「おい若王子っ! なんでクーラーついてねぇんだよっ!」
「先生だって暑いんです……実は、補習日が確定したあとに学校の電気系統の修理日が決まりまして」
「だったら補習日ずらしてくれてもええやんか〜」


 7.夏休み特別補習


 実験台に突っ伏して伸びてるクリスの言葉に、私も志波も大きく頷いた。

 夏休み初日の日曜日。化学の特別補習日。
 嫌味なくらいに雲ひとつ無いピーカン晴れ。
 天気予報、最高気温37度予想。

「どうりでシンが部活に行かずにごろごろしてると思ったんだ……」

 学校の電気系統が全部ダウンしてるから、部活も強制的に休みになったんだ。
 体育系は外練なんだから、学校の停電なんか関係ないじゃんっ。

 校舎1階の化学室の窓を全部開け放ってるものの、今日は凪の日なのか海風も吹き込んでこない。
 乾電池で動いてる手のひらサイズの若先生専用扇風機が教卓で申し訳なく動いてるけど、きっぱりはっきり無意味。
 不幸中の幸いというのかわかんないけど、休み中だからみんな暑苦しい制服じゃなくて薄手の私服を着てることだけが救いだ。

 でも暑いもんは暑い!

「こんな暑さで補習なんか受けてられっか! 日を改めよーぜ、若王子!」
「やや、それは無理です。夏休み中の教室使用にはあらかじめ許可がいるんです。事務室の人は生徒と同じく夏休みに入ってしまいましたから、日取りの変更はできません」
「でもよ、このままじゃクリス死ぬぞ……」
「ですねぇ……」

 なんとか補習をやめさせようとあがくのしん。
 手のひら扇風機を顔の前まで持ち上げて涼みながら、のしんの提案を却下する若先生。
 クリスはその二人の間の実験台の上に両手を伸ばして突っ伏したまま動かなくなってるし。

 その3人を、私と志波は実験台と実験台の間の床に直座りして見上げていた。

 日陰になって涼しいんだよ、これ。
 床のタイルも冷たいし。

「おい」
「ん?」

 タイルの上にあぐらをかいて欠伸をしてたら、隣で同じようなことしてる志波が話しかけてきた。

「お前、暑くないのか」
「暑いに決まってんじゃん」
「……だったら、なんでそんな服着てきてんだ……」

 呆れた視線で私を見下ろす志波。
 私も自分自身を見下ろした。

 裾をロールアップさせたジーンズに、衿ぐりのあいた長袖のプルオーバー。
 ……暑いんだ、これが。できるだけ薄いものを選んできたんだけど、それでも暑い。

「脱げないのか、それ」
「エロ志波」
「なっ!!」

 あ、意外にもいい反応。
 うわ、志波が赤くなってる! おもしろい!

「あはは、冗談冗談。そんな睨まなくても」
「お前な……」
「これ1枚しか着てないから無理。それに半袖やノースリーブも無理。左腕の怪我と手術の跡、結構グロイから」
「……そうか」

 シンが余計なことをぺらぺらしゃべったらしくて、若先生以外にも私の左腕と左手のことを知られた。
 とりあえずシンには万の字固めかましておいた。
 そのあとは、まぁいいかとほっといたんだけど、志波やのしんなんかはことあるごとに心配してきたりする。

 心配されて動くものでもないんだから、ほっといてくれりゃいいのにと思うんだけど。

「そういえば、体育着の下にもアンダーウェア重ねてたな、お前」
「よく見てるねぇ」

 呆れ半分、私は感心したように志波を見上げた。

 と。

「仕方ないです。今日は教科書どおりの補習はやめて、ちょっとした実験をしましょう」

 ぽんぽんと手を叩いて、若先生が「はい注目ー」と呼んだ。
 とりあえず立ち上がって教卓の周りを囲む私たち。

 若先生は、教卓の下からプラスチックの網カゴを取り出した。
 ビーカーや試験管を洗ったあとに伏せて水切りする、あのカゴ。
 その中には。

「ジュース?」
「これなんだ? ドライアイスか?」
「こっちは……エタノール?」
「割り箸と軍手……。なんや、キャンプするみたいやね?」
「暑い日には冷たくなる実験をしましょう」

