「うにゃあああっ!!!」
「だからどこ行く気だお前はっ!」
「そんなん知るかーっ!!」
60.ラストクリスマス
げっそり
今の私と志波を表現するには、この一言だけで十分だった。
「……なんでお前、スキーだけこんなセンスねぇんだ……」
「それがわかったら苦労しないっ!」
私と志波はゲレンデの隅で座り込んでいた。
空は曇天、ちらほらと雪がちらついているものの体を動かしてるぶんには寒さを感じず汗もかかず、ちょうどいい気候。
ウインタースポーツの本場出身の水樹に言わせれば、今日の雪質は上々なようだ。
意外にもスキーが得意という若先生はにわかスキー講習教室を開いて女子生徒たちを引き連れていたし、取り残された水樹はというと案外楽しそうに藤堂と一緒に滑ってた。
はるひと小野田は若先生班に参加。水島とクリスは二人で別のコースに滑りに行ってる。
ロッジ居残りはライブを控えてるのしんと、ここまで来てもまだ受験勉強してる氷上。
……そうそう。海野は朝起きたときにはいなかった。
昨日、私が寝たあとに帰ったんだって、水樹から聞いた。
なんでも珊瑚礁のことが気になるとかで。
そういえば、私も昨日ここに来る前、佐伯に言われたんだっけ。
パーティ行かないなら珊瑚礁でクリスマスソング歌わないか、って。
かきいれどきの珊瑚礁を休めないって、佐伯は昨日のパーティにも来てなかった。
それを心配して、海野も帰ったらしい。
で。
スキー初心者の私は、午前中いっぱい志波についてスキーのいろはを教えてもらってた。
リフトは使わずに、歩いてちょこっとのぼって滑って、また上って滑っての繰り返し。
……なんだけど。
両足をこんな意味なく長い板に固定させて、雪の斜面をバランスとりながら滑り降りろなんてどだい無理な話なんだ。
だってそうじゃん!
誰だこんな板で雪の坂道滑ろうなんてくだらないこと思いついたヤツっ!!
ちっともバランスがとれずに、こけてばっかりの私に、志波はあんぐりと口を開けて呆れていた。
止められなくなって暴走したときには、毎回慌てて体を張って止めてくれたけど。
おかげで体のあちこちが痛い。
多分、志波もそうなんだろうけど。
不機嫌最高潮に達した私を志波は昼食に連れ出して。
「クロカンコースなら傾斜も緩やかだし景色も森の中だから飽きないだろ。そっち行ってみるか?」
「スキーをやめるって選択肢は?」
「……お前がやめたいって言うなら、それでもいい」
「うー……やる」
このまま引き下がるのも悔しかったし。
午後イチ、私と志波はリフトを使って初心者向けのコースまでのぼってきた。
「高いけど」
「……言うな」
「揺れてるよ」
「……言うな」
「……」
「……言うな」
「なにも言ってないって」
リフトで上っている最中、志波は目をずっと閉じていた。
それから約30分。
約100メートルの距離を滑ってくるのに、私と志波は疲労困憊になっていた。
で、冒頭に戻る。
「もうヤダ。スキー嫌い。二度とやらない」
「だな……」
第一リフトの降り場から少し下がったところにある、森林内を滑れるクロスカントリーコースの入り口。
そこまで降りるのに、私はこけること十数回、暴走すること数回、志波を巻き込んで滑り落ちること3回……。
ゲレンデに座り込んで小休憩してる私と志波の目の前を、すいすいと滑り降りて行くスキーヤーたち。
「まぁ、転び方はうまくなったな」
「うあ、そういう嫌味ムカツク」
「嫌味じゃない。受身ってのはどんなスポーツでも一番最初に覚えることだろ」
今の私には嫌味にしか聞こえないって。
志波は手を伸ばしてきて、私のニット帽についた雪をほろう。
「いけるか?」
「……」
「無理はするな。スキーは怪我すると重傷化しやすいからな」
「うん。でも、クロカンコースは行ってみたいから行く」
「……本当に大丈夫か?」
眉を顰めて見てくる志波。
うう、言い返せないのがクヤシイ。
ゲレンデに目を向ける。
相変わらず楽しそうにスキーヤーたちは滑降していく。
なんでみんなあんなに簡単に滑っていけるんだろ?
