「オレはさんにマネージャーをやってもらいたいんだ」
「……幸村、断られたんじゃろ?」
「だからみんなで説得するんじゃないか」

 若干不機嫌そうに唐揚げを頬張る幸村に、赤也を除いた全員が「始まった……」と肩を落とした。



 2.指令:有能マネージャーを説得せよ



 昼休み屋上。先輩からマネージャー探しの指令が下ってからは定例となってしまったオレたちの昼の会合。
 あの日幸村がスカウトしたに、

「えー、でも私テニスのルール知らないし。他の人探した方がいいよ」

 と、さっくり断られてから2日がたっていた。

 今日の天気は五月晴れ。
 幸村の機嫌が悪くなければ、気持ちよく昼食が取れていたと思う。
 弦一郎がしょうが焼きを不味そうに食べているのを見ると、不憫でならない。

「さて。みんなにさんを説得してもらうには、さん自身のことを知ってもらわないといけないだろ? 柳、データは集まったかい?」
「ああ。とは1年のときも同じクラスだったからな。データ自体は集まっている」

 幸村に促され、オレはテニス以外のデータを書きとめてあるノートを開いた。

、立海大付属中学2年。3月14日生まれ、B型、魚座……」
「蓮二、個人情報は必要ないだろう。がどのような人物かがわかればいい」
「そうか? こういう個人情報も先読みの手段になるのだが」
「そういうことが出来るのは柳だけだろぃ……」

 そうか。個人的には興味深いデータだと思うんだが。

 しかし他に興味のある人物がいないのであれば仕方ない。
 オレは次のページを繰った。

「クラス内では特に目立つ存在ではない。流行りモノに興味があるタイプではなく、友人たちと騒ぎ立てることもない。ただ人望はあるようだ。学校行事などでは、よくクラスメイトに相談を持ちかけられている」
とは1年の時に委員会が一緒だったことがあるぜ。真面目に仕事してたし、敵を作らないんだろうな」

 ジャッカルの言葉にオレは頷く。

「部活にも、常任委員会のどれにも所属していない。学校行事には真面目に参加しているな。学業の方は文系が得意のようだ」
「そのようですね。国語と英語は1年生のときも上位に名前が載っていましたし」
「うむ。なかなか感心できる人物のようだな」
「ただし、理系科目、特に数学は大の苦手のようだ。本人曰く、物語がないからと言っていたが」
「……なんスか? それ」

 赤也が眉を顰める。

「性格は明るく楽天的で」
「真田に怯まない」
「……」

 いきなり笑顔で口を挟んだ幸村に、弦一郎が口をへの字に曲げて押し黙る。
 「そりゃスゲェ」と尊敬の眼差しをするジャッカルと赤也、今日の部活は地獄決定だな。気の毒に。

「ここからは同じクラスメイトであるオレの主観になるが」

 オレはノートを閉じた。

のテニス部マネージャーとしての資質だが。オレは申し分ないと思う。とらえどころのない物の考え方と行動を取ることが多いが、どんな人物に対しても変わりない態度で接することが出来るというのは貴重だ」
「真田にも怯えなかったし」
「幸村、それはもういいっ」
「ミーハーなところもないし、仕事には集中してくれるだろう」
「そもそもテニス部の存在を認識してなかったくらいだからね」
「本当かよっ!? 立海に通っててテニス部を知らないって!?」

 赤也とジャッカルはさっきから仲良く同じ反応をしているな。
 まぁ、その反応はオレたちも2日前にしたものだ。

 だから幸村。「オレたちもまだまだがんばらないとな」などと余裕ぶった謙遜をしても、弦一郎に白い目で見られるだけだぞ。

「んで? 話聞いてりゃ健康で気配りできて、空気も読めるみてぇだけどよ。錦先輩が一番気にしてた美人かどうかってのはどうなんだ?」

 3個目のクリームパンを食べ終え、指についたクリームを舐め取ったブン太が尋ねてくる。
 すると、その質問には仁王が口を開いた。

「今日の休み時間中、参謀に教科書借りるついでに見てきたがの、ありゃあ十人並みってとこじゃな」
「仁王くん……女性の容姿に関してそのような物の言い方は失礼ですよ」

 柳生が咎めるが、他からはなにも出ない。
 の容姿を知っているのはオレと幸村、真田、それから委員会が一緒だったことのあるジャッカルの4名。
 誰も何も言わないというのは、仁王の言葉を肯定しているということだろう。

