結局私の出場競技は当初予定通り100と200と110ハードルということになった。
 男女混合リレーは直前までねばって、当日調子のいいヤツが出ることになった。
 ……朝のHRから最後のHRまでちゃんと出席するのって、今回が初めてかもしんない。


 42.3年目:体育祭 バトルロワイヤル編


「うっわぁ藤堂さんさすがっ!」
「いけぇ藤堂! そのままぶっちぎれーっ!!」

 3−Bクラス席は既に総立ちになっていた。
 現在は4番目のプログラムの最中。3年男女400m走の最中だ。
 ちなみに、うちのクラスの代表は志波と藤堂。で、現在藤堂出走中。

「やった1位だ!」
「さすがやな、竜子姐!」

 ダントツの1位でゴールテープを切った藤堂を見て、のしんとはるひがハイタッチしながら喜んで、その横で若先生がホワイトボードにポイントを書き加える。

「順調ですね。針谷くんと西本さんの采配、ぴたり当たってます!」
「ったりめーだろ!? 昨日教員室潜り込んだかいが」
「シーっ! さすがに全部聞いちゃうと、先生も無視できなくなります」
「やべっ、そうだったな」

 勝つためには手段選ばず。
 のしんも若先生も、かーなーりー悪い顔してる。

 とはいえ、このテンションは私をのぞく3−B全員がこうだった。
 運動キライのあの氷上でさえ、頬を紅潮させて試合に見入ってるってんだから……謎だ。

「次は志波やんやな!」
「志波くんもきっと楽勝で1位とってくれるわね!」

 はるひと水島がトラックを凝視して。
 気づけば女子の出走が終わって、男子の400が始まっていた。

「若先生、志波って何組目だっけ?」
「やや、さすがに志波くんの出番は気になりますか?」
「コケたら指差して笑ってやろうと思って」
「もうさんてば、素直じゃないんだから」
「なにが……って、水樹と若先生、もう昼ごはん?」

 クラス席の一番後から立ち上がって、ホワイトボード横の若先生に声をかける。
 すると、そこには水樹がいて、若先生と一緒にあんぱんを頬張っていた。

 若先生はへらっとしまりのない笑顔を浮かべる。

「水樹さんの戦利品をおすそ分けしてもらいました。パン食い競争1位の賞品です。水樹さんは学業も1位なのに体育祭でも1位をとってくれました。文武両道で若王子学級のエースです!」
「せ、せんせぇ、氷室先生の真似はいいですから……」
「ふーん。おいしそ。私も食べたい」
「駄目です。このあんぱんは僕のだ」
「いーじゃん一口分くらいっ」
「わわわ、さんっ、私の分あげるから先生の首絞めちゃだめっ!」

 相変わらず若先生は水樹のこととなるとあばたもえくぼというか。

「お前らじゃれあって余計な体力使ってんじゃねーよ!」
「そうよ。ほら、志波くんの出番よ!」

 一気にあんぱんを食べてしまった若先生の口をぐににと引っ張っていたら、のしんに怒られ水島に呼ばれ。
 なぜか水樹も一緒に若先生に馬乗りになったままトラックを振り返ったのと、ピストルが鳴ったのはほぼ同時。

 綺麗なフォームで、志波が走り出すところが見えた。

「志波くんがんばれーっ!」
「サッカー部員に負けないでくださいっ!」

 海野と小野田も興奮気味に応援してる。
 でもそんな応援ほんといらない、ってくらい。志波の走りは余裕だった。
 そういえば志波が短距離走ってるとこ見るのってもしかして初めてかも。
 体育は男女ばらばらだし、森林公園はランニングだし。

 さっきの藤堂の走る姿も綺麗だなって思ったけど、志波もすごく綺麗だ。
 ……あ、隣のクラスの代表が追い上げてきてる。
 最後のストレートはクラス席前。
 私はのしんを押しのけて、最前列の椅子の上に立ち上がって声を張り上げた。

