夏休みが終わり、2学期が始まった。
……と言っても、平日も休日もテニス部に休みがあることはまずないわけじゃから、日中やることが練習から授業に変わるだけ。赤也あたりは宿題がーなどと騒いどったが、まぁほとんどの部員は夏休みの終わりなんぞ、そうしみじみと感じることもなかったじゃろ。
始業式を明けて翌日の朝練のあと。
昨日の夜更かしのせいで、授業を受ける気力が萎えとったオレはのろのろと着替え、既に誰もいない正面玄関にようやくたどり着く。
ところが、誰もいないはずの正面玄関でちょこまかと動いてはきょろきょろとあたりを見回しとる女子がひとり。
「……何しとるんじゃ? 」
「あ、仁王……」
ウチのマネージャーか、と気づいて声をかけてみれば、はらしくなく困った顔をしてオレを振り向いた。
17.指令:マネージャー警護隊結成せよ
「もうチャイムなるぜよ?」
「うん、わかってるんだけどね」
そう言ってもう一度あたりをきょろきょろと見回す。
「何か探しとるんか?」
「うん……」
はぁ、とため息までつくものだからついつい気になってしもうて。
尋ねると、は納得いかないという顔をしてオレを見上げた。
「上靴がね、ないんだよね……」
「……上靴?」
オレはの足元を見る。下駄箱前のすのこに立っているの足元は白のハイソックスだけ。確かに靴は履いとらん。
「間違って隣の人のトコに入れちゃったかなぁとも思ったんだけど、入ってないし。私の靴のサイズ小さいから、誰か間違って履いたとしても気づくと思うんだけどな」
首を傾げながら「どこいったんだろ?」ときょろきょろしているを、オレは苦い気持ちで見ていた。
上靴の履き間違えなんぞ、移動教室で靴を脱いだというんならともかく、下駄箱で起こることじゃなか。
天然気質のだからこそ気づいとらんようなもんじゃ。
「お前さん、誰かに嫌がらせされとるんじゃなかと?」
自分の靴を履き替えながらオレはに尋ねる。
するとは、この可能性を微塵も考えていなかったのか、ぽっかーんと口を開けた。
「私が? 誰に?」
「オレにはわからん。じゃが、現に靴が無くなっとるんじゃろ?」
「そうだけど……。そうなのかなぁ?」
首を傾げる様子に深刻さはない。ま、傷ついて落ち込むよりはマシな反応かもしれん。
が、突然は眉間にシワを寄せて、
「えぇっ、それじゃ私、今日一日来賓用スリッパで過ごすの!?」
「お前さん、気にする所間違うとるよ?」
らしいといえばらしいがな。
まあ、わざわざ気持ちを沈ませることもないかと、オレはしょっていたテニスバッグを下ろす。
「上靴はオレも探しちゃるから、今日はコレ履いときんしゃい」
「コレ? ……コレって、仁王の靴?」
「室内練習用のシューズじゃ。夏休み中に洗ってから履いとらんし、心配せんでええ」
バッグの中から取り出したのは白いテニスシューズ。オレはひざまずき、ぽかんとしているの足に履かせ、紐をキツメに締めた。
細いの足には不釣合いな大きさのシューズ。まぁ紐さえ緩めんかったら脱げることもなかろ。
「ふはー、仁王って足大きいんだねぇ」
「そうか? 真田や参謀のほうがもっと大きいぞ」
「そうなんだ。あはは、ぶかぶか」
楽しそうに足を持ち上げて、足首をぷらぷらさせる。靴の中は相当空間があるんじゃろ。なにがおもしろいのか、ぺたぺたと足音を鳴らしてすのこの上を歩きまわっとる。
かと思えば、はオレを見上げてにっこりと微笑み、
「ありがと仁王!」
「あー、よかよか。今日はおとなしくしときんしゃい。サイズの合わん靴で歩き回って、怪我でもしたら一大事じゃからな」
幸村や参謀が。コレは心の中だけの付けたしじゃ。
こっくりと頷いたは、ぺったぺったと足音を響かせながら教室へと駆けていく。
角に姿が消えるまで見送ったオレは、テニスバッグを背負いなおしてから玄関横の傘立て近くに向かう。
傘立ての裏、隣のクラスの下駄箱の上、ゴミや枯葉が集められたポリバケツの中。
「ないか」
一通り隠せそうな場所を探したものの、靴はない。
イジメの定番とはいえ、陰湿なことをするやつもいるもんじゃな。
