3月。学年末テスト期間。
 一番重要なこの時期に、私は風邪を引いてしまった。


 15.1年目:学年末テスト


 春先は気候の変化が激しいから、特に気を遣ってたつもり。
 それなのに私はテスト範囲が発表になった頃から体調を崩し始めて。

 テスト初日に熱を出してしまった。

 37度2分。微熱だ。
 このくらいなら大丈夫、と思って学校に行った。

 翌日。37度6分。
 まだ平気。バイトも休むわけにいかないから、薬を飲んでいつもの時間まで働いた。

 さらに翌日。38度ちょうど。
 悪化してる……ちょっと、ぼーっとする。
 でも休めない。学年末テストは1年間の成績を決めるテスト。
 このテストを落としたら。奨学金がもらえなくなる。
 私は体に鞭打って、テストを受けた。バイトは、藤井さんに怒られて、早退した。

 4日目。37度5分。
 少し下がった。あと残すは一日。
 ベッドの中で、参考書を読み込んだ。

 そして5日目。
 サイアクの38度9分。

「今日の数学と、化学で終わりだから……」

 熱いのか寒いのかもう全然判らない。
 とにかく私は学校に行くために家を出た。

 そういえば、昨日若王子先生がめずらしく怒ったような顔してたっけ。
 無理するなとかなんとか、そんなこと言ってたような。

 でも先生、私、無理しないと。
 無理しないと、学校行けなくなっちゃう。
 私の風邪を心配してくれたあかりが、今日はお弁当作ってくれるって言ってたから、朝ゆっくり出来たもん。

 大丈夫。

 大丈夫。

 ほら、駅までたどり、つい、あれ。


 なんか、地面が近いよ。



 あれ?





 目を開けると、白い天井と、見慣れたくせっ毛。

さん」

 先生だ。
 ここは?

「よかった、気づいたね。駅前で倒れたんだよ。覚えてる?」
「……え」

 倒れた?
 じゃあ、ここは。

 がばっ!!

 私は飛び起きた……つもりだった。

 実際は体に力が入らなくて、かろうじて布団をめくりあげただけだった。
 右腕がうずく。点滴の針がささってるんだ。

「動かないで。安静にしてないとだめだ」
「せんせっ……今、今何時ですか」
「もうすぐ6時になります」
「っっ!!」

 6時。
 そういえば、もう部屋にはライトがついている。

 テスト、受けられなかったんだ。

「先生っ! テスト、お願いです、追試受けさせてくださいっ。わたし、これじゃ」
「落ち着いて、さん。今は体を治すほうが先です」
「でも、このままじゃ、私……」

 奨学金が。

 先生は困ったように眉をひそめ、私の髪を撫でた。

「そのことは後で考えましょう。さん、とにかく今は休みなさい」
「だって、奨学金貰えなきゃ、学校に行けなくなる」
「大丈夫。さんの今までの成績なら、奨学金はもらえるよ」
「第一種じゃなきゃ!」

 意味がない。

 第一種は通学する学校の授業料全額援助してくれる。
 でも、第二種では半額しか出ない。
 はね学は私立の学校だ。
 授業料の半額だって相当な金額だけど。
 言い換えれば、相当な金額を自分で払わなきゃいけないことになる。

「どうしよう……先生、どうしよう……」
さん」

 涙があふれてきた。

 今までがんばってきたのに。
 こんなことで。

 このままじゃ。

「約束が、果たせなくなる……」
「約束?」

 先生が私の涙を、指でつぅ、と拭ってくれる。

「や、約束。父さんが、私、末っ子で甘えん坊だから、ちゃんと自立して、学校、卒業して、大学行って、一人で歩けるようになって欲しいって」
「……さん」
「果たせなく、なる。こ、このまま、じゃ」
「よしよし」