「志波ぁ! 他のヤツはともかくっ、サッカー部に負けたらマシュマロ口いっぱいに詰め込むぞっ!!」
「……っ!」

 私の声が届いたのか、志波のスピードが上がった。
 そしてそのままゴールっ。

 ちっ、つまんない。

「やっぱちゃんの声援が一番なんやね〜」
「そうだね、ラストっていうのにスピード上がったもんね!」

 今の声援じゃなくて嫌がらせのつもりだったんだけどな。
 まぁ勘違いしてるクリスと海野はおいといて。

 クラス席を振り向けば、若先生のホワイトボードのまわりにクラスメイトが集まっていた。
 このホワイトボードは3年生の各クラスに配布されてるもの。
 不正のないように書き込みが出来るのは各担任のみってことになってるけど、若先生なら平気で不正しそうな気がする。

 今のところ3−Bが暫定トップ。次いでちょい悪率いるI組が僅差で2位。3位は大して華のないE組だ。

「午前最後の100と200はあかりとで確実に稼げるから、その前の2人3脚は気楽に行っていいぞ、氷上!」
「針谷くん、僕だって3−Bの一員だ。体育祭では足手まといであることを十分自覚しているが、だからこそ精一杯やらせてもらいたい!」
「その意気です氷上くん。大丈夫、2人3脚は運動能力よりも協調性です。小野田さんとコンビを組むんですからきっといい成績が残せます!」
「はい、若王子先生! じゃあそろそろ行こう、小野田くん」
「はい! みなさん、行ってきます!」

 がんばれよー、応援するぞー、とクラスメイトの声援を背に出走ゲートへと去っていく氷上と小野田。
 さて、と。

「若先生、そろそろアップしてくる」
「や、いよいよさんの出番ですね?」
「ん。中庭の方で軽く動いてるから。集合かかったらよろしく」
「はいはいっ。海野さんはどうしますか?」
「私は氷上くんたちの出走を見たら始めます。あんまり早く始めると、私の場合はへばっちゃうから」
「了解です。じゃあさん、またあとで」

 立ち上がって、私は人気のない中庭の方へと歩いていった。
 なんだかんだって、結局私も乗せられちゃってるんだよなぁ……。
 絶対熱くなったってつまんない、って思ってたのに。
 そういえば去年もつまんないと思ってた女神をやって、案外楽しかった記憶がある。

 ……あれ?
 ふとひっかかり、私は足を止めた。
 なんかこの状況って前にちょい悪が言ってたアレにあてはまる?

『自分の興味の範囲内で生きててもつまらないぞ? いつもと違う世界を経験してみれば、意外と近道は見つかるかもしれないぞ』

 確か、去年の修学旅行前に言われた言葉。
 うーん……?

 そこへ。

「あ、いたいた。ーっ」
「ん?」

 不意に呼ばれて振り返る。
 そこには見知らぬ男子生徒が二人。同学年のヤツ、みたいだけど。

「誰」
「ああ、オレたち今応援部のやつに頼まれてさ。今年も女神やるんだって?」
「なんか衣装の変更があったとかで、今すぐ試着してほしいって。呼んできてくれって言われてさ」
「はぁ? 無理。これから出番だし。つか直前で変更すんなって言っとけ」

 しかめっ面してすぱっと言い切れば、言伝を頼まれたっていう二人は困ったように顔を見合わせた。
 今年の女神の衣装は、去年と大して代わり映えのしないギリシャ風のローブデコルテ。
 あんなん、一体どこを変更したっていうんだか。

頼むって。とりあえず応援部の部室まで行くだけ行って、断るなら自分で断ってくれよ」
「やだ」
「う、噂どおり容赦ねぇな、って……。なぁ頼むってー」
「ウルサイ」

 私はその二人を無視して走り出す。
 アップの時間を考えたら、試着してる時間なんかあるかっ。

「おい、待てって!」

 あーしつっこい!
 アイツら追いかけてきたっ。追いかける時間あるなら断られたって言いに戻ればいいのにっ。

 中庭を抜けて正面玄関前まで来ても、ソイツらは追いかけてきた。

っ!」
「だぁ、もうしつこいよ!」
の出番って100と200だろ? 2人3脚って時間かかるし、大丈夫だって!」

 ……ん?
 私は足を止めて振り返る。
 ソイツらもほっとしたように足を止めて。

 私は睨みつけるように、ソイツらを見た。

「なんで私が100と200に出るって知ってる?」

 まぁコイツらのクラスも敵情視察をしてたのかもしれないけど。
 基本、誰がどの競技にエントリーしたかは競技直前まで知らされないはず。
 3年はクラス対抗なんてしてるから、特に。

 アヤシイ。コイツら、なんか。

「……バレた」

 すると。
 私を追いかけてた二人組の一人がちいさく舌打ちした。

 その瞬間!

