卒業式前日の日曜日。
駅前のカフェに、メールではるひに呼び出された。
64.前兆
「あ、こっちこっち。これで全員やな」
「どうかした? いつものメンバー揃いも揃って」
若貴をリビングにつっこむのに手間取って、指定された時刻を10分ほどすぎてから到着してみれば。
一番奥のソファ席に、はるひが他にも呼び出したと思われるメンツが揃ってた。
で、そのメンツってのが、
「アンタもあいかわらずだねぇ。残り少ないこういう集まりに、少しは間に合うように来ようって思わないのかい?」
テーブルに頬杖ついてホットコーヒーをブラックですすってる藤堂と。
「藤堂さんの言うとおりです! さん、卒業式だけは絶対遅刻しちゃだめですよ!?」
校外でも風紀委員風を吹かせている小野田と。
「まぁまぁ。さんは出発準備で忙しいんでしょ?」
二人をなだめるのは笑顔を取り戻しつつある海野で。
「は語学の憂いがないんだものね。着いて即音楽に打ち込めるんでしょう? 私もうかうかしてられないな」
水島は優雅にハーブティをすすってて。
「じゃ、さんも来たことだしはるひの話聞こうか?」
水樹は優等生らしく、はるひに話を促した。
私は一番手前の藤堂の隣に腰掛けて、寄ってきた店員にアイスコーヒーを注文する。
店員が去っていったあと、はるひはテーブルに両肘ついて手を組んで、私たちをぐるっと見回した。
「メールで済ますこともできたんやけど、もうみんなと会える機会も少ないし、せっかくやから集まってもらってん」
「うん。で、なに?」
「勿論明日の卒業式後の打ち上げ計画に決まっとるやん!」
「……決まってんの?」
頬杖ついて隣の藤堂に聞けば、藤堂はひょいと肩をすくめる。
でも、向かいの海野や水島は「だよねー♪」といきなり盛り上がり始めた。
「候補は? はるひのことだからもう決めてあるんでしょ?」
「あったり前やん! まずありきたりなところなら制服カラオケやろ? それかボウリング大会!」
「西本さん! 制服のまま行くのは校則違反ですよ!?」
「もう〜、チョビちゃんったら固いこと言わないのっ。卒業したあとなんだからいいじゃない」
あいかわらずなこと言ってる小野田だけど、その目はきらきらしてるし頬は紅潮してる。
私は届けられたアイスコーヒーにミルクとガムシロップを1個ずつ落として、かちゃかちゃとかき混ぜた。
「でもな? ハリーと若ちゃんが一押ししとるトコがあんねん」
「え、先生が?」
きゃあきゃあと盛り上がってた一同が、いきなり腕を組んでふふんと笑ったはるひに注目。
若先生の名前が出たところで、立場逆転保護者の水樹がきょとんとする。
「ハリーと若王子先生オススメって、どこ?」
「ならわかるんちゃう?」
「……は?」
海野の問いかけに、はるひは私を見た。
みんなの視線も私に向く。
……なんで私?
「のしんと若先生が行きたがってて、私が知ってる場所?」
「そうそう。アンタも因縁のあるとこやん」
「因縁〜?」
なんかそれって行きたくなくなるような言葉なんだけど。
私は眉間に皺が寄るのを感じながら、考えてみた。
えーと、まずのしんが行きたがりそうな所……。
のしんと言えば音楽。カラオケ……はさっきはるひが言ったし。
次にのしんと言えばイベント好き。体育祭に文化祭……。学校なわけないし。
その次にのしんと言えば、あー、補習。
じゃあ化学室とか? あ、これで若先生も繋がった。
そういえば前に若先生、アルコールランプ焼肉やろうって言ってたっけ?
「えー、アルコールランプで肉焼いたら絶対クサイよ」
「……アンタ何言っとんの?」
ところが私の言葉にはるひは眉を顰める。
あれ、違った?
