早咲きの桜が舞っていた。
快晴とはいかないまでも、綺麗な青が広がる空。
卒業式だ。
「」
家まで迎えに来てくれた志波に促される。
「行くぞ」
「うん」
私は志波の左隣に並んで歩き出した。
65.第21回羽ヶ崎学園卒業式
いつもと同じ道。
隣には今日も変わらず無口な志波。
この日常も今日でしばらくお別れだ。
私たちは、ほとんど会話をすることもなく、でもお互い何かを噛み締めるようにゆっくりとした足取りで学校に辿り着いた。
教室にはほとんどのクラスメイトが揃っていた。
もう目を赤くしてるヤツや、サイン帳を回してるヤツ。いつもどおりふざけあってるヤツもいる。
私は自分の席に腰掛ける。
そこにばたばたとやってきたのははるひだった。
「おはよ! 今日は遅刻無しやな?」
「オハヨ。まぁさすがに今日くらいは」
頬杖ついて見上げれば、はるひは幾分興奮したような面持ちで私を見ていた。
その後ろから、いつものメンツもやってくる。
はるひの肩にがしっと腕を回しながら、無意味に尊大な態度を示すのはのしんだ。
「オッス、。お前、今日は覚悟しとけよ! 高校卒業記念ニガコクだかんな」
「ヤダ。そんなに人の不幸楽しみたいなら志波と観覧車乗ってくればいいじゃん! のしんこそ卒業前にお化け屋敷ニガコクすれば?」
「……おいこら。お前最後まででハリーって呼ばねぇつもりだな?」
「うん」
「くそっ、ゼッテー今日の解散までにハリーって呼ばせてやっからな! 覚悟しとけ!」
びしっと人に指を突きつけるのしんに、私はニヤリと笑みを返してやる。
絶対呼ばない。呼んでやるもんか、はは。
「しかし西本くん……本当に制服のまま行くのかい?」
横から思案顔で口出ししてきたのは氷上だ。
隣の小野田と一緒に、すでに卒業生用の造花を制服につけてスタンバイオーケイモード。
はるひはその氷上に向かって、腰に手を当てて「あったり前やん!」と言い切った。
「制服で行くから意味があるんやん! 今日を最後に、はね学の制服着る資格なくなってまうんやで?」
「そうよね。最後なんだから、思う存分制服姿を堪能したいわよね?」
はるひの意見に水島も同意する。
ちらりと二人が私を見るけど、別に私は制服にこだわりはない。
みんなが制服がいいってういうなら制服でもいいし、着替えるならそれでもいい。
思い出を作れるなら、服なんかなんだっていいってのが本音だ。
「でもその……絶叫系に乗るのでしたら、制服のスカートだといろいろ問題がありませんか?」
「ボクは問題あらへんよ?」
「アンタに聞いてないだろ」
もじもじと提案する小野田に、言葉のニュアンスとは裏腹に爽やか全開のクリス。
それでも藤堂はびしっとしっかり突っ込んだ。さすが。
「あ……そっか、それもそうやな。えぇ〜、でも最後は制服でいたいやんなぁ?」
「絶叫系以外で楽しむというのはどうだろう?」
「バッカ氷上! 遊園地行って絶叫系乗んねぇでどうすんだよ!」
のしんが氷上の頭を小突けば「な、なにをするんだ針谷くん!」と二人は言い争いを始める。
……ま、この二人はほっといて。
「志波は?」
私は会話の成り行きを黙って見ていた志波を見上げた。
志波は目線だけ動かして私を見下ろす。
「なにがだ」
「女子の制服で絶叫系」
私の問いかけに志波は眠そうな目をしたままほんの少しだけ思案顔。
でもすぐにほんのり赤くなって、ふいっと視線を逸らした。
「着替えてこい」
「あーっ、志波やんなんか想像したやろ! やらしーっ」
「なっ、なにをだっ!」
ちっ、はるひに先に突っ込まれた!
