「一……球……入……魂ッ!!」

 ズバァァン!!

 本日ちょうど10球目のサーブはネットに突き刺さり、相手コートで構えていた日吉は大きくため息をついて体を起こした。

「ノーコン」
「な、なんだよ、だから練習してるんだろ!」
「今日はもう終わりだ。先輩たちが来た」

 お前の練習に付き合ったせいでオレの練習が全然できなかった、とか言いながら、首をまわして日吉はコートを出て行く。
 オレもため息つきながら振り返れば、跡部さんを先頭に2年の先輩たちがコートに入ってくるところが見えた。



 4.青少年の恋



「なんだよ鳳に日吉。早めに来て練習なんて気合入ってんじゃん」
「コイツの練習動機は不純なんですよ、向日先輩。一緒にしないでください」

 コートから出る日吉と入れ違いに、向日先輩がぴょんぴょん飛び跳ねながらオレの方にやってきた。その後ろからは、忍足先輩もついてくる。
 跡部さんや宍戸さんはこっちに全く興味がないのか、ベンチ付近で3年生のレギュラーたちと話し始めてた。

「不純な動機ぃ〜? なんだよ鳳、不純な動機って。先輩に言ってみそ」
「べ、別になにもありませんよ! オレ、ノーコンだからいまからたくさん練習しないとって思って」
「嘘はあかんで鳳。不純な動機でテニスをされちゃ、頂点目指しとるオレらにとってはかなわんわ」
「おおお忍足先輩までなんですかっ!」

 いつの間にやらオレは向日先輩と忍足先輩に挟まれるように立っていて、ニヤリといい顔して笑う二人にがっしりと肩を組まれて。

 マズイ。
 この先輩コンビにからまれて、自分の秘密を暴露せざるを得なくなった1年を、オレは何人も知ってる!

「あ、あの、勝手にコート使ってすいませんでした! オレ、練習の準備してき」
「不純な動機ってーと、侑士の得意分野じゃねぇ?」
「せやなあ。鳳、恋の悩みなら恋の伝道師であるこの忍足先輩が、手取り足取り指導したるで?」

 人の話聞いてくれないし!
 オレは泣きそうになりながら助けを求めてベンチを振り向いた。

 樺地っ! 滝先輩っ! 助けてくださぁぁいっ!
 SOSサインに一番答えてくれそうな二人に必死で電波を飛ばしてみる。

 ところが。

 振り向いたのは意外にも跡部さんだった。

「おいお前ら、何遊んでやがんだ。鳳っ、一年はさっさと球出しの準備に入れ!」
「は、はいっ! というわけで向日先輩、忍足先輩っ、オレ球出しに」
「そないな冷たいこと言うなや跡部。後輩の心のケアも先輩の務めやろ?」
「そうだぜ跡部っ! 気持ちをスッキリさせてからのほうが練習も身に入るってもんだろ!」
「アーン?」

 ギロリとこちらを睨みつける跡部さん。
 って、オレ跡部さんに睨まれたくないんスけど!
 勘弁してくださいよ、向日先輩も忍足先輩もっ!!

 跡部さんは手にした資料を乱暴にベンチに放り、ツカツカとこっちに歩み寄ってきた。
 そしてオレを見下ろすように冷たい視線で一瞥したかと思えば、

「だらしねぇこと言ってんじゃねぇよ。欲しい女がいるなら、さっさと手に入れればいいだけのことだろうが」
「っかー! さっすが跡部! クソクソ、カッコいーぜ!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! だってまだ、この間ようやく話せたばっかりなのにいきなりっ」
「はーん。やっぱ鳳の不純な動機言うんは、恋愛問題やったと」
「あ」

 ニヤニヤと楽しそうに笑う忍足先輩の言葉に、オレはようやく失言に気づく。

 その時、跡部さんの肩越しにこっちを呆れた様子で見ている宍戸先輩が見えた。

「……激ダサ」

 そんなっ!!!



