「うぐっ!? ちょ、水島さ、ま、待った……」
「んもう。まだ腰紐1本締めただけよ?」


 10.2007年元旦


 襦袢姿の私に腰紐を巻きつけて、そんな細い体のどこに、というくらいの力で水島さんがぐいぐいと紐を締め上げる。

 は、晴れ着って地獄かも。

 新年の初詣を女の子同士で行こう、と約束していた元旦の今日。
 早朝に水島さんから電話連絡を受けた私。

『あけましておめでとう、さん。ねぇ、晴れ着着て行かない? 私のでよければ貸してあげる』
「本当!? あ、あけましておめでとう! 着たい着たい! お願いしていい?」

 というやりとりの後、私は家を飛び出して水島さんの家に行って。
 選んだ着物は大きなさくら柄の入ったピンクの着物。
 すでに水島さんは深緑の大人っぽい着物を凛と着こなしていたから、私も期待に胸を膨らませて着付けし始めてもらったんだけど。

「んぐっ!」
「もうちょっとだから。もう少しの我慢よ、さん」

 帯をぎゅぅぅと締められて、私はもう一度悲鳴を上げた。

 新年早々……今年の私を暗示しているような苦しみです、水島さん。

「ふぅ、これでよしと。わぁ、素敵よ、さん」
「あ、ありがと、水島さん」

 両手を叩いて嬉しそうに微笑む水島さん。
 そりゃこれだけ苦労して素敵になれなかったら、落ち込みますって……。

 なんて憎まれ口を叩きつつも。
 勤労学生にはどうあがいても手が出せない晴れ着が着れた私は、気分も上々。
 いつもと歩幅が違うのに戸惑いながらも、私たちは待ち合わせの神宮前まで出かけた。


 待ち合わせ場所にはすでに私たち以外、あかり、はるひ、藤堂さん、小野田ちゃんが集まっていた。

「あけおめ、二人とも! 晴れ着やな〜。う〜元旦! ってカンジでええんちゃう?」
「あけおめ、はるひ。水島さんに借りちゃった。でも苦しいんだよ」
「新年初日に気を引き締めるのはいいことさ。さ、さっさと参りに行こう」

 私と水島さん以外には、あかりが空色の着物を着て来てた。
 はるひと小野田ちゃんと藤堂さんはいつものタウンウェア。ああ、身軽そうで少し羨ましい……。

 私たち6人は縁日に気をとられつつも(主に私とはるひとあかり)、初詣客でごったがえす境内にたどりついた。

 賽銭箱にお賽銭を奮発しながら、私たちは並んでお参りする。
 ちらりと横目で盗み見れば、全員がとても真剣な顔をしてた。
 何をお願いしたんだろうな。


「ねぇ、みんな何を祈願したの?」

 あのあと揃っておみくじを引いた私たち。
 他のお参り客の邪魔にならないように端により、それぞれの結果に一喜一憂していたらあかりがそんなことを聞いてきた。

 ちなみにあかりは今年のおみくじはしっかり大吉。

「そりゃまぁ……いろいろやんか」

 小吉という結果に納得いかずにもう一度引こうとしていたはるひは、めずらしく言葉を濁す。

「いろいろって?」
「だから……いろいろやん」
「ははぁ。さては針谷がらみか」
「なっ、なんでそこにハリーが出てくるん!?」

 中吉を引いて、こんなもんかと言っていた藤堂さんは、にやりと笑ってはるひをからかう。
 ほら、はるひ。はるひの気持ちはみんなにだだ漏れなんだってば。

「そ、そういう竜子姉はなにお願いしたんよ!」
「アタシかい。アタシは家内安全、無病息災」
「ど、どこの親父やねん」

 つっこみそこねるはるひ。でも、すごく藤堂さんらしい気がする。

「チョビちゃんは? やっぱり学業成就かしら?」
「もちろんです。千代美、ですけど」
「小野田ちゃん、それだけでよかったの?」
「なっ、さんっ!!」

 瞬間ユデダコになる小野田ちゃんに腕をぽかぽか叩かれた。
 ああ、相変わらず可愛いなぁ、小野田ちゃん。いじめたい、いじめたい。

「あかりは?」
「私も学業成就と健康祈願と……」

 それからこそっと耳打ちしてくれた。

「(商売繁盛)」

 いたずらっぽくぱちんと片目をつぶるあかり。
 はいはい、珊瑚礁のことね。祈願しておかないと、佐伯くんにチョップされるんでしょ。

「みんな真面目なのね。私は恋愛成就を祈願しちゃったのに」
「えっ、水島さんが!?」
「あらぁ。チョビちゃん、そんなに意外?」
「千代美です。だって、水島さん、いつも告白断ってばかりだから男の人に興味ないのかと」
「そんなことないわよ。うふふ、かなうといいなぁ〜」