でもそのはるひと志波のやりとりに、言い争いしてた氷上ものしんも、周りにいたクラスメイトたちも笑い出す。
志波が顔を赤くしたまま舌打ちしてそっぽを向いたのがおかしくて、私もつられて噴出してしまった。
「あんまり笑っちゃ可哀想だよ、さん」
「水樹だって口緩んでるじゃん」
「そ、それはその……ふふ、だって、ねぇ? 志波くんのこんな顔、滅多に見られないし」
「言ってろ……」
むすっと腕を組んで、すっかり不貞腐れてしまった志波の背後から肩を震わせながら出てきたのは水樹だ。
「そういえば水樹の財布は確保できた?」
「え、えーっと……うん、先生がフリーパス代出してくれるって……」
「ま、当然だよね」
「そうかなぁぁ?」
むぅぅと腕を組んで首を傾げる水樹。真面目なところは相変わらずだ。
みんな、いつもどおり。
でも今日を境に全員が次の一歩を踏み出していくんだと思うと、なんだか不思議な気がする。
いつもと何も変わらないのに。
だけど。
いつも若先生が日直の名前を書き忘れる黒板も、1年という時間ですっかり色あせた掲示板の時間割も。
何度合わせても気づけば遅れてる壁の時計も、開けた瞬間かならず回転ホウキが倒れてくる掃除用具入れも。
明日からはもう見ることがないんだ。
「」
こんなふうに、低く響く心地よい声で私の名前を呼ぶ志波も。
「どうした」
「んー……」
顔を覗きこんでくる志波に、感傷に浸ってたなんてらしくない返答はしたくなくて言葉を濁す。
その時気づいた。
「海野、まだ来てないの?」
「……そういえば」
志波と私、二人で教室を見回す。
海野がまだ来てなかった。ベルがなるまであと1分。
いつも始業の15分前には着席してる(って氷上が前に言ってた。そんな時間に来たことないから実際は知らないけど)海野なのに、どうしたんだろ。
「ん? あかりがまだ来てねぇじゃん」
「そうなの。いつもは早いほうなのにね、あかり」
のしんと水樹も気づいて首を傾げてる。
すると隣ではるひがぽつりと呟いた。
「……サエキックのアホ」
あ。
はるひの呟きに、みんなが窓際前から2番目の席を見た。
2月から座る人がいなくなった空っぽの席。
ったく。
あの別れの日から、海野や水樹や、佐伯と親しい人間が何度も何度も何度も連絡取ろうとしたってのに、佐伯のヤツ。
みんなが複雑な表情でその席を見つめていたら、やがてチャイムが鳴り出した。
と同時に勢いよく教室のドアが開いた。
「セイちゃん!!」
飛び込んできたのは海野だった。いつもの海野らしくない剣幕に、クラスメイト全員がぎょっとしてる。
どこから走ってきたのか髪は乱れて大きく肩で息をしながらも、海野は水樹のほうへと駆け寄っていった。
「ど、どうしたのあかり……」
「どないしたん? こんな時間に来るのもめずらしいし、あかりが慌てとるなんて」
「セイちゃん、今日ね、来たの!」
「は? な、なにが?」
「メール! あのね!」
水樹の目の前まで来てその手をがしっと掴んで。
私や志波や、他のクラスメイトも注目する中、海野は口を開、
「はい、みなさん。席に着いてください」
「だーもー! 若先生タイミング悪い! 出直して来いっ!」
「えぇっ、でもあの、先生時間通り……」
まさに今、海野が何かしゃべりだそうとした瞬間をわざと狙ったんじゃないかってタイミングでやってくることないじゃん、若先生!
「ちゃん、本鈴なったんやし若ちゃんセンセが来るのはしゃーないで?」
「最後の最後まで空気読まないんだから若先生は……」
「お前が言えた台詞か」
「さん……卒業式まで先生いじめないでください……。ええっと、水樹さん、海野さん。席に着いてくださいね」
私に怒鳴られて、教室入り口で立ち止まってた若先生が入ってくる。
仕方なく私も席につき、海野も興奮した面持ちのまま自席に着いた。
若先生は教卓に手をついて、ぐるりとみんなを見回してからいつもののんきな笑顔を浮かべた。
「おはよう、みなさん。今日と言う日を、ついに迎えてしまいました。3年間、悔いなく過ごしてこられましたか?」
若先生が話し出した途端、クラスの雰囲気が変わった。
いつもと同じ穏やかな切り口なのに、何かが違う今日の言葉。
ああ。
卒業なんだな、って。みんなそう思ったんだろう。
見慣れた白衣姿でも、緑のセーター姿でもなく、ダークスーツをきっちり着込んだ若先生は話を続ける。
「勉学にかけた青春、部活動にかけた青春、友情を深めた人も、良きパートナーにめぐりあえた人もいるでしょう」
「若ちゃんもなー!」
あはは……
いつもの野次係が叫ぶと、クラス中が一斉に笑い出した。
ちらりと水樹を見れば、赤くなって小さくなってた。はは。
若先生は若先生で「やー」とかなんとか。ぽりぽりと頭を掻いてる。
「先生からのお話は、卒業式のあとにします。今日はこれから卒業証書授与式です。儀式は君たちにとって退屈なものかもしれないけど、ひとつのきっかけと思ってください。卒業式を境に、君たちは新しい一歩を踏み出すのだから。卒業式は、いわば『扉』です」
昨日、志波に聞いたような話。
終わりじゃなくて区切り。そして始まりの日。
いつになく先生らしい若先生の言葉に、私も黙って耳を傾ける。
と。
耳だけ傾けて視線は全く別の方向に向けてた私。
教室のドアの上の方についてる曇りガラスごしに、何か動いてるのを見つけた。
……なんだあれ?
