「幸村、真田、柳。ちょっと来てくれ」

 それは、3年生の錦先輩の一言で始まった。



 1.指令:有能マネージャーを確保せよ



 桜もとうに散り、新しい担任や新しいクラスメイトにも慣れてきた4月下旬。
 4時間目の授業が終わり、購買にパンを買いに行く者はチャイムと同時に教室を飛び出していった。

 ふむ。確か今日は購買に新しいパンが入荷する日だったな。

「購買の混み具合は4割増し……だがブン太が確実に新商品を手に入れる確率は87%、といったところか」

 きっとジャッカルあたりをおとりに要領よく買ってくるだろう。ということは、昼休みの会合の開始はジャッカル次第だな。
 弦一郎あたりの雷が今日も落ちそうだが、まぁ仕方ないだろう。
 そろそろオレも移動しなくては。

 4限の授業だった世界史の教科書を机にしまう。

 そのときだった。

「あー!!」

 短い悲鳴が隣から聞こえてきたのは。

 見れば隣の席のが、眉尻を下げて前方一点を見つめていた。
 その視線の先は黒板。ちょうど日直が板書を消しているところだった。

「またか」

 呆れたように呟けば、情けない顔をしたままのがくるっとこちらを振り向いた。

「柳〜、ノート見せて〜」
「これで9割の大台に乗ったな」
「は? なにが?」
がノートを写し終わる前に黒板を消される確率だ」
「えぇっ、うそ! 私そんなに柳にノート見せてもらってたっけ?」
「国語・英語・社会系の授業はだいたい、な。ほら」

 自分のノートを差し出すと、はさきほどまでの悲惨な表情からころっと笑顔を浮かべて、両手で仰々しくオレのノートを受け取った。

「毎回思うけど、横書きの板書を縦書きのノートにわざわざ写すのって、面倒くさくないの?」
「縦書きのほうが性に合ってるからな」
「ふーん」

 ぱらぱらとページをめくって関係ないページまで見ていただが、しばらくして自分のノートにオレのノートの中身を写し始めた。

 1年の時も同じクラスだったこのは、こうして1日に最低1度は板書を写し損ねて隣の生徒にノートを見せてもらっている。
 こうして見ていても別段書き取りが遅いわけではなく、どうしてノートが取りきれないのか一度授業中に観察したこともある。
 観察の結果はなんてことなく、授業を聞かずに教科書や資料集を読みふけっていて、黒板がいっぱいになった頃にようやく気づく、といったありさまだった。

「少しは先生の話に集中したらどうだ?」
「あはは……耳が痛いです。私、活字を読み出すと没頭しちゃって止まらなくなるんだよね」
のペースなら、もう何度も同じところを読んでいるのだろう?」
「それが毎回没頭しちゃうんだ。自分でも不思議なんだけど」
「……数学だけきちんと板書が取れてる理由は?」
「数学の教科書には『物語』がないじゃない。だからかな」
「ふむ、なるほど。興味深いな」

 納得したように呟くと、はちらっとこちらを見た。
 授業中だけかけているらしい眼鏡のむこうは少々たれ気味の一重の瞳。

「お昼食べる時間なくなっちゃうよ? 柳っていっつも教室で食べてなかったよね?」
「そうだな」

 取り立てて目立つ存在ではないが、少し風変わりなところもあると話しているとつい持ち前の収集クセが首をもたげてしまっていけないな。
 オレは鞄から弁当箱を取り出し立ち上がった。

「ノートは机の上に返しておいてくれればいい」
「うん。もう少しお借りしまーす」

 ひらひらと手を振るに見送られて、オレは教室を出た。



「あ、柳先輩っ。コッチっすよー」

 屋上に出ると赤也が大きく手を振っているのが見えた。
 ぐるりと2年の先輩に囲まれているというのに全く物怖じしないヤツだ。新入生のなかでは一番骨がありそうだと弦一郎も言っていたか。

「なぜ赤也がここにいる?」
「いーじゃないっすか! 知ってますよ、幸村先輩と真田先輩と柳先輩、3年生の先輩から極秘指令受けたんすよね?」

 猫のように目を細めて笑う赤也。そして、「ここどーぞ!」と場所を空ける。
 どうやら予想が外れてオレが最後のようだ。と少し話しすぎたな。

「遅かったな、蓮二」
「すまん。授業のあと少しあってな」

 座りながら正面の弦一郎に謝罪する。
 ……赤也がオレにこの場所を譲ったのはこのせいか。

「これで揃ったね。じゃあ食べながら話を進めようか」
「いっただきまーす!」

 幸村の言葉に、我慢できないとばかりに勢いよくパンにかぶりつくブン太。食べているのは予想通り購買の新作パンだ。
 幸せそうにパンをほおばるブン太を微笑ましく見ながら、幸村が口火をきる。

