「あっ、橘さんっ! どうでした!?」

 オレが部室に戻るなり、悔しさをかみ締めながら俯いていた神尾や石田たちがぱっと顔を上げる。
 だがオレはコイツらの期待の眼差しに答えられずに小さく首を振った。



 23.理解者



 はぁ……。
 オレが首を振ったと同時に、全員がため息をついた。石田や内村はがっくりと肩を落として落ち込んでるし、神尾は手のひらに拳を叩きつけながら悔しそうに奥歯をかみ締めている。

「なんだよ……ちょっと調べればオレたちに非はないってわかることだろ……全く嫌になるよなぁ。連帯責任って、絶対学校側が対処するのに楽だからやってるだけで、オレたちを指導更生させるつもりでやってるんじゃないんだろ……」

 深司にいたっては日に日にボヤキ声が低くなっていっているようだ。
 オレは腰に手を当ててため息をついた。

「こら、くさるな。きっかけはどうあれ、オレたちも暴力振るったことには違いないだろ?」
「だからって橘さんっ、新人戦出場停止どころかテニス部自体が活動停止にさせられて……! 先輩たちも辞めちまったし、本当に部活再開できるようになるんですか!?」
「焦るなよ神尾。大丈夫だ。新人戦に出られなくなっただけだ。今日駄目なら明日、明日だめなら明後日も頭下げに行くだけだ」

 噛み付くように憤りをぶつけてくる神尾を宥めるように、オレは笑顔を浮かべながら答えてやった。

 九州から引っ越してきて、転入した不動峰。未練がましくテニス部に入部したオレが目にしたのは、横暴な上級生と無責任な顧問の暴虐無人さに晒されていたコイツらだった。
 純粋にテニスがしたいと願うコイツらのために、そして何よりオレ自身のために。
 やる気の無い上級生を無視して新生テニス部を作ろうとして……邪魔されて。
 絶対に手を出すなと神尾たちに言っていたオレが一番に切れてしまったんだから、本当ならオレのほうこそコイツらに謝らなきゃならないんだが。
 当然暴力沙汰となったその一件は学校や世間に知れることとなり、神尾たちが出場を望んでいた新人戦は出場停止処分、テニス部も3日の活動休止に追い込まれてしまったんだ。

 それでも、コイツらの目の輝きが失われることはなかった。
 全国へ。全国へ!
 その希望を胸に、テニス部の新たなる顧問の獲得とコート整備の費用を得るためにひたすら学校側に頭を下げる日々が続いていた。

 ……しかし。

「橘さん……本当に活動再開できるようになるんですか?」

 悲壮な顔をした石田がオレを見つめて、すがるような視線をぶつけてきた。
 石田だけじゃない。深司も、神尾も、全員がだ。

「新聞にまで取り上げられて……先生方は実情を理解しようとしてくれないし」
「暴力事件扱いなんだよな……学校にしてみれば原因なんてどうでもいいんだよ。どうせこのまま廃部になればいいって思ってるんじゃないのか?」
「事情も知らないで説教ぶったこと言ってくるヤツもいるしよ……! 新聞のせいでオレたちのことただの不良だと思ってるヤツらばっかりじゃないっすか!」

 苦しそうな目をしてオレを見つめてくる6人。
 上級生が部活を辞めて活動停止にはなってしまったけど、今度こそ本気でテニスが出来ると希望に胸を膨らませていたコイツらも、毎日のように浴びせられる冷たい視線と冷たい仕打ちに限界を迎えつつあるんだ。

 わかっている。
 だからこそ、血を吐く思いで毎日頭を下げに行ってるんだ。
 きっとわかってもらえる。オレたちのテニスへの純粋な思いはきっとわかってもらえるさ。

 ……だが、打ちのめされて疲れきった顔をしているコイツらに、そう伝えることはできなかった。
 もう気休めにもならないと、オレもわかっているからだ。

 重苦しい沈黙が旧部室を包む。

 そのときだった。部室のドアが小さくノックされたのは。

「誰だ?」

 オレが声をかけると同時に、全員の顔がこわばる。
 あの事件以来、活動停止に追い込まれたオレたちに対して面白半分に嫌がらせをするヤツらが後を絶たないからだ。全員がピリピリと神経を張り詰めていた。