「あ、そっか。ハリーと若ちゃん言うたからわからんのやろ。志波やんにも関係あんねんで?」
「志波も?」
私は首を傾げて。
あ。
「遊園地?」
のしんと志波と若先生の組み合わせといえばニガコクだ。
で、因縁といえば1年の時に言った遊園地Wデート。
結局Wデートじゃなくてニガコクツアーになったんだったっけ。
「そう! なぁなぁ、制服で最後にみんなで遊園地行かん!? みんなで遊び倒して、思い出作ろ!」
「うわぁ楽しそう! いいんじゃない!?」
ソッコウで賛成するのが海野と水島。
藤堂は「ま、アンタたちがそうしたいなら付き合うよ」といつもの調子で。
小野田はぶつぶつと校則が、だのなんだのまだ呟いていたけど、本気で反対する気もないんだろう。
「も来るやろ? 今回はニガコクやなくて純粋に楽しいことしよ! ってだけなんやから」
「行きましょうよ、。あなた、卒業式の翌日にもう日本を発つんだし」
「うん」
断る理由もない。
受験組もようやく試験から解放されたのが先週のこと。
確かにいつものメンツと会えるのはこれで最後になるかもしれないし。
ところが。
「えーっとー……」
渋る声は意外なところから出た。
水樹だ。
「なんでセイが迷っとんの? 若ちゃんの予定なら、もう1ヶ月前から予約しとるから大丈夫やて!」
「あのね。行きたいのはやまやまなんだけど」
からからとお冷の入っていたコップの氷をまわして言いよどむ水樹。
「ほら、遊園地のフリーパスって結構な金額でしょ? 私、専門学校の入学金納入が控えてるから、ちょっと先立つものが……」
「そ、そうでした。高校生は卒業しても、勤労学生は卒業してないんでしたね、水樹さんは」
「何言ってんの」
ああ〜……と肩を落とす水島やはるひに対して。
私と藤堂は拍子抜けした。
「アンタ、明日は財布つきだろ?」
「そんなん若先生に出させりゃいいじゃん」
「えええ!? だ、駄目だよそんなの!」
「なんで?」
「だ、だって、生徒が先生にお金出させるって」
「卒業式終われば生徒も教師も関係ないじゃん」
だいたい、教頭だって若先生と水樹が付き合ってんの黙認してんのに、何を今さら。
「えーと、じゃあ全員参加ってことでええな? 明日は学校から直で行くから、それぞれ財布の中身をキッチリ確認しとくこと!」
いまだ渋ってる水樹をさえぎって、はるひが強引に決定を下す。
その後はしばらくそれぞれの今後のことなんか話したりして。
井戸端会議は、夕暮れ前に解散になった。
このあと特に用事もないし、私は駅前からぷらぷらと歩いて帰ることにした。
明後日には日本を発つ。
この風景も今日と明日で見納めだから、じっくり見て歩くのもいいかもしれない。
荷物は簡単に詰めてもう送ってあるし。
商店街に差し掛かる。
日本特有の雑多な人ごみとも、これでしばらくお別れだ。
私は商店街前の広場のベンチに腰掛けて、行き交う人の群れをぼーっと見つめていた。
そこへ。
「みんな先生を馬鹿にしすぎだ!」
志波の声。
なんだ今の?
私はきょろきょろと辺りを見回して、広場の隅にいる志波を見つけた。
あれ、若先生も一緒にいる。
よくよく見てみれば、志波はなんだか怒ったような顔して若先生を睨みつけてて、若先生はというと困りきったような表情を浮かべて志波を宥めてるみたいだった。
なんだあれ。
「志波に若先生、何してんの?」
「……」
「や、さん。偶然ですね」
気になったから声をかけてみる。
二人はくるっとこっちを向いて、若先生はぱっといつもののんきな笑顔を浮かべた。
志波の方は相変わらず眉間に皺が寄ってるけど。
若先生は渡りに船とばかりに私に話しかけようと口を開いた。
けど、それより先に言葉を発したのは志波だ。
「先生が家に着くまで、オレが用心棒になる」
「いや、本当にもう大丈夫です。ありがとう、志波くん」
「こらーっ! 人を無視して話進めるなっ」
っていうか、今現在私より若先生のほうが優先順位が高い志波にムカついた!
ていっ、と脛に蹴りを入れてやる。
「……いきなり蹴るな」
「だったら無視するなっ」
「やや、先生お邪魔ですね? じゃああとは若い二人でごゆっくりどーぞどーぞ」
「逃がさないぞ先生!」
だからなんなんだっつーの!