「……でも仲間がひとり足りな」
「若先生、誰か来てるよ」
しみじみとした口調で話を続けていた若先生を遮って、私は言った。
途端にクラス中の視線がドアの方に向けられる。
かと思ったら「さ〜ん……」と、若先生に恨めしそうな声をかけられた。
振り向けば、本当に不服そうに私を見てる若先生。
なんなんだ。
「先生、せっかくカッコよく決めようと思ってたのに……」
「なにガキみたいなこと言ってんの。客来てるんだから早く出たほうがいいんじゃないの?」
「そこにいるのはお客さんじゃないですよ?」
はぁ?
怪訝な視線を向ければ、今度は急に勝ち誇ったように腰に手を当てて、えっへんとふんぞり返る若先生。
だからなんなんだっ。
「3年間めいっぱい青春して、精一杯がんばってきたみなさんに、先生からのサプライズプレゼントです。さぁ、入っておいで」
サプライズ?
私は隣の席の水島と顔を見合わせて。
視界の隅に、口元を両手で覆って目を潤ませている海野を見た。
ガラッ
ドアが開いたそこには。
「瑛くんっ!!」
「う……わ、佐伯っ! 佐伯じゃねーか!」
「佐伯くん、来てくれたんだ!」
「うおーっ! 若ちゃんやるじゃんっ!!」
「佐伯くんと一緒に卒業できるなんて、夢みたいっ!!」
「みんな、久しぶり」
気まずいのか照れ臭いのか、少しばかり俯き加減に教室に入ってきたのは佐伯だった。
みんな一瞬ぽかんとして、でも次の瞬間には大絶叫。
わぁわぁ叫びながら、佐伯に駆け寄って揉みくちゃにし始めた。
若先生が「卒業式始まっちゃいますから廊下に並んでくださーい」なんて言ってる声も届いてるかどうか。
幾重にもなった佐伯を囲む輪の中心で、海野が泣きながら佐伯と何か言葉を交わしていた。
すると。
「よっしゃあ! 大成功だぜ、さすがオレ!」
「ああ」
振り向くと、輪に加わらずにいたのしんと志波が嬉しそうに拳をつき合わせてた。
横で氷上とクリスもにこにこしてる。
「え、なにそれ。志波、なんかしたの?」
「おうよ! はるひとセイからオレたちも事情聞いてよ。こいつはどうにかしねーとダチじゃねーな! って、な?」
「だな。お前たちが海野を励ましてるなら、オレたちで佐伯を説得するしかないだろって話になって」
「まず若王子先生を説得して佐伯くんの連絡先を聞き出し、僕たちで直談判に行ったんだ!」
「瑛クンめーっちゃびっくりしとったもんな。でもあかりちゃんのこと話して、ボクたちも一緒に卒業したいって一生懸命説得して」
はぁぁ?
そんな熱いことしでかすヤツらとも思ってなかったから、開いた口が塞がらない。
……あ、だから昨日志波、佐伯のことなら大丈夫だって言ってたのか。
「佐伯も、後悔してたんだ」
志波が佐伯の方を見ながら呟くように言った。
「勇気を持って踏み出さずに、自分から手を離したことを」
「……志波が佐伯に踏ん切りつかせたんだ」
「わかるか?」
「うん」
体験者が語る言葉は真実だから、何よりも心に響いたんだろう。
私も、今だ揉みくちゃにされてる佐伯と海野を見た。
二人を見てると私自身も実感する。
自分という存在は、すべて回りの人間によって作り上げられ守られて、そして愛されてるんだって。
「……お前、今スゲェ恥ずかしいこと考えてるだろ」
ぽす、と頭に手を乗せられて。
見上げれば、志波がくつくつと笑っていた。
うあ、コイツこういうときにそういうこと言うかっ!!
