「遅れてすまない弦一郎」
「蓮二か。よく来たな。全国大会の疲れは取れたか?」
「大会後に5日間も休みが貰えるとは予想外だったしな。十分に休養は出来たと思う。赤也あたりはこれ幸いと遊び倒している確率100%だが」
「む……まぁせっかくの休みだ。明けて疲れが残っていなければいいだろう」
「残っていた場合は、仕置きが必要だな」
「当然だ! ……ところで蓮二、手にしているものはなんだ?」
「ああ、これか。出掛けに郵便が届いてな。からの残暑見舞いらしい。弦一郎の家にも今日着くんじゃないか?」
「ほう、時節の挨拶を欠かさぬとはよい心がけだな」
は今、沖縄にいるらしい」
「……なに?」
「読むか? 『残暑見舞い申し上げまーす! 私は現在沖縄に来てます。じーちゃんが町内の老人会のビンゴで沖縄旅行当てたんだよ。さすがに暑いよ、こっちは。死にそー!』……だそうだ」
「…………」
「弦一郎?」

「体を休めるための休養日だというのに……。暑さに極端に弱い体をしていながら真夏に沖縄だと!? たるんどるッッ!!!」



 15.道産子、うちなーんちゅに会う : 前編



「あ」
「んー? 知念くん、どしたー?」

 綺麗に晴れ渡って、灼熱の太陽が人も道路も焦がしている夏の一日。ここ連日、夕立すら降らなくて不快指数はうなぎのぼりだ。
 そんな今日も晴美のクソムカつく特訓を終えて、みんなでアイス食ってこーぜーと海岸線を歩いてたときだ。
 知念くんが浜のほうを見て短く声を上げたから、オレたちは全員ソッチを向いた。

 浜には、淡い緑のリゾートウェアを着た女が1人、ぽつんと海の方を見て佇んでいた。

「なんだアイツ? 観光客か?」

 雲ひとつ無い晴天だってのに、肩はむき出し、帽子すら被ってない。
 沖縄の夏ってヤツをわかってない観光客だってのは、一目瞭然だった。

「なぁ、忠告してやったほうがよくね?」

 オレたちを振り向いて言った裕次郎の言葉に、全員がいいと思うと頷いて。

「あ」

 すると知念くんがまたも声をあげたから、オレは再び浜にいる女を見た。
 ソイツは、右、左、と2、3回揺れたかと思えば、ぽてっと横倒しに砂浜に倒れて。

「……」
「……」
「……」

 オレと裕次郎と田似志がぽかんと口を開けて、あまりに重力を感じさせない見事な倒れっぷりを見せたその女に注目してたけど、

「あの子、朝もあそこにいた」

 ぽつりと呟いた知念くんの言葉に、オレたちは顔を見合わせてから。

 一斉にガードレールを飛び越えて砂浜へと駆け出した!

「おいおいっ! 大丈夫か!?」

 一番にたどり着いたのがオレだ。
 横倒しになったソイツの体を抱き起こして……げっ! すっげぇ熱い!

「うわっ、肩焼けて真っ赤じゃん!」
「汗かいてねぇぞ!? 熱中症起こしてるんじゃね!?」

 遅れて到着したみんなも、コイツの顔を覗き込んで一様に驚いてる。

 沖縄のヤツじゃ見ないような白い肩が可哀想なくらいに真っ赤になっていて、帽子も被っていなかった黒い髪は熱を吸収して手を近づけただけで熱い。
 汗はかいてないわ呼吸は浅くて荒いわ、完全な熱中症だ。

「ど、ど、どうする!? 救急車呼ぶか!?」
「いや、部室の方が近い! 氷もあるし!」
「だな! 慧くん、ソイツおぶってくれ!」
「おうっ!」

 くたっとしているソイツをオレたちは3人がかりで田似志の背中に乗せて、それから元来た道を急いで戻る。
 頼むから、目の前でくたばるなんてことはやめてくれよな!



「元のところに戻してきなさい」
「そ、そう言うなって、永四郎……」

 開口一番のこの台詞。永四郎は部室のベンチを占拠して横たわっているソイツを見下ろしながら、そう言い切った。
 って、捨て猫拾ってきたわけじゃないんだからよー……。

 オレたちが通う比嘉中のテニス部部室。
 この永四郎が部長となってからは部室の整理整頓が進められて、以前とは比べられないほど綺麗になった。

 そんな部室にさっき浜辺で倒れた女を担ぎこみ、オレたちが氷だ水だと右往左往しているところに永四郎が戻ってきたんだ。
 まだ学校にいたんだな。ハルミとなんか話でもしてたのか?