 事実、は美人というにはおとなしい顔立ちをしている。

 しかし、そんな『事実』はここでは無意味なのだ。

「いいんだよ。オレが可愛いと思ったんだから」
「「「…………」」」

 立海テニス部においては、幸村がある意味法律だ。

「さてと。今までの報告でさんがテニス部マネージャーにふさわしいんだってことは理解してくれただろう?」

 理解させたというよりは、強制的に思い込ませたというほうが正しいだろうが。
 幸村は若干戸惑いを混ぜた表情を浮かべているメンツに、腹の底の見えないいつもの笑顔を見せて。

「誠心誠意、テニス部員がさんの力を必要としていることを伝えれば、きっとわかってくれる。今日から全員で説得にかかること。いいね?」
「いいね、って……幸村先輩、オレ、その……先輩とは全っ然面識ないんスけど」
「赤也、この二日間で1年生からマネージャー候補を見繕えなかったばかりか、オレのスカウト活動まで邪魔する気かい?」
「い、いいいえっ! さっきそんなことを、ジャッカル先輩が!」
「おいっ、オレかよ!?」
「あ、こら赤也っ! オレの専売特許真似すんな!」

 一瞬見せた幸村の黒いものにすくみ上がる赤也が、ジャッカルの後ろに素早く隠れその背中をぐいぐい押す。
 ……まぁ、赤也もあと数ヶ月たてば、幸村に対してとるべき態度というものを覚えるだろう。

「それじゃあみんな、よろしく頼むよ」

 言葉上は丁寧に、その実命令以外のなにものでもない幸村の言葉に、オレたちは一様に神妙な顔して頷くしかなかった。



「……
「んー」

 教室に戻ると、は次の国語の時間に使う便覧に視線を落としていた。
 見ているページは古今和歌集の短歌が載ったページだ。

 返事はしたものの、こちらを振り返る気配はない。


「んー」

 本に没頭するとまわりが見えなくなるタイプか。

 オレは席から身を乗り出して、少し声を張り上げる。


「うわ!?」

 30センチくらいの距離まで近づいて呼べば、さすがに気づくか。
 は便覧を両手で高々と持ち上げた奇妙な格好でのけぞった。

「あ、あーびっくりした。なに? 柳」
「いや、先に断っておこうかと思ってな」
「断り? なんの?」
「幸村がお前のことをあきらめていないらしい」

 椅子に座りなおしながら告げると、はきょとんとした顔をして首を傾げる。

「幸村って……あの雨宿りにきたときの、可愛い人?」
「……可愛いかどうかは知らないが……をスカウトしたアイツだ」
「ふーん?」

 は、今度は反対方向に首を傾げる。
 つくづく妙な仕草をするヤツだ。

「なんとしてもお前にテニス部のマネージャーを引き受けて貰いたいらしい。今日から他のテニス部員もの説得にでると思う」
「な、なんか大事になってる?」
「すまん」
「別に柳が謝ることないけどさ」

 目をぱちぱちとしばたかせて、呆気にとられた様子の。「はー」と声に出しながらため息をついて、椅子に深くもたれかかる。

「私、幸村とは初対面だったんだけどなぁ。私のなにが気に入ったんだろ?」
「弦一郎に対して堂々としていただろう? それがよかったらしい」
「げんいちろー……ああ、一緒に来てた真面目そうな人。真田、だっけ?」

 よかったな、弦一郎。にはお前がしっかり同年代に見えているらしいぞ。

 そうこうしているうちに予鈴がなる。他のクラスメイトも思い思い過ごした昼休みを終えて教室に戻ってきた。

「とにかく、今日の放課後あたりから覚悟しておいてくれ」
「えぇ〜……」
「今日、の帰宅が遅くなる確率は、100%だ」

 きっぱりと告げれば、の眉間が弦一郎のようになるのが見えた。



 そして放課後。
 HRを終えて、は早々に帰宅しようとしたらしいが。

「よう。お前さん、じゃろ?」
「……『じゃろ』?」

 ちょうど教室のドアを開けたところに、仁王が立っていた。
 待ち伏せしていたのか? それにしても素早いヤツだ。入り口に斜めに寄りかかるようにして、の進路を邪魔しつつ、値踏みするように見下ろしている。

