「真田くんって、彼女のこと嫌いなの?」
「いきなりなんだ」
が「ちょっとトイレ〜」(そういうことは言わなくていい!)と店の奥へと姿を消した後だ。
入り口付近で腕を組み、手持ち無沙汰に待っていたオレのもとに近づいてきた千石が、眉をひそめながらそう言った。
9.おとうさんといっしょ:後編
「え、だってさっきから難しい顔してこっち睨んでばかりだし」
「睨んでいるわけではない。元々がこういう顔だ」
「駄目だぞ真田くん。元々が老け顔だからって努力を怠るのは」
オレはそこまで言っていないぞ千石……。
眉間にシワが寄るのを感じながら、オレは組んでいた腕を解いた。
「はマネージャーとしてよくやっている。嫌う理由などない」
「それならちゃんと褒めてあげなきゃ」
「褒める? 一体何を褒めるというのだ」
今度はオレが眉をひそめる番だった。
千石は腰に手をやり人差し指をちちち、と振って、妙に芝居がかった仕草でニヤリと笑う。
「帽子買いに来ててさんがあれこれ試着してるってのに、真田くんさっきから一言も感想言ってないじゃん」
「なぜオレが感想を言う必要がある? 自身が気に入ったものを買えばいいだけの話だろう。あまりに部活にふさわしくないものを選んだ場合は苦言するつもりだが」
「うわっ、褒めてあげないのに文句だけは言うんだ? それって傷つくよ〜」
「む……」
千石の理論は理解しきれないが、その点については、確かに。
押し黙ったオレを見上げながら千石はやれやれと手を振って。
「せっかく一緒に買い物に来てるんだから、気持ちよく買い物させてあげなきゃ。他の部員と差をつける絶好のチャンスをみすみす見逃す手はない!」
他の部員と差をつけることに何の意味があるのかわからんが(そもそも何の差だ?)、前半部分は納得できる。
はあまり愉快不快を表に出すほうではないが、だからこそ少しは気を遣ってやるべきか。
すると、千石が商品棚から帽子をふたつ持ってきた。
「はいこれ。真田くん、褒めてみて?」
「なに?」
「このふたつ、さっきさんによく似合ってた帽子だよ。真田くん、女子を褒めるの苦手そうだから練習しよう!」
「…………」
そのような必要はない! ……と言いたいところだったが、正直千石のように褒め言葉が浮かんでこないのが現実だ。
オレは千石が手にした帽子を穴が開くくらいに見つめ、そして。
「ふむ……派手すぎず学生らしい色合いだな」
「……真田くん、時代錯誤って言葉知ってる?」
「当たり前だ。なんだ千石、今のでは駄目だというのか?」
「駄目っていうかなんていうか。もうちょっとこう色を褒めるなら、さんに似合う色だねとか、顔色明るく見えてますます可愛くなるね、とか」
「そんな歯の浮く台詞が言えるかっ!」
「この程度で赤くなってちゃ駄目だぞ真田くん」
思わず怒鳴ってしまったが、千石はさらりと受け流す。
似ている。
千石とは本当によく似ている……。
こめかみを押さえながら深くため息をついたとき、ぺたぺたと聞きなれたベタ足走りが聞こえてきた。
「お待たせ! あれ、どうかした?」
「どうかしたんだよ、さんっ。今ちょっと真田くんに」
「なんでもない! 、購入するものは決まったのか?」
首を傾げながらオレたちを見上げるに千石が余計なことを吹き込もうとしたのを、オレは二人の間に割って入り阻止した。
見下ろすは「んー」と小さく唸ったあと、首をぶんぶんと振る。
「ごめん、まだ決まってないんだけど……」
「そうか。まだこの店を見るのか?」
「さん、他のお店も見てみようよ」
「うーん」
は傾げていた首を反対方向へと傾げて、悩む様子を見せる。
そして、ちらっとオレを見上げた。
「どうした」
「他も見に行っていい?」
「? 構わんぞ。この店にはなかったのだろう?」
にしては珍しく、窺うような物言いだった。
だが、オレの返事にほっとしたように顔をほころばせ、くるりと方向転換して歩き出す。
「この先にもうひとつ帽子屋さんがあるから、そっち行ってみる」
「わかった」
てけてけと先を歩くを追いかけようと一歩踏み出したときだ。
千石に右腕を掴まれ引き戻される。
「なん……」
だ、と問おうとして。
眉間にシワを寄せた千石は、非難がましくこう言った。
「さん、今真田くんの顔色窺ってたよ。駄目じゃん、女の子怖がらせるなんてさ」
「…………」
うまく言い返せず言葉につまったオレを置いて、千石は足取り軽くを追いかけていく。
オレは、を怖がらせていたのか?
自問しても答えは出ない。
確かに蓮二や柳生には、は女子なのだからあまりキツイ物言いをするなとよく言われたが……。
自身が怖がっているような素振りは見せていなかったはずだ。
だからオレは、他の部員たちと同じような扱いをにしてきたのだが。
怖がらせていたのか。
今日は練習中にも無理をさせてしまった。
あとできちんと、詫びなくてはな……。
苦い事実を自覚して、しかし今はの目的を達成させるべく。
『せっかく一緒に買い物に来てるんだから、気持ちよく買い物させてあげなきゃ』
さきほどの千石の言葉の重みを今さら噛み締めながら、オレも二人のあとを追った。
二人には店を出たところで追いついた。
が。
「真田くん真田くん!」
千石の切羽詰った声が聞こえ、そちらに目をやれば。
「なんだ? ……!?」
オレを見て激しく手招きしている千石の肩にもたれるように、がぐったりとしているのが見えた。
一体何があった!?