 永四郎は呆れたようにため息をついて、腕を組んだままソイツとオレたちを交互に見比べ、

「我がテニス部の貴重な部費で購入した氷やドリンクを、沖縄の夏を舐めきった愚かな観光客に消費されてるという事態に口出しするなと?」
「誰もそこまで言ってねーよ、永四郎。しょうがねぇじゃん、熱中症でぶっ倒れたヤツ、ほっとけないだろ?」

 冷水に浸したタオルを額に置きながら裕次郎が反論を試みるものの、永四郎の殺人視線に一瞬で沈黙。
 でもさすがにオレたち4人の必死な視線には根負けしたのか、わざとらしく深く長いため息をついて、

「わかりましたよ。目が覚めるまではここに置いてあげましょう。病院に任せるのが一番だと思いますがね」
「連日の晴天で、熱中症起こしてる観光客で病院ごったがえしてるってよ。朝のニュースでやってたさー」
「観光にくるなら現地の人間の手を煩わせない配慮くらい欲しいものですがね」

 フン、と鼻であしらって、永四郎は部室の隅へと移動した。今日の部誌を確認するんだろう。

 オレたちは永四郎の許可が取れたことにホッとして、ソイツに視線を戻す。

「にしても色白いよな。どっから来たんだろうな?」
「腕も足も細っせぇの。バリバリのインドア人間だな、コイツ」
「二人とも、あんまりジロジロ見ないほうがいい」

 裕次郎と一緒にオレはソイツを観察する。知念くんが苦言を呈してるけど、ま、そこは役得ってことで。
 濡れタオルと氷嚢で冷やしてる肩は赤くなってるものの、顔は赤みが引いて本来の白さが戻ってきてる。こんな白い肌したヤツ、沖縄でなんか見たことねぇ。目を閉じたままのその顔は、まぁ、美人というには一歩及ばずってとこか。
 背格好からして同年代に見えるけど、女ってのはわからねぇからな。

 と。

「んー……」
「おっ。目ぇ覚めたか?」

 小さく呻いて、身じろぎする女。
 オレたちは1歩だけ身を引いて、そのままソイツを見つめていた。

 やがて、ゆっくりと開く瞳。

「…………?」

 視線が部室の中を泳ぎ、そしてオレたちの顔を一人ひとり確かめるように動いていく。

「大丈夫かー? 浜で熱中症起こして倒れてたさー」
「気分悪くないか? とりあえずこれ飲んどけ」

 オレがソイツの目の前で手を振って意識を確かめて、裕次郎がスポーツドリンクの入ったボトルのストローをソイツの口へと持っていく。
 ぱくっとストローに食いついたソイツは、1口2口、ゆっくりとドリンクを飲み込んで、ふーっと長く深いため息をついた。

「ここどこ?」
「比嘉中学校のテニス部部室ですよ。気がついたのなら、あなたの身元を確認させてもらいましょうかね、お嬢さん」
「お、おい永四郎……」

 まだ頭がぼんやりしてるのか、ゆっくりとした口調で問いかけてきたソイツに答えたのは、奥から再びこっちにやってきた永四郎だった。

 見るものに威圧感を与える永四郎の薄い笑みを見上げていたソイツは、肘をたててゆっくりと体を起こす。
 知念くんがすかさず手を貸してやって、ソイツは上半身をベンチの上に起こした。にこっと邪気の無い笑顔で知念くんにありがとうと礼を言ったソイツは、首を傾げながら永四郎を見つめた。

「えーと、です」

 ……まぁ、身元を教えろと言われたんだから、名乗るのは当たり前なのかもしれないけど……なんか、ズレてる気がするぞ?
 オレたちは永四郎の後ろで顔を見合わせる。

「丁寧にどうも。オレは木手永四郎、比嘉中テニス部の部長です。まぁオレが聞いたのはアナタの名前などではなくて」
「あ、私もテニス部なんだよ。マネージャーなんだけどね」
「聞いてません」
「あ、そっか。ごめんごめん」

 あははと笑い飛ばすと名乗った女。

「凛……あの女、永四郎にビビッてないさー……」
「あれか? あれが天然ってヤツか?」

 ひそひそと耳打ちしてきた裕次郎のほうがビビッてるように見える。みれば知念くんも田似志も驚いた顔していた。
 なんかオレたち……変なヤツ連れてきちまったか?

