去年の入学式は期待と不安が入り混じっていたのを、はるひとあかりがほぐしてくれたけど。
 ……2年目の始まりは、ほんともう、サイアクだった。


 19.2年目:羽ヶ崎学園始業式


 というのも。

 新しく通うことになる2年生教室があるフロアに張り出されたクラス割の表。
 あかりやはるひや、私と仲のいい女の子はみんな前半クラス。私だけがぽつんと後半クラスに割り振られていた。

 男の子もそんな感じで、唯一志波くんが隣のクラスになってたけど。
 合同授業の体育は男子と一緒じゃないし。

 まあでも。
 去年だって知り合いが全くいない状態ではばたき市に来て、これだけの友達が出来たんだから。
 身近なクラスで新しい友達を作ればいいやって思い直して。

 次の瞬間、軽く頭を殴られた気がした。

 2年生のクラスの、新しい担任の先生はこの学年のもう一人の化学の先生。

 つまり。

 もう若王子先生は担任じゃなくて。

 ついでにいうなら、教科担任ですらなくなってしまって。


「ああもう、気が滅入る……」

 帰宅して早々、私は敷いたままの布団に倒れこんだ。

 別に若王子先生のクラスじゃないのがショックってわけじゃないけど。
 新しい先生と、また信頼関係を築いてくのが面倒くさいというか。
 ううん、きっと新しい先生も私の家庭のことは知ってるはず。だから、別に私からどうこうということもないんだけど。

 あかりはまた若王子クラスだった。
 そして、なんと佐伯くんとはるひも一緒。
 帰り際、また今年もお願いします、なんて。先生と楽しそうに話してたあかり。

 あああああうらやましぃぃぃ……。

 ごろごろごろごろ。

 私はどくろクマを抱いて布団の上を転げた。
 ああもう、制服ぐちゃぐちゃ。

「はー……」

 髪も乱れてしまったのをそのままに、私は天井をあおいだ。

 そんな風に心持ち落ち込み気味に帰宅した私をどん底に突き落としたのが、今、テーブルの上に乗っている封書だった。
 差出人は天之橋奨学金本部。

 結局私は、第2種の適用になってしまったんだよね。
 若王子先生がいろいろかけあってくれたみたいなんだけど。
 考えてみれば、私のように自分で学費を払う立場にある学生なんて、この不景気いくらでもいるわけだし。
 学年末159番なんて成績で、第2種適用してもらったことに感謝すべきなことなんだろうと思う。

 けど。

「どうしよう、残りの学費と生活費……。こうなったら叔父さんに援助を……ううん、それだけはだめ!」

 父さんの弟の叔父さん。はばたき市に行くときも、最後の最後まで心配してくれた、優しい叔父さん。
 でも、叔父さんにはもうこの家の家賃をまるまる免除してもらってるし。
 それに出来るなら、学費と生活費は頼りたくない。
 ……約束あるし。

「……いいや、バイト行こう」

 いつまでも落ち込んでられない。
 長期休暇に短期バイトをつっこむとかして、稼いでいこう。

 私は制服を着替えて、ウイニングバーガーに行くことにした。



「ありがとうございましたー。……ふぅ」
「なによー、ってば、今日ため息ばっかりじゃん?」

 お客がはけたところで、私は何度目かのため息をついた。
 その背中を、藤井さんに叩かれる。

「でも、高校時代のクラス割りって、結構重大問題だよねー? せっかく仲良くなった友達が一緒じゃないってショックだよね」
「そうなんですよ。せめてひとりでもいてくれたらなーって」
「それに2年ってことは修学旅行もあるじゃん? ま、自由行動で友達と合流って手もあるけど、団体行動じゃ一緒にまわれないもんね」
「あ、そっか……修学旅行もあるんだ……」

 積立金下ろして、学費にあてようか。
 なんてことをちょっと真剣に考える私。

「いらっしゃいませー!」
「あ、いらっしゃいませ!」

 おしゃべりモードからしゃきんと接客モードに切り替える藤井さん。
 こういうところ、ほんとにスゴイ。
 私も慌てて営業スマイルを浮かべ、て。

「先生……」
「や、バイトお疲れ様です、さん」

 やってきたお客は若王子先生だった。
 あまりの突然の訪問に、私の頭がついていかない。

「先生? はね学の?」
「あ、はい。1年の時の担任で」
「うそー! 超カッコいいじゃん! ヒムロッチと大違い!」

 そうかなぁ、氷室先生も十分カッコいいと思うんだけどなぁ。
 なんて思ってたら、藤井さん。奥から店長のおしかりの声。
 藤井さんは店長に背を向けたままぺろりと舌を出した。

「先生、今日はどうしたんですか?」
「近所の定食屋さん、お休みなんです。先生、ごはん食べにきました」
「せ、せんせぇ、バイトしてる私が言うのもなんですけど、ちゃんとした食事できるところに行ったほうがいいですよ……?」
さんの様子も見に来たんです」

