衣装合わせ、通し稽古、そして音楽も照明も本番同様のゲネプロを終えて。
 本番の日がやってきたときには、私の気持ちは落ち込むところまで落ちていた。


 55、3年目:文化祭当日


『まもなく、羽ヶ崎学園、学園演劇を行います……』

 体育準備室で待機してる私たちの耳にも、学園演劇開演のアナウンスが流れてくる。

「うーっ、いよいよやな! アタシは舞台に出ぇへんけど、ドキドキするわー!」

 両手をぶるぶると震わせて、はるひがぎゅっと目をつぶる。

「がんばってな、もサエキックも! 志波やんには悪いけど、めっちゃラブラブなクリスティーヌとラウルを期待しとるからな!」
「無理。佐伯のマスカレードリードしなきゃなんないし」
「ウルサイ。お前こそ歌以外の台詞棒読みなのどうにかしろ」
「アンタらどっちも致命的な大根役者やもんな……」

 ほんと演技指導のしがいのないやっちゃ、などと言いながらはるひはため息をつく。
 うるさいっ、文句あるなら強引に配役した生徒会に言えっ!

 そこへ。

「ギリギリセーフ! ファントムの着付けとメイク終わったよ!」

 更衣室としてカーテンで仕切っていた体育準備室の奥から、特殊メイク担当をしていた美術部有志が額の汗をぬぐいながら出てきた。
 その後ろから、頭ひとつと言わずふたつくらいでかいファントムが現れる。

 その場は一瞬静まり返って。

 おおーっ!!

 ぱちぱちと拍手が沸き起こった。

 真っ黒なテイルコートと外套を纏い、顔の右半分に仮面をつけた志波。
 意外や意外。
 すごくハマってた。

「志波やんカッコいいやん! サエキックに勝るとも劣らないってカンジ!」
「だよな! つかここまで似合うとはオレも思ってなかったっつーの!」

 はるひとのしんにばしばし叩かれながら口々に褒められて、志波は少し赤くなって落ち着かない様子で視線を泳がせてる。
 でも、私に気づいてこっちにやってきた。

「似合ってるじゃん。仮面の下は?」
「いろいろつけられた」

 本番前に疲れた、と呟いて志波は私の隣の椅子に腰掛ける。

「……ドレスじゃないのか?」
「クリスティーヌは最初コーラスガールで、そこから舞台女優に転身すんの。台本読んでるくせに、まだンなこと言ってんの?」
「コーラスガールと女優の何が違うかわからん」

 全然違うって……。
 でもなんか、のんきな志波を見てたら肩の力が抜けた。

 そこにブザーの音が鳴り響く。

『これより、羽ヶ崎学園、学園演劇を行います……』

 開演直前のアナウンス。
 私たちは全員立ち上がって、のしんを中心に円陣を組んだ。

「よーっしお前ら! 気合入れてけよ! 客全員泣かしてやるつもりでな! いくぞっ」
「「「おーっ!」」」

 主役3人以外は元気よく掛け声をかけて。

 私は舞台袖に続く階段に足をかけた。
 クリスティーヌの出番は頭から。

 非常に有名なオープニングテーマが流れたあと、緞帳がゆっくりと上がる。

 最後の文化祭の幕が、文字通り今、上がった。



 オペラ座の怪人といえばミュージカルの代名詞とも言える作品だし、知ってる人も多いと思ってたけど、実行委員の中にも知らないヤツが半分くらいいた。
 志波と佐伯もそう。
 私は以前ロンドンにいたときにお母さんと一緒に見たことがある。

 1800年代半ばのフランス・オペラ座。
 そこでコーラスガールとして舞台に出ていたクリスティーヌは、プリマドンナの急な降板で急遽代役を務め上げたことにより舞台女優に転身する。
 クリスティーヌはそこで幼馴染のラウルと再会して、女優としての名も上げていき前途洋洋な人生を歩み始めるんだけど。

 オペラ座に昔から巣食うといわれていた怪人がクリスティーヌに恋をする。

 あの手この手でクリスティーヌをプリマドンナに仕立て上げようとするファントムは、脅迫や殺人にまで手を染めて、狂気とも言える愛情をクリスティーヌにそそいでいく。
 そこで幼馴染から恋人に昇格したラウルが恐怖に怯えるクリスティーヌを優しく慰めるんだけど。

 現場目撃したファントム逆ギレ。

 シャンデリア落としなんぞという荒業に出たあげく、新しいオペラの主演男優を殺してなりかわり、クリスティーヌを地下水路にさらうという暴挙に出て。
 追いかけてきたラウルの首に縄をかけ、「私を嫌えばコイツ殺す」とかわけわかんないことまでほざきだすんだから。

