「おめでとう、針谷くん、ウェザーフィールドくん、それからさん。君たちだけです。3年間テスト後の補習に皆勤だったのは」
「(志波のヤツ裏切りやがったなっ)」
「(うう〜若ちゃんセンセいつになく怖い〜……)」
「(化学しか落としてないのになんで私まで……)」
「なんですか?」
「「「なんでもないですッ!!」」」
「……まぁ、先生も今回はあまり時間をかけたくありません。ですから補習の変わりに追試を行おうと思ってます」
「マジかよ!? よしっ、1日で済むんだな!?」
「はいはい。問題は今回のテストとほぼ同じ、合格点は70点以上です。がんばればなんとかなるでしょう?」
「そやね〜。そのくらいならがんばれそうや」
「ただし」
「う」
「このテストで70点取れなかった場合は……わかってますね?」

 のしんとクリスは語る。
 このときの若先生から溢れ出た黒オーラこそが、若先生の本質に違いないと。

 ……つか若先生。
 さっさと終わらせて水樹といちゃこきたいだけだろっ!!


 58.雪に願いを


 とはいえ。
 化学だけの追試を受ければいい私には好都合の条件だった。
 教科書と参考書まるまる暗唱すればいいだけの話だし。
 こういうとき、持って生まれた才能に感謝する。

「のしんとクリスは今日氷上ン家で勉強会だって」
「……受験生にはいい迷惑だな」

 隣を歩く志波は、そんなこと言いながらも笑ってた。

 12月も半ばの森林公園。
 季節は完全な冬に移行してた。
 並木道の広葉樹はすっかり裸になってしまっていたし、春や夏に行きかっていた人もほとんどいない。

 今日だけじゃなくて、12月入ってから一気に冷え込んだから、そりゃそうだ。

「……久しぶりだな。ここに来るのも」

 並木道の奥に見える噴水を見ながら、志波が呟いた。

 志波は甲子園のあと、わずらわしいマスコミに囲まれるのを嫌がって朝のジョギングに来なくなってた。
 私と水樹は変わらずに来てたけど、志波は一度も来ていない。

 文化祭以降開き直って堂々と行動するようになった志波だけど、森林公園に一緒に来るのはそういえば初めてだった。

「葉っぱが落ちた以外変わんないよ」
「そうか」
「……にしても寒い」

 木枯らし吹きすさぶ……ってほどでもないけど。風が冷たい。

「寒いはずだ……息が白い」
「えくとぷらずむー」
「……なんだそりゃ?」
「息が白くなる頃に元春にいちゃんがよくやってた」
「………………そうか」

 なぜか志波は呆れた様子。
 そしてそのまま空を見上げる。
 飴色の重たい雲が広がる、冬の空。

「……雲が厚くなってきた」
「予報で雪降るかもって言ってたよ。寒いのヤダ」
「お前体脂肪少なそうだもんな」

 軽く志波は言うけど、実は私は案外太りやすいタイプだからその辺の調整はいつも必死だ。
 食事制限はするつもりがないから、その分体動かしてないと一気にくる。

「そういえば最近腿周りがなんかヤバイカンジがしてた……」
「季節柄じゃないのか? 寒いときはつくもんだろ」
「親父のメタボ対策もあるから、本気でルームランナーかルームステッパー買おうかな」
「オレとしては、それ以上お前に痩せられると困る」

 いつもの無表情で私を見下ろす志波。

「なんで?」
「それ以上痩せられたら、抱き心地が悪い」
「……エロ志波」
「今さらだな」
「うあ、そこで開き直るなっ」

 くつくつと喉の奥を鳴らして笑う志波にの左腕に、私は右手で正拳突き一発。
 イテェと言いながらも、志波は笑うのをやめなかった。

 ふと、その表情に見入る。

「……どうした?」
「変わったね、志波」
「……変わったのはお前もだろ」
「そうかな」

 初めて出会ったのもこの森林公園。
 言葉を交わしたのは、遅刻したときのはね学玄関。
 ケンカしたのは元春にいちゃんがはね学に仕事できたとき。

 あの頃と比べて志波は随分と変わった。

 元に戻った、なのかもしれないけど。

「一番変わったのは、関係、だな」
「うん」

 志波が左手を差し出す。
 私はその手を素直に握った。

 しばらく無言で並木道を歩く。
 風の音。枯葉の舞う音。志波と私の足音。

 不意に志波が口を開く。

「……降り始めの、一番最初の雪に触れると願いがかなうらしいぞ」
「なにそれ。そんなの聞いたことない」
「そうか?」
「だってそれなら毎年確実に雪が降る地方の人間ラクチンじゃん」
「まぁ確かにそうだ……お前夢のない言い方するな……」

