私は部活に所属してないし、バイトもしてない。
 だから夏休みは割りと手持ち無沙汰だ。
 そんなわけで、最近はふらふらと日がな一日散歩してることが多いんだけど。
 今日の午後は、ふらっとでかけた海岸でちょっとよさげなモノを見つけた。


 8.2006年8月6日


「へぇ」

 思わず立ち止まって、声を出すくらい。

 遊泳場から少し離れたところにある、ちょっとした小高い丘になったところに古びた灯台が建ってた。
 その隣にはこれまた雰囲気のある小さな小屋……というか、家?

 どっちにしても、絵になる風景だった。

 そういえば、学校の屋上から見える灯台って、こっちの方角だったんじゃなかったっけ。
 じゃあこれがそうなのかな。

 私はガードレールをまたいで、小走りに海岸線に下りていった。


 近くまで来て見上げてみれば、意外にもボロッちい。
 もう使われなくなって随分たつんだろうなー、と簡単に想像できそうな汚れ具合。
 中に入る扉には鍵がかかってて、押しても引いてもびくともしない。

「ちぇ」

 仕方なく灯台のふもとをぐるりとまわる。

 すると。

「あ!」

 断崖絶壁に面した側にまわりこんでみたら、絶景が広がってた。

 視界180度、エメラルドグリーンからマリンブルー、それからスカイブルーへのグラデーション。
 遊泳場から離れてるだけあって、ぎゃんぎゃんうるさい海水浴客もいない。

 私はおもわず携帯のカメラにその風景を収めた。
 すごいなぁ、こんな近くにこんなところがあったんだ。
 これは是非、夕焼けと夜と朝焼けも見てみたいところ。

 すっかり気分がよくなった私は、大きく潮風を吸い込んで、歌いだした。

 7歳の時ウィーンにいたころ知り合った人から教えてもらった、唯一知ってるデンマーク語の歌。
 歌詞の意味も、そもそもデンマーク語がわからないから覚えてるのは発音だけ。
 でもなんて言ったっけ。
 アンデルセンの童話が元とかなんとか、聞いたような。

 私は海にむかって声を張り上げて歌い上げた。
 森林公園で歌うのと、また違った爽快感がある。
 あー気持ちいい。いいとこ見つけちゃったなぁ。

 短い歌を歌い終わると、ぱちぱちと、どこからか拍手が聞こえてきた。

「誰?」

 左右を見ても誰もいない。
 私は灯台を回りこんで、隣の小屋のほうに出た。

 そこにいたのは、いい感じに日焼けした、黒ぶちメガネのロマンスグレイ。
 人のよさそうな笑顔を浮かべて、熱心に手を叩いてた。

「いやぁ素晴らしい。今の歌はお嬢さんが?」
「そうだけど。じーさま、誰?」
「これは失礼。私はそこで喫茶店を経営しているものです」
「喫茶店だったんだ」

 確かに、そのロマンスグレイのいでたちは白シャツにブルーのウエストコートと黒いギャルソンエプロン。
 これで喫茶店マスターでもウエイターでもないって言ったら、一体なんだってことになる。

「久しぶりにいい歌を聞かせていただきました。よろしければ、お礼にコーヒーなどいかがですか?」
「え、いいの?」
「どうぞどうぞ。お嬢さんの歌の対価としては安いくらいですが、それでもよければ」

 ロマンスグレイのマスターはにこにこ笑顔を浮かべながら私を手招きした。

 なんか森林公園でもそうだったけど、どんどんどんどん、じーさんばーさんの友達が増えてくなぁ……。
 日本の年寄りって、若者に飢えてんのかなぁ……。
 それにしてもこのマスター、話し方やその内容が欧米人みたいだ。
 これが営業トークってヤツなのかな?

 とりあえず、私はマスターに言われるがまま、灯台隣の小屋……喫茶店に足を踏み入れた。

「……えーと。これ、なんて読むの?」
「『さんごしょう』ですよ。少々難しい字ですから読めない方も多いんです」
「ふーん、珊瑚礁か……。ここって、お客さん入らないの? 誰もいないけど」
「ははは! お嬢さんはとても正直な方だ。普段はもっとにぎわっているんですがね、今日は夕方からの営業なんです。夏の間は浜の方に海の家を出店してまして、いつもの従業員もそちらに出向いてますのでね」
「じゃあまだ営業時間前なんだ。いいの?」
「もちろん。私がお誘いしたんですから」

