「なんだこれ」
幼い頃にはばたき市を離れる以前に一度だけ行ったことのある勝己の家に出向いた私。
ところがその家の前は、大勢の女の人で溢れ返っていた。
〜足りないもの〜
「ちょっと割り込まないでよ!」
……とりあえず無視して勝己の家に向かおうとすればそう怒鳴られて。
「駄目駄目! 志波選手のご家族にもご近所にも迷惑なんだから、物だけ置いて帰ってください!」
……それでも強引に玄関に入り込もうとしたら、なんかスーツのおっさんたちに阻まれて。
「……なんだこれ」
とりあえず勝己の家の前に溜まった女たちの輪から少し離れて、改めてその様子を見る。
我ながらぶち切れなかったことを褒めてやりたい。
遠くから見てみれば、殺気だった女たちとスーツのおっさんたちが一進一退の攻防をしてるようにも見える。
女たちが手にしてるのは、色とりどりにデコレーションされた袋やら箱やら。
「ふーん……」
私は帰国してから読んだスポーツ雑誌のインタビュー記事を思い出す。
あのインタビュアーの質問も、あながち誇張したものでもなかった、ってことか。
なんか、はね学時代を思い出すな。
と、ポケットに入れてた携帯が震えだす。
取り出してみれば、元春にいちゃんからの着信だった。
「すんませーん、花屋でーす! 通してくださーい!」
男からみても長身の元春にいちゃんが、頭の上にバラやらガーベラやら色とりどりの花束を抱えて、殺気立ってる女の群の中を進む。
その後ろから、同じく花束を数個掲げた私が着いていく。
花屋の臨時手伝いを懇願されたらしい元春にいちゃんが考え付いた、誰にも邪魔されずに勝己の家の中まで辿り着く方法ってのが、コレ。
私も元春にいちゃんとお揃いの緑のエプロンして、花屋の手伝いとして潜りこめばいいって。
元春にいちゃんの読みどおり、私たちは女たちを阻止してるスーツのオッサンに迎え入れられて、なんなく勝己の家の玄関に到達。
背後でずるいー! とかなんとか叫んでるみたいだけど、無視。
けどホント、はね学時代と同じ感覚になるな。
スーツのおっさんが玄関を開けて私と元春にいちゃんを中に入れたあと、すぐに扉を閉めた。
「ありがと、元春にいちゃん」
私は玄関に大量に積まれたプレゼントの山の上に花束を置いた。そして元春にいちゃんを見上げてお礼を言う。
でも元春にいちゃんは、いつもどおりにかっと笑い飛ばして、
「いーっていーって。可愛い従姉妹と幼馴染の橋渡しすんのも務め、ってな? おーい勝己っ、届けに来たぞー!」
私の頭をわしゃわしゃと撫でたあと、階段の上に向かって大声を出す。
記憶の中と一致する勝己の家の玄関。
ほんの数回しか来たことなかったけど、靴箱横にたてかけてある金属バットは昔と変わらずそこにあって、思わず笑みがこぼれた。
やがて、階上から勝己が降りてきた。
パーカーにジーンズのラフな格好。あ、寝癖ついてる。眠いのか、目は半分閉じかかってるし。
「オジサンとオバサンは?」
「球団から今日は家にいないほうがいいって連絡もらって……昨日臨海地区のホテル行くっつって出てった」
「は、球団?」
元春にいちゃんが差し出した伝票を、半分閉じた目で見ながら器用にサインしてる勝己。
私が聞き返すと、眠そうな顔したままゆっくりとこっちを見た。
「外にいるスーツの、うちの球団の広報だ」
「なんで?」
「そりゃ日本球界で1、2を争うスーパースターの誕生日だからな。混乱防止のために出てきたってとこだろ?」
元春にいちゃんの説明に、こくんと頷く勝己。
デジャヴュ。
こんなこと、前もあった。
でも私がそんなこと考えてるうちに、元春にいちゃんはさっさと伝票をポケットにしまって、さっと片手を挙げてニンマリといい笑顔。
「優しい幼馴染からの誕生日プレゼントはの配達、ってことで。勝己、今日一日大変だろーけど、がんばれよっ」