 がっ!

「うわ!?」

 いきなり校舎の影から飛び出してきた複数の男子生徒に羽交い絞めにされた。
 ……って、なんなんだ一体っ!?

「ちょ、離せっ!!」
「悪いっ! お前にポイント稼がれると困るんだよ!」
「ふざけんなっ! アンタたちまさか、海野にも同じことしてんの!?」
「いや、海野さんはオレたちのアイドルだからこんな手荒なことしないし存分に活躍してもらうつもり」
「はぁぁ!? なんなん、もがっ!」

 振り払おうともがいていたら、口に猿轡をかまされた。
 さすがに男子5人に押さえ込まれては振り払うこともできない。
 クヤシイっ……不意うちじゃなかったらこんなヤツら、あっさり交わしてやったのにっ!

「もがーっ! もがげんがっ! もがんがげっがいもがんがー!!」
「だから暴れんなって! オレたちだって乱暴なことしたくねぇし! 体育祭終わるまでおとなしくしててもらうだけだから!」
「もがー!」

 今度は頭から袋をかけられた。
 私は粗大ゴミかっ!!
 口をしばられて、私はそのままかつぎあげられる。
 じたばたじたばたっ!

「落ちると怪我するって! おい、さっさと持ってこうぜ!」
「お、おうっ」

 こ の 恨 み 晴 ら さ ず に お く も の か っ ! !

 ハラワタ煮えくり返る思いをしながら、私はそのまま校舎内(と思われる)に運ばれた。
 ずんずんずんずん進んで行って、やがてガラッと扉が開けられる音がする。
 そこで私は降ろされた。

「悪いな、! 最後の体育祭、これもまた思い出だと思って!」
「ふがげんがーっ!!」

 がらがら ぴしゃ かちゃりっ

 あああアイツらっ! 鍵かけやがったっ!!
 くっそーっ……脱出したらただじゃおかないっ。停学上等っ、叩きのめすっ!!

 手足を拘束しなかったのは、ヤツらのなけなしの良心か、それとも単にビビってたのか。
 とりあえず私は固結びされた猿轡をなんとか外し、麻袋の口をひっぱった。
 しかしビニールの袋と違って、さすがに丈夫だ。どこで調達したんだこんなんっ!

 だからと言ってあきらめる私じゃない。恨みは果たすまで子々孫々まで呪うべし!
 私は麻袋に噛みついた。自慢じゃないけど、私の犬歯は牙同様だ。

 びっ

 麻袋に小さく穴が開く。
 そこに右手の指をつっこんで、思いっきりひっぱる。
 小さな袋の中、バランス崩してなんども転げながら、それでも私は。

 びりびりびりっ!!

「よしっ、脱出成功っ!!」

 すっくと立ち上がったそこは。
 見覚えのある旧部室棟。窓のない部屋で、カビた木の匂いが充満した湿っぽい場所。
 硬球が転がっているところを見ると、昔の野球部の部室だったのかも。

 まぁ今はそんなことどうでもいい。

 私はドアまで歩み寄り、ドアノブをまわした。
 がちゃ がちゃがちゃ

「……」

 問答無用っ!

 私は数歩離れて深呼吸。
 そして、思いっきり体重を乗せた回し蹴りをドアノブ付近に入れた!

 ガゴッ!!

 派手な音をたててドアが外側に倒れる。
 よしっ。

 廊下に出てあたりを見回して。
 アイツらはもういない。ふん、私を甘くみたな。

 急いで本校舎へと走って戻る。まだ間に合うはずだ。

 ところが!

 正面玄関にアイツらが張っていた。
 走りこんできた私に、目を丸くしつつも。

「マジで脱出するかよ!? ありえねぇって!」
「いや、ならあの程度生温かったんだよ!」
「ウルサイっ! そこどけ!」

 正面玄関に張っていたのは、最初私に声をかけた二人。あとの連中はどうしたんだろう。

っ、おとなしくしてくれって! もう100の集合かかっちまったし、どうせもう間に合わないって!」
「知るかっ! どかなきゃ殴るっ!」

 私の気迫に押されてるのか、じりじりと後退していく二人。
 でも、ソイツらの目が変な動きしてるのを見逃すわけがなかった!

