、次の機会もよろしゅーな? 今度はあかりちゃんと二人で。僕、両手に華や♪」
「仕事しようね、クリスくん」

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