「さっさと帰れ」
「へーへー。じゃあな、。外がおさまるまで出てくんじゃねーぞ?」
最後にわしゃっと私の頭を撫でたあと、元春にいちゃんは帰っていった。
玄関の隙間から見えた黒山のひとだかりは相変わらず。あれ、今日中におさまるなんてこと、あんのかな。
ぱたん、と閉まったドアを見つめていたら、今度はぽふっと勝己の大きな手が私の頭に乗っかった。
見上げれば、さっきよりは幾分開いた目で私を見下ろしてる。
「部屋、来るか?」
「うん」
私は十数年ぶりに勝己の家に上がりこんだ。
11月21日。今日は勝己の誕生日。
はね学を卒業して海外に渡って、帰国してから初めての勝己の誕生日。
長い間私を待っていてくれた勝己の誕生日をどうにかして祝おうとして、やってきた家の前はファンの山。
「なんか甲子園のあとみたい」
足が一本足りなくて不安定なこたつにもぐりながらぽつりと呟けば、勝己は少しだけ眉を顰めた。
「あの時と一緒にするな」
「だって似てるじゃん」
「似てても違う」
私の腰に回した腕に力を込めながら、勝己は言い切った。
くるりと向きを変えて勝己の胸に額を擦り付けながら「どこが?」って聞くと。
「お前の立場」
って。
「あー」
「あー、ってお前な」
「そんなに違う?」
「……お前が帰国したときにオレが言ったこと、忘れてんじゃねぇだろうな……」
「覚えてるけどさ」
勝己の膝の上で座りなおして、肩に顎を乗っける。
座椅子に座ってるわけでもないのに、勝己の体はすっごく安定してる。さすがプロにまでなった男は違うな、っていうか。
私は口を尖らせた。
「でも今日だって元春にいちゃんがいなかったら、勝己に会えなかった」
「っ」
一瞬勝己は絶句して。
ぎゅぅっと私を強く抱きしめる。
「……だな。悪い」
「あー……ごめん。別に責めてるわけじゃなくて」
「いや。あの時もお前を守ってやれなかったのに……進歩ねぇな、オレは」
って、誕生日に主役を落ち込ませてどーする私。
私は話題を変えようと思って、持ってきたプレゼントを手繰り寄せようと手を伸ばして。
でも、それを遮るように勝己が腕に力を込める。
相変わらず自虐的というか自分に厳しいというか、こういうところ変わんない。
「だからそんな気にしなくても……って、だだだっ!」
落ち込まれても困るから、ヘタクソと自覚のあるフォローをなんとか試みようと顔を上げた瞬間だ。
いきなり勝己が、私の体に回してる両腕に思いっきり力入れてきた!
「痛いっ、ちょ、馬鹿力っ!!」
「二人のときに、他の男の名前出すからだ」
さっきまでのふさぎ顔はどこへやら、勝己はくつくつと肩を震わせながら笑ってた。
頭きたから肩に噛み付いてやれば、首根っこをつままれて剥がされる。
「お前は猫か」
「誰が猫だっ!」
「……だな。猫は化粧しねぇ」
膝の上に座ったまま睨みつければ、勝己は人差し指を差し出して私の顎を持ち上げる。
なんなんだいきなり。
勝己は珍しいものでも見るように、ただただじーっと私の顔に見入ってる。
「なに」
「お前、化粧してるのか?」
「は? してるけどそれがどうかした?」
あ、眉間にシワ寄った。
「いつから」
「いつから、って」
「海外にいるときからか」
「うん。バイオリンの師匠の公演についてったときとか」
「……こんな唇で」
親指で私の唇を乱暴に拭う。
勝己の指先に、グロスに混じったピンクのルージュがついた。
それをしばらく見つめていた勝己は、やがて睨みつけるように私に視線を移す。
「誰と会ってた?」
「……は」
ぽかん。
私はあんぐりと口を開けて勝己を見る。
なにコイツ。もしかして、もしかして。
「ヤキモチ焼いてんの?」
肯定するように深くなった、勝己の眉間のシワ。
あれ? こんなだったっけ?
