「終わったー! 羊だひっつじー!」
「アーン?」
休日の練習が終わり、終礼代わりのミーティングを終えた瞬間、ジローのヤツがいきなり諸手を挙げてそう叫んだ。
12.あの鐘を鳴らすのは:前編
「なんだジロー。羊ってのは」
200人を超えるテニス部員が三々五々散っていく。
オレは、鼻歌まじりにラケットをしまっているジローに声をかけた。
ラケットを背負って立ち上がったジローは、試合中のような笑顔を浮かべてオレを振り向く。
「今日はこれから羊パーティすんだ! 朝からスッゲー楽しみにしててさぁ!」
「なんや、めずらしくジローが起きとる思たら、メシかいな」
「出来るだけ腹すかしておこうと思ってたからさー。あー楽しみ!」
忍足の呆れた声にも構わず、ジローはスキップしながらコートを出て行った。
ったく、あのテンションを普段から保っていられねぇのか?
「まぁでも、晩飯が好きなモン出るってわかってりゃ、オレだって練習には気合入るしな」
「そうですね。芥川先輩の気持ちもわかります」
「フン。お前ら馬か? 目の前にニンジンぶら下げられなきゃ本気出ねぇってのか? くだらねぇこと言ってねぇで、さっさと片付けろ」
宍戸や鳳に一瞥くれて、オレは樺地を率いてコートを出た。
とそこに、バタバタと駆け戻ってきたジロー。
「跡部跡部ー!」
「アーン? なんだ、忘れ物か?」
「そうじゃなくて、跡部も一緒に羊食おう!」
「……あぁ?」
きらきらと瞳を輝かせたまま、両手を握り締めてジローはオレの後を覗き込む。
「ていうか、みんなも行こうぜ! 羊たくさんあるから、たくさん呼んでこいって言われたC!」
「呼ぶって、芥川先輩の家で食べるんじゃないんですか?」
「オレん家クリーニング屋だから、羊の臭いつくって言って、なかなか食べさせてくんないC……」
「じゃあどこでやんだよ?」
いつの間にやらコート入り口に集まったいつもの面子。
宍戸が首を傾げながら問いかけると、ジローのヤツはいつものように「にしし」と笑って拳をつきつけた。
「ん家の庭!」
「「えっ」」
反応を返したのは二人。鳳と日吉だ。
「あれ、ソイツって確か鳳が前に言ってたヤツじゃね?」
「なななななな何言ってるんですか向日先輩っ!! た、たまたま同じ苗字なだけじゃないですか!」
「何焦ってんだよ長太郎……」
顔を真っ赤に染めて、宍戸の言うとおり無意味に慌てだした鳳を見て、オレも思い出す。
そういや前に忍足と向日のヤツが聞き出してたな、そんな名前の女のことを。
……ん? その時にも確かジローのヤツ、の名前出さなかったか?
「でもたくさん呼んでこい言うても、さすがにコレ全員は多いやろ?」
「平気平気! ん家、スッゲー庭広いC。跡部ん家よりはせまいけど」
「跡部さんとこの庭より広いなんて、そうそうありませんよ」
小馬鹿にしたような笑みを浮かべる日吉。
その後で、向日はまだ鳳をからかって遊んでいた。ヒマなヤツらだ。
「なーなー跡部ー」
くいくい、と。
ジローがオレのウェアの袖を引く。
「早く行こうぜ! 羊食おうぜー」
「フン……想像するにガーデンパーティとは程遠いモンなんだろうが、しょがねぇな。今日はジローの顔を立ててやるよ」
「マジマジ!? やっりぃ!」
「跡部偉そー」
「いつものことやん」
無邪気にはしゃぐジローをがっかりさせるのも気の毒だしな。
オレは振り向き全員を見回し、パチンと高らかに指を鳴らした。
「行くぜお前ら! オレ様についてきな!」
「……跡部、ん家知ってんのかよ?」
「オレらがついていくんは、ジローやんなぁ」
いちいちつっこんでんじゃねーよ、向日に忍足!