「さて、3月に我が立海大テニス部マネージャーが卒業してからひと月たったわけだけど……。3年生の見通し以上にマネージャー無しの部活はきついものがある」
「そうじゃのう。雑用は新入生に任せるという話だったが、ここにいるような生意気なんも多くて、統率がとれとらんのう」
「仁王先輩、生意気ってオレのことっすか?」
「他に誰がおる?」
「ふたりとも。まずは幸村くんの話を最後まで聞きましょう」

 仁王の挑発に乗りかかった赤也を片手で制して、柳生が話を促す。

「うん。それでオレと真田、柳が錦先輩からマネージャー探しを依頼されたわけなんだけど」
「相応しい人物をたった3人で探すのは大変だから、オレたちにもめぼしい人物をピックアップして欲しいって話だったよな?」
「ああ。その途中経過を聞かせて欲しいんだ」

 幸村の言葉に、全員がなんとも言いがたい表情を返す。
 ……いや、ブン太だけは変わらず夢中でパンを食べていたが。

 この様子だと、みんなこれはという人物を探し出せなかったのだろう。
 かくいうオレもその一人なのだが。

「錦先輩の出した条件が厳しいんだよな」
「そうですねぇ」

 ジャッカルと柳生は全くだと顔を見合わせため息をつく。
 すると、ひとり話題に取り残されていた赤也がぐっと身を乗り出してきた。

「錦先輩って、確か3年の先輩っすよね? 一体どんな条件出してきたんすか?」
「まず第一に健康であること。細かい気配りが出来ること。和を乱さないもの。……まぁいろいろあるが、一番引っかかっているのが」

 指折り数えて赤也に教えてやるが、錦先輩が一番力を入れて言っていたことが一番の難問なんだ。
 オレたちは自然と弦一郎に視線を集める。
 注目されてると気づいた弦一郎は、おもしろくなさそうに腕を組んで口をへの字に曲げた。

「美人であることが絶対条件だそうだ。まったく、顔でマネージャー業をこなすわけでもないだろうに、たるんどる!」
「弦一郎、オレたちが言いたいのはそこじゃない」
「そうだね。一番の難問は、真田の厳しさに逃げ出さないって条件だね」
「それを女子に期待するのって無理なんじゃないすか?」

 余計なことを言ったばかりに、赤也に弦一郎の鉄拳が飛んだ。

 ともあれ、弦一郎の厳しい言葉を流せて、なおかつ人並み以上の容姿を持つ気配り上手な女子ともなると、いかにマンモス校の立海大付属中といえどもなかなか見つからないものだ。

「だいたい、なぜマネージャーが女子限定なのだ?」
「そりゃあモチベーションに差が出てくるからじゃろ? 相変わらず固いの、真田よ」
「オレは料理がうまけりゃ男でもいいと思うぜぃ」
「丸井くん、テニス部のマネージャーをしていて料理の腕を振るう機会はあまりないでしょう」

「とにかく」

 ぶつぶつと文句にも似た話し合いを幸村が止める。

「先輩には4月中に、と言われているんだ。もう時間が無い。悪いけどみんな、どうにか候補を挙げて欲しい」
「オレも1年の女子の中から見繕うっすか?」
「そうだね。赤也にも頼もうかな」

 にっこり微笑む幸村に、赤也は「任せてくださいよー」と調子よく笑っているが……。
 仁王とジャッカルはご愁傷様、と表情が言ってるな。幸村の本性をまだ知らないとはいえ、赤也も出すぎた真似をしたものだ。

「それじゃあみんな、あとは楽しく昼食にしようか」

 赤也とブン太を除いて、みんな一様に神妙な顔をして頷いたのだった。

 マネージャーか。錦先輩もやっかいな問題を出してくれたものだ。



 我が立海大付属中テニス部は名門中の名門、昨年は全国制覇も果たした強豪だ。
 しかし、その功績も選手が練習に専念できる環境であったからこそであり、唯一だった3年生のマネージャーが卒業してからは下級生がマネージャー業を引き継いでおり、とてもじゃないがいい環境とは言えなかった。
 レギュラー入りを果たしている幸村や弦一郎、オレのような者は雑用から解放されているものの、将来性があるのに雑務に追われて練習に集中できない2年生などは先のことを考えても無駄な時間を過ごしているとも言える。

