はね学の勢いはやっぱり強かった。
 危なげなく初戦、2回戦と勝ち抜いていき、あっという間にベスト16、ベスト8、ベスト4と残っていって。

 シンが、9回表の最後のボールを投げた。
 渾身のストレート。球速は147キロ。
 相手校最後のバッターのバットをかすめて、真っ直ぐにキャッチャーミットに飛び込んだ。

 その瞬間!

『9回コールド! 試合終了! 明日の決勝戦に進むひとつめの学校は、初出場の羽ヶ崎学園に決まりました!』


 50.約束と夢


っ! ついに決勝戦だな! 明日は応援行くから気合入れてけよ!』
『やるじゃないか野球部。アタシも明日は応援部の手伝いするからキッチリ優勝決めておくれよ』

 準決勝を終えて、ホテルに戻るバスの中。
 野球部員の携帯は鳴りっぱなしだった。
 家族から、友達から。

 私の携帯にも、数少ない友人たちから電話やメールが入ってきてた。

 つか、暑い日差しの差し込むベンチから空調の効いた車内に移ってきて一気に疲れが出てきた。
 選手たちはまだ試合の余韻も手伝って楽しそうに電話相手や仲間うちで盛り上がってるけど。

 私は大きく欠伸をして、シートにもたれた。

「お疲れ様、さん。あと1試合で甲子園も終わりだね」
「ん。試合はいいんだけどさ。アレがウザくてたまんない」

 隣に座る小石川の奥の窓の外には、たくさんの報道陣が集まっていた。

 甲子園はドラフトの目玉選手の活躍を報道する絶好の機会だから、はね学も1試合勝ち上がるごとにまとわりついてくるマスコミが増えてって。
 まぁ上っ面は並以上のシンと志波の効果もあってか、今ではアイドル並にスポーツ紙を賑わしてる。
 確かに実力も伴ってるから、騒ぎ立てるヤツの気もわかるんだけど。

 人の休息邪魔される覚えはないっ!

「取材攻勢すごいもんね。はね学野球部って話題になるネタ揃ってるんだもん。姉弟の双子で甲子園を目指してきたとか、主将とエースが幼馴染とか」
「シンと志波は別に幼馴染じゃないよ。あーでも、志波の中学時代のアレはネタになるか」

 一体どこから聞きつけてくるんだか。
 どこぞの三流映画のような感じに私や志波やシンをネタにして、勝手なドラマを書きなぐっては世間の興味を掻きたてるマスコミ。
 さすがに甲子園の試合中に私や志波の過去に触れた記事を載せた三流誌は、高野連から抗議がいったらしいけど。

「……ホテル前もファンの子でいっぱいだもんね」

 窓の外を見ながら小石川は呟く。

 マスコミが増えるのに比例して、ホテル前で出待ちをするヤツも増えてきた。
 今朝なんか、ホテルの仲居さん総動員でファンを遮らなきゃバス乗れなかったし。

「アレはシンが悪い。アイツ、外面良すぎ」

 さすがに試合前はそんなことないけど、試合後のシンは気前よくファンの子たちと話し込んでる。
 そんなこともあってか、増え続ける追っかけファンは際限ないんだ。

 正直、邪魔だっ! って怒鳴りつけてやりたいところだけど。
 マスコミの目の前でンなことすれば、志波やシンや、野球部その他のみんなの評価にキズがつくことになる。
 そのくらい、私でもわかる。

 だからイライラする。

 志波についてるファンもすごく多い。
 迷惑そうな顔してるけど、ゾンザイに扱うことも出来なくて困り果ててる志波を何度も見た。
 その度に「監督呼んでる」とか「ミーティング始まる」とか、水樹を見習ったフォローを入れてやってるけど。

「この間、マネージャーウザッて面と向かって言われた」
「ファンの子に? ひどいよ、それ!」
「我慢強くなったなぁって自分で思う」

 甲子園やらマスコミやらのことがなければ、その場で啖呵切ってたはずだ。

 はぁ、と小石川と私は同時にため息をついた。

「やっぱりシンくん、近寄れなくなっちゃったな」
「そんなことない。シンが小石川のことないがしろにしたら、すぐに言いなよ。張っ倒してくるから」
「ふふ、ありがとさん。……でも、今は明日に向けて集中しなきゃね」
「ん」