「ううううウルサイっ! 笑うなーっ!!」
「クッ」
「はいはーい、みなさん本当にそろそろ急がないと卒業式出られなくなっちゃいますよ? 廊下に並んでくださーい」
さらに反論しようとしたところを、これまた絶妙な間の悪さで若先生に邪魔される。
ったくぅぅ!
「遊園地で覚えてろ、若先生っ!」
「やや、先生、さんに恨まれる覚えないですよ……?」
廊下に出ようとして、すれ違いざまに若先生を睨みつけてやれば、若先生は心底びびった顔して両手を上げて降参ポーズ。
その横で「久しぶりに会っても相変わらずだな、は……」と鼻で笑った佐伯に、私は蹴りを一発くれてやった。
卒業証書授与式。
「……そういえば卒業式って初めて出るかも」
「は?」
つつがなく式次第が進行していくなか、氷上が答辞に立つ。
校長や来賓の、お決まりの儀礼的な内容の挨拶に退屈して欠伸をかみ殺しながら話を聞いていてふと思う。
「小学校の卒業式はコンサートに出てて後から卒業証書取りに行ったし、中学はそもそも不登校で行かなかったし」
「アンタめずらしー子やな……。もしかして今日が、人生で最初で最後の卒業式になるんちゃうの?」
「あ、そうかも」
大きな目をさらに真ん丸く見開いて私を見上げてるはるひ。
そのはるひの向こうに、教員席に座ってた若先生と目が合って「おしゃべりはブ、ブーです」と口元に手を当てられる。
勿論無視。
「卒業式どころか、学校生活をまともに送ったのが初めてだ」
「その割りにアンタ、妙にさばさばしとるな? お陰でアタシまで涙ひっこんでもーたやん!」
「確かに私も少しは感傷的になったけどさ。そこまで卒業式って泣けるもん?」
「泣けるものだよ!」
口を挟んできたのは前に立ってる海野と水樹。
肩越しにちょこっとだけ視線をこっちに向けて、でも泣けると言った割にはいたずらっぽく目が笑ってた。
「卒業式が泣けるんじゃなくて、卒業式っていう瞬間に思い出を振り返るから泣けるのかしらね」
反対隣の水島もクスクスと微笑みながら。
でも、その目は思いを馳せてどこか遠くを見ていた。
「そうですね。高校生活で数々あった、心震える瞬間を思い返して……悲しい涙じゃなくて、優しい涙がこみあげてきますよね」
しみじみと呟いた小野田の言葉に、私も少しだけ記憶を振り返る。
はばたき市に戻ってきたあの日。はね学に入学して、初めて出来た友達は海野だったっけ。
まだあまり馴染めなかった頃の1年目の体育祭はサボりまくったけど、2年目、3年目は女神としてグラウンドにたった。
……そういえばE組から転校してったアイツ、なにしてんのかな。
テストはいつも散々で、化学が帰ってきた日はかならず若先生に愚痴とも恨み節とも言えないお小言もらって、クリス、のしん、志波の3人と補習を受けて。
クリスとのしんは、はるひや藤堂も巻き込んで一緒に遊びに行ったな。
このはね学で出会った友達は、みんないいヤツばかり。
うちに集まって宴会したし、修学旅行で枕投げしたし。はるひとは喧嘩もした。
それから、志波。
お互い傷を抱えた状態で出会って。
最初の頃は喧嘩して、傷つけあうことが多かった。
自分の中にある劣等感を拭えなくて、イライラを相手にぶつけてしまって。
でもあの日の野球部の練習試合。志波が過去と決別して、一歩を踏み出したあの日。
そういえば、私が一番幸せを感じていた頃も、野球はいつも近くにあったっけ。
自分の夢に向かって真っ直ぐに向かい始めた志波に憧れ始めて、自分の気持ちを自覚した修学旅行で、傷ついて。
苦しさを重ねた文化祭。
……辛い現実から逃げ出したくて、若先生に甘えて水樹を傷つけた日々。
だけど、自棄になってひどいことしてた私を赦してくれた志波。
こんな私を好きになってくれた、志波。
甲子園制覇の夢を果たして、どんどん先に進む志波に劣等感を抱いて、またカラに閉じこもりそうになった私を受け入れてくれた。
3年目の文化祭は……思い出すのは少し恥ずかしい。
私は隣の列の前方にいる志波の背中を見つめた。
私の3年間はいつも志波と一緒にあったよ。
そして、これからさきの未来も。
左手を、きつく握り締める。
「なぁ〜にダーリン見つめとるの〜? んん?」
少しだけ浸っていたら、下からいい顔したはるひに覗き込まれた。
なんだその顔。
「ま、しゃーないな! 明日から遠距離恋愛やもんな。今のうちにたっぷり志波やん瞼に焼き付けておくんやで!」
「何言ってんの。それなら写真持ってけばいいだけの話じゃん」
「あら、志波くんがそんな簡単に肖像画みたいな写真撮らせてくれるかしら」
「その時はみんなで羽交い絞め作戦だよ!」
クスクス笑う水島に、意気込む水樹。
「……志波だけじゃいやだ」
私が落とした言葉に、きょとんとするのは小野田だ。
「全員、がいい」
ここで私が手に入れた幸せは志波だけじゃないから。
音楽と野球と孤独しか知らなかった私に、きらきらと輝く世界を与えてくれた友達も。
私の言葉にみんな一瞬ぽかんとしたものの。
……お?