「……自分がノーコンなのは自覚ありましたから、練習がない日も公園に併設してるコートとかで自主練してたんスけど、その日は気分を変えようと思ってちょっと遠出したんです」

 練習後、氷帝学園に程近いマクドニャルド。
 正面に向日先輩、忍足先輩。
 オレの両隣は日吉と滝先輩。宍戸先輩は人数が納まりきらなくて、隣のテーブル。
 ファーストフードに初めて入ると言っていた跡部さんと、入るなりいきなり寝てしまった芥川先輩は、樺地を挟むようにして宍戸さんと同じテーブルについている。

 オレは結局『不純な動機』の全てを先輩たちに話さなくてはならない状況に追い込まれていた。

「それで? もったいつけずにさっさと言えよな!」
「は、はいっ。ちょっと大きな公園にコートが3面あるところがあって。そこでサーブの練習してたんスけど……」
「そこで『愛し君』と遭遇したんやな?」
「ブッ!!」

 忍足先輩の言葉に、コーラをすすっていた宍戸先輩が吹いた。

「忍足っ! 妙な言葉言ってんじゃねぇよ!」
「ほんならなんて言えばええねん。『コート上の一輪のバラ』か? 『我が麗しの姫君』か?」
「……お前よくそういう恥ずかしいこと言えるな……」

 耳まで赤くした宍戸先輩が、舌打ちしながらトレイとテーブルを拭く。
 大丈夫です、宍戸先輩。オレも今、何か飲んでたら噴出してるところでしたから。

「で? で? どんなヤツなんだよ!」

 向日先輩が身を乗り出してくれば、滝先輩までもがにこにこしながら耳を傾けてきた。

「そ、それはその」
「その辺にいるような、とりたてて美人でもないフツーの女子でした」

 彼女の愛らしい容姿を思い出しながら、どう表現したらいいのか考えあぐねていたら、横から日吉がなんの抑揚もなくそう言った。

「な、何言ってるんだよ! 知的で物凄く女の子らしくて、すっごく可愛い子なんです!」
「お前のそれはなんかフィルターかかってる。誰が見てもあれは十人並みの一目惚れするほうが難しいタイプだった」

 オレの抗議に日吉は鼻を鳴らして頬杖をついてあしらう。
 失礼なヤツだな! あんなに可愛い子に向かって!

 と、険悪なムードになりかけたオレたちの間に忍足先輩が手を割りいれてくる。

「ちょお待ち。日吉、なんでお前が見たことあるん?」
「コイツに連れていかれたんですよ。サーブだけじゃなく打ち合いの練習もしたいとか言って。……お前、あの子にノーコンサーブ見せたくなかっただけだろ」
「うっ……それは……」

 図星を突かれて言葉に詰まる。
 しかし忍足先輩は腕を組み、うんうんと深く何度も頷いて。

「ええで、鳳。その気持ち、よぉ解る。惚れた子にはカッコええ自分見せたいもんや」
「忍足先輩っ」

 さすが恋の伝道師! オレの気持ちを解ってくれるのは忍足先輩だけです!

 すると、向日先輩が首を傾げながらポテトをかじり、

「んで? 鳳はその一目惚れすんのが難しいヤツに、なんで惚れちゃったわけ?」
「そ、それは……」

 顔が熱くなってくる。
 オレはその日のことを思い出した。

「最初は回りのことなんか目に入らなくて、ただひたすらにサーブの練習してたんスよ。そこのコート、設備がいいのに練習や遊びに来る人があまりいなくて、集中できて。
で、ちょっと休憩しようと思ったときに、コート脇のベンチに座って本を読んでるその子を見つけたんス」

 淡い空色のワンピースを着た小柄な女子だった。
 手にした文庫本には革のブックカバーがかけられていたから、何を読んでいるのかはわからなかったけど。
 おだやかな表情で本に視線を落として、ときどきクスクスと笑ったり。

「オレも最初はなんとも思ってなかったんスけど。ある時、その子が顔を上げた瞬間視線があっちゃって」

 じっと見ていたわけでもないけど、なんか誤解されたらどうしようと思って焦ってたら、その子は穏やかな微笑みを浮かべたまま小さく首を傾げて。
 ぺこっと、小さくおじぎしてくれたんだ。

「ただ目が合っちゃって、社交辞令っていうか挨拶っていうか、なんの深い意味もなかったってわかってるんスけど……」
「アカン。めっちゃ純愛ストーリーやん。オレ大好物や、そういうの」
「侑士、トリップすんなよ。そんで、鳳はそれだけで惚れちまったっつーのか?」
「い、いいじゃないですか! それ以来、なんか気になっちゃってっ」
「可愛いね、鳳」

 うわ、滝先輩に笑われた……。
 ああっ、隣でちゃっかり聞いてたらしい宍戸先輩は耳まで赤くして「恥ずかしいヤツ」とか呟いてるし!