 のんきに騒いでる野球部メンツを尻目に、私と小石川だけがストレスを抱えまくってた。



 宿舎について、マスコミもファンもシャットアウトして。
 ようやく一息ついた頃、携帯が鳴った。

 親父からだ。

「もしもし?」
か。今日の試合、勝ったんだってな』
「見てなかったの?」
『トラック飛ばして明け方帰ったばっかだったから、寝てた』

 なんつーか。
 新聞に取り上げられるくらい息子が注目浴びてるってのに、親父らしい。

『それで、夕方のニュースでハイライト見た。職場の人が気を利かして休みくれたから、明日はそっち行って応援する』
「そっか」
『シンはいるか?』
「ここ女子マネの部屋。用事あるなら直接シンの携帯にかけて」

 すると親父は、らしくもなく一度口ごもった。
 めずらしい。
 口数は少ないけど、いつも言いたいこと好き勝手言うくせに。

「なに」
『気づいたか』
「は? なにが」
『シンのヤツ、肩やっちまっただろ』


「……え?」


 親父の発した言葉に、私は硬直した。
 そんな私の反応に、ミーティング用の資料をそろえてた小石川もこっちを見る。

 って。

 シンが、負傷したって?

「気のせいじゃないの。試合後もシン、普通どおりにしてたよ」
『気のせいじゃねぇ。最後の1球、変な力が入ってやがった。アイツの球はジャリガキの頃から見てんだ。怪我のクセくらいわかる』

 それが事実だとしたら。
 はね学にも勿論控えピッチャーはいるけど。地区予選も1試合しか出てない1年だ。

 明日の決勝戦、どうなるの。

。シンに問いただせ。将来を取るのか、目の前の勝利を取るのか。どっちにしても、自分が納得できる方を選べってな』
「自分の納得できる方……」
『お前も暑い中よくやったな。じゃあ切るぞ』
「あ、ちょ」

 ぷつっ

 親父はいっつも一方的に言い切って勝手に電話を切ってしまう。

 そんなことよりも。
 シンが肩を怪我した?
 でもアイツ、試合後も普通にキャッチボールしてたし、痛そうにもしてなかった。
 怪我したんなら、監督か小石川か、誰かしら知らせてくるもんじゃないの?

 私は呆然と切られた携帯を見下ろした。

さん、どうしたの?」

 小石川が不安そうな顔をして近寄ってきた。

 そうだ、こんなことしてても仕方ない。

「小石川、ついてきて!」
「え? ちょ、ちょっと、さんっ?」

 私は立ち上がって部屋を飛び出し、3年部員の部屋に向かう。

「入るよ!」

 乱暴にドアをノックして、返事も待たずにドアノブをまわせば、きょとんとした様子のスタメン3人が部屋の中央でまったりしてた。
 シンはいない。ついでに、志波もいない。

「どうした?」
「シンは」
「ああ、シンならさっき志波と平賀に連れられて出てったけど」

 な、と顔を見合わせる3年部員。
 平賀はシンとバッテリーを組んでる正捕手だ。
 ……これ、親父が言ってたことビンゴかも。
 正捕手なら、シンの球の異常に気づくはず。

「どこに行った?」
「外はマスコミだらけだし、屋上じゃねぇ?」
「ありがと!」

 礼を言って、ドアも閉めずに今度は屋上へと向かう。
 途中、ようやく追いついてきた小石川の腕を掴んでエレベーターに飛び乗って、最上階からは階段でのぼって。

さんっ、シンくんがどうかしたの?」
「シン、もしかしたら」

 屋上へと続くドアに手を伸ばす。

 そのときだ。

「お前プロ目指してんだろ!? 今肩壊してどうすんだよ!」

 怒声。
 私と小石川は、伸ばした手を一瞬ひっこめた。

 でもすぐに、私はドアを開けた。

 風が吹き込む。
 夏の夕暮れの真っ赤な陽射しに覆われた屋上には、シンがいて。
 対峙するように、志波と平賀が立っていた。

「……どうした、ユリ、

 こっちをゆっくり振り向いて、いつもの軽い調子で声をかけてくるシン。
 私の隣の小石川は、全てを察したようで口元を覆ってしまっている。
 その小石川を置いて、私は志波の隣まで歩み寄って、シンと向かい合った。