 が。

「お兄ちゃん、いる?」
「杏か?」

 聞こえてきたのは妹の声だった。途端、神尾たちもほっと息をついて体の力を抜く。
 カチャリと静かにノブを回して顔を覗かせたのは、オレの妹の杏だった。杏は部室内をぐるりと見回した後、にっこりと笑顔を見せた。

「ごめん。ちょっとお兄ちゃん連れ出していい?」
「お兄さん連れ出すのに、断りいれる必要ないだろ?」

 なぁ、と石田がみんなを振り向けば、神尾も森も幾分表情を柔らかくして頷いた。
 理解者がほとんどいないオレたちにとって、杏は唯一と言っていい味方だ。杏の明るい性格は、みんなにとって癒しとなっているようでありがたかった。

 その杏が、部室の入口から入ってくることなく手招きでオレを呼んでいる。
 不思議に思いつつも、オレは立ち上がって杏と共に部室を出た。

「どうした? 何かあったのか?」
「ちょっとね。あ、別に私に何かあったとかいうんじゃないよ?」

 杏は変わらずにこにこしたまま歩いていく。向かっているのは、オレたちが新しくテニス部のコートを作ろうとしていた校舎裏のほうだ。

 テニス部の暴力事件の中心人物はオレということになっているから、杏も当初はいわれの無い中傷を受けていたらしい。
 が、そもそもがオレと兄妹という以外はテニス部とは関係なかったし、本人の持ち前の明るさと愛想のよさもあり、今は友達もいつもどおり接してくれていると言っていた。

 それにしてもどこに行こうとしているんだ、杏は。
 どんどん先に進んでいく杏は、完全に人気の無い校舎裏までやってきていた。
 すると、歩きながら杏がオレを振り返り、

「頼もしい応援が来てくれたんだよ」
「……応援?」

 聞き返したところで杏がぴたりと立ち止まる。
 すると、その杏の陰からぱっと誰かが飛び出してきた。

「橘っ」

 いきなり呼ばれてオレは面食らう。
 杏の陰から出てきたソイツは、制服姿の小柄な女子だった。
 と言っても不動峰のセーラー服ではなく、このあたりでも見慣れない型の制服だ。冬にはブレザーを羽織るのだろうと想像がつく、しかしやはり見覚えのない制服。
 だが、オレを不安げに見つめるその顔には見覚えがあった。

「お兄ちゃん、忘れちゃったの? ほら! 夏休み中に道案内してくれたじゃない!」
「……、か?」

 オレは呆気にとられてソイツを見つめた。

 そう、確かに見覚えがある。あれは杏が言う通り夏休み中に、オレたちがまだ不慣れな東京の街中でスポーツ用品店を探してさまよっていた時だ。


 ☆★☆


「お兄ちゃん、道に迷ったんでしょ……」

 ぱたぱたと手で自分を仰ぎながら、汗だくの恨めしそうな顔をして杏はオレを見上げた。

「まいったな……。東京の道がこんなに複雑だとは思わなかった」

 オレもTシャツの袖口で無理やり汗をぬぐう。

 真夏の真昼のコンクリートジャングル。その日は猛暑日の予報だった。
 オレは新たに通うことになった不動峰から交通の便のいいスポーツ用品店を確かめようと、地図を片手に街中に出てきていた。
 同じくテニスをやっている杏も欲しいものがあるからとついて来たんだが、とにかく人の多い東京のど真ん中で、九州から出てきてまだ日の浅いオレたちは道に迷ってしまったわけだ。

「変だな、さっきこの道曲がっただろ? だからこの辺にあるはずなんだが……」
「でもほら、この先二又になってるけど地図にはそんな道ないよ?」
「ってことは現在地を勘違いしてるのか??」
「も〜、しっかりしてよお兄ちゃん!」

 はぁぁと大げさにため息をついた杏はガードレールにもたれようとして「熱っ!」と飛び跳ねる。
 ……まいったな。本当に道に迷ってしまったようだ。
 降りた駅に戻ってもう一度地図をたどろうにも、すでに駅の方角すら見失ってしまっていたオレはぽりぽりと頭を掻く。

「誰かに聞いたほうが早いんじゃない?」
「そうするか」

 1人だけちゃっかり喫茶店の軒先の日陰に避難した杏の言葉に、オレも頷いた。
 幸い、大通りに面した場所なので人通りは多い。オレは杏を日陰に残したまま、すぐ近くの交差点まで移動した。

