バレンタイン当日の朝、私がジョギングに出る時間に、はるひは眠そうな目をこすりながら自宅へ帰っていった。


 13.1年目:バレンタイン当日


「おはよう志波くん」
。おはよう」

 晴れた冬の早朝は、ぴりっと気持ちいい寒さが肌を刺す。
 森林公園の噴水あたりまで走りこんできた私は、すでに到着して休憩してる志波くんを見つけた。

「今日はちょっと早めだね?」
「ああ。今日は早く目が覚めた」
「そっか。あ、じゃあこれ! バレンタインチョコ。よかったら食べて?」

 体温で溶けないように、走るには邪魔だけど手提げに入れて持ってきていた手のひらサイズの包みを志波くんに手渡した。
 志波くんはしばらくそれを見てたんだけど。

 やがて眉間に皺をよせて突っ返してきた。

「あ、あれ? チョコ、嫌いだった?」
「いや、甘いものは好きだ。でもお前……」

 ぽん、と私の手のひらに包みを乗せる志波くん。

「自分で食べろ。人に使う金があるなら、自分の為に使え」
「……」

 そっか。

 志波くんは私の家庭事情を知ってる数少ない友人のひとり。
 気を遣ってくれてるんだろうな。

 ……だけど。

「気持ちは嬉しいけど、渡したチョコを返されるほうがショック〜」
「あ、いや……」

 わざとクリスくんみたいな明るい口調で言ってみる。
 そうしないと、志波くん真面目だから。自分を責めてしまう。

「このチョコ、実はあんまりお金かけてないんだ、申し訳ないけど。手作りでみんなの分まとめて作っちゃったから。だから食べてくれると嬉しいな〜なんて」
「……わかった。これは俺が食う」

 困ったように微笑んで。志波くんはもう一度チョコを受け取ってくれた。
 で、その場で包みをほどいて、一口でトリュフを食べてしまう。

「甘い。うまい」
「ありがと! じゃあ、また学校でね!」
「ああ。またあとで」

 ああよかった。
 私と志波くんはその場で別れ、私は走って自宅へと戻った。

 よーし、まずは一人目。


「おっはよークリスくん。さて、今日は何の日でしょうっ」
「おっはよーちゃん。何の日て、らぶらぶな日ですやーん」

 ああもう、このクリスくんのノリに何度癒されたことか。
 登校途中にクリスくんを発見して、私は声をかけた。

「その通りでーす。はい、私からクリスくんに」
「え、くれはるん? ほんまに? ちゃん、無理してへん?」
「してないよ。むしろ、節約生活が生んだチョコ」
「そんならありがたくもらとこ。おおきに、ちゃん」

 にこにこの笑顔で受け取ってくれたクリスくん。
 つられて私も満面の笑顔。

「もしかしてこれ、手作りちゃう?」
「うん、手作りだよ。ちっちゃくて申し訳ないけど」
「うわー、感激やわー。学園のアイドルの手作りチョコ♪ ううう、まわりからの視線が痛い〜」

 う、そういえば登校中のほかの生徒がいる中で渡したのは、少し目立ってるかも。
 でも、クリスくんもこんなキャラだし。
 大丈夫、だよね?

ちゃん、お返し期待しててな。日本の文化の3倍返ししたるから」
「あはは。期待してるね、クリスくん」

 ということで、これで2人目。


 教室の前までくると、はるひに手招きされた。

「どうしたの? あ、ハリーにはもうあげた?」
「ま、まだやねん。あんな、。アンタもハリーにチョコあげるやろ?」
「うん、そのつもりだけど」
「じゃあ、あたしのチョコも一緒に渡してくれへん!?」
「な、何言ってるの!」

 それじゃ、せっかくの手作りも台無しじゃない!