さっきから志波は随分とぴりぴりした様子で、若先生に噛み付いてる。
なぜか志波は若先生のこと尊敬してるみたいで、その普段の様子と比べると今の志波は明らかに様子が変だ。
「なんかあったの?」
「いえ、なんでもないです。志波くんがちょっと誤解してるだけで」
「……先生の後を黒服の外国人がつけてた」
私が話に参加するのを笑顔で阻止しようとする若先生だったけど、志波はそれを無視して教えてくれた。
って。
「黒服? アイツ?」
私が若先生を問いただせば、若先生は眉尻を下げて「あぁ〜」と肩を落とした。
「さん、しーです。しーっ」
「何が。若先生、まだアイツらに追いかけられてたの?」
「ちょっと待て。、お前何か知ってるのか?」
「知ってるもなにも」
怪訝そうな顔して私を見下ろす志波に、私は知ってることを話した。
去年、駅前で会った黒服とのこと。
私が志波に一部始終を話している間、若先生は片手で顔を覆っていた。
「さん……バラしちゃだめじゃないですか……」
「だって若先生口止めしなかったじゃん」
「あの、それはそうなんですけど」
「やっぱりそうだったのか……! オレの思ってた通りだったんだな」
志波はぱしっと拳を手のひらに叩きつけて、商店街の奥のほうを睨みつける。
「これではっきりした。やっぱり先生は大物だったんだ」
「いや、それはどうだろ」
「学校では仮面を被ってたんだな……。みんなそれに騙されて。でも、いくらなんでも、みんな先生を馬鹿にしすぎだ!」
「そんなに先生、馬鹿にされてるかな……」
「ああされてる」
「うん、されまくってる」
「…………」
なぜか落ち込む若先生。
志波はくるっと私を振り向いた。
「……で、お前はどうした?」
「うあ、今頃聞くかっ。はるひたちとお茶してきた。帰るとこだよ」
「そうか。一人で帰れるな?」
「……もしかして志波、若先生の家まで本気で用心棒するつもり?」
「当たり前だ」
まーじーでー……。
呆れて言葉が出ないっての、このことだ。
大体っ、高校生にマジ心配される大人(男)ってどうなんだっ。
私は呆れた視線を志波に向けたけど、志波は意に介さずって感じで。
どういう見方をすると若先生を尊敬できるようになるのか、一度志波の頭をのぞいてみたいと思う。
でも若先生の方は志波の護衛申し出をやんわりと断った。
「ありがとう、志波くん。でも用心棒は遠慮しときます。用心棒するなら、さんのほうに」
「駄目だ。今は先生の身のほうが危険だ」
「そんなことないです。あいつらはさんのことも狙っているんだから。先生は大人だから、ちゃんと自分の身くらい自分で守れます」
「「は?」」
いつもの笑顔で言った若先生の言葉に、志波と私の声がハモる。
狙われてる? 私が? なんで?
「若先生、志波追い払いたいからって適当なこと」
「適当なことじゃないです。さん、先生言ったよね? さんの能力はあいつらにつけこまれるかもしれないって」
「言ったけど、それはあくまで……」
「」
遮ったのは志波だ。
見上げれば、さっきよりもさらに一段と眉間の皺を深くした志波の般若。
「どういうことだ? お前も先生を狙ってる連中に追われてるのか?」
「んなわけないじゃん! そういうんじゃなくて」
「なんで黙ってた!? お前に何かあったら、オレは……!!」
だーもーっ!
私は頭をかきむしる。
志波がこんなに思い込み激しい妄想タイプとは思ってなかった!
っていうか人の話聞け!
私は痛いくらいに両肩を掴む志波の手を払いのけて、キッとその顔を睨み挙げた。
「だから! あいつらに関わったらそういう可能性がある『かも』! って話! 今まで一度も私の方に接触されたことないって! 若先生も適当なこと言うなっ!」
そもそも若先生が妙に思わせぶりな言い方するから悪いっ。
文句言ってやろうと若先生を振り向けば。
すでに若先生はとんずらこいた後だった。
教え子に厄介ごとなすりつけて逃げるって、教師のやり方かっ!