 突然名前を呼ばれたは入り口のまん前で棒立ち状態。そしてクラス内は、テニス部の中でも人気のある仁王の登場に、女子がざわつき始めていた。

、仁王。そこに立っていては他の者の通行の邪魔になる」
「おう、教科書返しにきたぜよ柳。お前さんもこれからの説得するんじゃろ?」
「そうだな、そのつもりだ。、そういうことだ。ついてきてくれないか」
「えぇ〜」

 鞄を持ち上げと仁王のもとへ歩み寄る。
 オレと仁王の間に挟まれる形になったは、困り果てた表情でオレを見上げてきた。

 とりあえずと仁王を追い立てて教室を出る。そのままオレたちは渋るを連れて部室のほうへと歩き出した。

「なにもとって食うとは言っちょらん。ウチのボスがお前さんにご執心での。ちいとばかし話聞いてくれんか。お前さんもテニス部のことなんも知らんじゃろ?」
「うん、全然知らない。でも仁王のことは知ってるよ」
「ほう。オレも有名人になったもんじゃ」
「だってその頭としゃべり方目立つし」
「プリッ」

 くつくつと笑った仁王はオレを振り返る。

「幸村の言うとおり、物怖じどころか歯に衣着せないヤツじゃの。真田にもこうだったのか?」
「ああ。が弦一郎を説き伏せたのは見ものだったな」
「そうか。そりゃオレも見てみたいな」

 が弦一郎に噛み付いているところでも想像しているのだろうか。仁王は薄い笑いを貼り付けたまま、ちらちらとを見ている。

 渡り廊下を抜けて、やがてオレたちは部室に辿り着く。
 中学テニス会の頂点に君臨する立海テニス部の部室は、贔屓目ナシにしても立派だ。
 もちろん、かの氷帝のような絢爛さはないが設備に申し分はない。

 部活に所属していないは校舎のこちら側に来るのは初めてだったのだろうか。
 ぽかんと口を開けてテニス部の施設を見上げていた。

「こっちだ」
「あ、うん」

 先に行ってしまった仁王を追って、オレはを案内する。
 レギュラーや3年生がメインに使っている部室から少し離れた、下級生たちが主に使用している部室の方へ。
 憩いの場であるはずのそこも、弦一郎が出入りするようになってからはまるで職員室かのような緊張感がいつも漂っていた。

 下級生の息抜きの場にはあまり出入りしてやるなとは言っているのだが。まぁ、赤也がそこでよくサボっていることを考えれば、仕方の無いことか。

「ここだ」

 立派な設備棟を見た後では簡素なプレハブに見えるだろうが、オレとは下級生用の部室にたどりついた。
 オレはドアを開けてを中へと招き入れる。

「来たな。好きなところに座ってくつろいでくれ」

 開けるなり、戦国武将のような威風堂々さでベンチに腕を組んで座っている弦一郎が出迎えた。

「あのー……オレは柳生先輩あたりが出迎えたほうがいいんじゃないっすか、って言ったんスけど……」
「ほう。なぜオレでは不適合か理由を聞かせてもらおうか、赤也」
「いいえっ! なんでもないっす!」