 頬を染めてもじもじしてるはるひ。
 ああ、はるひは本当、自分の恋愛にはオクテなんだから。

「だめだよ、はるひ。ちゃんと渡さなきゃ。もう、わかってるでしょ?」
「そ、そうやけど……や、やっぱ無理や〜〜〜!」
「だめ。荒療治してあげるから。ハリー!」
「わわわっ!?」

 向こうからハリーが来たのを見つけて、私は大声で呼んだ。
 慌てるはるひだけど、もう待ったナシ!

「オッス、、はるひ」
「オッス、ハリー。はいこれ、バレンタインチョコ」
「んなっ……」

 イヤホンを外しながらやってきたハリーの足が止まる。
 私が差し出した小さな包みを凝視して。

「ば、バカヤロ、お前っ! んなもんにかける金あんなら、自分のために使えよ!」
「志波くんと同じこと言ってる。ハリー、これはちゃんと予算内で作ったものだから平気だよ」
「う……じゃ、じゃあ貰ってやる。しょうがねぇな!」

 乱暴な口調だけど、ハリーは私の手のひらの包みを受け取ってくれた。
 よしよし、3人目。

「ほら、はるひ」
「う、うん」

 私は隣のはるひをつっついた。
 もじもじしながらも、はるひは。

「あ、あんな、ハリー。あたしもハリーにチョコ作ってきてん」
「お、そうなのか? よしよし、オレ様がちゃんと受け取ってやる。うまいんだろうな!」
「あたり前やん! 何回練習したと……じゃなくてっ! ええから、こっちきい!」

 はるひは真っ赤になりながらも、ハリーの腕を取って隣のクラスへ引っ張っていった。

 ふふ、がんばれはるひ。


「ねぇ小野田ちゃん。氷上くんにチョコあげてもいい?」

 聞いた瞬間、小野田ちゃんは盛大に牛乳を噴出した。
 悪いことしたなぁ……。

 というのがお昼休みのこと。

 私は5時間目の予鈴が鳴る前に渡しちゃおうと、生徒会室まで足を運んでいた。
 いるかな?

くん」
「うわ!? あ、氷上くん」

 ドアをノックしようと思ってこぶしをあげた瞬間に、背後から氷上くんに声をかけられた。

「生徒会に何か用かい?」
「ああびっくりした。生徒会っていうか、氷上くんにね。はい、チョコ」

 何かの資料で両手がふさがってる氷上くん。
 私はその資料の上に、包みをぽんと載せた。

 たちまち渋面になる氷上くん。

 ふむ、これはあれが来るな。

「「くん。菓子類の校内への持込は校則で禁止されているはずだ」」

 ほら当たり。

 氷上くんが言うであろうお小言を一言一句、全部かぶせて言ったら、さすがの氷上くんもきょとんとして。
 ぷっと吹き出した。

「そんなに僕の考えはわかりやすいかな」
「あはは、校則に関わることならね」
「うん。今日は先生からも甘く見るように言われているし。ありがたくいただくよ」

 両手がふさがってる氷上くんのかわりに生徒会室のドアを開けて。
 私は予鈴が鳴り出した廊下を走り出した。

 これで4人目。


 で、後は佐伯くんなんだけど……。

 教室にも屋上にもいなかった。
 今日は女の子に捕まりまくってるだろうから、きっとすぐ捕まるだろうと思ってたんだけど。

「ねぇあかり。佐伯くんがいそうな場所って心当たりある?」
「いないの? じゃあ、あそこかな」

 教室に戻ってあかりに協力を頼むと、彼女はとある場所を教えてくれた。

 それは中庭のちょっと目立たない木陰。
 舗道からは死角になってて、その場所までいかないと辺りの様子がわからない、っていう場所。
 へぇ、こんなとこあったんだ。

「佐伯くん」
「うわ! や、やぁ、今行こうと……」

 普通に声をかけたつもりだったんだけど、ごろんと横になってた佐伯くんははじかれたように飛び起きた。

「ご、ごめん。私。驚かせちゃったね」
「なんだか……。勘弁してくれよ」

 声をかけたのが私だとわかると、佐伯くんは大きくため息をついて、再び寝転がった。

「お疲れだね?」
「見れば判るだろ。今日一日で、顔の筋肉が硬直しそうだよ」
「お勤めご苦労さまです」
「わかったら、おとうさんもう寝るから。あっち行きなさい」
「その前に、おとうさんにプレゼントあるの」