まぁがそう深刻に考えておらんものをオレが騒ぎ立てることもなかろ。
とりあえず、上靴探しの続きは昼休みじゃ。
オレは大きくあくびをしながら、正面玄関を後にした。
半分眠りながら受けた午前中の授業はあっという間で、腹の虫に起こされたときにはすでに昼休みになっとった。
「ああ、イカンイカン」
ぼーっとする頭を振って鞄の中からカロリーメイトを取り出す。腹が鳴りよるのに食欲が沸かんなんぞ、夏場っちゅうのは苦手じゃ。
一口かじりながら、机の上に広げていた歴史の教科書をしまう。
「相変わらず貧相な食事だな」
「ひどい言いようじゃのう。合理的と言うてくれんか」
二口めをかじったとき、降ってきたのは夏でも涼しげな参謀の声。
あー、やっぱり来よったか。さて、どう言い訳したもんかの。
「朝からが仁王の靴を履いて妙ににこにこしていてな」
さっぱり表情の読めない顔をして、柳がオレの隣の席に腰掛ける。
「「あれは応急処置というもんじゃ」」
「……と、仁王は言う」
「ほうほう、参謀にはかなわんのう。から事情聞いとるんか?」
「ああ、大体は」
小さく頷いた柳は、ほんの少しだけ眉をひそめていた。
「の上靴が無くなったと聞いたのだが、どういうことだ?」
「そのまんまの意味じゃ。練習明けて教室に戻ろうとしたら、すでに靴が無くなっとったらしい。にオレの靴を履かせて先に行かせたあと、めぼしい所を軽く見て回ったが、見つからんかった」
「……気に入らないな」
その台詞はオレに対してではなく、に悪意を持つものに対してのもの。
全く同感じゃ。
「柳、なにか心当たりはないんか?」
「クラスメイトでないことだけは100%断定できる。クラス内での悪い噂は聞いたことがないしな」
「お前さんがそう言うからには、そうなんじゃろうな」
壁に耳ありロッカーに柳あり。参謀の情報通は、なにもテニスや勉学に限ったことじゃなか。
……と。イカンイカン、忘れるところだった。
「柳、話は歩きながらでも出来るじゃろ?」
「ああ。の靴を探しに行くのだろう? オレも行こう」
2本目のカロリーメイトを食べ終えたところで、オレは立ち上がる。何も言わずとも察してくれる柳と行動するんは、ホントに楽じゃ。赤也だとこうはいかん。
階段を下りて正面玄関へ。昼休みもあと5分ということで、人影はまばらだ。
「どこを探すのがいいかのう」
「玄関付近のめぼしいところを探し終えているのなら、中庭のほうはどうだ?」
「そうじゃな。時間もあまりないし急ぐとする……ん?」
柳の予測を聞きながら、靴を履き替えようと下駄箱前まで来たときだ。
「?」
朝見たときと同じ場所で、が自分の下駄箱をじっと見つめながら立ち尽くしとる。
オレと柳は顔を見合わせ、に近づき声をかけた。
「どうした。靴は見つかったか?」
「あ、仁王……それに柳も」
振り向いたその表情は困惑そのもの。
が、気づいた。
が手をかけている下駄箱はもぬけの殻で、1足の靴も入っていなかった。
「まさか……外靴まで無くなったのか?」
「うん」
こくんと頷く。滅多に崩れない柳の表情が、苦く歪む。
……一体、誰じゃ。こんな、悪質なことをするやつは。
「お弁当食べ終わったから、靴を探そうと思って来たんだけどね、そしたらもう外靴も無くなってて」
「オレたちもお前の靴を探しに来たのだが……すまない、行動が遅かったようだ」
「え、柳も仁王も悪くないよ? 謝らないで」
はきょとんとして、それから慌てて首を振る。
そして、口をへの字に歪ませてからオレを見上げる。
「仁王、あのね」
「なんじゃ?」
「やっぱり私、仁王が言ったみたいに嫌がらせされてるのかなぁ」
なんて答えればいい。
困ったオレはちらと柳を見るものの、柳も眉間にシワを寄せて口を結んでいた。
そのとき、昼休み終了のチャイムが鳴る。
「あー……そうかもしれんな」
「……そっか」
返答に困って、ごにょごにょと返したオレの言葉に、は小さく呟いて少しだけ目を伏せた。
その目に見る間に涙がたまっていったかと思えば、ぽろぽろとこぼれ落ちていく。
「……」