「ほんで、どないしたん? 話したんやろ?」
「あ、いえ、その日はそれだけで。彼女、いつもそこにいるわけじゃなくて、会えるのは時々、話が出来たのもついこの間のことなんスけどっ」
「通い詰めてたんやな! きっかけはなんやったん?」
「それは……」
「コイツのノーコンがきっかけですよ」

 はぁ、と大きくため息をつきながら日吉が呟いた。

「この間、さっきも言った通り打ち合いの練習がしたいって言うんで付き合って行ったら、コイツ練習に集中しないでちらちらとその女子の方ばっか見てて」
「青春やなぁ……」
「ムカついたんでスマッシュしてやったら、コイツラケットでその球思いっきりはじきやがりまして」
「アーン? まさかその球がその女子に当たったとか言うんじゃねぇだろうな?」

 跡部さん! 聞いてたんですか!?
 見れば跡部さんも宍戸先輩も、椅子に横座りして体はこっちを向いていて。

「そのまさかですよ。ただ、当たったのはその子本人じゃなくて、手にした本だったんですが」
「……激ダサだぜ」
「宍戸先輩に言われると本気で凹みます、オレ……」

 オレはがっくりと肩を落として、その時のことを思い返していた。



「ごごご、ごめんっ!! 怪我はない!? 痛いところは!?」

 オレはコートを飛び出して彼女の元に駆け寄った。

 大きく跳ね上がったボールは球威を殺しながら彼女の手元に落ちたけど、本に集中していた彼女はびっくりしたことだろう。
 手にしていた文庫本は足元に落ち、手は本を支えていた形のままで、目をまん丸に見開きながら彼女は硬直していた。

 駆け寄ったオレを見上げて、彼女は大きく息を吐いて。

「あーびっくりした……。今の、なに?」
「ごめんっ! オレの弾いたボールがコートから飛び出して!」
「あ、なんだテニスボールだったんだ」

 あははと彼女は笑い出した。せっかくの読書の時間をボールを打ちつけられるなんて方法で邪魔されて、普通だったら烈火のごとく怒っても当たり前なのに。
 一瞬その笑顔を見惚れてしまったオレだけど、すぐに我に返る。

「怪我してない? ボールは当たらなかった?」
「うん、私には当たってないよ、大丈夫。……でも本が」
「あっ……」

 オレは慌てて地面に伏せるように落ちていた文庫本を拾い上げた。

 その途端、血の気が引いていく音が聞こえたような気がする。
 拾い上げた本はボールが当たった衝撃で、彼女が開いていたであろうページがくしゃくしゃのびりびりになっていて、挙句にクローバーマークが刺繍された可愛いカンジのブックカバーも泥だらけになっていたんだ。

「ご、ご、ごめんっ、本当にごめん! 本とカバーは新しく買って返すから!」
「えっ、いいよ、そんな。ほら、破れちゃったのこの3ページだけだし、読めないってほどバラバラになったわけじゃないし」
「そういうわけにいかないよ! ちゃんと弁償するよ。オレの不注意のせいなんだし」
「ホントにいいのに。だって……」

 すると彼女は困ったように首を傾げてオレを見上げた。

 し、しつこかったかな。でも、大事な本をこんなにしちゃってなんにもしないっていうのはあんまりだし。
 ぐるぐると頭の中でいろんなことを考えていたら、彼女は言いにくそうに口を開いた。

「うーん……これ、古本屋で買った絶版本だから、見つけるの大変だと思うよ?」

 がーんっ!!

 彼女の言葉に、オレはショックを受けて数歩よろけながら後退った。
 絶版本……! 古本屋にあるかどうかもわからない貴重な本……!
 大変な本を破いてしまったんだとわかって、オレはなかなか二の句が告げなかった。

 勝手に思いを寄せた彼女にいいところを見せたくて、それで日吉を誘って打ち合いをして。
 その結果がいいところどころか最悪な状況を引き起こして。

 ……オレ、心くじけそう……。

 と。

「周防芳隆の『黄金一夜』か。随分古い本を読んでるな」

 魂が抜けかけてたオレの手から文庫本を取り上げ、ぱらぱらとページをめくりながら呟いたのは日吉だった。
 彼女はベンチに腰掛けたまま日吉を見上げて、こっくりと一度頷く。

