決戦の日、大晦日。
 コタツを挟んで対峙しているシンと小石川。
 オレたちは居間続きの和室から、その様子を見つめていた。

「寒い」
「我慢しろ」

 暖房の温もりが届きにくい部屋の中で、は口を尖らせながらオレの背中にぴったりと張り付いて暖を取っている。

「どうなるかな」
「さぁな。つーかオレも寒いんだけど」
「やだなぁ、こういうときはハートを燃え上がらせなきゃ! ってアイタっ!」

 隣にいる佐伯は雪平の頭に顎を乗せて、そのまま頭突きに持っていく。

「どきどきです。今まさにくんの青春爆発ですね!」
「うまくまとまるといいですね」

 手に汗握る様子で二人を見ているのは若王子先生と水樹で。

「あー」

 ……なぜかちび若はオレの肩の上に居座っていた。
 


 〜双子の姉夫婦、弟を語る 其の一〜



 そもそもの始まりはちょうど一週間前のクリスマスイヴだった。

 向かいの商店街にも今時の流行なのかイルミネーションが点灯していた。
 肉屋の親父に強引に手渡されたチキンは既に腹の中。

 目の前のはオレには目もくれず、コタツの上のケーキに釘付けになっている。
 ……よだれをたらすな。

 が帰国してきてから初めてのクリスマスイヴ。
 クリスマスそのものにはなんの興味もない。パーティなんぞに出なくていいぶん、学生時代よりは気が楽だ。

 だがそんなもの祝うためにケーキを買ったわけじゃない。

 今日は、コイツの誕生日だ。

「このケーキどこで買ったの? アナスタシア? ミルハニー?」
「不本意ながらミルハニーだ」
「なんで不本意ながら?」
「……雪平に散々いじられた」
「あー」

 一応適当に相槌打ってるものの、の視線はケーキから離れない。

 目の前のケーキはミルハニーのマスターに特別に注文して作ってもらった、どこを切ってもイチゴ満載の生クリームのデコレーションケーキだ。
 はあまり食い物にこだわる方じゃないが、確かイチゴの生クリームケーキは好きだと昔言ってたような、と。
 その記憶を頼りに注文したケーキは、どうやらも満足してくれたらしい。

「勝己、早く食べよ!」
「わかったから垂れてるもの拭いとけ……」

 ため息つきつつ、オレはケーキを切り分ける。

「デコレーションケーキなんか、子供の頃以来だ」

 大きめにとりわけてやったケーキを前に、滅多に見せない幸せそうな笑顔を見せている

 そうか。
 ガキの頃に日本を離れて、音楽一筋に打ち込んできたコイツの記憶にあるケーキは、おそらく母親とつつましやかに祝っていたときの。

「そんなに好きなら、この先ずっとこんな風に祝ってやるから」
「うん」

 はにこにこしたまま、妙に素直に頷く。
 口説き文句もあっさりスルーされたが、まぁコイツが笑っているならそれでいい。
 すでにぱくぱくと食べ始めているにならって、オレもケーキにフォークを刺した。

 その時だ。


 がちゃがちゃ

 ぎぃ

 バンッ!!


 玄関で派手な音がした。
 オレとは顔を見合わせる。

「親父さん、今日は留守って言わなかったか?」
「留守だよ。さっき新潟から電話あったばっかじゃん」
「だな。……誰だ?」

 そして同時にリビング入り口のガラス戸へと視線を移す。

 ほんの少しの間のあと、がたん! と乱暴にドアを開けて入って来たのは。

「あれ、なんで帰ってきてんの?」

 フォークをくわえたままが問いかけたのは、双子の弟でオレのチームメイトのシンだった。
 アーミー調な黒いロングコートに同じ色のマフラーをしたまま、投げ捨てるように財布をダイニングテーブルに放ったシンは、すさんだ目でこっちを見た、っつーか睨んだ。

 オレがここに来るのと入れ違いに出て行ったシン。
 へらへらといつものしまりのない笑みを浮かべながら、小石川とイルミネーションを見に行くとか言ってなかったか?
 シンがこういうイベント日におとなしく帰宅するとは思っていなかったから、オレは半ば唖然としながらコートを脱ぎ捨てているシンを見ていた。

 どう見ても自棄を起こしているように見えるシンは、コートとマフラーをソファに投げ捨てたあと、食器棚からフォークを1本取り出してオレたちのいるコタツへとずかずか近づいて。

 よりにもよって、の取り分のケーキにフォークを突き刺し、イチゴごと大部分を口に放り込みやがった。

「あー!!!」

 案の定、は一気に柳眉を逆立てて怒り出す。

「なにするシンっ!!」
「うるせぇよ! イチゴくらいでがたがた騒ぐな!」
「ケーキも食べたっ!」
「今日はオレの誕生日なんだから、お前ら盛大に祝いやがれ!」
「私の誕生日ケーキだっ!!」