「逃げられた……ちっ」
「明日文句言ってやるっ。ああもう、無駄な体力つかってお腹すいてきた」
「……帰るか」
「ん」
志波は案外あっさりと諦めて歩き出した。
私もその後についていく。
歩いて帰る、と言った私に、志波はそうかと短く答えて、人ごみを避けて海岸線の方に向かった。
夕焼け色に染まり始めた海を右手に並んで歩く。
「出発準備はもう終わったのか?」
しばらく無言だった志波が口を開く。
「終わったよ。荷物も全部送ったし、あとはパスポートと財布持って私が空港行くだけ」
「そうか」
こっちを向いて短く答えた志波の顔は、逆光になってて表情がよくわからなかったけど、口調は優しかった。
「がんばってこい」
「うん。志波も大学野球がんばって」
「ああ」
どちらともなく手を繋ぐ。
「そうだ、明日の話聞いた?」
「卒業式の後のことか? さっき針谷からメールが来た」
「遊園地でニガコクだって」
「……ニガコクとは書いてなかった」
「でも多分、観覧車は必須項目だと思うんだけど」
「だな。……下で待ってるからいい」
「えー」
繋いだ手をぶんぶんと振って抗議する。
すると志波は眉を顰めたみたいだった。
「強制するな」
「明日でしばらくはばたき市の風景見れないし。最後に見ておきたかった」
「あんな観覧車じゃ、言うほど絶景は見れねぇだろ」
「じゃあ遊園地のあと展望台に行く」
本当はかつて臨海公園にあったっていう大観覧車に乗りたかったけど。
誰だ、大観覧車を作って早々取り壊した無計画なヤツはっ。
ぶつぶつ。
口の中で誰に言うでもない文句をつぶやいていたら、志波にぽすんと頭を叩かれた。
「そんな顔するな。お前が乗りたいなら乗ってやるから」
「うん」
少し先を歩いて体ごと振り返れば、海側から降り注ぐ赤い光に照らされた志波の優しい笑顔が見えた。
その後ろに、灯台と小さな珊瑚礁。
「明日、佐伯も来れればいいのに」
私の言葉に、志波も灯台を振り返った。
佐伯と離れ離れになって落ち込んでた海野は、バレンタインを境に元気を取り戻し始めてる。
たまたま浜辺で会ったマスターから聞いたけど、海野は佐伯の代わりに珊瑚礁を継ぐんだってはりきってるらしい。
進学するはずだった一流大も受けずに、製菓の専門学校に進んで。
でも、佐伯からの連絡は何もないって、無理して浮かべた笑顔で海野は言ってた。
今日も無理して笑顔を振りまいてた海野を思い返すと時間を止めたくなる。
「若先生脅迫して佐伯に連絡をとらせるとか」
「いきなり脅迫まで手段を飛ばすな」
「だって明日で終わりなのに」
このまま卒業なんて海野が可哀想だ。
明日が来るのを遅らせて、佐伯の首に縄かけてひっぱってきてやりたい。
すると志波は。
「わかってる。……そのことなら大丈夫だ」
「……は?」
大丈夫って何が。
訝しげに見上げれば、いつもの何考えてんだかわかんない表情に、少しだけ含んだ笑みを浮かべてる志波。
「明日になればわかる。それに、明日は終わりじゃねぇだろ」
「志波」
「……明日は始まりだ。オレも、お前も」
「うん」
なんだか映画かドラマみたいな台詞だけど。
私は素直に頷いた。
終わりじゃなくて始まり。
私にスタートラインを与えてくれたのは志波だ。
その志波とも、明日と明後日でしばらく離れ離れになる。
志波が私の目の前まで歩み寄る。
私の頬に手をかけて上を向かせて、その海のように深い瞳で私を見下ろしてきた。
「お前はどうなんだ。やり残したことはないのか?」
振り返ってみれば、後悔することだらけの高校生活だったけど。
その後悔のおかげで、今の私があると思う。
だけど、やっぱり最後は悔いなく発ちたい。
「あるよ。まだある」
「……? なんだ? オレに手伝えることか?」
「うん」
私は頷いて、志波の目をまっすぐに見た。
「かっちゃんに会わせて」
志波は軽く目を見開いたけど。
幼い頃、甲子園に一緒に行こうって約束したままの幼馴染。
離れてる間に何かが起こって、会えない状況がずっと続いて。
明後日日本を離れれば、このまま会えなくなるんじゃないかって。
一体何があったのかなんてこと聞くつもりはない。
でも、離れて会えない間も私のことを心配してくれてたかっちゃんに、会いたい。
「日本を出る前に会いたい。うやむやなままでいたくないから」
「そうか……」
「……怒った?」
「いや」
かっちゃんの話題を出すといつも怒る志波だけど、今回は違った。
静かに首を振ったかと思えば、顔だけ灯台の方に向ける。
「……わかった」
「え」
「明日、会わせてやる。卒業式のあと、……そうだな、あの灯台で」
「卒業式のあとは遊園地だよ」
「だったらその後だ」
「……本当に?」
嬉しさと、戸惑いと。志波が嘘つくわけないだろうけど、なぜか信じがたくてもう一度聞けば。
志波は穏やかな目をしていた。
私の髪を撫でて、一度大きく頷いた。
「本当だ。明日、必ず。会わせてやる」
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