「なぁ勝己。別にオレに気ぃ遣う必要ねぇからさ、ホントのところ教えろって」
「……なんのことだ?」

 妙になれなれしくオレの肩を叩きながら意味不明なことを言ったシンに、オレは眉を顰めた。



 〜 夢で会えたら 〜



 日本シリーズも終えて、ニュースのスポーツコーナーがフィギュアスケート特集に染まる頃。
 オフシーズンとはいえ、いや、だからこそ日々の基礎トレが物を言う時期だ。
 今日は大学の野球部の練習は休みだったが、オレはいつもどおり森林公園に自主トレに出ていた。

 走りこんで柔軟して。
 まだ体を動かしたりないと思っても、冬の日は暮れるのが早い。
 今日はいつもより冷え込んでいることもあるし、自主トレを切り上げるかもう少し続けるかオレは少し迷う。

 そんなときだ。
 シンからメールが来たのは。

『鍋やるからウチに寄ってけ!』

 いつも通り用件のみの簡潔な文面。
 プロ3年目もしっかり成績を残したシンは、シーズンが終わっても球団広報の仕事でテレビや雑誌に出ずっぱりだ。だから長いこと会っていないはずなのに久しぶりという感覚はあまりない。まぁ、小石川のことでなんだかんだとしょっちゅう連絡くるからな。

 メールに目を通したあと、オレは即座に自主トレを切り上げることを決めた。
 家の鍋はなぜか妙に美味いから、誘いを断る必要もない。

 オレは返信を打たずに、そのまま家に向かった。

 ……で、出迎えた若貴を抱き上げた瞬間、玄関先で言われたのがさっきの言葉。
 シンはにやにやといつもの嫌味な笑みを浮かべつつも、オレを居間へと招き入れた。
 広いリビングはどこか殺風景で、最近買い換えたと言っていたでかいプラズマテレビの存在が妙に浮いている。
 はね学時代から世話になっていたコタツには、使い古した土鍋がカセットコンロと一緒に鎮座していた。

「親父さんはいないのか」
「おー。今日は九州の方に行ってるはずだ」
「……ちょっと待て。なんでオレがお前と二人きりで鍋囲まなきゃなんねぇんだ?」
「は? いねーんだしオレと二人ってことぐらいわかってただろ?」
「いや、小石川もいるのかと……」
「ユリはお前みたいな筋肉バカと違ってしっかり勉強してんだよ」
「……言ってろ」

 オレはシンに一瞥くれて、コタツに足をつっこんだ。目の前でくつくつと美味そうな音をたてている土鍋のせいで、オレの腹の虫が一斉に鳴き始める。
 しかしシンはちっとも堪えた様子もなく「まぁまぁ」と、何がまぁまぁなんだとつっこみたくなるようなへらへら笑みを浮かべたまま、酒瓶とグラスを二つ持ってきて定位置であるテレビ真正面の席に足を突っ込んだ。……来るたびに思うが、この家にはどうやら酒と焼酎以外のアルコールはないらしい。

「飲みすぎるなよ……つぶれても放置して帰るからな」
「やだー、かっちゃん冷たーい……って、その殺人視線やめろっての!」
「だったら気色悪い声出すなっ!」
「へいへい。言われなくても飲まねぇよ。いねーんだし、これオレが片付けなきゃならないからな」

 目の前に置いたワンカップグラスに、飲まないという割にはなみなみと酒を注ぐシン。
 オレも一杯くらいは付き合ってやるかと、渡されたグラスを持ち上げシンのグラスとカチンとぶつけあった。
 一口飲んだだけで、冷え切った体に熱さが沁みる。

「それで勝己。お前さ、実際のところどうなんだよ?」

 いろいろと他愛ない話を振ってくるシンに適当に相槌を打ちながら、ひたすら食うことに専念していたオレ。
 鍋の中身が寂しくなってきた頃に追加の野菜と湯を入れて、煮立つまでのしばしの食休み。
 土鍋に蓋をしたシンが、すでに3杯目となる酒をグラスに注ぎながら再びそんなことを言ってきた。