 めんどくさそうに片手で追い返そうとする佐伯くんの額に、私はチョコの包みを置いた。
 むくりと身を起こした佐伯くんの手のひらに、包みが落ちる。

「佐伯くんに限っては、お返しいらないや。それだけのお返し用意してたら、破産しちゃうもんね」

 手の中の包みに視線を落としてる佐伯くんの脇には、あふれんばかりの贈り物がつまった紙袋がふたつ。

 でも佐伯くんは不機嫌そうに。

にはお返しするよ」
「え、いいよ、そんな」
「するって言ってるだろ。優先順位はオレに決める権利がある」

 ひねくれてる割には義理がたいというか。

「んー……私、2番目?」
「2番目? 何が」
「いや、あかりが1番目だから、そうすると」

 ぺしっ

 問答無用の佐伯チョップが私の頭に炸裂した。
 あ、でも。少し手加減されてるかも。

「余計な勘ぐりするな」
「はーい」

 やや赤くなりながらも、佐伯くんはまたごろんと寝転がった。

 はい、5人目終了!


 放課後。
 お昼休みに会えなかった藤堂さんと水島さんにチョコを渡した後(藤堂さん、5倍返ししてくれるんだって)、私は教員室に足を運んだ。

「先生っ」
「はいはい、さん。なんでしょう?」

 うわぁ、先生の机の下。ダンボールにチョコの山。
 さすがヤングプリンス。教員人気ナンバー1。

 私は腰を90度に折り、腕を真っ直ぐ突き出して。

「山吹色の菓子でございます。どうぞ、お納めください」

 ぶっっ!!

 私の芝居がかった口調に噴出したのは、若王子先生の隣に座っていた古文の先生だった。

「ははは! いいぞ! 朝から若王子先生にチョコ渡しに来る女子生徒を見てきたが、そこまで露骨に賄賂を公言したのは、だけだ!」
「えへへ。ほら、奨学金を得るためには評価を買収しておこうかと」
「よしよし、おもしろいな、お前。それで、教科担任には無しか? ん?」
「すいません。軍資金が足りませんでした」

 そりゃあ仕方ないなぁ〜といいながら笑う古文の先生。
 はるひのクラスの担任で、この先生もこのあっけらかんとしたところが生徒に人気があるんだよね。
 若王子先生より、ずっと先生っぽいし。

「先生、もうたくさん貰ってるでしょうけど、バレンタインのチョコです」
「ありがとう、さん。これは……手作り?」
「はい。昨日の夜作ってきました」
「うん」

 しげしげと包みを見つめていた先生。
 と、ぺりぺりと包みをはがして、中のチョコをぱくっと食べてしまった。

「おいしいです、さん。料理上手なんですね」
「せ、せんせぇ……教頭先生に見つかったら怒られますよ」
「やや、その通りです。あまりにおいしそうだったから、つい」

 慌ててチョコを包みなおす先生。
 でも、甘い残り香は先生の周囲を漂ったまま。

「これは……バレちゃいそうですね」
「知りませんよ。先生がうかつなんです」
「や、さん、手厳しいです」
「先生には厳しくしないと駄目なんですっ」
と若王子先生が話してると、いつも立場が逆転してるなぁ」

 にやにやしながら古文の先生が口をはさむ。

「若王子先生。私にものチョコを1つくれたら、教頭先生に問い詰められてもフォローしますよ?」
「だめです。さんのチョコは、僕がもらったんです」
「こ、子供みたいなこといわないでくださいよ、先生……」

