「仁王、何をしている?」
レギュラー練習のワンセットマッチを終え、軽くクールダウンをしようとコートから離れて走ってきた校舎裏。
中庭に立つ大木の根元で、仁王が仰向けになっているのが見えて足を止めた。
仁王は横になったままこちらに視線を向け、悪びれもせずに言う。
「見てわからんか? 木陰で涼んどるんじゃ」
「今は練習中ではないか! たるんどる!」
「休憩前のメニューはもう終わったんじゃき、そこまで怒鳴らんでもええじゃろ……」
仁王は全く起き上がる気配も見せず、芝生にごろんと寝転がったまま、両腕を頭の後ろにまわした状態でオレを見上げている。
「練習メニューはこなせばよいというものでもないだろう。2年のお前がそのような態度でいては、後輩に示しがつかんというのだ!」
「だからわざわざコートの死角に来て休んどるんよ」
そう言って、ふぁあと大きくあくびをする仁王。
こよみは6月に入り気温も湿度も増してきたこの頃、木陰での休息は確かに心地いいだろう。
だが、練習時間中に寝転がるというのは見過ごせん。
「仁王、いい加減に……」
オレは強引に立たせるために仁王の腕を掴もうと手を伸ばして。
そこに響いてくる、いつ聞いても緊張感のない間延びした声。
「におー、におー? ……あ、いた! あれ、真田もいた」
「か」
振り向けば、あたりをきょろきょろしながらこちらに歩いてくるの姿が見えた。
そして仁王を発見できたのが嬉しかったのか、表情を明るくしてこちらにてちてちと駆けてくる。
……いつ見ても効率の悪いベタ足走りだ。
「、仁王を探しにきたのか?」
「うん」
オレの問いかけにはこっくりと頷く。
そして、上体を起こした仁王の隣にちょこんと座り込み、
「ふは〜」
「…………」
「…………」
足を投げ出して両手を地につけて、大きく息を吐いた。
「あー……オレを連れ戻しに来たんじゃなかと?」
「違うよ?」
「では、何をしにきたのだ?」
怪訝そうに問うオレと仁王に、はいつものように首を傾げながら答えた。
「柳生が教えてくれたの。暑い〜って言ってたら、仁王がいるところは涼しいよって」
あっけらかんと答えるに、仁王はうつむいて肩を震わせた。
が。
「……この程度の暑さで選手でもないお前が音を上げてどうするっ! たるんどるっ!!」
静かな校舎裏に、オレの怒声が響き渡った。
8.おとうさんといっしょ:前編
それからおよそ30分後。
レギュラー用の部室のベンチで、氷嚢を額に乗せたが横たわっていた。
すぐ横で、丸椅子に腰掛けたジャッカルがうちわで風を送っている。
「たるんどるぞ! コートで走り回っていたわけでもないのに、お前が一番にへばってどうする!」
「真田くん……さんは熱中症をおこしかけていたんですよ? そこまで言わなくとも」
柳生はを弁護しようとしているようだが、それが甘いというのだ。
あの後、オレは渋る仁王とを立たせて練習に復帰させた。
今日は部長と幸村が委員会の仕事で遅れていて、部員の気がゆるむのがわかっていたからこそ、見逃せなかった。
もちろん普段からサボりなど許すはずもないが。
二人が練習とマネージャー業に戻ったのを確認してから、オレは蓮二が組んだ県大会に向けた練習メニューを確認していたのだが……。
そこに赤也が慌てた様子で駆け込んできたのだ。
1年の練習を手伝っていたが立ちくらみを起こし、そのままへたり込んでしまったと。
最後まで聞き終えるより早く駆け出した蓮二を追っていけば、ちょうどがジャッカルに抱えられて部室に入るところだった、というわけだ。
の意識はしっかりしていて、大事はないというのが蓮二の見解だ。
「この程度の暑さ、体調管理ができなくてどうする。まだ6月なのだぞ。盛夏になったらどうなる!」
「が休もうとしたのを邪魔したんは、お前さんじゃなかと? 真田よ」
「むっ……」
ジトっとした目で冷ややかに言う仁王に反応して、全員の視線がオレに向けられる。
「真田ぁ、も一応女子なんだし、体力差があることくらいわかるだろぃ?」
「しかし部活が始まってまだ1時間ではないか。気合が足りん」
「先輩に精神論言ってもしょーがないっすよ、真田先輩」
睨み付ければ、赤也は慌てて蓮二の後に隠れる。
そして蓮二は、小さくため息をついたあと、
「弦一郎、そうは言うがには辛かったのだろう」
「蓮二、お前はに甘すぎる。水分補給をするなり日差しを避けるなり、練習に参加しながらでも用心することはできたはずだ」
「用心していても、北国育ちのにこの気温と湿度はきつかったということだろう?」
「……なに?」
蓮二の言葉に眉をひそめる。
「はこちらの夏を体験するのはまだ2度目なのだから」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。は生まれも育ちも北海道だ。立海中等部に入学するまでこのような蒸し暑さは経験したことがなかっただろう」
が北海道育ち?