「だから何の話だ?」
「何って、の話に決まってんだろ?」
「は?」

 少しだけ目がとろんとしてきたシンが、頬杖つきながらオレを挑戦的な目で見る。
 どう、ってなんのことだ。
 しかも、の話? 意味わかんねぇ。
 オレは眉間にシワを寄せながら無言でシンに聞き返す。

 するとシンはさっきまでのへらへらした笑みを消した。その変化に、オレは眉を顰める。
 シンがこういう顔するときはマジな話をしようとするときだ。でもそのほとんどははね学時代の部活中、野球に関する話をする時だったから。
 まさか、と思いつつもオレは口を開く。

に、なにかあったのか?」

 ……2年半前までは、オレが今座っている席にいた
 一度失ってしまった夢をもう一度取り戻すチャンスを手に入れて、はね学卒業とともに海外に渡った
 出来るだけ早く夢を叶えたいから、連絡する時間も惜しんで練習するって言ってたな。
 宣言通り、音沙汰なしの2年半だった。しかも、シンや親父さんにまでなんの連絡もしてないらしく、一時期元春が真剣に捜索願をフランスに送ろうか悩んでいたこともあった。

 便りが無いのは元気な証拠。海外なら、なおさらだ。
 オレは無理矢理自分にそう言い聞かせてきた。

 だからこそ、シンのマジな表情に一瞬とはいえ動揺したんだ。

 が。

 シンは一瞬きょとんとしたあと、呆れたような顔をしてフッと鼻で小さく笑って、

「勝己って純情なのなー」
「……あ?」

 明らかに小馬鹿にした物言いにカチンときて、オレの声が低くなる。
 ところがシンは妙に温い目をして、ため息まじりに微笑みやがる。

「あー、もういいや。聞きたかったことわかっちまったし」
「なにがだ」
「かっちゃんは2年半も連絡よこさねぇ薄情な彼女のことを今でもずっと思ってて、浮気の気配なんかこれっぽっちもアリマセンってことだよ。ありえねー!」

 そしてグラスに残っていた酒を一気にあおって、くぅーっとオッサンくさく唸るシン。
 ……コイツ、ホントに親父さんに似てきたな。

 いちいち酔っ払いのからみに反応するだけ馬鹿らしい。
 オレはくつくつと再びいい音を鳴らしだした土鍋の蓋を取ろうと手を伸ばす。

 が、再びシンは笑みを消して、グラスの上に重ねた両手の上に顎を乗せて。

「お前さ、のことなんかもう忘れたらどうだ?」
「……?」
「前にも言っただろ、オレ。はきっとお前よりも音楽を選ぶって」
「言ってたな。でもその後オレはの口から必ず夢を叶えて帰ってくるって聞いたんだ」
「お前なー……。誰だってそう言うに決まってんだろ? 現実見てみろよ。有言実行できたヤツがこの世にどれだけいるんだって話だよ」
「おい……」

 酔っ払いのたわごとだとしても、聞き流せなかった。
 コイツは弟のくせして、の近くに一番長くいたくせに、何言ってんだ?
 の苦しみも、努力も、なにもかもを見てきたくせに、何でそんなことが言える?

 アイツの決意と覚悟を鼻で笑うような言葉が許せなくて、オレはシンを睨みつけた。

 が、予想以上に冷めたシンの視線に、オレは一瞬言葉を飲み込む。

は夢を叶えられねぇ」
「っ」
「……ただのカンだけどな」

 そう言って、シンが先に視線をそらした。しかし、その表情は酒が入ってる割には妙に冷静だった。

「オレは音楽のことなんかちっともわかんねーけど、トップレベルのプロってそんな簡単になれんのかよ? 努力以上に才能も必要な世界なんだろ、芸術ってのは。たった3年4年死に物狂いでがんばったところで届くものなのか?」
「それは……」
が努力してんのはわかってっけど、多分、無理だ。帰ってくるとしても、無理だって悟って帰ってくるんだよ、アイツは」
「勝手に決め付けるな! 才能だって、アイツにはあるだろ!?」
「耳がいいってだけだろ。つーか耳がいいのは音楽家なら最低条件なんじゃねーの?」
「……っ!」

 なんでそんなことが言えるんだ。
 努力してるヤツに対して、なんで第三者が無理だって決め付けるんだ。
 シン自身、努力して怪我も乗り越えて甲子園制覇してプロになるって夢を叶えたのに、なんでそんなことが言えるんだ!?