 そこで新3年生となった人たちがマネージャーを入れようと考えるのは当然といえば当然なのだが。

「オレにはどうしても解せん。有能なのであれば性別は関係ないだろう」
「真田のような人間なら関係ないだろうけどね。仁王や赤也みたいなタイプは、明らかに女子の方がやる気が出るんじゃないかな」
「幸村はどうなのだ?」
「オレもむさい男にタオル渡されるよりも、可愛い女の子に渡される方がやる気出るなぁ」
「……たるんどる」

 学校側の都合で早めに部活が終わった日の夕方。
 オレと幸村、弦一郎の3人は馴染みのスポーツ用品店に寄り道して、帰路についていた。

 多摩川に近い県境。
 グリップテープやテーピングテープを買い込んだあと、駅に向かって歩くオレたちだが、空は急に雲行きが怪しくなってきていた。

「一雨きそうだな」
「午後の降水確率は10%だったが、これは夕立がくるかもしれないな」

 弦一郎の言葉に天を仰いだとき、タイミングよく雨が降り始める。

「傘を持ってるものは……いないようだな」
「持ってたとしても、男と相合傘なんてごめんだけどね」
「幸村、そんなことを言っている場合ではないだろう!」

 予想通りの夕立だ。
 降り始めたかと思えば、一気に勢いを増してきた。

 ここが商店街ならいくらでも雨宿りできる軒先があったんだろうが、あいにくここは住宅街のど真ん中。
 オレたちは鞄を頭の上にかざして走り出した。
 しかし、その間にも雨は勢いを増してくる。ちょっとしたスコールのような激しさだ。

「真田、柳、あそこの家の軒先を借りよう」

 先頭を走っていた幸村が道の先を指す。
 幸村の指の先には、立派な日本家屋の門があった。

 無礼を承知で軒先に駆け込む。オレたちは肩で息をしながら制服についた水滴を払った。
 この空模様だとしばらくはやまないだろう。近くにコンビニでもあれば傘も買えるのだろうが、残念ながら見渡す限りの住宅地だ。

「しばらくこの軒先を借りるしかないね」
「やむを得ないだろう。しかし、黙って借りているというのも気が引ける」
「……真田、もしかしてこの家の人に挨拶でもするつもり?」
「それが礼儀というものだろう?」

 お互い何を言っているんだという顔をして見詰め合う幸村と弦一郎。

 二人のことはおいといて、オレはこの立派な門を見上げた。

 随分と年季の入った門構えだ。ところどころ朽ちているところがあるが、クモの巣などが張っていないところをみると最低限の手入れはされているのだろう。
 ぴっちり閉められた門の奥の家屋までは見ることができないが、この辺の名士の家だろうか。
 オレは黒ずんだ表札を確認する。

 『

 ……ほう。

「蓮二、お前はどう思う」
「雨宿りに軒先借りてるだけなのに家の人に挨拶なんて、やりすぎだと思わないか?」

 たまたま同級生と同じ苗字だったことに、不思議なつながりを感じていたオレを引き戻したのは幸村と弦一郎だった。
 振り向けば、どうやら屋敷の人間に挨拶するかどうかでまだ揉めていたらしい。
 仕方なくオレは意見を述べる。

「オレたちが現在立っている場所は公道ではなくこの家の私有地だ。だからその場を間借りしている以上、一言断っておくと言うのは筋が通っているが」
「そうだろう。やはり礼儀をかかしてはならんからな」
「しかし、たかが雨宿りで、屋敷の人間の目に触れるわけではなく迷惑がかかるわけでもない。このような場合挨拶をするのは、逆に気を遣わせる恐れが……弦一郎、聞いているのか?」

 オレの見解を最後まで聞かずに、弦一郎は一人納得したようにインターホンに手をかけた。
 後ろで幸村は「あーあ」と他人の振りして止めようともしない。

「弦一郎、少し待て……」

 仕方なくオレは弦一郎を止めようと手を伸ばした。

 その時だ。


 がらっ


 ヒノキの引き戸が突然開いた。
 まさか屋敷の人間が出てくるとは思っていなかったオレたちは、一瞬目を丸くして息を飲む。
 しかしこれは出てきた方も同じだった。

 白い半袖のワンピースを着た、オレたちと同じ年頃の少女。目を大きく見開いて、驚いたようにインターホンを鳴らそうとしていた弦一郎を見ている。
 その視線はオレと幸村にも順番に向けられた。

「すまない、怪しい者ではない。突然雨が降ってきたので、少しの間この軒先を借りようと」

 慌てて弦一郎が説明しようとするが、その少女はそれを遮って右手を前方に差し出した。
 指先が向いているのは、……オレ?