「! 大丈夫か!?」
急いで駆けつけての体を起こす。
赤い顔をしたはオレの顔を見上げたあと、ゆっくりと息を吐いた。
「真田」
「何があった!?」
「なんにも……ごめん、ちょっと立ちくらみしただけ」
片膝ついて支えていたオレの肩を押して、は体を起こす。
「クーラー効いてるお店から太陽の下に出てきたら、ちょっとくらっと来ただけだよ」
「くらっと来ただけ、ではないだろう! 熱中症を甘く見るなと言ったはずだ! 具合が悪いならなぜ早く」
そこまで言って。
の背後で渋い顔をしている千石が目に付いた。
そうだった。
これが悪いのだったな……。
「いや……大したことなかったのならいい。しかし、今日はやはり帰宅したほうがいいだろう」
「でも」
眉間にきゅっとシワを寄せてオレを見上げる。
「部活のことなら気にしなくてもいい。暑さに慣れるまではマネージャー業も1年に割り振って構わないだろう」
「……」
何か言いたげに見上げる。
……その後ろで、なぜか今度は楽しそうに「ゴーゴー!」と腕を振り上げている千石。
オレは一度こほんと咳払いをした後。
「お前はよくやっている。無理をする必要はない。……今は、お前の健康が一番大事だ」
そう告げた後、はいつものようにきょとんとした顔をした。
が、すぐにふわりと微笑んだ。
滅多に見せない、心の底の感情を表にだした、柔らかな笑顔。
「ありがとう、真田」
「う、うむ……」
「うわーいーないーな、真田くんいーなー」
一体何をうらやましがってるのか、ひとしきり盛り上がっている千石を一瞥し、オレはかぶっていた帽子を脱ぐ。
そして少々乱暴にそれをの頭にかぶせた。
「わっ」
には少し大きかったようだ。
ぶかぶかのキャップは、の目の下まで覆い尽くしている。
「家までそれをかぶっているといい」
「え、でも真田が暑いでしょ?」
「この程度、炎天下での試合に比べれば暑さのうちにも入らん」
へー、と気の抜けたいつもの返事をしながら、はキャップをかぶり直そうとしているが、何度やっても視界を遮ってしまうようだ。
見かねた千石が帽子を取り上げ、後ろの調節ベルトを手早く詰める。
「はい、出来上がり」
そしてに再び被せられた帽子は、今度こそぴったりと収まった。
その姿が、思いのほか様になっていた。
「うわー、さん似合うよ! うんうん、テニス部マネージャーにぴったり!」
「え、ほんと?」
手を叩いて褒めちぎる千石に、も慌てた様子で「真田、鞄! 鞄!」とオレの腕から鞄をひったくり、中から鏡を取り出して覗き込む。
右、左と角度を変えて何度も覗き込んだあと、は目をきらきらさせてオレを見上げた。
……その後ろで、またも「ゴーゴー!」と楽しそうに手を振り上げている千石。
「あー……う、うむ。よく、似合っている」
「……ホント?」
「オレは嘘は言わん」
その言葉に、は嬉しそうにはにかんだ。
「じゃあこれにする!」
「……なに?」
「さっきは被らなかったけど、このお店に似たようなキャップあったから、それにする!」
「いいと思うよさんっ。そうと決まれば、こんな暑いところで立ち話してないでお店に入ろう!」
「うんっ」
相変わらず気の合う二人がテンションも合わせて、意気揚々と店内へと戻っていく。
その様子を半ばぽかんと見送っていたオレだったが。
しばらくして、白いキャップをかぶったがぱたぱたと足音を立てて戻ってきたかと思えば、
「ありがと真田! これ、返すね!」
満面の笑顔でそういいながら、思いきり背伸びしてさきほど貸したキャップをオレの頭に乗せた。
の頭のサイズに調節されたままだったキャップは、ちょこんとオレの頭に乗っかった。
そして翌日。
「赤也っ、何をしとるかっ! 気合いがたりん! たるんどるっ!」
「なんスか先輩……。帽子だけじゃなくて、態度まで真田先輩の真似ッスか?」
「あはは、似てた?」
「弦一郎の真似にしてはまだまだ威厳が足りないな」
「えー」
すっかり元気を取り戻したが、コートの隅で部員たちと楽しそうにしていた。
昨日買ったばかりの白いキャップが、の健康をきちんと守ってくれているようだ。
蓮二が昨日のうちにマネージャーの仕事を見直してくれたようだから、今後暑さが増してもに負担がかかることはないだろう。
今日も昨日に増して初夏の日差しがきつい日だが、は大丈夫そうだ。
が。
その陽気に反比例して、コートの一角は凍てついた冷気に包まれていた。
発生源は、勿論。
「さんに無理させて熱中症に陥らせた上に、送り狼買い物デート、挙句に部活で帽子でペアルック? いい度胸だね、真田!」
「まっ、待て幸村! 何か語弊があるぞ、それは!」
ネットを挟んで向こう側の幸村は、天使のような笑顔の背後にどす黒いオーラを背負ってオレを威圧している。
「昨日オレと試合したかったんだって? 委員会で遅れたとはいえ悪いことしたね。今日は思う存分相手してやるよ!」
「!!!」
ゆらりと構えた幸村に、オレは自分のうかつさを呪わずにはいられなかった。
「あ」
「どうした」
「幸村と真田が試合してる」
「あー……みたいっすね」
「ホントに炎天下で試合しても平気なんだ。すごいな、幸村も真田も」
「……柳先輩、つっこんでやってくださいよ……」
「赤也、あえて突っ込まないというのも必要なことだぞ?」
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