部員は軽いアップを終えて、はばたき市から大挙して駆けつけたアルプスの大応援団に向かって整列する。

「遠くはばたき市から応援に駆けつけてくださって、ありがとうございます! 精一杯戦い抜きますので、応援よろしくお願いします!」

 主将としてシンが声を張り上げ、キャップを取って頭を下げれば部員たちもそれに倣う。
 そんな部員たちに、大応援団はメガホンを叩き鳴らして声援を送ってくれた。

「おーい志波やーん! ここから応援しとるからなー!」
「志波くん、がんばってね!」
「がんばれ、かっちゃーん!!」

 ベンチに戻る直前に響いてきたはるひ、海野、水樹の声援に志波が腕を突き上げてこたえる。
 その志波と目があった。
 大会の規定によって、ベンチに入れる記録員は一人だけ。それは正規マネージャーの小石川が務めてるから、試合の間は私もベンチ入りできなかった部員と一緒にスタンド応援だ。

「気張ってけ志波ーっ!」

 メガホンを突きつけて叫んでやれば、志波は力強く頷いた。

 はね学ベンチ前に戻って、監督も一緒に円陣を組む。
 シンはぐるりとチームメイトを見回して。
 こういうときは余計な口上は必要なし!

「勝つぞ!」
「「「オオオシッ!!!」」」

 全員で声を張り上げて気合を入れる。

 全国高等学校野球選手権大会決勝戦、倉泥臼高校対羽ヶ崎学園。

 いよいよだ。


 51.頂へ


『……先攻は倉泥臼高校。守る羽ヶ崎学園のスターティングメンバーをご紹介します……』

 はね学の今日のオーダーは今までとは違う。
 まずいつもは3番、入って1番の志波が4番に入った。
 それからシンは先発を外れて、1年の控えにその座を譲っていた。

 シンがマウンドに向かう1年ピッチャーの背中を叩く。

 監督の読みでは、3回までもつかどうか。
 それでもシンの肩に負担をかけない最大限の気を遣ってるんだから仕方ない。

 昨日さんざん平賀相手に投げ込まされたらしいけど。

「がんばれよー!」
「リラックスしていけーっ」

 初の大舞台に向かう同期を精一杯応援するスタンドの1年生たち。

 マウンドにて数球投げ込んだ後、相手校の1番打者がバッターボックスに入る。

 ピッチャー振りかぶって……第一球は渾身のストレート!

「ストライーク!!」

 オオオオオオ!!

 試合開始のサイレンは、観客席から響く地響きのような歓声に掻き消された。

「よっし! いいぞ! その調子で行けっ!」

 応援順は相手校のほうだけど、それでも私たちは声を張り上げて1年ピッチャーの緊張をほぐそうとして。

「3点くらい取られても、志波がスカンと取り返してくれるから心配するなーっ」

 私もそれに協力してやろうと声をかけて。

 カッキーン!

 その瞬間、甘く入った2球目をセンター前に運ばれた。
 ……あ。

先輩……」
「うううるさいっ! マウンドまで声届いてるわけないじゃんっ!」

 1年部員に冷たい視線を送られて、私は赤面しつつも反論。
 こういうお笑い要素は決勝戦にいらないんだっつーの!

 カッキーン!

 相手校の3人目がボールを高く打ち上げる。
 センターフライだ。軽く後退して、志波がキャッチ!

「よっし、まず1アウト!」

 タッチアップで2塁に進まれたけど、まだまだこれからっ。

「気合入れて投げろーっ!」
「だから先輩っ、余計に硬くなるようなこと言わないでくださいよ!」



 ところが読みは監督の予想通り。
 1回は無失点で抑えたものの、2回表で打ち込まれて無死満塁の大ピンチを早々に迎えたはね学サイド。
 監督は眉間に皺をよせつつも、ピッチャーの交代を決めた。

 うなだれて戻ってくる1年ピッチャーに、いつものへらへらした笑顔を向けて労うシン。
 小石川からピッチャーグラブを受け取って、ゆっくりとマウンドへと向かっていった。
 お祭人間のシンのことだ。こんなピンチは「最高の見せ場!」とか言ってはりきってるに違いない。