ぽかんとしているのはオレだけではなく、蓮二以外の全員だ。
「初耳だ」
「だろうな。をマネージャーに推薦するときに個人データを告げようとしたオレを、弦一郎、お前が遮ったからな」
「……む」
今度こそ、全員の冷たい視線がオレに突き刺さる。
そうだったのか。
確かに今日は梅雨入り前の蒸し暑さがきつい日だが……知っていればオレとてそこまで無理はさせなかったものを。
「……と、弦一郎は言う」
人の心の独白を読むな、蓮二っ。
「この後も練習予定はあるが、は帰宅させたほうがいいだろう」
「そうじゃな。なりかけとはいえ、熱中症に片足つっこんでもうた人間に無理させられんしの」
大丈夫か、と横たわるに声をかける部員たち。
柳生はジャッカルと扇ぎ役を交代し、丸井と赤也がの荷物をかばんに詰め込んでいく。
「はい、真田先輩」
「な、なんだ?」
多少なりとも罪悪感を感じて動けなかったオレに、赤也がのかばんを投げよこす。
「なにって、先輩に荷物持たせるつもりっすか?」
「ここはお前が責任持ってを送ってくべきだろぃ?」
「……そうだな」
知らなかったとはいえ、女子を危険な目にあわせたなど男子の名折れ。
オレはの前に膝をついて、その赤い顔を覗き込んだ。
「、歩けるか?」
問いかけると、閉じていた目が開かれた。
こっくりとゆっくり頷く。
「うん、もう大丈夫」
「そうか。では送っていこう」
「よろしくお願いシマス」
「うむ」
オレも大きく頷き、立ち上がる。
今日は幸村と試合がしたかったのだが、仕方あるまい。
お前たちは部活に戻れと、蓮二たちを促す。
仁王と赤也と丸井はニヤニヤしながら、柳生とジャッカルはやれやれといった風に部室を出て行き。
そして最後に出て行こうとした蓮二が、ドアノブに手をかけたまま振り向いた。
「弦一郎」
「なんだ、蓮二」
「幸村が委員会で遅れている日でよかったな?」
「…………」
返事のしようが、なかった。
に十分水分を取らせてから学校を出たオレたちは、真っ直ぐに駅へと向かい電車に乗った。
オレの家はの家の正反対だから、今日は相当遠回りになる。
しかし、まだ日が落ちるには早すぎる時間だから問題はない。もしかすると、を送り届けた後に部活に戻る時間もあるかもしれんな。
を座らせ、オレはその前につり革を持って立ち。
そんなことを考えながら電車に揺られることほんの10分程度。
普段なら抑揚のないテンションでとりとめもないことを話しかけてくるだったが、電車に乗っている間は終始無言だった。
やはり相当無理をさせていたのかと、改めて反省した。
のも、束の間。
「私ちょっと寄り道してくから、真田は練習戻っていいよ?」
駅のホームに降り立ったが、振り返るなり言った言葉にオレは一瞬絶句して。
「な……にを考えとるかっ! このたわけがっ!!」
「うわ、おっきぃ声」
まわりの乗降客がぎょっとして振り返るのも構わず、オレは怒鳴った。
赤也でさえ身をすくませる怒声を、しかしはきょとんとしながら受け流す。
何を考えているのだ、こいつは!?
「寄り道だと!? さっき熱中症で倒れかけた人間が何を言っとるか! 真っ直ぐ帰宅して安静にし、明日以降に備えるべきだろうが! たるんどる!」
「だから、その熱中症対策グッズを買いに行くんだってば」
「まだ言うか! …………なに?」
「帽子買ってこようと思って」
そう言って、はオレの頭を指した。
いや、オレがかぶっている黒いキャップを指したのだ。
「さすがに今日一日で暑さに慣れるのは無理だからさ、せめて日差しよけの帽子を用意したほうがいいかなって」
「そ、そうか……うむ、確かに。すまん、早合点したようだ」
「気にしないでいいよ。私も言葉が足りなかったし」
に頭を下げれば、いつものように首を傾げながらぱたぱたと手を振り、あっさりとオレを許す。
そしては、オレが手にしている自分の鞄の持ち手に手を伸ばしてきた。
「送ってくれてありがとう! それじゃ、また明日ね」
「待たんか」
ひょい、と。の鞄を持ち上げる。
その鞄を目で追って、の顔も上を向いた。
「お前の買い物に付き合おう」
「え?」
目をぱちぱちさせて首を傾げる。
オレは一度咳払いをした後、告げた。
「熱中症を甘くみないほうがいい。それに、お前を家まで送り届けるまでがオレの役目なのだからな」
「……いいの?」
「構わん。まだ時間はある」
気にするなと頷いてみせれば、の表情がぱっと明るくなった。
「ありがと真田!」
「う、うむ。では行くぞ」
「うんっ」
にっこり微笑みながら頷くから視線をそらし、オレは鞄を担ぎなおした。
宅の最寄り駅の前はちょっとした商店街が広がっていた。
これならそれほど時間もかからずに帽子を買えるだろう。
「、この辺の地理はわかるか?」
駅出口横の案内板を見上げながら問いかけたが、返事がない。
「?」
……いない。
ついさっきまで隣で共に案内板を見上げていたはずのが、いない?