 若王子先生と古文の先生のやりとりはその後しばらく続いて。
 もう付き合うのもばかばかしくて。

 私は教頭先生と入れ違いに教員室を出た。

 響く怒声。
 合掌。


 最後は真咲先輩。
 ウイニングバーガーに向かう途中、私はアンネリーに立ち寄った。

「真咲先輩!」
「ん? おー、か。どうした? 今日はシフト入ってなかっただろ」
「はい、今日は別口のバイトです。これ渡しに来ただけですよ」
「チョコか! よしよし、先輩を敬うのはいいことだ。二重マル!」

 わしゃわしゃと先輩は私の頭を撫でた。
 わ、わ、髪が乱れる。

「手作りか、これ」
「そうですよ。愛情たっぷり、手のひらサイズです」
「ははは、そうか。うん、お返しのリクエストがあるなら今のうちに言っとけ。モノか? 食い物か?」
「そんな、お返しなんていいですよ〜」
「と言いつつ、両手でゴマすりしてるそれはなんだっ」

 笑いながら拳固で頭をぐりぐりされる。

 ああもう、若王子先生とのこの違い。

「真咲くん! ちょっとレジお願い!」
「はいっ。じゃあな、。お返しは期待しといていいぞ!」
「はーい。よろしくお願いします」

 呼び出された真咲先輩と別れ、私はウイニングバーガーに向かった。


「あれ、……、さんだっけ」
「あ、赤城くん!?」

 午後7時のシフト明け。

 着替えを終えてウイニングバーガーを出ようとしたら。
 いつか、はば学近くで自転車故障を起こしたときに助けてくれた……赤城一雪くん。
 彼がお店の外テーブルに座って本を読んでいるのに出くわした。

「わぁ、偶然! 久しぶりだね。あ、その節はお世話になりました」
「うん久しぶり。もしかして、ここでバイト?」
「そう。赤城くんは? こんな時間に」
「ああ、参考書を選んでたらすっかり時間を食っちゃって。ここで晩御飯済ませてた」

 聞けば赤城くんももう帰るところだったというから、私たちは駅まで一緒に帰ることにした。

「あのさ、もしかしてはばチャの表紙に載ったりしなかった?」
「うぐっ! ば、ばれてた??」

 夏のあの日から自分たちにあった出来事をとりとめもなく。
 私はバイトのことや文化祭のこととか。
 赤城くんは氷室先生や、いつぞやの雨宿りの君にまた会ったこととか。

 いろいろと楽しく話しながら駅まで歩いた。

 あ、そうだ。

「赤城くん、ちょっとだけここで待ってて!」
「え、いいけど……」

 駅前で私は赤城くんを待たせてコンビニに飛び込んだ。

 さすがにチョコの棚は売り切れてるか……。
 あ、これがある。

「お待たせ! はいこれ、バレンタインチョコ!」

 予定外の出費だけど。
 いつぞやのお礼も兼ねて、私は赤城くんにチョコをプレゼントすることにした。

「え?」

 って、赤城くんはきょとんとしてたけど。
 いいからいいから、と私はコンビニ袋を赤城くんに押し付けた。

「気持ちは嬉しいけど、真冬にチョコアイス寄こすかぁ?」
「あ、あはは……ほら、気持ちだから」

 っていうか、チョコっぽいのってそれしか無かったんだけどね。

「うん、ありがとう。貰っておくよ。お返しもちゃんとする」
「無理しないでね。今日だって偶然だったんだし」
「ちゃんとするって。素直にありがとう、って言えばいいんだよ」
「う、あ、ありがとう」
「はぁ、あの子も君くらい素直だったらなぁ……」

 雨宿りの君でも思い出してるんだろうか。
 ふふふ、なんか赤城くんって純粋だなぁ。

「それじゃ、私こっちだから」
「うん、気をつけて」
「赤城くんも! またね!」
「ああ、また!」


 こんなカンジで。
 私のバレンタインは終了した。

Back