 カゴの中身を手にとってしげしげ眺めてた私たちに、先生は腰に手をあてえっへんと胸をそらした。

「題して、七色キャンディであの子のハートをゲットだぜ! 実験です」
「……それ、前に似たようなタイトルの実験やらなかったか?」

 化学をほとんどサボってた私には聞き覚えの無いタイトルだけど。
 とりあえず、ネーミングセンスは最悪、と。

「志波くん、未使用の試験管を出しますから手伝ってもらえますか?」
「はい」

 若先生はにこにこしながら志波を連れて化学準備室へ。

「……実験に使わないで、今ここですぐに飲みてぇ」
「ハリークンに1票ー」
「のしんに1票ー」
「ハリーだっつってんだろ……」

 のしんも暑さにやられてるみたいで、いつもの訂正台詞にも覇気がない。

 そうこうしているうちに、若先生と志波は両手に一抱えほどの試験管を持って戻ってきた。

「先生がいない間にジュースを飲んだりしてませんね?」
「してないですー」
「では実験開始といきましょう。みなさん、軍手をはめてください」

 何の前フリもなく、青いシャツの袖をまくって軍手をはめだす若先生。
 私たちもそれにならっていそいそと軍手をはめて。

 誰も何も言ってないのに、全員が手術前の医者のように両手の甲を見せて手を持ち上げた状態になる。
 一瞬の沈黙のあと、一斉に吹き出した。

「なんだよ! 全員考えること一緒かよ!」
「やや、なんとなく思考が一致しましたね?」
「笑いの基本は抑えていかんとな? なー、ちゃんっ♪」
「志波までやるとは思わなかったけどね」
「……なんとなく」

 なんか、今ので暑さでだるだるしてた気分も吹き飛んだ感じ。
 のしんもクリスも志波も、目に生気を取り戻して若先生の指示を待った。

 若先生も若先生で、その気になったみたいだ。

「エヘン! ではウェザーフィールドくん、まずはドライアイスを砕きたまえ」
「はいっ、セーンセっ」
「いまの、たまえ、ってところが先生っぽくなかったですか?」
「ぽく、って……お前もともと先生だろ、若王子……」

 のしんの突っ込みもなんのその。
 若先生はクリスに手を貸しながらドライアイスの包みを破いた。

「針谷くんは人数分のビーカーに、エタノールを入れてください。均等にいれれば、ちょうどいい量が入るはずですから」
「任せろ! エタノールは……これだな」
さんと志波くんは、試験管を軽く水でゆすいでください。10本くらいでいいです」
「はいはーい」

 のしんがビーカーの目盛りの目線までしゃがみこんでエタノールを注ぎ、私と志波は実験台脇の水場で試験管をちゃぷちゃぷとゆすぐ。

「おい、気をつけろよ」
「ん」

 両手に試験管を持って、軽く振りながらゆすいでいく。
 ゆすいだあとは逆さまにして、軽く振って水気を切って……

「あ!」

 軽いから大丈夫、と思ってたのに。
 左手で水気を切ってたら、試験管がすっぽ抜けた。

 ぱきゃんっ

 小さな音がして、ホーローの流しの中で試験管が割れちゃった。

「ごめん、若先生。1本割っちゃった……」
「大丈夫ですか? 怪我はしてない?」
「うん、大丈夫」

 ひょこっと首を伸ばしてこっちを見る若先生。よかったお咎めなしだ。

 ほっとした私は割れた試験管を片付けようと流しに手を伸ばして。

「おい!? 素手で触るな!」
「うわっ!?」

 いきなり志波が大声出すもんだから、驚いて手が震えた。
 その瞬間、ぴっとガラス片で私の右手薬指の先が切れる。

「っつ!」
「ほらみろっ……割れたガラスに素手で触るヤツがあるか」
「い……今のは志波のせいじゃんっ! いきなり大声だすから!」

 ぷくり、と血がにじんできた指先をくわえながら抗議すると、志波はさらに何か言おうとしてた口を閉じ、苦虫噛み潰したような表情でこっちを見て。

「……悪ィ」

 ふっと俯いて、言葉短く謝った。

 ……こういうとき、シンだったらさらにつっかかってくるのに。
 志波は、いつでも私が抗議するとすぐに謝ってくるからそれ以上文句が言えなくなる。
 なんか、私が悪者みたいじゃん。