 志波は再び呆れた視線を私に向けた。
 だって事実じゃんっ。

 とはいえ。

「志波だったら何を願うの?」
「……そうだな」

 願い事の内容には興味がある。
 聞いてみれば、志波は少しだけ考え込む素振りを見せた。

「相当、わがままなことだな」
「わがまま? 志波が? どんなの?」
「オレよりお前はどうなんだ」

 あ、ごまかした。

 むっとして追求してやろうと思って志波の前にまわりこんで。

 そのときだ。

 志波の肩に、白いものが落ちたのは。

「……降ってきた」

 私も志波も空を見上げる。

 鉛色の冷たい雲から、ゆっくりと大粒の雪が舞い降りてくる。
 私の頬にも一片落ちてきて、私は右手でそれを拭おうとして、志波に腕を掴まれる。

「……最初の雪に触れたら、か……」

 左手で私の頬を拭う志波。
 その目はなんだか切なげで、私じゃないどこか遠くを見てるみたいだった。

「志波?」
「そんなにたやすく……願いなんてかなうもんじゃない、よな……」
「……うん」

 着実に夢にむけて階段を上ってる志波でも、不安に思うところがあるんだろうか。
 なんだか茶化すような雰囲気じゃなくて私も素直に頷く。

「お前、一番最初の雪に触れたな」

 でもすぐに志波はいつもの様子を取り戻した。
 優しい目をして私を見下ろす。

 私は小さく首を振った。

「今のが最初じゃないよ。最初の雪は、志波の肩に落ちた」
「……え?」

 志波が自分の肩を見る。
 左肩口に、すでに融けて染みになってしまった雪のあと。

 私は神も仏も信仰してないけど。
 こういうときは思ってしまう。
 空の上にいる人たちも、どこまでも真っ直ぐな志波を応援してるんだろうなって。

「願い、叶うといいね。志波ならこんなジンクス頼らなくても夢を掴むんだろうけど」
「……」
「何願った?」

 私が訪ねたとき、なぜか志波の顔が一瞬こわばった。
 でもすぐに頭を振って、私の頬に手を添える。

「お前の」
「私の?」
「左腕が……動くようにって」

 っ。

 今度は私がこわばる番だ。

「なんっ……バカだ、志波にだって、もっと目指すものあるのに」
「オレの夢を叶えてくれたのはお前だ。だったら、今度はオレがお前の望みを叶える番だろ」

 私は志波の両腕を掴む。

 バカだ。志波はお人よしすぎる。
 完治してる腕が動かないのは、私一人の問題なのに。



 志波の優しい声に泣きそうになる。

 ダメだ。
 志波が優しいから、どんどん弱くなる自分が怖い。

……悪い」

 ところが、なぜか志波は謝罪を口にした。
 驚いて志波の顔を見上げようとしたら、強く抱き寄せられて見上げることが出来なくなってしまう。

「志波、なに」
「……悪い」
「なんで謝ってんの」
「お前の腕が動くようになってほしいってのは本当だ。でも、もしかしたら」

 もしかしたら?
 志波の腕の力が強くなる。

「もしかしたら……オレは別のことを願ったかもしれない」
「別のこと、って」
「……悪い」

 その後、志波は何度尋ねても「悪い」としか言わなくて。

 別に謝ること無いのに。
 志波に与えられた願いを叶えるチャンスなんだから、志波の本当の望みを願ったって。

 やがて、噴水前に辿り着く。
 並んで噴水の縁に腰掛けるのも久しぶりだ。
 奥の広場では、公園に入ってからの初めての人もまばらに見えた。

「お前、今年のクリスマスもサボる気か?」
「んー……」

 私は眉間に皺を寄せる。

 今年のはね学主催のクリスマスパーティは、3年に1度の山荘を借り切っての1泊スキー合宿も込みらしくて。
 そういえばはるひやクリスにも来い来い言われた。

「パーティってフォーマル推奨なんでしょ」
「まぁな」
「うー……ドレス着たくない」

 着飾るのは好きじゃない。
 でも、それも以前ほどの嫌悪感はなくなってた。

「受験組は年明けから忙しいからな。多分、クリスマスが全員揃う最後の機会なんじゃないか」
「そっか……」
「オレもお前のドレス姿に興味はある。……文化祭の劇の衣装を着てた時は綺麗だった」

 へ。

 私は志波の顔を思わず見つめてしまう。
 コイツ、こんなお世辞言うヤツだったっけ。

 私が呆気にとられていたら、志波は肩下まで伸びた私の髪を一房すくって。

「来い。……じゃなきゃ、オレが行く意味もない」
「……うん」

 思わず頷いてしまった。

 ……でもまぁいっか。

「じゃあドレス買わなきゃだめだ。選ぶのメンドクサイなぁ……」
「西本か水樹に付き合ってもらえばいいだろ」
「サイズ教えるから買って来てくんないかな」
「……人のこと言えた義理じゃないが、女としてそれはどうなんだ……?」

 などと。

 そのままそこでしばらく他愛ない会話をしてたんだけど。

 雪が本降りになってきて、気温もどんどん下がってきたから家に戻ることにした。
 志波は手袋をはめてない私の手を握って、自分のコートのポケットにつっこんで。

 寒がりの私には、あったかくて嬉しかった。

「今日親父が日本海方面から帰ってくるから、鍋だよ。食べてく?」
「……お前の家は冬に入ってから鍋率異様に高くないか?」
「いいじゃん。準備楽だしあったまるし」
「だな。シンは?」
「……そういえば今日は小石川が来てるんだった。平賀も呼んで野球部OB鍋パにしよっか」
「お前もだいぶ大人数に慣れたな」
「うん」

 志波はくしゃりと私の髪を掴むように撫でて。

 私たちは、雪の降る並木道を進んでいった。

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