 ぶんぶんと頭を振り、赤也は愛想笑いを浮かべて隅のほうへ逃げた。

 部室には弦一郎と赤也のほか、仁王と柳生が集まっていた。
 肝心の幸村は来ていない。

「幸村くんなら掃除当番のはずですよ。さん、汚いところですがどうぞ座ってください」

 オレの視線の問いかけに答えながら、柳生はの横のベンチにクッションを置いた。
 ……確かに赤也の言うとおり、出迎えは柳生が適任だったようだ。

「ありがとう。えーっと」
「私は柳生比呂士と申します」
「うん、ありがと柳生。えーと、、です」

 ぺこ、と頭を下げつつも居心地悪そうに腰掛ける
 それを見てから、オレたちも各々ベンチに腰掛けた。仁王だけは立ったまま、持ち込んだダーツの矢をいじっている。

 口火を切ったのは、やはり弦一郎だった。

「人数が揃っていないが客人を待たせるというわけにもいかないだろう。、蓮二から話は聞いているな?」
「うん。幸村がまだ私にマネージャーやってもらいたがってるって聞いたけど」
「うむ。実は我が立海大テニス部には今までもマネージャーがいたのだが、今年3月に最後の一人が卒業されて以来、マネージャー不在のまま練習を続けるに至っている」
「はぁ」
「それ故、3年生の先輩からオレたちがマネージャー探しを任命された。そこで白羽の矢を立てたのが、お前だったのだ」
「はぁ」

 の反応は鈍い。
 弦一郎は多少ムッとしながらも、説明を続けていく。

 その二人を興味深そうに見ているのが仁王と柳生だ。

「なるほど。幸村くんがあそこまで言っていた理由がわかりました。彼女、肝が据わっていますね」
「真田からしてみればやりにくい相手じゃろ。相性がいいとも悪いとも言えるぜよ。まぁ、並みの女子よりはおもしろそうなヤツじゃ」

 ふむ。
 仁王と柳生もを気に入ったか。

「赤也はどう思う」
「へ? オレっすか?」

 のれんに腕オシ状態で説明を続ける弦一郎を、こちらもまた違う意味でぽかんと見ていた赤也にも意見を聞いてみる。
 オフィスチェアに逆向きに座っていた赤也は、背もたれに頬杖をついて「そっすねー……」としばし言いよどんだあと。

「オレにはわかんねぇっす。なんかあの人、やる気なさそうだし。幸村先輩のお気に入りっつってもやる気ねーんじゃ逆に邪魔じゃないっすか?」
「確かにな。マネージャーを押し付けたところで自身にやる気がないのなら意味はない。だがな、赤也」
「なんすか?」
「幸村がをマネージャーにすると言った以上、をやる気にさせるのがオレたちの使命だ」
「……幸村先輩って、どんだけ魔王なんすか……?」
「試合で幸村に本気を出してもらえる程度にまで腕を上げればわかる」
「ちぇっ」

 悪態をつきつつも、大声で幸村に反する意見を言うつもりはないらしい。
 今から長いものに巻かれてどうする……と言いたいところだが、幸村に関してだけを言えば、その選択は100%正しいぞ、赤也。

 と、そこへ。

「やぁ、みんなさんとすっかり仲良くなったみたいだね」

 どこをどう見てそう言い切ったのか。

 部室のドアを勢いよく開け放ちざま、幸村はそう言った。

「「「…………」」」

 全員、無言。
 弦一郎が深くため息をついたのと、オレたちの空気を理解していないが口を開いたのはほぼ同時だった。

「こんちは、幸村。二日ぶり」
「うん、二日ぶりだね、さん。君のことをテニス部のみんなに話したら、みんなも是非さんにマネージャーをしてもらいたいって言ってくれてね。どうかな、興味沸いてきた?」
「今、真田にテニス部のこといろいろ聞いてたけどさ。やっぱり素人がやるよりもテニスのこと少しでもわかってる人がやったほうがいいんじゃない?」
「そんなことないよ。真田の説明がヘタクソだったからそんな風に思ったのかもしれないけど」
「幸村! オレは事実を誇張なくだな」
「やめときんしゃい、真田。言うても無駄じゃ」
「…………」

 こめかみをひきつらせている弦一郎をさくっと無視して、幸村はの隣に座り込む。

 ちゃっかりレギュラー用の部室で着替えてきたのだろう。立海のレギュラーユニフォームを身を包んだ幸村は、真っ直ぐにの目を見て口説き落としにかかった。

「強豪の立海テニス部にだって全くの初心者も入部してくるんだ。マネージャーが素人でもなんの問題もないよ。一緒に全国を目指そう。オレはさんと一緒に頂点を目指したい」
「……なんか幸村先輩、スカウトっつーより告白してるみたいじゃないっすか?」
「黙って見ときんしゃい、赤也。お前も参考にするときがくるかもしれんぜよ?」