 私もぷいっと顔を背けた。

「やや、喧嘩は駄目ですよ? 実験はチームワークです」
「そうやで? ちゃんも志波くんも、仲良しこよりやないとあかんよ〜?」
「クリス、こよりじゃなくて、こよしだ」
「んなところ突っ込んでる場合かよ。若王子、絆創膏あるか?」
「化学準備室の、先生のデスクの一番上の引き出しに入ってます」
「よし、手当てしてやる。来いよ

 エタノールを注ぎ終わったのしんが立ち上がって、私の右腕を掴んだ。
 そのまま化学準備室まで引っ張っていかれて、のしんは若先生のデスクを漁り始めた。

「なんだこの引き出しの中身! きちんと整理整頓しとけっつんだ! ……お、あったぞ。手ぇ出してみろ」
「ん」

 若先生の引き出しの汚さにひとしきり文句を言ったあと、絆創膏を見つけたのしん。
 言われたとおり私は怪我した右手を差し出して、のしんは薬指にぺたんと絆創膏を貼った。

 えーと、こういうときは。

「ありがと、のしん」
「お、おう。目一杯感謝しろよ!?」

 のしんはちょっと顔を赤くして、乱暴に若先生のデスクの引き出しをとじた。
 がしゃこん、って。今の振動で引き出しの中身、またぐちゃぐちゃに混ざっただろうなぁ……。

 なんだか妙に上機嫌ののしんと私が化学室に戻ると、クリスと若先生がエタノールの入ったビーカーに砕いたドライアイスを入れているところだった。
 途端にあふれでる白いスモーク。

「あ、おもしろい」
「ステージみてぇだな!」
「そうでしょう。あ、針谷くんとさんはどのジュースが好きですか? 2つ選んでください」

 若先生に手招きされて、試験管を2本渡される。
 教卓の上には数種類のジュース。

「私オレンジとグレープ!」
「おれはりんごとパインだな!」
「はいはいっ。じゃあ注ぎますよー」
「……って、試験管に!?」

 きょとんとする私とのしんを意に介さず、先生は私たちの手にした試験管にジュースを注ぎいれた。
 見れば、志波とクリスも両手にジュースの入った試験管を持ってる。

「試験管で乾杯すんの? それにこれ、もう温くなってるよ」
さん、ブ、ブーです。試験管は試験管立てに一度置いて、みなさん割り箸を一膳ずつもって割ってください」
「??」

 にこにこしてる若先生に言われるがままに割り箸を割るみんな。

 でも、この作業ってちょっと私には難しい。
 両手で割り箸をサイドに引くだけだけど、高級割り箸でもなんでもないこの割り箸だと、力の入らないこの左手じゃ難しいんだよね。