「え」

 思いがけず、顔が熱くなる。

「ちょっと

 つんつんと、藤井さんに肘でつつかれる。

「もしかしてラブ? こんなイケメン教師とラブラブなわけ??」
「ち、違いますよっ……」

 舌がもつれた。

「あーもー、、今日はもう上がりなサイ! どうせあと10分だし」
「やや、それはギリギリでした」
「ほんとですよー。じゃあ先生、のことよろしくっ!」
「え、あ、ふじっ、さっ」

 藤井さんに背中を押されて店員控え室へ。
 通りがてら、なぜか店長には生温かい目で見送られ。

 店長、そこは定時まで働けと怒るところですが。


 5分後。
 カウンターから身を乗り出すようにこちらを覗いている店長と藤井さん。
 そして、奥の禁煙ブースの席で向かい合って。
 私と若王子先生はてりやきラーメンバーガーを食べていた(ちなみに全部店長の奢りと言っていた)。

 ……なんでだろう。

「ややっ、さん! パンの間にラーメンが入ってます!」
「そうなんです。ウイニングバーガーのメンバーガーシリーズなんですよ」
さん、こっちのシェイクはフレークが入ってます!」
「五穀のベリーシェイクですね。期間限定の季節商品です」

 目の前の先生は、頬を紅潮させて子供のようにはしゃいでいる。
 あんまり、こういうとこで食事したことないのかな?

「おいしいですか?」
「おいひいれす」
「……口の中をカラにしてからしゃべってくださいね」

 ひゅみまへん、とにこにこ笑顔で謝る先生。
 私はぷっと吹き出してしまった。

「あはは……」
さん、ようやく笑ってくれましたね?」
「はは、え?」

 先生は食べる手を休めて、目を細めて私を見た。
 なぜかすごく久しぶりに見るような先生のその表情。

 去年は毎日顔つき合わせてたんだもんね。そのせいかな。

「今日は朝からずっとしょげてたから、先生、心配しました」
「え、見てたんですか?」
「見てました。先生のクラスになれなかったから落ち込んでる。ピンポンですか?」
「……どうだろ。ブーポン、ってとこです」
「ブーポンですか」
「ブーポンです」

 先生はふむ、と何かに納得するように頷いて。

さん、先生はさんのクラス担任からも教科担任からも外れてしまったけど。何かあったらいつでもすぐに相談に来てほしい。海野さんも西本さんも、みんな心配していました」
「みんなが」
「あ、もちろん先生が一番心配してました」

 えっへん。
 って、そこは威張るところじゃないです、先生。

「約束、覚えてる?」
「はい。ひとりで無理したら、先生にカレーパンと焼きそばパンとメロンパンを飲ます、って」
「ピンポンピンポン。大正解です。……覚えていてくれたなら、いいんだ」
「忘れません。ちょ、ちょっといきなり苦しい状況がきてますけど」
「……奨学金」
「ぴ、ピンポンです」

 がくりと肩を落とした私。
 若王子先生もこればかりは「やー……」と言ったまま、言葉が途切れてしまった。

 しばらくして。

さん、ごちそうさまでした。そろそろ、帰らない?」
「あ、はい。そうですね」
「じゃあ家まで送ります」

 紙ゴミを分別してダストシュートに捨てて。
 惜しい! と言わんばかりの藤井さんと店長に挨拶して(何を期待されてたんだろう……)。

 私と若王子先生はウイニングバーガーを出た。

 駅まで歩いて、電車に乗って、降りてまた歩いて。
 家につくまで、先生は私の手をひいてくれた。

 あったかくて大きな先生の手。
 学校帰りのスーツ姿の背中が、お兄ちゃんと重なる。

 思わず、ぎゅ、と力がこもってしまって。
 先生は私を振り向いた。

「どうかした?」
「いえ。なんでもないです」

 私が笑顔でごまかすと、今度は先生がつないでる手に力をこめた。

さん、新しい担任の先生もきっとさんの力になってくれるだろうけど。今の段階では、僕のほうがさんのことをよく知ってる」
「そうですね」
「だから、何かあったらすぐに僕に相談すること。いいね?」
「は、はい」
「よろしい。大変結構」
「あの。もしかしてそれ、氷室先生の真似ですか」
「氷上くんに教えてもらったんです。少しは先生っぽいですか?」

 いたずらっぽく片目をつぶる先生。
 全っ然似てませんよーと笑ったら、やや、残念です、って先生も笑ってた。

 そうこうしているうちに、私の家についた。
 先生とは、エレベーター前でお別れ。

さん、おやすみなさい。明日からまた、元気に登校してくださいね」
「はい、おやすみなさい、先生」

 エレベーターの扉が閉まって動き出すまで、先生は見送ってくれた。

 自宅に戻って、鍵をかけて服を着替えて、布団の上に座る。
 テーブルの上にはあいかわらず、封を切られて読んだまま放られてる奨学金の手紙。

 でも、もうそれを見ても気が重くなることはなかった。

 先生って不思議。
 心の栄養剤みたい。

「明日から、またがんばろっと」

 私は奨学金の封書をしまい、明日の予習をするために参考書をひろげた。

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