地面に叩きつけられた衝撃はたいしたことない。
そんな高いところから落ちたわけじゃなかったから。打ち付けた背中が少し痛むだけ。
でも私は今どうなってるんだろう?
「さん!!」
わかったのは大きく歪んだ若先生の顔と、いつのまにか空が赤く染まっていたことだった。
68.再会
「さん! さん!」
「……若先生」
「しっかり! すぐに志波くんが来るから!」
「うん」
若先生が私を抱き起こす。
不思議だ。
死の直前ってこんなもんなのかな。
痛みなんてほとんどない。頭は冴えてるし、落ち着いてるし。
「僕が……僕のせいだ……! 君を巻き込んで、こんな……!」
「若先生のせいじゃないよ」
「僕がさっさとアイツらの言うことを聞いていれば、こんなことにならなかった!」
「アイツらが若先生にしつこく絡んだからだってば。若先生は悪くない」
今にも泣きそうな若先生の顔。
若先生にこんな顔させて、水樹に怒られるかな。
そこに、砂を踏みしめて駆けつける足音が聞こえてきた。
ああ、志波に会える。
「!!」
志波の声だ。
自然と口元が緩むのを感じる。
私の体は、若先生の腕から、駆けつけた志波の腕の中へ。
「冗談だろっ……なんでお前が撃たれるんだ!」
「志波」
きつくきつく私を抱きしめる志波。
私を黒服たちの手から助け出してくれたときと同じ、震えた声と体。
「! 死んだらアカン!」
「しっかりしろよ! 撃たれたくらいで死ぬんじゃねーぞ!」
涙でぐしゃぐしゃの顔してはるひも私の顔を覗きこんできた。
のしんも、佐伯も、元春にいちゃんも。
みんなが私のまわりに集まってきた。
「……みんな」
3年前には考えられなかった。
私のまわりに、こんなに人が集まってくれるなんて。
なんだかとても幸せで。
全員がひどく苦しそうな顔をしているのに、私はひとり微笑んでいた。
だけど、だんだんと心がざわついてくる。
「っ……」
「志波、私、いやだ」
生きがいを奪われて、お母さんを失って、世界に馴染めなくて、一人でいた頃から抜け出して。
友達を得て、この世界に溶け込むことにみんなが協力してくれて、音楽も志波も、生きがいをまた手に入れて。
こんなにも楽しくて幸せな世界を知って。
「や、だ。死にたくないっ……」
「、そうだ。いくな!」
「志波っ……」
左手を持ち上げれば、志波が力強く握り締めてくれた。
この手。温もり。
失いたくない!
「……ミス」
死神にどこか遠くにつれていかれるのを恐れて、志波に力いっぱいしがみついていたら、黒服の声が聞こえた。
と同時に、砂を踏みしめる音。
「てめぇっ! よくも、よくもを撃ちやがったなっ!!」
「絶対絶対許しません! 私たちの大事な友達を、よくもっ!」
激昂したのしんと小野田の声。
今にも殴りかかっていきそうな様子で向かい合ってる黒服と私たち。
が。
「ミス。……私は今だかつて銀球鉄砲で死んだ人間を見たことがありませんが」
「は?」
空気が一瞬乾いた。
私は志波の腕からぴょこんっと飛び起きる。
両手を握ったり開いたり、肩をぐるぐる回して確かめる。
……痛くない。
ということは、さっき背中に感じた衝撃は銀球鉄砲の、その名の通り銀球?
「「「「…………」」」」
背中に刺さる視線が痛い。
っていうか。
一瞬でもびびった自分が腹立たしいッ!!
……私は無言で黒服の前に歩み寄った。
「しかし、あなたに危害を加えるつもりはありませんでした。申し訳ない」
変わらず無表情で律儀に謝罪してくる黒服だけど。
誰が許すかっ!
