私は志波に呼び出されて、二人で森林公園を歩いてた。
 なんだか今日は妙にベンチのカップルがいちゃこいてるなーと思ったら。

「ホワイトデーだろ」
「あーなるほど」
「……お前本当にイベント事疎いな」
「宗教行事までイベントにする日本のほうが悪いと思う」
「いや、悪いってほどでもないだろ……」



 〜エリンギウム〜



 桜の開花まであと少し。
 日本では桜の咲く時期に寒くなることを花冷えって言うんだって、この間元春にいちゃんから聞いた。
 ということは、いきなり冷え込んだ今日はその花冷えってヤツなんだろうか。

「寒い」
「そんな薄着してくるからだ」
「昨日まであったかかったし」
「昨日と今日は違う」
「うー」

 私は身震いして志波の左腕をぎゅっと抱きしめた。
 ジャケットごしだから暖もとれない。ちぇ。

 志波はふー、と短くため息をついた。

「もうすぐだから我慢しろ」
「寒い寒い寒い」

 今度のため息は、はー。

 志波は眉尻を下げて、私がしがみついていた左腕を引っこ抜いて。
 そのままその手を私の肩にまわした。

「……今日だけだからな」
「うん」

 私は志波にぴったりくっついたまま、並木道を歩いた。


 そもそも、朝から冷え込んでるこんな日になんで森林公園にいるかというと。
 志波がめずらしく植物園に行きたいなんて言い出して。

「植物園? 志波が? なに、食べれる野草の試食会でもやってんの?」
「お前な……」

 眉間に皺寄せてジト目で見られたって、志波と植物園がどうあがいても結びつかないんだから仕方ないじゃん。

 なんの用か聞いてみても、志波は曖昧に「ああ」だの「そんなところだ」だの言うだけだし。

 やっとこたどりついた植物園の掲示板にも、めぼしいイベントの案内は載ってなかった。

「ほんとに何の用があんの?」
「花を見る」
「そりゃ植物園だし花は見れるけどさ。……ってほんとにそれだけ?」
「……だったらなんだ」
「はぁぁ?」

 わけわかんない。

「なんで志波が花なんか見るの?」
「見たら悪いか」
「悪いっ」
「あのな」

 志波は眉間の皺を深くして私を見下ろした。
 負けじと私も志波を見上げる。

 ふー。

 3回目のため息。

「……いいから、来い」

 志波は私の背中をぽんと叩いて中に入っていった。
 一体何企んでんだろ。

 首を傾げながらも、私は志波の後をついていった。


 植物園の中はさすがに温度管理が徹底されてて、外と違って暖かかった。
 まだ3月だけど、夏の花も秋の花も咲いてる。
 そういえば森林公園内の植物園って初めて来る。
 いろんな花がそこかしこに咲いてて、案外おもしろい。

「あ、これヒースだ」
「ヒース?」

 見慣れたコンテナガーデンに足を止める。
 志波は聞いたことない、といった様子でヒースを見下ろした。
 小さな花が霧のように無数に散った、鮮やかな花。

「ロンドンにいたときよく見たよ。えーと、日本じゃエリカっていうんだっけ?」
「……水樹がそんな風に呼ばれてたな」
「花言葉は孤独、休息、博愛」

 水樹にエリカなんて名前つけたヤツ、想像するに一人しかいないけど。
 案外言い得てるかもしれない。

 志波は片眉を上げて、私を見る。

「お前が花言葉なんてもの知ってるとはな」
「お母さんが乙女趣味だったから。昔聞かされたの覚えただけだよ」
「……だな。自発的に覚えるとも思えねぇ」
「む。いいよ別に。女みたいなこと柄じゃないってわかってるし」

