「……課外授業はお金のかからないところで、ってお願いしてたのに」
「すいません。先生、他に思いつかなくて」


 11.第2回課外授業:水族館


 新学期も始まった1月末の日曜日。
 若王子クラス第2回目の課外授業は、臨海地区の人気スポットである水族館だ。
 冬休み明けということもあって、参加者は15人と今回は大人数。

 さて。課外でこんな人数を果たして若王子先生がさばけるのかどうか……。

 って、生徒にこんな心配されてちゃ駄目でしょう、先生。

「みなさん。今日は一般のお客さんもいる場所です。礼儀正しくしましょうね」
「はーい」
「はい。では一度解散します」

 あ、先生、保護観察を放棄した。

 水族館入り口で自由行動になったので、若王子先生は早々に女子生徒に誘拐されて行き、残った生徒も好き好きに水族館内を見学しに行った。
 さて、私は何から見ようかな。

「なぁなぁちゃん、熱帯の海のコーナー見にいかへん?」
「ああ、いいね! 見にいこう。志波くんもそこでいい?」
「いい」

 で。
 今日の部外参加者は、前回から引き続きクリスくんと、意外な志波くんだった。
 1−B生徒とも仲がいいクリスくんが志波くんと一緒に集合場所にやってきたときは、みんなぎょっとしてたっけ。

「志波くんは今日はなんで参加? 先生からお誘い受けたの?」
「いや。…魚が」
「見たくなったの?」
「食いたくなった」

 志波くん。水族館に来ても魚は食べられないよ。

 お魚さんおいしそうやね〜と、北の海のコーナーを通り過ぎながら、クリスくんははしゃいでいた。


「綺麗やね〜。なんてお魚なんやろ。えーと、……スズメダイ?」
「へぇ、これタイなんだ」
「どこも雀さんに似てへんのにな〜」
「そ、その雀なのかな」

 赤、青、黄色。まるで水中がキャンバスであるかのように、色彩豊かな魚が泳ぐ巨大水槽。
 子供のようにきゃっきゃとはしゃぐクリスくんと一緒に、私は魚を見ていた。

 ふと気づく。
 あれ、志波くんがいない。

「クリスくん、志波くんとはぐれちゃったかも」
「え? ああ、ちゃん。勝己くんならあそこや。ほら、熱帯魚の水槽の前」

 クリスくんが指した先、私たちがいる巨大水槽の角の奥。
 たしかに志波くんが、小さな熱帯魚の水槽前に立っていた。
 あんな熱心に、何を見てるんだろ?

「志波くん、何見てるの?」


 声をかけるとちらっと視線だけこちらに向けて、すぐにまた水槽を見つめる志波くん。

 あ、ため息ついた。

「まさか……コイツらまでとは」
「コイツらまでとは?」

 意味がわからなくて、私は水槽を見た。

 するとなんと。

 水槽を覗いているのは私と志波くんとクリスくんだけではなく、他のお客さんもいるというのに。

 水槽の中の熱帯魚が全部! 全部だよ!
 志波くんの前に集合していたんだ!

「な、なに、コレ」
「俺の体質。……多分」

 ええなぁ、勝己くん。お魚さんにモテモテや〜。

 はしゃぐクリスくんの横で、志波くんはまた大きなため息をついた。

 コイツらも、ってことは他の動物もそうなのかな。
 小動物と戯れる志波くん。
 うわ、見たい。すっごく見たい!


 それから海獣コーナーも深海コーナーも見尽くして、集合場所に戻った私たち。
 ちょっと遅れたかな? と思って駆け足で戻ったんだけど、先生はまだ来ていなかった。
 もうみんな集まってるのに。

「あ、さん。ここ戻るまでに若サマ見た?」
「ううん、見てない。あれ、一緒じゃなかったの?」
「それが途中ではぐれちゃって」
「そうなんだ。あ、じゃあ私、館内ぐるっと見てくるね。先生と入れ違いになるかもしれないから、その時は説明しといて!」
「わかった。よろしくね、さん」

