文化祭から1週間。授業も終わった放課後。
推薦結果待ちの志波は、ちょくちょく後輩指導として野球部に顔を出してる。あいかわらずマスコミも志波にべったりだ。
私は一人夕暮れ差し込む廊下を歩いていた。
56.師弟
手には資料室でコピーした専門学校の資料。
志波が示してくれた写真家という道がどんなものなのか気になって。
放課後、初めて進路資料室に出向いた。
偶然資料室で赤本の整頓をしてた教頭には目を丸くされたけど。
ぱらぱらとめぼしい学校の資料を探してコピーして。
気づけば窓の外は真っ赤になってて。
そろそろ帰ろうかな、と思って出てきたところ。
野球部の練習はまだ続いてるだろうから、顔出していこう。
……黙って帰ったら、志波に文句言われるし。
文化祭以来、志波は私の側にいつもいてくれる。
マスコミがいようと、追っかけがいようと。
志波は、優しい。
私は志波にもらった新しいリハビリ用のクッションボールをぐにぐにと掴みながら廊下を歩いていた。
化学室の前に差し掛かる。
そういえば、専門学校に行く場合も成績証明書やら卒業見込み書やら書いてもらわなきゃなんないんだっけ?
まだ受けるかどうか決めてないけど、必要なものなら若先生に声をかけといたほうがいいかもしれない。
若先生、まだいるかな。
私は化学準備室に足をむけた。
その瞬間だ。
ガンッ!!
金属壁を叩いたような、激しい音がいきなり聞こえてきた。
音の出所は、化学準備室。
……ってちょっと待った。
前にもこんなことなかったっけ?
なんか、ヤな予感。
私は足を止めてじーっと化学準備室のドアを見つめて。
……行ってみよう。
そう思って足を踏み出した瞬間、
バンッ!!
二度目の金属音。
誰だ、派手なことしてるの。
もしかして若先生、棚の整理しようとしてあちこちぶつかってるとかそういう間抜けなオチ?
きっとそうだ。うわ、今行ったら手伝いさせられるんじゃないの。
やめたやめた。若先生に書類のこと聞くの、明日にしよ。
そう思って、踏み出した足を戻そうとして。
ゆっくりと、化学準備室のドアが開いた。
うあ、タイミング悪いっ。
出てきたのは、やっぱり若先生。
いつもの白衣姿で俯きがちに出てきて、後ろ手にドアを閉める。
……なんか。様子が。
「若先生?」
声をかけると、若先生は顔を上げた。
初めて見るかもしれない、若先生の表情。
笑ってるのに泣いてる、疲れ果てた顔してる。
「どーしたの若先生……。今なんかすごい音したけど」
つい1時間ちょっと前のHRで見せてたのんきなツラとは全然違う様子に、さすがに面食らう。
すると若先生は、口元に自虐的な笑みを浮かべて、ずかずかとこっちにやってきた。
そして私の右腕を乱暴に掴んで引きずるように歩きだす。
「ちょ、若先生!? 痛いって!」
抗議の声を上げても若先生は聞き入れない。
なんなんだ一体っ!
無理矢理振りほどこうとしても、こめられた力がものすごく強くて、私の力じゃ無理だった。
「若先生、ねぇ」
なんか、ちょっと怖い。
若先生はこっちを振り向かずに階段を上がってく。
無言のまま連れてこられたのは屋上。
11月の夕方の風は、さすがに上着無しだとちょっと寒い。
そこで若先生は、ようやく私の腕を解放してくれた。
そしてそのまま給水塔の上に上っていって、少し足を投げ出すような形で座り込む。
はぁ、とため息ついてうなだれた様子はただごとじゃない。
……で、私にどーしろと。
若先生に思い切り掴まれてじんじんする右手首をふりながら、とりあえず私も給水塔に登った。
対面に腰掛けて、若先生の様子を見る。
眼下では、ラクロス部と野球部が仲良くグラウンドをわけて練習してた。
「いきなり人をこんなとこ連れ出して。一体なに」
「うん」
返事をして顔をあげた若先生は情けない顔をしながら笑っていた。
「先生、振られちゃいました」
「…………は?」
自虐的に笑う若先生の言った言葉に、私の目が点になる。
振られた? 若先生が? 誰に?
って、一人しかいないけどさ。
「……水樹に?」
「はい」
「はぁぁ? ちょ、なんで? だって若先生と水樹って結婚したんじゃないの?」
私の言葉に、若先生は眉尻を下げて「ははっ」と笑った。
いやだって、ほら。
確か文化祭の手芸部のファッションショー。
3年生作品のモデルやった水樹は、ウェディングドレスを着てセレモニー形式のショーのオオトリをやって。
あれの新郎役、若先生だったじゃん。
あげくに調子に乗って、ステージの上で誓いのキスしたんじゃなかったの?