 喉の奥を鳴らすように笑う志波。
 私は掴んでた腕を放してふいっとそっぽを向く。

 すると志波は。

「……女だと思ってねぇヤツに、腕なんか組ませるか」

 ぽす、と大きな手のひらを私の頭に乗せた。

 ……なんていうか。

「志波ズルイ」
「だな」
「うー」

 尖らせた口をさらに尖らせれば、再び志波は噴出した。
 むか。



 抗議してやろうと見上げれば、志波に先を越される。

「紫苑は、ここにあるのか?」
「紫苑?」

 お母さんの名前を口に出す志波。
 ……不本意ながら、私の別名でもある花の名前。

「別のコーナーならあるかもしれない。ここ、初夏の花が集まってるから。紫苑は秋の菊の花」
「そうか」
「花言葉は追憶、思い出、……君を忘れない」

 まさしくお母さんそのもののような言葉。
 少し遠い目をしていたら、志波が頭に乗せてた手をぽんぽんと弾ませた。

「志波」
「……悪い」
「ううん」

 悲しい気持ちになったわけじゃない。
 私は頭の上の志波の手を掴んで、ぎゅっと抱きしめた。

 志波はしばらく神妙な顔して私を見てたけど。

「……このあいだ真咲に聞いたんだけど」
「なにを?」
「なんとかって花の名前」
「なんとかじゃわかんない」
「……確か、キノコみたいな名前の」
「は? キノコ?」

 なんだそれ。キノコみたいな名前の花って。

 志波は首をひねる。

「……エリンギ、なんとか」
「ああ、それでキノコ……。エリンギウムのこと?」
「多分、それだ。知ってるのか?」
「まぁ一応は。多分ここにあるよ」

 きょろきょろと辺りを見回して。

 温室の隅に、アザミに似た青い花をたくさんつけた株を見つける。

「あの青いヤツ」

 指差して志波に教える。
 すると志波はゆっくりとその花の前まで歩いていった。

 後をついていけば、志波はいつもの無表情でエリンギウムを見下ろして。

「この花がどうかした?」
「真咲が、オレみたいな花だって言ってたから」
「……それで見に来たの?」

 こっくりと頷く志波。

 ……ネットで調べるとか、そういう発想はなかったんだろーか、志波。

「あーでも。元春にいちゃんの言ってることわかるかも」
「そうなのか?」
「うん。エリンギウムの花言葉って光を求める、だから」
「……なるほどな」

 中学時代のいざこざで野球に対して燻ってた頃を指してるなら、確かに志波みたいな花っていうのもわかる。

 でもいまさらな気もするんだけどなぁ……。
 志波は納得してるみたいだけど。

 あれ、でもエリンギウムの花言葉ってもうひとつあったっけ?

「……あー」

 ぽんと手を打つ。

「なんだ?」
「違う、志波。元春にいちゃんが言ってるのって、それじゃない」
「……は?」
「多分、もうひとつの花言葉のほう。こっちのほうが志波にしっくりくる」

 首を傾げる志波に、私は背伸びして耳打ちした。

 途端、志波の顔が耳まで真っ赤に染まる。

「っ……何考えてんだ、アイツはっ……」
「ぴったりじゃん」

 なにを今さら照れてんだか。

 志波は思いっきり不本意という顔をしてたけど。
 にやにやと見上げてる私に気づいて、むすっとした顔して私の頭をくしゃくしゃに撫でた。

「うわ! 髪からまる!」
「……もう行くぞ」
「えー、外寒い……」

 さっさとエリンギウムを視界から消したいのか、志波はさっさと出口方向に歩き出す。

 でもきっと外はまだ寒い。
 まだっていうか、多分今日は一日寒いんだろうけど。
 植物園だって入ったばっかでまだ温まってないっ。

 ……だからといって、志波が帰るんだったら一人でここにいてもつまんないし。

 仕方なく私は志波のあとをついていった。
 温室から一歩外に出れば。

「寒ッ!」

 春の冷たい風が森林公園内に吹いていた。
 こんなことならスプリングコートじゃなくて厚手のジャケット着てくればよかった。うう。

 自分を抱きしめるようにして二の腕をさする。

 すると。

 志波が、来ていたジャケットを脱いで私の肩にぱさりとかけてくれた。

 ……って。

「いいよ。志波が風邪ひく」
「平気だ」
「んなわけないじゃん」
「いいから」

 ジャケットを脱いで返そうとしても、志波は強引にジャケットの上から私の肩を押さえ込んで。

「いい」
「……やっぱエリンギウムだ」
「…………」

 揶揄するように言ってやれば、志波は開き直ったように私を見下ろした。
 そしてさっさと歩き出す。

「どこか入って、茶でもするか」
「ん」

 小走りで追いついて、私は志波の左腕をぎゅっと抱きしめた。
 少しでも、志波があったかくなるように。



 エリンギウムのもうひとつの花言葉……無言の愛

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