泣き喚くでなく、声を押し殺すでなく。
ただ寂しそうな表情で涙だけをぽろぽろとこぼすその姿に、さすがのオレも胸が締め付けられた。
普段のほほんとして、押しても引いても手ごたえのないだが、こんなことされてまで平気でいられるわけがないんじゃ。
「、泣かなくていい。靴は必ずオレたちが探し出すし、犯人も見つけてみせる」
「そうじゃ。お前さんは犯人にどんな仕返ししてやるかだけ考えとけばええ」
なかなか泣き止まないに、オレも柳も口々に励ましの言葉をかける。
「ん……仁王も柳もありがと。大丈夫だよ」
「無理せんでええ。今のうちに嫌な気持ち全部流しときんしゃい」
ぐいっと涙を拭って無理やり笑顔を作ろうとするを慰めようと触れた髪は、思いのほか柔らかだった。
と、そこへ。
「お前たちっ、既にチャイムは鳴っているぞ! さっさと教室に戻らんか!」
「おー真田か。風紀委員の見回り、ご苦労さんじゃの」
静けさをぶち破る聞きなれた怒声。
振り向けば、風紀の腕章をつけた真田がずかずかとこっちにやって来るのが見えた。
オレに言わせれば、よりも真田のほうが恨みを買っていそうな気もするんじゃが、まぁこの迫力に対して何かしてやろうというヤツもおらんのだろうな。
「仁王か……むっ、蓮二まで共にいながらなんだと言うのだ。たるんどる!」
「ちょうどいいところに来たな、弦一郎。すまないが、を頼んだぞ」
「なに、? までいるのか!? 他の生徒の模範となるべきテニス部員が何を……む? な、なぜ泣いているのだ!?」
目の前までやってきた真田に、の両肩を押しやって預ける柳。
いまだ涙の乾かないを押し付けられた真田は、滑稽なほどにうろたえた。あーあ、皇帝がみっともなか。
「な、なにがあったというのだ、蓮二、仁王!」
「あー、説明してやりたいのはやまやまなんだが、時間がのうてな」
「まずは中庭だ。行くぞ、仁王」
みっともなくうろたえている真田をまるっきり無視して、さっさと靴を履き替えた柳が玄関を出て行く。
さて、オレも行くとするかのう。
「お、お前たち、どこへ行く!? 昼休みは終わったのだぞ!」
「の靴を探しに行くんじゃ。お前さんはを教室までちゃーんと送り届けんしゃい」
靴を履き替えたオレは一度ぽんっとの頭を叩いた。
赤い目をしたがゆっくりとオレを見上げ、への字に曲がったままの口を開こうとするが、オレは首を振ってそれを阻止する。
「心配せんでええ。なに、参謀がついとるんじゃ。すぐに見つけてみせようよ」
「うん。ありがと仁王。柳にも、言っといてね」
「了解じゃ」
こっくりと頷く。真田の制服の裾をぎゅっとにぎっとるその様子は、どこをどう見ても親子だ。
「真田、大目に見てくれ。あとで話す」
「む……」
立場上、わかったと頷くことができない真田は、それでもそれ以上引きとめようとはしない。
信用してくれとるんかのう。感謝するぜよ、皇帝。
二人に軽く手を上げてから柳の後を追った。
柳は辺りをきょろきょろと慎重に見ながら中庭へと歩を進めとる。オレは小走りに追いかけ、柳の隣に並んだ。
「お前さんが授業をサボる日が来るとはのう」
「オレもありえないことと思っていたが、事情が事情だ。仲間の苦しみを見てみぬ振りはできないからな」
「仲間ねぇ」
「なにか含んだ言い方だな、仁王」
「そうか? 気のせいじゃろ」
軽口を叩きながらも、柳の視線はオレに向けられることはなく、ひたすらの靴を探し当てることに向けられとる。
ま、6限までサボるわけにもいかんし、オレも真面目に探すとするか。
「手分けしよう。仁王は焼却炉の方を頼む」
「わかった。見つかったらメールで連絡するき」
「ああ。マナーモードにするのを忘れるな」
「わかったわかった」
オレは手を上げ柳に背を向けた。
さぁて。
ウチの大事な姫さんを泣かしたヤツに、どんな制裁加えてやろうかのう。
そんなことを考えながら、オレは教室の窓の下をかがんで潜り抜け、焼却炉へと向かった。
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