などと思ってたら。
「シンくん! は、速いよっ!」
「大丈夫だって! ほら、ちゃんと支えてっから!」
小石川を後ろから支えるようにして抱いて滑っていくシンが見えた。
「……」
「……」
馬鹿がいる。
「その手があったか」
「やだよ、絶対っ! あんなの屈辱だっ!」
志波に後ろから抱えられて滑るなんて、絶対ヤダ!
これ以上馬鹿にされてたまるかっ!
「自分の力で滑りきるっ! ほら、行くぞ志波……う、わ、ぁっ!」
「……誰が自分の力で滑りきるって?」
むくっと立ち上がった瞬間、滑り出したスキーにバランスを崩し、志波のストックを掴んで堪える。
志波はため息をつきながら私が掴んだストックをしっかりと握り締めなおすのだった。
ううう、スキーなんか嫌いだっ!!
やってきたクロカンコースは超初心者向けというだけあって、かなりゆる〜い斜面だった。
山の中の幅3〜4メートルほどの狭い斜面を緩やかに下るカンジ。
案の定、私でもこけることなく順調に滑っていくことができた。
とはいえ、さっきから何人にも抜かれてるけど。
志波は、ゆるやかなところでは私の後ろをゆっくりとついてきて、少し急なところやカーブでは私より先に降りてちょっと先で待っててくれる。
優しい。
全長3キロのクロカンコースの3分の1ほどいったところで、少し開けたところに出た。
休憩スペースとして拓かれたところなのか、視界が開けてはばたき市の町並みが一望できる。
「休憩するか?」
「うん」
斜面の下側に志波が立って、私の滑り落ち防止役をしてくれる。ここまで降りてくるまでに、すでに足はがくがくだ。
私はウェアのポケットから、今朝志波がくれたデジカメを取り出して、町並みの風景を写真に収めた。
「……やっぱり携帯より画質がいいよ。志波、ありがとう」
「いや」
謙虚に首を振る志波の表情は穏やかだ。
「少し風が出てきたな」
「うん。雪も強くなってきたね」
朝からちらついてた雪が、少し勢いを増してきてる。
気温も下がってるみたいで、止まっていると少し寒いかもしれない。
「志波」
「なんだ? ……ああ。行くか」
「うん」
斜面の方を向いていた体を反対に向けたいんだけど。
えーと、確か……。
「支えてるからゆっくりやれ。かかとを立てるようにして、片足ずつ方向転換するんだ」
「うん」
午前中に志波が教えてくれた、180度方向転換の仕方。
えーと、バレリーナみたいに足を交差させるんだよね……。
私はしっかりとストックをゲレンデに刺して固定する。
斜面に対しては志波がちゃんと支えてくれてるから大丈夫。
ゆっくり、スキーをたてて反対側に倒して。
「っしょ」
右足を180度回転させて向きを変えるのに成功。
あとは左足を引き抜いてそろえるだけだ。
「えい」
志波の足にスキーをぶつけないように気をつけながら方向転換。
その時、ぐらりと体が傾いだ。
志波のいる、ゲレンデの下側方向じゃない。
はばたき市の町並みが見える、山の斜面。
つまり、コースから外れた私の背面の、崖のほうに。
「っ!?」
おもいっきり反り返った背中じゃ、バランスが取れない!
「!?」
志波の慌てた声と、伸ばされる手。
でも、そのどちらもが一瞬、遅かった。
「わぁぁっ!?」
私は悲鳴とともに、背中から斜面に落ちる!
視界から志波が消えたと同時に、他のスキー客の悲鳴が響いた。
目に見えるのは藪、針葉樹、雪からひょこっと頭を出した笹。
「やっ……!」
私は必死で腕を伸ばして、斜面から伸びてる木に掴まることに成功した。
腕に走る衝撃。痛かったけど、手を離せない。
足元を見れば、崖に思えた斜面はそれほどの勾配はなく、留まることも可能に思えた。
……シャレになんない。木を掴めたからよかったものの、そうじゃなきゃ今頃救急車か霊柩車だ。
スキーなんて二度とやるか。絶対やるかっ!
あービビった……。
私は心底ほっとしたため息をついた。
「!!」
そこに、志波の悲鳴のような声が届く。
斜面の上を見れば、志波が這うようにして私の方を見下ろしていた。
「大丈夫か!?」
「うん……多分」
両手で木にしがみついた状態で頷いてみせる。
私が無事なのを確認して、志波は表情を緩める。
「持ちこたえられるか?」
「平気。スキーが邪魔だけど……」
足元はスキー板に固定されてる。これがなかったら、こんな不自然な状態で木にしがみついてなくてもいいんだけどな。
左手をスキー板の金具に伸ばしてみる。……けど、硬いし態勢に問題があるから力がうまく入らない。
少しだけがんばってみて。
すると、木を掴んでいた右手がずるっとすべった!