 いつものように、口にくわえて割ろうかな。
 でもそうすると、歯に衝撃がきてこれも痛いんだよね。うー。

 と思ってたら志波が、自分の割った割り箸を私に差し出した。

「そっちよこせ」
「む、自分で割るもん」
「いいからよこせ」
「あ」

 ひょいっと取り上げられて、ぱき、と割られてしまった。

「うー……」
「ほら」

 もう一度志波が2本に割れた割り箸を差し出してくる。

 さっき、のしんには素直にお礼を言ったけど。
 志波にお礼を言うのは、なんかヤダ。
 お礼を言うと、なんか、負けるような気がする。

 シンや元春にいちゃんにも昔指摘されたことのある、私の悪いクセ。
 こんな感覚になるの、久しぶりだ。

 でも仕方ないから、私は無言で志波の手から割り箸をひったくるように取った。
 志波は気分を害する風でもなく、無表情に私を見下ろしてたけど。

「クッ」
「っ! 笑ったなぁ!」
「コラ、志波くん、さん。喧嘩はだめですって言いましたよ?」

 若先生に怒られて、私はフラストレーションを溜めたまま口をとがらして志波に背を向けた。
 ふんだ、性格悪いのは志波だってそうだもん。

「じゃあ続きですよー。試験管の中央に割り箸をさして、その試験管の口のあたりを持って、ビーカーの中に入れてください。ゆっくり、丁寧にね」
「はーい」

 あいかわらずスモークを吐き出してるビーカーの中に、ジュース入りの試験管を入れる。
 すると、すぐに試験管のふちからジュースが凍り始めた。

「……あ! アイスキャンディだ!」
「ピンポンピンポン、大正解です。今日は暑いから、午後はアイスを食べながら残りの補習をしましょう」
「うげぇ、結局最後まで補習すんのかよ……」
「若ちゃんセンセ、ボク、午後もこういう実験がええなぁ」
「やや、じゃあお昼休みのうちに何か考えます」
「出来れば食いモンで」

 徐々に凍っていくジュースを囲みながら井戸端会議状態。

 まぁ、こんな補習なら夏休みわざわざ出てきたかいがあった、かな。

「でも若先生、これってどのへんが化学なわけ?」
「やや、状態変化の観察は、立派な化学の勉強ですよ?」
「化学っていうよりは小学生理科……」
「あ、そういうこといいますか。じゃあ午後はデオキシリボ核酸に関する記述説明に変更します」
……」
ちゃ〜ん……」
「だぁぁっ! 余計なこと言ってんじゃねーよっ!」
「ううううるさーいっ! 若先生も、この程度でへそ曲げるなーっ!!」



 結局、化学の特別補習が終わったのは午後2時をまわった頃。
 平日の授業時間までやるのかなと思ってたんだけど、まずクリスがへばっちゃったんだよね。
 コイツはヤバイ、とにかく冷やせと、のしんがドライアイス入りエタノールのビーカーに素手で触って凍傷騒ぎ。
 た、大変ですー、とか言って若先生がとびだして、そのはずみで教卓端に置いてあった網カゴをどんがらがっしゃんとひっくりかえして、ついでにドライアイスの塊が脳天直撃。

 3人はそのまま肩抱き合うように病院直行。
 めんどうな片づけを志波と私が任されて、そのあとさっさと帰路についた、ってわけ。

 真夏の午後の直射日光はキツイけど、帰るだけだから足取りは軽い。

 ……のに。

「いつまでついてくんの?」
「……帰る方向が同じだけだ」
「ふーん」

 私の数歩後ろを、志波が歩いてる。
 志波の方を見ながら、私は後ろ向きに歩いた。
 でかい図体に色黒の肌。年中無休で夏みたいなヤツ。

「前見ろ。こけるぞ」
「ねぇ、志波ってやっぱり他の人より暑いの?」
「……は?」
「他の人より背ぇ高いってことはさ、太陽に近いってことじゃん。やっぱ暑い?」
「んなわけあるか」

 学校を出たところからふと疑問に思ってたことを問いかけたら、志波はげんなりとした表情で言葉短く否定した。
 なんだ、つまんない。

 私は進行方向に向き直り。
 またすぐに志波を振り返った。

「ねぇ、背ぇ高いといいことある?」
「……」

 あいかわらず無愛想なヤツ。
 人の質問に眉をひそめて、面倒くさそうにこっちを見てる。

「ない」
「なんで?」
「……普通ここで『なんで』っていう言葉が出るか……?」
「いま出た」
「……………」
「元春にいちゃんは背が高いとそれだけで女の子からの高感度高いぞーって言ってた。……あ、志波ってどこで元春にいちゃんと知り合ったの?」
「……オレはどの質問から答えればいいんだ?」
「全部」
「あのな」

 志波は心底呆れた様子で、大きくため息をついた。
 日本よりも海外で暮らした時間が長い私にとって、日本人ってのは結構ギモンなところが多いから、時々私は質問魔になることがあるんだけど。
 志波って、無口な割にはちゃんと質問に答えてくれるから。
 こうして前フリもなく浮かんだ質問は、相手が志波に限っては遠慮なくぶつけている。