覚悟っ!」
「甘いっ!」

 後から忍び寄ったヤツが再び私に袋を被せようと襲い掛かってきたけど、気配を呼んで身をかわす。
 ……っていくつ袋用意してんだコイツら!? 犯罪だろ、いくらなんでも!

「死守だっ、出入り口を死守! 100と200が終わるまでの辛抱だっ!」
「あああもうしつこいっ! いいからどけーっ!!」

 異様な雰囲気が漂う玄関。

 と、そこへ迷い込んできたのは。

「ああっ、さん! 見つけましたよ、何してるんですか! もう100m走始まっちゃいますよ!?」
「小野田!? ばか、こっち来るなっ!」
「……え?」

 ちょこちょことやって来たのは小野田だった。
 私を探しに来てくれたのかな。

 なんて思ってる間に。

「小野田さん、ごめん!」
「え、わぁっ!?」

 ソイツらの後ろからてけてけやってきた小野田は、あっさりと袋詰めされてしまった!
 ああっ、小野田ちっこいからっ! ……じゃなくて!

「ちょ、小野田関係ないじゃん! 巻きこむな、ふぎゃっ!」

 そしてそれに気をとられた私もまたまたあっさりと。
 頭の上から袋をかぶせられて、もう一度かつがれてしまった。

 あああっ、我ながらどんくさいっ!

「ちょっとなんですか!? これは明らかに拉致ですよ!?」
「ごめんっ! 本当はだけで済ますはずだったんだけど、成り行き上な! おとなしくしててくれっ!」
「おろせーっ! はなせーっ!!」

 じたばたじたばた

 暴れるものの、結局私たちはふたたびどこか教室に運び込まれ、これまた鍵をかけられて室内に袋詰めのまま放置された。

さんっ、これ、一体どういうことですか!?」
「私が知るかっ! アイツらいきなり私を捕まえて、袋詰めにしたんだっ!」
「い、いきなりなんですか!?」
「私に100と200走られると困るって言ってた」
「……! それは立派な体育祭妨害行為ですね!? うちのクラスが1位独走してるから妨害をしたんですよ! 許せませんっ!」

 袋ごしに小野田の憤慨してる声が聞こえる。
 とりあえず私はさっきと同じように袋に穴をあけて外に出た。
 目の前には、もがもが動いてる袋詰めの小野田。……ちょっと面白い。

「小野田、袋から出してやるからじっとして」
「え、さんもう出られたんですか?」
「私は小野田と違って育ちが悪いから、こういうこと得意なの」

 固結びされた袋の口をなんとか解いて、小野田を解放する。
 ぴょんと飛び出した小野田は、ふうっと大きく息を吐いてきょろきょろと辺りを見回した。

「ここは……4階の視聴覚室?」
「なんでアイツら学校中の鍵持ってんだろ」
「それは彼らを捕まえて氷上くんと教頭先生に突き出せば判明します! こんな不正、絶対許しません!」

 鼻息荒く、ぐっと拳を握り締める小野田。

さん、今ならまだ200には間に合います! まずは脱出しましょう!」
「もちろん。じゃあさっきみたいにドア壊すから下がってて」
「はいっ! ……って駄目ですっ! 公共物を壊しちゃだめです! さん、さっきって、どこの部屋のドアを壊したんですか!?」
「旧部室棟のドア」
「あ、そこなら大丈夫です。たてつけ悪いところが多いので、開けようとして外れたって言えばなんとかなります」

 へ?