 スクランブル交差点で信号待ちしている人は老若男女さまざまで、誰に尋ねようかとオレは一瞬悩む。
 腕にタトゥーを入れた若い男、しきりに時計を気にしている女、咥えタバコをしながらしかめ面で信号機を睨み上げている親父……。なんだか誰も彼もが急いでるように見えて、声をかけるのが躊躇われた。

 が、その咥えタバコをしている親父の少し後ろに、アイボリーのワンピースを着た同い年くらいの女子がいることにオレは気づいた。
 布製の手提げのバッグを持って、人ごみの後の方でのんびりと信号待ちしているようだ。別段急いでいるようにも見えない。
 よし、あの子に聞いてみよう。オレはそう思ってその子に近づいた。

「すいません」

 極力柔らかい口調でと思いながら声をかけると、彼女はくるっとこっちを振り向き、2,3度目をぱちぱちさせたかと思えば首を傾げながらオレを見上げてきた。驚いているみたいだが、煙たそうな様子はなさそうだ。

「……私?」
「ああ。実は道を」
「あのね、この辺にスポーツ用品店があるはずなんだけど、私たち道に迷っちゃったの。ね、今ここがどこなのか教えてくれる?」

 用件を切り出そうと口を開けば、いつの間にやってきたのか杏が妙にフレンドリーな口調で彼女に地図をつきつけた。
 杏に地図を押し付けられるような形で受け取った彼女は、目を丸くしたまま交互にオレと杏の顔を見る。

「えーっと……私この辺来るの初めてだからよくわからないんだけど」
「えっ、そうなの?」

 杏が聞き返すと彼女はこっくりと頷いて、一度地図に視線を落とすものの「うーん?」と首を傾げて再びオレたちを見上げ、

「ここが地図のどの辺かっていうのはやっぱりわかんないかも」
「そうか……。すまない、時間を取らせてしまったな」

 オレは彼女から地図を受け取って再び頭を掻きながらあたりを見回す。
 信号は青になったようで、一斉に人が動き出していた。他の人に声をかけるタイミングを失した状況だ。オレと杏は顔を見合わせお互い眉間にシワを寄せる。

 ところがそんなオレたちの様子を首を傾げながら見ていた彼女が、何か思いついたのかぽんっと手を叩き、

「私は知らないけど、友達なら知ってるかも」
「え?」
「ちょっと待っててね」

 そう言って、彼女は手提げの鞄から携帯を取り出しカチカチと操作してから耳に当てた。
 ……もしかして、わざわざ道を知っていそうな友人に連絡を取ろうとしてくれているのか?

「うわぁ、いい人〜! よかったね、お兄ちゃん!」
「ああ、そうだな」

 両手を合わせてぱっと笑顔を浮かべた杏につられて、オレも口元がほころんだ。
 オレたちは通行人の邪魔にならないように、道端の日陰に移動する。
 陽射しの下から避難できてほっと息をついた時、彼女は「もしもし?」と携帯に向かって話し始めた。

「乾? うん、久しぶり! 今大丈夫? ……あのね、今東京に出て来てるんだけどね。……え? ああ、日吉がね、えーっと友達なんだけど、おススメの古本屋さん教えてくれてそれで……じゃなくて」

 いきなり楽しそうに世間話を始めた彼女だったが、オレと杏の視線に気づいて何かを横に置く仕草をする。

「乾なら東京のスポーツ用品店の場所わかるかなぁと思って電話したの。……うん。えーっと、実は今いる場所がわからなくて。え? お店の名前と最寄駅?」

 話しながら彼女がこちらを向いた。オレはポケットから素早く店の名前を書いたメモを取り出し目の前にかざす。
 彼女は器用に携帯を耳と肩の間に挟みながら電話の相手に店名を告げ、空いている両手で手提げの中をごそごそと探り出した。
 すかさず杏が手提げの口を広げる手伝いをすると、彼女はにっこりと邪気のない笑顔で謝辞を示して小さな手帳とペンを取り出した。

