「裕太! 裕太ちょっと待つだーね! そんなに急がなくてもケーキはなくならないだーね!」
「なくなるんですよ! 限定ケーキなんですから。遅いっすよ柳沢先輩!」

 オレの後をひいひい言いながら追いかけてくる柳沢先輩。
 ったく、テニス部員のくせに情けない声出してんなよな!



 24.甘党たちの宴



「うわっ、これギリギリか?」

 ようやくたどりついた目当ての店の前には長蛇の列が出来ていて、オレは慌ててそれに並ぶ。
 それから遅れること数十秒、ようやく柳沢先輩もぜえぜえ言いながらオレに追いついて列に並んだ。

「す……すごい行列だーね……。そんなに人気なんだーね?」
「だから言ったじゃないですか! 1日1回しか焼きあがらない限定ケーキなんですって!」
「き、聞いただーね……。でもいくら裕太の歓迎会だからって、わざわざ神奈川くんだりまで買いに来ることないだーね……」
「オレの歓迎会だからオレの好きなケーキを選んでいいって、観月さんから許可貰ってますから」

 呆れ顔の柳沢先輩を無視して、オレは列の前方を覗き込む。30人以上いそうだな……ちぇっ、買えないかもな、これ。
 多摩川沿いにある、通にはおなじみの小さなケーキ屋。そこで毎日限定30個販売のケーキを目当てに、オレは柳沢先輩と一緒に朝早くルドルフの寮を飛び出してきていた。

 この秋からオレは青学から聖ルドルフへと転入し、テニス部へと入部した。今日はそのテニス部の先輩たちがオレの歓迎会をしてくれるらしい。
 その話を聞いたのは先週のこと。

「裕太! とびっきりのカレー食わせてやるからな。期待しとけよ!」
「あ、赤澤部長、オレ、カレーの辛いのはちょっと……」
「おや、裕太くんは甘党派ですか?」

 先輩のカレーを食えないってのか、なんていつの時代の体育系だよって会話を赤澤部長としていたときだ。観月さんに話しかけられたのは。

「はぁ、実は……」
「んーっ、そういえば僕の入れたせっかくの紅茶にもどぱどぱと砂糖を投入していましたからねぇ」
「す、すいません……」
「いえいえ、人の嗜好はそれぞれですからね。まぁ、理解はしようにもできませんが」

 そう言って、クセなんだろう、指で髪をくるくるといじる観月さん。
 ルドルフの先輩たちはそれぞれがこだわりを持ってる人が多くて、オレは入寮当初からカレー激辛党の赤澤部長や紅茶ゴールデンルールストレート党の観月さんに、食事のたびに嫌味なのか忠告なのかわからないことをねちねちと言われていた。
 確かにオレは甘党だけど、兄貴の激辛好きみたいな馬鹿舌じゃないんだしそこまで言われる筋合いないって、実は思ってるけど。

「でもせっかくの裕太くんの歓迎会です。今回ばかりは主賓の好みに合わせてあげましょうか」
「そうか……それもそうだな。観月の言う通りだ。よし裕太、今回はオレの主義を曲げることになるが甘いカレーを作ってやるぞ」
「マジっすか!? ありがとうございます!」

 よかった! 激辛カレーなんて兄貴を連想させるもの、回避できて!
 オレはほっと胸を撫で下ろす。
 ところが観月さんはくるくると髪をいじったまま、

「しかしそうなると、僕の知っているケーキ屋で裕太くんが満足できるケーキを用意できるかどうか……」
「あの、オレそこまで贅沢言わないですよ。歓迎会してくれるってだけでもありがたいのに」

 オレは慌てて両手を振る。観月さんは完璧主義がすぎるからなぁ……。
 すると赤澤部長が大きくうなずいて、ばしっとオレの背中を叩いて、

「なんだ裕太、遠慮するな。観月、それなら裕太自身に食いたいケーキを選ばせたらいいんじゃないか?」
「主賓にですか? しかしそれではもてなしの意味が……」
「そう固く考えることもないだろう? オレたちがその辺のケーキ屋を調べるよりも、ケーキ好きな人間のほうがうまいところを知ってるだろう」
「蛇の道はヘビ……ということですか」