ジローに連れてこられたのは、閑静な住宅街。ジローん家も確かこの近くだったな。
その住宅街の一角を占める、重厚な日本家屋に似合いそうな白壁に門。
そして、その向こうから立ち上る、数本の煙。炭でもおこしてんのか?
「ここ、ここ!」
ジローがぴっちり閉ざされた門の前に駆け寄って、入り口を指した。
他の連中は、一様に口を開けて門を見つめている。
「で、でっけー……」
「すごい、1区画まるごとなんですね……」
「そうか? 住むんなら最低限こんくらいの敷地は必要だろうが」
「うわ、ブルジョワ発言うっぜ!」
「岳人、言うだけムナシイやろ? スルーしとき」
いー、とガキのように歯を見せる向日に、母親のようにたしなめる忍足。
そんなオレたちを無視して、ジローはいきなり門を押し開けた。
「ー、羊ー!」
「えぇっ!? あ、芥川先輩っ、呼び鈴くらい鳴らしましょうよ!」
鳳が慌てて止めても既に遅い。羊に目がくらんだジローは、返事も待たずにさっさと門の中へと入っていっちまった。
ちっ、しょうがねぇな。
「オレたちも行くぞ」
「ウス」
返事をしたのは樺地だけ。
他の連中は顔を見合わせながらも、おずおずと後をついてくる。
「おいジロー。あんまり先走るんじゃねぇぞ」
門をくぐり、オレはジローの姿を探した。
まず目に飛び込んできたのは、白茶の土が広がる更地だ。もしかしてこれがジローが言ってた庭、か? 庭ってのは草木の手入れが行き届いた調和の芸術品を指すのであって、こりゃただの空き地だろ。
それから敷地にそぐわない、こじんまりとした邸宅。数奇屋造りというわけでもない、一般的な住宅だ。
なんだこの全てがミスマッチな屋敷は。
オレ様の美的感覚じゃ、ありえねぇぜ、こんなの。
「おい、ジロー……」
そして、何よりミスマッチだったのは。
広い空き地、じゃなくて庭の一角で炭を熾していた連中だった。
「…………」
「…………」
オレたちとソイツらは一瞬呆然と見つめあい、そして。
「立海!?」
「氷帝!?」
お互いを指しあい、硬直した。
そう、このだだっ広い庭の一角で、グリルに炭を入れぱたぱたとうちわで扇ぎながら炭を熾していたのは、まぎれもないあの立海大付属中のテニス部員だったんだ。
1年からレギュラーにいる幸村、真田、柳に、次期レギュラー当確と言われてる連中も揃ってやがる。
なんなんだ?