「うんうん。……あ、わかるよ、そこさっき通って来たから……そこまで戻ってから? ……うん、信号渡って2つ目の仲小路に入って……」

 電話相手が教えてくれている道に心当たりがあったらしく、彼女は何度も頷きながら道順をメモっていく。
 しばらくして彼女はにこっと微笑み、手帳にペンを挟んで閉じた。

「ありがと乾! 多分行けると思う。……うん、そろそろ収穫だからまた畑に来てよ。うん、うん……それじゃあね」

 そして携帯を閉じて手提げにしまい、オレと杏を振り向いて再び微笑んで。

「場所わかったよ。こっちだって」

 と、オレたちを手招きして歩き出したんだ。
 オレと杏はびっくりしてしまって顔を見合わせる。

「道案内してくれるのか? そこまでしてもらわなくても、道順さえ教えてもらえればいいんだが……」
「そう? でも私もついでだから」
「ついで?」
「うん。帰りに近所のテニス用品店寄るつもりだったの。でも道案内ついでにそこで用事すましちゃおうかなって」

 後を追いかけるオレたちを振り向きながら答えるものの、足を止める気はないようだ。親切ついで、か。杏の言う通り、本当に心底いいヤツなんだな、きっと。
 オレも杏ももう断ることはせずに、素直に彼女の親切を受け入れることにした。

「ねぇ、テニス用品店に行くって言ったのよね? あなたもテニスするの?」
「……も?」
「私もテニスやってるの! あ、私、橘杏。こっちは兄貴の桔平よ」
「私は。学校でテニス部のマネージャーしてるんだよ」

 彼女の……の人柄を気に入ったらしい杏が隣に駆け寄り親しげに話しかけている。おいおい、もう携帯の番号を交換するのか? 相変わらずアイツの社交性には呆れるな。ほんの数分前に知り合った、というか道を尋ねただけの相手なのに、もう数年来の友人のような態度だ。
 楽しそうに話している二人から少しだけ遅れて、オレは二人の背中を見つめながら後をついていく。

 やがては大通りから中道に入った。やや蛇行しているがほぼ一本道の小路を突き抜け、先ほどよりは道幅が狭いものの再び車どおりのある通りに出た。

「あ、あった!」

 小路を抜けたところできょろきょろと左右を見ていたが、嬉しそうな声を上げて右手前方を指した。
 その指の先には、確かにオレが探していたスポーツ用品店の看板がある。……なんだ、駅から全然違う方向に進んでたんだな。

「ここだよね?」
「ああ。すまないな、暑い中道案内までさせてしまって」
「だからついでだってば。気にしなくていいよ」

 礼を言っても、はにこにこしながらぱたぱたと手を振るだけだ。
 灼熱のコンクリートジャングルを彷徨っていたオレたちは、兎にも角にもその店に飛び込み本来の目的を一瞬忘れて冷房に身を冷やす。
 オレと杏がほっと息をついている間には目当ての品物を探し当てたようで、さっさと会計をすませてオレたちのもとへとやってきた。

「それじゃ私行くね」
「あ、さんっ、今度電話してもいい?」

 律儀に別れの挨拶に来てくれたはそれだけ言って踵を返すが、その後姿に慌てて杏が声をかけた。
 はきょとんとした顔をして、首を傾げて杏を振り返る。

、実はオレたち引っ越してきたばかりなんだ。杏はこの辺にまだ友達がいないから、よかったら話し相手になってやってくれないか?」
「あ、そうだったんだ。私、普段は神奈川だけどそれでもいいなら全然オッケーだよ」
「よかった!」

 こくりと頷いてくれたに、杏がぽんっと手を叩いて喜ぶ。
 ところがは不意に「あれ?」と首を傾げて杏からオレに視線を移す。

「引っ越してきたって?」
「うん? ああ、前は九州に住んでたんだ」
「九州!」

 傾げていた首をまっすぐに戻し、は目を見開いて手を叩く。
 そしてオレを指し、

「九州二強の橘!?」
「え?」
「……よしっ、覚えてた!」

 いきなり獅子楽時代の異名で呼ばれて面食らったオレ。……だがはそんなオレの様子などおかまいなしで、なぜか自分の記憶力にガッツポーズした。……なんなんだ?
 オレも杏もぽかんとしてを見つめていたら、はのほほんとした人好きのする笑顔を浮かべて、

「赤也のテニスが橘っぽいって、前に柳が言ってたの思い出した。ねぇ、橘って九州二強の橘なの?」
「あ、あぁ……そう呼ばれることもある。しかし、なぜそんなことを知っている?」
「私、立海男テニのマネージャーやってるから」
「「立海!?」」