 赤澤部長の提案に観月さんはしばらく「んーっ」と悩んでいたけど、やがて小さくため息をついてからオレの方を向いた。

「それもそうですね。裕太くん、そういうわけですから、ケーキは裕太くんの好きなものを買ってください」
「えっ……な、なんでもいいんですか?」
「まぁどこぞの有名パティシエの作った馬鹿高いケーキじゃないんならな」
「買いに行くときは誰かひとりつけましょう。荷物持ちまで主賓にやらせるわけにいきませんからね」

 ケーキは割り勘だな、まぁ1人500円出せれば大丈夫でしょう、とかなんとか。打ち合わせを始めた赤澤部長と観月さん。
 でも、好きなケーキを買ってきていいと言われたオレの思考は、すでに『裕太脳スイーツデータベース』へと飛んでいた。
 そして、即座に一件のケーキ屋をはじきだす。

「実はオレ、前から食ってみたかったケーキがあるんですよ! 朝イチに並べば買えるらしいって店の!」
「ああ、じゃあそれ買ってこいよ。せっかくの機会なんだしな」
「はい! 始発で寮を出て並びに行けば買えると思います!」
「「……始発?」」

 限定デコレーションケーキのためなら早起きなんか全然苦じゃない。前日のゲームだって我慢できる!
 そう思いながら赤澤部長と観月さんを見たんだけど、なぜか二人は口を開けたまま固まってしまっていて。

「……んふっ」

 やがて観月さんがいつもの口癖を言ったかと思えば。

「柳沢、一緒に行ってあげなさい」
「オレはカレーの準備もあるからな。頼んだぞ」
「なんでオレなんだーね!!」

 今の今まで共有スペースの隅でテレビを見ていた柳沢先輩の抗議は、しれっと解散していった赤澤部長と観月さんには届かなかったようだった。

 ……まぁそんなこんなでついてきてもらうことになった柳沢先輩なんだけど、朝起きて部屋まで迎えに行ったらまだ寝てたんだよな。叩き起こして支度させて寮を飛び出た頃にはすでに始発の時間は過ぎてて、何度もあくびしながらのたのたついてくる柳沢先輩をせっついて。
 そして到着してみれば、購入できるかどうかのギリギリの位置だし。

「買えなかったら柳沢先輩のせいですからね……」
「ま、また買いにくればいいだーね! それに、前に並んでる人が全員限定ケーキ買うわけじゃないだーね」

 恨みがましい視線を柳沢先輩に向けたら、慌てて言い訳のようにそう言った。
 けど、その先輩の言葉に前に並んでた人が数人こっちを振り向いて、フッと鼻先で笑ったんだ。

「何言ってんだ、限定ケーキ買うために並んでるに決まってるだろ……って顔っすね」
「き、きっと買えるだーねっ!」

 低く呟けば、柳沢先輩はやけくそ気味にそう叫んだ。



 それから並び続けること1時間半。ここのケーキ屋はパン屋も兼ねてるから開店が早いんだ。
 ガラガラとシャッターが開いて、人の良さそうなパティシエが「いらっしゃいませ!」とオレたちに声をかけて店はオープンした。
 どうか、どうかオレの分が残ってますように!
 心の中で何度も祈ってから、オレは進み始めた列に沿って歩く。

「いい匂いだーね。空きっ腹に響くだーね」
「そうですね。ここ、クロワッサンサンドも有名らしいですから」
「オレはそっちのほうが食べたいだーね……」

 はやる気持ちを抑えられずに列の前方を何度も覗き込むオレと、ぐきゅるるると何度も腹の虫を鳴かせてる柳沢先輩は、それでも辛抱強く順番を待った。
 ところが、列はゆっくりゆっくりと進んでいってようやく次はオレたちの番! ってとこまで進んだそのときだった。

 オレの前に並んでいたカットソーのワンピースを着た女の子にケーキボックスを渡した店員が、笑顔を浮かべたまま言い放ったんだ。

「本日分の限定ケーキは終了いたしました〜」
「「えええええええ!!??」」

 考えられる一番悲惨なパターンで告げられた完売宣言に、思わずオレと柳沢先輩は近所迷惑なんじゃないかってくらいの大声を上げた!