「柳! どうしたの?」

 いきなり名を呼ばれて思わず目を見開いた。
 肩より長いくせのある髪、少したれ気味の一重まぶた、少し低めの背丈……。

 頭の中でその髪がきちんとまとめて結われ、その顔に眼鏡がかけられて。

「……か」
「うん。ここ私の家」

 少しだけ首を傾げて、邪気の無い表情で笑ったその顔は、間違いなくオレの同級生、のものだった。



「蓮二のクラスメイトか」
「ああ。1年のときも同じクラスだっただ。しかし、偶然というのもあるものだな」

 あのあと突然の雨に雨宿りできるところを見つけて駆け込んだという説明をにしたら、

「なんだ。じゃあ中で雨宿りしてけば? 夕立でもあと30分は止まないだろうし、雨足強いからそこにいたら制服汚れちゃうよ?」
「それはありがたいが……いいのか? どこか、出かけるところだったんじゃないのか?」
「家の前がなんかうるさいってじーちゃんに言われて見に来ただけだから大丈夫」
「……助けてもらったオレたちが言うのもなんだが、随分無用心な見回りだな」

 の心遣いで、オレたち3人は現在屋敷の中に通されていた。
 ふすまも雨戸も開け放たれた縁側からは、しとしとと雨が降り注ぐ庭が見える。

 しかし庭と言っても芝生があるわけではなく、学校のグラウンドのような土庭がだだっ広く広がっているだけだったが。

「なんだか変わった家だね。こんなに敷地が広いのに、ほとんどが庭で家は極フツーサイズなんて」

 通されたときに渡されたタオルで髪を拭いていた幸村が、遠慮もなく言った。
 がここにいないせいか、弦一郎もそうだな、と小さく頷く。

 植木があるわけでも池があるわけでもない、ただの更地だ。隅にひとつだけバスケットゴールがある以外は、さながら建築待ちの空き地ともいえるかもしれない。

「それにしても、柳にあんな可愛い知り合いがいるなんて知らなかったよ」
「幸村、はただのクラスメイトだ。余計な詮索はの迷惑になる」

 くすくす笑いながらオレを見る幸村だが、残念ながら期待されるようなことは何もない。

 そこへ、盆を手にしたが戻ってきた。

「お待たせ! お茶が入ったよ。お茶うけがなくて申し訳ないけど」
「いや。気を遣わせてすまない」
「いいよ〜。同じクラスの友達じゃん」

 にこにこといつものように屈託ない笑顔を浮かべては小さな丸テーブルに湯のみを4つ置いた。
 そして盆を脇に置いて、幸村と弦一郎を見る。

「柳の友達?」
「ああ。部活の仲間だ」
「ふーん? 柳ってなんの部活してるの?」

 …………。

 一瞬、空気が凍りついた気がするのは気のせいではないだろう。
 あの弦一郎ですら、目を見開いているくらいだ。オレも正直驚いた。
 というか、オレたちの傍らにあるテニスバッグは視界に入っていないのか?

「あ、あれ? なんか変なこと言った?」
「いや……」

 きょとんとしているのはも一緒だが……。

 まさか立海大付属中の生徒で、テニス部のレギュラーを知らない者がいるとは想定外だった。
 しかも、自分のクラスメイトに、だ。

さん、オレたちはテニス部に所属してるんだよ」

 絶句しているオレに変わって、人畜無害の笑顔を浮かべて幸村が説明する。
 するとはまたもや。

「へー。うちのテニス部って強いの?」

 しーん……。

 今度こそ、幸村までもが閉口した。

「我が立海大付属中テニス部は、昨年全国優勝を果たしている」
「うそ!? すごい、そんな強かったんだ、うちのテニス部って!」

 弦一郎がわざとらしく咳払いしながら言うと、は素直に感心したように、ぽんと手を叩いて笑顔を見せた。
 ……本当に知らなかったのか。

「はー、そういえば柳って勉強だけじゃなくて体育も成績よかったもんね。やだなぁ、天はニ物も三物も与えちゃって」
「蓮二は才能だけで生きているわけじゃない。努力を怠らないからこその賜物だ」
「そうだよね。あはは、ごめんごめん」