勝己ってこういうキャラだったっけ?
確かにはね学時代でも妙な嫉妬してたことあったけど、なんか磨きかかった?
「……ぷ」
拗ねたような怒ってるような、ガキくさい顔してる勝己を見てたらなんだか急に笑えてきて。
今度は私が肩を揺らしながら笑い出す。
「馬鹿みたい。一体誰にヤキモチ焼いてんの」
「お前の側にいた全てだ」
「そんな気になる?」
「なる」
ぎゅうっと抱きしめられて、肩越しに部屋の壁しか見えなくなる。
「どこにも行くな」
「行かないってば」
「こんなものつけるな」
「それは無理……」
だ、って言い切る前に塞がれた。
相変わらず無骨で不器用な勝己らしいキスは、何度も、何度も。
息苦しい、って背中をばしばし叩けば、一呼吸するわずかな時間だけ与えられて、もう1回。
……狂犬っぷりも相変わらずだ。
気づけば上下も逆転してて、勝己の手が私の体をすべる。
なんかこのままなし崩し的なことになりそうになったとき、にわかに外が騒がしくなった。
「なんかあったのかな」
「カーテン開けるなよ。……なんだありゃ?」
私も勝己もこたつを出て、レースのカーテン越しに外を覗き込んだ。
そこにはさっきの勝己のファンの女たちと球団広報のオッサンたちのほかに、ごっついカメラを担いだ連中が加わって壮絶な陣取り合戦が繰り広げられてた。
「マスコミも来たのか……めんどくせえ」
「なんか勝己、佐伯みたい」
「その例えはどうなんだ……」
はぁ、と大きくため息をつく勝己。そしてこたつに戻ってみかんを剥き始める。
「食うか?」
「うん」
私もこたつに戻ろうとして、カーテンから手を離したときだ。
携帯が震えだして、メールの着信を知らせてくる。
私は勝己にぴったりくっつくようにしてこたつに潜ってから、携帯を開いた。
そこには。
『さっきマスコミに、お前が勝己のとこ行ってるってポロっと言っちまった。メンゴ^□^ノ』
「……」
「……」
シンからの軽いメールに、横から覗き込んできた勝己の眉間に再びシワが寄る。
「シンのせいかっ!」
「うわーメンドクサイ……」
あの大群押しのけて、どうやって帰れってんだか。
ため息をつけば、勝己が口の中にみかんを放り込んでくる。
「」
「んぐ?」
「このあと、なんか用事あるのか?」
「なにもないよ」
飲みこんでからもう1個、と口を開けて催促すれば、雛かよ、と笑う勝己。
「だったら今日は帰るな」
「は」
「どうせ外の連中も帰らねぇだろ。……側にいてくれ」
「勝己」
私は勝己の前にぐるっと体をすべらせて、その顔を見上げた。
「なんか変。勝己、どうかした?」
「そうか?」
「こんな寂しがりだったっけ?」
寂しがり、って言葉に反応したのか少しだけ眉を顰める勝己だったけど。
ぽふ、と私の頭に手を置いたあと、すぐに優しい笑顔を見せた。
「全然足りない」
「なにが?」
「お前」
前にも聞いたことあるような台詞を言って、今度は優しく私の言葉を遮る勝己。
みかん味のキスのあと、私も頷いた。
「そうかもね」
なんたって4年半だ。
私にも勝己が全然足りてない。
結局、私が勝己にプレゼントを渡せたのは、誕生日当日を過ぎてからだった。
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