 慌ててたかと思ったらあっさりと言い切った小野田に、私の目が点になる。

「……それでいいの?」
「いいんです。あ、でも無闇やたらに壊しちゃだめですよ、さん」
「いや、それはわかるけど」
「まずはここを脱出しなきゃ。鍵をかけられても、きっとあそこが開いてます!」

 小野田がびっと指差したのは、ドアの上にある欄間部分。
 すりガラスがはめこまれてる換気用の窓だけど。

「みなさん気づかないみたいですけど、先生方が換気のために開けてそのまま忘れるってことが多いんです。脱出にはもってこいですよ!」
「へぇ……小野田って案外……」

 こんな状況に追い込まれてパニクるか怯えるかと思ったら。
 目をきらきらさせて、むしろ楽しんでるようにも見える。
 なんか意外だ。氷上と同じ、完全優等生タイプかと思ってた。

さんはあそこによじのぼるくらい簡単でしょうけど、私には何か踏み台がないと……」

 小野田は教室内をきょろきょろと見回した。
 室内にあるのは一般教室にあるのと変わらないタイプの椅子が数脚と長テーブルのみ。

「私が椅子に登るから、小野田は私の体踏み台にしなよ。それが一番いい」
「……そうですね。じゃあさん、すみませんけどお願いします!」
「ん!」

 私と小野田は椅子を1脚ずつドア横に並べ、その上に私が立つ。
 少し体をかがめてサイド黒板に手をついて。小野田はその私の背中に膝を乗せて、ゆっくりと登った。

「あ、やっぱり開いてます! 脱出できますよ!」
「よしっ! アイツらは?」
「ちょっと待ってくださいね……見える範囲にはいません。じゃあ、まず私が降りますね」
「ん。降りるとき気をつけて」
「はい!」

 小野田が私の肩に足をかけたのを見計らって、体を起こして小野田を上に押し上げる。
 欄間に足をかけた小野田は、ゆっくりと体を廊下側に出して、懸垂の要領で体を下ろして、やがて手を離した。

「……さん、大丈夫です!」
「おっけ、今いく!」

 小野田が無事に降りられたのを確認して、私もひょいっと欄間に手をかけて飛び上がった。
 そしてするりと体をくぐらせて、ぴょんと飛び降りる。

「わぁ、さすがですね! あっという間でした!」
「ん。さて、どっから脱出しようか」
「そうですね……多分玄関は張られてるでしょうから、一番安全なのは1階のどこかの教室からグラウンド側に直接出ることでしょうけど」
「特殊教室の鍵、持ってないし」
「それに1階に下りていった時点で見つかる気がします。だからといって2階以上の非常脱出設備を使うことは出来ないし……」

 うーん。
 私と小野田は考え込んでしまう。

「急がないと200にも出場できなくなってしまいます! さんの走りをみんな期待してたのに」
「……ん」

 そうだ。みんな待ってくれてる。
 優勝するための有効な戦力って意味だけど、そうだとしても今日は私を必要としてくれてる。
 メンドクサイっていう気持ちは変わらないけど、結局私が乗せられたのは周囲の期待があったからだ。

 期待に答えたい。

 そう強く思った瞬間、ぴんと頭にひらめいた。

「小野田って絶叫系平気?」
「はい? 絶叫系って……ジェットコースターとかフリーフォールとかのアレですか?」
「そう。いい案がある。屋上行こう」
「えぇ?」

 きょとんとしてる小野田を置いて、私は一度視聴覚室に戻り、閉じ込められてた麻の袋を持ち出した。
 それを持って、小野田と急いで屋上へ。

 さすがにアイツらも屋上は張っていなかった。
 私と小野田はフェンスにかけよってグラウンドを見下ろす。

「あっ! もう200のレースが始まってますよ!?」
「……っ」
さん、いい案があるなら急ぎましょう! 走れば間に合うかもしれません!」
「あ、うん。急ごう」

 急かされて、私は口に麻袋を咥えてそれを裂いた。
 いくつか裂いて数本の紐を作り、それを束ねて1本の丈夫な紐にする。
 その片端を左腕にはめてる革のバングルに小野田に結わいつけてもらって、その端を力の入らない左手でしっかり握る。

さん、どうするんですか?」
「えーと、滑車で降りるつもり」
「滑車?? でもここには滑車もレールもありませんよ!?」
「あるよ」

 はてなマークをとばす小野田を手招きして、私は屋上端のフェンスをよじ登った。

さんっ! 危ないですよ、そんなところ登ったら!」
「これ」

 フェンスの外側に下りて、私は足元の『ソレ』を指差した。

 ソレは体育祭のデコレーション。色とりどりの万国旗を飾りつけてるロープ。
 フェンスごしの小野田から、サーッと血の気が引く音が聞こえた。

「ま、ま、まさか……」
「これ、バックネットに繋がってるから地面に衝突する心配もないし」
「むむむ無理ですよ! 大体、滑車なんて……って、まさかその麻布を滑車代わりにするんですか!?」
「そう」
「な」

 小野田はひくひくと口元をひきつらせた。
 あれ、やっぱ絶叫系苦手?