「ったくストーカーってこれだから」
「……お前、説明するときは主観を省いて説明しろ」

 話を知らない志波と佐伯に親切に説明してやったのに、なぜか文句を言われたときは納得いかなかったけど。

 ……とまぁ、ざっくりと言ってしまえばこんな話だ。
 初めて舞台を見たときは10歳だったこともあって、こんな悪い怪人最後ああなって当たり前、なんて思いながら見てたけど。

 今ならわかる。

 醜い容姿で生まれたって理由だけで親から嫌われて、ずっと孤独で愛を与えられずにいたファントムがクリスティーヌに恋をして。
 でも愛し方を知らないからあんな乱暴なことしか出来なかったんだって。

 オペラ・イルムートの舞台中に起こった殺人事件に怯えるクリスティーヌ(私)を屋上で慰めるラウル(佐伯)。
 近い距離で見詰め合う私たちの顔は、お互いひきつりそうになるのを堪えてるものだから、かなり滑稽な顔してるんだろうけど。
 それを切なげに見つめるファントム(志波)を視界の隅にとらえて。

「(っ、笑うな!)」
「(だってありえないこんなシチュエーション……)」

 口元が緩みそうなのを俯いて隠して、肩を震わせる。
 なんとかその場をやりすごして舞台袖にはければ、

! アンタ今までで最高の演技やったで! 恐怖で震えるなんて、まさに迫真の演技やん!」

 ……まぁ結果オーライだったからよしとする。



 志波の様子がおかしいことに気づいたのは、劇も終盤に近づいた頃だった。

 新しいオペラ上演中に再び殺人を犯し、クリスティーヌをさらうファントム。
 つまるとこ私は今、志波に導かれるようにして地下水路をもぐっていくシーンを演じているんだけど。

 ファントムの隠れ家に連れてこられた私。
 ここでファントムはクリスティーヌにウェディングドレスのベールをかぶせて結婚を迫るって場面なんだけど。

 なんだかわかんないけど、めちゃくちゃ乱暴にベールをかぶされた。
 思わず素で抗議の声を上げそうになって。

 だけど志波が。
 私の右腕を掴み上げて、鬼気迫る表情で見つめてきたから、言葉が告げられなかった。

「オレを選べ」

 台詞が違う。
 目を瞬かせて志波を見つめると、志波は追い詰められたような表情をして私を見ていた。
 実際、今ファントムは追い詰められているんだから、その表情は正しいんだけど。
 演技とは、とても思えなくて。

「……し」
「オレを選べ。ここで、永遠に、……クリスティーヌっ」

 肩を激しく掴まれて、気づく。

 やっぱり、演技してない。

「志波」

 つい私も演じることを忘れて、手を伸ばしかけるけど。

「クリスティーヌッ!!」

 舞台反対側から飛び込んできた佐伯扮するラウルの叫びに、我に返る。
 そうだ。演技、演劇の最中だ。収拾つけないでどうするっ。

「ラウル!」

 志波の手を振り払って佐伯の方を振り返り、私も叫ぶ。

 駆け寄ろうとするのをファントムに遮られ、逆にラウルはファントムの罠に落ちる。
 不用意に近寄ろうとして、仕掛けられた罠に気づかずに。
 ファントムがマントを大きく翻した瞬間、ラウルの首にロープが巻かれてきつく締め上げる。

「うわぁっ!」
「ラウル!」

 クライマックスだ。
 観客も息を飲んで舞台を見つめてる。

「選ぶがいい!」

 ラウルの元に駆け寄ろうとする私の手を掴み、乱暴に振り向かせるファントム。
 志波の目は、嫉妬に狂ったファントムそのものだった。

「私の愛を受け入れあの男を助けるか、私を拒絶してあの男の死を見るか!」

 怒りに満ちた声音なのに、とても悲しい目。

「クリスティーヌ、逃げるんだ! 私に構うな!」

 ラウルの声が届かないくらいに、私はその目に魅入っていた。


 配役ミスだよ、これ。
 私が今見てるファントムは、志波がやる役じゃない。
 誰からも愛されず、心から愛した人を傷つけることしか出来ない、哀れな怪人。
 その怪人に惹かれながらも、ラウルと共に生きることを選ぶクリスティーヌ。