 オレと杏が声を揃え、その声の大きさに周りの客がぎょっとしてこっちを向いた。

「立海って、今年全国二連覇したあの立海大付属中!?」
「真田や幸村のいる立海のマネージャーか! ……こいつはとんだ偶然だな……」
「うん、偶然だね」

 目をまん丸に見開いて驚愕しているオレと杏をよそに、の様子は変わらない。
 しかし……偶然にしても一体どういう偶然なんだ。世間の広さというか、狭さというのは、全く。

「……あ、でも」

 衝撃から抜けきれないオレはぽかんとしたままを見下ろしていたが、しばらくしてはきゅっと眉根を寄せて口をへの字に曲げた。

「ど、どうした?」
「うん。あのね、橘は私と仲良くするの平気?」
「……は?」

 質問の意味がわからなくて、オレは間抜けな返事をする。杏を振り向いてみたが、杏もさぁ? という顔をして肩をすくめるだけだ。
 するとは、

「立海のレギュラーは敵と親しくすることまかりならん! って感じなの。私はそういうのどうなんだろって思うんだけど、橘もそうなのかなって」
「ああ、そういうことか」

 なるほどな。
 常勝を掲げる立海ならありえる指導方針かもしれないな。言葉のニュアンスに真田を簡単に連想できる。
 ……だが。

「選手同士の闘争心を煽るためならともかく、お前はマネージャーなんだろう? お前が気にしないならオレも気にしないさ」
「ホント?」
「ああ」

 大きく頷いてみせれば、は途端に嬉しそうな笑顔をこぼす。
 しかし……あの立海のチームカラーに随分そぐわない感じの無邪気なマネージャーだな。

「ホントよかった〜。ここでお兄ちゃんが『敵だから無理だ』とか言ったらどうしようって思っちゃった」
「仮にそう言ったとしても、お前はと連絡を取り合うんだろう?」
「勿論よ! お兄ちゃんのテニスと私の友情は関係ないもの!」

 隣で胸を撫で下ろしている杏は、と顔を見合わせて「ねー♪」と楽しそうに笑った。

「前に私が鳳や日吉……えっと、氷帝の子と話してたら、スパイだ、情報盗もうとしてるからあまり近づくなって。特に幸村と柳がうるさくて」
「試合会場で必要以上に親しげにするのはどうかと思うが……立海はそんなに情報漏えいを恐れているのか?」
「私が知ってることなんてほとんどないのにね」

 マネージャーが選手のことを知らないのは問題があるんじゃないかと思うが、まぁそこはあえてスルーしよう。

 ともかく、オレと杏の友情を確保できたと確認できたらしいは、笑顔のまま店を出て行った。
 杏はすっかりと意気投合したようで、帰宅を待たずに帰りの電車の中でにメールを打っていた。


 ★☆★


 その後も杏はとのメル友関係を続けていたらしいが、オレはすぐにテニス部の問題に直面することになり、正直のことは遠い記憶の彼方に残る程度だったんだが……。

「なんでがここに?」

 思いがけない突然の再会に、オレは目を瞬かせる。
 だが、は以前見たのほほんとした表情ではなく、不平不満を思い切り溜めこんだと言わんばかりのふくれっつらでオレを見上げていた。

「杏からメールでいろいろ話は聞いてたけど、もぉぉ今日の新聞と真田に私、アッタマきて!」

 そしてそれを爆発させるかのように、は両手をぶんぶんと振ってしゃべりだした。
 ……新聞、はなんとなく想像がつくが、なんでそこに真田が出てくるんだ?
 ぽかんとするオレに、はキッと強い視線を向ける。

「不動峰テニス部の事件のこと、こっちの新聞でも取り上げられててね。上級生の嫌がらせや顧問の怠慢なんかちっとも触れないで、教師を殴った少年Aとかなんとか、橘のことばかり悪者に仕立ててるんだもん!」
「杏……そんなことに教えたのか?」
「だって! 蚊帳の外から無責任なこと勝手に言われるなんて悔しいじゃない!」

 余計なことをと杏を睨めば、しかし杏ものように柳眉を吊り上げてオレを睨み返す。
 校名もオレたちの名前も伏せられていたから、杏が教えなければも知ることはなかったはずだ。
 王者立海の、マネージャーとはいえその一員であるにオレたちの稚拙な行動と現況を知られたことは、正直あまりいい気はしなかった。
 が。

