時間はどんどん過ぎていく。

 学校全体が文化祭準備に取り掛かる頃には今年の高校生ドラフトも終了し、シンはめでたく地元球団から1位指名を受けた。
 肩の怪我も順調に回復して、年明けのキャンプに参加することにも問題はないらしい。
 国体はエースピッチャー不在ということもあって2位という結果に終わったけど、野球部のみんなは賑々しく3年追い出し会を催してくれた。

 たかが半年程度しかいなかった私までもが盛大に送られるのが変なカンジだったけど、楽しかった。
 その日だけは学校側が配慮してくれて、マスコミも部外者も一切合財シャットアウトしてくれたから。
 久しぶりに志波が楽しそうにしてるのを見て、私も少しだけ気持ちが晴れた。

 そんな中で当然出てくる進路の話。
 小石川は志波と同じ一流体育大を一般受験するらしい。なんでも、スポーツ医学の分野を勉強してこれからもシンのサポートをしていきたいんだとか。
 それを聞いたときは、3年全員で小石川にもう一度熟考をなんて突っ込んでて、隣でシンが憮然としてた。
 シンとバッテリー組んでた平賀は意外にも一流大志望で、みんなを驚かせてた。でもそういえば、平賀の名前は成績上位者の中にいつもあった気がする。警察官が夢なんだそうだ。

は?」

 流れで私の進路も勿論尋ねられたけど。

「旅人」

 適当にそう答えたとき、みんなならありえるよなーなんて笑ってたけど。
 志波ひとり、目を見開いてたのが視界の端に見えた。


 54.3年目:文化祭準備


 10月下旬。
 私は自分の席で、生徒会執行部に取り囲まれていた。

 ……なんなんだ一体。

「というわけで」

 氷上がコホンと咳払いをして切り出す。

くんには、今年の学年演劇の主役、クリスティーヌをやってもらいたい」
「つかちょっと待てっ! 文化祭の劇って時代劇やるって話だったじゃん! なんだその外人の名前っ」
「演目変更になったんです。さんに演じて欲しいのは、オペラ座の怪人のクリスティーヌなんです!」

 小野田の言葉に目が点になる。

 オペラ座の怪人?
 なんで時代劇がいきなりミュージカルになんの?

 怪訝そうに生徒会執行部を見れば、再び氷上が咳払いした。

「時代劇とは決定していなかったんだ。ただ、そちらのほうが優勢だった時点の情報が外部に漏れてそんな噂が広がっただけだろう。最終決定はオペラ座の怪人なんだ」
「ミュージカルなら合唱部にでもやらせりゃいいじゃん」
「我が校には残念ながら合唱部はない」
「それにミュージカルではなく演劇です。歌う場面はほとんどありませんよ?」
「……で、なんで私……」

 生徒会執行部の相変わらずの上から口調に辟易しながらも、私は頬杖つきながら氷上と小野田を見上げる。
 すると二人は顔を見合わせて。

「そんなの決まってます。オペラ座を舞台にしてるんですから、演劇と言っても舞台女優のクリスティーヌには歌うシーンが幾つかありますし」
「主役は3年生から選ぶと決まっているからね。歌と言えばくんだろう?」
「のしんにやらせとけっ!」
「なんでオレが女の役やんなきゃなんねんだっつーの!」

 生徒会執行部が苦手なのか、遠巻きに見ていたのしんが声を張り上げて抗議する。
 いいじゃん別に。のしんと私、そんな背格好変わんないし。
 のしんが女装して歌ったほうがウケるって。

 そののしんに反応したように、氷上が眼鏡をくいくい動かしながらクラスを振り返る。
 生徒会役員勢ぞろいの図に遠巻きになってたクラスメイトたちも、ぴたりと動きを止めた。

「ちなみに針谷くんは劇場支配人の役が割り当てられている」
「はぁ!? ちょっと待て氷上っ! 勝手に決めんな!」
「クリスティーヌの恋人役のラウルには佐伯くんだ」
「え!?」

 それまで我関せずと明後日の方向を向いてた佐伯がぎょっとした顔で立ち上がる。

 ちょっと待てっ!
 もし私がクリスティーヌ引き受けたら、佐伯と恋人演じんの!? 冗談じゃないっ!!