 弦一郎がジロリとを睨みつけながら言った。あれも自尊心の強い男だから、テニス部が強いのかなどと言われて相当カチンときたか。
 しかしも大したもので、赤也ですらすくみ上がる弦一郎の睨みをあっさりと流して笑い出す。

 前々から思っていたが、どうもはのれんに腕オシというか、打っても響かずというか。
 とらえどころのないヤツだ。

「自己紹介が遅れたね。オレは幸村精市。柳と同じく1年からテニス部に所属してるんだ。で、こっちは真田弦一郎。同い年だよ」
「……幸村。最後の一言はどういう意味だ?」
「初対面の人に誤解されたくないだろ?」
「…………」

 言いたいことはあるのだろうが、幸村に反論する気はないのか、弦一郎は不機嫌そうな顔をして腕を組み押し黙った。
 はそんなふたりを見てくすくすと笑っている。

「仲いいんだね。私は。柳のクラスメイトで気楽な帰宅部。まぁ3人とも雨が止むまでゆっくりしてってよ。お茶くらいならお代わり無制限だから」
「お言葉に甘えさせてもらおう。しかし、家の人の迷惑にはならないか?」
「全然。ここ、私とじーちゃんしか住んでないし」
「そうか」

 両親は一緒じゃないのか、思わず聞きかけたがやめた。詮索するような間柄でもない。

「しかし……ずいぶん雨の勢いが強いな」
「うん。全然止みそうに無いね」

 縁側の外をみやる。
 大粒の雨は滝のように降り注ぎ、土庭のあちこちによどんだ水溜りをつくっていた。
 空は重く、まだ夕方だというのにずいぶんと暗い。

 すると、弦一郎が急に立ち上がった。

……だったな。すまないが、傘を1本貸してくれないか」
「いいけど、なんで?」
「どうやら当分やみそうになさそうだ。近くのコンビニで人数分の傘を買ってくる」
「それならやめたほうがいいよ?」
「……ほう。なぜだ?」

 立ち上がったまま、弦一郎は座っているを見下ろす。
 真田は黙ってても威圧的なんだから、女子と話すときは気をつけたほうがいいよ、という幸村の忠告をまるっきり無視しているようだ。
 弦一郎らしいといえばらしいのだが。

 しかしはまったく気にならないらしい。
 変わらず無邪気ともいえる表情を浮かべたまま、弦一郎の問いかけに答えていた。

「この雨の勢いじゃ傘差してても濡れちゃうよ。強いテニス部の選手が風邪でもひいたら大変だし」
「そんなやわな鍛え方はしておらん」
「まぁまぁ。それに心配しなくてもこの雨やむよ? 長いこと農業やってて天候読むのは十八番のじーちゃんが言ってるんだもん。ね、あと20分くらい待ってみなよ」
「む……」

 人畜無害なの笑顔と説得に、弦一郎も口をつぐむ。
 しばしの逡巡のあと、ふたたび座り込んだ弦一郎を見ながら、幸村がくすくすと笑い出した。

「何がおかしい」
「いや、真田が女子に言い負かされるなんて思ってもなかったから」
「別に言い負かされたわけじゃない。の言うことももっともだと思ったまでだ」

 腕を組んだままむっとして言い返す弦一郎。
 しかしオレも予想外だったぞ。どんなに筋の通った主張をしていても、大抵の女子は弦一郎のにじみ出る気迫におどおどするか、意見をひっこめてしまうかするのに、はまるで仲のいい友達に話すかのように弦一郎を説得してしまったのだから。

「柳も人が悪いなぁ」

 不意に幸村が呟いた。
 なんのことかわからず振り向けば、茶を飲み干した幸村はオレではなくを見ていた。

 そして、とは違う、腹の底が見えない得意の笑顔を浮かべて一言。

さん。突然なんだけど、テニス部のマネージャーやらないかい?」

「「「……は?」」」

 いつものことと言えばそれまでだが。
 幸村の唐突なスカウトに、オレと弦一郎、の声がぴったりとハモッた。

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