 が、さらに反論しようとしたオレをシンは深いため息で遮った。
 かと思えば、いきなり柳眉を吊り上げてオレを睨みつけて、

「つーかお前のそういうところ! お前、に甘すぎんだよ! いーか、オレのカンは昔っからよく当たるんだ。はゼッテー志半ばで挫折して戻ってくる。その時勝己っ、お前がに引きずられて野球できなくなっちまったらどうすんだよ!」
「何言ってんだお前……。仮にが落ち込んで戻ってきたとしても、オレは」
「慰めてやるってか? はね学時代に散々振り回されて持て余してたくせによく言うぜ! 大体勝己っ、のどん底がはね学入学当初の頃だと思ってんじゃねーぞ! アイツの中学時代がどんだけ泥沼だったか知りもしねーで簡単に言うな! 今度はお前が二択せまられんだぞ。と野球と! オレ、ゼッテー許さねーかんな! のためにプロになるって夢を投げ出したら、ゼッテー許さねぇ!」

「……は?」

 ガンッ! とカラのグラスをコタツに叩きつけたあと、シンはそのままばたっとコタツに伏した。
 途中から呆気にとられていたオレは、ぴくりとも動かなくなったシンをしばらく唖然と見ていたんだが……。

 ……コイツ、つぶれてやがる。

「おい、シン」

 肩を揺さぶっても、頭を軽く殴っても、反応なし。

「なんなんだ一体……」

 勝手に酔っ払って勝手にからんで、挙句に勝手につぶれやがって。今日は飲まないって言ってから1時間もたってないぞ。
 介抱しないと宣言しておいたものの、いまや国民的人気選手となったシンに風邪を引かせるわけにもいかねぇし。
 オレはとりあえずソファにいつもかけてあるブランケットを取って、額をコタツに乗せたまま気持ち良さそうな寝息をたてているシンの肩にかけてやった。

 そして、すっかり煮詰まってしまった土鍋の蓋をとり、残り物の片付けに入る。

 ……それにしても。

 オレはすっかりくたくたになった白菜の芯をかじりながらシンを見た。
 外面がいい分、身内には辛辣なシン。だからといって聞き捨てならない言葉にオレも一瞬頭に血が上ったが、最後のほうには頭が冷えた。

 多分、オレは心配されてるんだろう。そしてきっと、のことも心配しているんだ、シンなりに。
 酒の勢いもあって無遠慮な物言いだったものの、シンの言い分もある程度は理解できる。

 だが、言ってしまえば大きな世話だ。

 オレは左腕に結ばれたミサンガをさすった。
 すっかり黒ずんでぼろぼろになってしまったソレは、それでもまだ切れそうな気配はない。

 先に進んで待っていてと言われたんだ。オレは必ずプロになってみせるし、のことも待ち続ける。
 シンになんと言われようと、自分でそう決めたんだ。

 ただ……。

 シンが言っていたことで、ひとつだけ、オレも気になっていることがあった。
 は本当に夢を叶えることができるのか。
 一度だけ見たことがある、アイツの左腕の火傷と手術の痕。女の体にあんな傷が残るなんてあんまりだろってくらい、ひどいものだった。
 完治して、動くようになって、一縷の望みにかけて海外に渡った
 最後のチャンスだと、アイツも思っていたと思う。

 そのチャンスが、手の隙間から零れ落ちていくようなことがあったら。

 は、今度こそ、…………

 想像しただけで、体が震えた。

 1杯飲んだだけで止めていた酒を注ぐ。
 なみなみ注いで、一気に半分をあおったら一気に胃と喉が熱くなった。

「……だめだ」

 熱くなるのは胃と喉だけだ。
 冴えた頭からは不安を取り除けない。

……」

 オレは、お前の努力を疑わない。お前を信じてる。今もきっと、たった一人で夢に向かってがんばってるんだろう。

 でも、無理しないでくれ。自分を追い詰めることだけはやめてくれ。
 ……心配なんだ。お前は、いつも自分を責めるから。

「くそっ」

 残り半分を一気に飲んで、さらに酒を注ぎ足す。

 