「親父から。肩やっただろ、って」
「さすが。片親だけで育ててくれただけあるよなぁ」

 眉尻を下げながら、シンは笑う。
 何笑ってんだ、コイツ。

 志波と平賀を見上げると、二人は苦々しい顔をしてシンを睨みつけていた。

「シン、オレはお前と3年間バッテリー組んできたんだ。お前の肩の異常くらいすぐわかるって。なんで監督に言わねぇんだよ! 明日の決勝、投げるつもりか!?」
「たりめーだろ。ずっと目標にしてた全国制覇が目の前にあんだから」
「それで肩を壊したらどうする。明日一日のために、人生棒に振る気か」
「オレ器用だから、野球以外でも案外稼ぐ自信あるぞ?」
「「ふざけるなっ!!」」

 志波と平賀の怒声が重なり、シンはひょいっと肩をすくめた。

「お前らが心配するほどひでぇ怪我じゃねぇって。自分の体くらい自分でわかる。明日一日くらい大丈夫だって」
「ダメ……! 肩の怪我はささいなことでも野球人生を台無しにしちゃうことがあるんだから! シンくん、プロを目指してるんだったら安静にしなきゃだめだよ!」
「サンキュ、ユリ。でも大丈夫だって。ほんとマジで」

 へらへらと笑いながら、みんなの言葉をスルーするシン。

 でも、それが強がりだってことくらい、ここにいる誰もがわかってる。
 みんなで、苦楽を共にしてきた、仲間だから。

「うるせぇ。おい志波、監督に伝えるぞ。明日のスタメンからシンを外してくれって」
「だな。強硬手段に出なきゃ、コイツ絶対試合に出るからな」
「おいおいっ。ちょっと待てって。マジで大したことねぇんだから」

 シンの引きとめにも耳を貸さずに、志波と平賀は屋上を出て行こうとして。

 さすがに慌てたシンが、左手を伸ばして志波の腕を掴む。

「余計なことすんなよ、勝己。浩介も」
「何言ってんだっ……利き腕かばって左腕しか使えねぇくせに!」

 シンよりも、ずっとずっと苦しそうな顔をして志波が振り返る。
 きっと今、一番辛い思いしてるのは志波だ。
 友達として、仲間として、怪我したシンの力になりたくて仕方ないって顔。

 だけど。

「志波、平賀、小石川」

 私はシンと志波の間に割ってはいって、チームメイトたちを見上げた。
 ほっとした表情を見せる志波だけど。

「シンの好きにさせてあげて」
「なっ……!? 何言ってんだお前っ!」

 私の言葉に3人とも、ついでに言うならシンも目を丸くしてた。

「正気かよ! 明日試合に出れば、野球人生終わっちまうかもしれねぇんだぞ!?」
「そうだけど。終わらない可能性もあるじゃん」
「確率論の問題じゃねぇだろ。シンの一生がかかってんだぞ」
「明日試合に出て怪我が悪化して、リハビリが必要になったとしても、治ればプロになることできるかもしれないじゃん」
「でもさんっ」

「シンの夢は、長い人生で明日しか叶えるチャンスがないんだもん」

 淡々と言った私の言葉に、志波も、平賀も、小石川も、シンも。
 全員が言葉を失った。

 甲子園で優勝、全国制覇。
 これだけは、高校生活3年の間でしか達成することが出来ない夢だ。
 ちっちゃい頃から野球漬けで、プロになるよりも、甲子園の舞台で野球をすることを夢に見てたシン。