 いつ聞いてもうるせぇ姉弟喧嘩だ……。

 耳をふさぎながら、オレは嵐が過ぎるのを待つつもりだった。
 が。

 シンのヤツ、何をこんなにイラついてんだ?
 日頃から身内の甘えかには態度のでかいヤツだったが、今日のは異常だ。

 いまだぎゃあぎゃあ言い合ってる二人の間に、オレは割って入ることにした。
 のケーキには、オレのケーキのイチゴを乗っけて黙らせて。

「シン」
「んだよ。彼女の誕生日は祝うくせに、幼馴染はないがしろにする勝己クン。説教なら聞かねぇぞ」
「つっかかんな。小石川はどうした?」

 その名前を出した瞬間だ。

 シンは思い切り眉間にシワを寄せて黙り込む。
 が、

「知るか!!」

 一言吐き捨てて立ち上がり、そのままリビングを出て行った。
 どかどかと足音荒く自分の部屋に戻っていくシンを、までもがぽかんとして見送っている。

「なにあれ」
「小石川と、なんかあったな」
「もしかしてフラれた?」

 さらりとが口にした言葉に、オレたちは顔を見合わせる。

 高校時代からシンとつきあっている小石川。その仲は今も変わらない……はずだ。
 プロに進んでから女優だアイドルだ女子アナだといろいろ噂のたったシンに、寛大な心で、というよりは達観した心で接してきた小石川は、見てるこっちが気の毒だと思うこともあるくらい、シンに惚れてるらしい。
 シンもシンで、さんざん遊びまくってるわりにはその辺の分別だけはあるらしく、記念日や今日のようなイベント日はかかさずに小石川に合わせて過ごすというシンなりの気遣いなのか愛情なのか、まぁそんなカンジに大事にはしてきてた。

 正直、喧嘩したって話は今まで聞いたことがない。

「てっきり今日は小石川のとこ泊まってくるんだと思ってたのに」
「だな。……やっぱり喧嘩してきたのか?」
「フラれたんなら、小石川もよく英断したって褒めてやりたいけど」

 高校卒業後、長いこと日本を離れていたはその間のシンと小石川のことを知らない。
 小石川とつきあうまでのシンは、部活の無い日はとにかくデート、しかも毎回違う女という生活だったらしいから、がこういうことを言うのもわからないでもない。

 と。

 がちゃり

 再びリビングのドアが開き、部屋着に着替えたらしいシンが入ってきた。
 が、今度はさきほどとはうってかわってどんより、というかしょんぼり、というか。
 肩を落としながらやってきて、コタツの中に足をつっこむ。

 なんだこの躁鬱男。

 の目がそう言っていたが、とりあえず黙っとけと目配せする。

「メシ食ったのか?」
「……いや」

 声まで威勢がなくなってやがる。

「もうケーキしかねぇぞ」
「いらね。……酒くれ」

 …………。

 重症だな。

 は眉を顰めているが、オレは勝手知ったる家の台所から、親父さん秘蔵の大吟醸を持ち出してくる。

「(親父に怒られるよ……?)」
「(ネットで取り寄せとけ)」

 金ならシンが腐るほど持ってるだろ。

 ぽん、と栓を抜けば、シンがコップを突き出してきた。
 普段なら酒癖の悪いコイツに飲ませたりはしないんだが。
 なみなみ注いだ酒を、シンはイッキに飲み干そうとして、しかしそれはが手を伸ばして止める。

 半分ほど飲み込んだあと、シンは「あぁ〜……」という呻きともため息ともつかない声を出して、がっくりと頭をたれた。

 ……で、どうすりゃいいんだ?
 オレもも、誰かのお悩み相談なんてする柄じゃない。
 下手すりゃさらにどん底に突き落としかねないだろう。

 オレとが戸惑っている間に、シンはさっさとコップの残りを飲み干して、おかわりを要求してくる。
 とりあえず注いでやるが、このままだと何の解決にもならないうちにシンが潰れちまうだろう。