 お店の中もアンティークな感じで落ち着いた雰囲気。
 妙に明るくてきゃぴきゃぴしたカフェなんかよりは、ずっとセンスがいい。

 マスターはカウンターに入り、私はその対面の席に座る。

「何かお好みはありますか?」
「コーヒーの銘柄ってよくわかんない。でも暑いからアイスコーヒーがいいな」
「かしこまりました。ではとっておきの水出しコーヒーをお出ししましょうか」

 そう言って、マスターはいろいろ器具がならんでる方に移動する。
 コーヒーミルにサイフォン、ネルドリッパー、ペーパードリッパー。
 一時期、生意気にもシンと親父がコーヒーに凝ってたことがあったから、器具の名前くらいならわかる。
 でも結局、豆の種類までは覚えられなかった。
 だって、カップにいれてお湯そそぐだけのインスタントコーヒーが一番ラクだったんだもん。

 やがてマスターは、ワイングラスのようなコップにコーヒーを入れて戻ってきた。
 フルートよりももう少し飲み口が広いグラスの6分目くらいまでコーヒーが入っている。

 マスターは私の目の前にそのグラスを置いて、ミルクをその上から静かに注いだ。

「……あ、混ざらない!」
「見た目にも楽しんでいただければと思いまして」
「すごい! 綺麗!」

 コーヒーの上にミルクの層が乗っかってる。
 おもわず私は手を叩いて喜んでしまった。

「すごいね、マスター。さすが! でも、なんか混ぜちゃうの勿体無い」
「目で楽しんだ後は、舌で楽しんでいただかなくては。お嬢さんが気に入ったのなら、いつでもお作りしますよ」
「ほんと? じゃあまた歌いに来た時寄っていい?」
「もちろんです。歓迎いたしますよ」

 その言葉に安心して、私はコーヒーをかき混ぜる。
 マーブル状に混ざり合った水出しコーヒーとミルクをストローで一口すすって、こくんと飲み込む。

「……苦い」
「おや、砂糖が必要でしたか。これはとんだ失礼を」
「うん……でもおいしいよ。こんなに香りと味が鮮烈なコーヒーって初めて。これ、インスタントに出来ないの?」

 棚から素早くシュガーポットと取り出したマスターは、私の言葉に目を点にして。
 次には豪快に笑っていた。

「はっはっは……いや……失礼、お嬢さん。この味をインスタントにされてしまっては、我々バリスタは商売上がったりですよ」
「あ、そっか」
「いやいや、そこまでうちのコーヒーを気に入って頂けるとは本望です。申し訳ないが、このコーヒーが飲みたくなったら、ご足労でもまた珊瑚礁においでください」
「うん」

 受け取ったシュガーポットから角砂糖を二つ取り出してグラスの中に落とす。

 と。

 カランコロンとベルの音がした。

「マスター、風が強くなったから今日はもう遊泳中止だって。店閉めてきた」
「すぐに珊瑚礁の開店準備に入りますね」
「ああご苦労さん。でも予定まではまだ時間があるから、二人とも少し休憩するといい。コーヒーを入れてあげよう」

 口調からするに、若い男と若い女。きっとここの従業員だろう。
 私は振り向きもせずにコーヒーをすする。
 従業員なんか見たってしょうがないもんね。

 でも、なんかどこかで聞いたような声。

「あれ……お客、さん?」
「ああ、私がナンパしたんだ。まだまだ私も現役かな」
「やだ、マスターったら」

 にこにこしながらマスターがリップサービスすると、女の従業員の方が笑い出した。

 あれ、この笑い方。
 私は椅子を回転させて振り向いた。

「あ、やっぱり。海野じゃん。……あれ、それに佐伯?」
「!!?? お、っ!?」
「あっ、さん!?」
「おや、なんだね二人とも。お嬢さんの知り合いかい?」

 振り向いた先には。

 頭にお揃いのバンダナを巻いた、海野と佐伯。

 って、なんだその格好!!
 海野も佐伯も、水着一枚の上にエプロンしてるだけ!
 ……あ、そっか海の家は浜にあるんだっけ。だったら特に問題ない……かなぁ。

 二人とも大きく口と目を開けて、私を見てた。

「へー、二人ともここでバイトしてたんだ」
「なんでお前がここにいるんだ!?」
「こら瑛。女性に向かってなんて言い草だ」

 なぜか顔を赤くして怒り出した佐伯に、マスターがしかめっつらで注意する。
 その叱り方は、まるで親子のような。

 あ、そっか。

「マスターって、佐伯の親父……じゃなくて、じーさんなんだ?」
「そうです。お嬢さんは」
「佐伯と海野と同じ学校の1年」
「おや、瑛のお友達でしたか」
「友達じゃないっ!」