「やぁ、跡部じゃないか。それに氷帝テニス部の2年生も揃って。何してるんだ?」
すると、1人炭熾しをせずに離れて作業を見ていた幸村が、にこやかに微笑みながら近づいてきた。
「そりゃコッチの台詞だ。立海の連中が、こんな所で野外合宿の準備か?」
「ふふ、相変わらずだね跡部は。オレたちはこれから」
威風堂々と。オレの前に王者の貫禄を漂わせながら立ち止まった幸村が、何か言おうとしたその瞬間。
「あっ、丸井くんだー!」
今までどこに隠れてやがったのか、ジローの弾んだ声が響き渡った。
声のする方を見れば、ジローが炭熾しをしている立海の丸井の元へ転がるようにして駆けていくところだった。
「よー芥川! 久しぶりじゃねーか」
「うんうん、久しぶりー! なぁなぁ、試合やろーぜ試合!」
「あぁ? 今からかぁ? そりゃ無理だな。オレは今からジンギスカン祭だからな!」
「あっ、丸井くんも羊食うの? オレも羊食いに来たんだ!」
羊うまいよな! な! と。
一瞬で意気投合しているジローと丸井。
オレと幸村は、そんな二人を見つめて、全てを察した。
そういうことか。ってのは恐らく……。
オレと幸村とジローと丸井以外は変わらず戸惑った様子を見せている。
そんな中、ジローがまた何かを見つけたらしく、丸井から離れて駆け出した。
その先には。
「っ。なぁなぁ、マジでたくさん呼んで来たけど、羊足りる?」
「ホントだ。たくさん呼んだね、ジロー。大丈夫、羊もたくさんあるよ」
ジローが嬉々として話しかけているのは、ジローよりも少しだけ背の低い女だった。
膝上丈の淡いピンク地のワンピースに黒いレギンスを穿いて、オレンジギンガムのエプロンを身に着けている。押してきたのは1台の台車。ビニールに包まれて乗ってンのがジローの言う羊だろう。一応、すぐに食せるようにさばいてはあるようだ。
あれが、か? ま、その辺に掃いて捨てるほどいる程度の容姿だな。
と、そのときだ。
「あぁっ!? さん!?」
オレの真後ろから、素っ頓狂な声が響く。
振り向く必要もねぇ。鳳だ。
その声にきょとんとしたがこっちを振り返り、首を傾げる。
「あれ……鳳?」
「や、やっぱり! 芥川先輩の言ってたさんが、さんだったなんて!」
赤いのか青いのかわからねぇ顔で、鳳がのもとへと飛んで行った。
……ちょっと待て。確かお前、のことを『知的で可愛い』とかなんとか形容してなかったか?
オレにはどう見ても『知的』には見えねぇぞ、あのぽやっとしたのほほん面は。
「やっぱジローの知り合いの言うんが、鳳の愛し君やったんやな」
「忍足、その激ダサな呼び方やめろよな……」
妙に納得した声を出す忍足につっこむ宍戸。
すると、身振り手振り交えて必死な様子の鳳と話していたの視線が、ちらりとこっちを向いた。
そしてぱっと笑顔を浮かべて手を振ってきた……って、誰に手ぇ振ってんだ?
「日吉!」
……ああ。そういや鳳と一緒に日吉もと会ってたんだっけな。
に呼ばれた日吉は、面倒くさそうに顔をしかめる……かと思ったんだが、軽く頭を下げたあと、のほうに歩いていく。
へぇぇ、おもしれぇじゃねぇか。あの日吉が、警戒心解いてやがるなんてな。
「日吉も鳳も、ジローと同じ学校だったんだね。あ、じゃあ今度から借りた本の返却、ジローに頼んでもいいかなぁ」
「芥川先輩を使いっぱしりにする気か?」
「んー、そんくらいオレ気にしないよ?」
「じゃあ今度からジローにお願いしよっと。この間借りた本、おもしろかったよ。あ、ついでだから今日返すね」
「ああ。続きはまた公園でいいか? それとも、芥川先輩に頼めばいいか?」
「って、ちょ、ちょっと待った! 日吉っ、公園ってなんだよ!? ま、ま、まさか、さんと二人で会ってたのか!?」
「鳳……オレは別になにもしてない。お前も、何もしてないみたいだけどな」
ぷっ。
オレの背後で向日が噴出した。まぁ、気持ちはわかる。鳳のあのヘタレっぷりは、笑うしかねぇな。
「結局、鳳よりも日吉のほうがポイント高いんじゃね?」
「アカン……アカンで鳳」
「アドバイスしてやれよ、忍足。お前、長太郎の恋の師匠なんだろ?」
「アカン……あの子、足めっちゃキレイやん! 鳳なんかには勿体ないわ!」
「「おいおいおい!!」」
ぐっと拳を作る忍足に、両サイドからつっこむ向日と宍戸。
お前ら……あの程度の女にほだされてんじゃねーよ……。
たまらずため息をついちまうオレ。
そこにやってきたのは、すっかり外野と化していた立海のヤツ。
柳だ。
相変わらず開いてんのか閉じてんのかわかんねぇ目をして幸村の横に並び、きゃんきゃんと騒いでいる鳳と日吉を見つめ、
「ほう。氷帝の1年生に随分懐かれているようだな、うちのマネージャーは」
「そうだね。跡部も姑息なことしてくれるね?」
「……あン? どういう意味だ?」
聞き捨てならねぇ台詞を吐いて。挑発的にオレを見据えてくる幸村。
オレも組んでた腕を解いて、真正面から睨み返す。
「から情報を聞き出そうとしても無駄だぞ。わかったら、今後うちのマネージャーにあの二人を近づけないでもらいたいものだな」
なんだそりゃ。
このオレ様が、氷帝学園が、そんなつまんねぇ真似すると思ってんのか?