 ぶーぶーと文句を言いつつも、きちんと集合場所で待ってるみんな。

 親がいなくとも子は育つ……は、こういうときに使う言葉なのかしら。


 私は熱帯の海、熱帯魚水槽、深海……と順番に館内をめぐって。
 先生を見つけたのは甲殻類のコーナーだった。

 通路の奥まった壁際のベンチに腰掛けて、うたた寝してる。
 まったくもう。

 私は少し驚かせてやろうと思って、先生の隣にそ〜っと座った。

 腕を組んで、船をこいでる先生。
 その寝顔はとても幼くて。私は思わず微笑んでしまった。

 だって、可愛かったんだもん。

 わぁ、先生まつげ長〜い、陸上部顧問なのに色白いなぁ〜、あ、ここはくせ毛じゃなくて寝癖だな、とか。
 おもしろくなって先生観察を続ける私。

 と。

 先生の体がぐらりと傾いた。

 あぶないっ!
 と思って、私はとっさに支えようとしたんだけど。

 男の人の体って、思った以上に重たかった。


 ごっっ


「だっ!!」

 先生の体を支え損ねた私は。
 先生に押しつぶされる形で、後頭部を盛大に壁に打ち付けてしまった。
 い、痛い……。

「……あれ、さん?」

 衝撃で先生は目を覚ましたみたい。
 後頭部をさする私を、まだ眠そうな目で見つめてる。

「どうかしたんですか?」
「せんせぇに攻撃されました……」
「や?」

 ぱちぱちと目を瞬かせる先生に、私は恨めしそうな口調で一部始終を話した。
 すると先生はにこにこしながら。

 こんなこと言い出した。

「海野さんとは事故チューでしたけど、さんとは事故頭突きです。うーん……」
「な、な、な」

 この先生は。

 なんでもないような顔して、さらりと何を。

「せんせぇ! もう、みんな集まってますよ! 変なこと言ってないで、早く立ってください!」

 きっと水槽の中のタコより赤くなってる私。
 はいはい、と言って余裕の笑顔で立ち上がる先生が、ニクタラシイ。

 と。

くん」
「はい?」

 知的な響きを含んだ、男の人の声。
 ふりむけば、そこには氷室先生がいた。

「氷室先生! お久しぶりです、その節は大変お世話になりました」
「うむ、あいかわらず礼儀正しくて大変結構。見学かね?」

 休日でもピンストライプのクールなスーツをきっちり着こなした、はば学のアンドロイド……じゃなくて、数学教師の氷室先生。

「はい、課外授業です。……あ、先生」

 私の隣でぽかんと氷室先生を見ている若王子先生の腕を引っ張って。

「氷室先生、こちらは私の担任の若王子先生です。先生、こちらははば学の氷室先生」
「やー、そうでしたか」

 先生は氷室先生に右手を差し出した。
 氷室先生もその手を握り返す。

「羽ヶ崎学園で一年生の化学を教えてます、若王子です。先生のご高名は、さんや氷上くんから聞いてます」
「ご丁寧にどうも。氷室です。格がお世話になっているそうで」

 大人な二人は大人なあいさつを交わして。

 うわ、あ、あ、若王子先生が氷室先生と同じ大人に見える……!

「……ところでくん。課外授業と言ったが」
「あ、はい」

 氷室先生は急に神妙な顔になり、あたりをきょろきょろ見回し始めた。
 そうしていたかと思うと、私と若王子先生の顔を何度も見比べて。

「オホン! 学生が課外授業に参加するのは、非常に有意義なことだ。これからも、若王子先生の社会見学の誘いにはきちんと参加するように」
「? は、はい。もちろんです」
「若王子先生」

 そう言って、今度は若王子先生の肩をがしっと掴む氷室先生。

「安心したまえ」
「……はい?」
「私は君の味方だ。何かあれば、いつでも相談したまえ」
「はぁ」
「うむ。では、私は失礼する」

 何かを悟ったような氷室先生は、若王子先生に熱くそう言い残して。
 颯爽と去っていったその後姿を、私と先生はぽかんと見つめていた。

「氷室先生、何が言いたかったんでしょう?」
「や、先生にもわからないです」

 そう、全然わからなかったんだけど。

 夕方、バイト先で藤井さんに今日のことを話したら。

 藤井さん、大爆笑。

 うぅん。一体なんだったんだろ。

Back