 佐伯は力一杯否定した。
 うん、まぁ、私も友達になった覚えはない。

さん、どうして珊瑚礁に?」
「散歩の最中見つけただけなんだけど……」

 海野が私の隣に寄ってきて、尋ねてきた。
 私も海野や佐伯に聞きたいことがある。

 私たちはそれから、お互いの事情を説明しあうことになった。

 佐伯はもともと、この珊瑚礁の手伝いをするためにはね学に入ったとか。
 遅い時間まで働くことになるから学校には内緒にしてるとか。
 海野はその事情を知らないまま、たまたま求人サイトを検索したら偶然にもここに辿り着いたとか。

 私の方の説明は、特にするまでもない。
 散歩中に歌を歌ってたらマスターにナンパされた。
 さっきマスターが言った言葉がすべて。

「じいちゃん、年甲斐もないことすんなよ……」
「芸術とはすべからく愛でるものだよ、瑛。お嬢さんの歌は、本当に素晴らしかった」
「私もさんの歌、聞きたかったなぁ。また今度来て歌ってね!」
「来ないでいい! 歌わなくていい!!」
「瑛、いい加減にしなさい。あまりにも失礼じゃないか」
「いいよマスター。佐伯が嫌だって言ってるならもう来ないし」

 私はグラスの底に残ってたコーヒーをずずっとすすって、ぴょんとカウンターの小高い椅子から飛び降りた。

 馬の合わない人間ってのはどこにでもいるもんだ。
 私は佐伯のこと嫌いじゃないけど(むしろおもしろ人間だから好きな部類かも)、佐伯が私を嫌ってるなら仕方ない。
 万民に好かれるような性格じゃないってことは、もう重々承知してるんだから。

「お嬢さん、本当に申し訳ない……」
「んーん、いいのいいの。コーヒーごちそうさま、マスター。水出しコーヒーって初めて飲んだけど、おいしかったよ」
「えっ、水出しコーヒー……?」

 それまでマスターに叱られて海野に非難の眼差しを向けられてぶすっと不貞腐れていた佐伯が、ふと顔を上げた。

「うん、おいしかった。あんなの初めて飲んだから。ありがとね、マスター。それじゃ!」

 私は軽く手を振って珊瑚礁を出た。
 真昼の陽射しが弱まって、山のほうからは茜色が少しずつ広がってきてる。
 あー、もう少し長居できたら、夕焼けの海が見れたのにな。

 でも仕方ない。
 私はジーンズのポケットから@−podを取り出してイヤホンを耳に詰めて。

「お、おい。ちょっと待てよ」

 カランコロンと。
 珊瑚礁から出てきた佐伯に呼び止められた。

「なに?」

 振り向いて見れば、佐伯はあいかわらずむすっとした表情でこっちを見ていた。
 でも、ちょっとだけ頬が赤い。

「あ、あのさ。お前、水出しコーヒー飲んだのか?」
「うん。暑い、って言ったらマスターがそれくれた」
「……で、うまかった、と」
「うん。おいしかった」

 さっきも言った同じ感想を繰り返すと、佐伯はさらに赤くなってそっぽを向いた。
 おやぁ?

「……オレが昨日仕込んでおいたんだ、それ」
「佐伯が?」

 今度は私が驚く番だ。
 てっきり、マスターが作ったものだと思ってた。
 だって、コーヒー好きのシンだって、あんなにおいしいコーヒー入れたの見たこと無いし。

「すごい」
「……え?」
「佐伯、コーヒー入れるのうまいんだ? すごい才能じゃん」
「ま、まぁな」
「才能は、大事にしたほうがいいよ」
「……あ」

 私が人に向けて笑顔を浮かべるのは、元春にいちゃんをのぞけば本当に稀なこと。
 でも、今は素直に笑顔が浮かんだ。

 自分に与えられた才能が潰れた今となっては、才能を伸ばす努力をしてる佐伯はとてもうらやましくて、とてもカッコいいと思う。

「お前、腕……」
「ん?」
「いやっ、なんでもない! あ、あのさ、
「なに」

 佐伯はますます顔を赤くして、海の方を見ながらも。

「また、来いよ」
「は?」
「今度はもっとうまいコーヒー入れてやるから」
「……佐伯って、私のこと嫌いなんでしょ? 別にいいよそんな、マスターに言われたからって無理しなくても」
「……誰が嫌いだって言った」
「じゃあ好き?」
「す……なワケあるかっ!!」

 ああ、やっぱり佐伯はおもしろい。
 普段すましてる分、からかったときの反応がたまんない! 今、ノリツッコミし損ねてんの!