「挙句にさ、今日の朝練でたまたまその話題になったんだけど『暴力で物事を解決しようなど愚の骨頂、そんな奴らにテニスをする資格などない!』って真田が言うんだよ。事情何にも知らないくせに! 頭来たから昼休みに部室の真田のロッカーにグラビアアイドルの水着写真めいっぱい貼り付けてやったんだから!」
「一体どういう嫌がらせなんだ、それは……。だが、杏から聞いてないのか? 新聞に書かれてあることは事実なんだ。きっかけはどうあれ、オレは顧問に暴力を振るったんだ」
「真田だって毎日赤也の頭殴ってるもん!」
「……それは指導だろう」

 今どき鉄拳指導をしているのもめずらしいが、それとこれとは意味が違う。
 だがはぶんぶんと頭を振ってぎゅっと両手を握り締めたかと思えば、今度は訴えるような目をしてオレを見上げた。

「橘、テニス辞めないよね?」
「……え?」
「廃部じゃなくて部活停止なら、きっとまたテニス出来る様になるよ。橘ならきっと先生もわかってくれるよ。だから」
……」

 まさか、これを言うためにわざわざ?
 冷たい視線にさらされたオレたちを励ますために?

 オレは唖然としてを見下ろした。
 確かに杏とは仲がいいらしい。だが、オレとは夏休みのあの日以外会うどころか会話すら交わしたことなかったというのに。

「そうか……」

 杏が心配そうにオレを見ている。おそらく、杏がに相談したんだろう。
 神尾や深司やみんなの表情が日に日に暗くなっていくのを見て、自暴自棄になりかねない状態に進んでいるのを見て。
 しかし、そうだとしてもわざわざこんな離れた学校まで放課後に来るか?
 ……いい友達を持ったものだな、杏は。

 いや、オレもか。

「辞めるはずがないだろう。オレたちの目標は全国なんだからな」

 不安そうにオレを見上げる二つの瞳に、オレは笑いながら告げる。

、オレたちのテニス部が本格練習に復帰できるのがいつになるかはわからんが……オレたちは王者に必ず挑戦するぞ。立海とは全国の前に関東大会で当たるな。人の心配している暇があるなら、来年の関東でオレたちに寝首をかかれないように練習するんだな!」
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん! なによそれ! さんが心配して来てくれたっていうのに、そういう言い方……!」

 オレの物言いに杏が驚いて抗議する。
 ……が、当のは不安そうだった表情をぽかんとさせて、やがて安心したように微笑んだ。

「うん。来年の関東大会で会おうね!」
「ああ、勿論だ。……それと、ありがとう」
「どういたしまして!」

 ぽかんとする杏の目の前で、は夏休み中にも見せた無邪気な笑顔を見せた。

 むぞらしか。

 太陽のような笑顔に、素直にそんな感想が浮かぶ。

 言いたいことを言い切ったらしいは、そのまま杏に連れられて不動峰を去っていった。
 今から神奈川に戻るのでは部活も終了してしまっているだろう。規律に厳しいらしい立海のレギュラー陣に怒られたりしなければいいんだが。
 オレはそんなことをぼんやりと考えながら部室へと戻る。

 がちゃりとノブを回して部室に入れば、変わらず絶望に打ちひしがれているみんな。
 正直、さっきまでのオレにはコイツらにかけてやる言葉が見つからなかったんだが……。

 来年の関東大会で会おうね!

 笑顔でそう言ってくれたを思い返しながら、オレは大きく手を叩く。
 その音に弾かれるように顔を上げた6人は、全員が目を丸くしてオレを見つめた。

「いつまで暗い顔してるんだ! 行くぞ!」
「た、橘さん……行くぞって、どこへ?」

 ぽかんとしてる神尾の目の前を通り過ぎ、オレは自分のロッカーを開けてテニスバッグを取り出す。

「近くにテニスコートのある公園がある。高架下のコートはメンテナンスは悪いが人があまりこないから集中できるぞ」

 ついでに教科書のつまった鞄も持ち上げて、オレは部室入口でみんなを振り返った。

「部活ができなくてもテニスが出来なくなったわけじゃない。テニス部が再開したときすぐに調整に入れるように、練習だけはかかせないからな。行くんだろ、全国!」
「! は、はいっ!」

 発破かけるように声をかければ、ようやく全員が顔を輝かせて頷いた。

 そうだ。あきらめたりしない。
 オレたちは全国へ行くんだ。そして、必ず王者に挑戦する。

 オレは必ず不動峰テニス部を再建してみせるぞ。関東大会で待っててくれ、

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