 しっかり大吉を引き当てていた水島さんが、両手を頬にあてて乙女なポーズで微笑んだ。
 ……密姐さんが惚れる男の人って。すっごく興味ある。

、アンタは?」
「私? 学業成就と金運アップ」

 今年も無事に奨学金第1種取れますように!! が、一番のお願いデス。
 元旦の神様なんやから、もっと贅沢なお願いしたらええやん、とはるひに言われたけど。
 えーとえーと、贅沢なお願い……。

「週に2回はお肉食べれますように、とか」
「……あかん、涙出そうやわ、アタシ……」

 私の切実発言に、なんか全員が涙に暮れてしまった。

 あの、流してくれないと、こっちもツライです。


 その後、お礼参り、もとい年始参りがあるとのことで藤堂さんが鳥居を出たあたりで帰っていった。
 さらにバス停で小野田ちゃんが親戚のうちに行かなくては、と別れ。
 ショッピングモールで明日の初売り整理券もらいに行く! とはるひが去り、はばたき駅前であかりが電話で呼び出され(多分、佐伯くん)。

 私と水島さんの二人が駅前に残された。

「水島さん、この後の予定は?」
「うちに帰るだけよ。親戚がもう集まってるだろうから。さんは?」
「私も帰って年賀状見るくらいかなぁ。ウイニングバーガーのバイトは夕方からだし」
さん、元旦からバイト出るの? 大変ね」

 驚いて目をしばたかせる水島さん。

「今日出ると、店長からお年玉が貰えるんだ」
「まぁ。うふふ、それじゃ出ない手はないわね」

 水島さんは口元に手をあてて優雅に微笑んだ。

 と。その背後に。

「やや、晴れ着美人さん、発見です」
「若王子先生!!」

 いつものスーツ姿ではない、私服姿の先生が神宮の方からゆっくり歩いてきた。

「あけましておめでとうございます、若王子先生。今年もよろしくお願いします」
「水島さん、あけましておめでとう。先生こそ、よろしくお願いします」
「先生、あけおめです。偶然ですね」
さん、ことよろです。さんたちも、初詣してきたんですか?」
「はい、私も水島さんも、大吉引いてきました」
「ややっ、それはそれは。先生も大凶引きましたよ。えっへん」
「先生、それ、威張るところじゃないです」

 くすくすくす……。

 先生と生徒、というよりは漫才師な私と先生の会話に、水島さんが笑いをこぼした。

 やー、笑われてしまいました、と先生が頭をかく。

さん、私そろそろ行くわね。あまり親戚待たせてたら叱られちゃうから」
「あ、ごめんね水島さん。じゃ、私も……」
「あら、せっかくだから若王子先生とデートしてきたら? 着物は今日じゃなくてもいいもの。ね?」

「は?」

 デート? デートって、ナンデスカ?