「ちょ、なんでここで泣き出すの!?」
「アンタなぁ……嬉しいこと言ってくれるやん!」
「さんの口から、私たちを大事な存在だと言って貰えるなんて、嬉しいです!」
急に『これぞ卒業式!』という雰囲気になってしまったみんなだけど。
私はついていけてないんだけど!
ちょ、勝手に泣き出すな!
「ほらアンタたち、若王子のことも忘れてやるんじゃないよ」
そんな私たちを一人見守る目線で見ていた藤堂が口を開いた。
『卒業生合唱。仰げば尊し』
いつのまにやら氷上の答辞は終わっていて、司会が卒業生の合唱を告げる。
事前アンケートで卒業式に歌う曲を調べた結果、圧倒的多数でこの仰げば尊しに決まったらしい。
恩師への感謝の気持ちを歌う曲。最近では恩着せがましいとかなんとか言う連中もいるらしくて、卒業ソングとしての人気は低いんだけど、とも氷上が言ってたっけ。
だけど。
卒業生がちらちらと回りに目配せしてる。
ピアノ伴奏が始まったと同時に、卒業生全員、教員席方向、右へ倣え!
ざわっ
全体練習でも無かった、突然の動きに教員席や来賓席からざわめきが起こる。
視界に入った若先生も、目を丸くしてた。
私たちは作戦成功をクスクスと笑いあいながらも、声高く、歌いだした。
言いだしっぺは、のしんだったんだ。
「形式どおりの卒業式なんてつまんねーっつーの! なんかやろーぜ! 思い出に残るようなことをよ!」
「は、針谷くんっ! 認めないぞっ、先生がただけでなく父兄や来賓が来る卒業式に、いや! 僕たちの意義ある卒業式に騒動を起こすのは!」
で、真っ先に反論したのは想像通り氷上だった。
でものしんの提案は別に奇抜なものでもなんでもなかったんだ。
「ちげーっつーの氷上。オレがやりてぇのは馬鹿騒ぎじゃなくて記憶のメモリーに残る卒業式にしようぜってこと!」
「のしん、記憶もメモリーも意味同じだけど」
「うっせぇ! 英語部分だけつっこんでじゃねっつの!」
のしんの提案は、若先生のクラスだったからこそ生まれたのかもしれない。
だってあののしんがだよ。
「仰げば尊しに決まったんなら、誰もいないステージに向かって歌うんじゃなくて、若王子たちのいる席に向かって歌わなきゃ意味ねーじゃん!」
後にも先にも、氷上がのしんを賞賛したのはあれが唯一になるんだろうなぁと思う。
そして3−Bが主体となって、先生たちには秘密裏に卒業生全員に作戦が知らされた。
仰げば尊しを歌う瞬間に、教員席に向き直って歌おう、って。
効果はバツグンだった。
卒業生の意図を理解した若先生や教頭は似合わないながらも、頬を紅潮させて目頭を熱くしていた。
それにつられて、歌声にも涙が混じり始める。
歌い終わった時には父兄や来賓席から拍手が起こった。
隣を見れば、はるひが号泣してた。
「しっかりしなって。もう1個やることあるじゃん」
「そ……そういうこそっ」
「え?」
はるひは赤い目をごしごしとこすりながら私を見上げて。
私は頬に手を当てた。
……あ。
再びステージに向き直る時に、志波と目があった。
私を見て一瞬驚いたように目を見開いたけど、すぐに優しく微笑んでくれた。
私はぐいっと目元を拭って、もうひとつの計画のために胸に留めた造花を取り外す。
式はあと少しで終わる。
みんなまた、赤い目で目配せして。
そして、閉会の言葉。
「……卒業生の諸君、卒業おめでとう。夢を抱き漕ぎ出そう、大海原へ!」
「行くぞ、お前ら!!」
ワァァァァ!!