「小野田、じゃあ私がこれで降りて、若先生か誰かに状況説明してくるから、小野田はここで……」

 なんだか可哀想になってきたかも。
 そう思って、小野田に言ったときだった。

 パァン!

 ピストルの音にグラウンドを振り向いた。
 200の組が、あと二組しかない。
 ……間に合わない。

さんっ!」

 ぐ、と唇を噛んだ私に、小野田の気合の入った声が聞こえてきた。
 振り向けば、小野田はフェンスを乗り越えてきたところで。

「急ぎましょう! 本当に間に合わなくなってしまいます!」
「……大丈夫?」
「平気です! 一流大の受験に比べれば、なんてことありません!」
「ははっ、小野田、いい根性してる!」

 なんていうか、案外肝が据わってる、小野田って!
 私はにっと笑って。フェンスに捕まりながら小野田の前にしゃがみこんだ。

「小野田は私にしっかりしがみついてて。滑車は私が握ってるから」
「はい! 信頼してますからね、さん!」
「おっけい」

 背中に小野田を背負って、私は麻紐を足元のロープにかける。
 大丈夫。革のバングルは金具部分にちゃんと結び付けたし、頼りないけど左腕でもしっかり持つし。
 右腕にはぐるぐると何重にもひもを巻きつけた。

「行くよ小野田!」
「はいっ!」

 そして私は、小野田を背負って屋上を蹴った!

「ひあ……」

 耳元で小野田の悲鳴が聞こえて、私にしがみつく手足に力が込められる。

「っ!」

 お、思った以上に麻ひもが腕に食い込んで痛い! でも、小野田を背負ってるんだから、我慢だっ!
 私と小野田はものすごいスピードでロープ伝いに滑り降りた。

 そして、両足でバックネットに着地……というか着ネット!

 がしゃああんっ!!

 派手な金属音をたてて、バックネットがたわむ。
 バックネット近辺は選手の出走ゲート近辺だから、人はほとんどいなかった。

「お、小野田、降りて……」
「あ、はいっ!」

 背中から小野田が飛び降りて、私は右腕に撒いた麻紐をとく。
 うわ、赤黒くなってんの!

さんっ、大丈夫ですか!?」
「平気、でも」

 私の腕の様子を見て小野田が驚いた声を上げる。

 ……でも。

 私は200の選手たちが解散していくのを見た。
 放送局も、無情にお昼の時間を告げるアナウンスを流す。

 間に合わなかったか……。

「結局アイツらの思い通りになっちゃったな」
さん……」
「なんか、クヤシイ」

 小野田が革のバングルから麻紐を外してくれた。
 バングルにも、無数の傷が出来てた。

 そこへ。

!? お前どこ行ってたんだよ!?」

 顔を上げれば、のしんたちが走ってくるところだった。若先生も、400で活躍した志波も藤堂も、……100と200、一人でがんばったんだろう海野も。

「ごめん」
「ごめん……ってお前、まさか屋上で寝てたとか言わねぇよな!?」
「違います! さんは、監禁されてたんです!」

 小野田が私の前に立って弁護してくれる。
 小野田の言葉に、みんなは一様にぽかんとして。
 そりゃそうだ。フツーの学校生活送ってて、監禁て。

「チョビちゃん、それどういうこと?」
「千代美です。さんがうちのクラスのポイントゲッターだって他のクラスの子も知ってたでしょう? それで、うちの独走を止めるために100と200の出走妨害をされたんです!」
「……それが事実だとすれば、明らかにルール違反ですね」
「ルール違反どころか! あまりに非常識ですよ!」

 若先生と氷上が憤慨する。

「どこのクラスのヤツだい、ソイツ。気に入らないね」
「どこのクラスかまでは……でも、私が確認しただけで男子が3人いました」
「男かよ!? 女一人相手にか!?」
「そんなのひどい! さん、叩かれたりしなかった?」

