「いらっしゃー……げ」
「……げ、っていうのはひどくない? 佐伯くん」


 18.3月31日


 はね学生活1年目も終了し、春休みに入って数日後の3月31日。
 私はお昼を少し過ぎた頃、珊瑚礁に足を運んでいた。

 で、お店のドアを開けたところで、佐伯くんのさっきの言葉。

 前に見たまんまのウエイター姿で、優しげな営業スマイルが一瞬で辟易した表情に変わる。

「なんで店に来てんだよ」
「ご飯食べに来たの。お客に向かって、その態度ってなくない?」
「……金あるのか?」
「う、さらりと痛いところを。でも、今日は贅沢する日って決めたからいーの」

 お昼時だというのにお店にはお客さんは誰もいなかった。

 あれ、そういえばあかりもいない。

 なんだか疑わしそうな視線を私にぶつけながらも、佐伯くんはカウンター席に案内してくれた。

「この時間ってお客さんいないの?」
「お前なぁ……」

 カウンター内に入りメニューを手渡してくれた佐伯くんは、呆れきった表情でドアを指した。

「入り口のプレート見てないな。今日は、営業3時からって出しといたんだけど」
「え!? うそ、ほんとに??」
「じーさんが体調崩したから、仕込みが間に合わなかったんだよ」
「でも佐伯くん、いらっしゃいって」
「『いらっしゃいませ。あいにくですが、本日は3時からの営業ですので、申し訳ありませんが後ほどお越しください』」
「あー…………」

 頬杖ついてにこにこしてる佐伯くんだけど、目が笑ってない。

 こ、怖いです。

「ご、ごめん。じゃあ帰るね」
「誰もお前に帰れなんて言ってないだろ」

 慌てて立ち上がった私に、乱暴にお冷を渡す佐伯くん。
 その表情はいつもの不機嫌そうなヤツで、そっぽを向いて。

「別にいーよ、お前なら。一人分の飯くらい、3時からの営業に差し支えないし」
「でも」
「いいって言ってるだろ。さっさと食うもの選べよ。もうすぐあかりも来るし、大したことない」

 佐伯くんはざばざば手を洗いながら、こっちを見ようともしない。
 ほんと素直じゃないなぁ。あかりも苦労してるんだろうなー……。

 でも、ちょっとその不器用な優しさが嬉しかったりして。

「ありがと。それじゃあ迷惑ついでに、これ使った料理作ってくれるかなぁ?」

 私はかばんからスパイスケースを取り出した。
 佐伯くんが、その何のラベルもついていないスパイスケースを取り上げる。

「なんだこれ」
「カレー向けのガラムマサラ、若王子スペシャル」
「…………あれか」

 一瞬で佐伯くんの表情がひきつった。

 う、やっぱりカレーの件で若王子先生のこと、まだ恨んでるのかな、佐伯くん。

「これ、若王子先生に貰ったんだな?」
「う、うん」
「……春休み前に用事があって化学準備室に行ったら、乳鉢でなんかすりつぶしてた。妙にスパイスの香りが漂ってると思ったら、こんなの作ってたのか」
「ちょ、ちょっと待って。乳鉢って、……実験で使う、乳鉢?」
「オレも気になって突っ込んだ。そしたら、『ちゃんと新しいのをおろして使ってますよー』とか言ってたな」
「学校の備品を……」

 頭を抱える私に、スパイスを睨み続ける佐伯くん。
 先生って。先生って。

 ところがしばらくして、ふと佐伯くんが私を見た。

「なぁ……これ、が貰ったんだよな?」
「うん」
「……ホワイトデーにオレが先生に拉致されてカレー講習したのも、お前が関係してんの?」
「う、そ、その通りです」

 佐伯くんはぽかんと口を開けた。
 大人っぽいオールバックの給仕姿なのに、妙に子供っぽく見えるその表情。

「お前、先生と、まさか」
「違う違う違うっ!」

 真咲先輩に次いで佐伯くんまで!
 私はぶんぶんと首を振って全否定した。

「ホワイトデーのは、私の栄養状態を心配した先生が気を利かしてくれたの! それだって、先生のほかに人いたし! それにこのスパイスは、誕生日プレゼントとして貰ったの!」
「誕生日?」