『はね学、ピッチャー交代です。今大会注目のシンがマウンドに上がります。準決勝で肩を痛めたという情報が入っていますが大丈夫でしょうか?』

 傍らのラジオから野球解説が流れる。
 ……大丈夫。
 今日この日のためにずっと野球を続けてきたんだから。

 がんばれ、シンっ。

「待ってたぜシンっ! いっちょ格の違いを見せ付けてやれっ!」
「シンくん、無理せんといてなー!」

 野球部のすぐ後ろに陣取ったのしんがまだなみなみ水が入ってるペットボトルを握りつぶしながら、片足を前の席にのせてメガホンを振る。

 シンの武器は最速150キロに届こうかというストレートと評価の高いシュート。
 マウンド上でぽふぽふとすべりどめを掴んだ後、シンは構えた。
 ふりかぶってから一度も止まらない、流れるようなフォームで。

 ズバァン!!

 3年間バッテリーを組んできた平賀のキャッチャーミットに飛び込んだ渾身のストレートは、148キロ!

『素晴らしいストレートです! 本当に怪我をしているのか疑ってしまいたくなりますね!』

くん、すごいやん!」
「かっこいいね!」

 はるひと海野のミーハーな声も響いてくる。
 はね学応援席はまだ1アウトも取ってないって状態なのに、一気に盛り返してきた。

 その後もストレートとシュートを巧みに操って1人目を三振に討ち取ったシン。
 二人目にはたまにみせるフォークを拾われてしまったけど、ファースト目の前に球が飛んで行き、あっさりダブルプレー。

『無死満塁のピンチをあっさりと抑えてしまいました、羽ヶ崎学園シン! 決勝戦でも持ち前の大胆不敵さはあいかわらずです!』

 大胆不敵っていうか、緊張感がないというか。
 とはいえ、肩の調子も問題なさそうだ。
 グラウンドの中で、センターから戻ってきた志波とぱしんとグローブをぶつけあってる。

『さぁ続いて2回裏、羽ヶ崎学園の攻撃です。1回裏を三者凡退で終わらせてしまった羽ヶ崎学園ですが、2回の攻撃はこれも今大会注目の志波勝己からの打順になります』

っ、いよいよ志波やんの出番やな!」
「うん。甲子園入りしてからどんどん調子上向いてるからイケると思う」
「志波くん、ホームランです! 先生期待してます!」

 ベンチ前で軽く素振りをしてる志波を見ながら、いつのまにか野球部真後ろに集まってきたいつものメンツの鼻息が荒くなってる。

「応援2番でいきます! 声出しよろしくおねがいします!」

 この暑い中長袖学ラン姿の天地が合図を出して、さらし姿の藤堂が応援部部長の横で声を張り上げる。
 水島所属の吹奏楽部もコンバットマーチを鳴らし始めた。

「カッセ! カッセ! はーねー学! かっとばせェー、志ィー波ァ!!」

 ガンガンとメガホンを席にうちつけて声援を送るはね学大応援団。
 その声援に後押しされて、バッターボックスに入った志波はぐっとバットを持つ手に力を込めた。

『倉泥臼高校、まずは第一球、投げた打ったーっ! 三遊間を抜けていきます! レフト前進して捕球、志波は2塁到達です! 志波の打率は今大会だけで言えば6割にせまる勢いです』

「よっしゃーっ! さすが志波だぜ!」
「シンくんだけやあらへんね? 志波クンすごいなー!」

 はね学初ヒットということもあって、応援席は大盛り上がりだ。
 吹奏楽部もヒットのファンファーレを鳴らし、チア部もぽんぽんを高く上げて喜んでる。

 試合もそうだけど、応援席を見てても胸が熱くなってくる。

「でもさん残念だよね? マネージャーは一人しかベンチ入れないなんて」
「マネージャーってか記録係ね。仕方ないよ、私は甲子園までの臨時マネだし」
「そうですけど、さんもベンチで選手と一緒に一喜一憂したかったでしょう?」
「若先生、一憂はイラナイ」

 私の真後ろに居座った水樹と若先生に声をかけられるけど、こればっかりは規定だってんだから仕方ない。
 そりゃ私も志波やシンと一緒に戦いたかったけどさ。女である以上、選手として登録はできないし。
 あー、聞き分けよくなった。大人になった、自分。

「……それに、かっちゃんと一緒だから」
「かっちゃん?」

 きっとかっちゃんもこの試合を見守っててくれる。
 最後は応援に回ることしかできなかった私だけど、かっちゃんもきっとはばたき市で一緒に応援してくれてるから。

「やや。さん、浮気ですか?」
「若先生じゃあるまいしっ!!」
「せ、先生浮気なんてしてませんっ!」

 っつか、水樹にまだ気持ちも打ち明けてないくせに何テンパってんだこの教師っ!