 呆れ顔の赤也とおもしろがっている仁王。弦一郎はいじけたのかそっぽを向いてしまっている。柳生は穏やかな紳士を繕っているが、今の幸村に何を思っているやら。
 幸村のこの情熱は、ある意味関心に値するとは思うが、果たしてあのに通じるだろうか。

 オレも黙って成り行きを見守る。

 並みの女子なら騙されてしまいそうな幸村の真摯な表情に、しかしはいつもどおりのほほんとした表情をむけるだけだ。
 が、唐突に口を開く。

「ねぇ幸村ってさ、テニス好き?」
「え? うん、もちろん。好きだよ」
「みんなもテニスが好きなんだよね?」
「テニスを続ける理由はいくつかあるが、好きという気持ちが根底になければ続けていないだろうな」

 ぐるっと全員を見回したは、クセなのだろうか、首を小さくかしげたまま話を続ける。

「でも私はテニス好きでも嫌いでもないよ。っていうか、好きとか嫌いとかって範疇に今までなかったからよくわかんない。みんなと同じ情熱持ってるわけじゃないのにマネージャーなんてやっていいのかな」

 さらりと言った言葉に、全員が一瞬言葉を失う。
 正直、がそういう視点で考えているとは予想外だった。

 しかし、その言葉で理解することができた。

 打っても響かない飄々としたタイプかと思っていたが、自分だけではなく、オレたちテニス部員への影響も全て考えていてくれたのか。

 それはまさしくマネージャーにもっとも望まれる資質。



 弦一郎が幸村よりも先に口を開いた。いつもより穏やかなその顔を見れば、オレと同じことを感じたのだろうと容易に想像がつく。

「オレからも頼む。我が立海テニス部のマネージャーには、お前こそがふさわしい」
「真田……って、あ、頭下げなくていいよ! なに、急に!?」
さん、私もあなたにお願いしたい。是非、私たちのマネージャーになってください」
「おう、オレからも頼むぜよ。お前さんがおれば退屈せんだろうしな」
「えええ?」

 弦一郎に続いて柳生も礼儀正しく頭を下げ、仁王も指先でダーツの矢を廻しながらにやりと笑う。
 急に態度が変わった皆にうろたえて、はオレを見るが。

「オレも同じだ、。お前の冷静さは皆の支えになると思う」
「や、柳まで〜……」

 ここまでうろたえた表情をするを見るのは初めてかもしれない。頬を染めて困り果てた顔をして今度は幸村を見るが、幸村がかばってくれるはずもなく。

「赤也はどう思う? さんのこと」
「オレっすか? レギュラー入りもしてない1年のオレがでかいこと言えないっすよ」
「よく言うわ。お前さんが一番文句たれるじゃろ」
「そいつはスイマセンでした。あーっと、先輩、だっけ?」

 からかう仁王に憮然としながらも、赤也は椅子から立ち上がってに向き直る。
 そして手近にあった誰かのラケットを取り上げ、無礼にもそれをにつきつけた。

「アンタさっきテニスが好きかどうかわからないって言ってたけど、そんなのオレたちの試合見れば一発でわかるって。ゼッテー虜になる。保障つき!」
「そうだね。赤也のタメ口はあとでおしおきするとして、テニスを知らないならこれから好きになってもらえばいいんだ。どうかな、さん」

 赤也からラケットを取り上げながら、幸村はに向かって微笑む。
 弦一郎も、柳生も仁王も、若干青くなってる赤也も、そしてオレも。
 全員がに懇願した。

 の性格からいって、これで断る確率は……わずか2%にも満たない。

 予想通り、は少し赤くなった表情のまま、小さく頷いた。

「うん。じゃあやってみる。でも、本当に初心者なんだから最初のうちは手加減してね?」
「なにを言う。レギュラー補佐をするには早急に仕事をおぼっ」
「もちろんだよ。3年生に言いづらくても、オレたちがちゃんとさんをフォローするから。困ったことがあったらなんでも言ってくれ」