 佐伯くんが聞き返してくる。

 そう、本日3月31日は私の誕生日。
 陸上部の練習に行く前の今朝早く、若王子先生がうちに寄ってくれて貰ったプレゼントがこのガラムマサラなんだよね。
 先生、あれ以来すっかりカレーにはまっちゃったみたいで。
 真咲先輩にもいろいろ聞いたりして、スパイスを調合したって言ってた。

 まさか化学準備室で乳鉢使って作ったとは思わなかったけど……。

「そ、今日誕生日なんだ、私。だから、お昼ごはんは贅沢にしてもいいかなーって思って。前にモデルの仕事で珊瑚礁来たときに出してもらった食事おいしかったから」
「そっか」

 佐伯くんは私の顔からスパイスに視線を移し、しげしげと見つめて。
 一度ポン、とスパイスケースを宙に放り投げて、ぱしっと右手でキャッチした。

「ペンネアラビアータ、珊瑚礁オリジナルカレー風味。どうだ?」
「あ、おいしそう! お願いします!」
「よし。おとうさんに任せなさい」

 にやりと笑って。
 佐伯くんはキッチンに立った。



 それから10分とちょっと。
 佐伯くんが作ったペンネ珊瑚礁オリジナルカレー風味が出来上がった。

 味は言うまでもなく抜群で、ほんのりとカレーの香りがただよう、絶妙なスパイス使い。

「ほんとおいしいよ、佐伯くん」
「当たり前だ。オレを誰だと思ってる」

 褒めても当然といわんばかりの佐伯くんだけど、食べ終わったと同時にアイスカフェオレを出してくれた。
 それから、いちごの乗った上品なショートケーキ。

「……あの」
「誕生日にケーキがなくちゃ、始まらないだろ。オレからのプレゼント」
「いいの?」
「いらないなら返せ」
「わぁあ、食べます食べます! ……ありがとう!」

 とりあげられそうになったケーキを奪い返して、私はお礼を言った。

 佐伯くんは「食い意地の張ったヤツー」なんて言ってるけど、照れてるのかそっぽを向いてしまってる。


 そしてケーキも食べ終わった頃。
 佐伯くんは私が使った食器を洗い、私はカフェオレをストローですすりながらあいかわらずカウンターをはさんで他愛もない会話をしていた。

「もうちょっとで2年生かぁ。今度は誰と一緒のクラスになるんだろ」
「さぁな。でも、クラス編成ってどうやって決めてるんだろうな」
「くじ引きとか?」
「じゃんけんで引き抜きとか」
「成績がばらけるように、成績順とか。あ、それなら佐伯くんや氷上くんとはまた別クラスになっちゃうな」
「なんでだよ? 学年末159番のくせに」
「う、い、痛いところをっ……」

 笑われた。むっとしてた私も、つられて笑ってしまう。

 そんなこんなしていたら、時計はもう2時を過ぎたところを指していた。

「あ、こんな時間。佐伯くん、無理聞いてくれてありがとう。お勘定お願い」
「……いらない」
「え。だ、だめだよそんなの。ちゃんとお金持って来てるし、払うよ」
「いらないって言ってるだろ。大体お前、さっきオレからのプレゼントって言ったの、聞いてなかったのか?」

 それはケーキのことじゃ。

 と言おうとしたけど。
 佐伯くんはこっちを見ようともしないで食器を拭き続けてる。

 うーん。

「じゃ、あ。ありがたく貰っとくね。ありがとう、佐伯くん。お店、がんばって」

 そう言って、私は珊瑚礁のドアノブに手をかけた。



 その私の背後から、佐伯くんが声をかけた。
 振り返ると、カウンターの中から神妙な顔をした佐伯くんが。

「いつでも来いよ。お前なら、歓迎するから」
「あ、うん……」
「お前、あかりの……うちの従業員の親友だし!」

 照れてる?
 急に佐伯くんの声が大きくなる。

「オレ、お前のおとうさんだし」
「あはは、そうだった。あかりがおかあさんだもんね」
「そうそう。……じゃなくて! あかりは関係ねーだろ……」

 今度は小さくなる。
 か、可愛いなぁ、佐伯くん。

「とにかくっ、いつでも来い」
「うん、ありがとう佐伯くん。じゃあ、また新学期に!」
「ああ、新学期に」

 そう言って。
 私は佐伯くんに手を振りながら珊瑚礁のドアを閉めた。

 さぁ。

 来週からは新学年、新学期だ!

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