 お前に会いたい。今何してるんだ。元気なのか。メシはちゃんと食ってるのか。また妙なノリで変なヤツについてったりしてないだろうな。

 なんでオレは、お前が辛いときにいつも側にいられねぇんだ……。



「……ん……?」

 ふと気づいて目を開ける。……寝てたのか、オレ。
 シンじゃあるまいし、オレまでつぶれてどうする……。

 軽く頭を振って体を起こす。幸いなことに酒は残ってないみたいだ。
 固まった体をほぐそうとして両手を伸ばし大きく背伸びする。

 と、その時だった。

「志波?」

 左横から、久しぶりに聞く声がして。

 オレはおろしかけていた両手を頭の横で止めた間抜けな格好のまま、首だけを回した。

 ……聞き間違えるわけがない。
 この2年半、たまたま携帯に残ってた留守録でしか聞けなくなっていた声。



 振り向いた先にいたのは、だった。
 オレも相当間抜けな顔してるんだろうけど、対するも目を丸くして、ついでに口もぽかんと開けてコッチを見たまま立ち尽くしていた。

「「なんでここに?」」

 お互いの言葉が重なる。
 その瞬間、がぽんと手を打って、

「……なんだ。夢か」
「夢?」
「夢だよ。志波がフランスにいるわけないじゃん」
「フランス……? オレがいるのはお前の家だぞ?」
「ほら、やっぱ夢だ」

 は腰に手をあてて短く息を吐く。

 言われて見ればあたりの様子もおかしかった。
 オレは家のリビングのコタツでシンと一緒に鍋食ってたハズなのに、今オレたちのまわりには何もない。あるのはだだっぴろい空間と、乳白色の優しい光。

 夢、か。……だろうな。
 大方、酒に酔ってつぶれる前にあんな話したからだ。だからこんな夢見たんだ。

 だが。

「でも、夢でも会えてよかった」

 たった今オレが思ったことと同じことを、夢の中のが呟いて微笑んだ。
 ……夢ってのは便利だな。あんなに扱いにくいが、オレの望んだとおりに振舞ってくれる。
 現実逃避も甚だしいとはわかっていても、今くらいいいだろ、と。オレは誰が聞いてるわけでもないのに心の中で言い訳する。

「ああ」

 頷いてから、オレはを手招きした。は素直にオレのすぐ目の前まで来てしゃがみこむ。

「久しぶりだ」
「うん」

 本当に嬉しそうに、幸せそうに微笑む。つられてオレの口元も緩む。

「髪、伸びたな」
「うん、伸びた。志波はあんまり変わんないね」
「このくらいが一番ラクだからな」
「ふーん?」
「少し、痩せたか?」
「どうだろ。体重計持ってないし、わかんない」
「ちゃんとメシ食ってんのか」
「食べてるよ。でも和食食べたい」
「……帰ってくれば、食べられる」

 卑怯な言い方をしてみた。だが、しかめ面するかと思ったは、薄い笑みを浮かべて目を細めただけだった。

 夢のくせに、嫌な反応返しやがって。

「バイオリン……うまくいってるのか?」
「うん。がんばってる」
「……左腕の調子はどうなんだ?」
「ん」

 は少しだけ目を伏せた。つられるように、オレの視線がの左腕へと動く。
 そういえば、さっきから一度も動いてなくないか?
 そうだ。立ってた時もしゃがみこんでる今も、左腕はぷらんと力なく肩からぶら下がっているだけのように見える。

「練習のしすぎで、ちょっと痛いだけ」
……」

 嘘つけ。
 お前は意地を張ったり虚勢張ったりするとき、絶対目を合わせないだろ。
 お前のクセを、オレが知らないとでも思ってんのか?