 ☆★☆

 と思っていたら、あっさりとシンは潰れてしまった。
 メシも食わずに酒だけ勢いに任せて飲んでりゃ、こうなるよな。

「中毒起こしてるわけじゃないよね」
「違うだろ」

 コタツに伏して、何か聞き取れない呻き声を上げているシン。
 はそのシンの後頭部をフォークの柄でつついてるが、ぴくりともしやしねえ。

「やっぱフラれたのかな」
「喧嘩したくらいじゃここまではならねぇだろうしな」
「なんか……」

 の眉間にシワが寄る。
 小石川がシンを振ったら万々歳と言っていたが、哀れみの目でシンを見つめた。

「自分見てるみたい」

 ぐっ

 口に含んでいた酒を噴出しそうになって、オレはすんでで堪えた。
 今それを言うか。
 ……そして今さらそのネタで、そういう目でオレを見るな。

「あの時は、お互い様ってヤツだろ……」
「でも小石川に不義があったとは思えないんだけど」
「不義って言うな」

 お前は不義してたのかってんだ。

 って、そういうことを話題にしてんじゃなくて。

「小石川がシンに愛想つかしたとか?」
「まぁ、それが一番妥当だろ」
「……」
「だから昔を思い出すな……」

 お前まで沈んでどうする。
 オレはの手首を掴んで引き寄せた。
 ぽす、とおとなしく腕の中におさまるの額にかかる髪を掻き上げて、唇で触れる。

「明日にでもお前が話聞いてやれ」
「ん」

 素直にこくんと頷くの髪を撫でる。

 そうだ。
 今日はシンじゃなくてお前に会いに来たんだ。
 肝心の誕生日のプレゼントだってまだ渡してねぇ。



 オレだって今日は一大決心してここに来たんだ。
 日頃の行いのツケで自業自得に陥ってるシンに邪魔されてる場合じゃない。

「あのな」

 と、オレが切り出したときだ。

「……なんで」

 ごにょごにょ呻いていたシンが、初めて聞き取れるようなしっかりとした声を出した。

「なんでだよ……しかもなんで今日……」
「今日?」
「そりゃ自分の誕生日に振られりゃ、そういう愚痴も出るだろうな」

 まぁ、まだ振られたと決まったわけじゃねぇけど。
 コタツに伏したままの姿勢で、シンは再び聞き取り不明な声を出し始める。

「勝己」
「なんだ?」
「小石川に直接聞いてみる?」

 見ればの手には携帯が握られていた。
 
 どうする?
 あまりにプレイベートな領域だとわかりきっていることに踏み込むのは、どうなんだ?
 でもこの状態のシンをほっとくのも後味悪い。

 というより、この体たらくじゃ年明けのキャンプに影響及ぼすんじゃねえのか、コイツ……。

「聞いてみるか」
「了解」

 ぴぽぱ、と素早く携帯を繰って耳にあてる
 そのを前から抱え込むようにして、オレも耳を近づけた。

 数回のコール音のあと、ぷつっと音がした。

『もしもし』
「もしもし小石川?」
『うん。久しぶり、さん』

 聞こえてきた小石川の声は穏やかだった。

 シンが高卒すぐにプロにいったのに対して、小石川はオレと同じ体育大に進学してスポーツ医学の方面を学んでいた。
 4年でオレは卒業したが、小石川は院に進んで研究を続けている。
 野球部マネージャーをしていたとはいえ、体力は並程度の小石川が男にまみれて授業も研究も遅くまでがんばっていたことにオレは感心したもんだが、そう告げたときの小石川の台詞は決まって「シンくんの力になりたいから」だった。

 けなげで真面目でそれなりの容姿をしている小石川には男からのアプローチも相当あった。
 その都度オレはシンからの指令を受けて番犬がわりに借り出されて、小石川はオレに謝罪しながらも嬉しそうに笑っていた。

 それがこうなっちまうなんてな。

 いや、だからまだ決まったわけじゃなねぇけど。
 で、
 どうやって切り出す気だ?

「シンとなんかあった?」

 ……やっぱ単刀直入か。
 お前のそのいさぎよさはある意味尊敬するけどな。

 通話口の向こうがしばらく無言になる。
 オレもも黙って根気よく小石川の言葉を待った。

 やがて。

さん、今、志波くんと一緒にいるんでしょ?』
「うん」
『うらやましいなぁ』
「は?」

 小石川のしみじみとした言葉に、が眉を顰めて聞き返した。

「小石川だって、さっきまでシンと一緒にいたんじゃないの?」
『そうなんだけど……さっき別れちゃったから』

 ぱっとと視線を交わして、シンを見る。
 すでに呻き声もなくして寝息をたてているシン。

 別れたのか。

「なんでだ?」

 思わず口を出してしまった。
 一瞬通話口の向こうで小石川が息を飲んだような気配がしたが、

『志波くんも聞いてたの? もう、やだなぁ……』
「悪い。シンが今ここで自棄酒あおって潰れちまってて、気になった」
『……そっか。少しはシンくんも私のこと好きでいてくれたのかなぁ……』

 好きでいてくれたのか、って言ったのか?
 オレとは呆気にとられて言葉を失くす。

 すぐにわかった。オレともかつてそうだったから。

 シンと小石川は、今気持ちのすれ違いが起きてんだ。

「小石川、何か誤解してんじゃないのか」
『ゴメン。今研究室に戻ってるの。あんまり話こんでいられないから……じゃあね。よいクリスマスを』
「あ、ちょ、小石川?」

 ぷつっ つー つー つー

「……」
「……」

 切られた携帯を片手に、オレももぽかんとする。

 思った以上に複雑なことになってんのか……?

「勝己」

 通話ボタンを切ったが、かちかちと携帯をいじりながらオレを呼ぶ。
 見下ろせば、アドレス画面を見せながらがオレを見上げていた。

「プロを呼ぼう」
「……だな」

 アドレス画面に呼び出されたメンツに目を通して、オレはこっくりと頷いた。



 続く。

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