オレ以外にもカチンと来たらしい宍戸と向日もオレの隣にやってくる。
「ハッ! 馬鹿言ってんじゃねぇよ。誰がそんなくだらねぇ真似するか。ンなこと言って、お前ら別の意味で焦ってんだろ? 違うか?」
ピキン
挑発的に揶揄してやった瞬間、笑顔の幸村と無表情の柳の間に流れる空気が氷ったのがわかった。
ハン、図星指されて逆上したか? 真田あたりなら「たわけがっ!」とかなんとか噛み付いてきそうなモンだが、この二人はさすがに冷静だな。
「〜、腹減った〜、羊〜〜〜」
そこに響いてくる、気の抜けたジローの声。
だが、腹を空かせすぎて力なくに抱きつくようにしがみついてるその光景は、鳳以外のメンツにも効果覿面だったようだ。
ぷちんという音とともに、つかつかとジローに歩み寄った幸村と柳が、問答無用でジローをから引き剥がす。
こうなりゃむしろ笑顔のままってのが逆に恐怖心煽るぜ。
ま、青くなってんのは鳳だけで、ジローはおとなしく首根っこつままれてるし、日吉は生意気な目をして幸村と柳を睨んでいる。
で、元凶のはぽんと手を打って。
「たくさん来てくれてよかった! 実家から送られてきたものの量が多すぎたから困ってたんだ。みんな、たっくさん食べてってね!」
「もっちろん協力するぜ! オレが全部食ってやるからよ!」
「オレもオレも! スッゲー腹減ってるC!」
元気よく手を挙げて返事するジローと丸井。
が、幸村はこくんと一度頷いたあと、黒い笑顔をにじませながらオレを振り返った。
「どちらがよりさんに協力できるか、勝負どころだね」
「ハッ! おもしれぇ、受けてやるぜ!」
こんなくだらねぇこと、普段ならやらねぇが。
幸村と柳の澄ましたツラにほえ面かかせてやるいいチャンスだぜ。
いつの間にやらオレのまわりには氷帝部員、幸村の周りには立海部員が集合し、にわか対決ムードが高まる。
「全国大会前哨戦だ! てめぇら、オレ様の美食に酔いな!」
「氷帝ごときに遅れをとるな! どのような勝負だろうと、勝つのは我ら立海だ!」
オレと真田がそれぞれに号令をかけている脇で。
「なぁなぁ、ラム? マトン?」
「ラムだよ。でもジロー、野菜もちゃんと食べなきゃだめだよ?」
「親みたいなこと言うなって〜。こういうときは好きなもん食わせろぃ!」
「……おい、勝手に始めさせんなよ」
「跡部こそ、芥川の手綱をきちんと引いといてもらいたいものだな」
「とりあえず、ブン太はあとでおしおきだね」
……まぁ、それはおいといて。
ジンギスカン祭の主催者と共催者の小さな七輪を挟んで、氷帝と立海に分かれたオレたちは、合図もなくなし崩し的に大食い対決へともつれ込んだのだった。
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