「無理するな」
「無理するよ」
「しなくていい。オレは」

 一瞬だけ。
 に気づかれないほどの一瞬だけ、オレは言葉に躊躇した。

 が、

「オレは、お前を待ってるって言っただろ。焦らなくていい。自分の納得いくまで時間かけていいんだ。だから、無理するな」
「志波……」

 夢だってのに自分の気持ちを偽って、オレはに言葉を投げかける。
 ……いや、偽りじゃない。
 オレにとって、自分の気持ちなんか二の次だ。
 シンがなんと言おうと、誰がなんと言おうと。

 、お前が望むことを叶えさせてやりたい。

「し、ば」

 すると、突然が表情を歪めたかと思えば、ぽろぽろと涙をこぼし始めたんだ。
 右腕で左腕をぎゅぅっと掴んで、小刻みに肩を震わせながら。

「腕、痛いよ……フランス来て、腱鞘炎、もう、2回目、でっ」
「腱鞘炎……?」
「い、痛くて、今、動かせなくてっ……練習、ずっと、止まったまま、だ」

 そう言いながら、けしてオレにすがろうとはせずに、ただ涙をこぼしながらしゃくりあげる
 
 なんでだ。
 見えない力でも働いてるってのか? なんでここまでが苦しまなきゃならない?
 なんでこんな苦しんでるを見せ付けられなきゃならないんだ?
 夢のくせに、なんでだ。夢ならさっさと覚めちまえ。

 なんでオレは、いつもお前を助けることができないんだ!

っ」

 たまらずオレはを抱きしめた。夢なのに、リアルな感触。髪の匂いも、柔らかな肉感も、前と変わらなかった。

「戻ってこい。オレのところに、帰って来い! なんでお前ばっかりこんな目に合わなきゃなんねぇんだ!?」
「しば」
「もう嫌なんだ……お前が、オレの知らないところで泣いてんのは、もううんざりだ!」
「ちょ、勝己、痛い」
「このまま夢の外まで連れ出してやる。、オレは、お前が」


「痛いって言ってんだーっ!!」


 いきなり腕の中のが叫んだかと思えば、オレの顎に渾身のアッパーがクリーンヒットした。

 ……って。
 この状況でこの雰囲気でアッパーかます女がどこにいるってんだ!?

っ!」
「寝ぼけてる勝己が悪いっ!」
「誰が寝ぼけて……!」

 さすがに今のはねぇだろと、オレは文句を言おうとして、ふと気づく。
 目の前の怒り心頭のの後に、にょろにょろと尻尾を振りながらこっちをみている若貴に。
 ……というか、いつもの家のリビングに。

「……は」

 オレは体を起こす。そこは紛れも無くいつも通りの家のリビングだった。カーテンの隙間からはまだ弱い朝の光が差し込んでいる。
 コタツの上には昨日中身を食い尽くして空っぽになった鍋があって、カラのグラスが5個と酒と焼酎の空き瓶が1本ずつ。
 ついでに、シンと元春が仲良く向かい合ってコタツに伏したまま寝息をたてていた。

 ちょっと待て。なんで元春がここにいる?
 ……それから。

「なんの夢見てたの?」

 ずしっとオレの両膝に加わる重み。
 訝しげな顔をしたが、コタツの布団を肩にかけながらオレの上にまたがったんだ。

 思わずオレは目を点にしてまじまじとを見つめてしまった。

「……?」
「なに」
「なんで、お前がここに……」
「はぁ? まだ寝ぼけてんの?」

 む、と口をとがらせたがむにっとオレの頬をつねった。
 痛ぇ。……ってことは、夢じゃない。

「弱いくせにシンに張り合って飲むからだよ。昨日のこと覚えてる?」
「昨日……」
「勝己の誕生日祝いだって、元春にいちゃんも呼んで鍋したじゃん」
「鍋……誕生日?」

 一体どこからが夢でどこからが現実か、が言うように寝ぼけてるらしいオレの頭じゃうまく理解できなくて。
 が、壁にかけてあるカレンダーの年度が目に入って、オレはようやく事態を理解した。

 カレンダーの年度は卒業から3年じゃなくて、5年目の年が書かれていた。

 そうだった。
 昨日はオレの誕生日だったんだ。朝からと二人で買い物したりメシ食ったりのんびり過ごしてた。
 そのうちシンからオレの誕生祝いをしてやるからと、いつもの上から目線のメールが来て、それでここに来たんだったな。