 永四郎は気を取り直して、眼鏡を光らせながら少し強い口調で尋ねた。

「うちなーの人間は真夏の海には近づきません。全く、浮かれ気分の観光客が知識もなくはしゃぐお陰で我々は迷惑しているんですよ。それともなんですか、本土の夏は帽子も水分も必要ないんですか? でしたら我々もあまり責めたりはしませんがね」

 ちくちくと、ねちねちと。
 オレたちでさえ普段閉口する永四郎の小言。
 裕次郎も知念くんも、気の毒にって顔してを見てる。

 ところがは首を小さく傾げて、

「うん。ごめんね、迷惑かけて」

 と、あっさりと謝罪したんだ。
 案の定、永四郎の表情が不愉快そうに歪んでいく。だよな、これじゃ皮肉言った永四郎が悪いヤツみたいだし。
 あ、隣で裕次郎が噴出した。顔を背けて永四郎にばれないように、必死に声を殺して肩を震わせてる。

「わかっているなら最初から対策しておいてもらいたいですね」

 はっきり憤慨しているとわかる口調で、永四郎が言った。
 するとは再びこっくりと頷いて、

「ホントは朝の散歩のつもりだったんだけどね」
「おいおい。今3時過ぎてるんだぞ?」
「うん。沖縄の海ってホント綺麗だから、ついつい見惚れちゃって」

 口を挟んだオレに視線を向けて、はにっこりと微笑む。

「見惚れるって……あんな砂浜じゃ、波が寄せて返すだけだろ?」
「それがいいんだよ! 砂浜は真っ白だし、海は透明でエメラルドみたいにきらきらしてるし! あんな綺麗な海、北海道で見たことないし!」

 急に両手の拳をぶんぶんと振りながら力説し始めた
 オレたちはぽかんとしてそれを見つめた。……つーか、普通海ってそういうモンだろ?

「当然です。沖縄の海は世界一の美しさを誇りますからね」

 ところが、沖縄をこよなく愛す男・永四郎は、の感想に悦に入ったようで、大きく何度も頷いて。
 おおっ、永四郎の機嫌がよくなったぞ!? コイツなんだかスゴクねぇ!?

「ていうか、今北海道って言ったか? お前、北海道から来たのか?」
「生まれと育ちが北海道だよ。今は別のところに住んでるけど」
「なぁ、北海道ってバナナで釘打てるってホントか!?」
「熊が街中闊歩してるってのもホントなのか!?」

 オレと裕次郎は永四郎を押しのけて、に詰め寄った。

 沖縄と同じく日本の端に位置する北海道。熱帯気候に近い沖縄と真逆に、亜寒帯気候に近い北海道じゃ、町並みも食い物も全てが違うって聞いたことがある。
 テレビで地平線まで続く銀世界なんかは見たことあるけど、実際がどんななのかは想像できないしな。

「平古場くん、甲斐くん、その質問は我々沖縄の者がサトウキビとゴーヤと泡盛しか食さないのかという愚問を聞かれているのと同じことですよ」
「場所にもよるけど、バナナで釘が打てるところもあるよ」
「「「マジで!!??」」」

 永四郎の助け舟もさっくり両断して、あっさりと答えたの言葉にオレたちは食いついた。

「マイナス30度くらいになるところだったら出来ると思うよ」
「マイナス30度!? すげー、想像できないさー」
「どうやってそんな気温で生活してんだよ?」
「どっちかっていうと、プラス30度以上の世界でずーっと生活してる沖縄のほうが不思議だと思うよ?」
「それは当たり前の世界だろ?」
「北海道は違うもん」
「違うのか」
「違うの」
「「「へぇ〜……」」」

 お互いの未知の世界を言い合って、オレたちは盛り上がる。

 が、

「時間、大丈夫か?」

 ぽつりと言った知念くんの言葉に、全員が振り返った。
 知念くんの背後にある壁掛け時計はもうすぐ4時を指そうというところ。
 そっか。コイツ観光客だもんな。まさか一人旅のわけないし、誰か大人と一緒なんだろうし。

 すると。

 ぐきゅるるるぅ〜……

「「「…………」」」

 無言でを振り返るオレたち。
 は両手で腹を抱えるようにして、眉間にシワを寄せていた。

「お腹すいた〜……。お昼ごはんも食べないで海見てたから……」

 腹の虫が盛大に鳴ったことに対する恥じらいはないんだな、お前。

、お前誰と来たんだ? 時間大丈夫か?」
「うん。じいちゃんが老人会で沖縄旅行当ててね、それで一緒に来たの。じいちゃんはコッチの姉妹老人会の集まりに行ってるから、私は一日オールフリー」
「姉妹老人会……なんだそりゃ」

 姉妹校なら聞いたことあるけど、って顔を見合わせる裕次郎と知念くん。

 するとはごそごそとポケットを探ったかと思えば、小さくたたまれた用紙をオレに突き出した。

「あのね、このお店知ってる?」
「店?」

 6つ折にされてた紙を広げると、そこには「琉球料理の名店!」と印刷されたメシ屋の案内と地図がプリントされてあった。
 でもオレには聞き覚えが無くて、一緒に紙を覗き込んでた永四郎と田似志を振り返ると、二人は眉間にシワを寄せていた。

「旅行パンフに載ってたお店なんだけど、晩御飯そこで食べようかなって」
「住所は国際通り沿いか……。沖縄料理食いたいのか?」
「沖縄来てフランス料理食べるのは筋違いでしょー」
「道理ですね」

 フッと笑って、オレの手から用紙を取り上げる永四郎。
 ところが永四郎は何を思ったか、いきなりその用紙を縦二つに裂いちまったんだ!