「うわ!?」
「!」
慌てて両手で木を掴むけど、足が踏ん張れないから、どんどん滑る!
やだ、このままじゃ。
「志波っ」
軽くパニックに陥りながら、私は志波を見上げた。
すると、志波は。
「誰か、人を呼んできてくれ!」
叫ぶが早いか。
自分のスキーを外して、志波は私のいる斜面に飛び降りた!
って!
「ちょ、なにしてっ」
「じっとしてろ!」
勢いよく滑り降りてきた志波は、ところどころ生えている木を足場にして、素早く私の元まで降りてきて。
私の体を支えながら、私のスキー板を外す。
外したスキー板を斜面に突き刺してから、志波は慎重に私のすぐ近くまで近づいてきた。
「大丈夫だ。変に動かなきゃこれ以上落ちる心配はない」
「志波っ……」
志波は私を抱えるようにして上に押し上げる。
私はしがみついてた木に、両腕をしっかりとからませて掴んで。
足回りの雪を慎重に踏み固めたあと。志波は私を支えるようにして斜面にうずくまった。
「大丈夫かー? 今救助呼びにいったからなー!」
上から聞こえる声に、志波が頷いて応える。
そして、私を見た。
「……マジで、生きた心地しなかった」
「ご、めん……」
「いや……オレの責任だ。慣れてないのに、斜面の際であんなことさせるべきじゃなかった」
志波は手袋を外して、私の頬を撫でる。
「いなくならないでくれ……オレの前から」
「うん。ごめん」
「……ああ」
額をつき合わせて、志波は目を閉じる。
志波に触れたい。
だけど私の手は木を掴むことで塞がってるからそれも叶わない。
「……雪、強くなってきたね」
雪の積もった斜面に伏してるような状態だからそもそもが冷たいんだけど、さっきから天候は悪くなる一方だ。
風も強くなってきて、ウェアの上からも刺すような寒さを感じる。
「寒いか?」
「少しだけね」
「……手、離しても大丈夫だ。ここはしっかりしてるから。……来い」
志波が木を掴んでる私の手を掴む。
言われたとおり、私はゆっくりと手を離す。雪に伏せながら、そろそろと志波の方へ。
積もった雪はかなりの深さで、下手に力を込めると埋まりそうだ。
私は志波に支えてもらいながら、ばふばふと斜面を叩いて表面を固めて、滑り落ち防止にする。
「志波、大丈夫?」
態勢を落ち着かせて、私は至近距離の志波の顔を見上げる。
すると志波は「なにがだ」と言いたそうに私を見下ろした。
「崖だけど」
「!!」
ぴきっ
志波の目が大きく見開かれたかと思えば、私を支えてる手に妙な力が加わって硬直する。
あー、余計なこと言った?
「お前っ……」
「えーと、上見てれば?」
「……今さら気をそらせるわけねぇだろ……」
青い顔して目をぎゅっと閉じる志波。
その様子に、いつかの光景がダブる。
デジャヴ。
私は志波の頭に手を伸ばして、わしゃわしゃと撫でる。
すると志波は目を開けて、思い切り不貞腐れた表情をして私を睨んだ。
「遊んでるだろ、お前……」
私の腕を掴んで、乱暴に頭からどかす。
でも私は、今の感触を思い出すことに必死だった。
「ねぇ志波」
「なんだ」
「怒ることないじゃん。こういうの、前にもなかった?」
「は? ……そりゃニガコクのこと言ってんのか?」
半ばキレながら言う志波。
そういえば、前にのしんやはるひと遊園地に行ったときも、観覧車でこんなことあったっけ。
でもそうじゃない。
それよりも、もっと昔の記憶。
あの時、高いところで怯えていたのは、私が頭撫でて、怖くないよってなぐさめていたのは、
「……かっちゃん」
私のつぶやきに、志波の呼吸が止まる。
その時だ。
「おいおい……お前らホントいい加減にしろよ?」
頭上から降ってくる、カチンとくる声。
見上げれば、スキーの先端を崖の上に突き出して、ストックにもたれるようにしてこっちを覗き込んでいるシンが見えた。
その隣にはクリスがいる。
「ちゃん、志波クン大丈夫なん? 落ちてもうたん?」
「つーか不謹慎なヤツらだな。こんだけ他の客に迷惑かけてんのにいちゃこいてんな!」
「誰がだ」
仰向けになってる志波は、のけぞるようにして上を見上げる。
「シンとクリスはどうしたの」
