期末テストも押し迫った6月第3日曜日。
 同じクラスの野球部女子マネに頼まれて、今日は野球部の練習試合の手伝いだ。


 21.2007年6月17日


 グラウンドでは試合が滞りなく進んでいる。
 今は8回まで終わって、9回表ではね学の攻撃中。1点を追ってるところだ。

「なんの問題もなさそうじゃない? あ、負けてるってとこ以外は」
「う、うん。負けてるうちはね」

 野球部マネージャーはあいかわらず不安そうな顔をしている。

 この手伝いを頼みにきた時から、彼女なんか変なんだよね。

さんって、藤堂さんと志波くんの二人と仲いいよね? あのね、次の日曜の練習試合、手伝ってくれない?」
「練習試合? つまり、藤堂さんと志波くんも誘って来いってこと?」
「う、うん……。噂に聞いただけだけど、藤堂さん喧嘩強いみたいだし、志波くんは中学時代、野球やってたから」
「へ〜、そうなんだ。知らなかった」

 朝いろいろ話してはいるけど、そういえば志波くんの中学時代の話って聞いたことないかも。

 って。あれ?

「ね、ねぇ、志波くんはわかるとして、藤堂さんの喧嘩が強いってのは、練習試合と関係あるの?」
「……もしかしたら、必要になるかも、って思う」
「へ、へぇ……」

 なんてこと言われたから、私も最初は断ろうかと思ってたんだけど。
 どうしても! とねだられて協力を約束。

 藤堂さんはいぶかしそうな顔してたけどOKしてくれて。
 ただ志波くんは。

「だめ?」
「だめだ」
「どーしても?」
「っ……どうしても、だ」

 あかりのマネして、上目遣いでお願いしてみたんだけど、駄目でした。
 ううん、デイジーへの道は遠いわ、エリカ……。


「よしっ!」

 藤堂さんの声で、引き戻される。
 見れば、はね学の4番がツーランを打ったところだった。

「やった、逆転だよ!」
「あ、あぁ、逆転しちゃった……!」

 マネージャーの彼女を振り向いたら、なぜか彼女は青くなってしまっていた。

「ど、どうしたの?」
「あのピッチャー……私、中学の時も見たことあって」
「うん」
「試合に負けそうになると、キレるの」
「……は?」

 彼女の言葉が理解できない私。
 横ではチームメイトにもみくしゃにされながら迎えられてる4番の3年生。

「ほら、タオル!」
「あ、はいはい!」

 藤堂さんに呼ばれて、私はタオルを探す。
 体育祭の応援団といい、藤堂さんってきびきびしてて姐御だよね。
 私はタオルとスポーツドリンクを取り出して、4番の3年生に渡しに行こうと。

 そのときだった。

「うわっ!」

 グラウンドから鈍い衝撃音と、悲鳴。

 見れば、5番のバッターが左腕を抑えてうずくまっていた。
 デッドボールだ!

「大丈夫ですか!?」

 痛みにうずくまる先輩に、コールドスプレーと救急箱を持って駆け寄る私と藤堂さん。
 マネージャーの彼女は、さらに青くなってベンチにへたりこんでしまっていた。

「ってぇ……」
「こりゃ駄目だ、代走だな」

 左腕というより、肩に近いところをぶつけられたんだろう。
 先輩は脂汗を浮かべて肩を抑えている。

 そしたら。

「おいおい、代走ならさっさと交代してくんねぇ?」

 マウンドから、かったるそうな声。
 相手校のピッチャーだ。
 悪びれる様子もなく、ボールをぱしぱしミットにぶつけて遊んでる。

 何、あの態度。

「おい、スポーツマンならスポーツマンらしく一言謝ったらどうだ」
「うるせーな! 試合の邪魔だからさっさとどけよ!」
「何……」
「と、藤堂さん、とりあえず先輩をベンチに運ぼうよ」

 一触即発な藤堂さん。なんとかなだめて、1年生の控えメンバーにも協力してもらって先輩をベンチに運んだ。
 ユニホームを脱がせて、みんな息を飲む。
 ボールがぶつかったと思われる場所が、赤黒く腫れ上がってた。

 ひどい。

「わぁっ!」

 さらなる悲鳴に振り返ると、側頭部すれすれに投げられた球を6番の2年生がぎりぎりで避けたところだった。

「アイツっ! わざとだな!?」
「待って、藤堂さん! 夏の予選前に暴力はマズイよ!」

 マウンドに駆け出そうとしていた藤堂さんを後ろから抑えて。
 でも、ひどすぎる。
 はね学の顧問は今日はおやすみ。代理を頼まれてる先生も、時々様子を見に来るだけで今はいない。

 ていうか。相手の学校の監督はなんで止めないの!?