「約束だって、明日が有効期限だし」

 どこかできっと見ててくれるかっちゃんのためにも。

 私はみんなの中で、多分一番理解してくれるはずと思った志波を見上げて言った。

「シンが私みたいになるのは嫌だけど。それでも、一度でも夢を叶えたって事実があるのとないのとじゃ後悔の度合いが全然違うよ。だから、シンが望む道を選ばせてあげて」

 道半ばで、何も果たせずに将来を絶たれたときの絶望を、シンに味わってほしくない。
 たとえシンの肩が壊れてしまっても、他の誰かじゃなくて、シン自身が選んだ道を行ってほしい。

「そりゃ私だって、シンには生涯野球プレイヤーであってほしいとは思うけど」
「……

 志波は神妙な顔をした。
 平賀と小石川は、ぎゅっと唇を噛み締めて。

 そしてシンは。

「……オレ、監督に話してくるわ」

 決まり悪そうに、頭を掻きながら、そう言った。

「シン」
「それから、医者ンとこ行ってくる。ぎりぎりまで治療して、明日はゼッテー投げる。でも、無理はしないから」
「……そうか」

 ほっと息をつく志波と平賀。

「ユリ、監督んとこと医者んとこ、ついて来てくれ」
「う、うん!」

 屋上を出て行こうとするシンに声をかけられて、小石川が慌てて後を追う。

 シンは、宿舎内に繋がるドアに片足かけたところでこっちを振り返って、にかっといつもの笑顔を見せた。

、まさかこのオレがお前に説教されるとは思わなかった」
「別に説教した覚えはないんだけど」
「ん。サンキュな、姉貴」

 うげ。
 シンに姉呼ばわりされるのなんて、10年以上ぶりだ。
 むずかゆいっ。つか気色悪いっ!

 背中に走る虫唾にじたばたと肩を動かしていたら。

、マジでグッジョブだったぞ今の! さっすが双子なだけあるよなぁ。シンってのらくらしてる割にすっげー頑固だからよ」
「うん。でもシンの異常に気づいてくれてありがと」
「まぁな。んじゃオレ、1年の控えに召集かけて、肩作らせてくる」

 はーやれやれ、とでも言いたそうに肩をぐるぐるまわしてた平賀がそんなことを言って、こっちもにやっと笑って屋上を出て行った。

 残ったのは志波。
 赤い陽射しは藍色に変わり始めてて、志波の表情を隠してる。

「志波も今日はさっさと休んだ方がいいよ。3日間連戦なんだから」
「ああ……。なぁ」
「なに?」

 志波は、穏やかだけどどこか遠い目をして私を見下ろしていた。

「お前は、何も夢を叶えることができなかったのか?」
「……バイオリンのこと言ってる? だとしたら、なんにも」

 演奏活動をしてた頃だって、知り合いのサロンに招かれる程度で、商業演奏をしていたわけじゃない。
 コンサートだって、ゲストでちょこっと出してもらったくらいで正直普通に勉強中だったから。

 なにもしないうちに、バイオリンが弾けなくなった。

「だから、シンが甲子園で優勝するのは私にとっても初めて夢が実現するチャンスなんだ」

 ここにかっちゃんがいれば完璧だったんだけど。さすがにそこまで贅沢は言えない。

「そうか」
「うん」

 志波はふっと微笑んだ。
 あまり見せない、柔らかくて温かい笑顔。

「お前の夢の実現に、オレも全力を尽くす」
「……ん。期待してる」

 甲子園入りしてから今日の準決勝までの志波の打率は実に5割を超えている。
 ドラフト目指してるシンだけじゃなくて、大学進学を希望してる志波にもプロのスカウトの目は熱い。

 ぽんぽんと志波は私の頭を撫でた。

「無様な試合は絶対しねえ。シンの肩の負担が減るように、点数とりまくってやる」
「うん。がんばれ、志波っ」
「ああ」

 志波はするりと私の頬を撫でて、もう一度私の頭を軽く叩いて。
 私は志波と一緒に宿舎の中に戻った。

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