 私と志波の立場そのものだ。

 この怪人は、私自身だ。

 どこにも行けない。大好きな人を引き止めることも出来ない。


 だけど。


「志波」

 小さく声をかければ、志波は驚いた様子で目を見開いた。

 志波の気持ちに、賭けてみたい。

「一度は心を捧げた人」

 私はクリスティーヌの台詞を告げる。

「あなたは一人ぼっちじゃない」

 でも、ここからの台詞は。

「私の心を、見せてあげる」

 ファントムの孤独に気づき哀れんだクリスティーヌが、怪人にキスをするシーン。
 志波に近づきその頬に手をかければ、無粋な志波ファンから悲鳴が上がった。
 もちろん無視。

 私は両手で志波の顔を掴んで、おもいきり背伸びした。
 直に唇が触れて、演技ではなく、志波が硬直した。

 ゆっくりと離れて手を離せば、唖然とした表情の志波と目が合う。

「(台詞!)」

 完全に思考停止してた志波に、客席にばれないように合図すれば、ようやく志波の硬直が解けた。

「……行け……あの男と共に。振り返るな。逃げるんだ」

 クリスティーヌの想いに感動し、絶望し、ファントムは二人を解放する。
 私は首を絞められてるってのにぽかんとした顔してる佐伯のもとに駆け寄り、ロープを外した。
 お互いの無事を確かめて喜び抱き合うクリスティーヌとラウル……はさくっと演じて。

 私はもう一度ファントムのもとへ。

 ファントムの手をとり、ラウルから貰った婚約指輪を渡す。
 ……実際にクリスティーヌがどんな想いで指輪をファントムに渡したのかはわからないけれど。

「クリスティーヌ……愛している」

 ファントムの悲痛な愛の告白にも、クリスティーヌは黙ってその場を去る……予定だったけど。

「待ってる」

 観客に聞こえないほどの小さな声で告げれば、志波はもう一度目を見開いた。

 クリスティーヌはラウルと手をとりあって地下通路を脱出していく。
 私と佐伯が舞台袖にはけたあと、ファントムが泣き崩れた。

「クリスティーヌっ……愛しているっ……愛しているっ!」

 あとは志波の一人舞台。
 独白のあと、オペラ座の闇に消えるところまで。

 私はそれを見ずに更衣室を兼ねている体育準備室まで降りた。

「お疲れさん、! ラストシーンよかったで! さすが息ぴったりのコンビやな!」

 顔をくしゃくしゃにして大絶賛してくれるはるひに笑顔を向けたあと。
 私はウィッグを掴んで乱暴に外す。

「ってちょぉ待ち! このあとカーテンコールあるんやから、まだ着替えたらアカン!」
「出ない」
「で、出ないてアンタ……ちょぉ、どこ行くん!?」

 ドレスを着替える時間も惜しい。
 私ははるひの制止を無視して、体育準備室からグラウンドに出た。

 後夜祭準備をしている連中がぎょっとしてコッチを見るけど、無視。
 私はドレスの裾をたくしあげて、駆け出した。
 裏手玄関から校舎に入り、購買前の階段を駆け上がる。
 文化祭の最中は妙なコスプレして集客してるヤツらもいるからそれほど目立たない……と思ったんだけど、やっぱこんなもさもさしたドレスは目立つみたいだ。

 すれ違うヤツ全員に振り返られるけど、私は階段を2段とばしで駆け上がり、文化祭期間中キープアウトのテープが張られてる屋上のドアを開けて外に出た。

 海に近いはね学の屋上はいつも風が吹いてる。
 11月の風は、むきだしの肩には少し冷たい。

 中庭を見下ろせるほうを覗いてみれば、色とりどりの屋台が見えた。
 確か野球部は今年も焼き鳥屋のオレンジ色の屋台。
 私の阻止もむなしく発行されたらしい全国女子マネ図鑑の売れ行きはどうなんだろ。売れてんなら、あとで肖像権代としてピンはねしてやる。

 反対側はグラウンド。
 後夜祭でキャンプファイヤーをやろうと提案したクリスの意見は無事に通ったらしく、その設営準備中だ。
 またフォークダンスでもやるのかな。どうせなら花火とか派手なことやればいいのに。

 私はフェンスに背を向けて、もたれかかる。
 目の前には春のお昼寝スポットの給水塔。
 さすがにこのドレスでは上れないから見上げるだけだ。


 ……今朝まで、あんなに憂鬱だったのに。
 今は、なぜか心が凪いでいた。


 ふぅ、と息をついたとき、バタン! と乱暴に屋上のドアが開いた。
 志波が、来た。

「志波」

 声をかけると、怒った顔してこっちを睨みつける志波。
 カーテンコールのあと、そのまま来たんだ。志波もテイルコートにマントを羽織ったファントムのままの格好。
 さすがに仮面と特殊メイクは剥がしてあったけど。

 志波はずかずかと大股でこっちにやってきた。
 怒りに満ちたその顔の眉間の皺は深い。

 がしゃん!