のしんの大声に、全員が一斉に造花を天に向けて投げ上げた!
今度こそ体育館中は大喝采!
卒業生が手をとり、肩を組んで抱き合う姿に、来賓席からも「卒業おめでとうー!」と声をかけられた。
卒業したんだ。
さぁ、始まりだ!
卒業記念・遊園地豪遊ツアーの集合は現地に2時。
結局、制服参加も着替えて参加も自由にしようってことで、着替え組のために時間を大目にとって。
校舎のあちこちで友達と写真を撮り、涙ながらに語り合い、佐伯と若先生と水樹と水島は最後の告白タイムとばかりにひっぱりだこにあい。
私は志波と一緒に野球部の仲間のもとをまわり、集まってくれていた後輩たちから花束を受け取って。
みんなより一足早く学校を後にした。
「着替えて行くのか?」
「志波が着替えろって言ったんじゃん」
「……確かに」
ぽすんと、私の頭に志波の手が乗る。
この感触。今日でしばらくおあずけになるんだから覚えておかないと。
「目。赤いな」
「ん……自分でも泣くとは思わなかった」
ごし、と目をこすればその手を掴まれる。
「やめとけ。腫れるぞ」
「そっか。……志波は全然赤くなってないね」
「卒業式って言っても、さすがに泣くのは柄じゃねぇからな」
「ちょっと見てみたかったかも。号泣してる志波」
「……やめてくれ」
ウンザリした顔して、貰った花束を肩にかつぐ志波。
でもすぐにその手を下ろして、白とブルーでまとめられた花束を私に突き出してきた。
「なに?」
「やる」
「志波が貰ったんじゃん」
「似合わねぇ。お前のほうがよっぽど似合う」
「いいけどさ……明日からムサイ男二人暮しの家にこんな花束二つも飾ってあるのってどーなの」
「……確かに」
何を想像したのか、志波は辟易とした表情を浮かべた。
はは、なんか想像つくかも。
あんな筋肉親父が花をバックに生活してるのなんか、ギャグ以外のなにものでもないって。
「明日から、か」
「うん」
呟いたあと、志波はしばらく無言になった。
やがて私の家の前に辿り着き、私は柵を開けて志波と向き合う。
「じゃ、またあとで」
「ああ。……、なぁ」
「なに?」
呼ばれて見上げれば、志波はいろんな感情の渦巻いた目で私を見つめていた。
「今日……」
「ん」
「……観覧車でもフリーフォールでもなんでもいい。お前が楽しめるところ、全部回ろう」
言いたいことを全て、その優しい目に変えて。
「うん」
私は自然と浮かぶようになった笑顔を、志波に見せた。
でも、私は。
その日、遊園地に行くことはなかった。
「あれ、勝己? どうしたお前、と一緒に遊園地行くんじゃなかったのか?」
「……はどこだ」
「20分くらい前に出てったぞ? てっきりお前と待ち合わせしてるんだと思っ」
「繋がらない」
「は?」
「携帯が繋がらない。一度繋がったあと、電源が切られた」
「はぁ? なんだよそれ。……つかお前、携帯鳴ってんぞ?」
「! もしもし!」
「電源切られたって、充電切れただけなんじゃねーの?」
「……いえ、一緒には……はい、……は」
「……。勝己?」
「…………」
「おい、どうした? 勝己ーっ。顔色悪い……っておい! どこ行くんだよ!? ……なんだぁアイツ?」
『志波くん、さんは!? 一緒にいますか!?』
『っ……じゃあさっきの電話は本物かっ……』
『ごめん、志波くん。僕は……さんを巻き込んでしまった』
『……さんが、アイツらに連れ去られました……!』
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