「ちょ、ちょっと待つだーね! 目の前で完売なんて、そりゃないだーね!」
「オレたち始発に飛び乗って来たんですよ! ホントにもう1個もないんですか!?」

 ホントは始発に乗れなかったんだけど、諦め切れなくてオレと柳沢先輩は店員に噛み付く。オレたちのあまりの迫力に店員もびっくりして一歩後ずさりするけど、

「す、すいません。本日分はそちらのお嬢さんがお買い上げくださったのが最後で……」

 オレと柳沢先輩は、店員が手で示したその『お嬢さん』を振りむいた。
 その子はケーキボックスを手にしたままきょとんとしてオレたちの抗議を見ていたらしいんだけど、オレたちの恨めしい視線を受けてぎくっと顔をひきつらせた。

「えーと」

 そして、手にしたケーキボックスとオレたちを何度も何度も見比べる彼女。
 ううっ……こんな近くにケーキがあるのに手に入れられないなんてっ……!

「裕太、諦めるだーね……。他にもうまそうなケーキたくさんあるだーね」
「ううっ、楽しみにしてたのにっ」

 でも……柳沢先輩の言う通りだ。無いものは無いんだし、仕方ない。
 いつまでも彼女のケーキを睨んでても、困らせるだけだもんな。

 はぁぁぁ……

 オレは深く深ーくため息をつきながら、他のケーキが並ぶウインドウへと向き直った。

「一生恨みますからね、柳沢先輩……」
「う、恨みっこなしだーね!」



 結局オレたちはデコレーションケーキを諦め、色とりどりのさまざまなショートケーキを人数分購入することにした。まぁ、この店のケーキは限定ケーキ以外も評判だったから、これでもいいかって思い直して。
 箱2つ分がっつり買い込んだケーキは柳沢先輩に持ってもらって、オレたちはとぼとぼと駅に向かって歩いていた。

「裕太もひとつくらい持つだーね……」
「主賓に荷物持ちさせるなって観月さんが言ってましたよ」
「お、横暴だーね、観月も裕太も」

 柳沢先輩は、自分のせいでケーキが買えなかったことちっとも反省してないし。ちぇっ。
 オレはのたのたとついて来る柳沢先輩には配慮せずに、若干ふてくされながら歩いていた。

 そのときだった。

「あ、いたいたっ」

 後から聞こえてきた女子の声。
 何がいたいたなのか気になって振り向いてみれば、ワンピース姿の同い年くらいの女子が早足でこっちのほうに向かってきてた。
 いたいた、って……オレたちの前は誰もいないけど、誰のこと言ってるんだ?
 って思ってもう一度振り向けば、その子はオレの目の前で足を止めていた。……って、オレ? つーか、誰?

 小柄というか華奢な子で、美人かといえばそうでもなくて、でものほほんとした顔は相手に敵意を持たせなさそうっていうか、そんな感じの子だ。

「あー、えーっと……?」

 じっと見つめてくるのに戸惑いながら、オレはぽりぽりと頭を掻く。
 困り果てて助けを求めるように柳沢先輩を見たら、先輩は眉を顰めながらもオレの隣まで来てその子の顔を覗きこんだ。
 すると、

「あ、さっき裕太の前に限定ケーキを買った子だーね」
「え!? さっきの!?」

 オレの目の前でケーキを掠め取っていったヤツか! そういえばそのワンピース、確かにさっき見たぞ!
 柳沢先輩への恨みに変換させていた行き場の無い憤りが、再びふつふつと湧いてきた。
 くそーっ、もう食べたのかなコイツっ!

「裕太っていうの?」
「え? な、なんだよ??」

 どんな顔していいのかわからないままオレは彼女を見ていたんだけど、首を小さく傾げた彼女はいきなりオレの名前を呼んだ。
 面食らったオレはついついゾンザイな口調で聞き返してしまう。
 ……っていうか、なんだっていうんだよ?