 緊張感の無い若先生にはのしんやはるひからも突っ込みが入り、若先生はスタンド席の隅で背中を丸めていじけてた。



 その後、続く5番6番が打ち取られて結局2回も得点ゼロ。
 試合は投手戦の模様になって、炎天下の中、盛り上がり場面もなくしゅくしゅくと試合は進行していった。

 7回表。
 ……正直応援してるだけの私たちがこんなに疲労してんだから、マウンド上のシンの疲労度はどのくらいなんだろう。

 キャッチャーのサインに何度か首を振ったあと、シンはボールを構えた。
 いつものように綺麗な投球ラインを描く右腕。

 そのときだ。

 ピキッ

「つっ……!?」

 私の右肩に、小さな痛みが走る。
 でもその一瞬だけ。もう何も痛くない。

「……シンっ」

 私は思わず腰を浮かせた。

 右腕を振り下ろしたシンの顔が歪んでた。
 ボールはシンの手をすっぽ抜ける。
 だめだっ、あんなストレートの甘い球っ。

 カキーン!

 倉泥臼高校バッターが快音を鳴らす!

『打ったぁーっ、これは大きい! センター下がりますがっ……入った! 倉泥臼高校にホームランが出ました!』

「ああーっ!!」

 はね学サイドの応援席から悲鳴に近いため息が漏れる。

 シンはマウンドの上で膝に手を置いて肩で息をしてた。そのシンにキャッチャーが駆け寄る。
 肩に痛みが走ったんだ。あんな球、シンらしくないっ。

『ついに先制点が入りました! 先制は関東代表の倉泥臼高校!! はね学エース、ついにつかまりましたっ』

「何言うとんねん! まだ1点やないの! これからやで! 天地っ、気合入れたらんかいっ!!」
「押忍っ!!」
「そうだよ、まだまだこれから! 1点なんて、志波くんがすぐ取り戻してくれるよ!」

 意気消沈してしまった応援席をはるひたちが盛り上げる。

 マウンドの上から、ベンチに向かって首を振るシン。
 平賀とグローブをぶつけあって、体を起こす。
 その顔には、今まで見たことないような闘志があった。

っ、シンのヤツ大丈夫なのか?」
「平気」

 シンは投げきることを選んだんだ。
 そしてみんなも、シンの選択を尊重してくれてる。
 だって、キャッチャーがシンの意思確認に近づいた以外、誰も守備位置を離れようとしなかった。

 私は立ち上がってスタンドの部員を振り返る。

「声出せ野球部っ! グラウンドにいなくたって、試合に参加しろっ!」
「「「はいっ!」」」

 元気よくドスのきいた声を張り上げる野球部員。
 私ももう一度座って、メガホンを両手で叩いた。

さん」

 そこに、若先生から声がかかる。
 ふりむけば、若先生は妙にあったかい笑顔を浮かべてた。

「一歩ずつ進み始めてるね。いい方向に成長したね」
「……ウルサイ。若先生、それより応援っ」
「はいはいっ。先生ガンガン応援しちゃいますよ!」

 若先生の言葉がむずかゆくて、私はぷいと顔をそむけた。



 でも応援むなしく、逆転どころか同点にも追いつけずに試合は9回を迎えていた。
 9回表で2アウトをとった頃には、1球投げるたびにシンが顔を大きく歪めるようになっていて。

ですが、痛めた肩が相当病んでいるようです……。羽ヶ崎学園にはまだ1年生ピッチャーがひとりいますが、監督はこのままに投げ続けさせるつもりなんでしょうか?』
『彼の将来を考えると、無理をさせるのは禁物だと思いますがねぇ。あれは相当な激痛が走ってると思いますよ』