 と思ったら。
 相手校の監督もニヤニヤと嫌な笑いを浮かべてた。
 なんて学校!

「やっぱり、こうなるんだ……」

 マネージャーが口元を押さえて、泣きそうな顔でつぶやいた。

「相手校のピッチャー、私、中学同じなの……」
「そうなの!?」
「変わってない……。ああやって、試合に負けそうになると、相手の選手にビーンボールを投げつけるの」
「なんて卑劣なの!」
「それが原因で、志波くん、野球やめたんだ……。チームメイトにボールぶつけられて、志波くん、アイツを殴って、それが問題になって」
「そんなことが……」

 正義感が強い志波くんらしい。
 でもその正義感の強さが、あんな卑怯者にくじけさせられるなんて。


「え、なに、藤堂さん?」
「志波……アイツ、学校来てる」
「ほんと!?」
「野球がらみだし、何より……アンタの頼みだから気になってたんだろ。朝、陸上トラックの方で見た」

 応急手当をてきぱきしながら、藤堂さんは私の目を見て言った。

「アイツの過去を断ち切るにもいいチャンスだろ。……呼んで来な、
「う、うん」

 その時、再びグラウンドから悲鳴があがった。

 6番の2年生。……頭を押さえてる!

、ダッシュ!!」
「はいっ!」

 私はとにかく走り出した。

 あんなの、絶対許さないんだから!


「志波くん、志波くん……」

 校舎をはさんで、陸上トラック。
 陸上部員が和気藹々と練習に励んでる。
 野球部の喧騒も、さすがにここまでは届いてないか……。

 グラウンドを見回す。
 ユニフォーム姿のトラック選手、いつもの白ジャージの若王子先生、大声出してる応援部。あ、天地くんだ。

 でも志波くんがいない。

 どこ!?


「うわ!?」

 真後ろから声をかけられて、走っていた私は足をもつらせてしまった。

 ころぶ!

 ……と思ったら、左腕を強く掴まれた。

「大丈夫か」
「し、志波くん……」

 支えられて立ち上がる。

 制服姿の志波くん。
 その姿を見て、私は泣きそうになった。

「お、おい……」
「野球部が!」

 いきなり泣き顔になった私に戸惑う志波くん。
 私は、支離滅裂になりながらも。

「志波くんが野球やめた、あのピッチャーが! みんなにボールぶつけてっ……」
「なん……お前、なんで知って」
「助けて!」

 なんかもうこらえ切れなくなって、私は両手で顔を覆ってしまった。
 志波くん、きっとわけがわからなくて困ってる。
 でも、もう喉がつまって伝えられない。

 でも、連れて行かなきゃ。
 このままじゃ、野球部が。

「わかった」

 志波くん。
 私の肩をぽんと叩いて。

 涙で濡れた顔をあげてみれば、志波くんは野球グラウンドに向けて走り出していた。

 よかった……。

 安堵で足から力が抜けそうになる。

さん」

 そこに。
 驚いた顔をした若王子先生が来た。

「泣いてる? 何があったんですか?」
「先生っ、野球部が……」



 私と先生が駆けつけたときには。

!」
さんっ、志波くんが!」

 藤堂さんとマネージャーの表情が明るい。

 グラウンドには、いつの間にか野球部のユニフォームを着てバッターボックスに立つ志波くんがいた。

「……、……」
「………!」

 お互いに、何か言い合ってるみたいだけど、よく聞こえない。

「志波くん、お願い……!」

 マネージャーが祈るように成り行きを見守ってる。

 相手ピッチャーが、ふりかぶって、投げた!