「元はといえばアンタたちがしつこいから悪いッ!! くたばれ黒服ーッ!!!」
「っ!?」
「うおっ、のヤツ、いつの間にあんな大技覚えたんだ!?」
「すげーっ!! オレ、生で初めて見たぜ、ドラゴンスープレックス!!」
「……ってさんっ! それ以上はだめですっ! さんが犯罪者になってしまいますっ!!」
かくしてこの大逃走劇は、キレた私の完膚なきまでの鉄槌によって幕が降ろされたのだった。
「……つまり、僕にそのパスワードを聞きに来ただけだっていうのか?」
「そうです。ドクターが残した研究を紐解くパスワードを伺おうとしただけです。……それなのにドクターは話も聞かずに逃げてしまうし……」
顔中青アザだらけになった黒服たちがグラウンドの上に直に正座して、若先生が話を聞いている。
なんだか、話聞いてると若先生にも八つ当たりしたくなってくる内容だ。
「必要なファイルの情報は明日お渡しします。ドクターにはそのファイルを開くのに必要なパスワードを思い出してもらえれば」
「ふーん」
やる気のなさそうな若先生と黒服の話し合いは続く。
その間、私たちは万が一のこともあるということで傍らで待機していたんだけど。
「バッカバッカしー! なんだったんだよ、オレたちの努力は……」
「あーもう! せっかくの卒業記念遊園地がパーになってもーたやん!」
「そやそや〜。楽しみにしとったんになー?」
憤慨したりがっかりしたりと、でも全員が力なくうなだれていた。
うん、私もそう思う。
「」
あの藤堂さえも疲れきった顔してしゃがみこんでるのを見ていたら、志波に呼ばれた。
振り向けば、志波だけはいつもの何考えてるかわからない仏頂面で私を見下ろしていて。
「なに」
「撃たれたのは別にして、落ちたのは確かだろ。大丈夫なのか」
「平気だよ。落ちたのも2階くらいの高さからだし」
「腕は平気か?」
「うん」
左手を開いて振ってみせる。
志波はそれを確認してから、そうかと息を吐いた。
「それならいい」
「うん」
「……今日だけで寿命が10年は縮んだ」
「ごめんってば」
素直に謝れば、志波は小さく笑って私の頬を指の背で撫でた。
……まぁ、これはこれで強烈な卒業の思い出にはなったかも。
などとひとりで納得していたら。
「あーっ! やっぱり我慢できへん! な、みんなこれから遊園地行こ!?」
「えっ、これから??」
いきなりはるひが立ち上がって叫んだ。両手をぎゅっと握り締めて天を仰いだかと思えば、ぐるりとみんなを見回して。
海野と水樹が目を丸くしてる。
「だって! 卒業なんやで!? 密っちやクリスやや、もう会えなくなってまう子もおるんやで!? 最後は楽しい思い出でシメたいやん!」
「でももう閉園まで時間ないだろ?」
「甘いでサエキック。今は卒業旅行シーズンで、夜間営業期間中や」
「そっか……それなら、行ってみようか?」
はるひの力説に、みんなが顔を見合わせる。
「そう、だよね。行きたいよね、遊園地」
「はい! 行きたいです!」
「しかし、未成年者だけであまり夜遅くまで出歩くと言うのは……」
「氷上くん、心配いりません。勿論先生も一緒に行きますから」
「ドクター! まだ話の途中です!」
てなかんじで、話はあっという間に卒業記念・夜間遊園地ツアー決行にまとまって。
若先生にいたっては、もう黒服の話す言葉なんて右から左、って感じだ。
私も散々走り回って疲れてたけど、やっぱりみんなと遊園地は行ってみたい。
「志波も行くよね」
「ああ」
薄暗くなってきた光のもとでは、地黒な志波の顔はよく見えなかったけど。
…………。
あ。
「ああーっ!!!」
「なっ!? ど、どうしたんだくん!?」
私が突然上げた大声に、氷上が大袈裟に飛び上がる。
いや、そんなことどうでもいい。
私は西の空を見た。
太陽は半分以上沈んでしまっていた。
どうしよう、忘れてた!!