 佐伯と水樹の怒りにも、私は力なく首を振るだけだった。

 競技を邪魔されたとか。
 乱暴に監禁されたとか。
 そういうことがクヤシイんじゃなくて。

 結局私は、みんなの期待に答えることが出来なかったんだって、その事実が。
 悔しくて情けなくて。

「ごめん」
「あっ……さんっ」

 ぽつりと言い残して、私は足早に体育館裏手に逃げた。


 体育館の裏手はあまり手入れがよくなくて、雑草が伸びたい放題になっていた。
 その雑草を踏み分けて私は奥に進んでいき、腰掛けるのにちょうどいい大きさの石をみつけて、その上にちょこんと座った。

 たかが体育祭なのに。
 そう思ってるのに、この脱力感はなんだろう。
 メンドクサイって思ってる。去年まで普通にサボってた行事だし。

 それなのに、今年は当日が近づくにつれてなんだか気持ちが上向いてきて、さん期待してるね、とか、の走りにかかってるからな、とか、普段話さないクラスメイトにも声をかけられるようになって。
 それがむずかゆくてうざったいって思ってたけど。

 嬉しかったんだって、今さら気づく。

 はぁ。どんな顔してクラス席戻れっていうんだか。
 私は膝を抱えて頭を乗せた。

 そこへ。



 この声は志波だ。
 顔を上げれば、ちょうど目の前に志波がしゃがみこんだところだった。
 厳しい顔して、私を見てる。

「怒ってる?」
「……ああ」
「ごめん」
「お前にじゃない」
「……そっか」

 志波はすっかり私の保護者だ。元春にいちゃんからその権利まるごと移譲しちゃったみたい。

「志波」
「なんだ?」
「抱きついていい?」
「……好きなだけ抱きつけ」

 およ、今日はめずらしい。
 絶対志波って、親バカ子煩悩パパになるタイプだ。

 私は遠慮なく志波の首に腕をまわしてしがみつくように抱きついた。
 志波は私の背中をぽふぽふと叩くように撫でてくれる。

「お前は悪くない。みんなわかってる」
「うん」
「……乱暴されなかったか?」
「平気。袋詰めされただけ」
「……袋詰め?」
「うん」
「それもう犯罪だろ……」

 志波の元々低い声がさらに低くなる。
 今度は髪を撫でてくれた。


「ん」
「まだやることあるだろ」
「……ある」
「女神と、ハードルと」
「うん」
「……元気出せ」
「そうだった」

 ぱっと顔だけ上げて、目の前の志波の顔を見つめる。
 いきなり顔を上げた私に驚いたみたいで、志波は目を軽く見開いた。

「まだあった。ハードル、走らなきゃ。それから女神で3−Bに祝福しなきゃ」
「あ、ああ……だな」
「落ち込んでる場合じゃないっ。くっそ、やること思い出したら腹たって来たっ! 志波っ、私、混合リレーも出るっ! アイツらに一泡ふかせなきゃ気がすまないっ!!」
「……」

 そうだ、体育祭はまだ前半が終わったばかりだった。
 アイツらを叩きのめすチャンスはまだまだある!

 すると。
 志波がくつくつと笑い出した。

「なに」
「いや……お前、すげぇ単純」
「む、わっ」

 失礼な物言いに抗議してやろうかと思ったら、不意に志波に抱きしめられた。
 うわ、いきなり、なに。
 自分から抱きつく分にはいいんだけど、志波からこんなふうに触れられるの、まだ慣れない。
 背中にまわされた手が触れてるところが、すごく熱い。

「仇、取ってやる」
「は、はぁ?」
「棒倒しまでにどこのクラスのヤツか調べとけ。……後悔させてやる」
「ちょ、志波」

 いつになく低い志波の声。
 肩越しに見えるのは、背中から立ち上る黒オーラ。
 あれ、バイオレンスの予感。

「絶対許さねぇ。潰す」

 ……私もよくシンから好戦的な鉄砲玉って言われるけど。
 完全狂犬モードにスイッチ入った志波ほどじゃないと思う。

 志波が本気出すほどのことでも……。

 ……。

 あるか。

「期待してる」
「まかせとけ」

 私は志波にぎゅっとしがみついて、志波もまた私をぎゅっと抱きしめた。

 あー、なんか急に後半戦が楽しみになってきたかも。

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