全くアイツは! まるで仁王と赤也を足して割ったような落ち着きのなさだ! たるんどる!
オレは慌ててあたりを見回した。
今は学生の帰宅時間と重なっていてを探すのは至難の業かとも思ったが……しかしあっさりと見つけることができた。
が、状況は思わしくない。
は案内板よりほんの少し先で、オレに背を向けて立っていた。
そしてそのに、この辺では見かけない真っ白い制服を来た男が馴れ馴れしく話しかけている。
……気に入らん。
「悪いけど……」
どうやらはきっぱりと断っているようだ。
うむ。立海の生徒たるもの、そのようなナンパな輩に軽々しくついていってはならん。
はくるっとこちらを振り向く。
それと同時に、をナンパしていたと思われる男も背伸びしてこちらを見る。
「ありゃ、お父さんと一緒かぁ。とほほ、アンラッキ〜……」
「誰が父親かッ!!!」
オレを見るなり、がっくりと肩を落とすナンパ男。
! 笑ってないで否定せんか! 幸村にますます似てきたぞお前は!
「貴様、そこで何をしている!? 中学生女子をたぶらかそうなど、恥を知れ!」
怒りも手伝い、オレは足音荒くその男に近寄った。
を背にかばい、怒りの形相のまま男を見下ろし仁王立ち。
すると、最初は「うわヤバ!」と慌てていた男だったのだが。
「……あれ? 真田くん?」
「……なに?」
「なんだ、真田くんじゃーん! えーなになに? 真田くんてばこーんな可愛い子と放課後デート? 隅におけないなぁ〜」
じろじろとオレを見つめたかと思えば、にかっと相好を崩す。
見覚えのある爬虫類顔。
確か、この白い制服は……。
「お前は……山吹中の千石か?」
「あ、覚えててくれた? あぁ〜、でも真田くんが相手じゃ勝ち目ないかぁ〜……結局オレってアンラッキ〜……」
調子よく笑ったかと思えば、またすぐに肩を落とすその男。
関東大会や全国大会で見たことがある。
東京地区山吹中のシングルスエースの千石ではないか。
「こんなところで何をしている?」
「何ってナンパ? こっちのほう初めて来たけどさ、普段見ない制服の女の子って新鮮だよね〜」
「……」
……開いた口が塞がらん……。
「ねぇねぇ真田」
「む……なんだ」
眉間にシワが寄ったままのオレの袖を、ちょいちょいとがつつく。
見下ろせば、ちらちらと千石の方を見ながらもオレを見上げ、
「真田の友達?」
「友達ではないが、知り合いだ」
「もしかしてテニス部のライバルとか?」
「フン。なおのこと違うな。女子にうつつを抜かしている男に遅れを取ることなど、天地がひっくり返ってもありえん」
「あれ、聞き捨てならないぞ真田くん。真田くんこそ練習どうしたのさ。サボってデート?」
「デっ……!?」
うりうり〜、と口でいいながら肘をオレの腕に押し付けてくる千石。
しかし今なんと言った?
で、で、でぇと、と言ったかっ!?
「た、たるんどるっ!! デートなど、中学生には早いわっ!」
「またまたぁ。彼女連れでそんなこと言っても説得力ないぞっ」
「は我が立海テニス部のマネージャーだ!」
「女子マネ!? うわーずるいよ真田くんっ。オレも伴爺に女子マネ入れるように交渉しようかなぁ」
「なんか会話かみ合ってないよ? 真田も千石も」
「……」
頭痛がしてきた。
「……。さっさと用事をすませるぞ」
このままではオレまで熱中症にかかりそうだ。
オレは鞄とテニスバッグを背負いなおし、千石に背を向ける。
「あ、うん。それじゃあ」
「いいなー真田くん。いいなー、いいなー」
ちっともうらやましがってるようには聞こえない千石の声と、てちてちと駆け寄ってくるのベタ足走りの音を背中に聞きながら、オレは歩き出した。
はずなのだが。
「あ、これなんかどうだろ? リバーシブルのチューリップハット!」
「うんうん、似合うよさんっ。色白だから淡い色が似合うんだよねぇ。だけどそれツバが広すぎないかな」
「やっぱり? じゃあ……あ、これは?」
「へーっ、キャスケットも似合うんだね〜。でもなんか部活って感じじゃないね」
「あはは、私もそう思った。じゃあね、えっとね」
「…………」
オレの目の前で、棚中の帽子を楽しそうにとっかえひっかえしていると千石。
変わり者同士気が合うのか、盛り上がっているようだ。
いや待て。
なぜ千石までついてきているのだ?
「仲のよろしい兄妹さんですね、お父さん」
「…………」
寄ってきた店員を怒鳴るか、を不埒な目で見ている千石を怒鳴るか、体調不良なのだからあまりはしゃぐなとを怒鳴るか。
結論は、ため息に変換された。
Back