「私、遊園地行かない!」
「はぁ? ちょ、アンタが来んかったら意味ないやん! どないしたん、?」
慌てて立ち上がって駆け出そうとしたところを、はるひに腕を掴まれる。
「時間が」
「このあと何か用事でもあるのかい?」
怪訝そうな藤堂に尋ねられて、私はぶんぶんと頷いた。
約束の時間だ。
灯台で、かっちゃんが待ってる。
「志波っ」
私は志波を振り返った。
まだ間に合うか、視線で問いかける。
志波は察してくれたみたいだった。
「西本、みんなで先に行っててくれ。の用事が済んだらすぐに合流する」
「ホンマに? ちゃんと来てくれるんやろな?」
「ああ。行く」
「ほんならええけど……って、もう行ってもーたやん!」
志波のフォローを聞いてすぐに私は駆け出した。
明日には日本を発つから、かっちゃんに会える最後のチャンスだもん。
私は、海に向かって疾走した。
「佐伯、ちょっといいか」
「は、オレ? なんだよ?」
久しぶりに訪れた珊瑚礁の隣の灯台は暗く、あたりに人影はなかった。
ここにくるまでに太陽はもうほんの少ししか見えなくなっていて。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
膝に手をついて呼吸を整えたあと、私はあたりを見回した。
「かっちゃん……?」
誰かがいるようには見えなかった。
やっぱり、もう帰っちゃったのかな。
でも何時って決めてたわけじゃないし。
「かっちゃん!」
私は珊瑚礁のまわりをぐるりと回る。
長階段の下を覗いて、がけ下の石浜も覗いてみて。
やっぱり誰もいない。
「……」
灯台の裏手に回りこむけど、そこにもいなかった。
……会えなかった。
いつもそこに行っては海にむかって歌っていた場所で、私は膝を抱えた。
私が何にも悩みもせずに幸せだったころの友達。
誰よりもカッコよくて優しくて、いつも一緒にいたかっちゃん。
会えないままここを離れなきゃいけないのかな。
だとすれば、次に会えるのはいつなんだろう。
その頃には、もう忘れられてるかもしれない。
「……ううん、まだ方法はある」
戻って、志波に頼んでみよう。元春にいちゃんだっていい。
二人はかっちゃんに連絡が取れるんだから。
どうしても会いたい。
「よしっ」
気合を入れて立ち上がる。
その時だった。
カチャリ……
背後で小さな金属音がした。それから、少し鈍い音。
何の音? まるで鍵が開いたような音だったけど。
「かっちゃん……?」
声をかけてみるけど返事はない。
私は灯台の裏手から回りこんで、正面に戻る。
すると。
「!」
さっきは、確かに固く閉ざされていたはずの灯台の入り口が、ほんの少しだけ開いていた。
ドクンと、私の心臓がはねる。
佐伯はみんなと一緒に遊園地に向かったはずだし、珊瑚礁を閉めてる今、マスターが来たとも思えない。
ここを訪れる予定のある人なんて、かっちゃんしかいない!
私は手を伸ばしてドアノブを掴んだ。
ゆっくりと引くと、ドアはギィィと鈍い音がして開く。
中は漁具と古いキャンバスと埃っぽい匂いで満ちていて。
なんで灯台の中にキャンバスがあるんだろ?