「そうそう。もう一人の主演とも言えるファントム役は志波くんだ」
「……は?」

 眠そうに頬杖ついてた志波が、間抜けな声を出した。

 ……志波が?
 ファントム?
 音楽の天使??

「ぶ」

 威圧的な雰囲気や仮面をつけた怪人っていうイメージはわかるけど。

 志波の、テイルコート姿。

「ぶはははははは!」

 想像するだけで笑える!
 あー、久しぶりに腹の底から笑ったカンジ。
 私は突っ伏して、ばしばし机を叩いて大笑いした。
 ま、まずい、お腹痛い……!!

「……」

 隣から志波の舌打ちが聞こえたけど、なかなか笑いの波は収まらなかった。

 すると。
 私の笑いっぷりにちょっと引いてた氷上が気を取り直して、ぱんぱんと手を叩いた。

「ま、まぁそういうことだ。台本読み合わせは今月中に行う予定なので、今言った配役の人たちは必ず集まるように」
「だから待てっつーの! 勝手に決めんなっつってんだろ!」

 のしんの抗議もなんのその。
 生徒会執行部は左腕にはめた腕章をかざしながら高々と宣言した。

「なお、学園演劇に関する決定権もろもろは生徒会執行部にある! やんごとなき理由意外は、拒否権はないものと思いたまえ! 以上だ!」
「「「「「ふざけんなぁぁぁっっっ!!!」」」」」

 佐伯も志波も、勿論私も。
 盛大に抗議の声を上げたものの、生徒会執行部はその日のうちに全校に学園演劇の配役を公表してしまった。

 だから、学校行事にかけるこの学校の妙な情熱はどうにかなんないのかっ!



 11月頭。
 台本読み合わせも終わり、舞台稽古が始まった。
 男役の目立つ二人を志波と佐伯がやってるもんだから、練習中とはいえ体育館はいつも見学者でごったがえしていた。

 現在舞台の上では支配人役を降りて舞台演出を名乗り出たのしんによって、志波が演技指導を受けてる。

 ……。
 だ、だめだ、笑える……。

 まだ出番じゃない私は、舞台袖で声を殺して肩を震わせていた。
 隣の佐伯も同じ状態だ。

 志波はいまだかつてないくらいに眉間に皺を寄せて、無茶苦茶な注文をつけるのしんの演技指導に聞き入ってる。

「時代劇なら志波も楽だったろうな。誰なんだ? こんな配役にしたヤツ」
「……」
、笑ってないで人の話聞け。つかお前もよく役引き受けたよな?」
「佐伯だってそうじゃん」
「……単位ちらつかされたら、引き受けざるを得ないだろ……」
「……私も化学の出席日数プラスしてやるって言われたから……」

 顔を見合わせてため息。

 文化祭にかける生徒会の情熱は半端ない。
 教頭や学年主任の先生も丸め込んで、こんな強硬手段に出るとは思わなかった。ち。

 そこへ。

「よーし、休憩っ。10分後、マスカレードの場面から始めっぞ!」

 のしんの声が響いてきたかと思えば、疲れきった表情で志波が舞台袖に戻ってきた。

「お疲れ」
「……勘弁しろってんだ……」

 心底ウンザリした様子で、壁にもたれて座り込む。

「そういえば志波は何で脅されたんだ?」
「……体育大の推薦枠」
「げ。マジかよ」

 ここまでくれば立派な脅迫だと思うんだけど。
 私と佐伯も、志波を挟み込むようにして隣にしゃがみこむ。

「針谷のヤツ……めちゃくちゃな要求ばっかしやがって」
「だよな? アイツ、役を降りれたからって妙に張り切ってるし。こっちはいい迷惑だ」
「西本が演出補佐についてるから、演技指導が大げさなんだ」
「くそ、生徒会も針谷も西本も、あとで覚えてろっ」