 私は肩を押され、乱暴にフェンスに押し付けられた。
 そのまま志波は大きな手で私の両手を掴んでフェンスに縫いとめる。

「し」

 抗議を上げるヒマもあればこそ。

 志波は無言のまま、乱暴にキスをしてきた。

 何度も、何度も、何度も。

 それは荒々しくて、優しさのかけらなんか微塵もなくて。
 息苦しくなって顔を背けても離してもらえなかった。

 解放してもらえたのはどのくらいたってからか。
 肩で息をするくらい苦しかったけど、つなぎ止められた手はそのまま。

「お前っ……ふざけるなよ……!」

 怒り収まらずといった口調の志波を、ゆっくりと見上げる。
 そこにあった志波の目は、さっき舞台の上でも見たファントムと同じ目をしてた。

「あんな役、やらせやがって」

 配役決めたの私じゃないんだけど。
 反論する気はなかったから、そのまま黙って聞く。

「お前が、脚光を浴びてるのを黙って見てるしか出来なくて、佐伯と親密になっていくのを見せつけられて」

 ぎり、と歯をくいしばる志波。

「お前が、こんな気持ちでいるって、この役をやるまで気づかなかった」

 志波の顔が、悲しみに歪む。

「……解ってるつもりでいた自分が、情けなくて腹が立つ……!」
「志波」

 俯く志波の手から力が抜ける。
 私は自由になった手で、志波の頬を撫でた。

 いつだって志波は自分自身を責めてばかりだ。
 自分に厳しくて、そんな志波に甘えてるのは私の方なのに。



 顔を上げた志波は、もう迷いのない目で私の目を真っ直ぐに捉える。

「もう待てねぇ」
「っ」

 全身が凍りつく。
 覚悟しておかなきゃと思っていた言葉を聞かされて、声が出せない。

 でも志波は大きく首を振って、もう一度切ない表情で私を見つめた。

「もう一人で苦しむのはやめてくれ。対等だとか、そんなのは関係ねぇだろ」

 訴えるように告げる志波が、私の両肩を掴む。

「……なぁ。お前、自分がなにも出来ないヤツだと思ってるだろ。そうじゃない。そうじゃ、ないんだ」

 志波の右手が私の左頬を包む。
 温かくてほっとする。志波のおっきな手。

「お前が、オレの背中を押してくれた。お前の手が、オレには必要なんだ……好きなんだ」

 強く、強く、抱きすくめられる。
 志波の肩越しに見える抜けるような青い空がまぶしくて、目に沁みた。

「好きだ、、お前が好きだ。だからもう」

 志波が私の顔を覗きこんで、眉根を寄せる。

「だからもう、一人で泣くな……!」

 溢れ出る涙をとめることができない私と額をつき合わせて、志波は子供をあやすように何度も私の背中を撫でてくれた。

「しば」

 言いたいことはたくさんあるのに。

「し、ば。志波っ……」

 名前を呼ぶだけで胸がいっぱいになって、何も言えなくなる。
 足に力が入らなくなってずるずるとへたりこむ私を支えながら、志波もその場に座り込む。

「しば、私、左、腕」
「大丈夫だ、必ず動くようになる。それまではオレがお前の左腕になる。なにも心配するな」
「でも」
「だいたい対等ってなんだ。目指してるものが違うのに対等も何もねぇだろ」
「そうだけど」
「口答えするな」

 ぐに。

 志波が私の左頬をつまむ。

「……痛い」
「いつまでも聞き分けねぇこと言ってるからだ」
「だって」
「今のお前でいい。高みを目指すのは構わない。でもその間お預けくらってるオレの身にもなれ」
「……シンみたいなこと言ってる」
「言ってろ。もう待てねぇって言ったはずだ」