「かっちゃん」
恐る恐る呼びかけてみる。返事はない。
でも、上から弱い光が差し込んでいるのに気づいた。
外から見たときに見えた、海側を望む展望台のようなところに続いてる階段の先。
そこにもドアがあって、そこも灯台の入り口のように半開きになってたんだ。
差し込む光はとても弱くて、きっともう太陽は完全に沈んでしまったんだろうことが想像できた。
私は、うるさく鳴ってる心臓の音を聞きながら、一歩一歩、階段を上る。
薄く開いたドアの前で一度深呼吸をして。
いる。
私は意を決してドアを開け放った。
飛び込んでくるのは綺麗な茜と藍のグラデーション。
そしてこちらに背を向けた男の人。
「……」
私は後ろ手にドアを閉める。
パタン、という音と同時にその人は振り返った。
夕暮れの光が消えて、逆光がなくなり、その人の表情があらわになる。
「……志波?」
そこにいたのは志波だった。
口を真一文字に引いた、いつもの愛想のかけらもない仏頂面の志波。
「……」
「え」
今、かすかな声で言った志波の言葉。
それは幼い頃の、懐かしい私の呼び名。
志波はまっすぐに私の目を見つめて、言った。
「オレだ」
記憶の洪水が起こったかのように、あらゆる思い出がひとつに集う。
「やっと会えた」
胸のつかえがとれたように、心の底からの笑顔を浮かべることができた。
私はようやく再会できた幼馴染の胸に飛び込むように抱きついた。
「かっちゃん!!」
「……その呼び方やめてくれ」
くつくつと笑いながら私を抱きとめる志波。
私たちはしばらくそのまま無言で抱き合って。
懐かしさを堪能したあと、私は志波の顔を見上げた。
「かっちゃ、志波、だから黙ってたんだ。志波がかっちゃんだったから、全部黙ってたんだ」
「ああ。……お前、怒ってないのか?」
「全然。だってちゃんと約束全部、守ってくれた!」
幼い頃の夢、甲子園に一緒に行こうって約束。
そうだ。かっちゃんは嘘なんてつかなかった。いつも、いつも。
「本当にいつも見ててくれたんだ」
変わらない、優しいところ。いつも側にいてくれたこと。
「……いつだったかオレはかっちゃんと正反対だと言われたような記憶があるな」
「私にないからいいの」
「あのな」
「いいじゃん。今は一番カッコいいって思ってるよ」
調子いいこと言うなと、ぺしっとチョップされる。
その手は優しく私の髪を梳く。
「今まで言い出せなくて悪かったな」
「いいよ。今なら全部わかるから」
「そうか……」
囁くように言いながら、志波の唇が私の額をかすめていく。なんか少しくすぐったい。
「ほんの少しだけ、志波がかっちゃんなのかなって思ったこともあったよ」
志波にされるがまま、私は目を閉じながら告げる。
「でもそれは私に都合の良すぎる願望だったから、すぐに忘れたけど」
「そうか」
「……志波はなんでいっつも私の望みを叶えちゃうんだろ?」
「今回ばっかりはたまたまだ」
私の頬に手をかけて、キスを落とす志波。
永遠とも刹那とも思えたキスのあと、志波はまたふわりと抱きしめてくれて。
「」
「なに?」
「……」
「志波?」
「……悪い、限界ぽい」
「は? ……って、うわ!?」
いきなり志波に引きずられた。
かと思えば、私は志波の腕の中。
志波はてすりを背にして、座り込んでしまったんだ。
「ちょ、なに!」
「……想像以上にヤバかった」
「は、なにが……」
「想像以上に、ここ、高ェ……」
あ。
私の肩に額を押し付けてる志波の肩越しに景色を見やる。
夕焼けを終えた海は宵闇色に変わりつつあって、とても幻想的な光景だ。
こんないい景色なのに。
「ぷ」
「……笑うな」
「あはは……」
文句を言ってくる志波だけど、顔を上げる気はないみたいだ。
私は腕を伸ばして、志波の柔らかな髪に触れる。
それは幼い頃の記憶と同じ光景。
「怖くないよ」
私は志波の頭を優しく撫でた。
すると志波が顔を上げた。
むっとしてるかとも思ったけど、その顔は今まで見たこと無いくらい無防備な笑顔で。
「こんなこと、前もあったな」
「うん」
「あのときは観覧車の中だった」
「……うん」
志波に頬を撫でられて、私はその手に自分の手を重ねる。
そして唇も重ねて。
「志波、待っててね」
心を、重ねて。
「私は夢に向かうから、少しだけ志波から離れるけど。きっと志波の隣に胸張ってたてるような人間になって戻ってくるよ」
「ああ。オレも夢をかなえてみせる。今よりももっと先に行くけど、必ず追いついて来い」
「うん」
私は右手の小指を志波に差し出した。
子供のころよくやった約束の儀式。
志波は一瞬面食らったようにきょとんとしたけど、すぐにクッと噴出して私の指に自分の指を絡ませた。
「約束だよ」
「ああ。約束だ」
昔別れたときと違って、今度は期限のない約束。
互いの心だけが拘束力の、幼い約束だけど。
でも、きっと。
そして私は旅立った。
左手にバイオリン、右手に約束を持って。
たどりつくよ。必ず、追いついてみせる。
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