 演劇練習を始めてから愚痴仲間として妙に仲良くなった志波と佐伯。
 二人して、延々と不平不満を並べ続けてる。

 私はステージ上ではるひと演出打ち合わせをしているのしんをぼーっと見ながら二人の愚痴を聞いていたんだけど。



 志波に呼ばれて振り返る。

「なに」
「いや……随分おとなしいな」
「はぁ?」
「だよな? 志波もそう思うだろ? こん中じゃ、が一番ぎゃあぎゃあ文句言って騒ぎ立てそうなもんなのに」

 不思議そうにこっちを見てる志波と、小馬鹿にしたような顔して見てる佐伯。
 いつもなら佐伯に文句のひとつも言ってやるところだけど。

 私はふいっと視線をそらしてまたステージを見た。

「私だってメンドクサイって思ってるけど」

 でも練習が始まってみれば。
 あれだけ志波にまとわりついてた追っかけも練習までは踏み込んでこれないから、練習中は志波とこうして一緒にいられるって気づいたから。

 弱くて卑屈な自分の考えに、辟易する。
 膝を抱え込んで、その膝に顎をのせて。

 演劇の練習中は、嬉しさと憂鬱さと自己嫌悪でいっぱいだった。

「あー……オレ、ちょっと」

 急に佐伯が立ち上がる。
 髪を掻きあげながら、ちらっと私と志波を見下ろして、でもすぐに舞台袖を出て行った。
 どうしたんだろ。



 佐伯の後姿を目で追っていたら、また志波に呼ばれた。
 志波は、神妙な顔をして私を見ていた。

「なに」
「何があった?」
「は? 何が、ってなに」
「落ち込んでるだろ」
「……」

 見透かされていることに、うんともううんとも言えずに視線をそらす。

 すると志波は軽く顔をしかめて。

「どうしたんだ」
「別に」
「何かあったんだろ」
「なにもない」
「……お前の力になりたいんだ」

 十分力になってるよ、志波は。
 部活を引退したあともマスコミやファンに追っかけまわされながらも、志波は私を気にかけてくれてる。
 それだけでもう十分だ。

 あとは自分の力で左腕をなんとかするから、これ以上気にかけなくていいよ。

 そう言いたかったのに。

「なんかあったとしても、志波に関係ない」

 口をついて出たのは憎まれ口で。
 志波の表情が歪んでいくのを見れなくて、私は立ち上がり、ステージ脇ぎりぎりまで歩いて行って。

 ステージの前は佐伯と志波のファンでごったがえしてる。



 もう一度志波に呼ばれたけど。
 私は聞こえなかったフリをして、劇中でクリスティーヌが歌うスィンクオブミーを歌いだした。
 本番は日本語で歌うけど、今は英語で。

 声が響いて、ざわざわしていた体育館が次第に静まっていく。
 ステージ中央で打ち合わせをしてたのしんやはるひ、他の学園演劇実行委員たちも私のほうを振り向いた。

 ……なんか注目浴びてるみたいだから、歌うのやめた。
 それにこの歌、なんか自分自身のこと暗示してるみたいで憂鬱になってくる。
 休憩時間はまだ少しだけ残ってるから、準備室からグラウンドにでも出て風にあたってこよう。

 舞台袖の階段をおりれば体育準備室。そこからのドアはグラウンド直結だ。

 そこへ行くには当然志波の前を通ることになるんだけど。
 志波は少し切ない顔して私を見てた。

「Think of me fondly,when we’ve said goodby」

 すれ違うときに、スィンクオブミーの歌いだしを告げる。

「……どういう意味だ?」
「そのまんまの意味」

 台本には歌まで載ってない。楽譜が渡されたのは、歌い手の私だけだ。

「……日本語で言え」
「当日は日本語で歌うよ」

 それだけ言って、私は舞台袖を降りて体育準備室を出た。

 冷たい風が吹くようになってきたけど、グラウンドでは元気に1,2年が部活にいそしんでいた。
 校舎でも文系クラブ所属者が文化祭に向けて一生懸命になってるんだろう。

 私は体育館の壁にもたれながら、左腕のバングルを右手で握り締めた。

 刻限は近い。
 だけど、その刻限ギリギリまでは志波を追いかけることを許して欲しいって思う。
 ……刻限に間に合わなかったそのときは。

 『さよならを告げたときのことを、私の事を想って優しく考えて』

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