 オレは、呆れた目でオレを見ているを改めて見つめた。

「小石川もいなかったか?」
「部屋で寝てるよ。勝己もシンも元春にいちゃんもつぶれたから、もうほっといて寝ようって話になって」

 言ってる間も、オレはの動く唇を見つめていた。
 さっきの悪夢がまだ抜け切らなくて、少しでもの実体を実感していたくて。

「お前は、なんで部屋で寝なかったんだ?」
「私の部屋、もうユリの部屋になってるし。それに私は」

 勝己の隣がいい。

 そうが言い切る前に、オレはを引き寄せて抱きしめた。
 今度はアッパーされないように、加減して。

「……なに?」

 顔を上げたの眉間にシワが寄っていた。まだオレが寝ぼけてるんじゃないかと疑っているんだろう。
 そのシワを伸ばすように、オレはの額に口付ける。

「昔の夢、見てたんだ」
「は?」
「夢の中でも夢を見て、お前が出てきた」
「はぁ? 勝己って夢の中でも寝るの?」
「ああ、寝てた」
「どんだけ寝れば気が済むんだか」

 口調とは裏腹に、くつくつと肩を揺らして笑う
 ……そうだ。オレが見ていたいのは、そういう顔だ。

 オレはを抱く腕に力をこめる。

「夢の中でお前が泣いてるのに、オレは何もできなかった」
「……うん」
「なんで今さら、あんな夢見ちまったんだろうな」

 夢の前半は実際にあったやり取りだ。オレはシンと派手にやりあって、しばらく音信普通になるくらいに言い合った記憶がある。
 そのシンのカンってヤツは不幸にも当たり、は夢を諦めて戻ってきた。
 でも、それ以外は違う。は夢に向かって真摯に努力して、やりきって帰ってきたんだ。
 そして、新しい道も見つけていた。

 が戻ってきてから、なんの不安も感じることがなかった1年間だったのに。
 なんだってあんな夢見たんだ?

「私も、時々見る」

 心当たりを探して記憶の奥底を探っていたオレに、がぽつりと呟いた。
 はオレの背中に腕をまわし、額を胸にすりつけるようにして、目を閉じながら続けた。

「フランスにいた頃も見た。勝己がどんどん先に行って、見えなくなるの」
「……そうだったのか」
「勝己は私を見てくれてるのに、どんどん離されてって、待ってって言ってるのに見えなくなって……怖かった」

 ぎゅ、と強く抱きついてくるの髪を撫でる。体をこわばらせていたは、オレの手の動きにほっとしたように息を吐いて、

「今でも、時々見るよ。でも、目が覚めたらちゃんと勝己が隣にいるから、怖くなくなった」
「ああ。……そうだな」

 とんとん、との頭を軽く叩いて顔を上げさせる。
 そっと落としたキスは、触れ合うだけの甘いもの。

「誕生日おめでとう」

 顔を離した後、が柔らかな笑顔でそう言った。

「これからも電話じゃなくて、メールじゃなくて、顔合わせてこんな風に言うから」

 もう一度、今度は甘えるようにしがみついてきたを抱きしめる。

「ああ。……サンキュ」

 しなやかな髪を撫でて、オレは目を閉じながら感謝の言葉を口にした。



 多分、オレの不安は一生消えない。
 お前が側にいるから、きっと消えないんだ。
 お前が側にいるから、いなくなってしまうかもしれないって恐怖を拭い去れないんだ。
 ……そうだとしても、オレはお前の側にいる。ずっといる。

 来月、オレも同じ言葉をお前に言うからな。
 忘れて仕事入れるなよ。やりかねねぇからな、お前は。……ていうか、本気でそうなりそうだ。

「誕生日おめでとう」

 頭の中で考えが先走って、つい口にしてしまった1ヶ月のフライングメッセージ。
 が目を丸くしたと同時に。
 狸寝入りしていたらしいシンと元春がコタツに伏したままブッと噴出して、冬の早朝、オレの怒声が町内いっぱいに響き渡るのだった。

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