翌日から水樹が若嫁だの若妻だの呼ばれてるの、やめさせようともしてなかったのに。
水樹だって、否定してなかったのに。
「結婚したつもりでいたのは僕だけだったみたいです。ものの見事に振られちゃいました」
「ました、って。本当に? また水樹怒らせるようなことしたんじゃないの?」
「どうだろう。でも、彼女は卒業後に北海道に帰るって決めたみたいだから」
なんで。
若先生が教えてくれた話が信じられなかった。
だって、水樹はあんなに若先生のことが好きだったのに。
若先生のことが好きだったから、あんなに悩んだり、苦しんだり、いろいろ傷つきながら、でも若先生の側にいようとしてがんばってたのに。
信じられない。水樹が若先生のこと嫌いになるはずないし。
なんで、自分から大好きな人と離れようなんて。
……。
あ。
「僕は勘違いしてたんだ。水樹さんは、僕に亡くなったお兄さんの面影を重ねてただけだったのに。一人で浮かれて」
「若先生、違うって」
「僕に世界の彩を取り戻してくれた彼女を、僕はまた罵って」
くしゃりと片手で顔を覆うようにして、前髪を掴む若先生。
違う、若先生。
水樹の気持ち、私にはわかる。
私からしてみれば、水樹はなんだって出来るし出来ないことも努力するすごい子だけど、水樹自身は自分に自信が持てないんだ。
水樹は真面目だから。生徒と教師の壁を、自分で厚く高くしてしまってるだけだ。
自分から諦めてしまってるだけだ。
少し前の、私みたいに。
「若先生」
私は若先生の白衣の袖を引っ張った。
苦しそうな表情をした若先生は、視線を私に向ける。
「志波になって」
「……はい?」
一瞬、目を点にする若先生。
あー、内容端折りすぎたか。
「だから」
説明をしようとして。
その時、屋上のドアがバンッ! と派手な音を立てて乱暴に開かれた。
飛び出してきたのは志波だ。
あれ。野球部の練習してたんじゃないの?
「!」
「なに」
怒りの形相でこっちを見上げてくる志波に、給水塔から身を乗り出して答える。
「降りて来い!」
「……どうかした?」
「いいから、降りて来いっ!」
何事?
私はきょとんとする若先生と顔を見合わせながらも、言われたとおりに給水塔を飛び降りた。
そこに志波が足音荒くやってきて、ぐいっと私の右腕を掴む。
「いっ……!」
さっきも若先生に思いっきり掴まれたところっ!
志波にも力任せに掴まれて、思わず声が出る。
でも志波はそんな私にお構いナシに、なぜか私を背後に庇うようにして。
きっ、と。
給水塔の上の若先生を睨みつけた。
「これ以上、コイツを振り回さないでください!」
志波。
……もしかして、心配して来てくれた?
「志波」
「帰るぞ」
「ちょっと待って、そうじゃない」
「何がだ。いいから行くぞ」
「だからちょっと待っ」
若先生の返事も待たずに、くるりと踵を返す志波。
って、まだこっちの話終わってないって!
志波を引きとめようと足を踏ん張って説得を試みようとして。
しくしくしく……
頭上から、前も聞いたことある悲惨な声が響いてきた。
発生源は言わずもがな。
給水塔の上で、若先生が膝を抱えて縮こまって、人差し指をぐりぐりと床におしつけて。
「ひどいですさんも志波くんも。傷心の先生にそんなラブラブっぷり見せつけなくたっていいじゃないですか……」
えーい、うっとうしいっ!
私は眉間に皺が寄るのを感じながらも志波を振り向いた。
「志波も来て」
「……は?」
「いいから来るっ」
呆気にとられてた志波の腕を逆に掴んで、私はもう一度給水塔に登る。
下で志波が「制服で高いところに上るな」とかなんとかぶつぶつ言ってたけど、それは無視。
「早く来る!」
「……」
同じく眉間に皺を寄せた志波も、給水塔の上に上ってきた。
さすがに3人座り込むには給水塔の上はせまい。
私は先に志波を座らせて、その膝の上にちょこんと座った。
「おい。ちょっと待て。ナチュラルに人の膝の上に座るな」
「なんで。仕方ないじゃん、せまいんだもん」
「そういう問題じゃない」
「だったらどういう問題なの」
「……先生の前で、はマズイだろ……」
「なんで」
「…………」
志波が黙り込んだから、了承したものとみなす。
私は恨めしそうな目をしてる若先生に向き直った。
「若先生が、水樹に振られたって思い込んでる」
「は?」
ほら、志波だってありえねぇ、って顔してる。
「若先生」
私は膝を抱え込んでる若先生の白衣の裾をもう一度掴んだ。
「水樹は絶対若先生と離れたくないって思ってるよ。でも、どうしても自分からは近づけないって諦めてるだけ。だから、若先生が志波みたいに」
自分の名前が出てきて、志波が首を傾げた。
「……志波みたいに、今の立場とか、そういうの関係ないって言ってあげて。水樹は真面目で努力家だけど臆病だよ。若先生、もう一回水樹と話して」
「さん」