「志波くんっ!」
「打てっ、志波ぁ!」

 私と藤堂さんが立ち上がる。

 グラウンドには、快音が響いた。

 ボールコースの球を強引なフルスイングで。文句なしの場外ホームラン!

「ぃやったぁぁぁ!!」

 私も、藤堂さんも、マネージャーも、野球部員全員が、手にしていたタオルを放り投げて叫んだ!
 やったね、はね学大勝利!

「な、何を……まだ、9回の表じゃねぇか」
「いえ、これで試合終了です」

 ダイヤを一周する志波くんを睨みつけながら、相手校のピッチャーがこぼすと、若王子先生がマウンドに向かって歩いていった。

「君にはもう試合を続ける権利はない。わかるね?」
「な、なんだよテメェ」
「僕? はね学の先生です」
「な、なんだなんだ。はね学は練習試合を放棄する気か?」

 今度は相手の監督もマウンドにやってきた。
 う、わ、先生大丈夫かな。

「試合中にマウンドに押し入るとは。しかも、あんな即席の選手を送り込むなんて、試合に対して不真面目な」
「じゃあ真面目な話をしよう」

 すい、と先生の目が細くなった。
 ううん、座った、っていうほうが正しいかも。
 見たこともない、若王子先生の怖い顔。

「彼がビーンボールを投げ続けている間、あなたは一度も彼を注意しようとしなかった」
「あ、あれは不幸な事故だ。故意だという証拠があるとでも?」
「本気で言ってる? ここにいる全員が証言者だ。もちろん、そちらの学生も。試しに、高野連に報告してみようか」
「馬鹿な……一方的な言い分など、高野連が相手にするものか」
「学生の純粋さを、甘くみないほうがいい。僕は、彼らの良心を信じてるから」

「先生……」

 ベンチに戻ってきた志波くんが、感動のまなざしでつぶやいた。

 私も、いつも先生をうさんくさいなんて言ってる、藤堂さんも。
 みんな、先生を見つめてた。

「う、くっ……」
「僕が本気で怒る前に、荷物をたたんで帰ったほうがいい。この後を、保障できないから」

 すると。
 相手の監督はピッチャーの腕を乱暴につかみ、マウンドからひきずり降ろした。

 そして、気まずそうなチームメイトに「帰るぞ!」と一喝して、一人先にグラウンドを出て行った!

「やったぁぁ!! 若ちゃん、カッコイー!」
「マジ感動! 若ちゃんスゴクねぇ!?」
「や、みなさん。先生、実はどきどきでした」

 大歓声を上げて、若王子先生を取り囲む野球部員。
 うん、よかったよね!

……」
「志波くん、ありがとう。おかげで野球部が助かったよ」

 先生を胴上げし始める輪には加わらず、志波くんがやってきた。

「礼を言うのはこっちだ。また、野球に戻らせてくれて、サンキュ」
「それを言うなら、藤堂さんと彼女に、ね。二人が志波くんのことを教えてくれたんだもん」
「そうか。藤堂、サンキュ」
「アンタにいつまでもウジウジされてちゃ、たまんないからね」

 ぷいっと視線をそらす藤堂さん。照れてる。

「それから……」
「志波くん、私にはお礼いらない。だって、私」
「お前、中学の時アイツと同じ学校だった、よな」

 低い声で言われて、ビクンと体を震わせるマネージャー。
 でも、志波くん怒ってないよ。
 私は彼女の肩を叩いて、顔を上げさせた。

「ずっと気に病ませてたんだな……悪ィ」
「う、ううん」
「これからヨロシク、マネージャー」
「志波くん……」

 ああ、マネージャー、泣き出しそう。

 でもよかった。野球部も志波くんも、丸く収まって。
 まさか、事の顛末を教えた先生が、あんな大活躍してくれるとは思わなかったけど。

「若サマせんせー! 記録取るから戻ってきてくださいよー!」
「やや、先生呼ばれてますね。それでは野球部のみなさん、練習がんばってください」
「あざーっしたーっ!!」

 整列して、キャップを取って礼をして、全員で若王子先生をお見送り。

「先生、ありがとうございました!」

 最後に私が大声で叫ぶと、先生は振り返って笑顔で手を振ってくれた。

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