 私は思わず先生を見る。
 先生はきょとんとして。水島さんはまた、くすくすと笑った。

「それじゃあね、さん。着物はいつでも大丈夫だから」
「あ、ちょ、水島さん」

 男の子を魅了するとびっきりのいたずらな笑顔を浮かべながら。
 水島さんはさっさと改札をくぐってしまった。

 デートって。デートって。

さん」
「はい?」

 いまだに水島さんの言葉が軽口なのか揶揄なのか本気なのか、図りかねている私に。

「アバンチュールにくりだそうぜー?」

 はぁぁぁ……

 若王子先生の笑顔と言葉に、私は脱力するしかなかった。


 先生、さんにお年玉あげちゃいます。
 どこまでもついて行きます、先生。

 というわけで。

 元旦も営業している24時間営業のファミレスに、お年玉=お昼ご飯ということで私と先生はやってきていた。

さん、なんでも頼んでください。先生、全部奢ります」
「じゃあ、メニューのここからここまで」
「や、それはちょっと、予想外ですね……」

 えーと、と財布の中身を確かめる先生。
 私は笑いながら、冗談です、海鮮丼が食べたいですと告げると、先生は心底ほっとしたように息を吐いた。

「晴れ着の美人さんが海鮮丼。先生、もしかして、貴重体験してますか?」
「えー……多分」

 お刺身食べたい勢いで頼んだメニューだったけど。
 元旦、晴れ着、女子高生のキーワードから導かれるメニューじゃないよね、海鮮丼。

 でも、対面の先生も同じものを食べていた。
 メニューを選ぶのが面倒くさかったのか、「さんと同じのでいいです」って。

 お互いぺろりとたいらげて。

 デザートはいかがですか?
 あざーっす。

 というわけで(もうすでに私、食べ物につられて人格崩壊してたかも)。

 私はぱくぱくといちごパフェを食べ始めた。
 晴れ着で体をぎゅうぎゅうに締めてたから、正直ちょっと苦しかったんだけど。

さん」

 先生はデザートを頼まず、頬杖をついて私を見ていたけど。

「おいしそうですね」
「おいしいですよ! 先生も食べますか?」
「食べたいです」

 あ。

 こともあろうに先生はにこにこの笑顔で口を開けて。

 ……あのー……

「先生、あの」
「はい」
「……………………あーん」

 何やってるんだ、私。

 ってゆーか。何やらすんですか先生!!

 確実に私の笑顔は引きつっていたと思う。
 それでも私は生クリームとイチゴをスプーンですくい、先生に食べさせた。

 先生は魚が餌にくいつくように、ぱくっとスプーンをくわえる。

「甘いです」
「そりゃ……甘いでしょう」
さん、先生、大満足です」

 ひくっ。

 あまりに先生が幸せそうな笑顔だったから。

 私の心がひねくれた。

「セクハラです」
「はい?」
「エンコーすれすれです」
「……や?」
「教頭先生に言いつけてやるー!」
「ややっ!? や、さん、それは駄目です、先生、叱られるどころじゃすまないです!」

 なんかもう、のん気な若王子先生を見てたらなぜか無性に腹が立ってきて。
 セクハラ淫行教師ー!! などと散々わめき散らした(パフェはもちろん全部食べた)後、しっかり先生に支払いを任せて。

 出てきた先生はすっかりしょぼくれてしまっていた。

「ごめんなさい、さん。先生、調子に乗りすぎました……」
「ホントですよ! 全くもう」
「……ごめんなさい。本当に楽しくて、つい」

 なんだか本当に寂しそうな若王子先生。

 う。相手は先生なのに。私の方こそ言い過ぎたかも。

「先生は君たちのような青春を送れなかったから。さんには、きちんと青春してほしくて」
「先生……?」

 どういうことだろう。
 聞き返すよりも先に、先生は寂しそうに笑って。

「でも、こんなオジサンが相手じゃ、さんも青春しがいがないです」
「先生のどこがオジサンなんですか」

 むしろ子供でしょう、の言葉は飲み込んで。

「先生、ごめんなさい。言い過ぎました。ご飯、おいしかったです。お、男の人に食べさせるの初めてだったから、恥ずかしくてつい怒っちゃいましたけど。私も、楽しかったですよ?」
「……本当に?」
「本当です」
さんは優しいです」

 にっこりと笑う若王子先生。
 機嫌直るの早いけど……まさか演技だったわけでは。

さん」
「はい?」

 先生が手を差し出してきた。

「先生が家までエスコートします。晴れ着だと、歩きにくいでしょう?」
「あ、ありがとうございます」

 クリスマスのときのように、ぎゅ、と手を握ってくれた先生。

 なんかもう。お父さんみたいでお兄ちゃんみたいで弟みたいで。

 かなわないなぁ、先生には。

「先生」
「はいはい、なんでしょう?」
「今年もよろしくお願いしますね」
「こちらこそ。よろしくお願いします」

 …こんなカンジで、私の2007年が始まった。

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