 ……それにしても。

 私も人のこと言えないけど、ほんっとーに愛想の無いヤツ。
 そういえば志波とは森林公園で割と話すけど、学校で志波が誰かと話してるの、見たこと無いな。
 っていうか、そもそも学校で志波をあまり見かけないというか。

「志波って授業ちゃんと出てる?」
「また質問か」
「出てるの?」
「……半分は」
「ふーん? でも、屋上ではあんまり見ないよね」
「お前は屋上サボり派か? あそこ、先生が見回りにくるだろ」
「屋上のドアの音がしたら、給水塔に上って陰に隠れてるもん」
「……女の所業か、それは」
「いいじゃん別に! 私だって男に生まれたかったよ!」

 むっとして怒鳴ると、志波は面食らったように目を見開いた。

 おのれ志波。私に対して禁句を言ったな。

「女のくせにって、いちいちうるさいよ! 男はなんでも許されるのに、女ってだけで行動制限されるの、なんで!?」

 元春にいちゃんもよく言う。
 は女の子なんだから、もう少し言動気をつけろって。
 シンも、親父も、この間はのしんにも言われた。

「いいじゃん別に! どうせもう、一番やりたいことは出来ないんだから、他の事は好きにさせてくれたって!」

 もうバイオリンは二度と弾けないのに。

 それでも男だったら、シンと一緒に野球することだってできた。
 はね学で野球部に入って、かっちゃんを探して。
 かっちゃんと、野球することだってできたのに。

 感情を吐き出して、志波を睨みつける。
 志波はしばらく驚いた様子で(といってもあんまり表情は変わんないから、よくわかんない)私を見てたけど。

「悪かった」

 と、これまたあっさりと謝ってきた。

 ああもう。まただ。
 こんな風に謝られると、自分が一方的に悪いことしたような気分になる。
 それで、いっつもそこで喧嘩はおしまいになるんだ。

 ……いっつも?

「あ!」

 私は思わず声を出してしまった。
 ぎょっとする志波に詰めかけ、真下からその顔を見上げる。

「な、なんだ」
「志波のそういうとこ、かっちゃんに似てるんだ!」
「っ」
「かっちゃんが悪くなくても、私が癇癪起こしたら、いっつもかっちゃんから謝ってきて、それでそれ以上何も言えなくて喧嘩が終わっちゃうんだった。だからだ、なんか志波に謝りたくなくなるのって」
「あのな。ワビくらいちゃんと入れろ」
「だってかっちゃんはそれで許してくれたもん」
「ガキの頃の話だろ。今は許さねぇよ……」

 志波はうんざりした口調で言い捨てて空を仰いだ。

 いやでも、ちょっと待って。

「今は許さないって、なんで志波が言うの?」
「っ、いや、それは……」
「あ! もしかして志波って……!」
「ちっ!」

 やっぱり、そうなんだ!
 私の予想が結論に突き当たる。
 志波は苦々しい顔をしてそっぽを向く。

「志波って、かっちゃんの友達なんだ!?」

「…………は?」

 びしっと指を突きつけると、志波はその図体に似合わない、なんとも間の抜けた声を出した。

「とぼけない! そうなんでしょ!? あ、だから元春にいちゃんとも知り合いなんだ。かっちゃんはもともと、元春にいちゃんの幼馴染だったんだもんね。志波、かっちゃんと元春にいちゃんの幼馴染なんでしょ!」
「……そういうことにしとけ……」

 全身脱力しきったかのように肩を落とし、疲れきった表情を見せる志波。

「じゃあ志波もかっちゃんから口止めされてたの? 会いたくないから、余計なこと言うな、とか……」
「……まぁな」
「そっか……やっぱり、会いたくないのか」

 かっちゃんに一気に近づいたかと思ったけど。
 会いたくないんだ。
 なんでなんだろう。なにがあったんだろう?