「ボクは密ちゃんと上の方に行ってたんやけど、雪強くなってリフト止まってもーたから降りてきたトコ。密ちゃんもここにおるで?」
「ま、オレもそんなとこだ。ってかどっちがコース外れたんだよ?」
「う」
「か……」
はぁぁ〜と嫌味ったらしくため息をついて、シンはコースの方に頭を引っ込める。
代わりに顔を覗かせたのは水島だ。
「! 志波くんも、大丈夫? 登って来れないの?」
「登れる?」
「やって出来ないこともない……けど、新雪はどこから崩れるかわからないからおとなしくしてたほうがいい」
「……だって」
「怪我はしてないのね? 腕は大丈夫?」
シンとは打って変わって心配そうに眉根を寄せてる水島に、私は左手を振ってみせる。
「クリス、水島、こっちは平気だ。救助も呼んでもらってる。雪が強くなってきてるから先に降りててくれ」
「ん〜ほんま? ここで励ましとらんでもええの?」
「……遭難したわけじゃない」
「そうねぇ。くんはもう行っちゃったものね」
……時々思うんだけど。
シンって笑いながら人を見捨てるタイプなんじゃないかと思う。
「そんじゃお言葉に甘えてボクら行くけど、若ちゃんセンセに連絡しといたほうがええ?」
「いや、大丈夫だろ……。集合まではまだ時間もあるし」
「そうね。遅れそうになったときだけ伝えておくわね?」
そう言って、クリスと水島がゆっくりと顔を引っ込める。
上の方ではなにかあったんですかとか、他のスキー客がわいわいしてるのも聞こえるけど。
そろそろ救助も来る頃だろう。
私は今一度足場を確認して、滑らない態勢を確保する。
それから志波を見た。
雪は一層強くなってきて、軽い吹雪とも言える状態にまでなってきた。
斜面に両肘を突っ張って仰向けになっている志波の髪に、湿り気を帯びた雪の結晶が積もってる。
帽子かぶってないから、冷たいだろう。
志波の髪についた雪を、手の届く範囲で私はほろった。
「サンキュ」
「さっきは怒ったくせに」
「……さっきのはお前が遊んだからだ」
「遊んでないよ。確かめただけだもん」
言い返すと、志波は神妙な顔をした。
じっと私の目を見返してきて、時間を置いてから口を開く。
「……何を」
「昔の記憶」
「……で、確かめられたのか?」
「うん」
「……そうか」
志波の眉尻が下がる。
なんだか、親に怒られた子供みたいな顔して。そのまま黙りこくる。
「ねぇ志波」
「……なんだ?」
「かっちゃんて、今なにしてる?」
「……」
「怒った?」
「……お前を、見てる」
伏し目がちに、志波は言葉を落とすようにぽつりと答えた。
「いつだって、お前を見てる。なにがあっても、どんなときも」
「どんなときも?」
「ああ」
「そっか」
お互い謎かけのような問答だった。
志波に感じるデジャヴを確かめたい。
だけどそれはあまりに私に都合が良過ぎる期待だったから、口にするのがはばかられた。
志波も私も黙ってしまった時、スノーモービルのエンジン音が聞こえてきた。
「大丈夫ですか!? 怪我は!?」
ゲレンデの管理員だ。
私と志波は頭上を見上げて、こくんと頷いた。
無事にクロカンコースへと引き上げてもらった私と志波。
私はそのままスキーをスノーモービルに積んでもらって、管理員に同乗して下山することになった。
だけど志波は。
「オレはいい。……少し、頭冷やしたいから」
なんてことを言って、管理員の制止も聞かずにさっさとスキーをはめて滑り降りてしまった。
ゲレンデ解散となったスキー合宿の帰り、私は志波と一緒にバスに揺られて帰ったんだけど、志波はなんだか上の空ってカンジで一言も口をきかなかった。
何を思ってるのか、私にはわからなかったけど。
家の前で別れるときに、ぽんと私の頭に手を置いた志波は幾分いつもの調子を取り戻したように笑顔を見せてくれた。
「」
そのまま言葉をつむいだ志波の目が、焼きついて離れなかった。
「……最後のクリスマス、一緒に居られてよかった。メリークリスマス」
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