「いいからっ、またいつでも来い! わかったな!」

 びしっと私を指して言い捨てた佐伯。
 くるっと踵を返して大股で珊瑚礁の中に戻っていった。

 ああ、いいところ見つけちゃったなぁ。
 夏休み中、暇なときはここに来ることにしよーっと。



 そして、私はそのまま浜辺を歩きながら帰路についた。
 舗装された道のほうは、浴衣姿の人間がみんな臨海公園のほうに歩いて行ってる。
 そういえば、今日は花火大会だっけ。
 行くつもりはぜんぜんないけど、混んでる道を反対方向に突き進むのはめんどくさいから、浜をそのまま歩く。

 すると。

「あっれー……」

 意外な二人組発見。

 遊泳場から少し離れた、海の家の端。
 あれ、若先生と水樹だ。

「おーい、若センセー、水樹ー」

 声をかけて駆け寄る。
 やっぱり、若先生と水樹。ふたりとも浜辺にしゃがみこんで意気消沈してる様子。
 どうしたんだろ。

「あれ、さん?」
「なにしてんの? こんなとこで。あ、デート中?」
「ブ、ブーです。今日は課外授業の日です。いままで、みんなこの浜辺で授業してました」

 若先生と水樹が立ち上がる。
 課外授業の後、というわりにその手に握られてるのは線香花火。

「課外授業……あー、二日前に断ったやつだ」
「そうです。さんにはソッコー断られた課外授業です。先生、がっくりしました」
「なんで夏休み中まで授業受けなきゃなんないの。あの灼熱補習授業だけで十分だよ……」
「あ、あれは先生も二度とゴメンです……」

 そういえば、あの時若先生は脳天にドライアイス直撃させてたんだっけか。

「で? 他のみんなは?」
「花火大会に行っちゃった。私はこれからバイトだから行けなくて」
「それで、せめて線香花火でもと思ったんですけど……」
「ですけど?」

 若先生は水樹をちらりと見て、大きく肩を落とした。
 対する水樹は呆れた表情で。

「先生、花火に誘ってくれたのは嬉しかったんだけど、肝心の火を持ってなかったんだよ!」
「だめだめじゃん、若先生!」
「うう、二人してそんなに先生をいじめないでください……」

 あ、若先生いじけた。
 浜辺にしゃがみこんで、砂の上にのの字を書いてる。
 えーい、うっとうしい。

「しょうがないなぁ。マッチでよかったらあげるよ。ほら」
「えっ」

 私はポケットからちぎりとるタイプのマッチを取り出した。
 そのマッチをぽかーんと見つめる水樹。
 若先生も立ち上がって、マッチと私を交互に見た。

さん、どうしてマッチなんて持ってるんですか?」
「さっき行った喫茶店で貰った」
「や、そうでしたか。もちろん、先生はさんがタバコ吸ったりなんて疑ってませんよ?」
「あんな喉に悪いもの、誰が吸うかって」

 なぜか妙に偉そうに言い訳する若先生はほっといて。

「水樹、花火するならこれで」
「うん! ありがとうさん! 先生、早くやりましょう! あ、さんも一緒にやろう!」

 ぱああと顔をほころばせて、水樹は興奮気味に私に線香花火を押し付け、マッチを若先生に押し付けた。
 なんだろ。水樹って、そんなに線香花火が好きなんだろうか。
 私は断ることも出来ずに線香花火を受け取ってしまった。

さん」
「ん?」

 水樹も若先生もしゃがみこんだから、一緒に真似してしゃがみこむと。
 若先生が嬉しそうにこっちを見て笑った。

「ありがとう。さんのお陰で、水樹さんに青春してもらうことが出来ます」
「は、青春?」
「エヘン。それではひと夏の青春、線香花火大会、開催だぜ!」
「おーっ!」
「……おー?」

 妙な盛り上がりをみせる若先生と水樹のテンションにはついていけないものの、私も二人にならって、一応拳をつきあげた。

 だからといって。
 大会、などと銘打っても所詮は線香花火。地味ーなもんだ。

 それでも水樹と若先生は、どちらが長く花火を燃やしていられるかとか、どちらが火の玉を大きく出来るかとか、それなりに楽しんでるみたいだった。
 私も線香花火なんて久しぶり。
 昔、かっちゃんと元春にいちゃんとシンと、4人で。
 内緒で花火をやりに行って、しこたま怒られたことがあったっけ。
 それ以来だなぁ……。

 今度は黙り込んで線香花火の火花を見つめだした若先生と水樹。

 ……ま、いっか。

 私も、そのまま線香花火大会を最後まで楽しむことにした。

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