「かっちゃんに何かあったの?」
「……」
「それとも、ウザがられてる? 子供の頃の友情なんか持ち出すな、とか」
「いや、それは……ないと思う」
「ほんとに!?」
「……さぁ」

 だめだ。志波はきっと口が堅い。
 このまま問答したって、一言二言で交わされるんだろうな。ちぇ。

 あーあ、せっかくかっちゃんに辿り着けるかと思ったのに!
 私は道端の小石を力いっぱい蹴飛ばした。

「なんでそんなにアイツに会いたがる?」
「なんでって」

 後から志波に問いかけられる。

 意気消沈と共に、急にうだるような暑さを思い出して、振り向くのも億劫で前を向いたまま口を開く。

「理由なんかわからないよ。でも会いたい」
「……お前の想像と違っても、か」
「え?」

 なんだか苦しそうな志波の声音に思わず振り向く。
 そこには想像通りの、眉間に皺を寄せた難しい顔をした志波。
 私の目が志波の目を捉えたとき、微かに志波の目がおぼつかなく揺れたような気がした。

「アイツは変わったんだ。お前が知ってる、昔のアイツじゃない」
「やっぱり、なにかあったの?」
「だから探すな。綺麗な思い出が崩れるぞ」
「そんなに?」

 志波の顔が苦しそうな表情から、悲しそうな表情に変わった。
 あの無愛想で無表情な志波が、ここまで言うなんて。

「でも」

 私が反論すると、志波は不機嫌そうに肩眉を吊り上げた。

「私だって変わったよ。嫌なことたくさんあって、多分かっちゃんが知ってる私とは別人になってると思う。だから、志波さぁ」

 人に頼みごとをするのは苦手だ。
 自分の弱みを見せるみたいで癪だから。
 でも、今かっちゃんと繋がってるのは志波と元春にいちゃんだけだから、恥をしのんでも頼みたい。

「お互い、別人としてでいいよ。初めましてでいいからさ。かっちゃんに頼んでよ。1度でいいから会って、って」
「……会ってどうする気だ?」
「えーと、久しぶりー、って」
「初対面の人間に久しぶりとは言わない」
「いちいち突っ込むなっ! ね、志波、お願いだから!」

 両手を合わせて拝み倒す。
 その頃には私の自宅近くのうらびれた商店街まで来てたものだから、近所の買い物客もちらほら。

 志波もいたたまれなくなったのか、ちっ、と舌打ちして。

「……期待は、するな」
「やった! ありがとう!」

 両手をあげて感謝すると、志波は顔を赤くしてそっぽを向いていた。

 でも、やったんだ。
 なんとか、かっちゃんと繋がりが出来た!

 私は喜びのあまりくるくると回転しながら、側の肉屋に飛び込んだ。

「おっちゃん、牛コロふたつっ!」
「おう嬢ちゃん、ご機嫌じゃねーか。あっちの渋いの、カレシかぁ?」
「全然違うけど、今は何言われても許す! はい、これお代ね!」

 カウンターにちゃりんとお金を置いて、肉屋の大将から牛コロを受け取って。
 踊りながら肉屋に飛び込み戻ってきた私を、呆れ半分驚き半分で見てる志波に、1個差し出した。

「お礼! おいしいよ!」
「……どれだけゲンキンなんだ、お前」

 志波は私の手から牛コロを受け取った瞬間、クッと噴出した。

「……お前は変わってねぇよ。なんにもな……」
「ん? らに?」
「なんでもない。飲み込んでから言え。……コロッケ、サンキュ」
「うん。志波っ、かっちゃんによろしくね!」
「……ああ。わかった」

 肉屋の目の前は私の家。
 志波はコロッケにかぶりつきながら、自分の家へと帰って行った。

 私は足取り軽く家に入り、ひんやりとした涼気に包まれてる居間に飛び込んで、とりあえずソファにごろ寝してるシンを蹴飛ばした。

「ってぇ! な、なんだ! いきなり蹴るな……って、なんだよお前。にやにやして気持ち悪いな」
「んーふーふー。シンには教えてやんないっ!」
「だったら最初から人にちょっかいだすなってんだ……」

 ぶつぶつ文句を言うシンを無視して、私は冷蔵庫から冷やしておいたジャスミンティのペットボトルを取り出して2階へ上がる。

 クーラー無しの灼熱地獄から始まった補習だったけど、今日学校行ったお陰でかっちゃんと繋がりが持てたんだもんね。
 若先生、大感謝!

 2学期は、化学の授業にちゃんと出ます!
 ……半分くらいは!

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