 裏拳の要領で、弦一郎の顔面をラケットで殴り黙らせた幸村は、の両手をとり上辺だけの人畜無害な笑顔を向ける。

「歓迎するよ、さん。これからどうぞよろしく!」
「うん。よろしく、幸村!」

「真田、大丈夫か? とりあえずになにか意見するときは、まわりに幸村の存在があるかどうか確かめてからにしたほうがいいぜよ」
「……たるんどるっ」

 微笑ましく握手していると幸村の背後で、弦一郎は顔面を押さえて座り込んでいる。
 なにはともあれ、頭痛の種がひとつ減ったのはいいことだ。
 スカウト令が出てからずいぶん時間がかかったが、これでようやく練習に集中できるだろう。

、早速だがレギュラーと部長に紹介したいのだが」

 オレと幸村と弦一郎はここではなくレギュラー用の部室を使っている。そこにはもう他のレギュラーの先輩たちも集まっているだろう。
 オレの言葉にこっくりと頷いたは、入り口の戸に手をかけた。

 と。

「わぁっ」

 いきなり扉が開き、取っ手に手をかけていたの体が横に傾いだ。
 近くにいた柳生が素早くをささえ、倒れることはなかったが。

「悪い! 購買寄ってたら遅くなっちまった!」
「すまん、ブン太の買い物が終わらなくてな」
「遅いぞ丸井、ジャッカル! たるんどる!!」

 駆け込んできたのは両手に購買の菓子パンを抱えたブン太とジャッカルだった。
 幸村からくらった理不尽の鬱憤か、弦一郎がいつもの倍の声量で怒鳴る。
 が、は弦一郎の怒声よりも、突然飛び込んできた二人のほうに驚いたままだった。

「ん? アンタがかよ?」
「う、うん。えっと、二人もテニス部?」
「おう、オレは丸井ブン太。こっちはジャッカルだ。シクヨロ♪」

 にかっと笑顔を見せたあと、ブン太は大量の菓子パンをロッカーの中に放り込む。
 ジャッカルが持っていたパンまで、どうやらブン太のものだったようだ。悠に20個はあるように見えるが、あれを一人で食べるつもりか?

 そんなオレの疑問も口にだせぬまま、ブン太はロッカーをばたんと閉めてに向き直る。

「今の見ただろぃ? テニス部のマネージャーになれば、購買の限定パンだって毎日買ってきてやるぜ! ジャッカルが」
「オレかよっ! ブン太、今のパン代もあとでちゃんと返せよ!?」
「安心しろ、ジャッカル。はすでにマネージャーを引き受けてくれたから、毎日買いに行く必要はない」

 いつものように体よく使われているジャッカルの背中を叩きながら、オレは一部始終を簡潔に二人に説明してやろうとした。

 のだが。

「購買の限定パンを毎日!?」

 今の今まで鈍い反応しか返ってきていなかったが、強い反応を示した。
 驚いて見れば、明らかには先ほどとは違う興奮で頬を染め、きらきらと目を輝かせてブン太を見ていた。

 ……まさか。

「そうだぜぃ。お前、さては限定パンマニアか?」
「うん、限定パン大好き! おいしいよね!」
「話わかるじゃん! じゃあ今度入るらしいって噂のメロンパンのことも知ってるか!?」
「知ってる知ってる! 底がクッキー生地で、中に夕張メロンクリームが入ってるヤツでしょ!」
「情報早ぇじゃん! お前とは上手くやってけそうだぜ!」
「私も! シクヨロ!」

 一瞬で意気投合してしまったブン太とを、唖然として見つめる一同。

「……さんは丸井くん属性でしたか」
「ピヨッ」

 眼鏡を直しながら呟く柳生に、仁王は肩をすくめて。

 オレは、ジャッカルの背中をもう一度叩いた。

「すまない、ジャッカル。前言撤回だ」
「そうだね。とりあえずさんのモチベーションを維持するために、限定パンの発売日にはジャッカルに並びにいってもらうことにしよう」
「オレかよ!」

 抗議の声を上げようとしたジャッカルだが、幸村の笑顔の前には沈黙するしかなく。



 この日、立海大テニス部に新たなマネージャーが誕生した。

 ……それと同時に、ジャッカルの不幸もまたひとつ増えたのだった。



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