 ラジオからは淡々とした解説が流れてくる。

「シン……」

 あと一人なのに。
 でもシンの肩は限界だ。
 いくら甲子園制覇が夢だからって、あれじゃ本当に肩が壊れてしまう。

 その時、はね学ベンチから監督の指示が飛んだ。

『おっ……やはり交代です。ここで羽ヶ崎学園、に変わって1年生ピッチャーの大垣が入ります』

 マウンドではシンが何か叫んでる。抵抗してるんだ。
 でも監督は首を横に振るばかり。
 ショートとキャッチャーもシンに駆け寄った。何事か言って、説得してるんだろう。
 シンは頑なに拒んでる。

 そこに、センターから志波がやってきた。

「志波っ」

 思わず私は立ち上がって、フェンスに駆け寄る。
 志波はいつもの仏頂面のまま、シンに何か言っていた。
 そして、こっちを指す。

 って、こっち?

 シンも他のチームメイトをこっちを、つまり私がいるはね学スタンドを見る。

「シンっ!」

 フェンスを掴んで、私は叫んだ。

 無理しちゃだめだ。
 シンにまで、私の絶望を味わって欲しくない。

 甲子園制覇の夢は、志波が、みんながきっと果たしてくれるから。

 私の声は届いてないだろうけど、シンは応援席を見て頭が冷えたのかこくりと頷いた。
 そしてマウンドを降りていく。

シン、力投でした。初出場初優勝の夢を後輩に託します。さあ、9回表2アウト、羽ヶ崎学園の1年生ピッチャーがマウンドにむかいます!』

 ほ。

 シンがベンチに入り、志波たちチームメイトも守備位置に戻る。
 それを見届けてから私も席に戻った。

「頼むぜぇ……抑えてくれよ〜」

 見ればのしんもはるひもクリスも若先生も、みんながみんなにわかクリスチャンにでもなったかというように手を組んで神に祈るようなポーズをとってグラウンドを見つめてる。

『羽ヶ崎学園大垣、まずは第一球、投げた! っぅん、惜しい! わずかに逸れた、ボールです』

 数球の投げ込みをしたあとの1年ピッチャーの球は、シンとは比べるべくもない。
 でも、その表情には緊張はなく、気迫のこもった眼差しでバッターを睨みつけていた。

『第二球投げた、打った! ファールです。1ストライク1ボール』

 はぁぁぁ……

 はね学応援席からため息が漏れる。
 真剣に試合に望んでる選手たちには悪いけど、これは心臓に悪い。
 9回裏の逆転を果たすためには、ここはなんとか無失点で抑えたいっ。

『大垣振りかぶって第三球、投げた打ち上げたーっ! キャッチャーフライ! 平賀、追いかけます!』

 3球目ははね学ベンチ方面に天高く打ちあがったキャッチャーフライ!
 平賀がマスクを投げ捨てて空を仰ぎながら走っていく。

「とれとれとれーっ!!」
「頼むでっ! ……あっ、でも危ないっ!」

 はね学応援席も全員腰を浮かせて打球を見つめて。

 平賀はミットを構えてボールを捕球、した瞬間に近づきすぎたはね学ベンチ内に転げ落ちた!

「ボールは!?」

 ベンチのシンや小石川が慌てて駆け寄る中。
 平賀のミットをはめた左手だけが突き上げられた。

 ミットの中には、しっかりとボールが!

「やったぁぁぁ!!」
「抑えました! いよいよ反撃ですっ!」

 一気に沸くはね学応援席。

『羽ヶ崎学園9回を守りきりました! さぁ、初出場初優勝の夢をかけて、9回裏は1番からの上位打線で反撃開始となるか!』

「ったりめーだろ! 志波がサヨナラ満塁ホームランだっつーの!」
「がんばれ野球部ーっ!」

 まだベンチに引き上げてる途中だというのに、はね学スタンドでは応援が始まる。

 私は、もう一度フェンスにかけよった。

「志波っ!」

 こんな大声援の中、声なんか届くはずないだろうけど。
 でも志波は、ベンチに入る直前にこっちを見上げてくれて、私に気づいてくれた。

「がんばれっ!」

 必死に叫ぶ。

 すると志波はにっと微笑んで。

 任せろ。

 声は聞こえなかったけど、確かにそう口が動いた。

 バッターボックスに1番打者が向かう。
 野球部全員、はばたき市全員の夢をバットに乗せて。

 絶対勝つんだっ。
 志波が、シンが、……かっちゃんが追いかけてきた夢を、絶対に掴むんだ!



 続くっ!

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