「友達が話してた本をたまたま古本屋で見つけたから読んでみようと思って」
「ふん。読書の趣味は悪くない」

 ぱたん、と文庫本を閉じ、日吉は本から彼女へと視線を移す。

「オレの家にも同じ本がある。それと交換しよう」
「えっ、日吉、本当か!?」
「いいの? ホントにいいの?」

 オレが日吉を振り向いたのと、彼女が嬉しそうな声を上げたのはほぼ同時。
 日吉はオレたちの視線を受け止めて、なぜか眉間にシワを寄せながらも頷いた。

「もともとこっちの不手際だ。鳳、カバーはお前が買って返せよ」
「日吉っ、ありがとう! 今日日吉を誘って本当によかった!」
「抱きつくな鳳っ! うっとおしいから離れろ!」

 地獄に仏とはまさにこのことかもしれない。

 彼女は本はいつでもいいから、とにこにこしながら言ってくれて。
 最悪な第一印象を日吉のお陰でなんとか回復できたし、ちゃっかり彼女と会話も出来たし!
 オレはその日、日吉にマクドニャルドを好きなだけ奢ってあげた。勿論、感謝の意を込めてだ。
 まぁ、なぜか日吉はずっと眉間にシワを寄せたままだったけど。



「「「「「……って」」」」」

 事のあらましを報告し終えたあと先輩たちを見回せば、なぜか揃いも揃って呆れたというか、なんというか、そんな顔をしていて。

「アカン……アカンで鳳。ポイント日吉に取られてもーとるやん!」
「激ダサ! つーかお前なんもしてねぇだろ!」
「日吉の印象しか残ってねぇな、その女」
「跡部もそう思うよな!? だめだめじゃん、鳳!」
「ええっ!? そ、そうなんですか!?」

 先輩たちの一斉放火に、オレは唖然。
 そして冷静にこの間のことをもう一度思い返す。

 ……。

「た……確かに先輩たちの言う通りかも……」

 がぁぁぁんっ……

 オレは頭を抱えてうずくまる。

「ど、どうしたらいいんスか!? 忍足先輩ッ! どうしたらいいんスか!」
「ハン。忍足に意見求める時点で終わってんだよ、お前は」
「よく言うわ。跡部みたいな女子の攻略法は跡部にしかできんやろ。とりあえず、次からは日吉を誘わんと、一人で練習に行くことやな」
「は、はいっ!」

 オレはがばっと顔を上げて、忍足先輩を熱い瞳で見つめた。
 どうにかして彼女にいい印象を持ってもらうためには、忍足先輩の一言一句も聞き逃せない!

「本もお前一人で渡さなアカンで。ブックカバーは買ったんか?」
「いえ、まだです! 彼女が持ってたようなカバーがなかなか見つからなくて」
「これや。あんな、別にブックカバーは同じようなんを選ばんでもええって。そこが鳳の自己アピールのしどころやろ? あえて全然違うデザインのものを買っていけば、そこからまた話が膨らむやん」
「そうか! そういう風に話を持っていくんですね!」
「侑士すっげー……。お前どこでそういう知識仕入れてくんだよ?」
「せやから恋愛映画をバカにしたらアカン言うたやろ、岳人。ええか、鳳。そんで会話が続くようなら次はな……」
「は、はいっ!」

 俄か師匠となった忍足先輩に言葉を、オレは手帳に書きとめていく。

 この知識があれば、今度こそ彼女と仲良くなれるかもしれない!
 ああっ、忍足先輩の背後に後光が見える気がする!

 興味深げに耳を傾けている向日先輩と一緒に、オレは忍足先輩の『恋愛必勝法』に聞き入った。



「おい日吉。肝心なその女の名前は聞き出せてんのか?」
「ええ、まぁ。確かとか名乗ってましたけど」
「んー? がどーかしたー?」
「うおっ!? お、おどかすなよジロー! 起きてたのかよ!」
「なんか腹へってきたCー。んでがどーかしたー?」
「……おいジロー。お前、を知ってんのか?」
「知ってる。オレん家にいっつもクリーニング出してくれるご贔屓さんで、いっつもムースポッキーくれるスッゲーEヤツ!」
「……」
「……」
「……」
「同一人物とは限らねぇだろ」
「ですよね。話がうますぎる」
「でも一応長太郎に知らせて……」
「「いや」」
「って普段呼吸合わせねぇのに、なんでこんなときだけ息合わせてんだよ跡部も日吉も!」
「こういうのは自力で手に入れなきゃ意味ねぇんだよ。わかんだろ、アーン?」
「そうですよ。鳳の根性を鍛えるにもいい機会です」
「……おもしろがってるだけじゃねぇか、お前ら……」
「勝つのは鳳……です」

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