 熱でうかされて。
 片言な日本語になってる私の言葉。
 そんな私の話を聞いていた先生。

 にっこり笑って、私の涙をもう一度拭ってくれて。
 その大きな手で、私の左頬を包んでくれた。

「今までさんががんばってきたのは、お父さんとの約束のためだったんだね」
「せんせぇ……」
「きっとお父さん、誇らしく思ってるだろうけど、悲しんでもいるよ。約束にしばられて、体を壊したりしちゃ」
「……」

 にこにこしながら、頬を撫でてくれて。
 ああなんか。
 先生、お兄ちゃんみたい。

さんの風邪はウィルスによるものだけど、悪化させたのはストレスだって」
「ストレス……」
「うん。奨学金に対するプレッシャーと、卒業式のアイツ」

 先生……。先輩は多分関係ない……。

さん、先生と約束しよう」

 そう言って、先生は私の左手の小指に、強引に自分の小指をからませる。

「もうさんは無茶をしません。無理だと思ったら先生を、友達をちゃんと頼ります」
「……」
「ゆーびきーりげーんまーん、嘘つーいたーら……」
「ついたら?」
「……カレーパンと焼きそばパンとメロンパンを先生に、飲ーます」
「飲めませんよ、それ」

 思わず笑ってしまった。
 ああもう。先生は本当に。

さん、約束ですよ?」
「……はい」

 先生を見てると、心が軽くなる。
 自分で追い詰めてた自分自身を、解放出来る気がする。

「追試の件は先生、教頭先生にお願いしてみます。それが駄目なら、奨学金制度の本部に直訴しますから」
「ふふ……お願いしますね、先生」
「はい。先生にまかせちゃってください」

 そしてもう一度、先生は私の頬を撫でた。



 テストは、今までみたことない3ケタの順位にまで落ちた。

 2教科を受けず、なおかつ熱でぼーっとしてたのが災いして、解答欄違いなどいろいろな間違いをしてしまったせいもある。
 それでも赤点はなし。

 今回ばかりは、ハリーに尊敬して貰えた。

 そうそう。
 退院するまでの3日間、入れ替わり立ち代りみんながお見舞いに来てくれたんだ。

 はるひとハリーには怒られ、あかりとクリスくんと小野田ちゃんには泣かれ、氷上くんと藤堂さんにはとうとうと健康について説教され。
 水島さんは差し入れにはちみつゆず湯をくれて、佐伯くんは「特別だ」と珊瑚礁のケーキをくれて。
 志波くんは3日間、毎日来てくれた。

 あ、真咲先輩と有沢さんも、綺麗な花束持って来てくれたんだよね。
 元気が出るようにって、ビタミンカラーのガーベラの花束。

 それ見て、本当に反省した。

 クリスマスにも、あんなにみんなに心配かけたのに。
 ただがむしゃらに、自分を省みないでがんばったって、なんの意味もない。

「先生、今度からは無理しないで1位をとります」
「やや、無理しないで1位宣言ですか」

 退院して初の登校日の放課後。
 退院祝いです、とフラスコサイフォンのビーカーコーヒーをいただきながら、私は先生に宣言した。

「はい。だから、先生に放課後家庭教師をお願いしていいですか?」
「やー……先生、陸上部の顧問の仕事が」
「いつも忘れてるくせに」
「あの、特定の生徒に肩入れすると、教頭先生から怒られます」
「じゃあいいです」

 ことんと、まだ中身がたっぷり入ってるビーカーを置いて立ち上がる私。

 やややっ、と先生も慌てて立ち上がる。

「冗談です、さん。先生、さんのためなら、どんな労力も惜しみません」
「特定の生徒に肩入れは、だめなんじゃないんですか?」
「いいんです。僕がそうしたいんだから」

 ちょっと最後、口調が変わった。
 先生は、いつものにこにこ笑顔。

「じゃあ、お願いしますね」
「はい。これからも一緒に、教頭先生をぎゃふんと言わせましょう」

 結局そこかい。

 でもつっこむのは今回はナシ。

 先生って、いつも肝心なところはちゃんと『先生』でいてくれるから。

 これからも、よろしくです、先生。

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