若先生が目を見開いて私と志波の両方の顔を交互に見た。
「さんは志波くんにそう言われたの?」
「うん。側にいていいんだって言ってくれて嬉しかった」
「そう」
若先生があったかく微笑む。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
「……少し、考えて見ます。教師が教え子に諭されてちゃ、立場がないけど」
「何言ってんの。年がら年中教師のかけらなんかないくせに」
「さんの毒舌も、今日ばかりは大目に見ておきます」
そう言って、似合いもしないウインクをする若先生。
つか今日ばかりはってなんだっ。
「ありがとう、さん。それと、志波くんも」
「別に、オレはなにも」
「いえいえ。大事な彼女振り回してしまってすいませんでした」
「……」
若先生の言葉は、からかってんのか本気なのかよくわかんなかったけど、志波はふいと視線をそらす。
そしてそのまま若先生は給水塔を降りて、屋上を出て行った。
うまく行くといい。
若先生は、なんだかんだと私に一番近い存在だから。
若先生も、一人で彷徨うことはもう終わって欲しい。
私は屋上のドアが閉まるまで、若先生の後姿を見つめた。
と。
不意に後ろから抱きしめられる。
「志波」
「心配させるな」
腰に腕を回されて。
私はそのまま志波にもたれかかった。
「ごめん」
11月の風も、志波に触れていればちっとも寒くない。
「志波、ごめん」
「いい。怒ってない」
「そうじゃなくて」
肩越しに志波を振り返る。
志波は不思議そうな顔して私を見てた。
「若先生見てて、志波も辛かったんだってようやくわかったから」
拒絶されることの辛さ。
落ち込む若先生を見てて、思い知った。
あの時は私は志波に近づけないって、自分の視界でしかものを考えられなかったけど。
志波だって、私に拒絶されて辛かったに違いない。
だけど志波は、それを許してくれた。
そんなこと、気づきもしなかった私を。
くるりと体ごと振り返って、志波の肩に額を乗せる。
「ありがとう」
「……随分素直だな」
クッと喉の奥で笑って。
志波は私の髪を撫でた。
……ところで。
「志波、なんでここがわかったの?」
額を離して志波の顔を覗きこむ。
校舎からここに来るまで、誰ともすれ違わなかった。
大体、グラウンドにいたはずの志波が、どうやって私と若先生が一緒にいることを知ったんだか。
すると志波は私の左頬をぐにっとつまんで。
「給水塔の上、グラウンドから見えるだろ」
「あ、そっか」
下から見上げる形になるから、屋上のほとんどは死角になってるけど、給水塔は高いところにあるからグラウンドのどこにいたって見上げれば視界に入る。
「1年のフォームチェックしてるときにお前と先生を見つけて、焦った」
「なんで?」
「……犬と猫より、猫と猫のほうが気が合うだろ」
なんだそれ。
でもまぁ、それで納得がいった。
疑問が解決したところで。
私は立ち膝して志波を見下ろす。
「しば」
志波の首に腕をからめてねだるように見つめれば、志波も苦笑しながら上をむく。
私はゆっくりと顔を近づけていって、
ぐきっ
「だっ!」
いきなり顎を平手で押し上げられた。
つかなんだいきなりっ!!
「志波っ、なにする」
「中止」
「はぁ?」
「離れろ」
ずきずきする顎と首をさすりながら見下ろせば、志波は顔を赤くして眉間に皺を寄せていた。
なんなんだっ。
「いきなりなにっ」
「いいから離れろっ」
「やだっ。痛かった!」
「……痛くしたのは謝るから離れろ」
「なんで!」
「人前だっ! ……グラウンド!」
しつこく聞いてやれば。
志波はぎりぎりと歯を噛み締めながら、グラウンドを指差した。
膝の上に居座ったままグラウンドに視線を向ければ。
野球部にラクロス部。学校の敷地を囲むフェンスの向こうには報道陣。
みんながみんな、こっちを見上げていた。
……下から見上げる形になるから、屋上のほとんどは死角になってるけど、給水塔は高いところにあるからグラウンドのどこにいたって見上げれば視界に入る。
あーなるほど。
「わかったらさっさとどけ」
「やだ。今さらじゃん」
「あのなっ」
「寝っ転がれば案外わかんないんじゃないの?」
「おまっ……押し倒すなっっ!!!」
おおーっ
グラウンドからの喝采を浴びながら。
私は給水塔の上で往生際の悪い志波としばし格闘するのだった。
数日後。
『甲子園ヒーロー熱愛発覚!? 学校の屋上で激写!!』
「……」
「……」
「年頃の男女が恋愛をするなとは言わん。だが高校生らしい品位と節度くらいわきまえんかっ!!」
3流週刊誌にすっぱ抜かれた紙面を前に、私と志波はぎゃんぎゃんと教頭の説教を聞くはめに。
「(若先生と水樹の情報リークしたら教頭の説教終わるかな)」
「(お前……頼むから常識身につけてくれ……)」
「聞いとるのかお前たちはっ!!!」
Back