「おいおい永四郎! 何してんだよ!?」
「聞き覚えの無い店だと思ってましたが、思い出しました。観光客向けのエセ琉球料理を出す店ですね、ここは」
「えっ、そうなの?」

 きょとんとした顔をして永四郎を見上げる。頷いたのは田似志だ。

「うまくねぇよ、その店。琉球料理の看板下げてもらいたいくらいだな」
「沖縄料理と銘打つからには、最低限沖縄の食材と沖縄の調味料を使ってもらいたいものですね」
「なんだ、食材まで沖縄のモンじゃねぇの?」

 そりゃ確かに沖縄料理って言われたくねぇな。
 裕次郎と知念くんもうんうんと頷いてる。

 でもは「え〜」と眉を寄せて、

「なんだぁ……。沖縄料理楽しみにしてたのに」

 と、見てるこっちが申し訳なるくらいにがっくりと落ち込んだ。

 オレたちは全員顔を見合わせる。
 なんか……なぁ? せっかくオレたちの住んでるところを気に入ってくれてるってのに、なんかがっかりされたまま帰られたんじゃおもしろくねぇっていうか?

「永四郎〜」

 オレと裕次郎で永四郎をつつく。
 オレたちが言わんとしていることは、永四郎は察し済みだったようで、多少わざとらしさはあったもののため息をひとつついて。

「仕方ありませんね。沖縄料理を誤解されるくらいなら、オレたちが真の沖縄料理を教えてあげましょう」
「そうこなくちゃな、永四郎!」

 フッと微笑んだ永四郎に、オレと裕次郎はぱちんと指を鳴らす。
 きょとんとしてるの肩を叩……こうとして、日焼け後に気づいて変わりに頭を軽く叩いて、

「オレたちがいつも行ってる美味い沖縄メシの店に連れてってやるさー!」
「オバアが1人で切り盛りしてる店だけど、そこのラフテーが絶品なんだ!」
「持ち帰りのサーターアンダギーもおいしいですよ」
「え、ホント!? 食べたい食べたいっ!」

 途端、ぱっと顔を輝かせて両手を握り締める。花より団子だな、お前。

「そうと決まったら急ごうぜ! 、動いて平気か?」
「うん、大丈夫」
「出る前にもう少し水分を補給していったほうがいい」

 知念くんに手渡されたドリンクを、ちゅーっと勢いよく吸い上げる。熱中症もそう重くはなかったみたいだな。
 肩に乗せてた濡れタオルを置いて立ち上がったは、2、3歩ゆっくりと歩いてから「大丈夫」と頷いた。

 オレたちはドアを開けて部室を出る。
 4時を過ぎたところの沖縄は、夕暮れの陽射しになるには若干早い。

「ふわー、まだ眩しいね」

 は額に手をかざして空を仰ぐ。

「店はすぐそこだけど、暑いんならコレかぶってればいいさー」

 そう言っての頭に自分の帽子をかぶせたのは裕次郎だ。
 めずらしいその行動に、オレと知念くんは顔を見合わせて思わずニヤリ。
 はきょとんとして裕次郎を見つめていた。

「優しいさー、裕次郎〜」
「なっ、なんだよ凛! 永四郎だって言ってただろ、帽子と水分のこと!」

 ニンマリ笑いながら裕次郎を肘でつついてやれば、噛み付くような勢いで弁解し始めた。
 へー、ふーん、と揶揄するようにオレと田似志で返事すれば、裕次郎はますます顔を赤くして髪を逆立てた。
 ははっ、おもしれー!

 やれやれと言った風に、じゃれあうオレたちを見ていた永四郎の横で、帽子をかぶせられたままぽかんとしていた
 でもきゅきゅっと帽子のつばを掴んで被りなおしたかと思えば、

「2回目だ」

 そう呟いて、嬉しそうに微笑んだ。
 2回目? 2回目ってなんだ?

「甲斐くん、平古場くん、その辺にしときなさいよ。いい加減にしないとゴーヤ食わすよ」
「わ、わぁーったよ、永四郎……」

 オレに掴みかかっていた裕次郎は、永四郎に切り札を出されて渋々といった体でオレから手を放す。

 知念くんが凍らせたタオルをに手渡したのを確認してから、オレたちは永四郎を先頭に歩き出した。

「そんじゃ、美味い沖縄ナイトの始まりさー!」
「しーさー! はいさいめんそーれ!」
「適当に琉球方言並べるのやめなさいよ、くん」

 ぴしゃりと永四郎にたしなめられながら。
 南北両端の人間による、美味い沖縄料理の旅(でもねーけど)は始まったのだった!

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