 すると彼女はのほほんとした表情はそのままに、小さなケーキボックスをオレに差し出した。

「はいこれ。おすそ分け」
「……は?」

 おすそ分け……?
 意味がわからなくて、オレと柳沢先輩は顔を見合わせた。

「おすそ分けって……」
「うん。限定ケーキの」
「えっ、限定ケーキの!?」

 オレは彼女が差し出したケーキボックスを受け取って、急いでその口を開けた。
 その途端、ふあんと広がったのはさっきのケーキ屋にも充満していたクリームとフルーツの甘い香り。
 中に入っていたのは、ウインドウにディスプレイされていた限定ケーキの一部分だとはっきりわかる、切り分けられたケーキが2つ。
 オレも柳沢先輩も、呆気に取られて彼女を見た。

「私も5回並んで、今日初めて買えたんだよ。予約くらいしてくれればいいのにね」
「い、いいのか? これ、オレたちにくれるのか??」
「うん。ホントはホールのまんまかぶりつきたかったんだけど、幸せはみんなに分けないとね」
「……ケーキはホールのまんまかぶりつく食べ物じゃないだーね……」
「うーん、やっぱりケーキをホールのまま食べるのって私とブン太だけなのかなぁ?」

 柳沢先輩のつっこみに彼女はなにか呟きながら首を反対方向に傾げる。
 でもすぐににこっと微笑んで、

「店員さんに詰め寄ってたでしょ。やっぱり諦め切れないんだなぁって気の毒になっちゃって」
「それで、わざわざ……?」
「私の家近所だから、わざわざってほどでもないよ」

 ぶんぶんと首を振る彼女だけど。
 つーか、うわ、なんかすっげぇ。こんな子いるんだ。未知の生物見てる気分だ。
 オレがぽかーんとしている間に、彼女は「じゃあね」って言ってさっさと去っていってしまって、オレはろくに礼も言えなくて。

「いい子だーねー。裕太が一目惚れするのもわかるだーね」
「はぁ……」

 ワンピースの裾をひらひらさせながら遠ざかっていくその後姿を見送るオレ。……って、今なんて言った!?

「はぁ!? な、何言ってんすか柳沢先輩っ!?」
「隠すことないだーね、そんな赤い顔して。観月たちには黙っててやるだーね!」
「ちげーっつーの! ど、どこの誰かもわからないってのに!」

 柳沢先輩の逆さ三日月になったからかいの目に、思わず言葉遣いがタメ語になっちまったけど、気にするかっ!

「知ってるだーね」
「はぁ!? なにがですか!」

 ところが柳沢先輩はニシシと嫌な感じの含み笑いをして、からかう気満々の目をしてオレを見た。

「さっきの子。どこかで見たことあると思っただーね」
「え!? ど、どこの誰なんですか!?」
「やっぱり裕太、気になってるだーね?」
「いいからさっさと言えーっ!」
「ぐえっ! せ、先輩の首を絞めるのはよくないだーね!」

 柳沢先輩はその顔のような悲鳴をあげながら必死でオレの手を振りほどき、ぜえぜえと喉を押さえながら距離をとる。
 だから早く教えてくれよ!

「み……観月がこの間見ていた関東大会と全国大会のビデオに写ってただーね。あの子、立海テニス部のレギュラーと一緒にいただーね」
「立海!?」
「間違いないだーね。多分、立海のマネージャーだーね」

 立海のテニス部……!?
 思いがけない名前にぽかんとするオレ。
 そんなオレの肩を柳沢先輩は妙に悟ったような目をしてぽんぽんと叩く。

「雲の上の存在だーね。敵のマネージャーなんて、可能性なんてものミジンコほどもないだーね」
「……」

 ふるふると遠い目をして頭を振る柳沢先輩だけど。

 オレはさっきの彼女から受け取ったケーキボックスを、柳沢先輩が両手で持っているショートケーキの詰まった箱の上にぽんっと置いて、先輩を置き去りに走り出した!

「ちょっ、ど、どこ行くだーね、裕太!」
「柳沢先輩っ、観月さんや赤澤部長に伝えてください! 歓迎会は中止にしてくれって!」
「は、はぁ!?」
「オレ、学校行って練習しますから!」

 意味わかんないだーね! ……とかなんとか、後でわめいてる柳沢先輩は完全無視。

 立海のマネージャーやってるんなら、きっと関東大会や全国大会で会えるはず。
 ……でも、そのためにはルドルフがそこまでたどり着かなきゃ駄目だ。

 べ、別に会いたいとかそういうんじゃなくて、さっき言い損ねた礼を言うためだ!

 オレは自分自身にそう言い聞かせながらも、ふつふつと心の底から湧いてくる温かいものと口元の緩みを押さえられないまま駅に向かって走り続けるのだった。

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