 ぷ。

 おもわず噴出してしまう。

「はは」

 涙を零したまま私は肩を揺らした。
 志波もふっと相好を崩して微笑んでくれる。

 私は腕を伸ばして志波に抱きついた。

「志波」
「なんだ?」
「好き」
「……そうか」
「うん」

 志波はぽふぽふと私の背中を叩く。

「……
「なに」
「お前が好きだ」
「……そっか」
「ああ」

 私はぎゅっと志波にしがみつく腕に力をこめて。

 体を離して、ごしごしと涙をぬぐう。
 その間に、志波は身につけていたマントを外して、寒風にさらされていた私の肩にかけてくれた。

「志波」
「なんだ?」

 志波の温もりを持ったマントを両手で掴んで、私は志波の優しい目を見上げた。

「もっと」

 一瞬志波は目を点にしてきょとんとして。
 でも次の瞬間には噴出していた。

「お前な」
「なに」
「誘い方、エロい」

 くつくつと笑いながらも、志波はもう一度キスしてくれた。
 今度はあったかくて、優しいのを。



 しばらくそのまま志波にもたれて屋上にいた。
 でもふと思い出して、すっくと立ち上がる。

「どうした?」
「志波、体育館行きたい」
「……なにかあるのか?」
「吹奏楽部の演奏」

 突然立ち上がった私に対して驚きもせずに志波も立ち上がり、私を見下ろす。

 水島がクリスに、今年は変わったことをやるから見に来てって言ってるのを文化祭準備中に聞いた。
 確か、のしんのバンドとコラボするとかなんとか。

「……見ても平気なのか」

 ぽす、と私の頭に手を置く志波。
 私はこくんと頷く。

「志波、一緒に来て」

 志波が一緒なら、きっと大丈夫。
 自分の今を素直に受け入れられると思う。

「わかった」

 志波が頷く。

「その前に着替えて来い」
「……忘れてた」
「忘れるな。西本と演劇部がキレてたぞ」
「志波だってファントムのまんまじゃん」
「……野球部屋台から焼き鳥でも持ってくか」
「それがいいかも」

 などと軽口叩きながら。

 私と志波は屋上を出た。



 カーテンコールをブッチしたことをはるひに謝り、衣装のまま駆けずり回ったことを演劇部に謝り。
 体育準備室を使う演目がなかったことから、私はそのままそこで制服に着替えた。
 ステージも学園演劇の大道具をはけて、次の吹奏楽部のパーカッションの運び込み中だから、のんびりと着替えて。

 志波を待たせてること忘れてた。

 がらっと体育準備室のドアを開ければ、そこには他校生も混じって志波を取り囲んでる女子の輪が出来てた。
 野球部を引退しても志波の人気はあいかわらずだ。



 志波が私に気づく。それと同時に追っかけ集団も私を振り向いた。

「終わったか」
「ん」
「そうか」

 頷いて、志波が追っかけたちを掻き分けてやってくる。

「先に飯食うぞ。腹減った」
「いいよ」
「ええっ、ちょっと待ってよ!」

 そこに割って入ってくるのは追っかけの中のひとり。
 うらめしそうな顔して私を睨みつけてから、抗議の声を上げる。

さんいっつも志波くんと一緒にいるじゃん! 文化祭のときくらい独り占めしないでよ!」

 そうだよーと、まわりのコもそのコの言葉に同調する。

 でも、私が反論するより早く動いたのは志波だった。

 私の右手をぐっと握って、追っかけのコたちをジロリと睨みつけたんだ。
 長身コワモテ無愛想に睨みつけられて、さすがにびくっとすくみ上がる追っかけたち。

「こっちが先約だ。……これから先、ずっとな」

 甲子園ヒーローの問題発言に、追っかけたちは絶句。
 志波はそれを無視して私の手を引いて歩き出して。

 ぴたりと止まったから、私もつられて止まる。

 目の前には。

「あれ、水樹? に、若先生?」

 いつのまに近寄ったのか、ものすごく目をきらきらさせた水樹と若先生が両手を拳にして胸の前に持ち上げた状態で。

さんと志波くんってっ、付き合ってるんだよね!?」

 なぜか妙に期待に満ちた眼差しで、嬉しそうにそんなことを聞いてきた。
 きょとんとする私に対して、志波は噴出す。

「ああ」

 志波がしょうがない、って風に答えると。
 水樹と若先生は両手をあげて万歳三唱。

「バンザーイッ、おめでとう志波くんっ」
「長かったですねぇ。志波くん、先生も祝福しちゃいます!」

 ……なんなんだ、一体。

 通り過ぎても万歳を続ける二人を振り返りつつ、私と志波は文化祭で賑わう校舎へと向かった。

「何か食いたいものあるか?」
「とりあえず中庭のジャンク屋台全制覇っ」
「基本だな。行くか」
「うんっ」

 手を繋いだまま。

 私たちは歩き出した。

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